はてなキーワード: じゃがいもとは
人間を減らしたい
できれば今すぐ
大規模に
全てとは言わない
1/10000くらいが残るように
この数値は適当だけど
消すと言っても何も殺すだけではなくて
ドラえもんの道具の独裁スイッチみたいに人々の記憶から毎消し去ったり、
縄文かそれ以前、歴史は詳しくないのでまあその辺りに巻き戻しとかでもいい
人間がわけわかんねー早さで増えていってる
自分にとってはそれがすごく気持ち悪い
虫酸が走るほど
70億だぜ 70億
わけわかんねーよ
なんだよ70億って
7000000000ってなんだよ
0多すぎていくつかぱっと見わかんねーよ
で、これだけの人間が地球っていう半径4000kmくらい?のちっちゃい球の上でうじゃうじゃ蠢いてる
純粋に気持ち悪い
ラーメンズのなんだっけタイトル忘れたけどウォークマン万引きする奴
アレみたいな感じじゃないけどマジで気持ち悪い
まだあるぜ気持ち悪いこと
これまた少数の国やら宗教やら社会やらにある程度ちゃんと収まってることだぜ
理解できねーよ
んで、たいていの奴らは指定できない生まれた国の法律を大抵ちゃんと守ってる
すげーよわけわかんねーよ
なんでそんなことできるんだよ
ついでにそいつらなんだかんだ言って殺しあいとかほとんどしないんだよなんでだよ
頼むよ誰か教えてくれよ
俺は気が狂っちまいそうだ
ああ
できることなら10万年後の世界でグラタンとうさぎのように飛び回りながらじゃがいも食ってそのまま果てたい
小麦畑はきれいだろうなぁ
1.本作の主題?
大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊な事情の母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道の家族劇であろう、と私は予想していた。
しかし実際には、冒頭でおおかみおとこと主人公の花が「哲学」の講義をきっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性と人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である。
13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子どもの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体で母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。
しかし出産も子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本のアニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京に下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年の大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのである。しかも医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係、社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。
親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政や医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産、子育て環境のリアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在のリアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。
3.本作の根底を貫く3つの近代的概念:①選択権としての自由観
社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会からの排除である。雨と雪を隠し続け、医者も児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画のクライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎へ引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校や田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上の主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底に存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史の悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。
「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語の慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマ」である。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事なものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たちは存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。
いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人は日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性は男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍や人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである。人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマが価値あるものとして社会的に承認されることである。黒人や女性は差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である。自分の非自発的なアイデンティティを差別や迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。
「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなくありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己の生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである。
取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族や社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語の根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族は崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである。
家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会、国家、世界史へと繋がっていく人倫の弁証法のスタート地点を家族においている。そして王道的な家族の物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後は和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から、反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマで踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間が最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族そのものを対自化、対象化しなければならないからである。毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分を家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然の世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。
しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観と客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族の現実的な絆も、現実的な幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語は家族ドラマの王道スタイルである弁証法の構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語の家族が弁証法のプロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているからである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。
5.本作の根底を貫く3つの近代的概念:③価値を放棄する平等観
そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまったからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからである。しかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体は肯定的に表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体が重要で価値のあることであり、その選択自体を尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等観である。これも近代以後の社会には欠かせない重要な概念である。職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類を文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズ・テイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念そのものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間の生き方には価値の序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんものの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方が平等の価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者の生き方も、高名な僧侶の生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである。
このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等に価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである。人間の人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみの Permalink | 記事への反応(2) | 08:36
妹とその同僚らが草木染めをしてた。
触媒にミョウバンつかうんだけど、前から問題児だった妹の同僚が「ミョウバン?ミョウバンってアルミニウムでしょ!アルミニウムは危険だからやめて!」ってキレだして大変だった。
こいつは以前、キャンプのときにじゃがいもを食べるのを拒否したことがあって、その理由が「じゃがいものソラニンは芽以外にも含まれていて、ソラニンは分解されないから体にだんだん蓄積されるの!だからじゃがいもを食べるのは危険!」って理屈でみんな呆れてた。
ミョウバンがアルミニウムの化合物だって知ってるくらいの科学知識はあるのにこのリテラシーの低さはなんなんだろう。こいつぜったい将来、知識はやたらあるのにリテラシー低くて変な自然食品の会社に騙されるおばさんになるだろ。他人ごとながら心配だ。
さすがに何度もこの調子の事が多すぎるので妹にめんどくさくないかって聞いたら「いやー見てるとおもしろいよー」とのことで。それにしても普段どういう生活してるんだろうなぁ。
アグリコラのNLデッキについて、Table Games in the Worldで和訳が公開された。
以前、アグリコラWMデッキについて誤訳等を指摘する記事を書いたことがあるが、今回もいくつか気になった点について指摘・補足をしておきたい。
相変わらず匿名ダイアリーでの指摘となる失礼を詫びるとともに、和訳公開について(そしてWMデッキについては日本語版発売への尽力について)感謝を捧げたい。
なお、英文は手元にあるNLデッキの英語版のテキストを参照した。(以下の指摘の中にはドイツ語版と英語版で内容が異なることに由来するものが含まれている可能性がある。)
誤:「収穫前のラウンドに」
正:「収穫直後のラウンドに」
英文は in a round immediately following a Harvest
誤:「同数の場合、あなたが1人を選ぶ。誰も乳を出す動物をもっていない、または全員同数の場合は誰ももらえない」
正:「あなたと他のプレイヤーが同数の場合は、あなただけが小麦1を得る。あなた以外の複数のプレイヤーが同数の場合や、誰も乳を出す動物をもっていない場合には、誰ももらえない」
英文は If you tie for the most, only you receive the Grain. If two other players tie or no one has dairy animals, no one receives the Grain.
補足:「自分の」とは「あなたの」の意味。なおこの効果は義務ではなく任意。
補足:本当に「1回だけ」かどうかは英文からはよく分からない。
補足:「本棚」という名前のカードは既に存在する(K112)。
誤:「住居の部屋1つについて、」
正:「住居(全体)に」
英文は every Unused farmyard space orthogonally adjacent to your home
補足:つまり、はじめから野菜2が植えられた状態の野菜畑として登場したあと、通常通り収穫フェイズに野菜1を収穫していき、空けばまた野菜を植えることができる、ということ。
補足:英文には「ラウンド1人目の家族で」に相当する条件は無い。
正:「食料を勝手に捨てても構わない」
英文は You may give Food to the general supply at any time
誤:「(ラウンド11までに出す)」
補足:また、「牛車」という名前のカードは既に存在する(K134)。
補足:「最も少ない人から1人に与える」とは、「最も少ない人からランダムに1人を選んでその人に与える」の意味。
補足:まず食料1から置き始める
誤:「(取られないままラウンドが終わったらなくなる)」
正:「(取られないままラウンドが終わっても以降のラウンドに取れる)」
英文は even in a following round
補足:除外されるのはこの進歩カードをプレイするために用いた家族コマ。「このカードは、除外できる家族がいるときのみ出せる。」の意味は不明確だが、対応する英文では、「このカードは、家族コマを用いてアクションをする場合にのみプレイできる」となっている。
補足:畑を耕すたびに取ることができるのは野菜1つだけ。
補足:「柵で囲われていない農場スペース1マス」とは「未使用スペース1マス」のこと。
また、「羊飼い」という名前のカードは既に存在する(E203)。
補足:「いずれかのプレイヤーが」漁を使うたび、「あなたは」1勝利点を得る。
補足:対象となる4マスのうち、今プレイしている家族を除いて、既に埋まっていたマスの数の分だけの追加食料を得るということ。
誤:「共通のストックの食料1」
正:「あなたの手元の食料1」
誤:「このカードを出したラウンドには、どのアクションスペースも空きスペースとなる。家族コマ(自分の家族も含む)が置かれていても、そこに自分の家族コマを置いてアクションができる」
正:「このカードを出したラウンドには、どのアクションスペースも(あなたにとっては)空きスペースと扱う。家族コマ(自分の家族も含む)が置かれていても、そこに自分の家族コマを置いてアクションができる。これ以降のラウンドには、他のプレイヤーの最後の家族によって使われたアクションスペースは、(あなたにとっては)空きスペースと扱う。」
誤:「かご製造所」
正:「かご製作所」
補足:訳が分かりにくいので別の訳を。「2番目の家族で『家族を増やす』(ステージ2)のアクションスペースを使うたび、その家族を別のアクションスペースに移動させてそのアクションを行うことができる。『家族を増やす』のアクションスペースは新生児によって占有されたままにしておく。」
補足:英文には「それらを全てアクションスペースに残して」に対応する部分は無い。(小麦と資材については additional と形容されているので、食料も獲得できる前提。)
正:「ほかのアクションには影響を与えない」
英文は This card does not affect additional actions on those space. なので、改築+厩とか、増築+大進歩ということになるのではないか。
和訳ではNL104とNL112が同じ効果のカードとされているが、英語版では両者は異なる。NL104の内容は次の通り。
「『畑1を耕す』または『畑 そして/または 種をまく』のアクションスペースを使うたびに、そのアクションを行う前に、収穫の畑フェイズを行ってもよい。(これは収穫にはカウントしない。)」
補足:食料も3つ以上必要である。また、「木こり」という名前のカードは既に存在する(E176)。
補足:食料1を支払うタイミングは、このカード上に家族を置こうとする時
補足:その食料供給フェイズに野菜を変換することで得られた食料によって食料供給する場合には食料1で足りる、という意味。
補足:「じゃがいも掘り」という名前のカードが既に存在する(E32)。
補足:同じ種類の品物を同時に複数得ることはできない
うーん。弁解は要らなかったな。
「人間椅子」ノリに違和感も持たず毎回ノレる時点でヤバい案件なのは一目瞭然だし…同類で集うと暴走しやすいオタクタイプだったとしても相当だよこれ。
自虐風自慢の自覚がないっていうか、自意識過剰なのを自分で認識してない(認識のポーズで終わってる)あたりも大概だし。
自称は「紅一点」「E65」「かわいいかわいい言われまくった」のくせに
>じゃがいもをさらにぶん殴ったようなのとかさかなクンを魚眼レンズで見たようなのとかでも無口な娘は早く売れていく中で
他人の容姿に対してこのdisりようとかありえないでしょ。性格悪すぎ。
こういうノリで「おしゃべり女」って、絵に描いたように不快な人間だなあって感じ。本当に妖怪じみてるっていうかそろそろ妖怪に謝れ。
炊飯器トマトスープがうますぎるのトラバへのレスポンスをまとめた。
なんで1ヶ月以上たった今になってホッテントリ入りしたんだろ。
トラバついてたので返信。
保温調理鍋
まさに今使ってます。
引っ越してガスコンロも新しいの買ったので、炊飯器だと電気代もったいねーなーと思って買いました。
味が染み込まない。
基本、高温~中温(?)状態を保っての調理ってことだから、味が染みこむ「冷える」っていう過程がないんだよね。
わかってて買いはしたんだけども。
もし味を染み込ませたいなら、保温調理後にさらに冷やす放置時間を入れる必要がある。
この点、「炊飯器で加熱→放置で味しみこむ」っていう方法に負けちゃうんだよなあ。
フルボッコにされたけどトラバに追記ありがとう。勉強になった。
保温調理鍋だと味が染み込みにくいってことはないのか。。。
でもしつこいようで恐縮だけど、実際自分の場合は染み込んでない(ように感じる)んだよ。
今朝も昨日作ったヤツ食べたけど、やっぱり炊飯器でやったときより全然染みこんでなかった(ように感じた)し。。。
火は通ってるけど、炊飯器のときほど染み込みはしてない感じ。煮えるのには十分だけど、味がしみ込むには力不足なのかなって思ったんだよね。
9時間くらいは保温してるんだけど。
炊飯器で作ったやつを食べたときの感動がない気がするんだ。「ん?あれ?あんまり染み込んでない?」って思ったよ。初めて保温調理鍋使ったとき。
主観だけど、直感的にそう感じた。勘違いと切り捨てるには大きすぎる違和感があった。
デジタル化が進み、商業作品とアマチュア作品のクオリティ的な差異はなくなりつつある、みたいなことをよく聞くけどどうも、うーん...ピンとこないんだよなぁ。
差異なんかありまくりでしょ?とか思うんだけど、まぁ...数値化とかさ、「見える化」っていうの?できるもんじゃないからねぇ...
モヤっとするよね...
たとえばボカロ?いや、別に悪いとは思わないけどね、うん、良いとも思わない。
ジャンクフードみたいな感じだよなぁ...いや、だから悪いってんじゃなくて、うん、ポテチ美味いじゃん、ねぇ...
ポテチは美味いし、個人的なこと言うと好きよ。でも毎日は食いたくないじゃん。
...まぁ、そういうこと言ってもさぁ...誤解というかねぇ、怒られそうというか...
空気読むならば、うーん、そっとしておいたほうがいいんだよね。きっと......
それでも何かこう子供たちにメーセージをさぁ、なんというか...
「ジャンクフードばかりじゃなくて、もっと野菜とか食べないとダメだよ」
みたいなさぁ...言いたくなるよ、大人(笑)としてはね.....
そういうこと言うとね「ポテチはじゃがいもだろwwwww野菜じゃねーかwwwwwwいい加減にしろwwwwwwww」
ってなるのはわかってるのよ。そうですよ、イモは主食っていう文化もね、世の中には存在しますよ、ええ....ポテチばっかり食ってて悪いことなんてないですよ。
それでもですね、「いや~それだけじゃなくて緑の野菜もね...」とかね、言いたいんですよ。食育っていうのかな。
「え??あんなまずいもの誰が食うの????」誰得?とかンゴwwwwとかですかね...いやよくわかりませんけど、わかりますよ。
葉物なんて今高いですしね。いや、そうそう、あんなものは昆虫の食いもんですよ。
ポテチこそヒトの食い物ですよ、ええ....
でもね...いやいや、なんっていうのかなぁ、えーいろんな食い物が世の中にはあってですね.....ノーノーノーあなたが子供舌だって言いたいわけじゃないんです...えー、うー、えー、
(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!えー、(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(予測変換ででてきた?)
うーん....何言ってんのか自分でもわかんなくなってきたよ。食いもんの話じゃなくて音楽の話がしたいのにね。
でも、食いもんの話、続けるわ。まぁたとえ話っすよ。
イギリスって料理不味いって度々話題になるけどさぁ、まぁ実際不味いよ。うん。
で、なんであいつら不味いもんばっか食ってて大丈夫なのかってさ、微妙な調査の結果、まぁたぶん、
奴らの道徳心の中で、「欲求を満たすために手のこんだことをするのは罪悪」っていうがあるらしい。
そういうのに対して食い物大好き日本人としてはさぁ
「ええーなにそれ??不味いものばっか食い続けるより、ちょっと工夫して美味しいもの食べれた方が断然良いのに」
「別にうまいもん食ってなくても食ってりゃ死なねーよ!」って感じなんじゃないかな。と
まぁいろんな考え方、世の中にはあるって想像できるけどさぁ...
「金払ってまでうまいもん食いたくない」とかね、
まぁこういうのは極端としても、
「家庭でカンタン中華の素みたいなのがあるんだから、高い金払ってまで中華料理食いに行く必要あるの?」とか
「ちょっと工夫すればサイゼリアより旨いイタリアンなんて簡単に作れるよ。プロとアマに差異はない。だからイタリアンのシェフに存在意義はないよ」とか
うん、まぁね...まぁなんというかさ、こういう言葉を頭のなかで想定してみて、反論?なんとなく想像できないんだよなぁ、うーん・・・。
でも、ぼんやりと日本人としての「常識」ってやつ?から考えてみて、「中華の素」と「中華料理」、「サイゼリア」と「本格イタリアン」、「金払ってプロの料理を食べること」と「アマチュアが見様見マネで自炊すること」は区別が付いてる自分がいる。なんでなんだろうな、うまく書けない。クオリアなんつって(笑)
「別に耳が聴こえてりゃ音楽なんて聴かなくても死なねーよ」とかもね、そりゃあるでしょ。「生きるために必要じゃない」とか。わかる。わかるよ。生きるために必要なことって何かな。たとえば、まぁ食べることだよね。うん、わかるわかる。食ってりゃ死なないから、それが美味いものである必要なんてないよ。うん、わかるわかる。他に何が重要かな。衣食住は基本として、他には?清潔に暮らすってことかな。体を洗うためにお風呂は重要だね。うんうん。でも体を洗うのに必ずしもお湯って必要じゃないよね。水で十分だよ。いやほんとだよ。必要なものだけでいいんだよ。音楽は必要なものではないよね。
ほんとにそうだよ。でもさ、毎日じゃなくてもいいからうまいもん食いたいし、水風呂もなるべく勘弁して欲しい。音楽もなるべくサイコーなものが聴きたいのですよ。
あのね、確かに音楽は無料で聴けますよネットは。旧譜から新譜までそりゃもう大量に。。でもさ、ぶっちゃけて書くと、クオリティ的にぜんぜん満足出来ない。あんなので満足できるかよ。特に最近のものだよ。いろいろ理由があるんだけど、あのー「アマチュアでもプロ並」とかいうけどね、いや、なんかね、アマがプロの真似してるだけでツマンナイのが多いというかさぁ...プロはプロでこぢんまりと宅録だしな。せせこましいよホント。
悪いって言いたいんじゃないんですよ。満足できるかっちゅー話ですよ。
昔さぁ秋元康プロデュースでねずみっ子クラブっていたんだけどさぁ、要するに「大人っぽい小学生」とかを集めたグループだったんだけど、そこにいる子たちが「大人っぽい」というより「大人のコスプレが似合う子供」って感じでなんかいまいちだった。実際、失敗してるし。いやロリでいいんだよロリで!っていうのが通用しない時代だったしね。
アマはアマでいいじゃない。甘々でいいじゃない。その上でプロの仕事があるっていうさ。ロリもBBAもみんな好き。それでいいじゃない。みんな違ってみんないい。ロリもBBAも違いがわからないなんて人がいたってさぁ、まぁ、いいんじゃよ、はぁ~。。。(何が言いたいんだよクソが)
...いろいろあっていいんだけど、いろいろない気がする。いろいろある気はする。とにかく多いなっていう、そんな世の中ですよ。
「昔はよかった」なんつってね。そんなんで満足できるなんて、そりゃうらやましいっすなぁってなもんですよ。
水風呂の中でポテチ食べるなんてずいぶん文化的な生活じゃないですか。あと若さを感じるしね。
でもさ、それせめて水風呂じゃなくてプールにしてくんない?とかまぁいろいろ思っちゃうんです。露天風呂にしてくれとか。
まぁ、論点はズレまくっていくわけだけど。。。
炊飯器に、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、キャベツ、豚肉、コンソメ、トマト缶と水を入れて早炊きスイッチオン2つ。
早炊き1回だけだと火が通らないことがあるから都合2回炊く。
前日夜にそうやって準備する。
炊いた直後は正直あんまりおいしくないけど、一晩置くと味が染みこんでほんとうまい。
飽きたらさつまいもとか今ならごぼうとか入れて水だけ入れて炊く。炊き上がったらだし入り味噌を入れて豚汁。これもうまい。
基本このローテ。
それ以外はシリアルとか食ってる。
今では炊飯器がごはんを炊くものじゃなくて普通にメインの料理をするものになった。
ごはんは食べてない。食パン1枚をスープにつけて食うとかイモ類で炭水化物とる感じ。あとバナナとか。
ガスコンロが壊れて使えないからってことで始めたけど、料理っていう意識なくラクにおいしいもの食べられるからほんと幸せ。
ただ、この時期はキャベツがクソ高いからかさ増しできないのがちょっと困る。
そりゃ、利用する側が、作る側のことを想像しないでしょ。
アボガド、鮭、蕎麦、小麦胚芽、 ブルーベリー、ブラジりアンナッツ 、抹茶、 卵、 大豆、ニンジン、 トマト、 玉ねぎ、 カエンサイ(火焔菜 またの名は、テーブルビート)4分の1に切る、
セロリ、りんご、ブロッコリー(蒸したのがいい)、アスパラガス、サツマイモ、ほうれん草(たくさんはダメ)、魚の卵(なるべく減塩で無着色)
ポタシウムが高い食べ物、バナナ、りんご、じゃがいも は 将来のホクロやシミを防ぎます。(注意-もし、体のほくろののサイズが変わってきた、はれて痛みなどが出てきたら癌の危険性があるので直に皮膚科のお医者さんにて観てもらいましょう)
こんにちは。栗田智仁です。
フルーツの成分のほとんどは水分や糖質なので、栄養供給源としては期待外れな気も。確かに食後のデザートやおやつとしての方が身近かもしれません。ですが、フルーツは生でまるごと食べられるので、ビタミンやミネラルなどの栄養を有効に取り入れるにはうってつけ。その他、無視できない役割やはたらきもあるのです。ここでは代表的な栄養素や機能成分を紹介しましょう。
フルーツのほとんどが水分という話をしましたね。中でも夏に旬を迎えるすいか、メロン、なしは熱を冷まし、体の渇きをいやしてくれます。暑い時期にこそ、効果を発揮してくれます。
フルーツの強い甘みで、心がホッと癒された経験のある方は大勢いるかと思います。これは甘み成分のブドウ糖や果糖が無駄なくエネルギーに変換され、疲れを癒してくれるからです。中でもぶどう、メロン、バナナは高い甘みを持つフルーツなので、気持ちがくじけそうなときにどうぞ。
ビタミンCはフルーツが供給源と言われており、ビタミンCを含むフルーツは多いです。ビタミンCは風邪の予防効果や美肌作りにはもちろん、鉄分の吸収促進、ストレスの緩和効果もあるので、現代人に欠かせません。毎日1個のフルーツで、毎日が少しだけ過ごしやすくなるのではないでしょうか。レモン、グレープフルーツ、オレンジ、キウイ、いちご、きんかんなどに多く含まれています。
疲れたときは、酸っぱいものが食べたくなりませんか? これは酸味成分のクエン酸が体を癒してくれるから。フルーツには独特の酸味を持つものが多く、私たちの体を癒してくれます。クエン酸はカルシウムとビタミンCの吸収を促進してくれる効果もあるので、食べ合わせ次第では高い栄養を摂取することができます。梅、レモン、グレープフルーツなどに多く含まれています。
食物繊維は、発ガン性物質やコレステロールなど身体に有害な物質を排出し、肥満や便秘の予防にも効果的な食物繊維。最近は、生活習慣病への予防効果が期待されています。バナナ、りんご、なし、パイナップル、オレンジなどに多く含まれています。ちなみに、食物繊維含有量ナンバーワンのフルーツは干し柿です!
ドライフルーツについて
こんにちは。栗田智仁です。
果物を生で食べるのも、すごく好きなんですが、ドライフルーツもすごくお手軽でいいですよね。いつでも、どこでも食べられるし。
寒さが増し空気が乾燥する時期は、干し柿や干し芋などの乾燥食品が多く出回りますが、最近では、欧米や中国原産の様々な果物を乾燥させたものも、季節にかかわらずスーパーなどでよく目にするようになりました。
ほとんどの果物は水分が多く含まれているので長持ちしませんが、乾燥してドライフルーツに加工することで長期保存が可能となります。
ドライフルーツは「保存食」として、旬の時期でなくても味わうことができる食品なのです。
また、ドライフルーツに加工することで水分が減り、総重量も減ってしまいますが、ミネラル、食物繊維などの栄養成分が凝縮されるので、生のフルーツよりも少量でたくさんの栄養をとることができ、「健康食」としても利用することができます。
さらに、ドライフルーツは、そのまま食べるだけではなく、料理のバリエーションを増やす食材としても活用できます。肉や魚にドライフルーツを加えることでやわらかくしたり、朝食のシリアルに混ぜて、彩りを増やすことができるのです。
ドライフルーツにはこのような特徴があり、日々の偏りがちな食生活を改善するためにも常時、食卓の上に置いておきたいものですね。
ドライフルーツは、少量で効率よく栄養分を摂取できるといわれていますが、生の状態と乾燥した状態では、栄養分はどれくらい変わるのでしょうか。
ドライフルーツとして最もなじみ深い干しブドウを例にあげてみると、女性に不足しがちな鉄分が生の状態では100グラムあたり0.2ミリグラムであるのに対し、乾燥させたものでは2.3ミリグラムと約11倍も増えているのです。
またアンズでは、日本人に最も不足しているカルシウムが、生の状態では100グラムあたり9ミリグラムであるのに対し、乾燥させると70ミリグラムと、約8倍にもなります。
このように、ドライフルーツは、生のフルーツよりもその一粒に栄養が凝縮され、現代人に不足しがちな栄養分を少量で効率よく摂取することができる食べ物なのです。
しかし、その分カロリーも凝縮されていることに注意しなくてはなりません。少ししか食べていないつもりでも、かなりのカロリーを摂取している場合があります。
毎日少量ずつバランスよく食べるのがもっとも健康的な食べ方なのです。
皆さんは、もう自分に合ったドライフルーツを見つけましたか?気に入ったドライフルーツだけを摂るのも良いですが、ここでちょっと冒険してみてはどうでしょう?
一種類のドライフルーツだけでは得られる効果や味が単調になってしまいます。
日によって摂取するドライフルーツを変えたり、得たい効果によって1日に2種類ずつというように組み合わせて食べることで体内に影響する効果も変わってくるのではないでしょうか?
無花果は見た目がグロテスクなために、敬遠する人も中にはいるかもしれませんね。しかしイチジクの見た目に騙されてはいけません!無花果が持つ豊富なカリウムは血圧を下降させる効果があり、高血圧の予防、貧血、便秘を防止してくれます。見た目と効果は別物ということですね。
老化が気になる人にはドライプルーンが一押しです!プルーンは皮ごとフリーズドライされているため、栄養素も多く、なんといってもポリフェノールの含有量が多いところに着目!アンチエイジング効果に期待が持てます。
ポリフェノールには抗酸化作用があり、体内を活性酸素から守ってくれます。他にもガン予防や美肌率アップなどといった効果が期待できます。
ドライフルーツには水分を取り去ったことによりビタミンCがほぼ無いと言えるものと、乾燥させることによって増加するものがあります。
マンゴーにはもちろんビタミンCが多く含まれているのですが、ビタミンCよりもビタミンAが豊富です。
ビタミンAには抗酸化作用があり、悪性新生物(ガン)などの予防や老化防止効果、美容効果などが期待されます。
シトロンというレモンに似た果物があるのですが、皆さんはご存知でしょうか。
レモンに似ていますが、大きさはレモンより少し大きめで、酸味は少なめの果物です。
フランスのコルシカ島とかイタリアのサルディ-ニャ島などが主産地らしいです。
この二つの島は、国名で言うとイタリアとフランスということで、かなり離れているようなイメージですが、栗田智仁が地図で見たところではかなり近い所にある島だということがわかりました。
この果物は生で食べる事は、ほとんどなく菓子などに加工されて食べられる事がほとんどのようです。
栗田智仁自身も初めて食べたのは、誰かに貰ったみやげ物の菓子に入っていたものが最初でした。
正直言って、生の丸ごとの状態の物は、まだ一度も直接見た事がありません。
日本で生の物が現状手に入るのかどうか知りませんが、手に入ったとしても、かなり珍しいのは間違いないでしょう。
シトロンという名前については、どうしてこういう名前になったのかは、よく分からないようです。
ユダヤの町の名前だとか、ギリシャ語でスギを表す言葉のケドロスが語源だとか、いろいろいう人もありますが、こういう起源の類は、はっきりしないのが世の常のようです。
このシトロンには、次のような俗信もあったようです。
中世の頃は、死刑の罪人を毒蛇にかませることがあったそうなのですが、ところがひそかにシトロンを食べていると、毒が回らず助かるというのです。
しかし話はこれで終わりません。
こうして助かった生還者は何と無罪になったというのですから驚きです。
シトロンの効き方一つで、人間の生死が決定されるとは何とも恐ろしい時代ですね。
こうして、シトロンにまつわる様々な話を知ると、シトロンのお菓子の味も、また一味違ってくるように感じられるから不思議ですね。
こんにちは。栗田智仁です。
ところが、摂取した糖が血液中でいっぱいになると血糖値が上がり、その時余分な糖は肝臓で脂肪に変化されます。
よって、糖分を多く摂りすぎると、本来エネルギーとして使われる糖が余り体内に脂肪が蓄積されていくのです。
そこで、果物に含まれる食物繊維を摂取することにより、この脂肪の蓄積を抑えることができます。
果物には食物繊維が含まれており、糖が食物繊維に包まれているため腸での糖の吸収がゆるやかになります。
よって、果物の糖は体内に蓄積されにくく血糖値も上がらないため、脂肪になりにくいという訳です。
以下のデータからも分かるように、果物の食物繊維量は野菜と比べても見劣りしません。
食物繊維量(100kcal)
キウイ 5.0g イチゴ 4.2g りんご 2.8g みかん 2.2g かぼちゃ 5.6g 枝豆 4.2g じゃがいも 1.7g さつまいも 1.7g
通常、血液中の糖がエネルギーとして消費され、少なくなってくると脳に信号が送られ人は空腹を感じます。
ところが、果物の糖はゆっくり吸収されるため、果物の糖は血液中に滞在する時間が長く、空腹を感じにくいのです。
空腹を感じると人は物を食べたくなりますから、果物の糖を摂った方が食事の量が減りダイエットに効果的なのです。
果物のダイエットパワーはこれだけでなく、果物の中でもりんごとみかんには更なるダイエット効果があります。
りんごとみかんには、それぞれダイエットに効果のある成分が含まれているのです。
そして、少し食べ方を工夫すればダイエット効果が期待できます。
りんごを食べるとよりダイエット効果のある人と、みかんを食べた方がよりダイエット効果がある人に分けられます。
ただ、りんごとみかんを普段通りにただ食べるだけでは痩せません。
栗田智仁の果物に対する誤解について
こんにちは。栗田智仁です。
果物が大好きな栗田智仁ですが、たくさん食べても問題はないの?
疑問に思ったので、ちょっと調べてみましたよ。
■くだものに対する誤解
果樹研究所では、りんごと中性脂肪の増減との関係を調べるため、ボランティアにりんごを1日1個半から2個、3週間毎日摂取してもらい、血液中の中性脂肪を測定しました。
このことから「くだものを摂取すると中性脂肪は下がる」ことが明らかになりました。
くだものを食べると太る?
くだものに含まれている糖類、特にショ糖や果糖は、肥満や糖尿病の原因となるので、くだものは体に良くないといわれることがあります。
しかし、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)は、「ショ糖などの糖類の摂取は肥満を促進するという考えは誤りである」と結論づけています。
甘いとカロリーが高いと思われがちですが、例えば菓子類と同じカロリーであっても脂肪分を含まないくだものの方が太らないのです。
残留農薬?
りんごの表面がべとべとしていたり、ぶどうの粒が白い粉に覆われていたりしていると、残留農薬ではないかと思われる場合がありますが、これは残留農薬ではなく果粉(ブルーム)といわれるもので、りんごやぶどう自身が作り出している「ロウ物質」(ワックス)です。
この物質で果肉から水分が逃げるのを抑え鮮度を保持したり、病気などから実を守る働きがあるのです。
なお、農薬については、農薬安全使用基準と残留農薬基準が設定されており、生産者はこれを遵守し、安全で美味しいくだものの生産に努めています。
■1日これだけ食べましょう
果物のある食生活推進全国協議会で推進している「毎日くだもの200グラム運動」では、その指針の中で、1日当たりの果物の摂取目標量を「可食部で200g以上」と設定しています。
これは、平成12年に文部省・厚生省・農林水産省が決定した「食生活指針」や、平成17年に厚生労働省・農林水産省が決定した「食事バランスガイド」など、食生活に関する各種指針を基に定めています。
なお、これは摂取量の少ない人を念頭に置いた目標量であって、現在すでに200g以上食べている人に対して摂取量を制限するものでないことは、言うまでもありません。
フルーツの成分のほとんどは水分や糖質なので、栄養供給源としては期待外れな気も。確かに食後のデザートやおやつとしての方が身近かもしれません。ですが、フルーツは生でまるごと食べられるので、ビタミンやミネラルなどの栄養を有効に取り入れるにはうってつけ。その他、無視できない役割やはたらきもあるのです。ここでは代表的な栄養素や機能成分を紹介しましょう。
フルーツのほとんどが水分という話をしましたね。中でも夏に旬を迎えるすいか、メロン、なしは熱を冷まし、体の渇きをいやしてくれます。暑い時期にこそ、効果を発揮してくれます。
フルーツの強い甘みで、心がホッと癒された経験のある方は大勢いるかと思います。これは甘み成分のブドウ糖や果糖が無駄なくエネルギーに変換され、疲れを癒してくれるからです。中でもぶどう、メロン、バナナは高い甘みを持つフルーツなので、気持ちがくじけそうなときにどうぞ。
ビタミンCはフルーツが供給源と言われており、ビタミンCを含むフルーツは多いです。ビタミンCは風邪の予防効果や美肌作りにはもちろん、鉄分の吸収促進、ストレスの緩和効果もあるので、現代人に欠かせません。毎日1個のフルーツで、毎日が少しだけ過ごしやすくなるのではないでしょうか。レモン、グレープフルーツ、オレンジ、キウイ、いちご、きんかんなどに多く含まれています。
疲れたときは、酸っぱいものが食べたくなりませんか? これは酸味成分のクエン酸が体を癒してくれるから。フルーツには独特の酸味を持つものが多く、私たちの体を癒してくれます。クエン酸はカルシウムとビタミンCの吸収を促進してくれる効果もあるので、食べ合わせ次第では高い栄養を摂取することができます。梅、レモン、グレープフルーツなどに多く含まれています。
食物繊維は、発ガン性物質やコレステロールなど身体に有害な物質を排出し、肥満や便秘の予防にも効果的な食物繊維。最近は、生活習慣病への予防効果が期待されています。バナナ、りんご、なし、パイナップル、オレンジなどに多く含まれています。ちなみに、食物繊維含有量ナンバーワンのフルーツは干し柿です!
こんにちは。栗田智仁です。
フルーツにもいろいろありますが、シュガーアップルは最近とても注目されているフルーツの一つ。
シュガーアップルは、正しくはバンレイシ(番茘枝)といい、一般的な和名は「釈迦頭(しゃかとう)」。台湾の代表的なフルーツです。
シュガーアップルは、その名のとおり甘みが強く、砂糖を噛むようなジャリジャリとした食感があります。
シュガーアップルが大変美味しいフルーツであることは事実ですが、このネーミング、なかなかナイスですね。
ちなみにこのシュガーアップルの仲間には「カスタードアップル」というのもあり、こちらもシュガーアップルに負けず劣らず食欲を誘う名前です。
果物屋さんで売られているトロピカルフルーツのバナナとパイナップル、そのほかはマンゴーやパパイヤあたりがせいぜいで、シュガーアップルのような比較的知名度の低いトロピカルフルーツは、特に田舎では売ってない店の方が多かったのではないでしょうか。
しかし近年はネットショッピングによるトロピカルフルーツの販売も盛んなので、シュガーアップルもカンタンに買うことができるようになりました。
こうしたお店は、基本は生ですが、腐りやすく、かつ冷凍しても美味しいフルーツは、冷凍した状態で売っているケースも多いようです。
冷凍なら腐ることを気にしないで購入・保存できますから安心ですね。
もちろん解凍して食べてもいいですよ。
それだけに、「シュガーアップル」が何であるか、まだ知らない方も少なくないのでは?
シュガーアップルは正しくはバンレイシと呼ばれるトロピカルフルーツ。
トロピカルフルーツがお好きな方なら、「バンレイシ」の方が馴染みがあるかもしれません。でも、「シュガーアップル」の方が食欲がわくかも……。
シュガーアップルの美味しい食べ方としては――やっぱり基本は生で。
果肉の色は白く、リンゴと洋ナシを掛け合わせたような味で、とても甘い。
シュガーアップルは牛乳との相性も抜群なので、牛乳と一緒にミキサーにかけてジュースにするのもいいでしょう。
シュガーアップルは、ほかには冷凍して食べるのもおいしいです。
通販などでは、腐りやすいこともあって冷凍されたものが売られているケースも多いです。フルーツは基本的にはアイスクリームやシャーベットにしてもおいしいですが、シュガーアップルも例外ではないようですね。
こんにちは。栗田智仁です。
ところが、摂取した糖が血液中でいっぱいになると血糖値が上がり、その時余分な糖は肝臓で脂肪に変化されます。
よって、糖分を多く摂りすぎると、本来エネルギーとして使われる糖が余り体内に脂肪が蓄積されていくのです。
そこで、果物に含まれる食物繊維を摂取することにより、この脂肪の蓄積を抑えることができます。
果物には食物繊維が含まれており、糖が食物繊維に包まれているため腸での糖の吸収がゆるやかになります。
よって、果物の糖は体内に蓄積されにくく血糖値も上がらないため、脂肪になりにくいという訳です。
以下のデータからも分かるように、果物の食物繊維量は野菜と比べても見劣りしません。
キウイ 5.0g イチゴ 4.2g りんご 2.8g みかん 2.2g かぼちゃ 5.6g 枝豆 4.2g じゃがいも 1.7g さつまいも 1.7g
通常、血液中の糖がエネルギーとして消費され、少なくなってくると脳に信号が送られ人は空腹を感じます。
ところが、果物の糖はゆっくり吸収されるため、果物の糖は血液中に滞在する時間が長く、空腹を感じにくいのです。
空腹を感じると人は物を食べたくなりますから、果物の糖を摂った方が食事の量が減りダイエットに効果的なのです。
果物のダイエットパワーはこれだけでなく、果物の中でもりんごとみかんには更なるダイエット効果があります。
りんごとみかんには、それぞれダイエットに効果のある成分が含まれているのです。
そして、少し食べ方を工夫すればダイエット効果が期待できます。
りんごを食べるとよりダイエット効果のある人と、みかんを食べた方がよりダイエット効果がある人に分けられます。
ただ、りんごとみかんを普段通りにただ食べるだけでは痩せません。
りんごとみかんの有効成分を生かし、ダイエット効果を得るにはりんごとみかんの食べ方に秘密があるのです。
高いお金を払ってダイエットをする前に、簡単にできるのでりんごとみかんでダイエットを試しては如何でしょうか?
根強い人気の朝バナナダイエット!
朝バナナダイエットは、栄養もあり、時間も手間もかからず、忙しい朝にも手軽に食べれるのが嬉しいですね。
さらにバナナに含まれる色々な栄養素がたっぷりあり、腹持ちも良いので、バナナはダイエットの強い見方です。
いいことずくしの朝バナナです。
バナナは消化も良く、栄養価も高く優れているので、スポーツ選手が競技中に口にするほど、すばらしいフルーツです。
バナナは低カロリーなうえ、ビタミン、ミネラル、食物繊維たっぷり、抗がん作用もある 優れたエネルギー源となるフルーツです。
バナナに含まれている「オリゴ糖」は大腸で善玉菌の栄養になり、腸内環境を整えてくれます。
また「ポリフェノール」や「カリウム」はフルーツや野菜の中でも断トツです。
「カリウム」は、血中の「ナトリウム(塩分)」を排泄する働きがあり、カリウムを十分に 摂ると血圧を下げる効果が期待できます。
さらに、バナナのに入っている「セロトニン」は、精神を安定させる材料になるので、イライラも吹き飛ばしてくれるのではないでしょうか。
なせ朝バナナが良いの?
私達の体は、午前4時~正午までが最も排泄に適している時間帯と言われています。
この時間帯にお肉やお魚などを食べてしまうと、エネルギーを消化・吸収に使ってしまうので、完全な浄化活動ができなくなってしまうのです。
バナナは酵素が豊富で、熟す段階で既に消化が済んでいるため、胃の中を10~20分で通過してくれ、浄化活動がきちんと行われやすくなります。
また、バナナに豊富に含まれる酵素作用により、体内に溜め込んだ毒素の排出を促進してくれます。
これにより便通もよくなり、毒素も排出されるので、便秘解消、ダイエット美容や美肌にもよいとされているのです。
バナナに含まれる「カリウム」を摂取することで、ダイエットに大敵な冷えやむくみを改善してくれます。
朝はバナナを好きなだけよく噛んで食べ、冷たくないお水も一緒に飲むと効果的です。
注!!
バナナに飽きた場合、違う種類のフルーツに変えても効果はあります。
ただし朝のフルーツは一種類だけにしておいて下さい。
色んな種類のフルーツを同時に摂取すると、それらの酸素が反発しあってしまい、効果が薄れてします。
例えば、バナナとりんごを食べるなら、バナナを2、3本だけ、またはりんごを丸1個など。
栗田智仁も朝はバナナが多いです。
男の保存食!
夏、トマトが安くなる時期にまとめ買いして作っておくと重宝します。
天日で干したものは味がよく、一年中いろいろな料理に使えます。
ミニトマトやイタリアントマトは栽培がとても簡単なので大きなプランターなどで育てて収穫しては干すのもよいですよ。
普通のトマトだと干しあがるの時間がかかるし、天気が悪いと発酵したりカビが生えたりします。まずはミニトマトで挑戦しましょう。
何かと便利だし、野菜や嫌いという人にもうってつけの一品なんでぜひに!
ドライトマトの作り方
とにかく無心になって半分に切ってざるに並べて天日干しに。
注意しないといけないのは、このときに塩をかけると乾燥が速くなります。
これは好みということでお願いします!
1日たつとかなり水分がなくなってきます。
このときでも全然おいしいですが、カビが生える可能性があるのでまだ保存はだめですよ!
ヤフオクが始まったばかりのころは、ゆうパックにスタンプカードがあって、10個荷物を送ると11個目が無料だった。
元増田ほど不審な点はなかったけど、11個目の送料は丸取りなので、北海道よりの120サイズの送料で儲かっていたのではないかと思う。
内容はどれも同じ
1円スタート。
本当は120サイズなのにわざとわかりにくく送料を60サイズで表示
例えば、「60サイズは960円」と表示して、
実際は120サイズ。
しかも梱包手数料1000円と梱包代500円といった形で付加して請求。
結局、1円で落札しても、請求金額は3000円近くになる。
送料を明記しているようで、実は、わかりにくくしている。すごいカラクリ。
引っかかる情報弱者多数。
今度は、批判が増えたため、「送料無料」と記載して募る。
商品は、農協で余っている種付用だったり、ロシアや北朝鮮からゴニョゴニョして取ったものを売りさばいたり。
名前と住所、連絡先さえ聞けば、請求書を送付するだけ。
立派なカモネギ状態。
引っかかった人は絶対に住所を教えないこと。
そのうち、大きな問題になる。
安くて持つからたまねぎとじゃがいもとニンニクとパスタとトマト缶ばっか食ってる。あとたまにチーズ。
酒とタバコとコーヒーはやってない。お菓子は滅多に食べない。甘い飲み物も飲まない。甘いものが欲しくなるという感覚がわからない。
やばい栄養を補うには何食えばいいんだろう?カルシウムは飲んでる。
キャベツ好きだけど、キャベツ買うと4日間フライパンいっぱいのキャベツになるのが困る。
贅沢言うな!毎日芋に塩の人だっているんだぞ!と子供の頃に言われたけど、毎日芋で全然おkだわ芋うめぇ。
コンビニ飯よりましな気がする。金も溜まるし。浮いた金で服買いまくり。外食する気もうせた。
じゃがいもと玉ねぎ以外で箱買いしても一人暮らしで消費できて日持ちする野菜ないのかな。
じゃがいもと玉ねぎとトマト缶は箱買いしてソリに乗せて帰ってきた。
雪が融けたら融けたで、チャリで買い物にいけるから、魚食えて少しましになりそう。
徒歩圏内で毎日魚が買えれば言うことないのに。
地ぶき 6kcal
昆布巻 9kcal
味しみ大根 12kcal
白滝 12kcal
こんにゃく 13kcal
ささたけのこ 23kcal
牛すじ串 23kcal
玉こんにゃく 25kcal
はんぺん 32kcal
つぶ串 34kcal
たこ串(2本刺し) 43kcal
牛すじ串 51kcal
ごぼう巻 52kcal
たこ串 52kcal
ごぼう巻(十勝産ごぼう使用) 55kcal
お魚まるごとつみれ 56kcal
ロールキャベツ 56kcal
ごぼう巻 61kcal
あじつみれ 62kcal
焼ちくわ 64kcal
まる天 71kcal
こだわりたまご 75kcal
じゃがいも(とうや) 76kcal
だし巻き玉子 80kcal
しゅうまい揚げ 80kcal
はも天 87kcal
味しみちくわぶ 93kcal
ジャンボ野菜天 95kcal
のし鳥の白焼き 96kcal
ふんわり五目つみれ 100kcal
ウインナー巻 102kcal
炭火焼つくね串(なんこつ入り) 107kcal
餅入り巾着(こがね餅) 113kcal
豚なんこつ 150kcal
ジャンボウインナー巻 163kcal
このレシピは私(記者)がフランス取材中、あるフランス人シェフに教えてもらったもので、今でも寒い夜に作って食べています(※このレシピはかなり日本人用にアレンジされています)。
ってわけで、どのへんが日本人向けにアレンジされてるか考えてみた。
・にんにく(丸まま)
・キャベツ
・にんじん
・玉ねぎ
・塩・胡椒
・コンソメ
・パセリの茎
・セロリの葉
・ローリエ
・サワークリーム
ポトフっていったら牛肉と野菜の煮込みというイメージですので、まずここ。
豚肉(特にハムや塩漬け豚肉、ソーセージなど)を使う料理はポテという。
ポトフでも間違いじゃあないんだが。
コンソメ、まあフランス人も使うけど、ポトフみたいに肉!肉!たまに野菜!っていう感じの肉が多い煮込みだと使わないイメージ。
魚のアラ汁を作る時に本だしを使うような違和感。
■作り方
【1】お鍋にオリーブオイルを入れ、にんにく(丸まま)を炒め、その後、玉ねぎ、ウィンナー、ニンジンを順に入れ炒める。
【2】炒め終わったら、お鍋に水をたくさん入れ煮立て、コンソメ、パセリの茎、セロリの葉、ローリエ、塩コショウ(少量)を入れて煮込み、その後、ニンジンを入れ、さらに煮込む。
炒めない。というか炒められるような大きさではなく、肉は塊でドン!野菜はせいぜい皮をむく程度。たまに2つに割る。皮さえ剥かない野菜もって感じなので。
一口大に切って炒めてから煮るのも日本人向けのアレンジだと思う。けんちん汁の技法かな?
【3】ぐつぐつ煮込み、ニンジンが柔らかくなってきたら、じゃがいもを入れさらに10分程度煮込む。
【4】「じゃがいも」も柔らかくなったら、キャベツを入れ煮込んで完成。最後に塩コショウで整える。
【5】お皿に盛りつけして、お好みで「サワークリーム」を入れる。
本来は3時間くらい煮込むと思う。
最後に皿に盛る直前まで塩を入れないのも、味噌汁の技法じゃないかと。
http://sociopouch.files.wordpress.com/2011/11/potaufeu1.jpg?w=580&h=435
各自が勝手に切って食べる。