はてなキーワード: Fランとは
こういうやつと一緒に仕事したくないの最上位クラスの豚まんがほかの人を評価しようとしてるのくっそウケるwww
はじめに書いとくけど、僕は別に
でもない。
はいいとしてなんでそのあとの
・むしろ、「協調性がない、チームワークがないと言われて世の中の隅っこに押しやられているんですが、生きててイイッスか?お偉いさん」って感じです
を小文字で隠したんだよwww
・僕が嫌なことを思い出すことがあって…かつ、たまにその嫌なやつになっちゃってることがあるから
って書いてるけどたまにwwwたまにってwww ご自身のツイッターの人気ツイートを振り返って本気でたまにだと思うならマジでこいつに仕事させちゃダメだわwww
こいつに仕事させて後ろ足で砂かけられたLIGさん今どんな気持ち?こんなやつに仕事を紹介して紹介先に迷惑をかけたシロクマさん今どんな気持ち?そういやシロクマはこの時すでに謹慎期間入ってたかもしれんがあの時の総括まだしてないよな。この際だからなんか記事書けよ
酒乱 前科多数。酒に酔ったせいでやら躁うつ病だからという言い訳で言っちゃいけない発言を何度も繰り返してる最低の人間
「人の時間を使ってる」という考え方ができてない人だから、いらないことが増えたり、人の痛みや辛さをわかってあげようともしないで「檄を飛ばす」ことだけには熱心な人 頼まれてもいないのに人に絡む記事を書いて人の時間を使わせてるという考え方ができない人だからよく炎上するしからまれる
チームワークはなくてもいいが、仕事してる意識が共有できないのはちょっと… 話も、筋も、道理も通さねー前科多数
要するに「自分のことしか考えてない」/意識が顧客に向いてない 前科多数すぎて人格レベルで普通の仕事が向いてない
会社や学歴や他人の手柄・力量・過去の経験/知識を自分のモノだと勘違い 実はFランの割に学歴自慢多いしFランの中でそこそこ優秀だったから世間でも優秀と勘違いしてる発言多い
意識が高い。厳密には「意識だけが高い」くせに目の前のことがダメ 完全に自己紹介
料理は手間が掛かるのに利益率を上げるとユーザーから理解を得られない(比較対象、牛丼)
一方料理は食ったら消化しきるまで食えない。満腹中枢というブレーキがある。
底がない酒を主力にするのは当然。
ちゃんと考えろボケ、クズ、負け犬、低知性、低教養、能無し、ゴミ、貧者、貧困層、低モラル、物知らず、白痴、キチガイ、クソ、邪魔、不快、キショい、ブス、指しゃぶり、チビ、デブ、くっさ、幼稚、コミュ障、メンヘラ、無自覚、イナゴ、引くわ、精神的に赤ん坊、便所飯、金無し、誰からも頼られない頼まれない、孤立、反省しない、客観視できない、親離れできない、痴ほう症、Fラン出、東大無職、高学歴役立たず、仕事できない、勉強できない、利益率低い
増田が書いてる通り、政治に求めるものは「社会保障、年金」と「経済、雇用対策」なんだよね。
今、野党が盛り上がっている憲法改正なんてごく一部の特殊な思想を持つ人しか関心が無い。
本来、自民党への対抗軸として頑張るべき民主党が、共産党や社民党と連携してカルト化しているのは、嘆かわしいとしか言いようが無い。
物価が下がるという事は、過去に稼いでストックを持っている老人有利な世の中となる。
若者は賃金が下がり、ローンの返済は年を経る毎に重くなり、働かないオッサンオバサンが高給を貰う傍らで非正規でこき使われる。
インフレで毎年上がる年収の中から貯めこんだ金で、デフレの世の中を生きるのは超イージーモードだ。
大企業も同じ。デフレで金の価値が上がれば、ストックの多い大企業は新興企業を金の力で潰しやすくなる。
すなわち、日本の多数派である「正社員、老人、既得権益層」に極めて有利な政策を行っているのが自民党だ。
多数派の既得権益層はよく選挙に行く。だから自民党は選挙に勝つのだ。
翻って、野党はどうだろう?
特殊な人しか気にしていない憲法改正阻止を掲げ、経済政策はおざなり。
緊縮財政を訴えて、利益を出している年金運用を叩き、たまに出す法案は実現性皆無のものばかり。
例えば保育士の給与月5万円アップなんてどこから財源持ってくるんだよって話です。(トヨタですらベースアップ含む昇給は2015年11300円、2016年8800円)
本当なら、若者や子供の味方をするべき野党が、特殊な思想を持つ極左しか見ていない。
結果、支持なしが4割、投票率30~40%の国が出来上がる。
増田は一つ勘違いをしていて、自民党は雇用を増やして失業率を下げる政策を行っている。
非正規が増えたと言っても、全体の雇用は増えているし、新卒の採用率は過去最高レベルになっている。
2016卒業の学生は、よほどの高望みをしないかぎりは就職に困らなかったはずだ。(Fランは知らんが)
本来、経済左派がカバーする領域を保守政党である自民党がカバーしている。これは野党の怠慢としか言いようが無い。
今回の参院選は与党が過半数を取って勝利。自民党が単独過半数はほぼ確定、与党+維新などの右派で2/3も狙う。
民進党は議席減確定、共産党は民進党を食い物にして議席を伸ばす。
安倍首相は歴史に名を残したい人なので、議会の安定運営が出来るようになれば、更なる景気対策や経済対策を打ち出すだろう。暴走もありうるかもしれない。
野党は発言権を減らしていく。行き場のない貧困層や過激な若者の受け皿である共産党は伸びるけど。
主張すべきを主張せず、若者を共産党やシールズに追い込んでいる民進党はマジで反省した方がいい。
極左のキチガイ(ヨシフ・スターリンとか旧社民党勢とか)をさっさと切って、まともなリベラル政党として再生して欲しい。
アベ政治を許さないとか言うてる人、お前らの愚かな行いこそがアベ政治を許している最大の原因なんだよ!!!
国民の声(特殊なキチガイ除く)を真摯に聞いて、経済、雇用、社会保障、年金の対策をちゃんとやってくれ!!!!!
こちらからは以上だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160703171723
自民党の政策は「比較的」マシなので消去法で選ばれているだけなんだが、野党及び支持者は自民を批判する事は得意でも、自分でまともな政策を打ち出せないだろ。
出来るというのなら、何故民主党政権時にやらなかった?と聞くけどね。
シールズや共産党支持者の言葉を借りれば「自民党が政権を取っても憲法は変わりません(国民投票で否決されるので)が、民進党&共産党が政権を取れば暗黒の民主党政権時に逆戻りです」だよ。
そうでないと主張したいのなら、まずは野党としてまともな政策を出してこいと。お前ら反対しかしてないじゃないかと。
とりあえず人並みに義務教育を終えて、何とか公立高校に進学して、私立Fランだけど何とか大学進学して、運と偶然と何かの間違いで就職もできたけど、友人も知人もいない(一定以上に親しい人がいないという意味では無く、私用携帯の電話帳が空っぽなレベルでいない)し彼女なんて紙とJPGでしか知らないまま三十路を過ぎて折り返し。きっとすぐに四十路、五十路を迎えていくんだろう。
進学のことは学校で教えてくれた、就職のことも学校なり何なりで教えてくれた、だけど友人や恋人の作り方なんて誰も教えてはくれなかったし学ぶ機会すら無かった。しかし世の中の人達はみんな、どこかでそれを学び、知り、経験していってるはずなんだ。
なら自分は何処でそれを見逃したんだろう。或いは、一体何処で自分は道を間違えてしまったんだろう。それに気付かない限り、きっと何度やり直せても間違えてしまうと思う。
自分には想像も付かないけど、少女漫画みたいな胸キュンラブコメみたいなイベントをみんな隠れてどこかでやっていたんだろうか。伝説の木の下で告白とかやってたんだろうか。見えないところで、バレンタインのチョコを渡したりとかしてたんだろうか。
それらはマンガやゲームの話であり、フィクションに過ぎないと思っていたが自分に見えてなかっただけだったのか。
大学時代、これといってやることもないからウェブサイトを作って遊んでいた。
当時はHTML,CSS, JSを書いてレンタルサーバーにおいて表示させて楽しむところから始まった。スポーツのニュースサイトのRSSを読み込んで表示するだけのサイトを作ったりした。しばらくすると、Rubyというプログラミング言語を学びながら、ウェブフレームワークを使って動的なウェブサイトを作ってみた。赤の他人がウェブサイトに書き込みをした時はとても嬉しかった。
バイトをしておらず、金がなく友だちもいなかった。没頭できる唯一の趣味がウェブサイト制作、その周辺のプログラミング作業だった。ネットを検索すれば以下のような「ウェブサイトをつくって大成功」みたいな記事がたくさん見つかる。自分も、バイト代くらいはウェブサイトで稼げないものかと淡い期待を持っていたのだろう。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/hitori_index.html
並行して、簡単なTIPSやプログラミングに関する概念の解説みたいなことをブログに書いていた。どちらかといえばそちらのほうが人気を獲得していた。作ったウェブサイトはどれも流行らず、結局閉じることになってしまった。
頭のわるいFラン大学文系人間だった。黒い画面にテキストを打ち込むだけですごいことをしている気分になった。金にならなくても、少しずつ自分のアイデアが形になっていくのが楽しかった。
しばらくして、これといって話題になるようなウェブサイトも作れずに就活の時期を迎えた。一流のIT企業をいくつか落ちて、中規模SIer(1次請け〜2次請けくらいの案件を取り扱う)にSEとして入社した。
仕事が始まると、毎月定まった給料がもらえることに感動した。真面目にバイトしたことなどなく、派遣の単発バイトばかりだったため、まとまった給料をもらえる、そのこと自体に感動した。しかも、いくらか興味のある仕事だ。それはとても嬉しい事だった。
しかし、さらにしばらく経つと、どうも何かがおかしい。ウェブサイトを作っていたときに感じていた楽しさ、没頭感とか全能感といったような類のものが丸っきり無くなっていた。よく、大手のSIerに入社するとコードが書けなくて幻滅するというが、自分が入社したのはプログラムを書く上でとてもいいポジションだった。下請けのマネジメントをする会社でもなく、ブラックな環境でめちゃくちゃな開発体制を強いられるわけでもない。
それなのに、プログラムを書くことに楽しみを感じなくなってしまった。入社当時は休日にプログラムを書いていたが、今ではそれが苦しい作業になってしまっている。なぜなのかわからない。
あの全能感はどこへいったんだ。
金さえ有れば良い教育が受けられて、良い人生が過ごせると思っている皆さん、間違いです。
金持ちの子は良い教育を受けて、良い学校に入り、良い仕事につくというのは一面の事実では有る。
本当の所は「まともな親は、比較的金持ちに多い」のだ。まともな親に育てられるからまともに育つのであって、金持ちだからまともに育つのでは無い。
子供が家に帰ると親が寝転がってポテチ食いながらワイドショーやお笑い番組を見ている。
喫煙者、安酒飲み。
趣味はパチンコorスマホゲーor改造車、宝くじを常習的に購入。
仕事は単純作業or非正規、数年かけてスキルやキャリアを積む仕事についた事が無い。
例えば、上記のような暮らしをする人間に、いくら金をやってもまともな子供は育たない。
貧乏人の子供は貧乏になる確率が高いのだが、それは最も長い時間を過ごす家庭がそのように運営されているからだ。
多くの金持ちの家庭はそうでは無い。
家に帰ると宿題を見てくれて、親は休日に美術館に行ったり読書をしている。子供は自然に学び、本を読み、豊かな文化的素養を養う。
整理整頓は自分の人生を効率的に生きる手段である事を身をもって教えられる。
海外に友人が居る。子供の頃から多様な文化に触れ、その中でアイデンティティを確立する機会が有る。
積み重ねた努力で、ある程度の地位や仕事についている人に囲まれた生活をしている。努力すれば、具体的にどうなれるかを日常的に見ている。
両親共に大学を出ている。子供の頃から大学に行くのが「当たり前」になっている。海外へのホームステイや留学も視野に入り、経験者の話をいつでも聞ける。
高い能力を持つ人に囲まれ、日々の生活の様々な場面で礼儀を学び、見聞を広げられる。
このような日々の暮らしこそが「文化資本」なのである。カネを持っている事など、瑣末な事でしかないのだ。(もちろん文化資本の無い金持ちも居る)
例えば貧乏人にカネだけ与えても、こんな暮らしは出来ない。せいぜい半額惣菜が外食になり、しまむらの服がブランド物に変わるくらいだ。(文化資本を持った貧乏人という存在は極めて少ない。)
東大に入る学生の親は約半分が年収1000万以上だと言う。日本の年収比率から考えれば明らかに偏っている。
もちろん、小学校からSAPIXをはじめとする有名塾に通える環境も一助にはなっている。まぁ塾代だけで、本気で通わせると小学1年から高校3年までで1000万以上かかるし。
しかし、家庭環境が壊れている子供をSAPIXに通わせたとして、有名私立に入れるか?と言われれば無理なんだよね。最も重要な家庭での学習が出来ないから。
良い教育とは、まず最初に家庭で行われる。家庭で教育を受けられない子供は、最初から大きなビハインドを食らって社会に出る。そこにいくらカネをつぎ込んでも無駄。
稀にトンビが鷹を産むが、そんな子供は現在の制度でも返済不要の奨学金がいくらでも有る。
格差とは経済力では無い。本当の格差とは、誰もが選べない幼少期の環境の事なのだ。
教育に過剰な期待をしているブコメが多いけど、家庭でするべき教育を学校が肩代わりしろと言っても無理ですよ。
何事も本人のやる気が無ければ始まらないのだが、その「やる気」をステロタイプな貧乏親は削りとる。
まともな親の子供は親&周囲のまともな大人からやる気をもらい続ける(ついでに良質な知識、コミュ力、広い見聞も)
要するに、日々の生活が追い風になるか逆風になるかの差がデカイのだ。これに比べれば、スタートラインの差など無いに等しい。
教育費を無料にした所で、大学に遊びに行くバカと、目標持った優秀な学生に二分されるだけ。
優秀な学生は大体親が金持ちだし、そうでなければ奨学金を取れる。
教育費無料なんて教育関係者のポジショントークでしか無いよ。乗せられている貧困層は利用されているだけ。
解決策は無いのか?という話だが、これ以上のバカの底上げは無意味なのでしない方が良いという立場だ。
そもそも日本は、ホームレスですら字が読める国だから、初等教育は行き渡っていると言って良い。
教育費でよく話に出てくるOECD各国だが、字を読めない人が普通に居る国だらけだからな。
日本の識字率は99%以上だから、初等教育(バカの底上げ)に成功している国とも言えるのだ。
巷で叫ばれている大学無償化、奨学金返済不要については、費用対効果が悪すぎるのでやめた方が良い。
20年ほどクズ親に育てられれ、何の文化資本も持っていないFラン大学生なぞ、支援しても無駄だから。
一定数、世間知に長けたワンチャンを掴める層は居るが、そいつらは放置してても勝手に伸びる。学校教育の範疇ではないからな。
やるなら一定以上の偏差値を持つ世帯年収が低い家庭の小中高生に集中して支援するくらいか。
しかし、いずれの場合もバカの感染を防ぐために寄宿舎で預かる必要が有るが、日本でやる事は不可能だろう。
日本国が行う学校教育に幻想を持っている人が多すぎだが、そもそも東大すら世界的には有象無象の一大学でしか無い訳で、本物のエリートは欧米やアジアのエリート養成大学に行ってる。
ただし、日本でエリート養成をする事は無駄に平等を重んじる文化から無理だろうなと思う。
みんな平等に格差をなくそうという思想はご立派だけど、現実的に考えると家庭に介入出来ない限りは不可能だという事。
国(あるいは他人)に出来るのは自力で一定ラインを超えてきた人を支援するくらいだ。
やる気のない(あるいはやる気を奪われた)人は、自助努力が出来ないので救いようがない。
共産党の機関誌である「前衛」を読んでいるコミュニストが、この記事をネタに書いているので見てみた。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20160605/1465138757
まぁ一言で言えば「そう出来たらいいですね、ところでどこから金が出てくるの?」である。
松本は、さらにそこから夫が主な稼ぎ手で、妻が専業もしくは補助的な労働でそれを支えて、子どものケア労働を担当する「標準家族モデル」がいかに危機やトラブルに脆弱かを述べる。
そして、もし子どもに関わる費用をすべて社会が負担するようになれば、親は自分の食い扶持さえ稼げばよくなり、シングルでもダブルでも不利や不公平は解消すると述べる。これこそが「強い家族」なのだと。
さらにこう続ける。
もし小学校や中学校のように、高校や大学に誰でも行けることはおろか、医療も住宅もそして食事や文化に触れる機会も、子どもが無料でアクセスできるようになれば、その時初めて子どもの貧困は親の責任から切り離される。そこまで社会を進めることの覚悟とセットでなければ、容易に元増田のような非難に遭遇するハメになる、と松本は警鐘を鳴らしているのである。
ユートピアを追求するコミュニストらしい意見だ。で、そんな国どこにあるの?日本人は1億人以上居るので、中東の産油国でもこんな暮らし出来んぞ。
ちなみにその理想を実現しようとした国知ってる、ソ連とかいう強制収容所国家だ。
まぁ共産主義者に財源を追求しても仕方ない。彼らは責任をもって行動した事が無いのだから。
仕方がないので、テキトーだが俺が考える。
日本の0~14歳までの年少人口は1613万人。彼らに衣食住+文化的な生活+学習を無償化したとする。
かなり安めに見積もって1人1ヶ月10万円の経費がかかるとして、1年で120万×1613万=19兆3560億円
更に高校生、大学生まで含めると900万人ほど増える、1人月10万で年間10兆円ほどかかる(年齢が高くなるほど消費が増えるが、面倒を見る職員の数は減らせるので同じ経費とする)
合計して約30兆円、数字を見ただけで非現実的だとわかるだろう。
まぁ所得税を3倍にすれば実現可能だ。もしかしたら、共産主義者として望む所なのかもしれない。
現在の日本において、財源を示さずに甘い夢だけを語るのは誠実な態度だろうか?
耳障りの良い話、目の前の人を気分良く救える話は正しいのだろうか?
共産主義者は家族の解体を是とする。旧ソ連では集団主義教育が行われていた事は周知の通りだ。
全ての子供を「学習はおろか、医療も住宅もそして食事や文化に触れる機会も」親の責任から切り離す覚悟が問われるそうだ。
まさしくコミュニストに相応しい思想ですねとしか言いようが無い。
ちなみに私が提唱する解決策?はこんな感じ。ブコメにも有ったが、教育は数世代で解決するしか無いので、まず1代目はお金を稼ごう。
1代だと所詮成金なのだけど、2代続けばその子供は教育が行き届くようになるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160225194038
旦那は自分が1番。長男をソフトボールに連れて行く、というと聞こえはいいけれど行ってプレイするのは自分。子どもはそのへんにほっとかれた。でも干渉は酷いレベルだった。
彼女は長女に徹底的に父親の悪口を吹き込んだ。長女は学年で1番をとるぐらい勉強ができた。けれども女だからの理由で地元の短大しかいかせなかった。さらに就職するとそのへんのFランの大学に行った長男のために仕送りまでさせた。ずっと自宅に縛り付けて家事をさせて一人暮らしも認めなかった。長女はそんな親を見て結婚をあきらめた。
長男は男だからという理由でなにもさせなかった。台所にも入れなかったし、洗濯や掃除も母親と姉がやった。家電の設定なども姉がやった。
大学は一人暮らしをしてそれなりに家事を身につけたけれども1人でなければやるべきことを見ようともしなかった。
長男はのちに結婚するが仕事しかできなかった。いい人ではあったけれど自分で考えられない人間に育った。例えばゴミ捨てを頼まれれば引き受けるけれども妻から「今日は〇〇ゴミの日だよ、時間だから出してきて」と言われるまでゴミはそのままだった。それが一度や2度でなく毎回のことだった。
彼女は子どもたちをきちんと躾けたという。時代や地域柄、それは確かに普通の子育てだったのかもしれない。でも大人になってどこが歪んでいる長女と長男を見ているとそれは子育てではなく虐待じゃないのかと思うのだ。
文系なのにね
理系のほうがレポートたくさん出してるから書く訓練をしているように思える
文系の学問が要らないとは言わないけど、文系の教育はどうにかしたほうがいい
レポートださなくてもテストで適当に論述すれば単位をとれてしまう
旧帝でこのレベルだったらFランなんかはもっとひどいんじゃないか
ゼミみたいな授業を増やして文章書く指導をちゃんとしてほしかった
(一応ゼミには入ってたんだけどヌルいところだったから文章の練習にはならなかった)
この増田もぐっちゃぐっちゃでしょ?
文系って糞だなあって思う
京大卒、東大卒文学部の方々の文章を読んだ。どちらも有意義な文章だが社会において文系の価値が軽視されがちになってきている趨勢を感じるこの時代に書き残しておきたいことがあります。
何のために学問をおさめるのか、主婦になるのは大学教育は必要ない?東大卒はプライドを捨てなければ自己肯定できないのか?
どちらも境遇が違うのですが共通して言えることがあるので増田に書いてみたいと思います。文学部が存在する大きな意味のひとつに「無限の文脈」を得るためということがあるでしょう。
たとえば仏教は人生は苦しみであると説きます。しかし人生は苦しみであるという言葉だけではなにをもって人生が苦しみなのかわからないので人生とは~~~ゆえに苦しみであるという~~~を獲得するのを助けるのに文学ほど有用な学問はないと確信しています。これは論理や実験では決してうまらない人間の人間たる存在の問題であるのでバッチリこれが答えだなんて言いいきれるものではありません。それが理系と文系の決定的な違いなのではと思うのです。文系の学問は経済学や社会学、政治学などを含めて全て勉強すればするほどに断定的な物言いが難しくなる側面があります。文系は人文系とも呼ばれますがまさに文学は人間の混沌を理解するため、ではなくどう見つめるかのその過程を追求するためにあるのではないでしょうか。
だから社会的な実益を生むわけではないので文学は時に軽視されることになります。しかし自らの人生を追及するために文学ほど役にたつものは存在しないのです。それは一般的な労働に従事するかぎりにおいてはほとんど役にも立ちませんがそれでも個人の人生という物語を形成する重要な要素にはなるのです。
おそらくそれが京大の文学部を出て主婦になった方が感じる最も根幹に感じる違和感の正体ではないのでしょうか?大学を出て社会的な成果を出さないとは何事かと人は言います。けれど文学は人間の外面ではなく内面をどう料理するかを学ぶ学問なのですから主婦になろうがどうしようがそんな社会的なことは甚だどうでもいいものでしかないのです。むしろその京大で学んだ文学的素養を発揮するのに主婦や子育てほど適した職はないとも私は思っています。
文学の価値というのは学生の時には傾倒し教授と談義にふけったりそれはそれはとても面白いものですが社会に出れば時に忙殺されてしまいます。実務に追われ気づけば学生の時に追求した私は~~~だから私であるの幼い文脈すら仕事の一言に置き換わってしまいます。それは理系も文系も京大もFランも高卒も関係なくです。しかしそんな何のために働くかわからなくなった名もなき乾いた砂粒のような人間にこそ文学は必要なのですよ。
仕事の悩みや資格勉強のわかりにくい部分など、彼女がほぼ一方的に質問をしてきて、俺がそれに答えるというやり取りが2時間続いた。
彼女はいつも俺を褒める。どうやら本気で俺のことを頭がいいと思っているようだ。正気かよ。
彼女は実家が裕福だ。父親は誰でも知っている企業の支店長まで務めた人物。彼女の姉も極めて優秀。彼女はそんな家庭に反発して、芸術の道に入った。「才能なんてなかったけど、逃げ出したかったから」なんて言いながら、死ぬほど努力しても入れない人が多数いるような名門に入った。そこでは誰もが「我こそは」と思っている中、一人だけ「私は才能がない」といいながら、大変な評価を得ていたということだ。彼女の同級生に聞いたところによるとだが。
それに比べて俺の経歴は惨憺たるものだ。
完全に負けぐせがついて就職は失敗。
圧倒的なクソ企業でゴミのような毎日を過ごし、3年で退職という王道。
金がなくて生命保険もがん保険もあらゆる保険を解約。その後病気が発症。保険に入れない身と化す。
ティッシュペーパーが死ぬほど欲しくて献血した所、血液に異常が発覚。
病院の検査費用があと100円払えず、書類に拇印を押して家に帰り、12冊持っていた本をブックオフへ。10円*12冊で見事支払うことに成功。薬は買えなかった。
カードは未払で完全停止。債務整理をお願いした弁護士費用をも月2000円支払いで2年かけて払う。
カードの債務は20万円。それを毎月2000円ずつ支払う。常人なら20万はすぐに返せるが、俺はそうではない。弁護士費用と合わせて4000円。これは3週間の食費に相当する。
当然ながらクレジットカードは今後7年作れない。これはボディブローのように効く。クレジットカード前提のサービスは世の中意外と多い。「ほしいな、便利だな、安く上がるな」と思うものこそ信用が必要なものだからだ。
その他、友人からの借金もまた月数千円ずつ支払う。恐ろしいのは銀行振込の手数料だ。2日分の食費が飛んでいく。
ヨモギ、オオバコ、タンポポでビタミンを補い、小麦粉でエネルギーを得る。
その他の野草も大概食べた。
野菜が食べたくなって発狂して近所の家庭菜園に夜霧に紛れて侵入し、トマトを食べた。俺に妹などはいない。俺の、俺だけのために盗んだ。罪悪感で、3つもぎ取ったうちの一つは玄関において逃げた。
その後、なんとか潜り込んだ会社で月12万の給料で働きつつ現在に至る。
そう思いながらも、体面だけは保った。
ヨモギオオバコタンポポ法を再び使用し、食費を超圧縮してHSKとTOEICの試験を受けた。
HSKは4級、TOEICは780点を取った。給料は変わらない。
まずはスーツを買う金をヨモギ法で貯めて、なんとか転職をしなければ。
そこらの観光地の土産屋の販売員のほうが稼げるんじゃないかと考えたりもするが。
俺が夜毎公園に水を汲みに行き、オオバコとヨモギの新芽を摘んでいることなど見えない。
ただ俺が節約生活をし、"ちょっと変わったロハスな自炊"をし、家具も食器も自分で作り、独学で語学を身につけたというのが全てだ。
数年間は友達、ネット上で彼女から告白を受け、遠距離恋愛。童貞はテレフォンセックスで捨てた。
その後、実は同じ地域に住んでいることに気づき、お付き合いを始める。
服も靴も美容院代も何もかも持たざる者だった俺を、才能のない芸術家は高く評価したようだ。
そもそも5ヶ国語に堪能な人間がなんで3ヶ国語に不慣れな人間を褒めるのか。
俺は単にペットとして扱われているだけじゃないのか?
彼女の中の「ほかとはちがうだいじなもの」と書かれたおもちゃ箱に入っているだけなんじゃないのか?
わからねぇ。
日頃は堂々としているつもりだが、ふとした瞬間にどうしようもない惨めさで動けなくなる。