はてなキーワード: 自費出版とは
Aくんは○○というジャンルのキャラクターだ。二次元。わたしは作者の半ば公認で、次元を越えて二次元の男と結婚した。
Aくんとの出会いはわたしがまだ学生のころ。もう10年以上も前になる。
わたしはその原作が大好きで、10年の間に他のいろいろなジャンルにもはまってきたけれど、落ち着くと○○に魂が戻っていった。
記念に作者さんのサイン会が開かれることになり、わたしも運良く当選した。
サイン会というものは初めてだったけれど、周りにいるのがみんな○○を好きな人という空間というそれだけで気分が高揚した。
10年以上もの間愛した世界を作った神様みたいな存在の人と会う。就活の面接よりも、部活でソロをもらって楽譜一枚ぶんの長い間注目されながら演奏したときよりも緊張した。
登壇された先生も緊張されたご様子で、それでも堂々と読者の我々への感謝やご挨拶をされていた。
サイン会のことは今でも鮮明に覚えているし、たくさん連ねたい感情や思い出はあるけれど、この記事のメインはそれではないので端折って進めようと思う。
わたしの番がきた。
他のサイン会というものがどういうシステムかはわからないが、このサイン会は応募したときの名前が名刺くらいの大きさの紙で用意されていて、順番がくるとそれが読者→スタッフさん→先生へと渡され先生がサインと宛名を書いてくれるというものだった。
先生「あ!」
わたし「わわ……」
繰り返しになるが、わたしは10年以上前から○○が好きだ。Aくんが好きだ。
応援の気持ちで、単行本がでると、とりわけAくんが登場していると(Aくんは一年出てこないこともあるくらいのキャラ)ファンレターを出したりした。二回だけバレンタインにAくんにチョコをお送りしたこともある。
それは少しだけ熱心な普通のファンの範疇だったはずだったけれど、覇権ジャンルのような人口ではないためか、先生はわたしの名前を覚えてくださっていた。
もちろん本名は井上とか吉田とかのありふれた名前で、馬喰町太郎だなんてパンチのきいた名前ではない。
元気良く挨拶して、お祝いのお言葉と、サイン会という機会を設けてくださった感謝と、作品への思いをお伝えしよう。そうして考えていた言葉が全部吹き飛んだ。
先生は、すみませんお名前見てはっとしちゃってと笑い、隣で色紙の用意などをされていた方(担当編集さんでした)に「Aの馬喰町さん!」とわたしのことをお伝えされた。
そしてわたしには長い間○○を読んでいたお礼と、わたしが先生やアシスタントさんや担当さんの間でAの人で通っていることを話された。
長年作品を支えた(という言い方はおこがましいものの先生のお言葉を借りて)一介のファンにはこれ以上ないお言葉だった。
当然、古参ファンへのリップサービスだと理解していたし、本気でないからこそわたしも「えーっwwwありがとうございますwww」という軽めの反応をした。
冗談やお世辞で言っていただいたことでこんな記事を書いたりはしないし、この記事は自慢のつもりでもない。理由はこの先を読んでもらえるとわかると思う。
わたしはSNSをしている。漫画やゲームなどのことを話す用途のアカウントで、サイン会に行ってきたことを軽く話した。
「Aくんをわたしの嫁に出すしかないと言っていただいちゃったので今日は結婚記念日😂」という文面で、本気らしさは感じさせなかった。と思う。
それから数ヵ月が経ち、即売会のイベントに先生が参加され、○○の最終回後のお話が同人誌という形で頒布された。
Aくんはそのご本の中で既婚者になっていた。(※相手がいるという記載のみで、奥さまはお名前すら登場していない)
わたしの話になるが、わたしは基本的に作中の男女カプが好きな腐女子だ。腐カプを好きになることはたまにしかないが、♂♀、♂♂どちらでも固定厨。
ただし、公式の推しカプには従うし、推しが幸せになるのを祝福できるし、公式で好きな異性がいる男をホモにする腐女子は公式アンチか?それともエアプか?と思う。推し♂♂がそれぞれ女の子とくっついたら公式を受け入れる。
わたしはAくんを腐カプの受けとして見ていた。
でもAくんが女の子を好きになって、女の子と結婚して幸せなら、わたしは祝おう。BAのことは諦められる。幸せになってね。そう思った。偽りはない。
ご祝儀袋にファンレターを入れて(本当は本当にご祝儀を入れたいくらいの気持ちだったけど現金はだめなので)気持ちばかりの差し入れのお菓子をお祝い代わりに、ご結婚おめでとうございますという旨とご本の感想をしたためた。
数日後の先生のSNSに、「お祝いされるべき方にお祝いをいただいてしまった😂」という旨の投稿がされた。
遠回しに結婚相手はわたしだと仰っている。わたしにしかわからない形で。
これは完全に自意識過剰なのだけど、先生がわたしのSNSを見かけた可能性はあった。もっというと、以前からチェックをされているかもしれないという気もしていた。(そのため当該アカウントでは腐関係は隔離して、見られても困らないごく一般的なファンの投稿だけになっている)
この理由はどうにも暈しようがないので伏せさせていただくが、サイン会のときの投稿よりも前からそこはかとなくそんな予感がしていた。
だからサイン会の後に、なんにも投稿しないことでなにか変なこと言っちゃったかななど思わせたくなくて(わたしはネガティブなのでわたしならそうなる)、喜んでみせたのもある。
だから、今回の先生の投稿も、わたしの反応待ちなのではという感覚があった。当然自意識過剰だ。
自意識過剰だけど、ともかくわたしもSNSを投稿した。先生が遠回しに伝えてくださるのはわたしと他のファンの方双方へのお気遣いだし、わたしも大層喜んだ様子で詳細は書かず感謝を綴るのみにとどめた。
ところが先生のご本を読み、かつ先生とわたしのSNSのどちらも見ていた方には察せられるもので、配慮が足りない、常識がないと言い出す人がいた。
(正直、ご自身の立場だったらおまえはもっとなんにも伏せずに狂喜乱舞で全部ツイートするだろうと思うそういう性格の人だ。)
わたしは腐女子でBAが好きだった。Aくんが結婚したからそれを受け入れた。
しかし相手がわたしとなると話は変わる。わたしじゃAくんを幸せにできない。でも、自費出版とはいえ公式でAくんは結婚した。
公式を受け入れないのは公式アンチという信条と、10年の推しカプを自分自身のせいで諦める苦しさで板挟みになった。
チョコを送ったのがよくなかったのか。それくらいみんなやってる。
ファンレターだって、腐要素こそ滲まないよう努めたが、夢感情は元々なかったのでAくんと結婚したいなどということはもちろん書いたことがない。表情や言動を事細かに好きだと綴っただけだ。
サイン会で喜んだのも長いファンを喜ばせようというお心遣いが本当に嬉しかったからだ。
誤解のないように言うが、わたしが喜ぶかなと結婚までさせていただいたご厚意自体は本当に嬉しいし、この上なくありがたい。
ファンとの距離感が近すぎるとは思うけど、お気持ちは本当に本当に嬉しいし、それほど大事なファンだと思っていただけてることは誇りです。○○を好きでいて本当によかった。
でも推しカプの片方が結婚してましてその相手が自分という事態はどれほど複雑(オブラート)な気持ちか、固定厨の方なら多少はご想像いただけるだろうか。
ご厚意に厚意と感謝を示したくて喜んでみせたら上っ面だけを見た界隈の一部の人間に常識がないと思われること、それにこういった反論をできないこと、本当に頭にきてます。
言い方を選ぶのをやめさせていただくと、お前らただの嫉妬だろ?
怒ってた一部は夢女子で、夢女子の全員がそうだとは思わないけど、ああいう場で喜ばないほうがよっぽど世渡りの常識ないのに夢界隈のローカルルールにあわなかったんだかしらないがよく自分こそが常識みたいな面ができるな。何様だよ。
○○のことは今でも大好きだし、Aくんのことも一生の推しだと思っているけど、今は創作するのもしんどくてそれ以降別ジャンルばかり描いている。
再度になるが、わたしは固定厨腐女子なのでこの記事は自慢でもなんでもない。
わたしが表立ってこんなことを言えないから連中だけ好きに愚痴を言えるのがムカつく一心で書きました。
作者に見られてるかもと自意識過剰にでも思った時点で鍵かけろとかオタクは原作者の目に触れるなとか、わたしにももちろん落ち度はある。(その点を反論させていただくなら、わたしに怒っていた夢女のほうが先生に直リプをバンバンしているはばからないオタクです)
これを読んでくださった方にもわたしのほうがよくないと感じる人もたくさんいると思う。わたしかわいそうでしょう同情して!というつもりならもっと自分に都合の悪いところは伏せて印象操作して書いている。
■夢を売る男
https://www.amazon.co.jp/dp/4778313534
何かと話題に事欠かない百田尚樹だが、これは自費出版(作者がお金を出して本を出す)の会社を舞台にしており、知らなかった出版の仕組みも知れる上に、キャラクターが強いので、サクサクと読み進められるライトな小説。
■歪笑小説
https://www.amazon.co.jp/dp/4087467848/
読みやすさに関しては抜群の東野圭吾。こちらは連作短編集で、1つづつ主人公は違うけれど、どれもおかしみのある人ばかり。全てフィクション?の固有名詞が色々出てくるけれど、それも本当にありそうな絶妙なダサさなんだよね。
東野圭吾は、他にも〇〇小説をいくつか出しているけれど、これがずば抜けて面白かった。
■働きマン
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00A2MD760/
これは未完の名作。正直続きはもう書かなくてもいいかもしれない。時代も大分過ぎた。けれど、働くことに対するメッセージは今も響く。重版出来を好きになれなかったのもこのマンガのせいかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00DW6CGKQ
これはヤバいよ。バクマンも面白かったけど、心の周波数…がピークだったよ、あの漫画は。マンガ家漫画なのかな、これは。それとも男の友情?読むと心がなんだか、チクチクする。すごく刺さるマンガ。ヤバいよ。
ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます。
この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料そのものを調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?
歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます。
これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学と哲学と社会学と人類学と歴史学と言語学とでは使う資料がぜんぜん違います。
で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います。近現代史を扱う人たちは、
を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います。
これらの史料の特色とは何か……それは、
ことです。
公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通の文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家の場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家の場合は)体制が崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代の領収書なんかをロシアの公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。
当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者は
などの手段で史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館は結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。
昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌のバックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線が必要な距離だったりパスポートと航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者の研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館でカメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近はスキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。
なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白な研究者であったとしても、一次史料の原本なんてふつうは手元にないわけですから。
しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分の論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?
もちろん分野によります。心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。
私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料をノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通の研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通のノートです。最近はノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。
なぜか? と言われれば、
です。
つまり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分の実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。
理系の学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分の実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しかし文系の場合は、少なくともここまで説明した近現代史の場合は、オリジナル資料はどこかの政府が管理している公文書館とかどこかの大学の図書館とかに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国のベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトルの史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。
なので、別にどんな方法でノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけだから。
ゆえに、歴史学の論文や著書には膨大な注がつけられます。引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。
なかには、史料が自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料で捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系の世界、基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料を典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島の方言を研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄りが自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋で歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料が研究者個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから今所属してる大学の図書館に寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……
さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文を調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会はドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。
しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料がそもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。
注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本の出版事情が絡んでいるのです。
今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系のあいだでも問題視されていることなのです。
文系の学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります。第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性とかに逐一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。
そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています。
あなたが読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店や青弓社や社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。
これらのレーベルで真面目な学術書を出版する人もいます。講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベルを一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的なタイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方を提唱したりする人もいます。学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます(最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。
さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます。「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」
こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。
もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストではてな太郎が書いた『増田の研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。
これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります。研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求に妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学か国会図書館に行くほかなく出版して書店で流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学がリポジトリを持っていていくらでもディジタルに研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米の出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードやケンブリッジやハーバードやコーネルといった有名どころのUniversity Pressは学術書を出版しまくってます。学術書が研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。
一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本の出版社やジャーナリスト、ノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードがトランプ大統領についてのルポルタージュを出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家や記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。
とはいえこれは一朝一夕にはいきません。そもそも知の折り詰めである「新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般と学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というものを鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックスや岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。
さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、
これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなたが捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料の実在を証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなたの研究の誠実性を証明できるのは、人文系の学問においては、注だけなのだ。
以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。
っていうか本気で表現したい、伝えたいのなら、同人誌(自費出版)で規制をかけない表現もいくらでもできる(お金もそのほうが儲かる)のだから、
雑誌という「権力」が気に食わなくて「戦争」したいだけだって結構広い範囲から見透かされるよね。
子供にタバコをいいものとして見せたくないってごく普通の親の願いだよ。
その少女漫画雑誌でなければいけない理由は? LALAやフラワーズなどの成年むけ漫画雑誌じゃだめなんですか?と。
シンデレラを改変してもいいけど、シンデレラ原典は低年齢層に支持されるから勝ち続ける。作品そのものの力だ。
漫画も童話も大人からみたら嘘だけど、嘘は嘘として提供されてていい。
棲み分けてからならいくらでも大人の理屈をふりかざせばいいのに
わざわざ少女マンガ誌にきて棲み分けをぶっとばすって一般読者からみてもへん。
ガチエロ妊娠プレイをそれがリアリティだからという理由で少年誌に載せたがるのとおなじくらいに歪んでいるよ。
でもまあ、ほっといてもこんな横車推しはとおらないよ、
漫画家が勝ってもその少女マンガ誌が出版規制対象になる結末しかみえねえし。
男性漫画家があの手この手でやってる規制突破と規制のいたちごっこを
(もっと悪いことにそのときに差別やジェンダーを特権として使おうとした)という悲しい結末。
おやおや、フェミ嫌いはフェミの作品が規制されるときも表現規制反対って大騒ぎするんじゃなかったですかね?
少女誌にタバコを載せてさしあげろとかいってもっと反社会的な活動につきすすむんじゃないのかwww
混乱して黙ってしまったようですけどねwww
今まで汚い住居環境でも平気だと思っていたが、やはりストレスはあったようで、断捨離によってきれいになっていく家が嬉しかった。自尊心が回復したような気すらした。だからおかしくなっていったのかもしれない。大事なものまで捨て始めた。小学生の頃から書き溜めてた絵日記。素人の下手な絵日記に価値などない!と捨てた。中学のときに友達から誕プレでもらったネックレス。大人がするには子供っぽすぎるそれも捨てた。だって今これつけないし!といって
断捨離欲は拡大し、お皿や調理器具や調味料も捨てた。ピーラーを捨ててしまって人参の皮むきが面倒になった。包丁あるからいいじゃんと捨てたピーラー。
そうやって生活に少しず支障が出始めても私の断捨離は止まらなかった。本に手を付け、どんどん売って捨てた。これも捨てようとまとめていた中に、父の亡くなった友人が自費出版した本があった。たまたま父が通りかかり、おいおいこれは捨てないでくれと顔色が変わって、ようやく目が冷めた。
自費出版といっても、アニメの同人誌や自慢本ではない。その人は差別される属性に生まれ、ポリコレなどなかった時代に、生涯にわたって差別と戦った人生を、ガンで死ぬ前に記録したものだった。そんな大切なものを捨てようとしていた。怖くなってそこで断捨離をやめた。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 59 | 10477 | 177.6 | 61 |
01 | 31 | 6187 | 199.6 | 51 |
02 | 16 | 2665 | 166.6 | 66 |
03 | 9 | 2145 | 238.3 | 99 |
04 | 9 | 495 | 55.0 | 31 |
05 | 10 | 1168 | 116.8 | 39 |
06 | 50 | 5053 | 101.1 | 41.5 |
07 | 27 | 1890 | 70.0 | 29 |
08 | 52 | 11499 | 221.1 | 56.5 |
09 | 119 | 12097 | 101.7 | 54 |
10 | 131 | 17054 | 130.2 | 66 |
11 | 130 | 18015 | 138.6 | 74.5 |
12 | 133 | 13388 | 100.7 | 52 |
13 | 132 | 11330 | 85.8 | 50.5 |
14 | 145 | 9426 | 65.0 | 43 |
15 | 100 | 13120 | 131.2 | 52 |
16 | 114 | 12097 | 106.1 | 46.5 |
17 | 145 | 12493 | 86.2 | 44 |
18 | 87 | 6135 | 70.5 | 46 |
19 | 56 | 6810 | 121.6 | 40.5 |
20 | 55 | 9818 | 178.5 | 54 |
21 | 95 | 12262 | 129.1 | 47 |
22 | 234 | 14182 | 60.6 | 25 |
23 | 225 | 13096 | 58.2 | 29 |
1日 | 2164 | 222902 | 103.0 | 44 |
人(203), 自分(147), 話(114), 問題(86), 今(76), 増田(71), 日本(65), 前(65), 人間(63), 好き(63), 必要(61), 金(58), 仕事(57), 嫌(56), 気(54), ー(53), 女(51), ゾーニング(50), 相手(49), 他人(47), 意味(47), 趣味(47), 普通(47), 会社(45), 気持ち(44), あと(43), 子供(43), 全部(41), コンテンツ(38), しない(37), 関係(36), 男(35), 他(35), 社会(34), おっさん(34), レベル(33), 場合(32), 最近(32), 別(32), 権利(32), 頭(31), 世界(31), 存在(31), 規制(31), 言葉(31), バカ(30), 親(30), 家(30), 顔(30), 結局(29), 一人(29), 誰か(29), 結婚(29), 手(29), 昔(28), 目(28), 表現(28), 馬鹿(28), 動画(28), 理解(28), 生活(27), 時間(27), 感じ(27), 奴(27), サービス(26), ネット(26), 無理(26), ダメ(26), 全く(26), 場所(25), 一番(25), 今日(24), 年収(24), 性的(24), タバコ(24), じゃなくて(24), 女性(24), 理由(23), 方法(23), しよう(23), 人生(23), 対応(22), 世の中(22), 食事(22), 可能性(22), 不快(22), 一緒(22), キモ(22), 差別(21), 確か(21), ゲーム(21), 状態(21), とこ(21), セクハラ(21), ゴミ(20), 行動(20), 男性(20), 店(20), 程度(20), 主張(20), 内容(20), 多く(20)
増田(71), 日本(65), ゾーニング(50), じゃなくて(24), 可能性(22), キモ(22), 喫煙者(18), フェミ(15), 不快感(13), ジャニーズ(13), わからん(12), アメリカ(12), hatena(12), 被害者(12), 価値観(11), 元増田(11), 閾値(11), AI(11), マジで(11), 1日(11), youtube(10), IT(10), 知らんけど(10), 個人的(10), KKO(10), キモい(10), エルサゲート(10), アプリ(9), リアル(9), 基本的(9), 中国(9), ワイ(9), 一般的(9), A(9), いない(9), Twitter(8), ヘイト(8), 分からん(8), なんだろう(8), どんだけ(8), 数年(8), なのか(8), s(8), …。(7), 知的障害者(7), かな(7), なんの(7), スマホ(7), 東京(7), 人間関係(7), ブコメ(7), 加害者(7), 表現者(7), コミュニケーション能力(7), 労働生産性(7), ツイッター(7), 普通に(7), PC(7), 笑(7), 何度(7), 南青山(7), サイコパス(6), 糖質(6), 無修正(6), 少数派(6), ???(6), twitter(6), 精神障害者(6), なんや(6), 人として(6), ヤバい(6), ネオリベ(6), コピペ(6), 露出狂(6), コラーゲン(6), 個人情報(6), E(6), いいんじゃない(6), 児相(6), 生産性(6), 12月(5), 学生時代(5), 10年(5), はてブ(5), ぶっちゃけ(5), 自費出版(5), yahoo(5), 大阪(5), ネトウヨ(5), 8%(5), 昭和(5), 高齢者(5), マイノリティ(5), paypay(5), リーマン(5), 多様性(5), 中小企業(5), NTT(5), ツイート(5), 機械学習(5), 6%(5), カクヨム(5), ローマ(5), コレ(5), イケメン(5), カス(5), 3人(5), 700万(5), 一方的(5), 100%(5), Amazon(5), 1年(5), 精神的(5), 2人(5)
請願(9), エルサゲート(10), 労働生産性(7), コラーゲン(6), 自費出版(5), kids(4), もめ事(3), Paypay(3), 奇人変人(3), uno(3), ゾーニングゾーニング(3), 喫煙者(18), 不快感(13), スタンダード(7), ゾーニング(50), 喫煙(12), 開拓(7), 煙草(8), っす(39), 太る(6), 吸わ(7), ジャニーズ(13), 痩せ(17), ゴキブリ(8), タバコ(24), 残酷(7), 主役(7), 押し付け(24), コンテンツ(38), カード(14), 施設(11), コーヒー(10), 不快(22), 爆発(10)
■これはハラスメントなんでしょうか。 /20181219191445(15), ■貧困ってこういうこと? /20181219202848(14), ■レトルト食品を温めたお湯 /20181219114705(11), ■左翼リベラルが裏切ったから極右が台頭した /20181218004400(9), ■30歳の女性と後腐れなくセックスする方法 /20181220222918(9), ■痴漢を通常逮捕した話 /20181220153459(8), ■ゾーニングが断絶を加速させる悲しい現実 /20181220123250(7), ■男子のトイレ事情ってちょっと可哀想 /20181220144352(6), ■女にエロいポーズしてみてって言うと /20181220094318(6), ■日本人の冷笑主義はデメリットしかない件 /20181220003333(6), ■あと2kg太ったら離婚と言われた /20181220134735(6), ■人生の疑問 /20181220222511(5), ■MGTOWのこと知らない奴多すぎ /20181220230359(5), ■こんな忘年会なら行きたい /20181219144246(5), ■私は煙草を愛する普通の喫煙者です /20181220125913(5), ■ /20181220214259(5), ■ /20181220123844(5), ■そもそもさぁ、セクハラ加害者って「権力がある側」「相手の気持ちを想定すらできないやつ」なんだが、クソフェミが叩いてるのは「社会的弱者」「過剰に相手の気持ちを考えてしまう側」だよな /20181220181630(5), ■エルサゲートへの誤解が多いから反論する /20181220102028(5), ■息をするように嘘をつくお前 /20181220112902(5), ■お前らってちゃんとプッチンしてるの? /20181220111446(5), ■EXCELって超すごくない? /20181220171631(5), ■パソコンがない時代のホワイトカラーって何してたの? /20181220135115(5), ■サーバールームで後輩の子とセックスしました /20181220224910(5)
まー難しいところで,私としては「私の分野の若手はみんな査読論文書いてるけど? というか大御所も査読論文書いてるけど? 私が出せそうな学術誌はたいてい査読つきだけど?」と言いたい気持ちはあるし,査読論文1本で教授は流石に……と思うけど,一方で分野の違いとか以前にうちの年配のすげー学識ある先生でも昔の人だから若い頃査読論文は書いたけど最近は依頼されて書いたやつばっかり,みたいな人がいるし,でもその人の論文は面白かったり.査読なしの論集にすごく良い論文が載ってるときもあるし,そこを否定したくないという思いがあるから,
という主張をしているんだけど,同時に事実として最近の学術誌はだいたい査読つきだし若手はそこに通して一人前な風潮があったりするわけだから,
とも言い続けないと,「文系は査読してない」と勘違いする人が出てきちゃうんだよね.どっちも言うって地味に難しいことだけれど.
要するに色んな形で論文を発表するルートがあって,その過程に査読が噛む場合と噛まない場合があり,広く投稿を募っている場合は査読ありが多く,信頼できる研究者に執筆を依頼するような場合は査読がないこともじゅうぶんに有り得る,というのが私の分野の相場観かな.
まー過渡期ってやつなのかね.欧米だと著書にも査読つけることが多いっぽいし.ただ日本だと学術書と一般書のあいだの垣根って低いからなぁ.たとえば中公新書の『応仁の乱』が人気だけど,あれは一般向けレーベルで応仁の乱を一般向けに解説した一般書であると同時に,先行研究を挙げて批判し,きちんと史料と向き合って独自の解釈を打ち出しているという意味で研究書・学術書でもあるんだよね.講談社選書メチエとか,そういう汽水域がかなり広い.今日本で査読つけてる学術書って,どっかの大学の出版会だったり,査読つきの本を出版するための基金を社内で組んでたりしてて,純粋に商業ベースで勝負してる本じゃないんだよね(出版助成取ってる学術書なんて,もう学術振興会が裏打ちした自費出版とか同人誌みたいなもんでしょ利益という点からみれば).純粋に商業ベースでやってるレーベルの本にまで一律査読つけろというのはなかなか厳しいと思うけど,そのへんは商業出版側にも意識の変革が必要だよなとも思うので難しいところ.