はてなキーワード: 自費出版とは
いまさ、炎上してるラノベあるじゃん。文章がひどすぎるとかキンキンとか言われてるやつ。
Web版の一話見たらほんとに上手くなくて、言いたいことは分かるけどネタがゲーム的で凡庸でやりつくされてて、なんでデビューできたんだって皆が言うの理解できた。
で、それ見て、自分の過去思い出して胸くそ悪くなってきたから吐き出したくなった。
ろくでもないただの自分語り。誰も得しないはなし。
10年以上前、中一からいじめられて登校拒否でずっと引きこもってた。家族も先生も自分を学校に行かないクズとして扱ってた。
家にいたくなくてネカフェ通いしてたら親がパソコン買ってくれた。家にいないと迷惑だから。
それからゲームとパソコンばっかやって、定期的に来る先生たちに罵倒されてもまだやって、たまに学校の休憩室に何もせず通うだけの生活だった。
絵を描くのが好きだったから、そのうちサイト作って絵や文章を載せてた。趣味のことやってれば現実から逃げられるような気がしてた。
ある日、ブログに詩の大賞みたいな宣伝が載ってた。暇つぶしに応募した。
賞には入らなかったけど、小説書いて出版しませんかって誘いが来た。
引きこもってばっかの馬鹿だったから、安易に喜んで引き受けた。
親連れて対面したら、出版について詳しく掘り下げられた。
自分の送った詩の内容から編集者が考えたストーリーを小説にして、百万円払って出版する。絶版にはしないし、売れたら売れただけ増刷の金が入るって。
いま考えたら、ただの詐欺だ。
同人本でもそんな金額はかからない。宣伝料とか何とか言って、ようは金を支払わせたいだけ。
中二で引きこもりでゲームしかしてないガキが考える話なんて、ツギハギのつまんないもんにしかならない。
そもそも「編集者が考えたストーリーを作家に書かせる」のになぜ作家側に金を払わせているのか。
絶版云々も都合と耳障りがいいだけで、売れるはずのない本が増刷されるわけがない。
すぐ考えたら分かることだった。
でも、十年以上前だ。
ガラケーが浸透してきたくらいの時期でサイト全盛期、TwitterもFacebookもない。
何も知らないガキは詐欺かどうかの検索なんてしなかった。ただ、大人の編集者が言っているのが正しいと思って小説を書いた。
ツギハギのつまんない話を。
自分が考えたキャラであっても、どこかちぐはぐで好きになれない話を、言われるまま書いた。
途中、野生の勘かなんかで違和感を覚えて、やっぱこれ書きたくないって家族に言ったら怒られた。
最年少作家とか意味のない触れ込みを真に受けて、大金を支払ってでも出版という道を選ばせたがった。
書き上げて、送るしかなかった。
鬱屈した気持ちのまま、あとがきで「この話は担当に考えてもらった」という旨を書いたらそこは削除された。
このつまらない話は、自分が考えたことにしなければならないようだった。
表紙と挿絵は綺麗だったけど、刷り上がった献本を見る頃には、その話をされると具合が悪くなるようになっていた。
嫌な予感がする。間違えた気がする。
出版されたあと久しぶりに学校行ったら、親が献本を先生に見せた。
「お姫さま願望でもあるの?」
読んでないうちから言われて、自分がどう返したかは覚えてない。頑張って書き上げたものが揶揄されるくらい無価値だと言われたみたいで、直感が正しかったんだと思った。
詐欺にだまされた自分がどうしようもなく嫌になって、家族も編集者も味方じゃないんだと人間不信になって、傷つけて醜くなりたくなって。
手首を切って、病んだ。
編集者は2冊目を催促する電話しかかけてこなくなって、着信拒否してるうちに出版社自体が倒産した。でもすぐ名を変え復活して、まだ自費出版を斡旋してる。
百万は結局返ってこなかった。本も一冊だけ手元にある。家族が捨てさせてくれなかった。
中学卒業後、通信制高校と専門学校に行ってなんとか社会の中にいる。
でも、一次小説は書く気が起きない。
自己投影したキャラが出てきただけでイライラして、殺したくて、憎たらしくてたまらない。
投影してないキャラはツギハギのパチモンでしかない。幸せになんてなれるもんかって、絶望的な話しか書けない。
精神科に行ったけど治らなかった。
書かなくても生きていくことができるなら充分だろうと完治宣言された。
なろう系が羨ましい。
自分のことを好きになって、理想のキャラになりきって、それを誰かに認めてもらえる環境が羨ましい。
たくさん出版されているあの本たちは、たぶん身を切る自費出版ではない。作家として、自分が考えた話が本になってる。
SNSで疑問を投げかけたらすぐ回答を得て、すこし頭を使えば詐欺なんて引っかからない今のネット世界が羨ましい。
中二のあのとき、なろうがあったら。
調子に乗って書いた話がドン滑りして、つまんないですとか書かれて、なんだこいつってキレて作者自らが書き込んで炎上してダメになれた。
それだけで終われた。
今が、羨ましい。
今は、少なくとも誰かが見ている。
ひとりきりで思い込んで追い詰められて全部嫌いになって、自分の過去を思い返すたび死にたくなることはない。
読書感想文ってさ、あらすじを規定量分書いて最後に『面白かったです』で締めるのが慣れない子供の基本だと思うんだけど、最後に『面白くなかったです』と書くためには一体、どんな本を読めばいいのだろう。
もちろん、個人の感想なんだから、なに読んでも面白くないと言い切るのもいいんだけど、客観的に面白いと評価されている本を読んで面白くないって、そりゃ読み手の問題も浮き彫りになるので、そうじゃなくて面白くない本を読んで、先生も納得の『面白くなかったです』を下したい。
腐っても課題図書ならある程度の面白さが担保されていると思うんだけど、どうなんだろう。
やっぱり大手出版社ならある程度、チェックもしっかりしてるだろうし、そもそも面白くないなら本にならないだろうし。
あるいは、政治家が政治資金獲得のために書き下ろした社会問題をテーマにした小説とか。でもああいうのはゴーストライターがついているのか秘書がしっかりしているのか、固くて基本に忠実な話づくりなんだよね。
2期を作るにあたって新たに製作委員会を組成するわけだが、委員会メンバーは変わる事は無く
座組はそのままで新規メンバーは例外が無い限り入れないのが通例である。
今回たつき監督含めヤオヨロズは制作請負のみで委員会メンバーでは無く、恐らく制作費のみで印税的なのも無いだろう。
噂にあるヤオヨロズが外された理由を推察すると、2期にあたって座組で委員会メンバーに入りたい、見合った制作費、報酬や権利など要求したと
考えられるのは妥当だろう。
それら要求を飲めば良いのだが、しかし大体は制作サイドは立場上弱く、受け入れられる事はほぼありえなく、政治力含め、交渉力など力のあるごく一部のスタジオ
に限られる為、推しすぎると切られると言った事が今までも起こってる。
オタク界隈から「絵師」なる言葉が聞こえてくる。絵師とは一体なんだろう。報酬を受け取るいわゆるプロフェッショナルであろうか?それとも趣味つまり個人の楽しみであろうか?またはコミケや自費出版などで活動するプロとは言えずかつ趣味というには範疇ではプライドが許せない人だろうか。凄くいい絵がリツイートされてきてプロフを見に行くとプロフェッショナルとして活動している人は「イラストレーター」の肩書がある。一方いかにもなオタク絵のプロフを見に行くという肩書は「絵師」。はぁ、やっぱりね。で、絵師って何なんだよとオタクに問いたい。因みに私のなかでは絵師イコールオタクという偏見が成り立っている。
もう取り下げちゃったからどーでもいいことなのかもしれないが。
CF自体はほとんど誰も批判してないし、おそらく前払いする印刷代を用意する方法として有効利用できそうな気はする。ただし、コミケ1週間前に極道入稿するようなサークルでは無理だろうけど。
商業問題については色々出てきている情報によると、同人誌の出版自体にCAMPFIREが絡んでいる可能性がかなり高い。
コミケ自体が商業ベースの漫画大会に対する批判から始まったこともあって、そこで頒布される同人誌はアマチュア色の強い創作物だ。二次創作についても商業誌ではないからこそ原著作権者からお目こぼしを受けている部分も多い。過去にはポケモン同人誌事件やときメモビデオ事件、しまじろう事件などがあったが、今でも二次創作は危うい立場にある。オリジナルであってもその理念に沿ってサークルスペースで法人発行物の頒布はできない。
一応CAMPFIRE側はコメントを出しているが、目標金額に口を出していないとは言いつつ、出版そのものに関わっていないとは言っていない。
そもそも真木氏も同人誌ではなく「雑誌」と書いている。もしかしたら同人誌がどういうもので、一般書籍との違いを分かっていないのかもしれない。同人誌を知らない者がコミケでなにか売ろうとしている、それもオタクのカンに障る部分かもしれない。
事務所に所属する芸能人が写真集を出すとなれば肖像権の問題が出てくる。果たして個人による自費出版は可能なのだろうか。事務所側の内容チェック(もしくは口出し)や版権使用料の支払いなどがあればアマチュアベースの同人誌とは言いづらい。
ちなみにこれまでコミケにサークル参加したプロの方々は、肖像権であればコミケ限定で特別許諾をとったり、その他の権利を侵害しない様配慮しながら本などをつくっている。最近は声優さんや絵描きさんが所属する会社側で参加ルールを設けていたりして趣味としてサークル参加するハードルが低くなってきたようだ。先日の夏コミでも有名な声優さんが島中サークルで普通に売り子していたが、一般参加者も特別扱いせず普通に人が流れていたのが印象深かった。真木氏は権利関係をクリアにできているのだろうか。
プロがプロのルールで作ったものをサークルに持ち込む、これもオタクのカンに障る部分だ。
コミケはサークル、スタッフ、一般参加者が一緒になって作り上げている表現の自由を最大限尊重する「場」である。しかしその「場」を維持するために「自由」と引き換えに参加者には「義務」(ルールといってもいい)が課されている。これを「ムラ」といって批判する者もいるが、そもそも「マーケット」という閉鎖空間なので批判する意味がない。
問題が無いことを問題にしようとしているだけで、
どの批判意見もダブルスタンダードと化していることを文にしたい。
●「コミケは自費出版が当然だ。クラウドファンディングは間違っている。」
既にクラウドファンディングで新刊を出してるサークルは点在しているし、
これを言ってしまうと、一部の合同誌が存在を許されなくなる。
参加者を応募し、参加者同士で製作費を出し合うタイプの合同誌が存在しているのだから
作品を作る能力がなくても作品に費用算出枠として参加することは可能なはずだ。
もし、作品を作る能力が無いなら参加するなとの声があるのなら
一般参加者の存在が危うくなるし、
作品作れる作れないに関わらず同好の参加者だとの理念にも背くことになる。
この批判は共同出資のサークルをコミケから排除することになる。
●「コミケはアマチュアの場だからプロは来るな。」
実の所コミケにはプロが沢山来てるので、
今になってこれを言い出したら多くのサークルが出禁になる。
税金対策の為に法人化してるサークルだって一般ブースで出展しているんだよコミケ。
プロ漫画家の人が漫画を出し、プロアニメーターの人がイラスト集を出し、
プロゲーム製作者がゲームを出しているわけで、
よう子憎しでプロ批判をすれば既存のサークルも一緒になって批判されることになる。
今まで特に大きな問題になったことはない要素を突如問題にするのはズルくないか?
この批判はプロのサークルや法人化サークルを排除することになる。
●「写真集はコミケに相応しくない。ファン層がコミケに相応しくない。」
別にコミケはアニメ漫画ゲームの祭典ではない。
プロ料理人の料理本や、牛肉の写真集なんてものもあるし、
動物の写真集や手作り和紙人形を出品するお爺さんもいる。
それらを無視して女優の写真集はコミケではダメとはおかしな話。
当然一般参加者側もアニメ漫画ゲームだけのオタクしか来ないわけじゃない。鉄道オタクもいればアイドルオタクもいる世界。
何らかの強い好きがあるという意味でオタクと表現するなら、"女優オタク"たちが来ても問題ないはずだ。
勝手に「アニメ漫画ゲームオタクの為のコミケ」にしないで欲しい。
●「コミケのコの字も知らない一般人が雪崩れ込んできたら危ないだろ。」
一理ある話ではあるけど、
オタクであれば初参加でもコミケのルールを守るが、オタクじゃない人はルールを守らないって、
その選民意識は一体どこから来るのか。
漫画目当ての人はコミケに理解があるが、女優目当ての人はコミケに理解が無いって
そんな統計あるんだろうか?無いならただの偏見じゃないか。
「女優目当ての人はオタクに偏見を持ってるに決まってる」っていう偏見じゃないか。
●「ファンイベントでやればいい、コミケでやる必要が無い。」
つまり、大きな名前のある人はコミケに参加するなということだろうか。
例を出すと、東方というジャンルの公式は、既に法人化しているし、商業ルートで外伝出してるし、
東方専用のイベントも行っているわけなのだが、
東方公式はコミケに相応しくないものだからコミケから出ていけとなるのか?
第一コミケでやる必要が無いって、部外者が決めることではない。
二度目になるが、今まで問題なく続いてきたものを突然問題にし、
これがルールだと宣うのはズルくないか?
●「値段が法外すぎるからコミケに来るな。」
30P程度の本で500円とは一般書物からすりゃ法外な値段だが、それでも問題はないはずなのだが。
それを400円にする権利も600円にする権利も、あるのは製作者側だけのはずなのだが。
どんなに安いものでも興味がないなら買わないし、高いものでも自分が欲しいなら買うって世界で、
できるのは興味ないから買わないって程度のことで、値段が高い=コミケから追い出せとは繋がったら、
大手サークルも追い出されなければならなくなるだろう。
●「これがまかり通ったらコミケが芸能人に奪われる。」
多分それはよう子の前にいた芸能人サークルに言うべきだっただろう。
むしろ彼らを皮切りにしていると言っても過言ではないはずだ。
そしてサークル参加者を選ぶのは我々ではなくコミケ運営である。
オタクでも芸能人でも、受かったり受からなかったりするんだから、
コミケが芸能人まみれになることがあるとしてもそれはコミケの判断であり、
言うべきは参加芸能人ではなくコミケ運営になるはずだ。
企業ブースみたいな芸能人ブースはできるかもしれないけど、
それを判断するのもやっぱりコミケの運営側だ。
あと別に芸能人だからって売れるわけでもない。
●「存在がコミケを破壊する可能性がある!」
クリーンなオリジナル写真集を出そうとしてるサークルを危険視するのは
私にはよくわからない。これに声を上げるならもっと別に言う所あるのでは?
まだ問題の起こってないことに、わざわざ悪い未来を想定して
まるで既に問題が起こったかのように騒ぎ立て、
参加辞退したことに対し「惨事を未然に防げた」ように表現するのなら、
コミケの作品の何割が「コミケを破壊しうるもの」扱いされるのか。
二次創作はグレーだし、エロ描写も猥褻描写に引っかかる可能性があるもので、
時々版権元やコミケ運営からNGを食らう作品が出ているわけで、
「惨事を未然に防ぐ」にはこれらにも自粛辞退してもらうのが筋ではないのか。
●「コミケのルールを守れないなら参加はダメだ。」
言ってることは正しいように見えるが、
その実態は突如新たなルールを引っ提げて、特定の相手に押し付けているだけだ。
上記の通り、よう子炎上で言われ出したルールなんてものは、
今まで取り沙汰されることはなかったものだった。
これが今まで本当にずっとそのルールが守られていたのであれば良いが、
既存のサークルは許しながら、新しいものにはお前はダメだと言い張り、
さも昔からそうだったかのようにアピールする歴史修正主義者の戯言だ。
●「なんか嫌だから参加しないでほしい。」
結局"なんか嫌"が不信の元の大半のように感じるのだけど、
変にそれに正当性主張の為の理由付けをしようとして、
いらぬ所にまで攻撃仕掛けていってない?と思う。
"コミケを守る為に"って主語が大きすぎない?
上記の主張を全て正統的なものと認めたら
参加者応募NG、出資参加NG、プロNG、法人サークルNG、
アニメゲーム漫画以外の作品は全てNG、写真集も当然NG、
コミケ検定で合格しなければ参加してはダメ、
個別イベントのあるジャンルはNG、値段は全て一律の基準に則ること、
有名人はNG、少しでも危なそうな作品は全てNG。
てなことになると思うのだけど、
そっちのほうが既存のコミケを破壊する結果を招くんじゃない?
正直に俺が気に食わないだけだと言っておかないと、
コミックマーケットに流れ弾が直撃することになるよ。
そういった状況でありながらも、コミケという自分たちの居場所を確立していたのに、
よりによって、その「犯罪者扱いや蔑み・馬鹿にしてきた側の」当のTVやメディアが、
ビジネスチャンスと見るや、手のひらを返して、今度は利用しようとし、
いざ知らず、安易に「ビジネス」として利用している(と見て取れる)
ことに対する反発。
②仮にこのケースが認められてしまうと、成功譚として認知され、
同様のケースが続々と起こってきて、自分たちの居場所が奪われてしまう、
または、純粋な即売会とはかけ離れた資本主義的な様相を(より一層)
③一般のファンをあの冬の会場の中の行列や、苛酷な環境の中に、
行かせようとしていることに対する疑問や、一般ファンが多数流入することでの
(例えば、列の最後尾の人が札を持つ事などの)、暗黙のマナーが守られるのか、
トラブルが起こるのではないか(もし、トラブルが起こった場合、
④自費出版が基本である同人誌に、クラウドファンディングという形で、
資金力を使って、参入しようとしてきていることに対するある種の嫉妬。
「芸能人」が「芸能人という肩書きを使って(表明して)、大々的に参入しようとする」
となると、その参入障壁というのはかなり高くなるのではないかと思うところ。
叶姉妹の場合は、その障壁をクリアする位の完璧な対応をとったと評価されているから、
受け入れられただけで、通常は、かなり難しいことなのかな、とは思った。
一方で、狭量とか心が狭いと言われるのかもしれないけれど、
自分たちの居場所を馬鹿にしたり踏み台や利用しようとしている、
果たして心情的に納得できるかというと、難しいところがあるかなとも思ったところ。
クラウドファンディングについては、どうなんだろう。
叩いて参加中止させるのは問題って言うけど
みんなこんな理由だからそれはまずいし、こっちの方法のほうがあなたの趣旨にはあってますよって言ってる意見無視して
叩いてる意見だけ取り上げて「こんなにいじめられてるんです―」ってやるのはいいのかって話で
そのへんでも叩かれてるから、なんていうかもう身から出た錆って感じだなぁ
あと、ファンへの恩返しで出したいって言ってるのに、イベント代や諸経費まで込みで出資金って
それ恩返しなの?って感覚がどうしてもするんだけど他の人はそう感じないのかな
自分の表現のために自費出版で写真集出します、つきましては皆さんにご出資をお願いしたくとかならここまで叩かれなかったたろうなぁと
ついでに諸経費込みで会場借りてみたいなのなら、ふーんですんだだろうにな
近年では企業が力を入れて参加するのが常となったが、それでも東ホールは同人誌で溢れかえっている。
既存の作品、キャラを使った二次創作なので当然「著作権」に引っかかる。
ではなぜ、コミックマーケットという大きなお祭りが開催できているか。これは版権元が「見てみぬふり」をしてくれているから。
同人誌を通してファンの増加、コンテンツ市場の拡大を見越し、見てみぬふりというスタイルをとってくれている。
同人誌でお金を取るのも、儲けを出すのではなく自費出版のコストを回収するため。
コミックマーケットはコミュニケーションと趣味の共有の場であり、決して「販売」目的ではいけない。
本当は本にしたいんだけど、これまで金が無いか時間が無いかのどちらかor両方だったので自費出版出来ずに来た。
私の嗜好は元々どマイナーだし技量も無いし目立つの好きじゃないので、何百冊も刷って同人で儲けようという野望は元より無い。
けれどいつか、自分自身と少数の読者への記念として少部数贅沢な感じに仕上げてみたい。
しかし、私のその希望って、現在同人誌(その多くが二次創作だ)で儲けている・儲けようとしている人のお陰で印刷会社が利益を得ているから、叶わぬ夢ではない訳で、だから二次創作同人で金を稼ぐ事を私の立場では否定は出来ないんだな。
でもまぁもし二次創作で稼ぐのが禁止になったら、私は小学校の頃にクラスの皆で卒業文集作った時のノウハウでしこしこコピー本を拵える事にするよ。
確かにアマチュアはせいぜい8chのカセットMTR持ってるレベルだったんだよな、20年くらい前までは
中村一義が全部自宅でファースト・アルバムをレコーディングしたってだけでロキノンが騒いだ時代よ
DTMという言葉すら全く浸透してなくて宅録とかベッドルームミュージックとか言われてたんでしょ
レーベルに送られてくるデモテープなんてラジカセの録音機能を使って一発撮りなんてザラだったわけだ
そんでもってパソコンもmp3もなくてCDに焼くってどゆこと?っていう感覚だから
レーベルという業者を通さなければ自分の曲が入ったCDなんか作れなかった
それが今はパソコンとオーディオインターフェースとマイクがあればそれなりのデモが作れちゃうし
やっすい値段でCDをプレスしたりブックレットを印刷してくれるサービスや
素人でも扱いやすいECサイトがあるから、レーベル通さなくても自費出版で一応、アルバムは作れちゃう
そもそもハイスタがブレイクする前だから、インディーズで活動するという道筋が20年前ではあまり浮かんでこなかっただろうな
でももうアルバムをプレスするということにすらもう価値が薄れてきてるよな
レコーディングしてみんなに聞いてもらいたいっていうならYoutubeやSoundCloudにアップすれば事足りる時代
レーベルやハコっていうプラットホームの上で結果出さなくてもミュージシャンとしてやっていけるようになったってことだから
大衆性を過度に気にするような、
定職につかずライブハウスのノルマと楽器代のためにバイトに明け暮れ
レーベルから声がかかったあとは、やりたくもないタイアップソングの依頼をこなしたり
年3,4回のペースでリリースされるシングルのキャンペーンでテレビに出たりして
その合間に行われるツアーを抜いた僅かな時間で年一枚のペースでフルアルバムを量産するような
そんな活動はしなくても良くなった
新人だろうがなんだろうが納得するまで曲作りに時間をかけてもいいし
出たくないならテレビも出なくていい
興味のなかったアニメの主題歌を突然3日後までに作れと言われて
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。