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はてなキーワード: 権威とは

2023-05-11

anond:20230511110731

役立たずでなんの才能もないくせに子供だけは畜生のように産んで

偉そうにしている能無しのゴミが「親」という権威にしがみついて世の中に害悪を撒き散らしている

それを当人の子供に告発された時に使う言葉が「毒親なのだから

毒親という言葉は残すべきである

役立たずなんだから馬鹿にされているべきなのに

偉そうにするからそうなる。自業自得

2023-05-09

イラストAIを賛美してる層ってイラスト好きなの?

銭稼ぎに使ってる奴や、絵師から権威を剝ぎ取ってザマァしたいだけのワナビにすらなれなかったカスや、嫌がらせ目的で使う悪意層以外で、純粋イラストAIを素晴らしいものとして見ている層ってイラスト好きよりもテクノロジー好きの方が多いように見えるんだよな。

究極、イラスト文化がどうなろうが技術進歩を目の当たりにできるならそっちの方がハッピーって感じの人達

とくに、はてブなんかでイラストAIをやたら持ち上げている層ってそういう人が多そうに感じる。

AI手書きわず創作するでもないイラスト見るのが好きなだけの身からすると、正直、現在レベルイラストAIに有能な絵師やその将来の芽を害してまで持ち上げるほどの価値は感じられないんだよなぁ。

普通に絵師気持ちよく絵を描いてもらって、それを眺められた方がありがたくね? って俺個人としては思う。

中には、自分性癖に刺さるイラスト大量生産できるAIを心から愛しているって人もいるだろうけど、そういう層は数でいえば少数だろうし。

まあ、もう3~4段階、技術的なブレークスルーが起きて、今より遥かに優れたイラスト生成ができるようになったら、たぶん俺も手の平返しで称賛すると思うし、べつにイラストAIはどうあるべきかとか、何が正しいとかの話ではないけれど。

でも感情として、今のイラストAI関係騒動でその手の技術信奉者が訳知り顔で語ってるの見ると、イラストに対して興味もないなら横から界隈をかき回さないでくれとは思っちゃうわ。

逆に、テクノロジー好きからしたらイラスト界隈ごとき技術進歩に水を差すなとか思ってるのかもしれんけど。

それならそれでもう、何が正しいとかじゃなくて、好みの押し付け合いの話になってくるから別に良いんだけどさ。

2023-05-06

anond:20230506180223

人生計画に挙げられている全てのことが「やりたいこと」や目的意識の見えない権威主義表象しかない気がする。

権威を手に入れる」ってのが元増田の「やりたいこと」だったのかもしれないけど。財前教授みたいな。

anond:20230506180447

権威とまでは言わないけど労働法の一分野での必読書をいくつも書いてる先生

中央法→数年司法浪人弁護士大学院進学→国内修士博士→実務家から学者

って感じだったな

anond:20230506180223

やり直せないからその権威とやらにも意味があるんやで。

一発勝負ですごいやつになるから権威なんや

何回も挑戦できるなら権威も失墜よ。

タイムマシンくれ

俺の人生計画

東京大学文科一類に現役で入る

司法試験予備試験司法試験合格する

本郷の全科目で優上を取る

東京大学法学部卒業し同時に助手となる

ハーバードイェールLL.MとS.J.Dを取得する

官僚政治家、有力教授の娘と結婚する

旧帝大教授となる

国際司法裁判所判事となる

現実の俺

東京大学文科一類二浪して入る

司法試験予備試験に受からない

・可もなく不可もない成績(可はあるけど)

助手の声もかけられずそもそも要件を満たしていない

東京大学法学部卒業国家公務員となる

・鬱になり退官する

実家のあるど田舎学習塾開業

・母の同級生の娘(実家農家)と結婚する

経営する塾にて事務作業をしてもらっていたフリーター女性不倫

不倫がバレて離婚慰謝料請求され実家からも縁を切られる

・塾を隣の隣の市に移転。稼ぎは慰謝料養育費移転費用返済に消える

タイムマシンをくれ。もう一度やり直せるなら今度は助手になって国際法武力紛争法、国際関係論の権威になってみせるから

2023-05-04

ブコメ詭弁術だよね

それを言うなら注目ブコメ詭弁術使ってるよね?

この増田(や瀬川深、町山智浩など)の「アカ他人マウンティング欲求を排泄」っていう言動、性欲ひけらかしオタクどころか、痴漢に近いんよな。性欲以外の欲は清潔だから俺は上等みたいな自認っぽいけど、逆やで

そういうあなたは性欲ひけらかしオタクどころか痴漢ではないか——『Whataboutism』

この手の統一教会と同じ主張をしているという自覚のないカスはさっさとイスラム圏にでも亡命して帰ってくんなよ。性の話を大っぴらにすべきでないというのは女は貞淑であれというミソジニーのものなので。

特に女性が責められてるわけではないのに女性を盾にしてる——『ラブジョイ抗弁(同情論証)』

主張にない、女性貞淑であれ、を論破している——『ストローマン

その主張を支持する者の中にはろくでもない連中がいる。故にその主張は間違った内容である——『連座誤謬

そういう偏見社会に植え付けてきたのがフェミニスト。「性的消費」というレッテル萌え絵オタクに貼り、社会悪だと10年間もバッシングしてきた。朝日新聞ハフポストなどの左派メディア社会学者達も同調した

なぜ偏見なのかを説明せず、無関係フェミニストの横暴を強調——『燻製ニシンの虚偽』

皆さん、これが所謂「projection」というものですよ。増田本人が性欲ひけらかす無恥者、という事です。しっかり覚えていってくださいね

筆者が projection をしてたとしても、筆者の主張の正しさとは関係ない——『対人論証』

しっかり覚えていってくださいね、などと生徒に教える心理学者のような振る舞いで説得力の向上を狙っている——『権威論証』

そして反論してる側のブコメ詭弁放置して、元増田詭弁術だけを指摘するあなたもまた、

自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて都合の悪い例は無視する——『チェリーピッキング

anond:20230503172832

カワイイ=シコれる」の呪いを解きたい

二次性徴が始まった直後から今日までのオカズのほぼ全てがカワイイ絵だった。

学校の授業で出てきたマスターベイションという言葉が分から父親パソコン検索した。

早速試しみようと思ったが、エロ動画を軽い気持ち検索するとウィルス感染したダイヤルQ2接続されて後日高額の請求が来ると言う話を思い出して一度は諦めた。

次の日丸一日考えて、素人趣味でやっているお絵かきサイトエロイラストだったら流石にウィルスは仕込まれていないだろうと考えた。

試しに検索すると簡単にそういうサイトは見つかったが、18歳未満が入っちゃ駄目だとどこも書かれている。

こんなものに何の意味もないということを知らなかった当時の自分は、未成年がここで身分を偽るとあとで捕まると思っていた。

からサイト名のURL検索をかけ、直接エロ画像が貼ってあるページに飛び、そこでページ内の「トップに戻る」を押して18禁イラストが貼ってあるページのトップへとアクセスしていたものだ。

そうやって表の「18歳以上」のボタンを押さないことに何の意味があったのかを聞かれても当時はまだ小学生だったから世の中のシステムってのを色々誤解してたんだとしか言えねえ。

そうして俺は小学生ながらにしてイラストでシコる人生を歩み始めた。

同級生がどうやってシコっていたのかは知らないが、中学の頃に友人が「モザ消し装置を使ったビデオが手に入ったか無修正エロ動画が見れるぞ」と誘ってきた事を考えるに、きっと皆は生身の人間エロビデオでシコっていたんだと思う。

ネットイラストでシコると言っても劇画風のケバイ絵柄は小学生オナニーするオカズにするのは無理があった。

自然自分と同い年ぐらいのキャラクターでシコろうとし、それらはアニメ塗りだったり内山亜紀風の絵だったりした。

単に同級生でシコろうとしていただけだったのに、自分ロリコンアートでシコる人間として教育されていったわけだ。

中学高校に上がってからもその傾向は変わらず、18歳未満のキャラクターエッチイラストでシコっていた。

18歳未満のリアルエロ画像児童ポルノ的にアウトだという知識ネット経由で少しずつ見に付けていった影響もある。

今でこそTiktok配信サイトを探せばいくらでも子供ポルノは見つかるらしいが、自分時代もっと危険アングラサイトに潜らなければならず、それこそ本当にウィルスや法外な請求リスクと引き換えにする必要があったと聞く。

まあ全部風の噂でしか知らないのだが、だってイラストオナニーする分には児童ポルノなんて関係ないんだもの

自分の年齢が二十歳を超えてからようやく違和感に気づく。

大人の女性オナニーする気にならないのだ。

10年かけて脳のロリコン化が完了していたのだ。

それもイラスト専門のロリコンだ。

生身の女性の体を見ても興奮をしないし、その生々しさに気持ち悪さしか感じられない。

代わりにカワイイらしいキャラクターの絵に何でもかんでも興奮するようになっていた。

無数のロリコンアートを見てきて、その過程で3等身でも抜けるようになったし多少のショタならセーフだしケモでも抜けるようになったりとカワイイ絵なら何でもありになった。

たとえば出張旅行地方に行くと今はどこにでもゆるキャラがいるだろ?

アレを見ると「なるほどこの街にはこれをオカズにしているロリコンケモナーがいるのだろうな」とまず最初に感じるのだ。

インターネットにはルール34というミームがある。

正確には「Rule #34 There is porn of it. No exceptions.」、直訳すると「ポルノ存在する。何者にも例外なく」ということになる。

実際、あらゆるものに人は性的興奮を覚えるわけだが、少なくとも可愛らしいアニメ風のキャラクターであれば実際にその例外は限りなく0であると言っていい。

かに実際には知名度が低いキャラクターポルノ画像存在しないことはある。

だがそれは他のキャラクターポルノ画像を作ることが優先されてしま無限の順番待ちをしているだけであって、それのポルノが生まれうるポテンシャルが0であったことは意味されていない。

まり、俺の中には「ルール34'カワイイものは誰かがオカズにしている。例外はない」という強烈な認識存在するのだ。

カワイイということは、オカズにできるということと同義なのだ

はいい加減この感覚から解き放たれたい。

町中やインターネットノ中で設定年齢0~20歳程度のイメージキャラクターを見かける度に「これはオカズに使えるポテンシャルがある」といちいち感じてしまうのは本当にどうかと思う。

もちろん公式の絵柄がそういう方向に寄せられまくっているものは仕方がない。

COOL CHOICEの君野イマ 君野ミライなんかは、露骨に男に媚びようという意志があるからあれでオナニーされてしまうのはもう仕方がない事なんだと割り切れる(せっかくだからこの場を借りて言っておきたいんだが、君野ミライよりも君野イマの方がターゲットであるオタクに受けそうなのはコンセプトが崩壊している気がするんだよな。ソックス・制服カチューシャより、方っぽ靴下生足+萌え袖+ボサボサ髪の方がオタクの受けはいいだろ。これではCOOL CHOICEをすることでより良いミライへというメッセージちゃんと伝わらないんじゃないのか。それともクールミライというのは、そういった女性のだらしなさや幼さに対して興奮するような気持ちの悪い性癖の連中が全員死滅した先の世界にこそあるのだという裏のメッセージが込められているのだろうか。ミライの眼がちょっとレイプ目っぽくて洗脳されている感じがあるのはちょっと興奮するけど総合的にはイマの圧勝だと俺は思う)。

でも子供向けに作られたようなキャラクター、たとえばサンリオキキララで「この兄妹もエッチ関係だったりするのかな」っていちいち考えてチンコちょっと固くなったりすることがあるのは人間として何かが終わっていると思うんだよ。

ロリコン漫画権威である吾妻ひでお著作の中で「ぬか漬けのきゅうりが元のきゅうりには戻れないように、アル中は元の脳には戻れない」と語っていたが、同じように一度学習された性癖を脳から取り除くことは難しいのだろうか。

でも俺はこんな自分に嫌気が指してきた。

幸い生身の児童に興奮してしまうことはないが、児童イメージしたイラストとなるとそこにはエロ文脈を何の脈絡さえ無く読み取ろうとする自分がいる。

下手にイラストという縛りを取り除けば、生身の女児に興奮する危険な生き物になりかねないのだろうか。

生き方を間違えた。

小学生の時、無理にでも自分の倍以上の年齢の大人の生身の人間オナニーをするべきだったんだ。

ダイヤルQ2請求を恐れず、海外エロサイトアクセスして金髪のケバイ売女達の身体こそが性欲を向かわせるべき正しい方向だと自分の脳や海綿体に覚えさせなければいけなかったのだ。

たらればに意味はない。

これからどうすればいいのか。

はてなには日本中の最低野郎ボトムズ)が集まっていると聞いた。

お前らならなにか知っているんじゃないのか?

ココが駄目なら次はなんJぐらいしか思いつかないが、アソコでこんな話をしたらIPを抜かれるだろうからもうココしかない。

2023-05-02

anond:20230502064509

インフレ収まってきてるだろ?

そして、金融破綻が起きて、預金の引き出しと、融資の引き締まりが起きている。融資を受けての設備開発投資減少はデフレ要因となり、景気を冷ますよ。

そもそもインフレとなり、合致する供給を作れば儲かると増産に取り掛かりで、景気の動きは数か月でも不足で年単位で考えるべきものウクライナ戦争で急激なエネルギー不足が見えてたのに、数か月でインフレを収めるとは最善に近い行動だよ。

あと、MMTは、「現代において通貨自体政府負債自国通貨建て国債財政破綻しない」というのは正しい。しかし、そこから超える話についてはかなり怪しい話も混ざってるな。

よさそうな「権威」にはそれにすがっておかしなことを言う人間が増えるのはいつの時代もそうだな。宗教もだけど。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

anond:20230501004001

ヨーロッパがどういう価値判断をしているかそもそも重要ではなくて、「それら以外の国にそういう権威存在しない」理由として「よくわからないけど歴史が一つの要因なのかな」ってだけだと思うが、何がお腹に刺さっちゃったんだろう?

あと「ゴールポストが逃げて日本ヨーロッパしか残らなかった」って部分のほうが一番意味不明からそっちも解説してくれよ

anond:20230501000713

こいつの日本語が異常すぎて理解するの難しいわ。

ゴールポストが逃げて日本ヨーロッパしか残らなかった」という部分が意味不明から解説してくれよ。

ヨーロッパ権威ってのもヨーロッパ視点でそう定義してるからでかなりしょーもない」という部分もぜひ掘り下げてくれ。

anond:20230430235403

お前みたいなゴミがしょーもないって言ったからって権威が消えるって、権威ってそういうものではないんだよ

2023-04-30

anond:20230430234330

それゴールポストが逃げて日本ヨーロッパしか残らなかっただけじゃねーの?

つーかヨーロッパ権威ってのもヨーロッパ視点でそう定義してるからでかなりしょーもないぞ

ヨーロッパ品を高級とする能書きの中にたとえば「アメリカには文化がないから絵も価値がない」とかが含まれてるわけで

anond:20230430233449

ぶっちゃけ欧米も同じこと思ってるよ

日本は変な権威付けにこだわるし保存がうまいねって

老舗が異常な数あることも有名だし

お互いリスペクトって部分もあるんだろ

というよりこれら以外の国がぜんぜんダメなんだよ

よく日本ヨーロッパ封建制度近代化比較されたりするけど

そのへんの歴史関係してるのかな

前市長が真に恐れているのは空気化だから

やいのやいのと騒いでくれるはてウヨは、むしろ有難い存在なんだよね

ひろゆき関係ブコメで見た

"ひろゆきに関するこの分析は、そのまま大阪維新吉村洋文橋下徹にも当てはまる。実態はどうあれ権威に対して違う見方をしている、立ち向かってるって思われるだけで勝ちなんだよね。正確性よりパフォーマンス"

というのは、そのまま泉にもあてはまることに、泉批判勢は気づいていない

特にホッテントリに上がっているような「明らかに物議を醸そうと狙って放り込んでいる話題」に対して、突っかかっていくのは

まさに、ひろゆきが絡むレスバで

死ぬほどよく見かける「構ったら負け」状態しかない

anond:20230430154150

医者やろが政治家やろがコロナ理不尽な目にあわされたんは一般人と同じやし

そんなコロナの総括宣言なんかまだまだ死者出てんのにできるわけないし

庶民の癖に一丁前に開き直って、権威の裏にある膨大な苦労を棚に上げて文句ばかり垂れる

anond:20230430012620

オタクが嫌いな人はずっと著作権勉強しないまま二次創作犯罪!ってヤイヤイいってたけど著作権法は事実上平成後期からガンガン規制緩和してるよ

まあ大勢やってるから小学生中学生勉強しないで参入してやらかしてるのは事実だしAIつかった「自称絵師」もぞろぞろ湧いて問題化してる

これもAI学習に関する著作権の緩和(本当はそこまで緩和してないんだけど文言曲解しまくれる)が原因といえなくもない

もっと問題なのは親告罪規定によりかかりっぱなしの司法の・出版の手抜きなんだけどね

役人主導でやらせたら動きが遅くてこうなることはわかりきってたんだよ)

・あとはまぁ警察自衛官かな、人員減らした上にネット世論がうるさくて権威ありそうなものは端からきらわれまくってる。

昭和なら即捕まってたいやがらせ行為も○○の自由だの法の抜け道だので動きがとれなくなっちゃって有名無実化してる。

逆に性犯罪家庭内犯罪学校犯罪には昭和からずっと手が回ってないロリショタ虐待天国ニッポン

自衛官普通に自衛なんかできてないものから入管ばっかり犯罪外国人をおしつけられて虐待に走ることになってる

ちゃん裁判で線ひきをやらないからだし、レイプ被害者も泣き寝入りのほうが現行得だ

警察官に目をつけられないように生きようという気持ちくらいは芽生える程度の存在感を示してほしいものだ

2023-04-29

anond:20230429074532

信長革命者ではなかったというのは、歴史見方によるところが大きい。

一般には、信長封建的中世社会を打破し、

近代的な国家を目指した革命家として評価されてきた。

しかし、近年の研究では、信長政策中世社会の延長線上にあり、革新性は低いという見方が主流である

 

信長は、自らの権力を強化するために、室町幕府寺社勢力対立したが、それは中世的な権力闘争の一環であり、社会制度思想に対する批判改革を行ったわけではない。

また、信長が推進した「天下布武」や「天下統一」も、中世的な観念に基づくものである

信長は、「天下」(五畿内)を支配することを目指したが、「日本国」全体を統一することを考えていなかった。

信長は、「天皇」や「将軍」という中世的な権威依拠しようとしたが、「国王」や「皇帝」という近代的な権威を自ら名乗ろうとしなかった 。

 

したがって、信長革命者ではなく、中世社会の最終段階における戦国大名であると言える。

信長が行ったことは、中世社会の変動や混乱に対応するための適応であり、近代社会への移行を意図したものではなかった 。

2023-04-27

池田大作G7に関連する発言を、何の取材評論性もなくニュースとして掲載するNHK、ヤバくない?

そんなん影響力のある人間だと、権威付けをしてるようなものだろ。

しっかりいたせ。

2023-04-26

anond:20230426162211

アメリカ論文になってたやつだね。

女のセクハラ判定は実は権威に対してあるわけです。

2023-04-25

目を引くタイトルが嫌い

インスタでよく見る嫌いなタイトル

・あそこどを使用してる

・○○しないと損!みたいな損得に訴えるやつ

・逆説

権威付け

こういうタイトル投稿絶対に見ないようにしてる

2023-04-23

anond:20230421002026

帝王切開語源の項目を数年前に執筆した当人である雑兵ウィキペディアンが通ります

誰も悪くないって元増田は言ってるけど、これはイシドールスが悪いよ。

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマ貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

— イシドールス、『語源』第9巻 3章 12

カエサル帝王切開で生まれたってのも嘘(というか、語源因果関係が逆)だし、フッサフサだったってのも嘘。与太話すぎるっしょ。

イシドールスの『語源』は、数々の言葉の由来について、キリスト教世界でのソースになっていて、中世においては権威のものだったんだが、ぶっちゃけ信頼性が低いということが最近わかってきた。

語源』のおかげで、多くの古典時代著作記述が断片的に散逸を免れた一方、この著作原著作よりも重んじられることが多かったために、原著作で散逸してしまったものが多いくらい。

現代ウィキペディアみたいなもんだよね。

はい大学で教えてるんだけど、レポート書かせたら「ウィキペディア調べ」ばっかりなの。史料批判どころか、一次史料に当たることなんて全然しない。

あんまりひどいから、私はレポート読んでからウィキペディアを直すボランティアをしている。

ちなみに、イシドールスはカトリック教会における「インターネット利用者およびプログラマー」の守護聖人でもある。おあとがよろしいようで

2023-04-17

山上に同情する

https://anond.hatelabo.jp/20230417120220

ハテナーの総意ではなく一個人意見

私は山上徹也に同情する。つまり情状酌量余地があると思っている。

テロリストの主張に沿った物言いをすることがテロ容認だ』や『目的の正しさは手段正当化しない』というコメントを目にしたが、山上のやったことが正しいことだとは思っていない。

安倍首相に対する八つ当たりであり、何も殺すことはなかった。

手段は誤っており、殺人で、有罪であるしか情状酌量余地がある。この2つは両立する。

「同情する」という感情は私だけのものではなく普遍的存在する。しか社会の大きな枠組みとして存在するわけではなく、個人意思に委ねられるので、消すのは難しい。というか無理である

例として、ある会社社員の不注意により事故が起こった。今後事故を起こさないようにするにはどうすればよいかを考える。「もっと注意する」は効果が薄い。人間ミスは無くせないから。根本的原因を解決するか、事故が起こっても大事に至らない方法を考えるのが正しい。

これと同じように「犯人に同情する」という消せないものを消すことに力を注ぐのは何かずれてるなという気がする。そんなことでこの負の連鎖解決しない。

次に、『テロの背景を知るとか原因に対策するとかという議論ナンセンステロの主張にスポットを当てること自体が、次のテロの原因になる。テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会なら、テロがなくなる訳ない。』という意見

テロ」とは「政治的目的を達成するために殺害など苛酷な手段で、敵対する当事者さらには無関係一般市民などを攻撃し、そこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して譲歩や抑圧などを図るもの」とされている。

無差別殺人テロであれば私だって情状酌量余地なし」と思うけど、山上は「安倍元総理の隣の人に当たらないくらいの距離まで近づいた」と言っている。正直なところその他の殺人事件被害者1人との量刑差を見いだせない。

今回のテロであれば敵対対象が明確な分恐れもない。知らないうちに国に巣くってるカルトの方が怖い。

一部ではあるが『いかなるテロ容認できない』と主張する方々の中には一方で『いかなる差別(実際には区別)も絶対的な悪だと決めつけてしまうと、自分は悪ではないので差別しない→自分がしているのは差別(区別)では全くないという誤った認識に陥ってしまう。ある程度の"区別"は社会必要だよ。』なんてブコメしている人もいる。都合がいい物差しじゃないか。そして根拠薄弱の自覚があるのか自らの主張を「民主主義に対する脅威」として権威付けする。

個人ではなく国として「テロ犯の要求は聞かない」という方針はありだとは思うけど、だからって自民党議員の半数近くが教会と接点を持つような脅威とカルトを放っておくのはなしでしょ。結果的にそれが山上の主張に沿う形になったとしても対応すべきだよ。

何より山上からすると旧統一教会のせいで家族崩壊した中で、国に頼ろうにも政権与党が「政治的な正しさや国民の苦しみよりカルトとの癒着による議席の確保が大事」だとしてきたわけで「ではこちらも正しさなど知ったことではない。」と山上に言われたら返す言葉ないじゃん。

これって「テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会」だからではなく「テロでも起こさないと言い分を聞いてもらえない社会」だったからだよね。(岸田首相襲撃の木村容疑者に関しては何も分かっていないため今判断しても的外れになるので書かない。)

2023-04-16

anond:20230416081823

スポーツ強豪校(吹奏楽などの文化部も含む)の監督コーチによる体罰未成年に対する大きな権威による圧力という点で構造は同じだし、更に特定芸能事務所だけではなくて割と頻繁に起きていることなんだけど、これを批判する人ってあまりいないよね。

自分も十数年前に受けているくらいには身近な問題のはずなのに。

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