はてなキーワード: 救急車とは
事故ったときに同乗してたペットどうするかみたいなツイがバズってたけど、
犬のこして人間がみんな搬送されたくないって駄々こねたってところでドン引きしたわ
じゃあどうしろっていうんだよっていう
って考えてふと思ったけど、
娘か息子にだけは自分の死を看取ってほしというのがあるんだよ。
でも現代の死って
病院に運ばれて管に繋がれた状態かつ、周囲は知らない人に囲まれて終了だと思うんだよね。
急に体調が悪くなった、とかだと救急車になって。自分の家で死ぬことはできない。
それに大半の人は親の死期を悟って自宅で医者なしで親が死ぬのを待つなんて芸当できないよね。
期待しすぎ。
居酒屋で働いてると日々様々な人を見ることになるんだけど、その振れ幅の大きさに元気をもらえるよ。
中でも指折りの下限エピソードをシェアするよ。よければ元気もらっていってね。
仕切り役っぽい子が「絶対吐かせないようにしますんで!」とハツラツ笑顔で入店後、ビール、サワー、ワイン、日本酒とちゃんぽんグランドスラムを達成。
これはやらかすなあ、と思ってたらしっかりトイレにグループの男の子たちの人だかりができてたよ。
まあ内々で処理してくれればいいからそういうのは基本放置なんだけど、介抱してた子もべろべろに酔っててゲロ拭いたトイレットペーパーを持ちながら店内をふらつき始めたのでこれはだめだな~と思って介入することにしたよ。
何かお手伝いできることはございませんか~と声を掛けたら「友達が気分悪くなっちゃったみたいで……救急車呼んでくれって……」とぽやっとした表情で打ち明けられたよ。
うわ~久々に大きいのきたな~と思いつつトイレに行くと、入店時の笑顔が霧散した仕切り役くんがトイレにもたれかかっていたよ。
お前が吐くんかいと脳内ツッコミをいれつつとりあえず横向きに。口から胃液だかゲロだかよだれだかをこぼしつつ救急車をうわ言のように繰り返しはじめちゃって、もう全然だめだね。
このあたりで一緒に来ていた女の子たちが続々と店の外へ出て行くのが見えて、大学生になると割とこんな感じだよな~と人間の成長を実感したよ。
ちなみに会計は7万弱。もちろん一部の女の子たちは帰っちゃったので残った子たちで出し合ってた。
何度も飲み放題勧めたのに単品で飲みまくり食べまくりだったからね。かわいそうだね。
余談だけど店員としては今日は何杯だけと決めてるとか、終わったら退店しなきゃいけない店以外は飲み放題をお勧めするよ。
大体3、4杯飲めば飲み放題と同じ値段になるけど、今日はそんな飲まないし単品でいっかーと言う客は大体飲み放題の時間内で3、4杯飲んでいるよ。
単品の値段を払うという減酒の戒めは酒飲んだら大体忘れちゃうよ。
学友と思しきご年配グループがご来店。
最初は控えめに注文してたんだけど、お酒が入るにつれて少しづつ一度に頼む注文の数が増加。
ついでに態度も少しずつ大きくなって、「俺たちはもう何十年もこうやって集まってるんだよ!」「俺たちは某有名私大の○○って会だったんだよ!」等のだからなに情報をチップとしてもらったよ。
コップをくれと言われたからこちらでよろしいですか~と尋ねたら「普通コップって言ったらこれだろ!」と威嚇されたよ。私怨でごめんね。
最終的に頼んだ食事の4割を残して退店。
食べ残されるのは日常茶飯事だけど、これにはさすがに驚いたよ。
きっと昔からの友達と話して心が若返って、体も若返ったように感じたんじゃないかな。
昔よりずっとお金があるのに、体がついてこないのって悲しいよね。
でも、店員としてはやっぱり食べられる量だけ頼んでほしいよ。
あと、30過ぎると想定の6割くらいしかはいらないよ。キツイね。
お子様連れのグループがご来店。もう嫌な予感がすると思うけど、たぶん当たるよ。
ファーストドリンクで乾杯した後、子どもたちの好奇心が爆発。叫びながら店内を縦横無尽に駆けまわり始めたよ。
こういうとき子どもたちの安全と食事の素早い提供を両立させなきゃいけないのが居酒屋店員のつらいところだね。
まあ、いくら気を付けてても店員の腰くらいしか身長がない子どもが前も見ずに猛スピードでわーっと突進して来たら、もう身構えて受けるしかないよね。ドリンク持ってるし。
ばっしと店員にぶつかった子はがっつり尻もち。目が合って茫然、真顔。
失礼いたしました~お怪我ございませんか~と言いつつ様子を見てたら、親御さんがこっちを見ているのに気づいて心臓はねたよ。
でもすぐに他の親御さんたちとの会話に戻って、なんだかものすごく複雑な気分になってしまったよ。
子どもはすぐ起き上がって他の子のところへ行ったから、大丈夫とわかっていての行動だったのかもしれないけどちょっとびっくりしたよ。
22時頃、卓から聞こえてきた「もう帰ろうよお~眠いよお~」という声は聞いててしんどかったよ。
そして帰ったあと卓の片づけに向かうと目に入ってくる300均のおもちゃの空き箱、おやつの残骸、床に落ちた食べ物。お金もらってるからもちろん掃除するよ。
ちなみに、あまり居酒屋に行かない人はこういうお客様をマイルドヤンキー的な見た目の人々で想像しがちかもしれないけど、意外と大人しくて地味な服装の方が多いよ。
こういうのってどうしたらいいんだろうね。店員は飲むの我慢しろとは言いたくないけど、子どもを店内で自由に遊ばせても構いませんよとは言えないよ。
家で誰か預かってくれればいいんだろうけど、そうもいかないから連れてきてるんだろうしね。
でもやっぱり居酒屋じゃなくて、もっと子どもに合わせた場所が他にもあるよねと店員は思うよ。
何の問題も無く宴会が進み、飲み放題もラストオーダーを迎えてそろそろ宴もたけなわかな~という頃合いで卓から爆音でガッシャーンという音が聞こえてきたよ。
もう見る前からうわ~と思っていたらホールに出てた子が「布巾どこにありますか」と尋ねてきたので、ついでに見てくるか~と布巾持って卓に行ったよ。
「ああ、すみません」と謝る客に布巾を渡しつつどうされましたか~お怪我ございませんか~と尋ねると「大丈夫です、ちょっと机にダイブしちゃって、グラスも……」と言いつつ自分の服を拭き始めたよ。何もわからないね。
よく見るまでもなく机の上には割れたグラスとお酒がぐっちゃり広がっていて、状況はわかるんだけど、机にダイブってつつがない宴会の流れのどこで発生したんだろうね。
とりあえず割れたグラス片付けてテーブル拭いたんだけど、その直後に「写真とってもらっていいですか」って言われたときはさすがに何がいいんでしょうか?と返しそうになっちゃったよ。はいチーズ!何が?
こういうまったく予感できないトラブルが一番心にくるよね。
誰かが少しでも元気になってくれたら幸いだよ。
ご同業のみなさん、お盆で大変だけど頑張ろうね。
救急車が曲がりたい道をおじいちゃんが自転車でゆっくり横断してたんよ
たしか救急車は道を譲ってくださいみたいなアナウンスも出てたよ
それまでのおじいちゃんと救急車の進行方向は一緒で長い直線道路だったんだから後方からずっとサイレンは聞こえてたはずなんよ
だからもし俺なら交差点前で止まって救急車の進行方向を確認するなり一応邪魔にならないように気を配るわけじゃん
俺が運転手で救命救急でこんなことになったら救命救急のお世話になりそうな年のクセにジジイコラ救急車必要にしたろうかい!
って殺したい気持ちになるんよ
でも救急車の運転手も命を救うために頑張ってるわけだからこんなおじいちゃんを見てもたぶん殺意なんかわかないんだろうな
おじいちゃんの横断を待ちながら運転手はどんな気持ちでハンドルを握っていたんだろうか
似ているのではないかと、今回の騒ぎでふと思った。
ソシャゲで一財産築いて生きる分には何もする必要が無くなった型月。
人生短くなり、残りは持ち家兼店舗あたりで年金暮らしをするだけの老人がやっている年金系飲食店。
すでに実質的に人生をゴールしている点では一緒だし、やっていることも似たようなものだ。
どんぶりに目一杯盛ったカツ丼を300円という原価割れでメニューに載せる年金系飲食店。
フルカラー68ページの商業イラスト集を1000円で頒布する型月。
とすると、一つ言えることがある。
彼らはそんなことをしたらどうなるかを少しでも考えるどころか、逆にみんなのためなんだという使命感で動いているのだ。
テレビでそういう飲食店を取材している番組を一度や二度は見たことがあるだろう。
テレビクルーの質問に返ってくるのは一つ、来てくれるお客さんが満足してくれたらいい、お客さんが喜んでくれたらいい。そう、喜ばせるという使命のために全力を尽くしているだけなのだ。
そんな状態の人にどんな言葉をかければ心変わりしてくれるかなんて、そんなの最初から無理筋だ。何の意味もないとさえ言える。
たとえ店の前に周りに迷惑をかける行列が無限に連なったとしても、行列に並ぶ客が熱中症で倒れて救急車が来ようとも、楽しみにしてるお客さんが待ってるから。で済ますのだ。
我々ができることは、そんな覇権人気店の行列に並べたことを誇りに思い、我先にと注文した300円のカツ丼を容器に詰め替え、繁華街で3000円で売ることぐらいだろう。
昨日起きたら体の節々が痛かったり喉が痛かったり体の明らかに調子がおかしくて、熱を測ってみたら39.2度くらいあった。
まあコロナかな~って思って病院探したけどPCR検査できる病院はどこも予約できなかったからとりあえず検査非対応の適当な病院で解熱剤とかだけ貰って一先ず安静に。
両親に「コロナかも」ってLINEしたら父親がすぐに仕事抜け出して保存食とか日用品とか市販薬とかを持ってきてくれて、PCR検査できる病院見つかんないからコロナかはよくわからんって言ったら母親が家周辺の病院探して開いてるところ探してくれた。(検査結果は普通に陽性)
危ないと思ったらすぐに救急車を呼べとかしつこいくらいに言われて、大人になってから久々に親の優しさに触れた。
でも、俺みたいな醜くて弱い男を愛してくれる存在なんて、多分生まれてから生涯の最後まで両親と祖父母くらいしか存在しなくて、
きっとこの両親が死んでしまったら俺の人生には本当に誰一人味方のいない牢獄みたいな永遠の孤独が待ってて、多分俺の性格的にそれは地獄みたいな苦しみで、
両親が死んだら、そのまま俺も首を吊って自分も死のう、もしくは、悲しんでくれる両親がいるうちに死んでしまおう。
こんな思考回路自体コロナの影響かもしれないし、そんな両親がいる立場で贅沢な悩みかもしれないけど、そんなナイーブなことを考えてしまった。
辛いな、人生。
勘違いしてるかもしれんから一応言っとくが、要件を満たしてないとパトカーだろうと救急車だろうとアウトだからな
第十四条 前条第一項に規定する自動車は、緊急の用務のため運転するときは、道路運送車両法第三章及びこれに基づく命令の規定(道路運送車両法の規定が適用されない自衛隊用自動車については、自衛隊法第百十四条第二項の規定による防衛大臣の定め。以下「車両の保安基準に関する規定」という。)により設けられるサイレンを鳴らし、かつ、赤色の警光灯をつけなければならない。ただし、警察用自動車が法第二十二条の規定に違反する車両又は路面電車(以下「車両等」という。)を取り締まる場合において、特に必要があると認めるときは、サイレンを鳴らすことを要しない。
それでも言わせて欲しい
少なくとも私はきつかった
父はアスペルガー(高機能自閉症)、鬱で癌でアル中のドクズ、母は難聴
お互いを理解しない両親と発達障害全網羅する己の特性に苦しんだ挙句鬱やら過食症やらの精神疾患を鬼ほど持つ身体になった
父は難聴で聞こえない母に対して俺の話を聞かないと言い放つろくでなしだが、同じ様な障害を持ち更に暴力を振るわれ育ったのでいずれこうなる
「お前は何一つ思い通りにならない、生きてるだけ無価値なクズ、早く樹海に行って勝手に死ね」
死ねと言うならば殺して欲しい
大別して、炊事・洗濯・掃除・買物・家計の5つかなって思うので、それで進める。育児・介護に関しては別枠とする。
感覚としては前3つの炊事・洗濯・掃除が上がりやすいような気がする。
その場合、自分がメインでやりたいというかコントロールしたいと私は思っているので、夫が云々にはあんまり共感できない。
まず、炊事だが。
キッチンは私の城なので夫に荒らされたくない。お湯沸かすくらいは許可する。
食器や調味料の位置を変えられる方が嫌だし、使ったあとビチャビチャにされたシンクや床を拭いたり洗い残しのある鍋を洗い直したり、コンロに拭きこぼしたシミを落とすのは私なので「やってやった」感だされると殴りたくなる。
実際は殴ったりしないけど指差し確認でダメな所を指摘する姑のごとくチクチクやってしまうので、料理めっちゃ好きですっていう男で無い限り妻の城には手を出さない方が平和じゃない?と思ってしまう。
シンク周りは掃除までして料理です、と言ったところで、普段から料理しない人間は細かい所まで気が付かないし手際も悪い。
私は料理が好きだし、毎食フルコースや懐石を出せと言われたら殴るだろうし腕もないが、家庭料理であれば楽しいし、ちょっとした焼き菓子なら作るのも楽しいので苦ではない。
出したものを文句言わずに食べてくれる方が夫として優良だと思っている。
美味しいと言ってくれたら最高だ。
あと冷蔵庫の中身は予定を立てて買い物しているので、勝手に何かされると材料足りなくなったりして予定が狂うのでイラつく。
でもメニューのリクエストは嬉しい、スケジュールが狂うにしても「じゃあ買い出しだ!」で出かけて行くならイレギュラーを楽しめるので、それなりに歓迎。
体調不良の時まで炊事を強要する男は論外なので此処では語らない。
というか、「家事しない夫」=「妻が病気でも家事をさせる男」だとしたら、それは家事しないとか言ってる場合じゃなく、その男の考え方が正常じゃないと思う。
社会人だったら会社を病欠する人間が居て当たり前だとか思わないブラック企業の社畜なので、現代では考え方を改めた方がいい、公に争ったら負けるから。まあ勝ったとして労力に見合う金銭を得られないので転職するのが大半だろうけど。
ようするに夫に炊事してほしい妻は、よほど疲れているか料理がそんなに好きではないんだと思う。主婦向いてない。
夫も、妻が不調の時くらい、ちょっとお高い惣菜屋で普段食べないものを自分で買ってきて楽しむとか、外食するとかすればいい。妻の病状によっては、そのちょっとお高い惣菜を一緒に食べればいい。
一分一秒でも付きっきりで看病しないと死ぬなら入院した方がいいし、所謂風邪程度なら居られても邪魔だし感染るから消えろと思う。救急車呼ぶかどうかの見極めは重要だけど、その程度の様子見は最低限の気遣いとして。
おかゆなんか作れなくてもレトルトでいいし、普段料理しないなら病人食なんか作れるわけないんだから、素直にレトルトにしとけと思う。ちょっとお高いレトルトなら、まあ美味しいよ。
ペットボトルの水や市販のゼリーやプリンを妻の枕元に運ぶくらいは、夫婦になった以上は気遣いの助け合いで当たり前の行為だと思う。これが出来ない男は、家庭を持つのに向いてない。
つまり、家事の括りで買い物も私が取り仕切りたいので自主的に夫が買い物しなくても別に構わない。
車出して重いもの運んでくれたら嬉しいけど、歳取ると男でもギックリ腰とか心配になるし。生協の配達は昔からあったし、最近はネットスーパーとか、日用品なら他にも玄関まで配達してくれるサービスも増えたから困らない。
散歩ついでに二人で軽いものや嗜好品なんか、すぐに買わなくても困らないものを買い物に行く方が心安らか。
「ついでにアレ買ってこようか」って類いのやり取りはコミュニケーションとして有るものと思うので、こういうのは人間同士の交流としては有り難いから「しなくていい」には含まないけど。
ガチガチにマニュアル化するのが現実的でない以上、このへんは各家庭のさじ加減だと思う。
こぼしたとか割ったとか突発であれば自分で拭くなり助けを求めるなりして欲しい、というか大人なら出来るでしょう、それくらいというラインなので置くとして。
細かい手順や拘りが、やっぱり有るので自分でやるほうが早いしストレスに成らない。
掃除や洗濯が好きな夫で、夫なりの拘りがあるなら、そこは譲り合いで夫がやればいいと思う。
普段やらない人間に教えながらやらせるのって、家事に限らず会社でも返って面倒だわって思ってしまう。仕事を引き継がなきゃいけないとか、メインで出来るように育てるとかは別だけど、スポットでアシスタントをという事なら、説明する間に自分で手を動かした方が早い。継続的にアシスタントをしてくれるわけでも無いんだし。
それ以外に「ちょっと手を貸して貰う」レベルなら共同生活を送る上でお互い様に譲り合うものだろうし。
そう思うのは、やっぱり育った環境も影響してるかな。
父方の祖母と母との同居家庭で育ったので、キッチンに私の縄張りが無かったから、実家を出て手に入れた領地であるキッチンに思い入れもひとしお。
母と祖母は嫁姑戦争をキッチンでしていて、調理器具や調味料もとより、冷蔵庫も電子レンジもトースターもホットプレートも食器棚も別だった。なんなら洗濯機も二台あった。つまり二世帯分あった。
なんで二世帯住宅にしなかったんだろう、同居し始めて新築したくせに。
ようは、キッチンに私の陣地をつくる隙間が無かった。
世帯的には母の鍋で料理するのが娘としては自然だが、母と祖母はお互いのアラ探しに余念が無かったので、お互いの鍋や食器を誰かが使った形跡があると目ざとく見つけてお互いを攻撃し始める。すまん、使ったの娘の私だわって落ちがつくけど、大変気まずい。
シンクにも水垢一つない程に拭き上げておかないと、やっぱりお互いの攻撃材料になる。
そんな戦場に単騎で挑む度胸が私には無かった。
中学生で弁当持参になった時、嫌々ながら陣地を主張して母のそれに間借りしたが、たいへん肩身が狭かった。
包丁やフライパンに拘りのある母に貸せとは言えないので、誕プレ前借りで最低限揃えてもらって、小さなワゴンに詰め込んだけど、料理するたびに出し入れが面倒でストレスだった。
これで祖母に母に私、3人分のマイ調理器具が詰め込まれたキッチンの出来上がりだ、たいへん遣り難い。
弁当は早朝だったから良かったけど、普段の朝昼晩は祖母と母が時間で区切ってお互いに顔合わせないように使ってたから、娘の私の捩じ込めるスキが無かった。
二世帯住宅じゃなくてコンロもシンクも一つしか無いんだから、そうなるわ。
本当になんでキッチン二つ作らなかったんだろう。
だってさ、普段の食事は母の領分だったので縄張り争いに参入する必要もなく困らなかったけど、自分で火を使える年齢になったら、自分でも作りたくなるもので。
弁当は部活の時間も早かったので協議の結果、自分で作ることに成ったわけだが。
普段はお手伝いというか下働きのごとく野菜の下拵えなんかを料理長である母の指示でやるだけなので、
自分がメインで弁当作るのは楽しいんだけど。弁当用の買い物も、生協の注文を母とするのも楽しかったんだけど。キッチンの使い方だけは気を使うし窮屈で窮屈でたまらなかった。
夫に荒らされるの、ほんと嫌。
自分のついでに洗濯してやるだけだし、一つの洗濯機を共同で使う方が時間割とか面倒。使いたい時に夫が使ってる方が嫌。
掃除だって自分が暮らしてるんだから、満足できるようにキレイにしておきたいだけだし。普通に使う以上に夫が汚すなら、それはハプニングというか、生活習慣の違いというか、話し合う余地のある所だと思うので摺合せで着地させてルーチンにしとくべきかなって。
お湯は沸かせるしお菓子も自分で出せるんだから、その辺は夫が自分でやったり、私に出してきたりするわけだし。
冷蔵庫の作り置きを食べたい時は声をかけるしレンチンは自分で出来るから別に困らない。
夫に家事やってほしい勢は、なんで夫にやって欲しいんだろう。
AEDは日本語で自動体外式除細動器と言うんだけど、除細動器にはプロ(医療向け)と一般(非医療従事者向け)の製品があるよ。
AEDはこのうちの一般向けの製品の事だよ。Aはオートマチックの意味。
医療向け製品は心電図モニタでの監視が行われている事が前提だから単能型で普通の電化製品のようにスイッチを入れると電撃が起きるよ。
一般向けは必ず診断モードが付いてて、蓋を開けると自動的に起動、コンデンサへの充電、電極パッドを付けると診断モードになるよ。(電源ボタンがある機種もある)
だからAEDを使うべき状態かどうかは機械が勝手に判断して実行するから「AED使用すべきじゃなかった状態なのに使用した」という事は起きえないよ。
蓋開ける(IOボタンを押す)と起動して音声ガイダンスが始まるよ。その通りに心臓マッサージしたりパッドつけたりすればいい。付ける場所はパッドや本体に大きく描かれているよ。
自動診断が終わってAEDが必要と判断されたら「全員手を放してショックボタンを押す」と言われるので押すと電撃が発生して患者の体が大きく痙攣するよ(結構ビビる)。
で、バッテリーの問題があるから10年も20年も使えるわけじゃない。使用した事なくても交換が必須なんね。これは消火器と同じやね。
低周波治療器みたいにヌルヌルの導電パッドが付いているんだが、これは数年で経年劣化でダメになる。でもリースだとパッドの交換もしてくれるし、本体も耐用年数で交換されるからバッテリー問題も考えなくていいし本体も新しい製品に更新されていく。
リース料は1万弱/年くらい。
でもリチウムイオンバッテリー+コンデンサ+心電図診断ソフトの組み合わせの製品だからもっと安くできるはず…って事で最近だと10万を切る製品も出てきてるらしい。
AEDは心臓が細動、つまり痙攣しててポンプの働きを無してないって時にフルスイングのビンタを心臓にかます機械だ。
心電図モニタがフラットになるのでこの瞬間は結構ビビるし初めて見たら油汗出るよ。
でも大丈夫。脳が規則的に心拍信号を出してるから、それに従って心臓も規則的に動き出す。時間にして1~2秒程度なんだが、初めて見ると永遠に感じるほど。
AEDや心マが遅れると脳がダメージを受けてしまってこの信号が来なくなっちゃうのだな。だからAEDは早くやらんとだめって事なんであるな。
最初の生物は心臓なんてなくて体を動かす→体液が動くっていういい加減なシステム
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体大きくすると体液循環量が足りんぞ→せや体動かさない時でも勝手に動いてる箇所を作りゃいいんや
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さっき作った醤油チュルチュルの握るとこの前後にストローさしたら効果あがったやん天才やんワイ
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そうや醤油チュルチュル握るとこの前後にワンウェイの弁付けたらもっと効果アップや
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握るとこを思いっきり握っても握りに吸入する時になかなか入っていかんで効率落ちちゃうんやんけ。予め圧が高くなってればあっというまに充填されるのに
せや握るとこの真ん中にも弁付けたら低圧圧縮→高圧圧縮で効率アップするやん
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あーでも本社の方に指令2つ出せって言っても進化の融通きかんしこっちの現場は現場で勝手に進化してるしで連携とれんな…
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せやこうすりゃいいんちゃう?
本社の収縮指令が来るやろ?それを低圧に繋ぐんや。それで低圧連中が動くと電気信号が起きるやん。それを高圧側に繋いで動けば一つの指令で時間差の指令が作れるやん
名付けて「カツオの場所はカツオドリに聞け」作戦や。ジンギスカン作戦に並ぶ名作戦やでこれ
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でも低圧連中の出す信号って微弱やな…タイミングにもズレがあるし微弱電流を閾値にするとノイズ拾いまくって大混乱や困った…
せやスター結線や!心房結節で集合させればええんやそっから各部署に分配する
スイッチングハブ(洞結節)→リピーター(心房細胞)→スイッチングハブ(心房結節)→リピーター(心室細胞)
これでいけるで
↓
????あのそれだとブロードキャストストームに弱くない?
↓
あーちゃんと動いてるしもう仕事終わり!クレームもきとらんしうちはパラシュート会社と同じでノンクレームの優良企業や
こういう経緯で、心臓に自律性を持たせる実装にしたせいで、なんか衝撃を受けた場合に心筋のどっかがまとまって拍動するとそれを受けて他の部分が拍動→その刺激で他の部分が…と繰り返して収拾付かなくなってしまうのよ。
ブロードキャストストームですわ。神の実装ミスです。
因みに、心臓はこういう風に自律性がある実装されてるので、体から飛び出しても動いていたりする。
心臓は筋肉の塊で非常に丈夫なうえに、拍動で擦れて傷つかないように心嚢っていうスベスベの膜に入ってるので、交通事故でトラックに踏まれて胸部が潰れてしまっても血管から千切れてシュポンって感じで飛び出してくる。
その状態でも路上で拍動を続けてるんですな。奥多摩のタヌキとか大垂水峠の鹿とかがトラックに轢かれてその近くで心臓が動いてるという現場を何度も見た事があるよ。
これは「倒れてない人、ピンピンしてる人にもAEDが必要なことがある」って話だよ。
例えば江戸時代などには食器洗いのママレモンとかは無かった。キュキュットとかも同じくない。
じゃあ食器洗いはどうしていたかというと竈の灰を水に入れて放置して灰汁を作り、それで洗っていた。
これは水酸化カリウムで強アルカリだ。植物の細胞が燃えて水蒸気と二酸化炭素になり、金属であるカリウムが灰の中に残ったものだね。
筋肉が収縮するには特にカリウムが必要だ。だから筋肉にはカリウムが多く含まれる。
そして血中のカリウムが多すぎると筋肉が過敏になる訳だ。こむら返りとかが起きちゃう。
事故で車の下やブロック塀の下に挟まれててそこから救出すると、挟まれ箇所が足とか腕とかだと筋肉の塊だからしばらく痺れるが血液の循環が回復されると痺れも取れる。なんてことも無く動けるしもうへっちゃらに見える。
圧迫によって潰れた、酸素不足で死んだ細胞の中身が出てるのだ。これはゴミとして掃除しないといけないから血液はこれを拾って持って行く。
で、ここにカリウムが超大量に含まれている訳だ。多すぎるカリウムは腎臓が濾して除去する。
でも大量すぎると処理が間に合わない。大量のカリウムが体内を巡ってしまう。
で、ここに筋肉まみれのマッチョで実装ミスによって痙攣が起きやすい臓器がある。つまり心臓だ。
アーキテクチャ的にブロードキャストストームに弱いのに、高カリウム血によって信号を拾う閾値が思い切りさがる。心室細動が起きないはずがないって状態なのだ。
だから、事故で挟まれていた人が救出されて「大丈夫だ」と言っていても動かないように命じ、救急車を呼んで病院に搬送して欲しいのだ。どんなに元気であってもだ。
そしてこの人は突然心室細動を起こして死ぬ可能性があるからAEDも用意すべきなのよ。
因みに高カリウム血症へのAEDの使用は、蘇生→再び心室細動を繰り返すのでAEDはずっと繋げたままで心電図を注視してないといけない。
何度も細動が起きて何度も電撃で痙攣する患者は見たら肝を冷やすこと請け合い。
そういう訳で医者でもないのに事故や労務災害に出くわす事が多い上に自分も心臓病を患って色々覚えた野良心臓マニアの増田がAEDについて書いてみたよ。
東京都福祉保健局の診療・検査医療機関マップ https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/hatsunetsugairai.html
受診できる病院がないので発熱相談センターに相談することに https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/coronasodan.html感染拡大期にはなかなか受診できないらしく、市販の抗原検査やPCR検査キットの購入を勧められる。
PCR等検査無料化のご案内 https://tokyo-kensasuishin.jp
自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京) https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html
濃厚接触者となられた方のための検査キット申込サイト https://tokyo-testkit.jp
7/1
夏になると思い出す。
多分この頃の私はまだ頑張って学校に行こうと必死になっていて、起きた時の良くわからない感覚を引きずったまま制服を着ていたと思う。
授業の内容も友達との会話も何一つ覚えていないけど、その感覚だけ異常に頭にこびりついていて、寝たのに寝ていないような、夜明かしして正常に働かない時の頭でずっと生きていたから、自分が自分じゃないような、いつでも陣がどこにいるのか何をしているのか何を話しているのかわからなかった。
夏服を着て身軽になったけど学校の前の横断歩道、あそこに立っていると木の葉の影のはずなのにじめじめと暑くて、ベストを着るのはやめればよかったと毎日思っていた気がする。
入学して3か月ほど、学校に行けることが普通になっていて、私もようやくまともになれたと思っていた。勉強も人間関係も何も困っていなかった。行きたくないとも思わなかったのに、夏休みが明けた日から私はまた家を出られなくなった。
今となればあの時の私が何を考えて生きていたのか知りたくなるほどに記憶がなくて、ただ死んだように生きていたことだけがわかる。
すべてが憎しみの対象で、理解を示してくる人間の浅さとわかっていることばかり教えを説いてくる人間の多さに常に気が経っていると同時に、悪意のないそれを素直に受け入れることの出来ない自分にも絶望していた。
終わりが見えず、気づけば朝、お母さんが先生と話す電話の声から逃げるように眠って、気持ちばかりの明日の準備を起き抜けの夜にしていたけど、結局は行きたいのに行けないというポーズのための安易な行動でしかなくて、本当は何の気休めにもならず、制服はほとんど新品のようにきれいなことが私を責めるための存在に見えて、わざとしわをつけたり、リボンのパッチン留めを壊したりと、ささやかな犯行で自我を保つことが精一杯の日々を、結論2年半送ったが、今の私はその時の私と変わった気がしなくて、なぜかというと厳密にいえば多少はましになったけれども、時折あの頃の私が顔を出して、お前の本質はこちらだと言い聞かせてくるので、そのたび私は引っ張られて、こんな文を書きなぐる羽目になるのだから救えない。
恋も友情も私にとっては取るに足らないことで、別にそれ自体に何かを左右されたりはしない。ただもっと奥深くの人間としての在り方が根本的に違うことを感じるたびに、絶望するあの瞬間をこれまで何度も繰り返してきて、人と関わることそれはすなわち私にとって絶望だと思わされて、そうなると私は他者の存在がすべて私を苦しめるためだけのものに思うから、となると誰の言葉も、声も、姿も、感情も、どれにも触れたくなくて、行きつくところは持って生まれた破壊衝動に従うしかなくなってしまう。
けれどもそんな自分をこんな言葉で表現できる時点で私も結局その程度の人間でしかなくて、要するに私はずっと自分という人間のくだらなさ、つまらなさに振り回されているだけの生き物で、私以上に面白みのない人間も存在しないだろうと思いいたるのが常である。
苦しまないと何も生み出せない私のような凡人は、自分から傷付きにいかなければ何一つとして形に残すことも出来ず、その割に心を削って書く、描くことは自分を空っぽにすることと同義であるから、私は何も埋まらない、満たされないまま生きていくだけだとわかりきっていて、底の見えた入れ物に価値はないのに、私自身が一番そうだなんて、どれだけ皮肉は私を好くのだろうかと思う。
私以外の誰かと共有した歌を、絵を、作品を、私に語るな。
私だけで完結する世界を求める無謀さ、無知さ、その点に関してだけは私はいつも人一倍底が知れない。
醜くても、目も当てられなくても、恥でも、形にすれば芸術になることが唯一救いだった。自分に酔っていると言われても、肯定出来た。自分を表す、曝け出すなんて正気では出来ないから、それなら私は自分に酔っているだけの馬鹿者でよかった。
だから私は早く私を完成させたくて、こんな言葉ではなく、もっと頭以外に響くものを作りたくて生きてきたのに、私という人間は生きれば生きるほどつまらなくなっていて、思春期特有のモラトリアムというような、あの頃が私の人生の、まさしく春だったのだと気付いて、それはまた青春なんて輝かしいものではなくとも、私もそんな時期を過ごしていたのだと、呪いだらけの日々が少しだけいとおしく思える一瞬が、時たま訪れたりする。
学校までの各駅電車、3駅分も乗っていられなくて、泣きながら電車を降りる惨めさ、どうしても「普通」をこなせない焦り、しかし同時にそれがアイデンティティとなっていく歪み、どこにも当てはまらないのに形だけ集めたパズルのピースの群れ。
あの時の私も今の私も、ただ気持ちが追い付かず、心だけがずっと学校の教室の一番後ろに取り残されたまま、大音量で流したロックのギターの音や、行き場のなかった寂しさだけがいまだに私を縛り付けている。
誰かに理解されたら、私は私の苦しみの価値がなくなると信じて生きてきたから、一人でいい。孤独こそが私の救済だと思っていたのに、今私は人を理解しようとももがいたり、人と向き合うことを選んでいて、それは私の今までの生き方や人生を否定することになるのではないのかと思う気持ちより、人と触れ合うことのうれしさ、喜び、たとえ傷付いてもそれさえも大切なことだと認識し始めていて、
悔しい。プライドの高さも、見合わない才能も、すべてが。それだけだった。
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7/2
いつも最後に行きつくのは悔しいという感情一つなのに、それに気づくまで時間がかかりすぎるのはいつだって自分の分析に夢中で主観的なその時抱いた気持ちを無視してしまうから、自分を理解しようとするあまり、結果的にいつも遠いところに答えを探そうとしてしまう。
他人のことで悩めるうちはまだ余裕があるけれども、自分の持っている内面的な孤独や自他との境界線の曖昧さ、他者に対する意識について考え始めると、私は家族、友達、恋人すべての関わりを持つ人たちを無視して全くの一人になりたくなる。
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7/3
器用だねと言われることもあれば、不器用だねと言われることもある。
冷静だねと言われることもあれば、落ち着きがないと言われることもある。
堂々としていると言われることもあれば、おどおどしていると言われることもある。
行く先々や関りの人々の中で、自分の印象や性格がことごとく極端に言い表されることの多さに私は悩んでいて、これはつまり、どちらにも属していると同時にどちらにも属していないと言うことが出来、また人と関わるうえで、その人に都合のいい人間を演じているから、こうして私という人間のイメージが極端になるのだと思うと、それは私のいじめを受けた過去が大きく影響していると思われて、私は今でもまだあの時期に取り残されているようで、そのたび、本当に心に影が落ちる感覚を味わう。
私の存在の一貫性のなさ、本質、どこにでもありそうでどこにもなく、見つけようとすればするほど何かを演じてしまい、結局のところ私はそういう生き方しか出来ない、芯もなく、他者という存在を常に意識しながら、囚われもがくことを背負って生まれてきたような、そんな果てのない人格を求めるだけの生き物に思われて仕方がなく、苦しみ、最後に自分を傷付けるのは誰でもなく私自身だと気が付き腹が立ち、また同時にむなしさ、やるせなさ、悲しみが襲ってくる。
誰にでも優しいようで優しくない自分がまとわりついてくる。
救急車のサイレンに、道のホームレスに、汚れたペットボトルに、路地裏の殴り書きに、胸を痛められない人間がなぜ博愛主義を気取って生きられるのか。
シャットアウトすることを覚えなければ生きていけないと、その夜の苦しみや怨念を線引きして根拠のない基準で優劣をつけて身を守るそのずるさ、汚さ、私には何一つ許せない。
私はすべての苦しみに、怨念に敏感でありたく、また鈍っていく感受性をそのたび研いで、心の中に隠し持ち、いつか尖らせてナイフのようになったそれで誰かを刺したい。
意味のないことに、意味を見出そうともがく人生は嫌いではなく、すれ違った学生、隣の席のサラリーマン、もう二度と会うことのない人間たちの生活に思いを馳せて、そこに私という人間が溶け込み交わって生きることの出来る隙間を探して、その繰り返しで私は明日も生きていく。