似ているのではないかと、今回の騒ぎでふと思った。
ソシャゲで一財産築いて生きる分には何もする必要が無くなった型月。
人生短くなり、残りは持ち家兼店舗あたりで年金暮らしをするだけの老人がやっている年金系飲食店。
すでに実質的に人生をゴールしている点では一緒だし、やっていることも似たようなものだ。
どんぶりに目一杯盛ったカツ丼を300円という原価割れでメニューに載せる年金系飲食店。
フルカラー68ページの商業イラスト集を1000円で頒布する型月。
とすると、一つ言えることがある。
彼らはそんなことをしたらどうなるかを少しでも考えるどころか、逆にみんなのためなんだという使命感で動いているのだ。
テレビでそういう飲食店を取材している番組を一度や二度は見たことがあるだろう。
テレビクルーの質問に返ってくるのは一つ、来てくれるお客さんが満足してくれたらいい、お客さんが喜んでくれたらいい。そう、喜ばせるという使命のために全力を尽くしているだけなのだ。
そんな状態の人にどんな言葉をかければ心変わりしてくれるかなんて、そんなの最初から無理筋だ。何の意味もないとさえ言える。
たとえ店の前に周りに迷惑をかける行列が無限に連なったとしても、行列に並ぶ客が熱中症で倒れて救急車が来ようとも、楽しみにしてるお客さんが待ってるから。で済ますのだ。
我々ができることは、そんな覇権人気店の行列に並べたことを誇りに思い、我先にと注文した300円のカツ丼を容器に詰め替え、繁華街で3000円で売ることぐらいだろう。