はてなキーワード: 屋根とは
老いた両親が二人で暮らしている。
父を残して母が先に亡くなる事を考えると恐ろしい。
愚直で、不器用で、不合理で、大酒飲みで、ヘビースモーカーな父。
違う考え方をもつ他人として、互いを受け入れる事ができなかった。
年に数回会うだけの今でさえ、些細な会話がきっかけで怒鳴り合いの喧嘩になる。
(今年も元旦早々ひどいことになった…)
ただ、自分を育ててくれた父に対して感謝の気持ちを忘れたことはない。
そんな父が一人残されたらと考えてみる。
やることもなくTVを見続け、食事もせずに酒ばかりを飲む生活を送るだろう。
もちろん家のなかは煙だらけだ。
そこで私は選ぶ事になる。
自分とその家族が不幸になると分かっていながら、一つ屋根の下に迎え入れるか。
前者を選んだ場合、罪悪感に悩まされるだろう。
そして許しを与える対象が死ぬ以上、決して許されることはない。
後者を選んだ場合、日々の生活の苦しさに父の死を願うようになるだろう。
ただしそれは彼が死んだ時点で終わる。
どちらにしてもろくなものではない。
考えるたびに憂鬱になる。
手っ取り早いのは、キャラクターを設定し、キャラクターグッズを配りまくる。
フーセンを配れば、その風船を見た他のチビッ子が
「あのミッフィーちゃんの風船が欲しいよう、欲しいよう」となって、ミサワの展示場に行かざるをを得なくなる。
セキスイハイム:らいおん
大和ハウスはよくわからないが、よくキティちゃんを見かけるので、ハローキティか?
(最近ダイワハウスはベネッセと仲がいいので、今後しまじろう辺りを使う可能性はある)
中堅メーカーでは、トヨタホームが鉄腕アトム、レオハウスがクレヨンしんちゃん。
こういう野党議員の方が日本を危ない方向に持っていくと思うようだと私は体制主義者になってしまうんだろうか。
〈朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮(いわし)の/大漁だ/浜は祭りの/やうだけど/海のなかでは/何万の鰮のとむらひ/するだらう〉。童謡詩人金子みすゞは84年前のきょう、26年の短い生涯を自ら閉じた。この詩は、後に代表作と呼ばれるようになった「大漁」だ
◆
みすゞは山口県下関市の小さな書店の店番をしながら幾つかの童謡雑誌に詩の投稿を続けた。「大漁」は「童話」誌に推薦作として掲載された作品。選者の西条八十は「アッと云(い)はせるやうなイマジネーションの飛躍がある」と評した
◆
この詩は単にイワシへの哀れみだけでなく、時代の空気を映したのではないだろうか。第1次世界大戦の戦勝ムードと好景気に沸く日本。その裏に多くの兵士の死があったことに、みすゞの想像力が向かっていったように思える
◆
〈子供が/子雀(すずめ)/つかまへた/その子のかあさん/笑つてた/雀のかあさん/それみてた/お屋根で鳴かずに/それ見てた〉(雀のかあさん)。この詩でも、みすゞはなんということもない人の営みの裏にある悲しみに目を向けている
◆
4日の参院予算委員会。他国の戦争に加わりかねない集団的自衛権の行使容認が議論になった。野党議員が安倍晋三首相に聞いた。「総理は戦争をするつもりがあるのでしょうか」。委員会室にゲラゲラと笑い声が起きた。「戦争」の裏にある悲しみが想像されていない乾きがあった。
http://www.shinmai.co.jp/news/20140310/KT140308ETI090014000.php
『ネコつきマンション』なんてのが、ちまたで流行っているようだけど、ネコを飼うのはなかなか大変だ。
ネコは基本的に飼い主のことなんかそっちのけで、ふらりと出て行っては、ずいぶん長い間帰ってこなかったり、
ともすると突然帰ってきたりする。
子猫連れて帰ってくることも(稀に)ある。
で、こっちが増えた新入りの世話に追われて、てんやわんやになっているのを横目に、古残のネコどもはエサだけ食べて、あとはぶらぶらしている。
のんきなもんだよ。
俺は、ずいぶん長い間、ネコさま方とは懇意にさせて頂いている。
一人暮らしを始めた時に、入居した部屋がたまたまペット可で、雨の日にずぶ濡れになっていた黒猫を保護した。
それ以来、知り合いから引き取ったり、野良の屋根になったりしたりで、どっぷりネコ生活を続けている。
もう10年になる。
ある、平日の昼のこと。
その日、大学の講義がなんかの理由でポシャって、友だちにもハブられた俺は、部屋でひとり優雅に茶でも飲みながら読書、と決め込んだ。
寂れた古本屋の店頭に100円で置いてあったやつを値段に惹かれて買ったのがいけなかったのか、文庫本はあまりに退屈だった。
いつしか読書に飽きた俺は、一人がけソファで、つい、うとうとした。
すると、ニャーと声を鳴らして、足元にネコが寄ってきた。
ん?こんな奴いたっけ?
当時のうちは野良のたまり場になっていて、常時2匹は滞在していて、ぜんぶで10匹位はいたと思う。
そのなかに三毛猫はもちろんいたけれど。
はて、こんなにスリムな美形さんはお目にかかったことがない。
いや、やや、顔のパーツが離れているか?
説明しにくいのだが、鼻に対して、目と口が若干離れている。でも、顔自体は大きくない。
こっちが見つめていると、嬉しそうに、ニャーともう一度鳴き、俺の足元をグルリと周る。
いやしかし、俺ってばネコちゃんにモテモテですねえ。次から次へと取っ替えひっ替え、まったくお盛んなことですねえ。こんな調子で彼女もできればいいんだけど。だがしかし全然脈が無い、どころか女の子と付き合いがない。なぜならば理系まっしぐらの男子大学だからである。当然の帰結である。出会いが欲しい。どこかに無いか。バイトでもすればいいのではないか。バイトすればネコの餌代もまかなえて貧困生活から脱却できるのではないか。でも俺がバイトしている間、こいつらの面倒は誰がみるのか。
俺はため息を付いて、足元の新入りを見た。
こっちに顔を向けたまま、微動だにしない。
あれ?なんか、さっきより目の位置が離れていないか?
よく見ると、鼻も下がっている。口も離れていく。
そういえば、他のネコの気配がしない。いつもいるはずのネコ達が今は一匹もいないようだ。窓の外からは何の音も聞こえない。
冷や汗がつたう。目をそらす事ができない。
ネコの顔は、どんどん離れていった。
凍りついたように固まっている。
やがて、顔には何もなくなったが、顔をゆっくりと前後に揺らして、
「ゔあ゛あ゛あ゛あ゛」唸るような音を出した。
はてぶでまわってきた今ページ
http://www.0-roof.com/blog/?p=48
まず最初にこの記事の突っ込みどころとして、おそらく雪降ろしんなんてしたことのない素人が
一体誰に向けて書いたのかわからないようなてん。
というか、お前の勝手なまとめはいいからその国土交通省の話だけでいいだろ、てきな。
まあ、それはいいんだけど、このページがやけに香ばしかったのでなんなのかみてみると、
屋根がただで修理できる、と言うことをうたっているサイトらしい。
なんざら?と思って調べてみると、そういうのは結構いる
http://www.fireinsu-roofrepa.net/
んで、調べて見ると、こんな話が。
http://knowledge.realestate.yahoo.co.jp/chiebukuro/detail/1495527084/
ま、多分、合法なんだろうけど(見積の水増しの件がどこまでか、によるけど)
なんいしろ、世の中こういう汚い事をして生きてる人って沢山居るんだな。
なんのために生きてるんだろうな。
冷え性の彼女が家にくる。外寒いね、と言っていちばん上の上着を脱ぐ。
暖房をつけるとあったかくなって、その下に着ているパーカーを脱ぐ。
くっついてDVDを観ていると暑くなってきて、カーディガンを脱ぐ。
締め付けが気になると集中できないようだ。タイツの上に履いているモコモコの靴下を脱ぐ。
「生脚が見たい」と頼み込むと「いいよ」と彼女はタイツを脱ぐ。
冬だというのにつま先には赤のペディキュアが塗られている。かわいい。
彼女の生脚と俺の脚をからませると無性に服を脱がしたくなる。彼女の白いシャツを脱がす。
「やだー」と恥ずかしがるので見ると、毛糸の腹巻きをしていた。かわいい。腹巻を脱がす。少し引っ張って遊んでみる。
彼女のスカートを脱がす。この時期のスカートは、生地が厚くてフカフカしている。高級なカーテンのようだ。
スカートのサイズは「M」と書かれている。うん、あんまり尻は小さくないほうがいい、となぜかひとりで納得する。
七部袖のヒートテックとブラジャーとパンツだけになった彼女は普通体型のバレリーナのようだ。ヒートテックを脱がす。
「ちょっと寒いね、お布団入ろうか?」彼女が言ってきた。うん、そうしよう。
暖房を付けて、二人で布団に入ると暖かすぎるくらいだ。
彼女のふわふわした白い胸やおしりは屋根や車に積もった雪のようだ。
冬だなあ。
朝、会社へと出社する途中、道端の木でばたばたと音が聞こえた。
見ると、どうやら鳥が糸に絡まり、木にひっかかり逃げられずにもがいているようだった。
手で助けてやろうとしたが、糸が思いの外頑丈でどうにもならない。
仕事に遅れてしまいそうだったが、一旦家に引き返し、ハサミを取ってきた。
鳥を押さえて、鳥の足から遠い糸をひとまず切ると、その鳥はあっという間に逃げて屋根の向こうに消えていった。
その日、震災が起きた。
でも、今回は違った。
原子炉が爆発した。
1万年も汚染されるのだろうか。
生まれたばかりの俺の娘はどうなってしまうのだろうか。
俺は今まで生きてきたこと、今までやってきたことのすべてが無駄になってしまった気がした。
あれからもう何年も経った。一万年には程遠いが。
やっと前に向かって歩いて行く気力がでてきた。
子供の頃、父と祖母が食卓で毎日喧嘩していた。祖父と祖母もよく喧嘩をしていた。
僕にどちらが正しいのか聞くこともあった。喧嘩することは良くないことで、どちらも正しいように思えるのは観察が足りないに違いないと思った。
よく観察し、どちらも少しでも気持ちよく過ごせるような答えを返すように努めた。
祖母は、母に猜疑心を持っていた。母が何かモノを隠したのではないかとよく母に言っていた。
母は、もう出て行った方が幸せなのではないか、僕に相談した。僕には一緒に居た方が良いのか、離れた方がいいのかよく分からなかった。どちらも大事だと思ったから、あるいは単に住処が変わるのがイヤだからか、出て行くのはイヤだと言った。
祖母に罵られて言い返したら、後から母に殴られた。後から私が色々言われるでしょう、と。
それから、何を言われても、じっと堪えて言い返さないようにした。
祖父の葬式で、祖母がしょぼくれていた理由が分からなかった。祖母は、本当は優しい人なのかと思った。
数年後、また元に戻っていた。
高校の頃、高校生活でがんばり続けるのに疲れたと母に言った。初めての心の面での相談。
分かったと言った翌日、がんばりが足りないと言われ、倒れた。
2週間ほど寝続けた。母は部屋に来ては、がんばれがんばれ、と言い続けていた。
もう相談することは止めようと想った。心を蹂躙されることだけは避けなければ。
激しく恨んだ時期もあったけれど、近頃はただ単に合わない人達が屋根の下に居ただけ、運が悪かっただけ、と思う。
また、私も含め、各々が各々に対して、気持ちを伝え分かってもらう努力をしなかったのだ、とも。
第三者は、自分が何を考えているかを正しく推定し、それに合わせて適切な働きかけをしてきてくれるに違いない、と互いに思い違いをし続けていたのだと。そして、運悪く、その思い違いを指摘してくれる人が居ない環境に居たのだと。
生家とのつながりを絶って7年ほど、ようやくここまでこれたのかと、そう思います。
第三者に気持ちがあることや、彼ら・彼女らに分かってもらうためには努力をする必要があると言うことを、今でもよく失念します。
生家とどう関わっていったら良いのかは、まだ棚上げしてます。
棚上げしているうちに、父母が天に召されてしまうのではないかと思うこともありますが、新幹線などで家の近くを通るときに恐怖で震えることもたまにあります。
サービスが始まったばかりの頃にはてなブログでブログを書き始めました。その日その日感じたこと、思ったこと、考えたことを細々と綴るようになりました。
それまでの私と「はてな」の関わりは、はてなブックマークのホットエントリーを読むくらい。「はてな」は「エンジニアの人たちが色々と難しい議論をしているところ」。そんなイメージがあって、そこのはじっこでそっと屋根を借りるような気分でした。
つい最近、「あなたへのお知らせ」ではてなブックマークではコメントがつけられることを知りました。そのコメントで「自分に酔っている」と言われて戸惑いました。まさか、日記に対してそんなコメントをつけられるとは思ってもみなかったからです。
そのコメントがついた記事ははてなブックマークの「はてな女子」というカテゴリに表示されていて、私はまた戸惑いました。私は数あるブログサービスの中から偶然はてなブログを選んで、偶然性別が女だっただけなのに、なぜ急に、勝手に「はてな女子」なんていう得体の知れないものにカテゴライズされているんだろう。
最近「はてな女子」について言及する記事を見るたびに、はてなブログで日記を書いてはいけなかったのかな、と困惑しています。別のブログサービスに引っ越したほうがいいのかな、それともブログ自体やめたほうがいいのかな。
「はてな女子」って何なんですか?
メジャーリーグのワールドシリーズがついに始まりましたね。そこで、5日ほど前のものですが、アメリカ3大ネットワークの1つNBCによる上原の記事を翻訳してみました。誤訳があったらご指摘ください。
ウエハラ・フェノメノン
http://hardballtalk.nbcsports.com/2013/10/18/the-uehara-phenomenon/
さて、君もおそらく、今年のボストン(レッドソックス)の上原浩治が、野球史上の全投手と比べて、最も塁に出るのが難しい投手だったということをご存知だろう。それはとてもいいことだ。ここにWHIP(1イニングあたりの被安打と与四球の合計。少ないほど出塁されていない)の歴代トップ10、少なくとも50イニング以上を投げた投手のリストがある。
2. デニス・エカーズリー, 1989年, 0.607
3. デニス・エカーズリー, 1990年, 0.614
8. J.J.プッツ, 2007年, 0.698
興味深い小ネタを2つほど――リストの11位はまたも上原で、2011年のことだ。12位は? ペドロ(ペドロ・マルチネス)だ。それは2000年のことで、WHIPは0.737であった。彼がほかの選手の3倍のイニングを投げたことを考えると(訳注:ペドロ・マルチネスは先発投手)、彼の三振四球比(K/BB)が284割る……まあ、多くの人々が、ペドロの2000年のシーズンこそ野球史上で最高のシーズンであったと信じるのも、驚きではないだろう。
とにかく、トップ10を見れば君も気づくだろう……クローザー(抑え投手)だ。いや、そのうちの2人――ベノワとメレディス――はセットアップマン(セットアッパー、中抑え)だが、残りは全てクローザーである。歴代のWHIPトップ10のうち8人がクローザーだという事実は「9回はアウトを奪うのが最も難しいイニングだ」という神話に小さな短剣を投げつけるかも知れない。だが、今日のポイントはそこではない。我々が焦点を絞っているのは上原だ。
上原がキャリアをスタートさせたのは日本である――大阪大学(訳注:大阪体育大学の誤り)を出て、ドラフト1位で指名されたのだ。上原は1年目に20勝を挙げて、読売ジャイアンツの先発投手として活躍。また、オリンピックやWBCなどでは、日本代表の先発投手としてめざましい活躍を遂げた。2007年、32歳のときに、上原は読売のクローザーになり、そこでも周囲を圧倒した。2008年のシーズン終了後、上原は先発投手としてボルチモア・オリオールズと契約する。(しかし2009年)彼はもがき苦しんだ。彼は故障した。翌年、オリオールズは上原をブルペンに送った(リリーフに転向させた)。上原は驚くべきコントロールを見せ(44イニングで与四球は5個)、いくつかの試合では実際にボルチモアのクローザーもつとめた。だが、誰も彼に熱狂することはなかった。
そして2011年、当時は誰も驚異とは考えなかった驚異のトレードが行われることになる。
オリオールズは上原と幾ばくかの金銭をテキサス・レンジャーズに送った。レンジャーズはトミー・ハンターという悩める先発投手と、クリス・デービスというマイナーリーグの一塁手を送り返したのである。
私は、彼らが言うことも正しいと思う。将来の50本塁打男(訳注:デービスは今年のアメリカンリーグ本塁打王・打点王)と、年間WHIPの史上最少記録保持投手を、小さなトレードが生むことになるなんて知るよしもない。OK、それがことわざだかどうかは分からない(訳注:ここら辺ちょっと自信なし)。上原はレンジャーズでいい投球をしたが、怪我なしで居続けることはできなかった。テキサスでのWHIPは驚天動地の0.685。純粋に安打を打たれなかったし、四球も出さなかった。だが、1年半でたった54イニングしか投げなかった。そしてともかく、ただ1つ、誰もが本当に注目したのは、上原が2011年のポストシーズンの3試合で苦しんだということだった。それはおおむね1試合のことだ。2011年の地区シリーズ、タンパベイ(レイズ)との一戦で、上原は7対3でリードする7回に登板。すぐさまデズモンド・ジェニングスに四球を与えると、B.J.アップトンにライナー性の安打を打たれ、エバン・ロンゴリアに本塁打を打たれた。そして降板させられた。
上原はまた、デトロイト(タイガース)とのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおける、次の二度の出番でも失点を許した。しかし私は、それが酸っぱい後味を残した初めての出番だったのではないかと思う。上原はそれまで、アメリカの野球ファンたちの心に、何一つ印象を残してこなかった。無地のスレート(屋根葺き用の石板)のようなものだったのである。ロンゴリアの惨事のあと、誰もが皆、上原に(悪い)印象を持った。翌年、上原はボルチモア(オリオールズ)とのワイルドカード決定戦に、レンジャーズがすでに3対1で負けている状況で登板。トレード相手のクリス・デービスを三振に仕留めた。アダム・ジョーンズも三振に仕留めた。マット・ウィータースも三振に仕留めた。だが、それは大事な局面ではなかったし、ロンゴリアの記憶を消し去るのに十分ではなかった。
レッドソックスは、425万ドル(約4億2500万円)という以前と同じくらい少額の契約で、上原と1年契約を結んだ(とはいえ、今では2年契約になっている。付与オプションが有効になったからだ。ボストンにとって大変嬉しいことだろう)。上原はクローザーではなく、セットアップマンでもなく、セットアップマンのためのセットアップですらなく、単なるチームの6イニングの選択肢になろうとしていた。レッドソックスの本来のクローザーは剛速球投手のジョエル・ハンラハンであった。ハンラハンは9試合で肘を破裂させ、トミー・ジョン手術を受けた。
そこで全員1つずつ繰り上がった。つまり、今やアンドリュー・ベイリーがクローザーになったということだ。ベイリーはアスレチックスのクローザーとして2009年に新人王を獲得し、翌年もまた周囲を圧倒していたが、その後はあらゆる怪我と辛苦を経験していた。ベイリーはレッドソックスのクローザーを3カ月弱つとめ――そして肩を故障した。6月26日、レッドソックスは上原をクローザーに指名した。
ではここで、上原の残りのシーズン(クローザー指名後)の成績をご紹介していこうと思う。拍手喝采は紹介が終わるまでお待ちいただきたい。
投球回:44 1/3
被安打:14
ふざけてるよな:分かるよ。
失点:3
被本塁打:1
三振:59
与四球:2
待った、今すぐ止めろ:2四球。よく見ろ。
被打率:.094
被長打率:.152
早く言えよ:ちゃんと頼め。
WHIP:0.358
紳士淑女の皆様、ご来場ありがとう。気をつけてお帰りください。
どうやって? OK、これはたった44回1/3でサンプルとして少なすぎるし、クローザーは1試合でたった1イニングしか投げないし……、どうやって?? 上原浩治は剛速球を投げない。Pitch f/xは上原の速球が平均で89.2マイル(143.6キロ)だと示しており、これは彼が日本から来たときとだいたい同じままだ。上原のマネーピッチ(決め球)、スプリットフィンガー・ファーストボールは約81マイル(130.4キロ)。102マイル(164.1キロ)の速球の世界で、一体どうすれば上原は対戦相手に出塁するのが無理だと証明できたのだろうか?
もちろん、コントロールの話から口火を切ることができるだろう。これはマリアノ・リベラの栄光の輝きの中で、常に最も過小評価されてきた部分の1つである――そう、リベラは対戦したみんなのバットをへし折ってきたし、同じ球を繰り返し繰り返し投げ続けてきたが、四球で自滅することはまずあり得なかった。リベラの最高のシーズンはおそらく2008年だ。彼は70回2/3で6人の打者にしか四球を出さなかった。
上原は、大リーグでのキャリアを通じて常に、気が狂うほどコントロールが良かった。2012年のレンジャーズでは、わずか36イニングしか投げなかったが、四球を出したのはたった3人だ。我々は、キンブレルの代名詞である剛速球を投げるようなクローザーと恋に落ちている(訳注:ここら辺自信なし)。しかし、剛速球を投げない代わりに、ピンポイントコントロールと多くの惑わし(投球術)で成功した名クローザーたちは、これまでにも多数――デニス・エカーズリーを筆頭とするが、偉大なるダン・クイゼンベリーとダグ・ジョーンズも含まれる――存在した。上原も明確にそれらを備えている。
2つめはこれだ:上原の投球――特に、ツーシーム・ファーストボールとスプリッター――が非常に鋭く動き、メジャーリーグの打者たちはしばしば当てるのに失敗しているということ。それがストライクゾーン内であったとしても。これは重大だ。大リーグの打者はストライクゾーン内のボールにバットを振るとき、一般に大成功を収めるものである。今年、打者がストライクゾーン内でスイングした上原のボールは、31.1%が空振りだった。これはいうまでもなく球界で最高のパーセンテージだ。
ストライクゾーン内のボールで打者を空振りさせた投手のトップ5は:
2. エルネスト・フリエリ, 26.9%
3. アロルディス・チャップマン, 25.6%
さて、同じトップ5の速球の平均急速は:
ああ、そうだ。君にも違いが分かるだろう。彼らは打者のバットを吹き飛ばす。上原は打者のバットの上下を通り抜けるのだ。上原には、大きく違う方向に動く2つの球種がある。ツーシーム・ファーストボールは右打者に向かって突っ込んでくるかのように見えるし、左打者を引き剥がす――リベラの代名詞カッターの逆バージョンのようなものだ。そして、スプリットフィンガー・ファーストボールはチェンジアップのように機能する傾向がある(速球より8マイル遅い。これは理想的な差に近い)上、遅くになって急降下する。打者の観点からすると、これは見たところ(飛び回る)スズメバチと、地中から現れるゾンビの手に、攻撃されるかすら定かではないまま、草原に踏み入れるようなものらしい。打者はどこを見ればいいのか分からないのだ。
全力の上原を前にしては、今や逃げ場などどこにも存在しないのだ。
特に、上原は今38歳で、レッドソックスは上原をクローザーとする前に2人の男たちを試していたということを考慮すると、これは極めて異例な才能の行列である。ここまでのポストシーズンで上原は7試合に登板し、そのうちの1試合でタンパベイのホセ・ロバトンにサヨナラホームランを許した。ほかには、落ち着く前にタイガースの2人から安打を打たれたが、失点は許さずにイニングを終わらせた。木曜日、上原は1回2/3をパーフェクトに抑えた。
全体として、このポストシーズン、上原は8イニングを投げて安打を4本で抑えた。WHIPは0.500。ここまで、一人の打者にも四球を出していない。
どっちの言い分もわかる気はする。
発注側はどんなものができるか製品がわからないのに製品代を出したくない。
受注側は製品を設計する事は片手間でなく本業のうちだから設計の代金が欲しい。
すれちがう原因はお互いにあって、
発注側は大量生産品や「設計済み」の受注生産品を買う認識でいること。つまり設計の労力を過小に見積もっている。
受注側は相手がシステム開発の発注について熟知してることを前提にしていること。つまり設計の手間が工業製品とはまるで違い、設計が仕事のメインだと顧客に認識させずに話をすすめている。
これが原因だ。
要望を満たすために「顧客が事細かく話した内容をシステムに落とし込んだらどうなるのか、どんな画面でどんな印刷物がでて、顧客ごとのの入金の流れとか、その他諸々がどんなふうになるのか」を考えることがシステム開発のメインとなる作業だ。
この工程は工業製品や建築のようにあらかじめ開発したユニットをくっつけるだけではうまくいかない。
建築では界壁の構造や窓、屋根など、大きな単位ですでに設計されている。どう作られるのか、どの材料を使うのか、どんな施行をするのかが決まっている。だからおおまかな間取りで全体の材料や工程が出せるのだ。やるのは細かい調整のみ。
だが、システム開発は、建築でいうなら木材の種類やネジの長さが決まっている程度の細かい部分しかあらかじめ用意されていない。その程度しか共通設計として使えないくらい案件ごとに設計が大きく変わる。だから手間がかかる。
それぞれが自分の認識で相手を見ているから相手の言い分がとても奇妙にみえ、悪いのは相手だと思うようになってしまう。ということかもしれない。
二日酔いにより目覚めは最悪。
隣のテントで寝泊まりする人々と軽く会話するも、気分悪すぎてどうにも調子が出ない。
前日多大なる迷惑をかけた方々とYo La Tengoにて待ち合わせをしていたため、けだるい体に鞭を打ち、なんとかグリーンステージへ。
3ピースながら曲ごとにパートチェンジを行うという器用さを見せつけていた。
そして極めつけはこれぞ90's USオルタナ!って感じのノイズギター。
しかしながら全体的に音量不足で、折角のノイズギターが後ろまで届いていなかった。
普通のアメリカ人が、まるで灰野敬二かのようにノイズギターを弾きまくる姿は面白かった。
今年一月に「ガンとはもう闘病しないことにしました!おそらく最後の来日!」と称して南青山レッドシューズにて行ったライブは記憶に新しいが(行けなくて口惜しい思いをした)、なんとフジロックでは二回もステージに立っているではないか!!
前日深夜にはクリスタルパレスでもライブを行なっていたが、入場制限&長蛇の列で諦めた。
満を持して迎えたグリーンステージでのライブだったが、期待通り演奏されたのは全てドクター・フィールグッドの曲!
演奏内容も、ウィルコ・ジョンソンが歌っているだけで他は昔と変わらず。
ギターソロではキチガイ風ダンスをし、ライブはJohnny B. Goodeで終わるところまで、私が普段聞いている37年前に録音されたライブ盤とほとんど変わらず。
ライブ中盤では、女に見立てたギターを抱きしめ語りかけた後に腰を振り始めるなど、元気すぎる一面すら見せていた。
・Jazzanova feat. Paul Randolph
実はJazzanovaを見るのは本年二回目であり、前回はチケット3500円のフェスにてDJの横でPaul Randolphが歌うだけというクソみたいなライブであった。
今回はちゃんと管楽器も含めた10人編成であり、迫力の生演奏。
安定感抜群のJazzanovaの演奏がなかったら憂鬱すぎてどうにもならないほどの豪雨もなんとか精神的にはしのげた。
そして、改めて日本のバンドに足りないのは電子ドラムのパッドだなぁと痛感。
もちろん、テクノロジーによって表面的な個性を演出するのは本質的でないが、Jazzanovaの様にフィジカルなプレイとテクノロジーを共存させているバンドを見る度に電子ドラムや管楽器へのエフェクター使いなども選択肢として考えるべきだと感じる。
・Toro Y Moi
今年のフジロックで一番期待していたし、期待を裏切らないベストアクトだった。
直前に見たJazzanovaと同様にフィジカルなプレイとテクノロジーを完璧なバランスで共存させているバンド。
予習としてライブ映像を見た時から上述のバランス感は素晴らしいと思っていたが、生で見ると改めてその完璧さに惚れ惚れとしてしまった。
編成はToro Y Moi本人がボーカルキーボード、そしてギター・ベース・ドラムという四人組であった。
そう、編成だけ見ると通常のロックバンドとなんら変わらないのである。
しかし、この4人によって生み出されるサウンドは現代版にアップデートされたディスコサウンドであり、編成からは想像もつかないものだ。
どのようにしてそれが達成されてるか考えてみると、ギターの役割が象徴的であったように思える。
というのも、通常のロックバンドにおいてギターはリズム(バッキング)ギターもしくはリードギターと呼ばれることが多いが、Toro Y Moiにおけるギターはその両者とも言い難い役割を果たしていた。
つまり、通常のロックバンドにおいて固定化されている、パートごとの役割が解体されてつつあるのだ。
それはまるで「ジャコ・パストリアスはバンドにおけるベースの立ち位置を変えた」といわれるように、ロックバンドの様式をアップデートするものだ。
いやー、Toro Y Moiまじですごいよ。
Toro Y Moiはチャズ・バンディックによるソロプロジェクトなわけだから、バンドはワンマン化してもおかしくないはずが、ライブでは個々人のプレイアビリティが絶妙に生かされていた。
この点において後述するThe XXとは対照的。
The XXはバンドの形式をとっているにも関わらず完全にJamie XXのワンマン化していた。
ワンマン化というのはつまり、他のメンバーは言われたとおり楽器が弾ける人なら誰でも代替可能ということ。
実際は曲作りの段階であったり人間関係の上で代替可能なんてことはありえないのだが、ライブ演奏においてはワンマン化していた。
さらに言えば、フィジカルなプレイとテクノロジーのバランスという意味でも、The XXはテクノロジー寄りで、ステージに立っている人間は割と置物寄りと言わざるを得ない。
そんな感じで最高だったToro Y Moi、唯一ケチを付けるとしたら演奏が予定より13分も早く終わってしまったこと。。。
やはり、PCで作成した曲をバンドアレンジしているため、持ち曲が少ないのだろうか。
そういえば余談だが、Toro Y Moiのルックスは若かりし頃アフロだった釣瓶にそっくりであるということに気づいてしまった。
個人的にはツボな発見だったのだが、どうやらこの話はウケが悪いようなのでここまでにしておく。
とりあえずEasyという曲が完全に小西康陽サウンドだったのと、Heartbeatの時だけ盛り上がりが尋常じゃなくその他新曲中心の演奏はウケが悪気味だったのは覚えている。
あと、レッドマーキーは屋根があり、音が篭っているためしゃがんでしまうと上ものが全く聞こえなくなってしまうことに気づいた。
恐らくTAHITI 80はボーカルの声も高いし、上ものたちがバンドの個性を演出しているから気づいたんだろう。
まぁHeartbeatはよかったよ。
文句をつけるとすれば、カッティングギターの音作りが悪かった。弾くのが下手くそなのと相まって、16分のカッティングが全然気持よく感じられない。
・Vampire Weekend
ライブ音源を聞いて知ってたけど、A-PunkはCD音源よりもテンポが遅く踊るにはちょいと物足りない感じ。
CDでは1stのヌケ感がだんだんなくなって壮大な曲作りになってしまい残念だなーとか思っていたが、いざライブで聴いてみると初期の曲ですら壮大に感じられ、「なるほど、もともとこういうバンドだったのか」と思わされた。
Vampire Weekendでも上述のバランス感は感じられたが、Vampire Weekendは従来のバンドであり、やはりゼロ年代のバンドという感じ。HURTSもTAHITI 80もそう。
そういう意味ではJames Blakeとかもやっぱり10年代を感じさせる。
・LETTUCE
大学の先輩と合流し、The XXまでのつなぎとして一応見る。
ジャズファンクとかあんあり好きじゃないんすよねーとか言いつつ見ていたが、思いの外よい、というかよさがわかった。
あの手のものは工芸であって美術じゃないだよなーみたいな風に思っていたのだが、ギタリストは芸達者で素晴らしかった。
でもやっぱり管楽器とかはどれも同じに聞こえてしまう。それは単に自分がやってるかやってないかの違いかもしれないが、Jazzanovaみたいにエフェクトかけてみたりすりゃいいのにーとか少し思ってしまう。
とはいえ全体的に楽しく、アパッチを演奏し始めた時にThe XXへと移動したのだが、なかなかに後ろ髪を引かれてしまった。
・The XX
上述したが、Jamie XXのワンマン感がすごかった。
どういうことかというと、フロントでは女性ギタリストと男性ベーシストが共にボーカルをとっているのだが、それぞれ楽器の演奏はしていたりしていなかったりという感じ。
対照的に後ろにはMPCが二台、電子ドラムパッドが4つ、シンバル、スネア、極めつけにはスティール・パンが並んでおり、これら全てを演奏していたのがJamie XXだ。
バンドの世界観をショウとして演出するという面では完璧だった。
全員恐らくKOMAKINOの服を着て、ステージは照明を落とし、白いフラッシュとレーザーが空間を埋める。
すごかったのは、レーザーを反射させてステージ全体に広がるスモークの中に巨大なXを描く演出。
そういえばホワイトステージにおいても聞く位置によるサウンドに良し悪しは顕著で、ちゃんとした音で聞こうと思ったら人混みをかき分けてセンターのPA前くらいまではいかないとダメだなと思った。
最初は左サイド後ろで聞いてたが、これではモノラルイヤホンで聴いているようなものだ。
まぁ屋外フェスで音がどうこうとかうるせーよって話だが。
なんとアンコールを40分もやって日付が変わっても演奏し続けていたそうで。
The XXが終わってから戻ってきてもゆうに30分以上見られましたし、ちゃんとBoys don't cryも聞けた。
個人的にはメンバーのルックスが気になってたのだが、白髪をワックスで固め昔と変わらぬ化粧を施したボーカルの姿はそれだけで泣けるレベルであった。
演奏に関しては、CD音源をハイエンド・オーディオで聴いているかのような解像度で驚いた。
各楽器の音が完璧に分離しててすっげーと思いながら踊っていた。
・GOMA and The Jungle Rhythm Section
ディジュリドゥ奏者GOMA、ドラム、ジャンベとコンガ、その他パーカスみたいな4人編成。
ディジュリドゥは普通にすごいんだけど(循環呼吸が必要で、音出せるだけでちょっとすごいらしい)、ずーーーっとアフリカンなパーカスたっぷり4つ打ちで若干退屈であった。
しかしこれまたしゃがむとディジュリドゥとキックしか聞こえないというw
部分的に聞けばめちゃくちゃ踊れるし最高なんだが。
そういえばGOMAさんは未だ高次脳機能障害のリハビリ中であり、MCはカンペを見ながらだった。
GOMAさんが音楽の力を信じて病と戦うというか克服していく様はドキュメンタリー映画にもなってるし、インタビューとかで読んでも普通に感動できる。
・Jamie XX(DJ)
The XXの曲もかけつつアフロビートとか80'sディスコとかまでかけて見識の広さとセンスの良さを見せびらかすかのようなDJ。
こいつあってのThe XXだよなーと感じさせる。
・石野卓球
富士山とかかけるのかと思ったら、おふざけ要素一切なくガチテクノをストイックにかけ続けるDJスタイルだったので途中で退場。
僕のフジロックはここで終わりました。
途中でCan you dance tonight?という声ネタを何度も挟んでいたが、もう既に朝だったw
俺よくここまで頑張ったよ…と思いつつテントに帰る。
前日は空が白むのを見てから寝たにも関わらず、暑さゆえに8時過ぎ起床。
テントサイトにて、フジロック初回から参加し続ける猛者たちと杯を交わす。
潰れる一歩寸前まで日本酒を飲み、大声で歌いながらライブ会場へ。
・青葉市子
前野健太とソープランダーズを見逃し、フジロック2日目は森の中の青葉市子からスタート。
会場は、青葉市子に似つかわしく、森の中にぽつんとある一番小さなステージ。狭いながらも超満員。
心地良い演奏にうとうととしてしまい、椅子から転げ落ちそうになったため次のライブに移動。
青葉市子の弾き語りは2週間前に下北沢音楽祭で見たし、前日の深夜にもピラミッドガーデンにて見ていたので特に感想はなし。
なんか日本のバンドっぽくない印象。逆輸入アーティストだからまぁそりゃそうなんだけど。
日本のバンドは演奏が上手く、サウンドメイキングにより強烈な個性を出すのは苦手、
そして海外のバンドはサウンドメイキングにより表面的な個性を打ち出すのが上手く演奏は下手くそ
というイメージを勝手にもっているのだが、トクマルシューゴは後者に該当した。
演奏は下手くそというとさすがに言い過ぎだが、難しいギターのフレーズはCD音源のほうが綺麗に弾けてるし、バンドのアンサンブルもなんとなくだけどそこまで息がピッタリという雰囲気でもなかった。
前日にギターの達人たちを見たからハードルが上がってたのかな?
しかしおもちゃ箱を開けたようなサウンドはライブでも健在であり、楽しいライブであることは間違いなかった。
そういえばドラムの人が目測で身長190以上あって存在感半端無かった。
・SUZANNE VEGA
本当はオレンジコートでVERY BE CAREFULというクンビアバンドを見たかったが、豪雨により断念。
フィールド・オブ・ヘブンのTシャツ屋でなんと2時間近く雨宿りをして意地でSUZANNE VEGAを見る。
何度テントに帰りたいと思ったことか。まぁこの時テントは雨漏りしまくっていたわけだが。
しかし演奏は素晴らしかった。フジロック三日間を通してのベストソングは間違いなくSUZANNE VEGAのLUKAだろう。
LUKAのリリースからは既に26年が経過しており、声の変化が心配だったが、そんなのは杞憂に過ぎなかった。
バンド編成はなんとアコギを抱えたSUZANNE VEGAとエレキギターのおじさんのみ。
エレキギターのおじさんはルーパーを巧みに操り1人でドラムとベースとリズム&リードギターをこなしていた。
最初は「おいおい手抜きかよ」と思ったが、今思えば逆にそれが功を奏していたといえる。
このシンプルな構成により、LUKAに限らずSUZANNE VEGAの声が前景化して、より感動的に仕上がっていた。
リバーブが思いっきりかかったおじさんのギターソロも際立っていた。
豪雨によりずぶ濡れになった服を着替え、少し遅れてレッドマーキーへ。
ボーカルはスーツに黒い革手袋!真紅の帳に舞い降りた漆黒の歌い手!
いやー、モニターに足をかけて客席を指差すとかもう完全にV系です、ありがとうございました。
This song is called〜〜って演奏前にいう感じもなんか外国語ながら中二感を感じざるを得ないw
遅れて行ったからか、Wonderful Lifeが聞けなかった。
・KENDRICK LAMAR
ビョークはあんまりわからないし、死ぬほど混んでいたのでさらにわからないKENDRICK LAMARへ。
なんと10列目でラーメンが食べられるほど空いておりましたが、ライブ自体はとてもよかった。
まずDJセットではなくバンドセットで、B-BOYたちがバンドをやっている姿はなんともシュールだったw
そして、今風なアンビエント的R&Bみたいなのを生で初めて聞いたのだが、あの手のものは音圧が半端無いんだということを知った。
Frank OceanとかJames Blakeとかも生で聞いたら恐らく音の風が吹いてくるみたいな感じなんだろう。
KENDRICK LAMARはとにかくアンダーグラウンドのワルみたいな雰囲気で、なぜか雨もやんでいてステージには屋根があるにも関わらず300円のビニールレインコートを着ていたw
スヌープドッグがシャンプーハットをファッションとして着ていたりするが、これもそういうことなのだろうか…
フジロックベストアクト、エンターテイメント部門はJURASSIC 5に決まりでしょう。
途中でタイコクラブで知り合った人に遭遇したり、後ろの人に声をかけられたりとテンション上がりすぎて、いつの間にか持っていたジン300mlをライブ中に飲み干していた…
ライブはショウとして完成されており、DJの二人によるショルダーCDJ(!?)とショルダーサンプラーでのライブが挟まれるなど、90分間片時も飽きさせないライブだった。
そして脱退したと思っていたカット・ケミストが生で見られたのもなかなかに感動的。
前日のDJシャドウは深夜につき断念したが、カット・ケミストのターンテーブルさばきはしっかりと目に焼き付けた…と言いたいところだが、酩酊状態につきそこまで覚えていないw
DJももちろんすごかったが、前に立つ4MCもKICK THE CAN CREWのように、それぞれキャラ分けがしっかりとなされており、コミカルなボディランゲージと共に最高のフロウを聞かせてくれた。
全てがノンストップにミックスされたライブだったので曲単位でこれがよかった!とかはあまり感じなかったが、BreakのサビやI am sombodyのコールアンドレスポンスは酩酊状態だったにも関わらず鮮明に記憶している。
全体的にショウとしての完成度で言えば直前のKENDRICK LAMARを大きく上回っていたな、まぁ比較してもしょうがないが。
この後はJURASSIC 5で声をかけてきた人とそのお友達(みなさん私よりも10歳以上年上…)に二時間以上も絡み続けて、千鳥足でテントに向かいましたとさ。
朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。
・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra
池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本・甲本ヒロト・大江慎也(ルースターズのボーカル)がゲストとして登場。
グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド。
甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。
社長はいつも通りガウンを羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。
バンド内で社長の役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスのエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。
クラブ・ジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanovaと比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。
だからといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブ・ジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。
トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。
・怒髪天
普通のロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。
別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。
ちなみに、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。
みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。
モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。
今でしょ!と思い人生初ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。
今回二番目に楽しみにしてたバンド。
ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコートに涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…
CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい。
折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。
Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果でしかない。
2月に来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。
Twitterで小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。
音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。
しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。
ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギターも一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。
Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。
最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。
後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達の目的はCharaではなくテントの屋根。
静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。
しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。
Charaの声は生で聴くと尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。
もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。
「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらにノイズ成分を増していて、音程とかいう世界をもはや超越していた。。。
これは是非ライブで聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI
先日見た初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造。
このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル。
印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライング・ロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションなアジテーターだったことw
無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。
・Char
迷うことなく1日目のベストアクト。
ライブはなんとノープラン。Charが友人ギタリスト及びフジロックで出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。
ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。
Charはそれぞれのゲストとギターで会話。必要な言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。
ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。
奥田民生のソロの後にCharが「おっ、ギターも広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。
フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charはブルースギタリスト。
ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。
Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。
ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。
そして、Charはゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。
「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスをはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。
最後はWarの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏。
我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱。
裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。
佐藤タイジと奥田民生はハードロック、鈴木賢司はエレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharはブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。
Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。
ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。
どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。
まずは勝井祐二×U-zhaanの即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。
多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。
青葉市子はポンチョにサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。
青葉市子は弾き語りの音源とライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンとタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。
最後はその日が命日であったrei harakamiとU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二、U-zhaan、青葉市子の三人で演奏。
大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。
といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルなユーモアあふれるものだった。
後からYouTubeで原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。
しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらにやばい。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o
勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。
変猫が綺麗な最終回を迎えて、押し倒されてM字開脚を披露した月子を穴が飽くまで脳内に焼き付けた増田だが、
主人公の『思い出を誰かに渡す』願いに、正直モヤモヤが晴れない。
月子の感情と同じように、変態王子は一生記憶が思い出に変わるたびに、必要とする誰かに渡し続けることを選んだらしいが、
そこまできたら願いではなくて呪いだろうと思った。
そして、そのことを選択した紳士に、個人的にイラつきを覚えずにはいられなかった。
思い出がない人間は生きていけない。
私にとって、ノスタルジーとは現況を上手に覆い隠し、遠くの記憶をぼんやりと明るく照らしてくれる濃霧だ。
不甲斐ない今に蓋をするために、昔を引き合いに出すこと。これほど簡単に自己肯定に繋がり、現実逃避ができる手段は他にない。
『昔は良かった。』
そう、呟くだけでこの暑苦しい六畳一間がサザエさんと家族の声が響いてたあのリビングに変わるのだ。
それをこの変態王子はずっと否定するのか。常に現実アッパーで過去なんていらないというのか。
前回の話も地味に痛かった。選挙ポスターで『平成十五年』の年号を確認するところ。
え、嘘、計算間違ってるんじゃね?と思った。狼狽えた。十五年だよ、十五年、西暦に直しても2003年、全く古い気がしなかった。
満年齢=年号なので、ノスタルジーを利用するためには年号を辿れば良かった。
一桁代が私の幼少の頃だから。あーでも、他の世代ってどうなのだろう。
昭和って聞けば、セピア色になるし、二十世紀と聞けば、古き良きという枕詞が勝手につくのだけど、
これからの子って平成の時代が続く限り、ノスタルジーはそこに見出せない。
ノスタルジーを見いだす手段って他にあったっけ。考えてみた。
ノスタルジーを見いだすには、適度な時間を置くことと、分かりやすい変化があればいい。
例えば、自分がかつて住んでいた家の近くの近況とか。
先日、職場で一緒になった人が、昔の家の近所に暮らしていることを知り、
三角屋根が目印の本屋の話題が出た。ハローマックみたいな形の。
幼少の見切りでは、二階の児童向け文学を読んでいてダダをこねたら親に置き去りにされた場所でもあり、
初めてラノベを手に取り、エロゲの画集を買ったお店でもあるそこは何も変哲もない牛丼屋に変わっていたことを知る。
建物ごと変わり、当時を残すものは残ってないよという話だった。。。GoogleMapのストリートビューにも果たして残っていなかった。
『そうなんですね、ショック。。』そんな当たり障りのない反応を返しつつ、内心安堵もしてた。