子供の頃、父と祖母が食卓で毎日喧嘩していた。祖父と祖母もよく喧嘩をしていた。
僕にどちらが正しいのか聞くこともあった。喧嘩することは良くないことで、どちらも正しいように思えるのは観察が足りないに違いないと思った。
よく観察し、どちらも少しでも気持ちよく過ごせるような答えを返すように努めた。
祖母は、母に猜疑心を持っていた。母が何かモノを隠したのではないかとよく母に言っていた。
母は、もう出て行った方が幸せなのではないか、僕に相談した。僕には一緒に居た方が良いのか、離れた方がいいのかよく分からなかった。どちらも大事だと思ったから、あるいは単に住処が変わるのがイヤだからか、出て行くのはイヤだと言った。
祖母に罵られて言い返したら、後から母に殴られた。後から私が色々言われるでしょう、と。
それから、何を言われても、じっと堪えて言い返さないようにした。
祖父の葬式で、祖母がしょぼくれていた理由が分からなかった。祖母は、本当は優しい人なのかと思った。
数年後、また元に戻っていた。
高校の頃、高校生活でがんばり続けるのに疲れたと母に言った。初めての心の面での相談。
分かったと言った翌日、がんばりが足りないと言われ、倒れた。
2週間ほど寝続けた。母は部屋に来ては、がんばれがんばれ、と言い続けていた。
もう相談することは止めようと想った。心を蹂躙されることだけは避けなければ。
激しく恨んだ時期もあったけれど、近頃はただ単に合わない人達が屋根の下に居ただけ、運が悪かっただけ、と思う。
また、私も含め、各々が各々に対して、気持ちを伝え分かってもらう努力をしなかったのだ、とも。
第三者は、自分が何を考えているかを正しく推定し、それに合わせて適切な働きかけをしてきてくれるに違いない、と互いに思い違いをし続けていたのだと。そして、運悪く、その思い違いを指摘してくれる人が居ない環境に居たのだと。
生家とのつながりを絶って7年ほど、ようやくここまでこれたのかと、そう思います。
第三者に気持ちがあることや、彼ら・彼女らに分かってもらうためには努力をする必要があると言うことを、今でもよく失念します。
生家とどう関わっていったら良いのかは、まだ棚上げしてます。
棚上げしているうちに、父母が天に召されてしまうのではないかと思うこともありますが、新幹線などで家の近くを通るときに恐怖で震えることもたまにあります。