はてなキーワード: 小中学生とは
Oh yeah!、10年経っていません。
酔って溜めてた少クラを見返してたら聞き慣れた音楽が聞こえて泣いて急にはてなアカウントを、つくった女の話です。
アカウント登録がうまく行かなくて何回も消火栓や自動車の写真を選択したし、いつも使ってたパスワードはミスタイプしてたせいでログイン出来なくてパスワード設定しなおした、上で酔ってこれをかいてる
ことのはじまりは5月の1週だか2週目だかの少クラを消化してたら最後の最後でハイハイがoh yeahを歌い出した。bgmの入りで感きまって泣いた。
多分酒が入ってなかったら泣いてない。
私は嵐のオタクではない。ジャニのチャンネルのバランスはラノベ並みにバランス良いなと感じながらもメンバー揃ったあたりから見てないレベルのあるある茶の間嵐オタクだ。
あるある茶の間オタクなので嵐のことはよく分からんけど周りが気になる10代だったのでMステを毎週チェックしてた影響でLove so sweetは擦り切れるくらい聞いていた。当時の貧乏小中学生の精一杯は当時リリースされた嵐のニューアルバムTimeをレンタルしてソニックステージ(時代)に取り込むことだった。
初めてCDをレンタルして親のPCに取り込んでCDに焼いてコンボボックスで再生という経験を経て、当時の私は勉強中にTimeをひたすら流していた。シャッフルという知識を知らなかったので毎回馬鹿正直に1トラック目から再生していたので、目当てでレンタルしたLove so sweetよりもoh yeahを聞いていた。
嵐がサブスクしたおかげで今これを書きながらサブスクのTimeを垂れ流しながら聴いてる。(当時のデータはソニックステージに取り残されている)今となってはアルバムを取り込んでもシャッフルで再生してしまうのだが、あらためてTimeを垂れ流していると、曲と曲の繋がりが(勝手に)印象付いているんだなと感じた。Timeなら曲順明かされなくても1人メドレーできると思う。曲が進むたびに10数年前を思い出して泣いてる。
最初自分より10も下のアイドルを応援するようになって歳を取ったことを実感したり、今は名前が売れている人々は自分の推しの年齢の時点で既にデビューしていると知って衝撃を受けたり、自分は若い方だと思っていたけど確実に歳を取っていると感じることが多くなった。あれだけ夢中になって何度も繰り返し再生したTimeももう15年前の作品になろうとしている。youtubeやsnsが発達した今このような経験をする若者はいないのだろうなと思う。でも私が嵐のファンではないのに嵐の曲を聞いて涙を流してるように、私の推しが誰かの思い出として涙を流すような存在になるのならアイドルオタク冥利に尽きるなと思う。
自分が古いオタクなんだろうなと思った。今はビジュアルだカメラパフォーマンスだと言われるが私はやっぱりアイドルがあって、アイドルがあって、アルバムがすきだ。
正直15年近く経ってTimeのコンセプトは今アイドルオタクになった今よくわからない、あまりすきではない曲もある、が、アルバムを通して聴くと愛おしくて思い出深い曲だとかんじる。
物語の基本が「かけているもの」が最後に「満たされて終わる」ものだとしたら、そのお手本の一つがアイシールド21だといえると思う。
アイシールド21ってたくさんの試合を乗り越えながら丁寧に丁寧にアメフト部の部員全員のコンプレックスや弱点を克服したり、強みに変えたりしてたんよね。他の「より強い技を覚えていくゲーム」になりがちなジャンプ系のスポコンものとは一線を画す「物語としての強さがある」ことは高く評価できると思う。
他の名作スポコン漫画とか見ててもちょいちょい「なんかおるやつ」みたいなのが混ざってたりするけど、アイシールドは部員全員がアメフトを通じてきちんと人間的にも成長していく様が描かれていて非常に良い。
おそらく試合展開から逆算してキャラクターを作ってる部分もあると思う。こういう展開の試合、こういう展開の試合、こういう展開の試合。この試合にはこういうキャラの能力が必要で、この時点ではこのキャラは覚醒していない予定なのでこの展開は難しい等々等々。
最初から最後まで計算づくで作られている。これを連載作品できっちりやり切ったのは本当にすごい。
誰もが主役、とまではいわなくてもそれぞれがそれぞれの個性を生かして、自分でできることを精一杯やりこなして勝利をつかむ。チームプレイってものに対して誠実に作られているのもとてもよい。
がり勉の運動未経験で最後までほぼウンチだった雪光学が、選択したルートをひたすら間違いなく走ってパスをキャッチする、その一点で最強チームから得点をとるのはめちゃくちゃ熱かった。しかもこの「選択したルートをひたすら間違いなく走り続ける」ってのは「親に言われた通り成功へのルート(お勉強)をひたすら走り続けた雪光の小中学生時代」にきちんと対応している。う、美しい。
「なんでもこなしちゃう天才」が、自分が天才でないことを認めて「チームのためならなんでもやれる男」にクラスアップする展開もアツい。しかも、最後まで能力値としては中途半端な器用貧乏のままなのよね。
ほとんどの人はもう読んでると思うので今更言うことでもないとは思うんだけど、もしまだ読んでない人がいるならちょっと読んでみてほしい。最初から最後までセブンのサンドイッチばりに具材たっぷりで面白いから。
ワールドカップ編?
知らない子ですね……
専用のTwitterアカウントもあった。名前は本名じゃなかったけど、アイコンが顔写真でプロフィールに学年と年齢を載せていた。
アイドルへの意気込みと頑張ってメイクとヘアアレンジをして加工した自撮りを載せた固定ツイートにはいいねもRTも2桁に満たなかった。それに自撮りを上げたり、それっぽいツイートをしていてもいいねが1件付くか付かないか。
妹にお古のケータイをあげて、インターネットに触りだした頃から私や母は個人情報を上げるなという話は散々してやった、怖いことがあるからとか、こういう危険があるからとか、なんなら学校でも年に何回かそういう特別教室はあるのに、今回の妹の行動にはただただ呆れる。
アイドルになりたいという夢が本気なら頑張ればいいと思う。歌を歌うためにお風呂でボイトレすればいいと思う。ダンスを踊るために毎朝走って体力付ければいいと思う。でも今の妹を見てると別にそこまで本気でアイドルやりたいという熱意を感じない。妹は好きな物や熱い物がかなりのスパンで切り替わる。女優になりたいと言っていたら次は水族館の飼育員、そして今はアイドル。ココ最近は知名度そこそこ地下アイドルにハマっていて、オンラインのライブを見たりグッズを代行してもらったりしていた。
妹のアイドルへの憧れみたいな、今回応募したキッカケなんて多分深い理由とかは全然無いと思う。ただ今は地下アイドル熱くてで可愛い服着たいだとかヘアアレンジ褒めてもらいたいとか、正直熱意を感じない。
アイドルになりたいって本気で思っているなら、自分はともかく母親には話すだろう。話して笑われる事が恥ずかしくて母親にも話してないならインターネットに顔もあげないで欲しい。
今、私は妹を恥に思っている。恥ずかしい。自分の妹がアイドルになりたいです!って顔と学年と年齢を晒して、自撮りを上げていいねを稼いでいるのが恥ずかしいんだ。見ていて恥ずかしい。もし本気でアイドルを目指しているなら謝罪する。でも今の妹からは熱意を感じない、本気なんだと一緒に生活してて感じない。コソコソ隠れて自撮りして、動画撮って、見つかったら恥ずかしいって事?なら辞めろ。覚悟足りてないじゃん
小中の義務教育期間中はTwitterInstagramTikTokの危険性を伝える授業をもっとやってほしい。切に願う。
ここに長々と書いたけど妹に直接辞めろとは言わない。多分落ちるから
落ちてもまたチャレンジするならその時はその時だと思う。それに2度目は多分無いと踏んでる。
失敗して覚えて人は成長してくから、今回で妹が良い方向に成長出来ることを祈る。
めちゃくちゃ後悔してるわ!ほんま
この記事。GIGAスクール構想で児童に配ったタブレットが遊びに使われて困ってるという内容で、一見微笑ましくもあるのだけど後半の続きの部分に通信契約はどうなってるんだろうという疑問に思う部分があった。
学校のタブレット「家ではゲーム機」 小中学生配備端末に“抜け道”:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/246312
中日新聞のこの記事では、後半部分に岐阜市の事例が挙げられている。岐阜市は全小中学生に「ネット回線を付け」たタブレット端末を持ち帰りを認めた上で貸与している。YouTubeなどフィルタリング機能で見られなくしているが、岐阜市教委によれば、一部でYouTubeのフィルターを解除しゲーム解説動画を24時間流し続けて月の通信量が100GBを超えたことから児童に聞き取りをし問題が発覚したという。市は通信量1人月5GBを基準にしていてそれを大幅に上回る。市教委は家での通信はWi-Fi接続を推奨していたそうだが家に固定回線を引いてない家庭は少なくないから、そういう家で遊びで使うと一気に通信量超過になってしまう。
一定の通信量超えたら低速にするとかにすると学校の授業に支障が出そうだから、そういう制限はなさそう。かといって完全に使い放題で通信会社と契約してるとは思えない(してるのか?)。超過分は追加チャージとかだったら税金かかることに。
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-478494.html
このニュースのことなんだが、神奈川だったら十分都会だと思うんだがひっどいいじめが発生してるじゃん。
北海道のいじめのニュースだと田舎の陰湿さがどうこうってドヤ顔で言ってたのに、実態はこれかよ。
それか首都圏の大学生は大半が地方出身者だから俺達は関係ないってか?
またそうやって「あいつらだけが特別邪悪だったんだ。自分達には関係ない」って切断処理して、解決した気分になるのか?
ぶっちゃけ田舎と都会でいじめの発生しやすさなんて変わらんだろ。
学校みたいに、外部の目が入りにくい閉鎖的な環境はいじめが起こりやすく深刻化しやすいんだよ。
いじめを初期段階で止めるには外部による監視の目を光らせる必要があって、そういう対策が必要なのは田舎の学校も都会の学校も一緒だ。
いじめ加害者が特別邪悪だったからいじめがエスカレートしていく訳じゃない。
人間は誰しもそういう邪悪な面を持っていて、自制ができなくなればあっという間にエスカレートしていくんだ。
そして外部の目が入らない閉鎖的な環境では人間の自制心は機能しにくくなる。
いじめ被害者にしても閉鎖的な環境では自分に逃げ場などないのだと錯覚しがちだ。
こういう閉鎖的な環境を開放的で風通しの良いものにするには、監視カメラの設置などに頼るだけでなく実際に人が行き来する機会を増やす必要があると思う。
地域住民や卒業生を授業に特別講師として招いたり(すでにやってるところは頻度を増やす)、運動会や文化祭などのイベントを地域を巻き込む形で開催したりして生徒が接触する大人の数を増やす。
場合によっては学校間で生徒を定期的に入れ替えたり、大学の授業に小中学生を参加させてみたりといった大きな範囲でのシャッフルも必要かもしれない。
当たり前だがこういう人の移動や交流を伴う対策は、新型コロナ対策とは非常に相性が悪い。
しかし新型コロナ対策によって閉鎖的な環境が生まれやすくなっている事を鑑みると、こういった対策を並行して行っていく必要があるのだと俺は思う。
今日はなぜショタコンになったのか、ショタのどのような部分に惹かれるかについて話したいと思います。
ちなみに、「ショタコンの女の人っているの?」という疑問をよく耳にしますが、いることにはいます。
しかしそれは極めて少なく、女性のショタコンは「綺麗な顔が好き」の延長線上で少年「も」好き、という方が大半です。(私は違いますがそういった女性がほとんどです。)
そのため、女性ファンの多い少年が、まれに芸能界に存在しますが、ファンのだいたいは美少年愛好家だと思います。
最初にことわっておきますが、この性癖・嗜好を正当化することは絶対にありません。今世間に注視されているLGBT問題と比較する意見も多いようですが、私は全く違う問題だと思っています。
また性癖に関して説明するとき直接的な言葉は避けるようにしています。
・ショタコンになるまで
さかのぼること中学生のころ、異性との接し方が上手かった私は、高校生になることに憧れを抱いていました。きっと高校生になったら、もっと熱狂的な、漫画で読むような恋愛ができると思ったからです。ですがその夢は入学してすぐに消え去りました(笑)。
話すと長くなるので省略しますが、男子にとって女子は美人しか需要がないということに気づいてしまったのです。今となれば、「そんなの当たり前だったな」と思えるのですが、当時16歳の私にとって、その事実はなんとも言えない悲しさがありました(笑)。
2年生になったとき、負けず嫌いがここで発揮され、「じゃあ自分も可愛くなればいい」と思いました。ですが、その夢もまたもや消え去ることになります(笑)。大人数の女子グループに属していたのですが、そのグループは美人が多く、美人ですらないうえにネトウヨ感満載な私は可愛くないほうにカウントされていました。ここまででは「美人じゃない故に男にモテなかった残念な女」で済みますが、後に人生の転機①が訪れます。それはクラスの男子からの地味な嫌がらせです。今となってはこれもグループ内で笑い話になっているのですが、当時17歳の私にとって、この地味な嫌がらせは死にたくなるくらいのストレスでした。「ブスのくせに美人に囲まれて調子乗んな」と言わんばかりの影口やあからさまな行動がとられ始めます。夜中に意味もなく泣く・顔に執着する・同じ空間に居たくないため授業をサボるなど、彼らによって思わぬ弊害をくらうことになります。これを機に私は「男はみんな面食いで冷たい人たちだ」と固定概念を植え付けることになりました。
3年生になってからは、クラスの男子とは必要最低限の会話すらした記憶がなく、「どうせみんな美人にしか興味がないから、私には冷たいんだ」と何度も心で呟いていました。(まあ今でもこれは思いますけどね)
そんな中、人生の転機②が訪れます。現役小学生・中学生と接する機会(いやらしいものではないです)ができました。その時、私は「なんて可愛いんだろう」と思いました。今まで経験したことのない感情でした。同じ「男」なのに、こんなにも違う。人を見た目で判断せず、世間の汚い知識も知らない彼らは天使そのものでした。そこで私は初めて、自分がショタコンになったことに気づきます。
長くなりましたが、これが私がショタコンになるまでのお話です。(続く)
・ショタのどのような部分に惹かれるか
(続き)高校を卒業してから、その感情はヒートアップしていきました。同時期にいろいろあって男性恐怖症を患い始めた私は、完全に少年の虜になっていました。ある日、某芸能人の中学生時代の作品と出会い、母性を超えた感情がうまれました。恋愛感情でもない、特別な感情が生まれました。(察してください)
さて、私がショタに惹かれる部分についてですが、こんなにも純粋な瞳をしていて、可愛くて、綺麗で、美しい、汚いものを何も知らない、それでも男なんだ。そういった部分にとても惹かれます。
永遠に何も知らないままでいてほしいと思いますが、少年というのは残酷なことに成長していくわけです。でも、その儚いところもまた好きなんですよね。
男性のショタコンは声変わりをしたらダメだとか、身体的に発達したらダメだとか、そういう方がほとんどだと思います。ですから広くて中学2年生くらいまでがストライクゾーンの方が多いのかなと。
もちろん声変わりをしたり身長が大きくなると切なくなりますが、私はそういった身体的なものよりも、精神的なものでストライクゾーンが変わります。ですから高校生になるにつれ、次第に対象の男の子(心が綺麗で純粋な子)は減っていきます。ごく稀に、心が綺麗な高校生を見ると、ついついファンになってしまいますが(笑)、ほとんどは小中学生です。
男性のショタコンからしたら、そんなのショタコンじゃないと思われてしまうかもしれませんが、少年に対する愛や執着は間違いなくあります。だから私はショタコンだと自認してます。
また、文中に男性に対して不快にさせる表現があったら申し訳ないです。今は男性恐怖症も治りつつあり、偏見もなくすように心がけているのでそこは目をつむってくれるとありがたいです。
最後に、繰り返すように言いますが、第一として少年を傷つけないように生きています。
この嗜好を正当化するつもりはありません。世間的に嫌悪される嗜好ですし、それを私も分かっています。普段はなるべく視界に入れないように、関わりを持たないようにしています。
ただ、どういった経緯でこうなってしまうのか・どうして少年でなければいけないのか、匿名で誰かに発信できたらなと思い投稿しました。
ブコメ見て皆が何を言ってるかわからず、しかしとにかくひどい言われようで、今はただあれを良い話と思うこの受け取り方が悪なんだと思うことしかできない。
よくわからないが皆の剣幕を見てこれは自分が改めなければいけない感覚なんだと思うし、この感覚を持ったまま生き続けることは無教養なクズであるということを公言するようなものなのだろうと思う。
思えば東日本大震災の時もデマツイートに踊らされてリツイートしてしまったクチだった。あれで怖くなって自分はTwitterをやめるべきだと思ってやめたのだけれど、無道徳と無教養までは直らなかったらしい。
小中学生の頃は自己責任論者だった。それが無教養だと知ったのは、高校生になってはてなにアカウントを登録して、はてブでいろんな人の意見を見て学んだからに他ならない。(言い訳がましいかもしれないけど、自分も含めて高校ではほとんどの人が、成績が悪いのは単なる努力不足以外の何物でもないと思っていたと思う。成績が悪い人間に人権はなく、裕福な人間が多い高校だった)
苦手なものを自虐したら人を泣かせたことがある。その人が自分よりその物事が苦手だったということを後で知ったのだが、そういう可能性があるという思慮が足りなかった。
想像力の問題ですむ話だろうか。自分は平気で人を傷つけるサイコパスなのかもしれない。
それでも沢山学んで昔より少しましになったのだと驕っていた部分があった。
今はブコメを見て皆があの記事をそのように批判する理由を繰り返し読み込むしかない。まだ悪いから悪いというレベルの学習しかできないが、同じ感じ方をいつか身につけられるだろうか。
今まで食べてきた石鹸の中で一番石鹸らしい味のする石鹸なんだけど、残念ながらこれ、石鹸じゃないんだよね。視線を合わせている間は半透明になって触れられないので、わざと視線を逸らしてトースターに乗り込むと、SVOでもSOVでもない言語で脳に直接語りかけてくる。味付け海苔に息を吹きかけると魂が宿って鳥のように空に羽ばたいていくなんて小中学生の頃は本気で信じていたけど、こんだけ裏切られれば人を信じられなくもなりますわな。
最近ね、やっと自分に一番似合う髪型に出会ったんです。それがハンサムショート。横から見たときに目元が隠れて、それが大人っぽくて素敵なヘアスタイル。ショートでありつつ女っぽさも残っていて、人生で一番似合っていると思うし、周囲からも好評で、鏡を見るたびに「素敵だなあ」と思ってる。
それがね、きょう客に、「でか。髪も短いし男と間違われるだろ」って言われて、バキバキと音を立てて崩れていきました。
身長が169cmあります。周囲には167って嘘ついてるけど、本当はあと1cmで170cmに到達してしまうくらいの背です。子供の頃から背の順じゃ一番最後で、今の今まで高身長であったことで何一つ良い思い出が無いから、正直コンプレックス。
たとえば小中学生の頃、女の子のほうが男の子より多い学年だったから、背の順であぶれた私は体育祭のフォークダンスとか男の子のポジションで女の子の相手をしてきました。男子と女子で練習する場所が違ったから、私だけぽつんと男の子の中に入れられて練習して、ダンスをすれば「女の子だ!安心する〜」って相手の子に言われて、その度に地味に傷ついて。男女を意識しだすくらいの年齢でコレするの、だいぶキツいんですよ。「私だってそっちに行きたいのに!」ってずっと思ってました。それからずっとずっと、コンプレックス。毎年こんなのが夏にあったから、運動会も体育祭も大嫌いでした。
そんな身長を持っている私、小さいころから髪型はほぼショートかボブ。ただでさえ背が高いのに、髪なんて伸ばしたら、もっと面積が増える(※追記1)じゃないですか。怖いんです、圧を感じられるのが。「高い」を「でかい」に変えられると、もう心臓潰れそうになるんです。ほんとに。
で、身長があってショートヘアってなると、ちょっと男性っぽくなっちゃうんです、どうしても。女らしさとか男らしさとかがボーダレスになってきたこの時代でも、「高身長、ショートヘア」より「低身長、ロングヘア」のほうがちょっと女性らしさを感じちゃったりするでしょ。それでよりによって私がひとえだから、くりくりおめめの可愛い女の子から程遠いのね。泣けるでしょ。
過去に外見で「男の子かと思った」って言われてメンタルをボコボコにされた経験があるので、少しでも女性らしくと思って頑張ってきました。整体に行って女性らしいラインをキープしたり、カジュアルになりすぎない服装を心がけたり、眠たい朝でもまつげはばっちり伸ばしたり、乱暴な言葉はなるべく言わないようにしたり。ぱっと見たときに「あ、ショートヘアの女性だな」って思ってもらえるように。
そんな中で出会ったのがハンサムショート。女らしさのあるショート。もうね、運命の出会い。ショートヘアが得意な美容師さんに切ってもらって、「めっちゃ似合うじゃん!顔見えないようにブログ載せていい!?」なんて言われて、毎日鏡を見てウキウキして、楽しくて、自分を少し好きになれたのね。
さっきまでね。
やっと持て始めた外見に対する自信を見ず知らずの出会ったばかりの赤の他人に破壊されて、たまらんよ。本当に。
初対面の人間に対していきなり上から下までじっくり見たあとに外見についての評価を下してきて、その後にセクハラまがいのことまで言われて、その客が終わった人間性を持っていることはわかってるんだけど、でも本当にショック。"可愛い"と無縁の外見だからこそ、そう思ってもらえるようにって頑張ってるのに、男性に「男と間違われるだろ」なんて言われて、傷つかないわけがないのね。「素敵な大人の女性に近づけたかも」なんて思ってたのに、男って。「でか」なんて言われて、コンプレックス刺激されて、「結局身長なんだ」「何をしても私はちっさくて可愛い女の子になんかなれやしないんだ」「ハンサムショートだって結局意味ないんだ」って、もう、この文章打ってて涙出てきた。でもやっぱり私は今のハンサムショートが大好きだし、ロングヘアにはしたくないし、はあ、もう、どうしたらいいの。
【追記1】
いきなりコメント来て驚いた。拙い文章でほんとすみません。仕事は接客業です。
ロングヘアだと面積が増えるっていうのは、もつ意味わからん表現でした。長方形が2つあったとして、一部でも欠けてたほうが小さく見えるでしょ。それを言ってます。表現が乏しくてすみません。意味わからんかったらそのまま飛ばしてもらっていいです。すまんな。
まあ、「なにゆえ勉強が必要か?」という問いを本気で考えている子供は頭が良くて成績もよいから心配しなくても良い。
少し考える力がある子はそんなことを考えてはいつつも、周りのヤベー連中を見渡した時に、とくかく勉強しねーのヤベーわ、って気が付くからだ。ソースは俺だ。
俺が小中学生のカテキョーやって気が付いたのは、まじで勉強嫌いの子供が多いって事だ。
いままで100人ぐらい見てきたけど子供の9割は勉強嫌いで、その内半分ぐらいは「超」勉強嫌いだ。
俺:「よし、じゃあこれ解いてみ」
子:「問3ね、わかった」といいつつ、1分間ぐらいボーっとしている。
俺:「手とまってんな、まず全体の個数があんだろ・・」
子:(よっしゃ、説明始まったぞ、これで勉強時間消費できるわ)と思ってるかの如く、ノートの余白に悟空の絵を描き始める。
こういう子供も一丁前に「勉強なんかする意味あんの?」みたいなことを言うけど、こいつらは勉強中にこういう質問を親とかカテキョーにしてくるんだよ。
つまり、その目的は勉強時間を少しでも減らすこと、勉強以外で時間を消費するためにこういう質問をして勉強から逃れようとする。
まあこいつらも冬休みに入るぐらいになるとカリカリやりだして、親なんかはようやく真剣に勉強しだした姿を見て感動するんだけどね。
男児も含めて用語としては「児童性愛」だっけ? そうした考えを持つことそれ自体が悪だと見なす人がいる。
実際、Twitterでそうした主張の人と少しだけ意見交換して、「いくらなんでも内心は自由でしょ?」と言ったところで全く聞き入れてもらえなかった。
確か、幼女ドールで炎上していた頃だったかと思うけど、幼女ドールは児童性愛趣味自体を認めてしまうことに繋がるからダメなんだってさ。
でも無茶言うな、だとしか思えなかった。
私は特になんの変哲もないような大人の男性で、ロリ趣味はなく、どう説明すればいいのかわからないが、一般的なAV的なところを好む程度の性的指向があるだけだった。
だから、例えばまだまだ未熟な小中学生を見たところで、特になんとも思わない人間だ。……と割とずっと思っていた。
この冬、田舎に帰ったんだ。
この田舎には、地元では有名な温水プールがあり、冬でも楽しめる。
あんまり行かなかったんだけど、そこは大浴場もあり、ちょっとしたサウナもあって、それも目当てで半日くらいゆっくり過ごそうかとプールにも入ったわけよ。
その中に一人、ど偉い美少女がいたわけよ。
個人的には、かの国民的美少女コンテストの全国大会最終選考レベルだと思った。
歳の頃はどうやら小学六年生のようだった。その子が友達となんかそんな話をしていたのが聞こえたからわかった。
そこそこ広めの温水・室内プールに十数名程度しかいないんだから、どうしたってその少女に視線がいってしまう。
私は、田舎に来ていた親戚の子供を連れてプールに来ていたんだけど、親戚の子供なんか半ばほったらかし。
で、その少女が割と目の前のプールサイドに来て、ワンピースの水着の肩紐?を、その手でちょっと直すような感じで触れた時に、一瞬だけど胸が見えてしまったわけ。
勃起するな、なんて無理だった。
プールサイドの椅子に座っていた私は、慌てて近くの子供用プールの中に逃げ込んで、下半身を隠すようにして座るしかなかった。
その直後だったかと思うけど、ほんの一瞬だけその美少女と視線が合った。
彼女が私のえっちな視線に気づいたのかどうかは知らないが、それ以降は遠くの方へ離れていってしまったし、勃起してしまった私は恥ずかし過ぎて、もはやその美少女を見ることは出来なかった。
田舎から帰ってもしばらくはあの一瞬がどうしても記憶から呼び起こされてしまい、勃起こそ我慢できたものの、股間に熱いものを感じざるを得ない日々が数日続いた。
それくらい衝撃的だったんだと思う。
しかもそれ以来、街中で可愛めの小学生高学年くらいの女子を見かけてしまうと、どうしても意識がそっちにいってしまうようになった。
エロい想像まではしないように、別のことを考えるように努力はしているけど、一度そうなってしまうとこれがなかなか・・・。
まあ通り一遍の、小中学生のときに女どもに散々キモがられて歪んじまった俺は女を恨む権利がある!フェミニズムは加害を肯定する強者の論理!みたいな増田をけっこう前に書いてさ、イジメこそ同情するが恨む権利なんてねえよインセル野郎、みたいな感じでボコボコにされたのさ。
もうちょっと同情とか、辛い現状に耐えて頑張ったことを承認してくれてもいいじゃん、って思ったし、シンプルにボコボコにされたのが辛かったからその増田は消しちゃったけど、あのときおかしな同情とか、フェミニズムの欺瞞をぶった切った痛快な文章、みたいな承認を受けなくてよかった、ってゴザ白饅頭騒動を見て思った。
呉座先生なんて、アカデミックからドロップアウトした俺からしたらめちゃくちゃ優秀な人で、俺よか遥かに頭も良いはずなのに、あんな感じで白饅頭みたいなやつにでも「それいじょういけない」みたいなちょっとした承認を受け続けるとああなっちゃうんだな、って察した。よかったよホントああいう形を変えた「あいつキモイ」でつながる寄り合いの輪に入らなくて、入れなくて。
というわけで、ちょっとだけお礼。ありがとな。そしてもうちょっと俺に同情したり、承認してくれてもいいじゃん。シンプルに人生つらい。
「もう2人のうちどっちかだろ?」と県民全員が思っているような選挙
youtuberは政見放送も慣れた様子で映っており、まるでyoutubeをみている
ようだった。特に河合悠祐氏。この人は小中学生が選挙に関心を寄せるように派遣された
刺客じゃないのか?ずいぶん、子どもたちが食いついていたぞ。特にピエロの化粧で、
ディズニーシーの話をしている時。かなり練り込まれたネタだった・・・・
次に、小池百合子と結婚しますの加藤氏、おなじみのごとうてるき氏
雨の中でも投票率は前回よりアップしたらしい。
売ることができれば本望だろう。
熊谷さん、コロナ禍はまだまだつづくので、外出禁止でも何でもやって
期待しています。
後藤輝樹 諸新 12,150
加藤健一郎 無新 15,986
皆川真一郎 無新 20,256
関政幸 無新 384,723
平塚正幸 諸新 19,372
河合悠祐 諸新 15,166
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。