はてなキーワード: 家長とは
この手の「日常に潜む差別語」の議論、英語のhusbandの語源が「家長」だと知ってから一気にバカバカしくなったな。
wiktionary先生によれば「古英語:hūsbonda(家長)<古ノルド語:húsbóndi(hús(家)+bóndi(家主))」らしい。バリバリ家父長制の名残で草。
一時期自分の旦那を「ハズ」と呼ぶのが流行ってて進歩的だと思われてた時期があったけど、あれみんなこぞって「家長」「家長」って言ってたんだな。くっそウケる。
「ご主人」も「奥さん」も、別に本当に男は女を支配すべきだと思っているわけでも女は奥に引っ込んでろと思ってるわけでもなく、単に「男である配偶者」「女である配偶者」って意味で使ってる場合が大半なんだから、別にいいんじゃねえのって感じ。
「ご主人」に文句つけてる人が英語でhusbandって言ってたら「そんな言葉を使うとは家父長制主義者だな!」って言ってやればいいんじゃねーの。割と本気で。
「『ご主人』を使うのは男尊女卑」が通るなら「husbandって呼ぶのは家父長制」も通らなきゃおかしいでしょ。語源がそのものずばりの家長なんだから。英語圏の出羽守諸氏にはお気の毒だけど。逆に言えば現状husbandはほぼ許されているんだから「主人」もオッケーだと思う。
husbandは良くて主人はダメなんて通らない。どっちも許すかどっちも許さないかのどちらかにすべき。まあ私はどちらも許すべきだと思いますが、主人と呼ぶのはけしからん派の諸氏は今後英語でどんな自己紹介するんでしょうね。そういう人たちがhusbandって口を滑らすたびに馬鹿にされる風潮を作っていこうな。
法的な定義や公的な書類でならともかく、「あなたの配偶者さん」「部長の配偶者の方」みたいな表現って現実社会で一度も聞いたことないんだけど。もうちょっと実用的な語を提案してくれませんかね。
「夫」「妻」も、自己紹介とかでは使えるけど、「あなたの妻」「部長の夫」って言うとなんかよそよそしさがあるよな。世間話とか社交的な場面では「あなたの奥さん」「部長の旦那さん」みたいなやわらかい言い方が普通じゃん? 「配偶者」にはそういう実用性が欠片もない。
パートナーでいいのでは。
基本的にモノガミーにしか対応していない語なので、カップルに対しては使えるけれどたとえば男3人とか女1人に男2人とかそういうポリアモリーな関係の人らには使えないよなぁ。まあでもそれは「主人」や「奥さん」もそうか。このへんの語彙は今後考えていく必要があるんだろうね。
ロシア語とか、過去形を作るときにも男性名詞と女性名詞で別の形になるからなぁ。日本でよくある「実は女でした」系の叙述トリックが使えなさそうで大変だと思う。真面目にああいうのを翻訳するときってどうやってるんだろ。
妻のことを「主人」と呼ぶシーンを想像した上で、嫌な気持ちにならなかった奴だけ賛同すべき。/ 嫌なんだよ、「お気持ち」とか言って封殺すんな。つかあと数十年したら変わるから諦めろ。
よくよく読めばわかるけど、この増田では「主人もhusbandもけしからん」派の人は一切否定してないよね。私とは意見が合わないけど尊重に値する意見だと思う。主人は嫌だというあなたがhusbandも撲滅すべきと主張するなら筋は通っている(「主人」を批判するのと同じくらいの強度と熱意で「husband」を批判しろとは言ってない)。
「主人と言うのは男尊女卑! 英語みたいにhusbandと呼ぶべき!」派の人は馬鹿だしそんな意見は尊重に値しないよねって言ってるだけ。別増田でそういう意見がピックアップされてたけど(anond:20191224163418)、まあこういうご意見に対してはバカバカしいお気持ち扱いでいいんじゃないでしょうか。
続柄で呼ばないポリシー自体は結構だと思うんですが、「あの人だれ?」「ああ、あの人は田中さんの旦那さん」みたいな局面はどうしてるんです? 純粋に気になる。「ああ、あの人は田中さんといって、うちの部署の田中さんの配偶者」みたいな感じ? 二度手間では。
あと例えばそれほど親しくない友達の配偶者を呼ぶときに、事実婚とか実生活では別姓で通してるとかならともかく完全に夫婦同姓な場合はどうするんだろ。「そういえば山田さんは元気?」お前の目の前にいるのも山田だ。「花子さんは元気?」いったいいつからお前は名前で呼ぶほど親しくなったんだ。「配偶者の人は元気?」なんでそんなお役所口調なの……。「奥さんは元気?」これでしょ。
繰り返すけど、続柄で呼ばないこと自体にケチをつけるつもりはないです。私だっていちいち人を紹介するのに続柄はつけない。「こちらは○○を担当している佐藤さん」が普通でしょう。でも続柄で呼ぶのが一番しっくりくる場面というのは実生活に厳然とあるわけで、そういう場合に特に差別的意図がなく「奥さん」や「旦那さん」「ご主人」を使うのくらい別にいいでしょ、というのが趣旨。
うちの父はひとでなしではない。
ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。
その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。
わたしはずっと疑問だった。
実際、なんでもない思い出話として、虐待としか言いようのないエピソードを聞いたこともある。
殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。
当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。
でも感情は納得しない。
わたしは再び、なぜと繰り返した。
なんでうちの父は殴られて育ったの。
そして、ある推察を得るに到った。
父を殴って育てた、祖父の推察だ。
若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘の家長となっていた。
階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。
祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。
当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。
そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。
そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。
今となっては分からない。
祖父は内地で終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。
その状態で、待たせていた妻と幸せな家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。
祖父はひとでなしではない。
孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良の祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。
自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。
耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。
そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。
祖父の目にはどう映ったのか。
殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。
そういう夜があったとしても、理解はできる。
酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。
今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。
当時はなかった。
第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争の精神的な後遺症は見逃された。
少なくとも、祖父は見逃された。
誰も祖父を、父を、救わなかった。
誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。
わたしは殴られて育った。
もはや戦後ではないんだろうか。
本当に、戦後ではないんだろうか。
それなら、なんでわたしは殴られたの。
この身を苛む恐怖はなんなの。
誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。
家父長制が崩壊したのに「嫁」なんて言葉を気取って使ってるのはアホくさいからやめろという話だよ。
息子の妻。家父長制下にあった日本では,いわゆるシャモジワタシを受けて主婦となるまでの期間の妻をさす呼称であった。当時の嫁が,一家の主婦となるまでには,長い試練の生活を強いられるのが普通で,新潟県佐渡の「添うて7年子のある仲だ,嫁にしゃくしを渡しゃんせ」という民謡などにも,その間の事情はうかがわれる。しかし,家父長制の崩壊した新憲法下の今日では,嫁と主婦との間に,かつてのようなへだたりはなくなってきている。 (→杓子 )
一家の経営において,社会慣行上容認される家政管理を中心とする主婦の権限。家長権が強大であった時代の商家,上層農家においては,家事全般にわたる責任者としての座が家長の妻に与えられ,これとともに食生活,衣生活など家事の切り回しに関する権限が,主婦権として確立されていた。オカミ,オウエ,エヌシ,イエトジ,オカタなどの呼称があるのはその証左である。主婦権の譲渡はヘラワタシ,シャモジワタシなどと呼ばれ,通常,嫁が婚家の家風になじんだ時期をみて,姑から嫁に対してなされた (→杓子 ) 。隠居制による家族では,夫婦単位に生活が営まれるため主婦権も姑と嫁に分散される。家長権が弱まり,核家族化した近代家族においては,家父長制下にみられたような主婦権は存在しなくなってきている。
(続き)
これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観の理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性が家長、新しい!女性は子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫の育児なんてドタバタでダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識/無意識ですね。
まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解だからサイコ父ちゃんが無慈悲な既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車の練習のとき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親のイメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観やキャラクターの知能レベルがガタガタなんです。
さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機、ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観が昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??
ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児のときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。
良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんのクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!
でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。
擁護派の中には、「アニメーションリテラシーがちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生が卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家のアニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルはクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品や高畑監督作品の批評でアニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠の作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品、片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います。
しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃんと作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。
極端なこと言えばリアルなアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーでウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。
その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築の設計を発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃんが仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインにしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。
あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)、未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコ母ちゃんのアルバム(唐突に出てくる、結婚式のスライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンのミライちゃんの説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。
特にアナルプラグのクダリなんて完全に大人側の欲望の目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。
ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。
物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。
ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブーを説明するんですが、その数十分後にはたやすくタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。
そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!
BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自のタブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?
どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画『グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督の出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。
この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブーを説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後の最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。
世界観の設定自体もね、これ、実は初見のとき、クソガキちゃんのインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃんや東京駅のクダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップのルールからも明らかにはみ出している。
あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想があいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話や寓話、不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作としか思えません!
細田さん、クレヨンしんちゃん、映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児が主人公であること、ギャグマンガであることを世界観の言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児の幼児性、第一子と第二子の関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦が夫婦であること、家族が家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人も子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。
クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出、はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレになっちゃいますが、クレしんの某・大名作映画。監督・脚本は原恵一。ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフで説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!
あと一つ、これだけは言わせてください。
僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー”問題でございます。
クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。
なおかつ、それ以外のギャグもアナルプラグでしょ!?単に下ネタがダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。
さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママやサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)!
うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。
そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足のセリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれた収入でハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!
これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!
はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?
これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体は全然いいんですよ。
さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語の構造上、観客が知らないことを「知っている」から、タイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですか。ちゃんと時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。
このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。
たとえばこれ僕からの一つの稚拙な提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。
あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視?問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画のテーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?
「ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁を自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人の価値観を尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。
このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識/無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本から何から全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。
というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまいますけれども。
あー時間がない!声優のお話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。
結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌を劇場の音響で聴きたい方、幼児がアナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!
(終)
地方では田畑を継ぐ長男以外はゴミ扱い、四男五男ぐらいになれば生涯、家長の奴隷みたいな身分(当然未婚)なんて例はちょくちょくあった
江戸なんか男女比が3対1ぐらい。地方から農家や漁村の次男坊、三男坊以下が流入してくるわけだが、その手の連中は日本橋あたりで日雇い人足しながらたまーに吉原にでも行って、30~40代で死ぬのが通例(当然未婚)
彼らがおらんかったら、隅田川の堤やら明暦大火後の復興やら廻船問屋による物流の発展やらも、2割ぐらい効率が落ちてたろう
たかだか戦後の高度経済成長期で一般化した習慣を、世界の常識みたいにドヤ顔されてもなあ
――ただ、成人男性たる者、妻子を養ってないと格好が付かない価値観はわかるよ
誰だって(俺だって)親元離れて自分で働くまでは、親の世話になった
しかし自分だけ親に世話になった分を下の世代に返さないのは申し訳ないとは思う
だから子どもがいる世帯は俺の代わりに下の世代を養ってくれていると認識していて
ただ、今までの議論では同性婚を現行制度に追加して容認する動機は見えなかった
この2本構成で行くというのなら話はわかるし、俺の理想もそんな感じなんだけど
> 少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的な庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?
簡単に言うけど名もなき庶民の結婚形態を把握するって相当むずかしいぞ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-6075.html
「地方領主が家長として隷属民の家族形成も支配していた」が正しいんだろう
これが歴史のフィルタを生き残った家族形態なんだけど、今これを再現したい?
家族に恵まれてないのか協力的なのか知らんが、「悲劇のヒロイン」的なものが好きな人は多いと思う。
まあ、家族に嫌われてると思ってたけどそれはヒロインの勘違いで〜〜みたいなのも多いけど。
特に女性向けって書いてないなろう小説って男性向けだなって思う。
なんだかなーって思ったのは女性向けって家族が出てくるんだよね。
女主人公がヒーローと結婚してその後の子供編がっていうんじゃなくて、
両親が物理的にいないとかじゃなくて
毒親とまではいかないけど主人公に無関心とか主人公はそれのせいで寂しかったり
健気に家族と再構築したいとか考えてるみたいな描写があるんだけど
私は○○って思いたかった、家族が大事~とかセリフとかモノローグであるけど、
そこが伏線にもならない主人公の健気さ心の美しさアピールをやっておしまいなんですよ
それを使う作者が多くて、出てきた瞬間うわーって思ってしまう。
ふと思い立って、自分がハマっているアイドル系ソシャゲの課金額を調べてみた。リリースから2年経っていないのに、合計で課金した額は160万円を越えていて、今更ながら愕然とした。
最近のパワーワードで言うところの子供部屋おじさん?で月給もまぁおかげさまでまぁそれなりにあるため、貯金と他の趣味を自由に行ってもわりと余裕があるので特に逼迫した気持ちにはならなかったが、
今年の夏から結婚して二人暮らしを始める。成果報酬型で今年はもう少し給料も増える予定だが、いかんせん家計が合同になるし子供を見越した将来への貯金が必要になるし何よりも家長として相応しくない。
自分の性格上、いきなり断つというのは無理だと思う。ギャンブルの類も半年かけて徐々に慣らして、ようやくやめられる寸前まできた(出先でホールに行きたくなったらとりあえずカラオケいってそのゲームの歌を歌って欲を発散させていた)。
しかし、課金は家にいてもどこにいてもできてしまう。その簡単さから抜け出せる方法はないものか。
本邦フェミはむしろ家父長制度の推進者のようですがネ?「女を守れ」的な
家長父制を木っ端微塵にぶっ潰すから。いまの恋愛文化もぶっ潰される。
なぜ「毒にしかならない」と決めつけるのか?
今の格差と虚飾にあふれた恋愛文化をやり直す劇薬と言い換えることもできる。
風俗に頻繁に行ったりor働いたりしたらわかるけど彼女らの月収はコンビニバイトの2倍程度だよ。
時給にしたら5倍-10倍だが待機もあるし毎日出勤したら体がもたない。短期で15日100人相手にしてやっと100万。
それでも芸能人レベルじゃないと客つかない。学校に一人レベルの美人が1ヶ月300人相手して500万くらいかな。
それで心病む。憂さ晴らしに南国に旅行に行く。肌も荒れる。病気にもなる。手取りで400万くらいしか残らん。
税払ったら300。これで一年食えるかどうかだよ。通年で勤務できたとしても3000万。3年働いて18歳から21歳までの黄金期を捧げて1億弱。これじゃ25年で貯金は底をつくよ。
決めつけの多い文章ですね。
「それでも芸能人レベルじゃないと客つかない」「学校に一人レベルの美人が」「それで心病む。憂さ晴らしに南国に旅行に行く。肌も荒れる。病気にもなる。」
これ全部決めつけですよね?皆が、或いは大多数がこうなるというソースをお持ちですか?
あと、18才から21才で1億弱を普通の男性は稼げない。目いっぱいデメリット積んでも男性より稼ぎが多い。
これを元手にすればなんでもできるだろ。優秀な選択肢だろうが