はてなキーワード: 双極性障害とは
「バイクで日本一周したのちに自殺した方」のツイートが拡散されているらしく、彼女のスマホに「おすすめのツイート」のような形で通知が来たらしい。
彼女は朝起きてスマホを見たときにそれを見て、なんとなく自殺したい気持ちになりそうだったので今日の出かける予定を取りやめたとわたしが起きたときに教えてくれた。
私もそのツイートを確認してみたが、飛び降りの直前に撮ったのであろう、高いところから見下ろす形の写真が載っていて非常に刺激的というか胸が締め付けられるような印象を受けた(だからこそバズったのだろう)。
彼女は双極性障害で、普段から希死念慮が強くそういうツイートには人一倍影響を受けやすい。彼女がたまたま最近体調が良く自制が効く状態で良かったと思う。ツイート主の方が悪いとは全然思わない。ただこういうツイート(の刺激)をみんなが欲していて、5万いいねがついて見たくない人にまで通知が行ってしまうのってどうなのともやもやする。おすすめのツイートの通知をオフにすることはできない(プッシュ通知がこないようにはできるけど、Twitterアプリの通知欄に出ないようにはできない)。自殺がニュースになると、それにつられて自殺者が増えるというのも有名な話だ(ウェルテル効果)。Twitter 社はそういうツイートを通知にして流すことで自殺者を増やしていることを自覚してほしい。人々はそういうツイートをいいねして RT することで自分のフォロワーに辛い思いをする人がいるかもしれないということを自覚してほしい。もう二度と彼女の目に自殺を想起させるようなツイートが映らないでほしい。
ちなみに結婚して物凄く辛いと言っていた人がいたよ。まあn=1ですから、「結婚してはいけない」と一般化するつもりはサラサラないよ。ちゃんと文章読んでね、数行もないんだから。
・傷病手当をもらう
マックスで1年半もらえる。
2022年から改正されて、「通算で」1年半もらえるようになった。
例えば、今までだと鬱で1ヶ月休職して傷病手当もらってその2年後とかにまた休職、だと2回目の休職時には「1年半経過してるのでもう傷病手当渡せません」ってなってたのが、
改正後だと「前に1ヶ月分だけ傷病手当を渡したので、残りは1年5ヶ月分渡せます」となる。
詳しくは近所の協会けんぽに聞いてみて。
あと、収入によって月額の上限がある。自分の場合は月5000円だった。
1ヶ月の治療費がどんなにかさんでも5000円を超えることはない。(入院したら別にかかる)
精神科で診断書(3000円はすると思うけど、全然元とれる)を書いてもらおう。それを持って区役所で手続き。
・障害者手帳を作る
交通費の補助とか助かる。
「ミライロID」というアプリと連携すると、持ち歩く手間が省ける。
失業保険(雇用保険)もらう可能性があるなら絶対必要。理由は後で書く。
・リワークに通う
うつ病で寝込んでからいきなり復職するのは大変なので、生活リズムの安定のために通う施設。
利用料がかかることもあるが、先述の自立支援受給者証で1割負担、自分の場合は上限5000円。
不調で早めに病院にかかりたいのに、予約が取れなくて…とリワークのスタッフに相談したら、代わりに病院に電話して予約をねじ込んでくれたことがある。助かった。
休職中の会社にも連絡して、復職のための面談にスタッフが同席してくれることがある。
病院が合わないけどどこを選べばいいかわからないときも、スタッフが相談に乗ってくれたり利用者がおすすめしてくれたりする。
・健康保険の切り替え
国民健康保険でも、ハローワークでもらえる特定理由離職者証明書があると月額約16000円から2000円まで減額してもらえる。
・ハローワークに行く
うつ病なら特定理由離職者(正当な理由があっての自己都合退職)になるはずなので、待機期間なしですぐ貰える。
特定理由離職者になるよって診断書は、精神科で書いてもらう。あんまりにも不調だと書いてもらえないことがある(失業保険は働けるけど就職できてない人のためのものなので)
これを出すと、就職困難者とみなされて失業保険の受給期間がめちゃくちゃ伸びる。
手帳なしだと90日分くらいもらえるのが、300日分まで伸びる。伸びすぎ。
今後障害年金(障害厚生年金)を申請したくなったときに、今までの納付状況によって申請すらできなくなる可能性があるから。
精神科の診断書が必要で、とにかく出さなきゃならない書類が多いので社労士に依頼するのがおすすめ。
社労士とのやりとりや診断書書いてもらうのに1〜2ヶ月、審査に3ヶ月、受給決定から1ヶ月半くらいかかるから早めに申請した方がいい。
支えてくれる家族も、理解のある恋人も居ない。そういう一人暮らしの精神障害者ってどうやって生きてんの?
自分は双極性障害と発達障害があり、就労困難と認められ障害年金受給。年金と生活保護で暮らしている。
精神障害の他にも毎日服薬してる持病とか、生活に支障を来たす身体的な持病もいくつかある。
ついでに言えばいわゆるLGBTの人だし、かなりマイノリティ側の人間。
小中高全てまともに登校できていなかったし、全く登校しない不登校の時期だって何年もあった。
学校卒業後もろくに働いたことが無い。働いたことが無い経験を具体的に語ると、学生という身分を失ってから7年間で働いて稼いだ金額は合計40万円くらい。
躁状態で仕事を始めて、鬱状態で何もできなくなって退職する。ずっとこのパターン。
自分みたいな社会不適合者ってネットを見るといくらでも居るように思えるんだけど、みんなどうやって生きてんの?
恋人・伴侶に支えられて暮らしている人。実家暮らしで家族に援助されている人。一人暮らしだけど親から資金援助をしてもらってる人。そういう人たちは目にするけれど、一人暮らしの無職精神障害者ってのはなかなか見かけない。一人暮らしができている精神障害者は大抵就労も出来ている。
それともみんな死んでんの?
外に出られないから食事は全部ウーバーイーツ。日用品はAmazonで買う。
障害年金と生活保護では最低限のお金しか貰えず、そんな生活してるともちろんお金が足りなくなるので、カードのリボ払いにして支払いを先延ばしにしてる。
現金を借りると「収入」として保護費から引かれるので、カードのショッピング枠を使ったリボ払いでの借金。
リボの限度額に達したときが、この生活の限度。そのときは食べ物が買えなくなって死ぬのかな、とぼんやり思ってる。
通院とか障害年金とか生活保護とかに至るまではめちゃくちゃ親切な複数の他人の助けによってなんとか幸運にも辿り着けただけで、一人では生活することができない。今は通院も出来ていない。
部屋はゴミだらけで、風呂も週一しか入れてない。散髪にももちろん行けないから、ずっと伸ばしっぱなし。ベッドのシーツや枕カバーは肌にベタベタと張り付くようになったし、夏になってからはコバエがそこらへんを飛んでいる。ゴミ出しに行けなくて、山のようになったゴミ袋からは異臭がする。
何とかしなきゃと思っても、毎日毎時毎秒が憂鬱で死にたくて、ご飯を食べるのもトイレに行くのもだるい。
そんな自分がどうやったら生きていけるのか、ネットで調べてみても「お金に困ったなら生活保護」とか「医療機関を受診しましょう」とか、そういうとこで止まってて、その先が分からない。
一人で生きていけない人間って、どうやったら生きていけんの?
これまで「うつ病」だった診断名が、「双極性感情障害」になった。
薬の処方を調整してもらい、今は落ち着いている。何かの参考になればと思い、増田に投下してみる。
躁うつの人は、最初はうつ病だと診断されることがほとんどらしい。うつでしんどい人は医者に行くけど、躁で弾けてる人は特に困っておらず、メンタルクリニックを受診しないからだ。
躁で何かよほどのトラブルがあった場合には医療に繋がり、実は躁うつだったとわかるケースが多いらしい。
そして、躁うつの人の体験談がうつの人ほど出回らないのは、患者の絶対数の違いもあるけど、
躁による「よほどのトラブル」というのが、本人にとっては辛く恥ずかしく忘れたいような、他人に語れないような体験であるから、らしい。
無茶な散財をして借金を作ったとか、不特定多数と性的関係を持ったとか、暴言や暴力で周囲の人と揉め、人間関係が断絶したとかだ。
早すぎる呼吸と強い動悸、目眩を体調不良と思って一般の病院に行き、窓口の不手際に興奮して大声を上げ、診療室でベッドに寝かされ、医師と看護師の前で軽く泣き喚いたくらい。
いや、相当迷惑かけたな……と思うし恥ずかしいけど、思い出したくもない記憶にはなってない。はず。
だったけど、書き出してみるとかなりやばいな。
そんな半端な躁転エピソードの前には、今思えば、何となく予兆があった。いくつか列挙する。
うつだった時はこう。
そういう、何年も続いたダラダラ鬱々生活から、あまり眠らず食べず、シャキシャキ動けるようになり、身体の一部が少し痛むくらいで、他は元気に活動してた。痛みと血圧は若干不安だったけど、特に困ってはいなかった。
だから、もう鬱が治ったのかもしれないと勘違いしてたんだよな。
違った。フェーズが躁に変わっただけだった。
ただ、病識、つまり自分は病気であるという認識が持ちづらいのは、躁の時あるあるっぽい。
ちなみに、腹痛や関節痛は、躁転エピソード後、不安を抑える薬を処方してもらってからあっさり消えたので、おそらくメンタル由来だったんだろうと思う。
最初にも書いたけど、今は落ち着いており、躁でもうつでもない状態ということになっている。
うつと躁うつは違う病気で、効く薬も違う。抗うつ剤の種類によっては、躁うつを悪化させる薬もあるそうだ。
なかなかうつが治らない人がいると思う。基本的には、焦らず、気長に治療してほしい。
けど、もしかしたら、うつじゃないから、うつの治療じゃ治らないのかもしれない。
そんな可能性も頭に入れておいて、やたら元気になってきたなと思ったときは少しだけ注意してもらえると、治療がスムーズかもしれない。
私も同じような環境だったので少しでも元増田さんの参考になればと思い書きます。増田書くのは何年ぶりか。
元増田さんは20代でリアルタイムで家庭内DVの被害にあっていると思いますが、私はそれを約40〜30年ほど前に経験して、いま独立した家族持ちの50代のおっさんになるまでにどう感じたかということを伝えられればと思いました。
元増田さんの環境でも記述がありますが、孫に対するDVの難しさというのは、本来子供の生育環境を適切に準備すべき親の世代で適切な対応を取れないことにあります。やや教科書的な言い方になってしまうのですが(つまりそのとおりに行動することはなかなか難しい)、まともな大人であれば親戚のおばさんがされているように、問題のある親との距離をとれるのが理想ですが、なかなかDVで洗脳された親は自分の毒親(祖父母)を切り捨てることが難しいようです。私の場合もそうでしたが、なかなかつらいお立場と思います。
私は、アル中でDVを繰り返す祖父を含む三世代同居の家族で育った影響は自分自身の性格形成にはかりし得ない影響を与えたと思っています。平たくいえば、普通の話の通じるまともな家族に恵まれた友人などが羨ましくて仕方がなかったですね。自分の家庭・家族に引け目があると、自分の友達との付き合いもなかなか疎遠になりがちだし。今思えば年相応の社会的コミュニケーション能力の獲得になかなか難儀したということになると思います。
それを防ぐためにも、元増田さんはなるべく今の環境からの悪影響を断ちきるために、独立するなりすることをおすすめします。今の元増田さんの感覚としてはなかなか現実的ではないかもしれません。更に、下記に述べるお母さんとの関係性の影響もあるのでなおのこと難しいかと思いますが。。。
私には同じ環境にいた2つ上の姉がいました。ですが、10年ほど前にアルコール依存と双極性障害に苦しみつつ死にました。死ぬ間際は本当に周囲に大変な迷惑をかけていました。1週間に1回は警察沙汰を起こして警察から母に連絡があるような状態で、また母もイネーブラーとして色々サポートしてしまう。そんな悪循環の家族を持って救いようのない徒労感を覚えていました。
私はアルコール依存を含む精神を病んだ原因がDV家庭に育ったことにあると考えています。彼女は本当に気に毒な人でした、虐げられた環境にいたがゆえに、自分の主張や希望を上手く説明できずストレスをためて、非行に走るそんな悪循環です。
元増田さんはそんな風になっていただきたくないです。おそらくそのような環境にいるがゆえに、ご自身の精神的な不健康さもある程度わかっていらっしゃると思いますが、ぜひご自身の精神的な健康を維持できる環境を準備できるように願ってやみません。
どうしたらよいか?ということを具体的に提示できればよいのですが、ネットのテキストでやり取りできる範囲では上手く思いつかないです。せめていろいろな本を読んで自分自身の可能性を判断できる自律性が持てるのを期待します。
次は、お母さんとの関係性です。
いずれおばあちゃんは時間の問題で死ぬと思います。しかし、お母さんとの関係はもう少し続きます。そのときに元増田さんに悪影響をもたらさないのか。どうなのか。そのあたりが少し気になります。
私の両親についていえば、父親は存命ですがはっきり言って当事者意識がないふわふわした人です。もっとも、生まれてから死ぬまで同居していた自分の父親(祖父)が非道い人であることを考えると、まともに自己を確立することも困難だと思うので、同情の余地はありますが。。。そこに嫁いだ母親ももちろんDVの被害者でしたが、よくも悪くも我慢強く、DV家庭を存続させたことに一役買ってしまった人生でした。高校生時代の私と何度か夜逃げしようと相談したこともありますが、はやりそこは女性なのか、踏ん切りがつかなかったですね。
さらに、自分の娘(私の姉)がアルコール依存になっても、積極的に社会的体裁を整えようとするのには本当に閉口しました。いわゆるイネーブラーですね。
http://alcoholic-navi.jp/about/therapy/ineibuling/
そのあたりの自分の母親との関係はおばあさんが亡くなっても続くでしょうから、今後どうなるとよいのか、ご自身の生活環境を今後どう構築されるかも合わせて考えて置かれると良いと思います。
私自身は当時常に殺したいと思っていました。しかし、未必の故意を装ったとしても、何らか自分の手を下すのは自分自身に跳ね返ってきます。今思えば、自分から手をくださなくてよかったなと思いました。(当時は遅行性の毒とか、自然を装って早く死んで貰う方法を無い知識の中で調べたりはしていました。)ですが、死んだ祖父を一発でも殴っておけばよかった。という後悔が今でもあります。元増田さんも、一言ぐらい罵声を浴びせたり、言いたいことを生きているうちに伝えたほうが良いと思います。
>> もう82で体も弱いんだから一回ぐらいボロクソに罵倒して帳尻合わせておかないと呪いを精算するまえに死んじまうぞ。 <<
おばあさんが死んだあとで、アルコール依存の家族がいたことによるいろいろな影響、できなかったことについて、たくさん気づいてしまうんです。それが割と辛い。どうしても普通の家庭の方と比べて自分の社会的環境の不遇を感じてしまいます。それに耐えていくためにも、今時分の気持ちに正直に言いたいことは言っておくべきです。
ブコメでもありますが、役所が頼りになればよいのですが、はっきり言って役所も警察も全然役に立たないです。なので、元増田さんが取りうる選択肢を冷静に考えて実行できるための精神的余裕や前向きさをいち早く取り戻されることを願っています。
乱文乱筆ご容赦ください。
社会人一年目の夏、三日眠れず、気が付いたら深夜に車を走らせて事故って(単独)警察を呼んだら病院送りになった。
はじめのうちは病気の正体がわからず、向精神薬とか飲んでたのだけど、不眠は治らなくて、イライラして癇癪を起こして閉鎖病棟行きになった。
病院にはいろんな人がいて(アムカまみれの女の子とか、認知症の人とか)みんな優しくしてくれた。
三か月くらいで退院して、月一で心療内科かかって二年。わたしは22歳を終えようとしている。
そろそろ働きに出たいのだけども、車の運転がネックなのである。
双極性に運転は鬼に金棒なのである。(どこまでも行ける気がするため)
わたしは学生時代にも事故ったことがあるため、運転がガチで危ないのだ(ちなみに車は大破し、おしゃかになった)。
双極性障害で不眠症の方、どんな職種がおすすめとかがあればコメントしていただきたい。
どうすればいいのかわからない。ハロワに行くにも運転のために親がついてくる。恥ずかしい。
ストレス感じてるなあ、眠れないなあ、あれ?5キロも痩せたし不正出血ひどいな。ピル飲んでるのにおかしいな婦人科行こう→異常なし。
おかしいなぁ不正出血止まらないし、異常に汗出るしイライラするし動悸もひどい。なのに手足冷たいしセカンドオピニオンするかあ→卵巣腫れて6cm近くになっててしかも機能不全。さらに子宮にポリープあった(良性だけど)
ついでに潰瘍も見つかった。狭心症かと思って焦ったが安心した。安心しちゃいけないけど。
おかしいと思ったよ、30歳とかで更年期と同じ症状だもん。犯罪者ぐらいあった性欲もないし、お酒飲めば記憶消えるし。
ねえストレスってすごいね。他人に勧められてメンタルクリニック行ったら双極性障害と診断された。まじ?
でも確かに仕事中は人殺しそうなぐらいイライラしながらハイになってるし、突発的な買い物ひどくてカード止まってた。
なるほど~言われたらそうかもしれない。
でもこんなふうになる前に何度も改善しようと頑張ったし、上司にも相談したんだ。
「ごめんね、嫌な思いさせて」としか言われなかったけど。
私どうすればいいんだろうなあ。仕事しなきゃ生活できないし、いつの間にか貯金も50万円切ってたから休職も出来ない。年収700万なのにおかしいよねw
「ヤングケアラー」という言葉が世間に広く浸透してきている。小学生〜高校生という自己の人格の形成にとって大切な時期に、病気や障害をもつ親の世話をすることを余儀なくされている子どもたちのことを指す言葉だ。
私もそのうちの1人だった。
母親が躁鬱病(双極性障害)を発症したのは私が10歳頃のことだった。
最初の父親と離婚し、新しい父親との間に妹が生まれてすぐのことだった。
小学校から帰ってきたら、生まれて間もない妹の面倒を毎日見ていた。友達と遊ぶことはほとんどできなくなった。家にいる間暇だったので勉強に明け暮れた。家にある本は全部読んだ。ほとんどが医学や看護の本だったけど、娯楽には十分だった。
中学に入り、家にいる時間が少なくなった。この頃から母親の病状が悪化した。土曜日も学校があったから毎月の母親の通院について行けなくなった。
母親がリストカットをしているの見たり、首吊りを試みているのを見たり、無理心中されそうになった。私が必死に「ママ死なないで」といえば、母親は涙を流し次第に落ち着きを取り戻す。そんなやりとりを何度もした。
高校に入り、将来のことを真剣に考えた。限界だった。幼い妹の負担にならないよう、父親の仕事の邪魔にならないよう、母親の世話はほとんど1人でやっていた。このままでは自分は一生この家を離れられないと思った。
だから、家を出た。全部どうでもいいと思った。
家を出て半年後、母親は首をコンセントで吊って自殺した。父親から電話で聞いた。
今でも母親が死んだのは私のせいだと思う。
「ヤングケアラー」という言葉が世間に広く浸透してきている。小学生〜高校生という自己の人格の形成にとって大切な時期に、病気や障害をもつ親の世話をすることを余儀なくされている子どもたちのことを指す言葉だ。
私もそのうちの1人だった。
母親が躁鬱病(双極性障害)を発症したのは私が10歳頃のことだった。
最初の父親と離婚し、新しい父親との間に妹が生まれてすぐのことだった。
小学校から帰ってきたら、生まれて間もない妹の面倒を毎日見ていた。友達と遊ぶことはほとんどできなくなった。家にいる間暇だったので勉強に明け暮れた。家にある本は全部読んだ。ほとんどが医学や看護の本だったけど、娯楽には十分だった。
中学に入り、家にいる時間が少なくなった。この頃から母親の病状が悪化した。土曜日も学校があったから毎月の母親の通院について行けなくなった。
母親がリストカットをしているの見たり、首吊りを試みているのを見たり、無理心中されそうになった。私が必死に「ママ死なないで」といえば、母親は涙を流し次第に落ち着きを取り戻す。そんなやりとりを何度もした。
高校に入り、将来のことを真剣に考えた。限界だった。幼い妹の負担にならないよう、父親の仕事の邪魔にならないよう、母親の世話はほとんど1人でやっていた。このままでは自分は一生この家を離れられないと思った。
だから、家を出た。全部どうでもいいと思った。
家を出て半年後、母親は首をコンセントで吊って自殺した。父親から電話で聞いた。
今でも母親が死んだのは私のせいだと思う。
あれさ、散々科学的根拠ないとか迷信だとか言われてるのに、未だに話題に出すやつが多くて謎だったんだよ。
正直、頭悪いなーってバカにしてた。
けどわかっちまったわ。
→定型発達
いわゆるO型:おおらか、ルーズ、時間を守れない、片付けられない
→ADHD(多動、注意欠陥)
友達に血液型きかれて答えた時、「あ~O型なんだ~やっぱりね~」っていわれる奴は周りからADHDだと思われてる。
自己紹介で「A型なんですけど、よくAB型っぽいっていわれます」といってるやつは自分がASDであることをさりげなく告白してる。
血液型当てゲームは定型の中から発達を見つけ出すゲームなんだ。
本当の血液型がなにであるかはどうでもよくて、初対面でインスタントに発達を見分けるための簡易チェッカーだったんだ。
「コイツ、まだそんな迷信信じてんのかよw」って内心バカにしながら、馬鹿正直に「O型ってよく言わます」とか答えてた俺がバカだったわ。
数ヶ月前から仕事のストレスでメンタルをやられて、先月耐えきれずメンタルクリニックに行って双極性障害と診断された。
薬を飲み始めて、動悸や目眩や過度なイライラは収まり仕事はスムーズにこなせるようになってきたが、いかんせんプライベートの性生活が死んでいる。
私のパートナーは性欲が強く、私もかなり強かったのでそれをきっかけに付き合い始めた。
お互いにそれなりに忙しい社会人だったが、家が近いこともあり隙あらばセックスばかりしていた。
しかし、ここにきて私は全く性欲がなくなってしまった。性欲がないというと語弊はあるが、彼とのセックスが苦痛なのである。
客観的に見て、彼の行為は自己中だ。しかしそれも極めれば一種のプレイで、自分自身も心に余裕のあるうちはかなり楽しんでいたし彼以上に体の相性が合う人はいないと思っていた。
最近は、痛いし思いやりの欠けらも無い行為が苦痛で仕方ない。ストレスのせいでホルモンバランスが乱れて濡れなくなってしまった。薬でアドレナリンを抑えているので興奮もしづらい。
何より心の余裕がないので、行為以外でもわがままで子供っぽい彼に対して優しくできない。
一方的に彼を責められないのは、性欲が強かった頃の自分が「もっと」と彼の自己中行為を助長させてしまったせいもある。
もちろん理由は話したが、ストレスというものを感じないらしい彼には理解し難いことが多い。
行為を断ることに対しても苦言を呈されるが、事実だし彼の性欲の強さは理解しているので申し訳なしかない。
彼なりに最大限気を遣って行為を減らしているのも、最中多少優しくなったのも感じる。
悩みはここだけで、他は一緒に過ごしていて楽しいのでいまいち別れるという選択もとれない。
大体クリニックに行ったきっかけも、性欲がないことが唯一自分以外に迷惑をかけていたということだった。
先程、これから私の家に行って抱いてもいいかという誘いを断って「誰が悪いの」と言われてしまった。
私だ。私が全ての原因だとしか言えない。
高校生の頃にADHDの存在を知って「あっ、これ自分じゃん」と思った。
それからはなんとなく周りの人間を「ADHDかそれ以外か」で見るようになり、ADHDの人には仲間意識を持つようになった。
大人になるにつれ、ADHDの症状は社会生活に強く支障を来たすようになり、通院を始めた。
それでも、学生時代の友人やネット上に居るADHDの人たちを見て「でもあの人たちは頑張れてるし」「ちゃんと仕事もできてるし」「結婚してる人だって居るし」と考え「だから自分も大丈夫!ADHDはただの特性!」と思いながらストラテラを飲み続けた。
自身の根本的な問題が"ADHDでは無い"と気が付いたのは初通院から約8年経過したあとで、引っ越しの都合により転院した先で「双極性障害」と診断された。
ADHDの二次障害としてよくある障害らしく、思い当たる症状はいくらでもあった。
そう診断されてから「ADHD仲間だと思っていた人たち」と自分とでは、状態が全く違うことに気が付き、心の支えが崩れていった。
今まで縋ってきた"同じ属性の成功者"という希望は手の届かない幻想で、その人たちは自分とは全然違う属性だった。
結局、社会復帰は出来ず、今は無職の引きこもりで、障害年金と生活保護を受給し、一人暮らしをしている。
ADHDの人を見ると「でもこの人はADHDだけなんだよな」と思うようになり、双極性障害の人たちに仲間意識を持つことは無かった。
もう海外のNPOみたいに、重い発達障害と軽度知能障害はTPOが理解出来ないし、
だからこそ、子どもを性的な見ることを許さない社会的合意なんだよな
TPOとフィクションと現実の区別が付く人しか世界にいないのならレーティングもゾーニングも一切不要なのですわ
だけどTPOが理解出来ずフィクションと現実の区別が付かないポリコレで保護を必要としている人ほどその自覚は薄く、
ポリコレがどうたらと騒いだり、実在の人物や企業に実際に攻撃を仕掛ける、
一応日本にもいるけどな、実名で言い切ってる当事者(発達障害の性犯罪者)と性依存症の対応してるクリニック
<当事者 (発達障害の性犯罪者)>
「小児性愛障害以外にも、発達障害や双極性障害、アルコール依存症もある。身体的な疲れ、人間関係のストレス、いじめといったものをうまく解決できずに感じていた“生きづらさ”から解放されたい時の手段の一つだった。そして、やってしまった。こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、どうしていいか分からずに、警察に助けを求めたのだと思う。自分の中に残っていた“良心のカケラ”というか、依存症治療で求められる正直さが必要だ、と思えたのだと思う。」。
「僕自身も心理的虐待を受けていたので、子ども心に“大人になったら子どもをいじめるような大人にだけはならない”と誓っていた。それでも、なってしまった。僕が立ち直るきっかけとなったのが、サバイバーの方たちの手記だった。それを読んで、自分がどれだけ深く子どもたちを傷つけてきたかと思った。例えば思春期前に、そういうことについて学んでいたら違ったと思う。また、ゲイ雑誌の中にある男児小児性愛のポルノの広告を見て、自分の居場所というか、“自分は少年愛者だ”という考えが強化されてしまった。一般化することはできないが、やはり自分はすごく刺激を受けたし、妄想を強化して自己正当化してきたことは間違いない。今の法律、規制は、不十分だと思う。たとえフィクションであっても、子どもに性被害を与える表現への規制は必要だと思う」と語っていた。
小児性犯罪の元加害者&専門家と語る【小児性愛障害のリアルと課題】
<性依存症の対応してるクリニックのご意見>
「現実とファンタジーの区別はついている。児童ポルノを見ても、実際の子どもに手をかけるなんてことはない」というのは、典型的な認知の歪みの1つです。自身が子どもに加害行為をしていなくても、それに加担している事実にふたをしています。
また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります。
小児性愛障害と診断された者たちは、生まれながらにして子どもへの性嗜好を持っていたわけではなく、社会の中でそれを学習し、身に付け、強化していきます。児童ポルノはその「パンドラの箱」を開けるきっかけとなっている可能性がとても高いといえます。
もしこの社会に児童ポルノがなかったら――そんな“たられば”を言ってもしょうがないですが、子どもへの性嗜好に気づいたきっかけが児童ポルノとの出合いだったというのは、小児性犯罪の治療グループで聞かれる定番中の定番のエピソードです。
そして児童ポルノを通して彼らは「子どもは性的な存在である」というメッセージを受け取り、認知を歪めていきます。見れば見るほど、それを利用してマスターベーションを繰り返せば繰り返すほど、問題行動は強化されていきます。
「児童ポルノがあるから現実の子どもにいかなくて済んでいる。なければ、子どもへの性犯罪はもっと増えると思うよ」というのは、まったく逆です。児童ポルノに触発されて実際の子どもに加害行為をする者もいる、と考えるほうが現実的ですし、そのように語る加害者に私は何人も会ってきました。
加害行為をする前には、トリガー(引き金)があります。クリニックに通院する者たちに「加害行為の前に何をしていたか、どんな状態かだったか」を振り返ってもらうと、子どもとのセックスを想起し過剰なまでにマスターベーションをしたというエピソードがよく出てきます。1日に8回もしていたという者もいました。言うまでもなく、そのときには児童ポルノがセットになっています。児童ポルノは確実にトリガーとなりうるものなのです。
児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません。
児童ポルノと表現の自由について議論するときは、常にその背景に被害を受けている子どもがいることを忘れてはなりません。これを加害者臨床では「ダブルクライエント構造」と呼んでいます。
児童ポルノを愛好するほとんどの人が現実とファンタジーの区別がついていても、その中から1人でも現実に加害をする者が出てくれば、それは対策が必要だということです。小児性犯罪は特にその傾向が強いということが、世界でも明らかにされつつあります。
「長年の加害者臨床の経験から、性犯罪は学習された行動という要素が非常に大きい。普段、暮らしている日本社会の中で学習してきたという結論です。痴漢に関しても同じことが言えます。生まれながらの痴漢はいないし、将来痴漢になりたいという人もいません。社会の中で痴漢になっていくわけです。したがって、小児性愛障害者特有の認知の歪みというものも、日本社会の中にある前提となっている価値観(子どもを性の対象として消費する社会)との相互作用の中で強化されていったものだと考えています」(斉藤章佳さん)
https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A
<海外のNPO>
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
昨年の9月から、原因不明の微熱、疲労感、睡眠障害、気分の落ち込みがあり、仕事に行くのが辛くなってしまい休職しています。
職場の上司から、会話中(会議中じゃなくて会話中です)に居眠りしてしまうことや体調不良による欠勤が増えたことから休職を勧められたのですが、「申し訳ありませんでした、まだ頑張れます、働かせてください」と言いながら自分の髪の毛を両手で掴んで思いっきり抜いてしまいました。
「うつ病っぽいけどなんか普通のうつ病と違う?」と感じたそうで、まずは統合失調症の薬が出されました。
しかし、妄想や幻聴などは全く無く、「本当に統合失調症かなあ…?」と疑問を持ちながら服薬していました。
また、その頃ものすごく涙もろくなっていました。
誇張なく毎日、特に16時くらいを過ぎると涙が溢れるようになります。理由は特にありません。
休職し始めだからナイーブになっているのかな、やっぱりうつ病なのかな、と思っていました。
涙が出ることを主治医に伝えると、統合失調症の薬に加えて双極性障害の薬を出してもらえることになりました。
その1か月後、私の身体にパニック発作が起きるようになります。
息が出来ず、全身が勝手に痙攣する発作でした。
頻度は2週間おきに1回、場所は自宅のベッド、時間は寝る直前、発作は毎回3時間ほど続きました。
パニック障害になってしまったかあ…と思い、病気のことを調べましたが、なんだか自分の症状とは違うな…と思う点も多くありました。
睡眠障害も気になっていたので睡眠外来で検査を受けましたが、異常はなしとのことでした。
入眠障害があるので、精神科の方で睡眠導入剤を処方してもらっています。
月経前症候群(PMS)の可能性もあったので、婦人科でピルの処方もしてもらっています。
また、血液検査でかなりの貧血だということも分かったので鉄剤も処方されました。
その後パニック発作が起きるのではないかと常に恐怖を感じるようになったので、うつ病とパニック障害に効くSSRIという薬を精神科で出してもらいました。
この時点で統合失調症の薬、双極性障害の薬、ピル、鉄剤、睡眠導入剤を飲んでいたので結構な量ですね。
しかし、この薬は2週間飲まないと効果が出ないのでなんとか頑張って飲んでいました。
それから2週間経っても吐き気が治らず、外出も困難になっていたため薬を変更してもらいました。
別の種類のSSRIが処方されましたが、
こちらも吐き気が起きてしまい、家から一歩も出られない日が続きました。
そうなると筋力が弱るので、家から徒歩5分もかからないコンビニに行くのすら重労働でした。
SSRIをやめることになりました。
ストレスで吐くくせがついてしまったので、吐き気止めを持ち歩くようになりました。
涙が夕方からじゃなく、朝からも出るようになったので精神科に相談に行きました。
「感情のコントロールのため、統合失調症の薬の量を増やしますか?」と聞かれたので、
「私の病気は統合失調症で間違いありませんか?」と尋ねたところ、
「まだ分からないですね。うつ症状は出ているとは思いますが、確かに今のところ統合失調症らしい症状は出ていませんよね」と言われたので
「じゃあこの薬中止させてもらえませんか?」と提案したところ、中止させてもらえました。
統合失調症の薬をやめたと同時に、人生で経験したことのないような睡魔に襲われました。
とにかく24時間眠い。人とまともに話せないし、食事をしようにも噛む気力が無くて大変でした。
しかし不思議なことに、気を失いそうな程眠いのに、いざベッドに入ると眠気はあるのに全く眠れません。
睡眠導入剤を飲まないと眠れませんでした。
主治医によると薬をやめたことでそんな眠気が起きることはありえないそうです。
眠すぎて全然日常生活が送れないことにイライラし始めました。全然食事ができないので気づいたら体重が激減していました。
筋トレがいいとか、散歩して日光を浴びるのがいいとか、バランスの良い食事がいいとか、そういうアドバイスはもらっても全部実行できませんでした。
しかし、良い変化もありました。
統合失調症の薬をやめてからなぜかパニック発作が起きなくなったのです。
その後の診察で、「双極性障害の薬も効いてる気がしません」と伝えたところ、双極性障害の薬もやめさせてもらえました。
これでかなり薬が減りました。
尋常じゃない眠気に困っていたある時、
ネット上で「ヤクルト1000」が流行っているのを見たので、2週間続けて飲んでみたところ、
眠気がかなり改善されました。
病院で2時間くらい待たされているときに死ぬほどイライラしていたのですが、それもなくなりました。
涙も止まるようになりました。
それでも体調は万全ではありません。
到底職場復帰できる体調ではありません。
障害者手帳の申請には精神科からの診断書が必要なのですが、診断書には「うつ病」と書かれていました。
昨年の9月から休んでいますが、病状が良くなっているとは全く思えません。
私は本当にうつ病なのでしょうか。