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はてなキーワード: ワープロとは

2023-09-21

社交不安障害持ちの三十路フリーターだがリモートワークしたい

スペック

学歴

高卒偏差値38)

職歴

データ入力派遣社員のみ 

所有資格

ITパスポート

・全経簿記2級

・OracleJavaBronze

全商ワープロ1級

秘書検定2級

電気工事士2級

・ボイラー技士2級

第二種冷凍機械責任者

危険物乙四

現在基本情報勉強

社交不安障害が一向に寛解せず、騙し騙し仕事している。人と対面で接すると疲れ切るので、出来るならリモートワークしたいが、私みたいな低スペに務まるリモートができる仕事なんてあるんだろうか。

有識者アドバイス欲しい。

ちなみに電気工事士職業訓練校で取ったが、あまりの手先の不器用さと周りの優しさに居た堪れなくなり、職業選択候補から外した。

2023-09-10

anond:20230910215634

90年代pcなんか、hddフロッピーも高かったから電源入れたら落とせない、

なんてマシンがそこらじゅうにあったなあ

アステカ文明文字を持たなかったって話なんだけど

古代アステカにおいては行政文書から晩飯レシピに至るまで全ての文字情報を電源入れっぱなしのワープロで記録してたから、エルナン・コルテスが間違ってコンセント抜いたせいで全部消失したって線はないか

2023-09-08

anond:20230908153647

ワープロ使ったことないから知らなかった…めっちゃ文字を大にして言いたいってことね?

anond:20230908153009

ワープロ用語で倍角とか4倍角とかってのがあったんや

40代オーバーじゃないと知らない単語かもしれん

2023-08-15

契約書の袋綴じと和綴じが別のものになったのは結構最近コンピュータプリンタ進化のため

契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369

いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。

そもそも現代契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったかなのだ

なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ

 

和綴じ式法的文書の袋綴じ

契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。

ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。

でもこれちょっと無理やりだと思わない?

実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。

そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。

ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。

なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。

 

戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。

そもそも謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。

 

こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。

 

ラインプリンタとページプリンタ

コンピュータ印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。

この印刷が出来るプリンタはページプリンタという。

だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタラインプリンタが主流だった。ページプリンタDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的OA機器メーカーラインプリンタしか製造していなかった。

ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である

ラインプリンタ場合印刷区切りが一行づつになっていて、プリンタ印刷指示が送られるとそのテキスト印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。

から票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。

また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトパイプ(|)でデバイスファイルlp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。

 

ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POS印刷されるレシートラインプリンタの生き残りだ。

 

プリンタ印刷方法インクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。

からカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。

 

一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段オフィス業務コンピュータドットマトリクス文書の清書はワープロというのが一般的だった。

これで法的文書ワープロ作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。

今でも弁護士文書表題倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。

 

これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネット接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。

その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。

 

和文タイプライター

因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。

https://youtu.be/JHJhah1c-K0

この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士弁護士など気合が入った士業と法務局裁判所など気合が入った役所気合が入った大企業契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。

 

オフィスプリンタ歴史

というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータプリンター史が隠れていたのであります

 

 

ついでなのでオフィスと紙に関するトリビアを置いておくよ

A4が当たり前になったのは1990年代前半

昭和日本ではオフィス用紙も法的文書原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所判決文でも全てB5だ。

だが1990年頃に役所関係書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカアメリカレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。

これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。

今、昔の裁判書類契約書、権利書を見ると実に小さい。

世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。

 

紙質の変遷

今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的場所で使う」紙だった。

先述の手書きワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。

これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。

トレーシングペーパークッキングペーパーと同じだ。

また、請求書類封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。

 

公的書類カレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田羊皮紙代替ではないかと考えている。羊皮紙中世欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV

鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。

これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。

 

こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。

なお、トレーシングペーパークッキングシートは長期間放置するとバラバラ崩壊してしまう。これは硫酸晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。

2023-07-06

anond:20230705134446

ガラケー時代から一定数『パソコン使ったことない若者はいるよ。

ちょっと前は「フリック入力しかできない若者」だったし、前は「ガラケー打ちしかできない若者」、ジジババ世代になると「ワープロも触ったことない若者」がいただろう。

日々の暇潰しに使うレベル仕事レベルは違うんだから、「日常仕事レベルスキル得てる俺すごいだろ」自慢とかやめたら?

ジャンル仕事する羽目になって「こんなこともできないの?」って逆の立場に晒された時に恥かくよ。

2023-06-30

anond:20230630153129

録音技術の発達によって活動弁士はほぼ絶滅した。

昔は各企業ワードプロセッサ操作員ていたの知ってる?

ワープロ書類作成する専門職

もうどこの企業見てもいないよね。

イラストレーターもそうなるってだけの話。

2023-06-20

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶ちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。

山一廃業ニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。

10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。

内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから不況からね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっと公務員試験教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。

当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。

まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビそれから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京流行っているファッションアイテム地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。

就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さなものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキ資料請求

そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業ハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知ほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。

パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミ卒論手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書き履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。

ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。

しかしながら増田の周りの女子大生特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員結婚理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。

男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかたから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。

氷河期世代理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。

もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。

結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。

内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業アルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。

アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。

増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。

数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。

だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。

転職しようと就職支援会社に行くと「年齢とキャリアミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcel履歴書ダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。

無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村ニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況煽りを受けて職場倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。

それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分健康保険国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。

増田には今、大学同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNS積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。

点字自動変換のワープロとかあったら点字翻訳とか楽そうと思ったが、audibleとかあるからまり問題でもないのかな。

文章入力したら手話アニメを作ってくれるAIとか出てきそうな気もするけれど、字幕問題いからどうなんだろ。

2023-06-14

anond:20230614023138

安倍麻生名前をあげれば反論になると思ってる奴何?

書道文化のある所は気にするだろ。日本からペルシャぐらいまで

読めない字を書く人に限って読めればいいと開き直るけど、読めないんだよなぁ読めない字を書く人は当然猛省してくれるんですよね?意思が疎通できなければ文字にする意味がないわけで書道文化だって必要からできたんじゃないの?

うちの年寄りミミズみたいな文字を「読めない方が悪い!」って放置してたら、年取って手がおぼつかなくなってから汚い線しか書けなくなってしまって、今ワープロメモできるようヒンヒン言いながら一から勉強してるし、手書き書類は何時間もかけて書かなくちゃいけなくなってる。

せめて矯正できるうちに綺麗な字にしたほうがいいぞー

2023-04-05

anond:20230405083415

昭和中期までの企業労働についてはサザエさん読むといいよ。

江戸

 企業ではなく財閥社長ではなく番頭

~~~明治維新

明治昭和初期:

 企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。

 女性大学に行くとニュースになる。教員医者作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書家事手伝いさんを雇える。

 ※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。

~~~第二次世界大戦

昭和中期:

 団塊世代。オーモーレツサザエさん企業につとめて三種の神器洗濯機冷蔵庫テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。

 家に自動車もあるとなおよい。女性大学生になる事例が増えたが都市部のみ。

 田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね実家も太いんだね)レベル

 頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。

 義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないか卒業できました)という人も田舎には多い。

昭和後期:

 労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校私立大学も増え塾もふえる。

 子供全員大学いかせないなんて正気か?

 そろそろクーラー自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」 

 パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?

~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済バブルがはじけた」か

平成前期:

 ICチップ産業コメインターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線テレホーダイからですね。

 ポケベル、ISDN、PHSなどスマホ前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。

 パソコン市販されるけどたいていの人はまだキーボードのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ

 エクセル方眼紙だろうが、「なにか」つくれれば尊敬されてた。

 ていうかワープロword機能と感熱紙プリンタけが入ってる機械ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん

平成後期:

 ご存じIT革命スマホ世代リーマンショックって平成20年だったのか

令和

 今だよ

 

さて

・過重労働 

 ↑昭和スマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能

 小学校で習ったそろばん電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの

 あとは人脈と移動力ものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。

 ※ちなみにメタル回線電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い

残業代が出ない 

 ↑そのかわり働かない。公務員教員も)は定時で帰るし。

 土曜日半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。

 まあ最初リーマン先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。

 あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。

 なんか親睦草野球大会飲み会みたいなのも多かったしな。

ハラスメント多め

 ↑ハラスメントなどという横文字言葉のもの日本企業風土にないが、

 そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。

 要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。

 今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。

 「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。

 自ら選択してなったのだからサラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。

 今はお医者しか残ってないタイプのいらん敬意だね

 

から昭和でいうブラック企業はね、

ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。

管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引からつけとどけのお中元お歳暮、お世辞がバンバンとどく。

そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。

農業だの家業手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。

まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから

それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。

 

reiwa

平成令和はやっぱインターネットオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。

荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。

昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。

 

労組

ああ、あと昭和ならではの労働事情としては、労組もあったな

学生闘争活動してた人が頭いいか背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、

何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。

そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代労災を払え」のような、

きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。

元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやす内部告発私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな

ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。

 

社員からすると労組経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさん理論なんだよな。

今は労組から管理職いける不思議労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。

労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから

労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律かいくぐることに必死になってるタイプブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)

社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。

経営陣はお客様代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。

でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間お気持ち)の味方ではないんだよ。

労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。

 

 

あとブラック企業って呼び方

個人的には「黒人企業蔑称」みたいでいやだ。

「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。

まあ昭和だと「赤=労組テロ共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。

色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。

 

追記

・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。

バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PC名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。

 もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。

 というか「バブルがはじけ、第一就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。

 俺が命名していいなら「1991バブルショック」か。

 1971が石油ショックで、

 2008がリーマンショックなら、

 およそ18-20年に一回なんかそういう失業氷河期祭りがあるんだな。

 次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。

漫画資料

理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった

 ・平成初期あたりの週刊モーニング作品

  (釣りバカ日誌クッキングパパOL進化論

 ・フジ三太郎東海林さだおコボちゃんなどのサラリーマンもの

  (絵柄が大体あの感じのやつ)

 ・YAMAZAKIっていう漫画があるんだって

 

 ※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。

  島耕作プロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。

  金と社員だけみれば現実もっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ

  一番サラリーマンの本体をしってるのは父親母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初サザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)

  俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、

  外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。

  (部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)

 ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世からの転身組漫画家の双璧だとおもいます

 

追記

・俺史上2本の指に入った

PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。

・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか

・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。

 花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。

 腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。

 というか子供からみて高校以降のママアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。

 ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。

2023-04-02

ChatGPTに謎の黒澤明監督作品を紹介された

Q.ファーストコンタクトを扱った映画を列挙して。

A.ファーストコンタクトを扱った映画は、SFジャンル代表的テーマの一つです。以下にいくつかの例を挙げてみます

2001年宇宙の旅」(1968年) - スタンリー・キューブリック監督の名作で、異星人とのファーストコンタクトを扱ったSF映画代表格として知られています

E.T.」(1982年)- スティーブン・スピルバーグ監督の名作で、地球外生命体と少年エリオットとの交流を描いたヒット作です。

コンタクト」(1997年)- ジョディ・フォスター主演のSF映画で、異星人とのファーストコンタクトを扱った作品です。

インデペンデンス・デイ」(1996年)- ローランド・エメリッヒ監督のヒット作で、地球外生命体の襲来と人類との戦いを描いた映画です。

ワープロ」(1999年)- アキラクロサワ監督作品で、異星人とのファーストコンタクトを通じて人間心理を描いた映画です。

アライバル」(2016年)- ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品で、謎の異星船が地球に降り立ったこから始まる、異星人とのファーストコンタクトを描いた映画です。

これらは、ファーストコンタクトを扱った映画の中でも代表的ものの一部です。


ワープロってなんやねん。

Q.「ワープロ」(1999年)とはどのような映画ですか?

A.「ワープロ」は、1999年に公開された日本SF映画です。監督黒沢明クレジットは「アキラクロサワ」として表記)で、主演は松隆子とリリー・フランキーが務めています

この映画は、異星人とのファーストコンタクトを描いたSF作品で、異星人が送ってきた謎の文字を解読するため、主人公女性研究者が「ワープロ」を使って翻訳を進めていくというストーリーです。

映画は、SF映画としては珍しく、異星人との接触シーンがなく、翻訳作業に主眼が置かれています。また、黒沢明監督晩年作品であり、映像音響重厚ものが多く、哲学的な要素も含まれています

ワープロ」は、日本SF映画の傑作として高く評価されており、黒沢明監督代表作の一つとしても知られています


検索しても出て来ないんだが・・・

英語圏にそういうデマ情報でも流れた事があるんだろうか。

2023-02-10

同級生結婚相手の話

中学時代同級生SNSを久しぶりにあさってたら、まあみんな結婚してるんだよね

結婚してないのは俺くらい

結婚してないやつはSNSに現れないのかもしれないけど

で、女の同級生結婚相手を見てみて「ん?」って思ったのよ

「あれ?お前らこのレベルの男と結婚したの?」って

学生時代だったら口も聞かなかっただろって男とみんな結婚してるわけ

そいつ絶対卓球部ワープロ部だったぞってやつ

要は俺レベルの男よ

そんなことなら俺と学生時代に付き合ってくれればよかったのにと思ったりもしたんだけど、まあ俺レベルでも意外と結婚できるのかもなあと思ったって話

2023-02-04

anond:20230204101311

20年くらい前かな?

テレビ新人アナウンサーの1日みたいな話があって、上司宛に来たメール印刷して提出みたいな仕事をしてたな。

役職付きのおっさん手書き文章を書いて、女の子ワープロで清書させるとか、パソコン操作は下っ端のやる雑用みたいな感じの時代

2023-01-30

パソコンキーボードって鍵ではないよなあ

ドアの鍵と似ても似つかない

語源調べたのでメモ


鍵の「キー」、ゲルマン語由来

中期英語 keye(鍵)⇒ 古期英語 caeg(鍵)が語源

音楽用語の「キー」の誕生 ※ここでラテン語由来の「鍵」に音階意味が含まれていたので意味が混じる?

音階意味は、同じ鍵を意味するラテン語の clavis の影響から

音楽楽曲の全体または部分の調。または移調楽器の基本音階、基準音。

管楽器発明

管楽器の指孔を機械仕掛けのフタで開閉する「キー装置」が発明される

鍵盤楽器発明キー装置名称転用か?→ここでキーボードを鍵盤と訳したのが混同の原因 音階操作盤とでも呼ぶべきだったか

タイプライター発明鍵盤楽器に似ているので名称転用か?

ワープロコンピューター発明

key 意味と語源 – 語源英和辞典

キー - Wikipedia

音孔 - Wikipedia

じゃあなんでラテン語の鍵って言葉音階意味が含まれてるのか

これはまた後で調べてみるかな

ここらへんか

Clavis, Clef そして Key: まうかめ堂日記

こっちは別の説だな

「鍵」と「錠」の話§3

2023-01-21

中古ショップパソコンワープロ楽器AV!喜んで買い取ります

小学生ワイ「えっちなコーナーがあるんやなあ」

2023-01-04

anond:20230104052053

ワープロ変換機能のせいで増えてるだろうなあ。

 

昔よりも漢字全般ちゃんとするようになったことと、トレードオフかもしれん。

2022-11-10

技術先生が私らでアイコラ作ってた事件

昨今、変態教師逮捕されるニュースを見るたびに思い出す中学生の頃の思い出。

アラフォーの母ちゃんです。

私が中3の時、技術家庭科パソコンの授業があった。

90年代はまだパソコンを持っていない家庭も多く、うちも父が仕事用を持っていた以外はなかった。

当然私もワープロ以外ほとんど触ったことがなく、ウィンドウズ95だったか98で立ち上げ方を習ったり、ワードで作文を書くとかそんなことしかしない授業だった。

先生ハゲた癖のある男性自分用のノートパソコンみたいなものを教卓において、情報室のプロジェクターに映す形で授業が進められた。

変なとこでキレたりブツブツ喋ったり正直好かれている先生ではなかったので、特にクラスヤンキー系の男子からは弄られて嫌われていた。

事件が起こったのは冬服に切り替わった頃。

いつものようにハゲ先生自分パソコンプロジェクターに映すと他の先生から呼び出されて情報から出ていってしまった。

5分位待っても帰ってこなくてみんな雑談していたけど、暇を持て余したヤンキー男子ハゲ先生パソコンをいたずらしだした。

まだCドライブやDドライブも知らなかった私達大半はともかく、どうやらヤンキーの中に少しパソコンを聞きかじった奴がいたらしく色んなフォルダーの中身を漁っていたようだった。

その時だ。

すげーボイン(古)でマッパの姉ちゃんにうちの中学女子生徒が生首みたいに切り貼りされた滅茶苦茶下手くそな合成画像プロジェクターいっぱいに表示された。

今だからそれはアイコラだと分かるが、インターネットなんか触ったこともない私たちはその妖怪のような画像阿鼻叫喚の大騒ぎになった。

まりの煩さにイライラしながらドアを開けたと思われるハゲ先生はキレながら入ってきて、ふとプロジェクターに目をやり固まった。

その後はもう顔から頭まで真っ赤になったハゲ先生が何か声にならない言葉を叫んで教卓に突撃して自分ノートパソコンをぶち抜いて教室を飛び出して行ってそれっきりだった。

女子は泣くしヤンキーはうるせえしカオス

しばらくして担任先生複数先生がやって来て教室に戻され、首謀者のヤンキー事情聴取をされた。

その後、技術家庭科教頭先生がやって来て教科書音読するだけの授業となり私達はパソコンを触ることさえなく卒業を迎えた。

ハゲ先生に関しては、担任や他の先生に聞いても「病気で休んでる」しかわず

受験前という事もあったのか、こんなヤバい事件があっても保護者が騒ぐこともなく見て見ぬふりをされた。

私らがアイコラのことを訴えても「ハゲ先生病気で休んでいるのに何てこと言うのだ」「今は気にせず受験に集中しなさい」とか今考えるととんでもない隠蔽工作が行われていた。

成人式でも同窓会でもハゲ先生アイコラ事件は未だに話題になる。

ハゲ先生はどうやら辞めたらしいが今でもどこかで先生やってたりしたら本当に日本クソだなって思う。

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