はてなキーワード: ポリシーとは
で、Windows8使ってるわけだけど、少々使いづらいので、自分なりに使いやすいようしたTipsを備忘録もかねて少し書いてみる。
MSはアップデートでスタートメニューを復活させると先日発表したけどそれまでのつなぎとして。あるいは復活したメニューが期待した通りのものでなかった場合の対処法として。
我々はすでに8.1のアップデートで一度MSに裏切られた。「コレジャナイ!」
win8にスタートメニューを追加するソフトはいくつかあるけれど、この方法でスタートメニューもどきを作る利点はOSの標準機能だけで実現できること。
セキュリティ/運用ポリシー的にソフトのインストールが禁止されていてもこの方法なら可能かと。
作ったメニューにwindowsのシャットダウンと休止状態の機能を追加する。
フォルダを開いて右クリック → 「新規作成」 → 「ショートカット」 で「項目の場所を入力してください」に以下を入力
dim objShell set objShell = CreateObject("shell.application") objshell.ShutdownWindows set objShell = nothing
スクリプト類は直接メニューフォルダに置くのではなく、どこか別のフォルダに置いてショートカットを介すほうがいいかもしれない。そうすればショートカットに好きなアイコンを設定できる。
ショートカットファイルを右クリック、「プロパティ」 → 「ショートカット」タブ → 「アイコンの変更」ボタン で変えてしまおう。設定にするのにちょうどよいシステムの主要なアイコンは %SystemRoot%\system32\SHELL32.dll にまとめて入っている。
あとは %USERPROFILE%\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\System Tools に「ファイル名を指定して実行」などの特殊なショートカットがあるので、これをコピーしてメニューに放り込む。
かつてのwindowsのスタートメニューにあった「プログラム」メニューに相当するフォルダはwin8にも存在する。
\ProgramData\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs
作ったメニューフォルダから上記フォルダにシンボリックリンク(ショートカットは不可)を張ると「ブログラム」のサブメニューが実現できる。
%USERPROFILE%\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\Startup
上記フォルダにテキストファイルを新規作成して以下を書き込み「デスクトップの表示.scf」などの名前で保存。
[Shell] Command=2 IconFile=explorer.exe,3 [Taskbar] Command=ToggleDesktop
子供がアンパンマンを卒業してプリキュアプリキュア言い出したのでここしばらく付き合って見てたんだけども飽きた。
アンパンマンも子供騙しと言えばそうだけど、まだやなせたかし氏のポリシーなりが感じられる気がする
(やなせ氏のバックグラウンドをある程度知っている故のバイアスかもしれないけど)のに
プリキュアから感じられるのはおもちゃ売りたいという商売っ気だけ。
綺麗ごとばかりだから見せても(おもちゃ欲しがる以外は)悪影響はなさそう、という点では安心して見せられはするけど、それだけ。
毒にも薬にもならないとはこのことだ。
以前上のお子さんがいるママ友が「上の子がプリキュア好きだけど、私は一度も通して見た事がない」と言ってた理由が分かった。
大人が見るもんじゃないわこれ。
自分は多少はヲタのはしくれなんで見てたけど、ヲタでも何でもない普通のお母さんはそりゃ見ないわ。
前番組の仮面ライダーとの落差が激し過ぎる。あちらは公式に「母親もターゲットです、大人が見ても楽しめます」と宣伝してるけどさ。
クラシックに詳しい知人も同じように佐村河内を批判していたのだけれど、その時はいまいち納得できなかったが、ようやく理解できた。
佐村 河内の作品が本当に彼の作品だったとしても、そもそも大した作品では無かった、もっと高いクオリティの作品を提供する身体障害者は居る、というのは理解できた。
佐村河内や新垣の作品の良し悪しは自分には分からないけれど、彼らの作品が詐欺うんぬんの話はさておき、彼らの作品の良し悪しはさておき、身体障害者の作品へお金を払おうということ自体は、人に批判されるものじゃない。
身体障害者に甘い、同等に扱うべき、純粋に作品の良し悪しで評価する、というポリシーで批評する人が居ても、
同情心から作品を賛美する人が居ても、どちらが居てもいいと思う。
今のご時世、どこぞの王族貴族が音楽家を養えるわけでもないご時世なのだから、そういう人達も取り込まないと、クラシック音楽業界自体が続けられないと思う。間接的には、コアなクラシックファンにもメリットがある事だと思う。
障害者が障害を使って金を稼ぐ事自体が健常者と同じ扱いではない、という観点は、分からなくもないけれど、それを言ったら、年寄りに席をゆずるな、年寄りだから働かず年金貰って生活するなんて甘えだ、子供も身の回りのことや収入も自分でやれ、と言いたくなる。言わないけれど。
少なくとも、そういう年齢に甘えてる世代よりは、自分の障害を使って自分の稼ぎを自分で得ようとする彼等彼女等の方が、マシだと思う。
それに対してお金を払おうと思う人が、批判されるのは変な話だ。単なる個人の趣味に難癖つけてるのと同じだと思う。レス増田は違うのかもしれないけれど、そういう意見も見るので、これは愚痴。
おねだり、というものが苦手だ。
男に媚を売ってプレゼントをもらったり、おごってもらったりすることはポリシーに反する、とずっと思っていた。だから彼氏とはいつも割り勘。
そういうのを求める女は図々しいし下品だし、そもそも「かわいらしい女でいる」ことの対価としてそういう扱いを受けるのであれば、可愛げのない私がそんなものを望むのは身の程知らずというものだろう。
それに、愛は金額じゃないっていうでしょう?
でも。でもね。
付き合う前から、お菓子食べたいとか言われたらしょうがないなーとか言って作ってあげたりしてた。旅行へ行くとお土産買ってきて!と言われるのでいつも買ってった。
別にお礼目当てでやってたわけじゃないけど、こないだのお礼ーとかいってちょっとしたコンビニ菓子とかでも買ってくれたり、喫茶店入った時に今日は払うよーとかしてもらったらうれしいじゃないですか。
そういうのないと寂しいじゃないですか。
してほしいこととかあったらどんどん言いなよ、とは言ってくれるんだけど、自分からは要求したくないわけ。図々しくはなりたくないから。
こないだクッキー作ってあげたよね?これ買って!とか言えるわけねーだろよ!
バレンタインのときも、結構がんばってお菓子作って。欲しいって言ってたアクセサリーも探しに行って買った。
で、ホワイトデー。お金ないのはしってるけど、ああデパ地下ねしかも予算抑えたのね、って感じ。
義理チョコあげた男の子が、いちいちわたしのツボを押さえた小物やらなんやら、考えて選んでくれたから予算とかあんまり考えてないんだろうなってかんじのチョイスで詰め合わせてくれて、正直ぐらっときた。
わたしって唯物主義のいやらしい女ですか?
それを態度に出さないだけよりいっそうたちの悪いですか?
3/20追記
予想外に反応あってびびってる。うれしい。ブコメトラバぜんぶ読んだ。
他の女とは違う自分が大好きなの、その通りです。
それでも結局他の女とはそう違わない。
相手が自分のこと考えて時間とかお金とか使ってくれるのが嬉しいんですよ、
そういうことに拘らないって顔してるけどね。人一倍こだわってる。
もらったものはお値段3桁です。
(昔同じものをおもたせに使ったことあるから知ってる。リーズナブルでそこそこおいしいお店です)
A(私):STAP細胞問題についてある大学教授や研究員がこんなことをつぶやいている。
これから査読を引き受ける際に、捏造や剽窃まで念頭に入れて論文を読まないといけないとしたら、やってられない。 https://twitter.com/hirokagi/status/442575902942035968
理研のSTAP細胞問題で驚くのは、倫理観の欠如だ。ここまで滅茶苦茶だと、何を信じてよいのか分からない。写真を使いまわされても、画像を操作されても、レフェリーが見抜くのは難しい。全ての著者の過去の論文に全部目を通すのは無理だ。 https://twitter.com/galois225/status/442623715348455424
インチキ論文を査読するのは全く無駄なので、査読した人たちのリソース(時間)が無駄になる。上手に文章を書くところまでは許容範囲だけれど、データ自体が捏造であるのは、許容されません。 https://twitter.com/buvery/status/442577799451119618
B(歴史学者):それは学問に身をおくものとして怠慢だ。そのような発言を学者や研究者がしてはいけない。
A:しかし実際にこの問題をきっかけに今後チェック体制が厳しくなると、時間やお金や人員を余分に割く必要が生まれるので、彼らの発言は愚痴ではあるがもっともでは。
B:このような学問の妨げとなるような発言をしてはいけない。あのような論文を上に通さないためにも査読とは時間をかけるものだ。
A:現存する全ての論文や写真を把握するのは無理だ。だから不正はないというある程度の信頼性によって成り立っていたはずが、この一件でそれが崩れそうになっている。改善するために新たにリソースを割くことで効率も落ちる。彼らはそれを愚痴にしている。
B:愚痴を言うべきではない。論文というものは時間をかけて多くの人が査読し審査するものだ。今回は気付けずにNatureにまで通してしまった理研内部の怠慢でもあるし、Natureにも厳しく審査をするレフェリーがいるはずなのにこうなってしまった。
A:では愚痴の必要性については個人の主観なのでこれ以上議論する気はない。ただ彼らの言うように剽窃を完全に見抜くのは不可能だ。本来ならばNatureは剽窃を100%完全に見抜くことは可能だと?
B:可能だ。Natureほどであればしっかりとしたレフェリー体制が整っており、何重にも審査している。しかしながら今回はそこの怠慢で起きてしまったミスだ。
A:Natureがどの程度の人員と時間をかけているかは不明だが、完全に剽窃を見抜くのは物理的に不可能ではないか。
小休止
実際にNature の査読ポリシー(Peer-review policy : authors & referees @ npg)には以下のような記述があります。
(私なりの日本語直訳を併記、正確には元の英文を参照してください)
"If the manuscript is deemed important enough to be published in a high visibility journal, referees ensure that it is internally consistent, thereby ferreting out spurious conclusions or clumsy frauds.
(対象とする論文が)雑誌に掲載するに値する重要性があると認められるならば、査読者は誤った結論(spurious conclusions)や不器用な不正(clumsy frauds)を探し出した(ferret out)上で、論文が首尾一貫していることを確認する。"
"Journal editors do not expect peer review to ferret out cleverly concealed, deliberate deceptions.
巧妙に隠された意図的な虚偽(cleverly concealed, deliberate deceptions)を査読者が見つけ出すことは期待しない。"
ただし、巧妙な不正を見抜くことは無理。
「論文の査読ではデータ捏造などの不正を見つけることはあまり期待されていない」 http://masa-cbl.hatenadiary.jp/entry/20140311/1394548424
日本のマスメディアはなぜか『nature』を金科玉条のように扱っているんだが、同誌に掲載された論文の半分はのちのちの検証で間違いだったことが判明するそうです。もちろん『nature』では専門家らに論文を査読させ、ある程度の裏付けを取ってから掲載します。しかし、それも完全ではあり得ない。これまで世界中に出ている全ての論文や画像データに目を通し、それらを正確に記憶している研究者などいません。
「なぜ『nature』は「STAP細胞」論文を掲載したか」 http://agora-web.jp/archives/1585914.html
A:これらのように、Natureは査読する上で完全に不正を見抜くことは想定していないとしている。
B:それならばNatureの査読システムは腐っている。もしくは自然科学という分野が腐っている。査読の過程で不正を見抜くことを放棄してはいけない。
A:しかしながらこの査読ポリシーは合理的だ。やはり現存する全ての論文を把握し不正を見抜くのは現実味がない。時間がかかりすぎる。
B:自然科学の分野においてはそうかもしれないが、人文科学、たとえば歴史学の論文においては査読は正確に行っている。
A:分野の問題ではない。どの分野であろうが、膨大な数の論文がある現状で剽窃を100%見抜くのは不可能だ。
B:不可能ではない。一体Natureの何を守ろうとしている?
A:今の文脈のどこにNatureを擁護する要素があったのか。自然科学と人文科学の間に優劣をつけているわけでもない。剽窃を完全に見抜くのは不可能だと言っている。
B:あの論文を上に通してしまった人達に責任がある。なぜチェックできなかったのか。このせいで世間から学問の根底が疑われてしまう。
A:Natureに通すまでにあの論文を通したあらゆる人に責任は生ずる。この一件により、今後査読者は「この論文は剽窃ではないか」ということを念頭に置かなければいけなくなり、本来不必要であった労力を費やすことになる。
A:労力を費やしていないとは一言も言っていない。さらに別の労力が必要になると言っている。
以下平行線
ランカーになった絵師は本音を言い始める。客を選ぶようになる。
「小説書き=ROM」は、もはや絵師の総意と考えてもいいのではないか。
http://www.pixiv.net/member.php?id=27517
マイピク申請は、絵を描いてUPしている方のみでお願い致します。
こうじ
http://www.pixiv.net/member.php?id=147202
マイピクに関しては
にしもん@次回は例大祭
http://www.pixiv.net/member.php?id=202286
■マイピクは絵を描かれる方
トリダモノ
http://www.pixiv.net/member.php?id=23654
ぺと
http://www.pixiv.net/member.php?id=16494
マイピクはpixivにイラストを投稿されている方に限ります。
ごめんなさい。
あぶぶ@ NOスタンプ
http://www.pixiv.net/member.php?id=103703
音速犬
http://www.pixiv.net/member.php?id=701809
マイピクについては、
ハートマーク付いてる方、ある程度の数のイラストを投稿されてる方なら大歓迎。お気軽に申請どうぞ!
バーニア600
http://www.pixiv.net/member.php?id=106414
マイピクは、絵をUPされてる方限定で超歓迎です。
卵の黄身
http://www.pixiv.net/member.php?id=35907
丑虎
http://www.pixiv.net/member.php?id=229353
■マイピク申請について
創作活動をしている腹責め愛好家のみ。
35歳以上推奨。
突然の申請は基本アウト。
・平成生まれお断り。
今朝は母と軽い言い争いをした。
母はなんでも我慢する。
言わないで、我慢して震えてる。
私はそれが嫌だ。
辛そうな疲れたかんじで、少しも笑ってない笑顔で「ウン…わかった。わかったよ。もういい。」っていう。
その姿を見るたびに腹立たしい。自分に酔ってやがる。
母はいつもいつも「あなたのため」といって、自分を犠牲にして何か世話を焼きたがる。
私が勉強で1位になったり受験に合格したときは、私よりも泣いて大喜びしてくれた。
でも勉強しろとあまりにも煩く、満点取らなかったらクラス最高得点でも怒られたし、禁止事項も多く、人を見下す発言が多い。
そしてよく「お前は母の半身で大切だ。愛してる。お前の人生はお前のものだけど、母の人生でもあるんだよ」とニコニコして言う。
だから私も母に甘えて抱きついてニコニコしながら、内心いつだってビクビクしている。
精神的束縛だ。
こんなの、居ない父(居たとしても[愛情]が欠落してるような人間)へのさみしさを私で紛らわせてるだけじゃないか!
しかしそれは私も同じなんだ。慢性的な孤独感と空虚感、罪悪感、焦燥感、自信のなさをどうにか紛らわせたくて、母に異常に擦り寄り甘えるのだ。
共依存。
まったくもって、共依存。
わたしたちの共依存には、同居してた父方の祖母の話も必要かな。
祖母は習字教室の先生をしていて、私は幼稚園ときから家の一角に通っていた。
書いた字を見てもらうため順番に並ぶのだが私は「家の子だから」と順番を後回しにされ、私だけ毎週「クズ・おばかで落ち着きがない子・のろまむすめ」などと皆の前で罵られていた。
この人、外ではとても上品そうでいい顔をする。そして典型的な悪の姑。父が不在の家で、母はいつもこの人に虐められてた。たとえば、母が風呂に入ってる時故意にお湯を止められたりとかね。
しかも祖母はアルツハイマーになり性格のクソさ&介護のクソさが日々激化していった。
母の気丈に振る舞う姿をずっと近くで見てて、糞ババアから私が守らなきゃって思った。
ちなみにボケ防止という名目で既にボケ始めてからも数年は習字教室運営は続行された。年々減る生徒。ボケる祖母。タゲられる頻度が増す私。
泣いて辞めたいと毎週母に訴え、忘れもしない、結局2年後の小6冬、罵りに耐えきれず書初練習を途中で放棄したことにより私の習字という苦行は終わった。
私は素直で明るいピュアな優等生というのがポリシーであったが小5くらいには祖母に対して怒りで満ちていてた。第5日曜のオツベルの象な感じ。
高学生のときには痴呆の進んだ頭の回転の早い祖母と激しく罵り合うことが頻繁にあった。本気で殺したいと思うほどに憎く、汚らわしく思っていた。
そんな感情を抱く自分も同じくらい穢らわしくて、もうピュアには戻れないんだろうなって悲しくてよく泣いた。
このとき通っていた進学校の勉強に私は全く着いていけなくて、アイデンティティが砕けまくりで、唯一の癒しの部活を禁止されたりして、遅刻を繰り返して、ゲームに没頭して、自分を諦めていて、勉強しなさいという母に祖母と喧嘩するのと同じテンションで言い返するようになっていた。
この頃から、我慢する母にも怒りを感じ始めた。
母は日増しに疲れていった。
なぜ?なぜこの人はただ耐えるのか。
何度も聞いたけど「耐えるが勝ち」みたいな答えでよくわからない。だってそんなに不幸そうな顔するのに。イライラする。私のせいだ。守りたかったこの人を傷つけてるのは私自身なんだ。
でも母はひたすら耐えてひたすら傷つく。なんでよ?痛いって言ってよ。
私は「辛いなら言って。力になりたい。」といつもいうのに、母は「うん」といいながら全然言ってこない。
悔しい。
私は一体なんなのだ。
イライラする。そうこうしてるうちに、さらにヒートアップしてしまう。止まれない。私には止まれない。耐えたくない。母みたいになりたくない!感情が爆発させる。母にも感情を爆発してもらいたいという希望も込めながら。
母は私を怯えるようになった。
私はいつも怯えて生きてるというのに。
鬱のような。でも鬱じゃないような。
大学1年で一人暮らしのとき、ある日突然涙が止まらなくなって動けなくて、本格的にメンヘラの仲間入りを果たした。
ホームシックだと思う。共依存が抜けないんだ。自立しようなんで思ったことを1度もなかったもん。
薬も飲んだし過食したし不眠したし過眠したし引きこもったし大学もたくさんサボった。鬱とか非定型うつだとか色々考えたけどどれもしっくりこなかった。
アダルトチルドレンだけは当てはまった。親にも言った。伝わらなかった。全く伝わらなかった。
へーそう。だから何?親のせいにしたいならすれば?って言われた。
信じてなくて、どうでも良さげだった。鬱とかACとか相談するたび、朝の星座占いぐらいに信じてなくて、聞き耳もたれなかった。
もう何をいってもダメだ。だめなんだ。
もう私が親から離れるべきなんだ。
ここ最近一番死にたくなったのは、母のためにUターン就職して、ブラックなとこで心身共に疲れて結局すぐ退職して近所の雑用バイトを始めたとき「べつに地元に拘らずに東京で一人暮らしで働いてもいいじゃん?」といけしゃあしゃあと言われたことだ。居てくれたほうがいいって言ってたくせに。
何言いたいか分からなくなったよ。
いいや、とくになにか主張したいんじゃない。
ただ、言いたかっただけなんだよね。
性格悪いよね。こどもだよね。でもこれが私なんだよ。
なにもかも味気なく感じる。ジェットコースターとか乗るときだけ、マジに心が動くってかんじかな。
悲しいな。
今更だけどガッチャマンクラウズ見たので感じたことを書きたい。(ネタバレ注意)
このアニメは登場する主要なキャラクターがそれぞれに異なる正義観というかポリシーみたいなものを持っていて、それぞれがいわゆる典型的なヒーロー像を象徴していたように思う。
今回はそういった個々のキャラクターは置いておいて、大筋のストーリーから勝手にメッセージを読み取ってみる。
ガッチャマンクラウズには典型的な正義観を持った2つの陣営が登場する。それはガッチャマン陣営と爾乃美家累である。ガッチャマン陣営(はじめ除く)は各々の考え方の違いはあれど基本的には勧善懲悪的なスタンスである。一部の優秀な人間がその他多くの言ってしまえば愚かな民衆を導く必要があるという考え方を持っている。それに対して累はヒーローは社会に必要ではなく、民衆全体の働きかけによってより良い社会を実現しようと考えている。しかしこの理想は性善説的な考え方に大きく寄与している。
ここにはじめとカッツェといういわゆるジョーカー的な存在が登場する。2人はこれら2つの陣営にそれぞれの正義観に対する不備を突きつける。
はじめは何事に対しても先入観なくフラットに接し、自らの価値判断基準に則って行動することで今まで悪だと思っていた存在がそうでないこともあるということを突きつけた。一部の優秀な人間が舵取りを間違えたらあかんよねという事例である。カッツェは累に対してあえて困難な状況を作り出し、自らが与えた力を使わなくては結局民衆による正義など実現できないという矛盾を突きつける。更に後半はGALAXとNOTEを累から奪うことでクラウズを使って人間の性悪説的な側面を増幅させる。これは民衆による正義は結局易きに流れる為不可能と象徴的に示しているといえる。
はじめとカッツェによる引っ掻き回しによって2つの陣営共に自身の正義観を変容させていく。ガッチャマン陣営は清音を筆頭としてはじめを受け入れることで、一方的に先導するだけが正義ではないということを理解してく。累については人々の内発的な動機による助け合いではなく、社会の仕組みによって外発的に動機づけを行うことではじめて理想の社会が実現できると考えを改める。以前の累は多くの民衆に対して自身の正義観を押し付ける側面が少なからずあった。それはHUNDRED No.26 梅田 光一を説得する場面からも読み取ることができる。人々が内に秘める助け合いの精神を信じていた結果としてそのような正義の押し付けにつながっていたといえる。それが最終的には各個人の考えを矯正するという発想をやめ、システムとして人を誘導するという発想に至る。「立川市で何をするかはみんなの自由」という発言は、人の性善説的な側面を無批判に信じて出たものではなく、民衆を正しく先導する覚悟を決めての発言であったんだと思う。
インターネットの普及、ソーシャルネットワークの出現によって今まで以上に群衆の声、力が大きくなってきた社会は、特定のリーダーが多くの群衆を先導するには複雑すぎる。そういった状況の中で現代社会はどうあるべきか?それがこの作品を通して伝えたいテーマであると思う。
恐らくあのラストで表現したいことというのは、「荒らし」をするような人たちは規制や否定ではなくならないということ。(殺さない・殺せない)自分たちが世界の楽しみ方(ゲーミフィケーション等)をみせることでしか、変えることができないということではないでしょうか。
世界をポジティブに捉え、行動したほうが合理的と思わせるような体験を見せることでしか、変わらないということを言いたかったのではないかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/loki16185/20130929/1380428729
この疑問に対して作中での答えはゲーミフィケーションであり、人間が本質的に易きに流れる生き物であるならそれを肯定し、社会全体としてより良くなる方向にインセンティブを与えることでボトムアップに社会を運営していこう、という発想である。ガッチャマン陣営と累がはじめとカッツェにそれぞれ自分たちの正義観の不備をつきつけられ、互いに価値観を共有し合ったことでこのような発想に至ったと考えられる。
しかし、この考え方には未だ危険も潜んでいる。インセンティブを与える基準、いわゆる「いいこと」の評価関数の決め方次第では結局正義の押し付けになってしまう。この評価関数の決め方という部分まで踏み込んではじめてこれからの社会の正義のあり方という問題の答えになるのではないか?と感想を抱いた。
はじめに:
東京でも無料のwifiスポットが増え始めているが、使い心地がすこぶる悪い。無料なのだから文句を言うな、といわれそうだが、できるだけ快適に使えればそれにこしたことはないだろう。
以下に挙げる無料wifiスポットが使いにくい理由の共通点は、
といったことだろう。
以下、備忘録として、個別に無料wifiスポットの問題と対策をリストアップしてみたい。他に思い当たる物があれば是非トラバでご指摘いただきたい。
接続用の専用クライアントアプリが必要で、これを使わずにブラウザを立ち上げると、MANTAの使い方を説明したサイトにリダイレクトされるが、ここからアプリをダウンロードすることはできない。
したがって、MANTAを使いたければ、事前にアプリをダウンロードしておく必要がある。
国会図書館には公衆無線LANとしてFreeSpotが導入されており、これを利用すると、無料でネット使い放題、マンガ読み放題の環境が完成する。
しかし、ここでFreeSpotをつかうためには、事前にメール認証が必要になっている。しかも、フリーメールのアドレスは受け付けてくれないという無意味なポリシーがある。
Eメール認証をしない場合はゲストとして10分間だけ接続できるため、この間にメール認証を済ませることもできるかもしれないが、メール認証をするときには、つかっている機器のMACアドレスまで入力を求められるため、普段そんな物を知らずにつかっている人には、10分間で全て入力完了し、しかもメーラーで接続用のパスワードまで受け取るのは、至難の業だ。
第1ターミナルと第2ターミナルの全域で無料のwifiが使える。事前の認証等は不要だが、確認画面を何度もクリックしなければならない。また、無意味にメールアドレスの入力を求めてくる。
しかし、メールアドレスを登録してパスワード等を受け取る必要はないため、でたらめなメールアドレスを入力しても普通に使うことができる。
HANEDA-FREE-WIFIに接続してブラウザを立ち上げると、名前とメールアドレスの入力を求めてくる。これも適当でよい。
ほんっとにこの手の話でいつもいつも疑問なんだけど、なんで魚介類のことには一切触れないんですかねぇ…
海外でも毛皮を着てる人にインクだか水だかかけたという例を聞いた事あるけど
真珠を取るためだけに犠牲になる貝が可哀想じゃないですかー残酷ですぅ><
珊瑚だって生きてるんですよ!ガリガリ削られて痛いにきまってます><
イカスミから液晶やインクを作るのは人畜非道な行為です!イカを守ろう><
……とか、言ったらどうなの。
屠殺もそう。お肉にされる動物可哀想、お肉食べるのはやめて!…と言うけど
こういう、「哺乳類と鳥類は可哀想だけどそれ以外の命はどうでもいい」という考えのほうが、よほど差別的で残酷だと思う。
人工の着色料は嫌だと言うから安全で天然のコチニール色素を使ったら、今度はキモイからやめろとクレームつける人も同じ。
綺麗で優しいもののことを「自然」だと思ってるだけ。厳しくて汚い部分は無視。
結局は「それっぽいこと」をして満足したいだけなんだろ。
個人レベルでやりたいなら勝手にどうぞだけど、そんな生半可でご都合主義のポリシーを振りかざして、他人の食生活に干渉しようとしないでほしいね。
バージョンアップで変更される可能性とか、
それでもやりたくなかった。
マトリクスを書いて、外堀を埋めて、ぴったり当てはまるロジックを考えろ?
そこに使えるメソッドがあるのに、わざわざ不安定すぎる道を選べと?
上司に伝えたら殺されそうな開き直りを内心覚えながら、状況を聞くPMに答えた。
これは分かりました、これは分かりません、これは分かりません、これは全く分かりません……
教師に、宿題を忘れた理由を聞かれて、はぶてた態度で答えるように
PMに首を振り続けたら、何も言わなくなった。そして昼も過ぎ、煙草でも吸いにいくかと顔を上げたところで一角でチームの皆が集まってるのが見えた。
『こうすれば、いけるんだって。
GSM対応版で、CDMAの検知は未実装だから、その部分と実地確認が簡単に出来るようなアプリをお願いします。
知らないうちに調査は終わってロジックもほとんど出来ていた。試験表も一緒に来た。
言い訳しても作れない。
立ち上げたアプリが全く動かなくて
理由も分からず、デバッグコードを手当たり次第に埋め込んでいったら瞬く間に汚くなってやり直しの繰り返し。
そのうち、もらったソースコードにも手を入れて手をつけられなくなり、15時でファイルサーバーのリカバリーサービスが走ることを思い出すまで、頭を下げてソースコードを再度貰いにいくか迷った時間は最高に無駄だった。
それでもようやく時間内に検知処理は出来るようになって、しかしそれ以外にかけられる時間はなかったから、ボタンが左上に偏るわ、出力される文字は小さいわ、散々なものが出来上がることに。
PMに持っていくと始めに聞かれた。
忘れてた。慌てて自席に戻ってやり直すと、CDMAのところ……つまり、自分が作ったところだけ期待通りに出来ない。
テストにパス出来なかったこと、修正箇所を調査したが分からなかったことを伝えると、今日は遅いし、後は引き継ぐよといつもの笑顔でお疲れ様。
死にたくなっただけだった。
Forza5の為にXboxOne輸入して遊んでるんだけど、1か月近く使ってみて思った。
パッと見は確かに「自社製品のUIを統一しようとしているのか」って思ってたけど
使えば使うほど似ているのはパッと見だけで、使えば使うほど実際には別物だと思うようになった。
タイルを並べるあのUIをちょっと見ただけだと「似てるな」って思うよね。
けど全然別物。
その一番デカい理由がコレ。
Windows8のタイルはアプリからデータを渡して表示できるようになってる。
天気予報のアイコンなら翌日の天気とか、ニュースアプリならニュースの画像や記事の冒頭部分とか
メールアプリなら新着メール件数やメールの一部内容とか、その他諸々。
シングルプレイヤー用のゲームなら最新のセーブデータの進捗等のデータを表示したり
forza5ならドライバターの戦績やらシングルプレイイベントの進捗とか表示してもいいもんなのに
見た目だけ似せた紛い物。
Windows8より先んじて市場に投入されたWindowsPhoneもModernUI使ってる。
けど、この両者ですらポリシーが一貫していないという有様。
WPの場合はアイテムの左端をタップすると左側に隠れてたチェックボックスが現れる。
アイテム自体を左側にスワイプすると右端に隠れてたチェックボックスが出てくる。
Windows8をタッチ操作メインで使ってる稀有な人の中でもこれ知らない人結構いるんじゃないかな?
世間一般的には評判の悪いModernUIだけど、個人的にはそこまで嫌いでもない。
起動後に表示されてデスクトップに映るまでのちょっとした時間に
XboxOneでもそういうイライラがちょいちょいある。
XboxOneの数少ない良いところは、あの無駄なDLCコード入力がQRコード読み取りでマジで一瞬で終わるとか
シーズンパス買ってる時にいちいちゲーム側からDLしないといけないという制限がなくなって
シーズンパス所有時にはマケプレでも購入ボタンがインストールに代わってるから
間違って二重課金する可能性がゼロになったとか、そのあたりかな。
あぁ、あとUpload Studioでアップされた動画はそのタイトルの販売ページに表示されてるのも意外と良い。
ただ、マケプレを簡素化しすぎて必要な項目すら削っちゃってゲームのデモを探す手段が
「demo」でキーワード検索するしかない(ゲームタイトルの販売ページから関連アイテム一覧出すことも出来ない)っていう糞っぷりとか、
トップからゲームタイトル一覧を出す方法が微妙にわかりにくいとか
新しい事に挑戦するのと過度の断捨離を履き違えてんのかなーって思うね。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
ただのクズ女の戯言です。
手も繋がない
キスもしない
だって世の中には誘惑が沢山ある。
この人は、とにかく口が立つ男だった。
見た目はナメック星人みたいで
毎日が楽しくて、幸せで、壮大な喧嘩もしたけど、仲直りもサッパリ出来る
とにかく大好きだった。
この世にこんな好きな人はいないんじゃないかって位、好きだった。
でも、その人は王子様ではなかった。
予兆はあった。
まずは、デリヘル発覚事件。
あっさりと机に置かれていた如何わしいポイントカード。
デリヘル。
今となっては、なんておぼこちゃんなのか!と思うけど
嘘だ、嘘。
メンヘラかのように爆発した。
怒りと悲しみで、前歯が欠けた。
さらにその時の私がとった行動は完全に狂っていた。
ただ、他の女に欲情されるのが気持ち悪くて仕方なかった。
そして出来る限り店舗にしてくれ
と、元サヤに戻った。
彼は何事もなかったように、楽しくしてくれていた。
元に戻れたかと思っていた。
だけど、そんなものはまた嘘だった。
細かいことは、余りに辛いので省略する。
とにかく、何も信じられなくなった。
そして別れを告げた。
だけどまた、一月ほど経ってから
気がつくと付き合っていた頃と同じように会うようになった。
もちろんセックスもした。
一緒にいて、楽しい日々が蘇ってきた。
なんて言われて
もしかしたら、許せるのかな。
許せる時がきたら、この人とやり直したい。
そんな風に思いはじめていた。
しかし、発覚した。
私はあくまでその寂しさを埋める代替品だったということに。
さすがに笑えた。
何度も繰り返してきた。
なのに何故気づかないんだ。
いや、ほんとは全部気づいてた。
バッサリと縁を切った。
好きでもない人と、セックスする気持ち。
じゃあ彼氏もいない今、やってみるのもアリなのかなと。
色んな男とヤりまくった。
先輩
後輩
出会い頭
あと、ネットで会うのは怖いのでやめた。
早い話、セックスなんて誰とでもできる。
そりゃそうだ、女はセックスを金に変えることができる。
正直、気持ちいいものは気持ちいい。
そこに愛とか挟んでなかったとしても。
余計にわけわからなくなった。
私もおんなじ、汚い生き物なんだと思い知った。
男も嫌いになったけど、自分も嫌いになった。
その人は、何処と無く自分と似ている。
話したわけでは無いけど、きっとおんなじ傷を持ってる。
女のことなんか信じてない。
驚く位に、すぐに惹かれた。
もう二度と恋なんかできないと思っていた矢先に。
何度か時を重ね、恐ろしいほど順調だった。
だけど好きとは言えなかった。
よくある話だが、私にとってはジ•エンドを意味する。
だってもしこの人が私と同じなら
心と身体は別モノだ。
それがよく身に染みてるからこそ
これは失態だ。
でも、どうしたらいいのかわからない。
この年で、この状況で、今更好きとも言えない。
色んな意味で重たすぎる。
気がつくと、男に負担と思われないように
会いたいタイミングは相手任せ。
どう考えても都合がよすぎる。
でも、図々しく押せない。
嫌われるのがこわいから。
セックスに愛なんか無いのも知ってる。
でも、ひととき繋がって、嘘みたいにひとつになってるその瞬間が
とてつもなく幸せ。
セックスは簡単にできるのに
好きって一言が言えない
大人になるっていうのは、余計なことばかりなんだな。
保守的で、閉鎖的で。
それなのに戦国時代と変わらずに「墨」って言う人は何かポリシーでも持ってるの?
個人的に戦場で会ったら、こいつ墨家か?って不安になるんだよね
http://anond.hatelabo.jp/20131114235445
それなのに学生時代と変わらずに「拙者」って言う人は何かポリシーでも持ってるの?
個人的に仕事で会ったら、こいつ大丈夫か?って不安になるんだよね
周りが皆「私」って言ってたら普通にそれに直すものなのにいつまでたっても「拙者」のまま
幼稚なまま年齢だけ上がってしまったんだろうね