はてなキーワード: バイアスとは
◎書いた人の背景
・待ち合わせ時間は守る方。
・周囲は遅刻癖のある人間が多いが、付き合いが長いやつに関しては諦めている。
・子供の頃は3分早く友人宅に着いてもその場で待ち、申告した時間丁度にインターホンを鳴らすことに愉悦を感じていた。
・とはいえ自らも時折遅刻する。結婚式でも危なかったことがある。
◎案件
日中、Twitterで遅刻常習犯からの言い分が炎上していた。
個人叩きや感情論につなげたくは無いのでリンクは貼らないが、下記のようになる。
""
・+30分はデフォなので許してほしい
・あと何分で着くか聞かれるけどとりあえず100%到着するのは確実なので安心してほしい
・最終的には時間じゃなくて「到着したか否か」で評価してほしい
""
これを受けて私のTLでもあれこれ言われていたが、基本的に感情論に根差しているように見えたのと、「遅刻常習犯は何故繰り返すのか」について冷静な分析が行われていなかったので個人の見識でここに書く。
なお、なるべく感情論を抜いて書いたつもりだが、タイトルにある通り比較的遅刻しない側なので、どうしてもバイアスがかかってしまうことをお断りしたい。
また、文面から友人関係かそれに準ずるフランクな関係と判断したので、「じゃあ退勤時刻も守れよ」という遅刻派閥の言い分は労働問題としてよそでやっていただきたい。
まずこの点を押さえておきたい。
対面でなら口頭で、LINEなどのメッセージサービスなら既読が付くかメッセージを送ることで相互に了解したことになるだろう。
これは形式的には口約束だが、民法上は口約束も契約に含まれる。
(参考:http://www.shinginza.com/keywords/kuchiyakusoku.htm)
書面が無いと言った言わない論争になるので重大な案件に関しては書面に残すというだけの話だ。
定義としては「当事者の合意によって結ばれる法律的行為」とのことだが、日常的には「互いの行為のやり取り」といった具合になる。
「作業の分担を依頼する」「店で金銭を支払って商品を受け取る」「所定の手続きを踏んで認可や証明書を得る」など、「ある行為に対して一定の行為で返す」といった営みが日々繰り返されている。
代金を支払ったのに商品が渡されない、代金を払わずに商品を持っていく、というのはどちらも社会的に問題視されるが、これは当人が無意識であっても契約違反だからだ。
我々は意図せず、契約が履行されることを前提として行動している。
この観点からすると遅刻は契約不履行ということになり、社会一般的には悪とみなされるだろう。
「社会一般的には」と但し書きしたのは、互いに遅刻を咎めないコミュニティに生きる分には問題ないからである。
ただ、本案件は異なる文明の衝突によって生じた炎上であり、広く認知された以上は社会一般的な見地から分析するのが妥当だろうという話である。
なお、「そもそも集合時間を了承していない」と述べる人物も想定されるが、LINEで既読をつけるなどした上でこう主張する輩は真正のクズなのでもうかかわらない方がいいと個人的には思う。
◎遅刻の原因はどこにあるのか
今回の件で個人的に最も気になったのはこの点だ。
遅刻という結果には必ず原因がある。
遅刻しない人間がいるということは、遅刻する人間には何か違う行動をしているはずだ。
私のTLや当該ツイートのリプライ欄にはあまりここに言及したものが無かったので、私個人の遅刻経験談を元に分析してみる。
様々な原因が挙げられたが、これを3つに大別することができると考える。
A:不注意
集合時刻を勘違いしていた、電車の到着時刻を勘違いしていた、集合場所をよく確認しないで赴いたら思いほか遠かった、などが該当する。
個人的にはこれが最も頻度として高い。
B:準備不足
着る予定だった服が見つからない、持っていくつもりのアイテムが見当たらない、財布や鍵が見つからない、などが該当する。
C:過小評価
バス停や駅まで案外時間がかかった、荷物の準備や身だしなみに予想外に時間をもっていかれた、などが該当する。
もう少し早く辿り着けるつもりだった、準備できるつもりだった、という想定の甘さは、「自分ならこれくらいでできるだろう」という自己評価の不用意な高さと表裏一体だ。
これは後述する人物的背景の考察に深く関わってくるが一旦置く。
遅刻する際、ABCそれぞれの要因が複雑に、かつ多段階的に関与することで約束に間に合わなくなると考えた。
待ち合わせまでのルートも様々だが、今回は公共交通機関を利用して目的地へ至るモデルを考えたい。
具体的には「自宅⇒最寄りのバス停⇒最寄りの駅⇒電車の乗り換え1回⇒目的の駅」というルートだ。
このモデルは待ち合わせパターンの最低限な多様性を含んでいるので、目的地が遠ければ乗り換え回数を増やせば対応できる。なんなら電車の乗り換えも無くてよいくらいだ。
徒歩圏内や自転車・自家用車での移動はシンプルなので、上記モデルで検証する問題点で対応できる。
ではこのモデルを詳細に分解してみる。煩雑になるがご容赦願いたい。一部は順不同になる。
・起きる
・着替える
・歯を磨く、髪形を整える
・鞄に物品をつめる
・トイレを済ませる
・家を出て鍵をかける
・バス停に向かう
・バスに乗り、最寄りの駅に着く
・電車に乗り、乗り換え駅に着く
・乗り換えを行い、目的の駅に着く
・目的地に着く
列記してみて今分かったことだが、私が想定する行動プロセスは過半数が家を出るまでのものになった。
一つ一つのプロセスについて、上記のABCで落とし穴を想定すると下のようになる。
・起きる
⇒AC:前日夜更かしする、起きられるつもりで起きられない、アラームセット忘れ
・着替える
⇒BC:服を用意していない、当日何とかなるつもりでいざ当日に悩む
・歯を磨く、髪形を整える
⇒C:もっと早く終わるつもりでいる
・鞄に物品をつめる
・トイレを済ませる
・家を出て鍵をかける
⇒BC:思ったより便の出が悪い、トイレでスマホを使っていつの間にか、持ったつもりの鍵がない
・バス停に向かう
・バスに乗り、最寄りの駅に着く
・電車に乗り、乗り換え駅に着く
・乗り換えを行い、目的の駅に着く
・目的地に着く
⇒ABC:バス停までの歩行時間を過小評価する、事前に交通機関の時刻を調べない、乗り換え時間を甘く見積もる
現実にはもっと多種多様な段階を経る人がいると思われるが、段階が増えるほどリスクも増える。
そして、このシンプルなモデルでも私が想定できていない落とし穴がもっとあると思う。
遅刻する原因は、上記の落とし穴のどれかに嵌まり、時間をとられることで発生すると考えられる。
従って、遅刻しないためにはこれらを逐一つぶしていく(もしくはすっ飛ばす)必要がある。
どのように改善するかは個人の資質と、対人関係に依存するので一般的に論じることは難しそうだ。
ただし、遅刻が本質的に契約不履行であることを考えると、契約履行のために改善コストを支払う気がないという人物像は見えてくる。
前述の落とし穴箇条書きを見ると、Cが多いことに気づくだろう。
このことから、かかるコストの過小評価、裏を返せば自分の能力に対する過大評価をしがちな人物が遅刻の常習犯になりやすいのではないか、という推測が湧いてくる。
より穿った表現をすれば、「自分なら何とかなる」「自分が正しい」というやや傲慢で事項中心的な人物ではないだろうか。
ここで元のツイートを再掲する。
""
・+30分はデフォなので許してほしい
・あと何分で着くか聞かれるけどとりあえず100%到着するのは確実なので安心してほしい
・最終的には時間じゃなくて「到着したか否か」で評価してほしい
""
待ち時間を適当に過ごしてくれという主張は、相手に時間をロスさせているという想像力が欠如している。
実際リプライ欄を見ると、「遅刻する人は趣味など自分の時間を大切にする人」というリプライにいくらか賛同がなされているが、相手にも「大切な自分の時間」があることを忘れて「適当に過ごして」などと表現している辺りが根深い。
最終的には時間じゃなくて到着云々は、そう主張するならそもそも約束する時点でそのような契約内容にして同意を得るべきだ。
ちなみにリプライ欄の他の意見としては「時間に余裕を持っても結局アレコレ始めて遅刻する。相手は待っていてくれるから大丈夫。」「時間守るくらいでマウント取れていい身分ですね」などがあった。
邪推に邪推を重ねるが、恐らく実際に何か秀でた部分があって自己評価が高かったり、一目置かれているおかげで黙認されるなど「何とかなってきた」という経験がこういった人格を醸成するのではなかろうか。
リプライ欄を見る限りでは強ち間違っていない気もするが、わざわざ炎上案件に飛び込む人物にはそういうバイアスがかかっているだろう。
◎ではどうすればいいのか?
この浮世の地獄を脱出するのに最も良いのは互いに関わらないことだが、残念なことにそれは現実的ではなく、だからこそ地獄の様相を呈している。
よくある案としては「1人だけ30分前を伝える」というものがあるが、これは30分前を提示した人間が30分前に現れない場合やはり契約不履行なのでお勧めしない。
「こっちが15分前に来てるんだからお前もそうしろよ!」などとキレている定刻派もいたが、それは契約内容に含まれない。重要なのは約束した時刻にその場にいるというその一点のみだ。
・ものごとには原因があること。
これらを前提として、後はそれぞれの関係性の中で落としどころを模索するしかないだろう。
とくやりてむ。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
ハーフという呼び名はネガティブだからダブルにしよう、という働きがある
私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ
そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも
少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフの言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツをベースとし残り半分の割合を指すものがメディアで目にするものも含め一般的なものであるように思う
同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプルで客観的で図式的な概念であり、本来の単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い
ダブルへ繋げる論拠として
あるいは血統主義から一方の国、この場合は日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す
正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う
先にクォーターをハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ
彼ら、彼女らの言うネガティブさである単語からのマイナスイメージで言うならクォーターはハーフより印象は悪い
ハーフが半人前ならクォーターは人間が四分の一しか出来ていない、となる
ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合、単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない
繰り返すが言語的な用法としてハーフとクォーターは現実として連なっている
ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない
クォーターに通じない論理でハーフを解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える
だがダブルの法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合の意味での用法ではなくなってしまう
それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーターは日本とアメリカのダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいてしまう
単純にハーフの上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない
だがなぜかそうではないのだ
単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフを否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない
そもそもこのハーフに対する話は日本の和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス的言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米で一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた
ただ日本のように単語自体にルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名や民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい
またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味にネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った
ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった
そういえば以前テレビ番組でハーフはネガティブだからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフのアメリカ出身の女の子がアメリカでも普通に使う、言葉自体にネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した
ダブルもハーフも海外で通じる通じない、という日本のガラパゴス的意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった
略さないのであれば、また略さないそれがそのままダブルの意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフに否定的になる理由はない
ならなぜダブルなのか
調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフやクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本でミックスを表現として使っている人も既に少なからずいるようだった
特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った
言葉としてハーフやクォーターと平行して組み合わせる事も可能で汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体にルーツの意を含ませる事自体も、ハーフやダブルと比較すれば難しくはないらしい
言語的にも、日本のガラパゴス的言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる
違う言語圏から見て、初めて聞くハーフというその言葉はネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う
そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう
そして誤解とはいえ、ネガティブな枠で自身が定義される、それ自体への拒否感も理解できる
だがその場合ハーフという言葉に言語として、用法としてのネガティブさは認められない
問題は日本独自の略語、和製英語が生む対外的な混乱による認識の差異、ただ1点だ
単語として、ハーフを基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える
実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフのマイナス面が語られ、ダブルのポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的なものに留まり、ハーフが差別的である、ネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ
ハーフのマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う
そもそもダブルが持つとする言葉のポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフのマイナス面を示す事でのあくまで相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う
賛同している多くもハーフのネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある
それにしてもダブルを肯定するという事は当然過去遡って差別的、ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしまう
そのポジティブさはハーフという言葉に相対的犠牲を理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と
確かに現実としてハーフという言葉にナショナリズム等から悪い意味をのせる人間はいるだろう
しかしそれは今の通例としての言葉の概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれたレイシズムにその他大勢の人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実の用法とはかけ離れるレイシストの意図をその文化圏の象徴のように語るのはそれ自体が差別的であるように思える
その上でネガティブな印象に受け取るのは個人の選択であり、本来の意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間の人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない
自身の自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する
それら全部分かっていてもハーフという言葉をネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉で自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする
だが、それはあくまで自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う
「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的でしかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る
そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない
その人間の意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定を理由にした小さな悪意であり、自尊心やアイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない
その人が言葉に持たせた意図やその言葉の意味でなく、ネガティブだと捉えた自身を根拠にポジティブになるためにその相手に非難めく
近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う
少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュアの男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た
そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた
画像の男の子は大和撫子とパリジャンのダブルだから、という言い方をしていた
もしかしたら設定として、その男の子は日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない
そんな可能性を示す、そこには何の異議もない
実際そのダブルは和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた
現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう
だが、これはアニメだ
この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉の存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う
女の子が口にしたハーフ=ルーツの意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語の用法そのままの意味でダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較をハーフとダブルの印象へと繋げる
先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂でしかない
そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身のルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフを使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える
だが、そこで略語としてのハーフを否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ
もしこの男の子がハーフがルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現であると理解しているならどうだろう
その場合、その子はハーフと口にした女の子を差別的な要素をも含むネガティブな言葉を無自覚にでも使った人間であると意識の低さを指摘し、また同時に相手の意図より自分が思う言葉の意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる
そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ
言葉としての意義に悪者であるハーフを否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ
これはあくまで仮の話ではある
だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実だ
そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ
今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュアの男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現も本来のダブルという単語の用法のひとつとして使う時が来るかもしれない
だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う
この層のバンザイ突撃を食らう数、絶対数としては実はモテてる女もそう変わらない印象がある。
しかし、それ以上にちゃんとしてたりしてなかったりする有象無象の男からも好意を寄せられているため、全体の割合として低い。
そして数をこなしている分、彼女らは一歩二歩早く拒絶のメッセージを送る技量があるため、外からはそうみえないのだ。
(拒絶のメッセージが遅いのはあなたが悪いのではない、非モテは馬鹿なのだ)
翻ってモテない女性の場合、こういう定期的に突撃してくる非モテで100%のため、どうして私はこういう人たちにモテるのだろう、というところから分析を開始しがちだ。
女性は60キロより軽くて人間性がまともな限り変なのが突撃し続けてくるので、そこを考えるだけ馬鹿であり、その中で待ちの姿勢を学んでしまうとすべてが後手後手にまわってしまう。
まともな男が自分から仕掛けるリスクを負うほどの存在ではないだけなのだ。
ただ、受け身の姿勢のまま何も変わらず打算でなく愛されたいというのは、あなた方の軽蔑する「ありのままの自分を受け入れてくれるかも」マンの鏡写しでしかないよとは
腹立ってきたなんでこんなやつらに馬鹿にされなきゃいけないんだ
僕は東京でスタートアップで一応CEOをやっている、とは言ってもまだ1年も経営してないが。
スタートアップでまだサービスも開発中でろくな利益も上げられていない、そのような時期があると思う。そうなると基本的にスタートアップはエンジェル投資家やVCなどから投資を受けることになるだろう。
端的に言うと僕はこのVC選びを間違えた。その一部始終を後の人の戒めとして残しておこう。
あ、ちなみにこれは個人のバイアスが掛かりまくった意見だからな!!参考程度にしとけよ!!
去年の9月、僕は起業しようと決意し、いろいろエンジェル投資家を回った。
僕は、僕の知り合いがこのVC調達しており、このVCの内部の人間から出資の提案が会ったため受けようと思った。
ピッチ資料も作った、デモも会った、アイデアも僕は世界を変えれるほど素晴らしいものだとおもっている。一般的なエンジェル投資家やシードメインのVCのへの対策は完璧だ。
「P/Lはどうなの?」
ということだった。
向こうはまだこっちが1ヶ月も経っていないことを、まだP/Lを作る段階にすらいないことを知っているはずで
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
しかし、言われてしまったものは仕方ない。再来週までに作っておいてと言われたので、僕はいくつかの仮定から収益に関する数理モデル(Not 統計)を構築しそれをもとに想定されるP/Lを作った。
そして、再来週のピッチでその想定P/Lをみせ、収益が上げられることや将来性があることを頑張って説明した。
それで言われたのは
「それ確実なやつじゃないよね(意訳)」
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
まあ、数理モデルも統計データから作ったものではないし、この微分方程式はそこそこ難しかったと反省し、類似サービスに関する統計データからもう一度モデルを作り直し、再来週もう一度ピッチした。
データソースも見せ、これから作られる想定P/Lも、改善したデモも見せた
それで言われたのは
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
正直、この時点でここから受けるのはやめようかな…と思っていた。
このVCには三人の人がいて、
一人がエンジニアで、サービス開発会社をやっている方だ、エンジニアとして素晴らしい方だと思う。この人をTさんと呼ぼう。
一人が元投資銀行の人で、気さくで知識も豊富で信用できる人だった。この人をKさんと呼ぼう。僕はこの人がいるからこのVCから受けようとおもったところはある。
もう一人は元日系銀行の人で、とにかく融通がきかない、リスクを取らない、意思決定が遅い、自分の考えが絶対正しいとおもっていて、お金周りしか見ない(サービスに興味がない)と、なんでこの人シードに投資してるんだ…?という感じの人だった。
しかし、正直あまりサービスを見る目がないらしく投資の失敗例の方がよく聞くぐらいだった。
またKさんとSさんは投資先の選定基準も違ってたらしい、Kさんが良いとおもったところでも独断でしないことを決定したりしたらしい、その逆もしかりだ。
今思えば、この時点で個々からは手を引いたほうが良かったのかもしれない。しかし、当時の僕はKさんにいろいろ恩が会ったことから恩返しも含めここから受けようと思っていた。
しょうがないと思った僕は類似サービスのデータのみを出した。正直スライドを作るのめんどくさくなっていた。
次に言われたのはCPIを出してということだった。
確かにCPIとかわからないと戦略立てづらいよなぁと思った僕は、僕のチームの人にマーケッターの方を紹介してもらい、類似サービスのCPIや収益率などを教えてもらい、それをまとめ次の週に説明した。
そして言われたのが
だった。
正直僕はこの時
と内心思っていた。
まあ、マーケッターが信用出来ないんだろうと思った僕は、CPIの計算式で使う各種値をデータから試算し、また説明した。
そして言われたのが
「それ信用出来ないよね」
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた
その後、次週また話すことになった。
サービスの開発も、バックエンドやレコメンドエンジンの開発を覗いてストップしたままだ。
正直疲れ果てていた。
次週の話し合いでは今までと打って変わって、どのような内容で契約するかという話になった。
ちなみにどうやらKさんの強いすすめで手のひらを返したらしい。
今までのは何だったんだ…と思いながら、契約書のテンプレートを元に話を進めていった。
ここでも一悶着が起きる。
なんと向こうが提供する、起業に関するサービスを使わないかということを勧められた。
このサービスが株式をVCに33%、協力開発会社に33%渡すことで、開発やマーケティングを勝手に行ってくれて企業価値を早く上げるというものだった。
…正直使いたくない。VCが出すお金も少なく(200万程度)、僕の会社はテクノロジがコアの会社なので協力会社はいらないし、もっと言うと、協力会社はTさんがやっている会社なので実質このVCに66%株式を渡す形になる。
これは僕達みたいなお金がないスタートアップが使うサービスでは無いと判断した僕はこの提案を断った。
しかし、向こうはグイグイおすすめしてくる。しかも向こうの言い振りは「このサービスを使えば企業価値が簡単に上がるのに使わないのは馬鹿だ」といったカンジダ。
ちなみにこれを勧めてきたのはSさんだ
とりあえず僕は来週もう一回回答するという形で先延ばしにし、次週にもう一度使わない旨を伝えた。
このときも前の口ぶりで勧めてきた、めんどくさい。
なんとか使わない形にでき、5%で200万と言う契約になった。
ちなみにこの時、いろいろ支援してくれていたKさんはすでにこのVCにはいない。投資銀行からスカウトされ投資銀行に転職したのだ。
Kさんが私物をまとめている時、僕も手伝っていたのだが、Sさんに対してかなりアレなことを言っていたので、やっぱり他の人のSさんの印象もそんな感じらしい
さて、投資周りの話もいろいろ終わり、開発と追加調達に向け動いている最中にそれは起こった。
「サービス変えない?」
と急に言いだしたのだ。
どうやら某検索大手のG社のサービスが僕たちと類似サービスを行っている(ちなみに内容はぜんぜん違うサービス)ということで勝ち目が無いので変えようと言うことだった。
しきりにSさんはこのサービスを褒め、G社が作ろうと思えば僕たちのサービスなど簡単に作れること、このようなサービスが最近ローンチされたのだから、僕たちのサービスがいかに勝機が無いか語っていた。
僕は提供する内容の違いや、UI/UXの違い、アルゴリズムの違いなどを説明した。
いや今でもしていないかもしれない、していたらまともに話せそうだから。
ということだった。
話をしていて薄々感じていだが、Sさんは絶対にtoBサービスにしてほしいらしい。
サービスの説明も、戦略も、違いも何度もせつめいした。また取ったアンケートも見せ説明した。
そして帰ってきた言葉が
「君はこれが失敗しても会社を畳めば良いが、私は200万というお金を失う、リスクは取れない」
という言葉だった。
正直僕はこの時
「ハイリスク・ハイリターンなのがシード投資なのに、何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
もっというと
「なんでこの人は投資家をやってるんだ…?」
とも思った。
現在もこの話し合いは続いている、正直今は投資契約を白紙に戻す可能性の方が高い。まじでSさんはめんどくさい。
1.P/L見せてと言ってきた時
2.想定P/Lにいろいろ言ってきた時
4.変なものを勧めてきた時
などだ
2/15 追記
宝くじに当たった人が、自信満々に宝くじの当て方を語りだすみたいな。
戦争で生き残った人が、自信満々と弾の避け方を語るみたいな。
ことに対して
当たった人が言ってるんだから正しいに違いない。
社長になれた人の言うことは間違いない。
実際には、運が良かっただけで、
同じことをしても当たらなかった人が大勢いるし
ゆえに気づかれない。
それは言えてる。
この手の人たちは、ネガティブな情報に対する感受性が人一倍高い。
他人の表情とか喋り方、あるいは日々の出来事から悪いところだけ読み取って、結果的に悪いことが起こるとやっぱり自分が思った通りだと確信する。
それを反芻してどんどんネガティブ学習を繰り返してゆくことで、最終的には他人が全く信用できずに他者の一挙手一投足に怯える人間が出来上がる。
多分生まれつきの特性だから、現時点の医療で後天的に本質的な解決を図るのは難しい。
この辺の悩みの本質は認知行動経済学の進展により解明され、ターゲット医療の発達によって将来的には解消されるとは思うが、その道のりはまだまだ長いだろう。
いいえ、社会進出して雇用のパイを奪ったのに負担を負わない女性様です。
つまり、あなたはエビデンス出せないんだな。人には要求するのにね。
じゃああなたが「やる気のせいだ」って言うのもあなたのバイアスね?
ちなみに、「やる気が出ない」として、本人が悪いとは限らないよ。周りの環境がやる気をそいでいることもある。「女性差別の風潮」とかな。
お互いエビデンスのないことを差別ということはできない。この件以上。
男が女を下に見て襲ってくる以上、女の努力だけで結果は出ません。
鍵に例えていうなら、かけた鍵をこじあけるようなやつもいます。
そんな奴は誰に対してもそうします。
あったな(ない)
君のいう自衛って「周りを一人残らず疑ってかかることなんだ。へぇ。
被害妄想もなにも、男性医師から女性へのセクハラは、逆パターンより多いんだってば。あなた被害者にも「医者を信じて男性医師にかかり続けろ」って言うの?
そうだねー、被害妄想激しいもんねー
女性専用車両って、ときどき、たった1両だけ女性専用になるだけでしょ?目くじら立てるくらいなら、少しでも痴漢が減るような世界を作れよ。
まず、それは自衛ではない。守られてるだけ。
西日本では四両中一両が終日のところあるぞ?
協力しても感謝なく、剰えこちらの人権を侵害する連中の手先になる気はない。
いいえ、「女は自衛もできない半人前」という決めつけこそ女性差別。
料理人の中でも別カテゴリだろ。屁理屈はそっち。性差別は性差別。全く同じ。
これが現実。
男ならそんな泣き言は男女両方から一笑に付される。
君らの活動が善良な市民の人権を侵害し、平和な暮らしを邪魔してる。
知らねえ。
自らの加害には鈍感で、受けてもない加害だけは大きな声で主張するんですね。
想像力もない。
俺は君らのエビデンスなき表現規制で所蔵してた会社を潰された。
それは違うね。
なんのために過労死するまで働いてるのさ?
人のために働く、って言っても、過労の人に十分な仕事は期待できないしね。
やっぱり世間知らずだな...
仕事には責任てものがあるんですわ。代えの効かない優秀な人ほど過労になる。
既に書いたが、「優秀」とは点数のことだけではないので。
「点数以外は認めんな!」というのはあなたの主張なので、あなたの大学を作ってやればよろしい。
自分の選択の結果も誰かが尻拭いしてくれないといけないんですってか?
どこが「優秀」?
男女の労働時間差を知らない?
ところで、進学率にしても職業にしても、女子の方が低いのが「女子自身のやる気」の問題だって言うなら、
そのエビデンスくれる?私は誰かさんと違って色々調べたけど、「女子にやる気がないので仕方ない」なんて結論が出てるの、見たことないんだよね。
「女子自身のやる気」じゃないというエビデンスもそうであるというエビデンスもありませんね。
で、「男が悪い」というバイアスをかけてみたら「男のせいだー」ってなるだろ。君みたいにな。
それ自体が女性の主体性を無視した大変失礼な仮説だと俺は思うがね。
言っとくけど、男がしてる自衛なんてたかが知れてるよ。女の自衛に比べたら。なのに女はその上から「自衛しろ」って更に言われるんだよな。
結果が出てない以上は足りてない。専用車両まで恵んでもらっといて何言ってんだか。
それに男も結構気を使ってるんでね。
助産師の話から医者のセクハラについての話をしてたから、それに限定するとさ、患者って無防備なわけ。
医者に全部委ねてるわけ。治療で裸になることだってある。それでどうやってセクハラ防げばいいの?麻酔とかかかってたら、変なことされても動けないよ?
俺は目の前の医者が男でも女でも「こいつ俺を殺さないかな」なんて考えない。被害妄想もたいがいにせよ。
女性専用車両は「自衛」ではありません。男性に「協力」を強いている。守ってもらってるんですわ。
「男から加害されたくないなら自衛しろ」と言われて自衛したら、
今度は「でも俺は犯罪者じゃない!俺のことは差別するな!犯罪者じゃないと見抜け!」って、無理ですって。ほんと、発想が女性蔑視だ。
自衛と称して差別をしてるから反発される。それを女性蔑視?男性蔑視もたいがいにせよ
前にも言ったよね?フェミニストは女性の権利を訴える人。頼まれれば何でもやる人のことではない。
あなた、「性差別という点で同じなんだから男性差別も気にしろ」って言ったけど、パティシエが料理人だからって、中華料理屋と同じクオリティーでチャーハン作れって要求すんの?
いいえ、性差別は性差別で同カテゴリです。そもそも店に例えるのが可笑しいが。
女性の権利しか訴えない?ダブスタ上等ってこと?聞くに値しないなその思想。
それもある。
俺の本業が広告会社だったといったら想像がつくんじゃないかね。
作品は世に出したら批判されて当たり前。「心血注いで作ったから」っていうのは批判されない理由にならない。むしろ、一生懸命作ってるなら批判も受け入れなきゃならない。
フェミはエビデンスもなく、集団で「攻撃」をする。受け入れろ?死ねって言ってるのか?
証明www
批判者にロジックがあるなら、「証明」されてりゃ反論もできようが、お気持ちでぶん殴ってくる暴力に論が役に立つか?
これまで多くのケースでフェミニストを論理的に諭す者がいたが、何一つフェミは聞き入れてこなかった。
断る。ファシストじゃねーし。