はてなキーワード: お荷物とは
どのくらい出来たかというとセンター試験の数学で1A2Bで満点を取る程度には。
そしてこれ以外で語れるほど実績はない。進研模試で満点取ったことあるけど、多分センター試験の方が難しいんだよね。高校は偏差値36だったからそこらへんの一般常識知らない。
で、高校卒業と同じタイミングで就職するつもりだったんよ。大学なんて私立のFランに行くやつが学年の10%いるかどうかって感じ。
「鹿児島大学だったら数学だけで受験出来るよ?」「前期だと山口大学ならほとんど数学だけっぽいよ?」「後期まで頑張るなら佐賀大学とか数学だけでいけるんじゃない?」
で、鹿児島大学のAO入試で合格した。問題は正直なんにも難しくなかった。皆んな満点だと思った。
意外と国立大って簡単なんだなと思った。高校まで天才が行くところだと思ってた。
地理に至ってはノー勉というか高校の授業も受けてなかったからな。一桁点数だった気がする。
それで大学生活始まるけど、まあ無理よね。共通科目の英語の単位が一番難しかった。3年次の時一番前に座って毎回出席して毎回ニコニコしてようやく取れた。
専門科目は自慢だけどやっぱり数学得意だったんだなって。
過去問入手して1週間対策すれば落ちたことない。もちろん普段から勉強するなんてことはできない。
単位を取れる程度にやる。ただそれだけ。
そうなんだよ。勉強する習慣なんてないんだよ。
だって勉強したことないもん。毎日机に向かうなんて無理。自宅に居る時はスマホでゲームかエロ動画。外に出るのはバイトか飲み。
年確されない終わってるバーに行けば僕と似た不真面目な馬鹿がたくさん居る。そのままセフレ作ってあっという間に4年間。
大学生活で身についたものといえば酒の場でのナンパの方法と借金50万だった。今思えば50万で済んで良かったな俺。ギャンブルにはハマらなかったのがデカそう。
ちなみに数学科は卒論がない。院なんて行くわけない。それで数学にも真面目に触れ合わないまま卒業した。
給料もボチボチ。お金持ちってわけじゃないけど、あとは適当にやれば生きていけるって思ってた。
けど、何年も勤めるとボロが出るよね。
机に3時間向かえない
同期も先輩も後輩も、みんなちゃんと大学やってるんだよ。頭の良さ関係なくみんな根の真面目というかやる時はやる習慣が身についてる。
僕はそれが出来ない。それが出来ないからしてこなかったのか、してこなかったからそれが出来なくなったのかは分かんないけど、とりあえず現状出来ないんだよね。
少なくとも不真面目は不真面目が集まる社会に身を置いたほうが楽に生きれそうだね。失敗したわ。
男女平等や女性の権利向上のために活動している人達のこと全てをフェミニストと呼ぶけど、今回はXや増田で見かける「男性が優遇されているからその分女性有利にしよう」みたいな女性優遇を主に主張しているフェミニストに物を申したい。アダルトな表現の規制問題だとかは今回は除外ということで。
容姿は擬態のできていない女オタクと聞いて想像される一つ結びで触覚が太くて小太りなブス、あんな感じ。色々自分なりに変わろうとしても清潔感が無い、男で言うところの足掻いている低身長チー牛みたいな残念な存在だ。チー牛の方ごめんなさい。
そしてADHDとASDの障害があってコミュニケーションに難がある。中学から不登校で高卒、バイトは続けられない引きこもりで現在は障害年金と親に養われて暮らしている。
勿論、増田にいる貧困で苦しんでる弱者男性と比べるとすごい恵まれていることは間違いない。どこが弱者だと思われるだろう。ただ売春や結婚といった逃げ道は選びたくとも選べないという点から一般的な社会人と比べると弱者女性と名乗っても許されると思ってる。
本題に入るけど、最近フェミニストやフェミニストアンチが一般にも広がっていると感じる。前までは一部のネットの内輪向けみたいな深い意味のない女叩き・男叩きが多かったのに、今は連日至る場所でフェミニストやアンフェの炎上騒ぎが起きている。それも一部の同じ人間がというより、身近な友達とか声の大きな知らない人とかが平気で女叩き・男叩きにいいねを押したり積極的に主張したりしているのを見て、私は遅くも危機感と恐怖を感じた。
おそらく最初は真面目に男女平等を訴えていただろうフェミニストも、男女平等ならば女性の不遇だけでなく男性の不遇も正さなくてはいけないというアンフェも、双方に紛れ込んだ女叩き・男叩きの連中によって、もはや個人ではどうしようもなく男女対立が治らなくなってしまった。
双方の主張を穏やかに擦り合わせ男女平等を近づけるべきなのに、議論の最中に平気で暴言を吐き、それを軽率に持ち上げる今の風潮は何の未来のためにもならないし余計にストレスが溜まり対立が激化する一方だ。
お互い冷静でないからより過激な権利主張がもてはやされる。男女平等とは何だったのか、一方が得をする分もう片方の性別全体が不遇に沈むのは差別で不当だ。
どっちもどっちだが特に私は女性なのでフェミニストに怒りを覚える。彼女らが過激なことを言えばいうほど、また彼女らの女性優遇案にデメリットを考えず軽くいいねを押す一般女性の姿によってアンフェでない男性さえも女性に対して失望するのだ。勿論性別を入れ替えても同じことが言える。
若者の結婚否定派が増えたのもこの悪目立ちする男女対立が大きな要因になっていると私は思っている。
そして資本主義の日本は階層社会とまではいかなくても学歴とか属している社会とかによって同じような人と関わることが多い。
私の場合、障害や病気のある人、支援する仕事をしている人、引きこもりやニートで人生に強い不満を抱えている人が多い。当然その人たちは余裕が無いし普段ネットを見ている人が多い。
一般の人は多分公の場では大っぴらに性別叩きはしないだろうけど、私が関わる人たちはお構いなしに性別叩きをしだすし、何なら皆コミュニケーション経験が少ないせいかネットが異性の現実だと思っているのかもしれない。男性に仲良くしようと声をかけると、昔より意地悪なことや卑猥なことを言われることが多い気がする。ソースなしの感覚論で申し訳ないけど。
私は経験していないが、あるいは弱者男性も女性に意地悪や不都合を押し付けられたりされているのだと思う。ただでさえ色々足りない私達弱者が、周囲は敵ばかりと思ってしまうと自立の道が遠のき社会のお荷物状態がずっと続いて、普通の人の負担も増えると思う。
それに弱者こそ団結し世の中をサバイブするべきだと私は思う。結婚とか、友達とか。
フェミニストの行いで特に嫌なのは女性管理職を増やすために昇格の際女性に下駄を履かせろ、ただし育児中は周囲に仕事を任せろ、ってやつ。管理職で休んでばかりの上司なんて不公平で問題になるに決まっている。性別でそんなことを決められたら不当だし下駄を履くぐらい実力がない人が責任者になるのって女性にとっても不幸だ。
難しいかもだけど育児をするって決めた人は妊娠後から子供が小学生ぐらいに育つまではサポート体制が整った責任が軽めの仕事でそのあとはまたキャリア積みに戻るようにすれば良いと思う。子供が小学生超えても責任が軽めの仕事が良いって人は非正規に移るとか。
子供か出世か選ぶ女性と比べて男性はどちらも選ぶことがずるいっていう意見もあるだろう。その場合はキャリア積みに戻った際出世しやすくする補正とかをつけるように国が命令すればいいんじゃないのかな。出世したくない男性・女性は出世を断る権利があるかわりに会社は今より意欲のないいらない人材は辞めさせやすいように変えたら平等じゃないの。
子供も仕事も選べて能力や意欲ある女性が管理職になれる道が当然にあるのなら、管理職の人数に性差があっても男女平等であると考える。機会が平等だから。
人によって対応が変わるのは管理する人にとっては大変でも、行きすぎた女性優遇は後世での火種になるから避けたい。
あらかじめ断っておくと、すべての障害者が死ぬべきという考えではない。ただひたすらに無能の役立たずである「自分」を死なせて欲しいって話。
なら迷惑かけずに一人で勝手に死ねって言われそうだが、何度もやって失敗してるからなるべく確実に死ぬ方法を求めている。教えてくれたら実行するけど頭悪いから失敗する可能性が高い。これまで失敗してきたから死ねてないわけだし。
世の中の役に立たない。毎朝生きてまた目が覚めたことに絶望する。
何せ長期的な人間関係の構築やコミュニケーションが出来無い。仕事をしたいと思ってもできる仕事がない。背後に人間が立つだけで恐怖するし、少しでも否定されれば大パニックになる。場の空気を悪くすること以外に出来ることがない。
これで何かしら尖った能力があればと思うがASDとADHDの悪いところハイブリッド系ゴミカス。興味の範囲極狭+秒速で飽きる。技能もなければ頭も悪い。運動しても体力も筋力もつかない。働きたいって言ってもカウンセラーにやめろと止められる始末。生きてる意味がない。
薬もカウンセラーもほとんど合わなかった。薬は逆に具合悪くなるし、社会に適応するのはほぼ無理なんだろう。不治の病だ。
だいたい、障害者の雇用を〜とかいって健常者様なら一人で完結させられる仕事を細切れにして回した上で健常者様のチェックを入れたり監督付けたりしてるの、普通に無駄でしか無いだろ。居ても居なくても変わらないどころか、存在しない方がありがたいレベルのお荷物なわけ。
だったら働くことを諦めて慎ましく暮らせって話になるだろうが、金のない不安に押しつぶされそう。これからどんどん減っていく税金で無能を生きさせる価値ないだろ。それでなくても障害年金とか必死で生きててギリギリの人間からしたら消えて欲しい存在でしか無い。しんどい自分たちから税金吸い上げて生まれついての無能のためにどーぞって、うっかり人間の形に生まれついた無能だから法律上殺せないだけで内心死んでくれよって思われてる。流石にそれがわからないほどアホではない。
ネットで弱い立場の人間をぶっ叩いてようやく溜飲が下がる程度に苦しんでる人間がいるんだから。そういう人たちが楽に生きられるようになって初めて社会全体で無能を飼えるんだろう。
こういう主張をすると優生思想云々って怒られるが、死ねばいいって対象は自分だけだ。あと、生きたくても生きられない人が〜みたいなのが湧いてくるけど、代われるならすぐ代わるから方法を見つけてくれ。健康な部分の方が少ないが、発達してない脳以外は一応それなりに動くには動くから。
どうでもいいけど死にたがりがよく言う臓器提供、あれはきっと社会参加して誰かに感謝されたいっていう叫びなんだろうなぁ。支援員とかやってる人も感謝されたい病っぽい人間多いし、欲求の中に「感謝されたい」があるのは辛いよな。
つらつらくだらないことを書いてきたが、とにかく死ぬ才能も生きる才能もないのでもう殺してくれっていうのが自分の主張。
安楽死とか夢があるけどなー判断したり処方する医者とか可哀想だからなー。オランダなら発達で苦しんでても死ねるのになー。帰化するにも言語含めてハードルが高すぎる。発達障害者の自殺率が有意に高いのは、存在している限り脳は変えられないし、幸福のハードルをどこまで下げても苦痛は消えない、一生救われないからなんだろうな。死んだほうが幸せってことも絶対あるのに。
そこで考えたのが「とにかく大量に他人殺傷して死刑になりたい犯罪者予備軍」と「とにかく死にたくてたまらない人間」のマッチングアプリ。需要と供給が一致するんだからこれ以上なくないか? 名前はデスマッチとか。なんの罪もない人が拡大自殺のために殺されるよりずっといい。
実家にも久々に帰れたし積んでた本も読めたしで最高だった。
でもね。
明日から始まる仕事は去年の終わりにはもうデスマ確定が見えてたの。
他の工程から仕事が回ってこないと動き出せないから今日まで休んでたけど、多分あっちはフライングで仕事始めてメールボックスにバシバシ途中経過を送り込んでると思う。
それを必死に捌くので2月までは多分終わり。
2ヶ月の間に色々溜まったつけを払うので3月は終わり。
4月から編成が変わって新人が来るらしいけど、その代わりにベテランが一人持ってかれる。
新人とベテランの交換なので雑用を除けば戦力的に「-1人+(-0.5人)」って感じかな。
夏休みの頃までに落ち着くかどうか怪しいから下手したら夏休みは返上。
つまりもう俺の2024年は仕事仕事仕事ウワアアアアってなる可能性が高いんだよね。
終わったわ。
俺さ、仕事あんま好きじゃないから忙しいほど楽しいとかなくて、忙しいとただただただ辛いんだよね。
でも今年はもう休日にゲームなんてやってないで平日に溜まった家事を片付けて寝るだけでもう終わりかも。
俺の2024年、もう死んでるのかも。
辛いなあ。
なんでこうなっちゃったんだろうな。
実家帰って思ったんだけど、親は最低限以上に俺を育ててくれてたし、俺もちゃんと勉強や就活してたはずなんだけどな。
なーんか気づいたら好きでもないことを死にそうになりながらやる生活が染み付いてる。
まあ長期休暇あっただけマシかな。
https://qiita.com/technuma/items/df14245d75244b8f437d
この記事を読んで非常に感銘を受けた。
いつも損失確定回避バイアスに囚われ続けて、自分の進捗具合が悪いのを報告できない。
気を引き締めた矢先、また失敗してしまった。
毎週始めにチーム内で定例会議が開かれる。
長期的な仕事の日程に対して、状況整理をし、それを踏まえて今週やるべき仕事を組み立て、チームリーダーに伝える場である。
今週までに確実に終わらせないといけないタスクがあった。
とある仕事が一段落ついたので、それを資料にまとめる仕事だった。
作成にかかる時間を考え、木曜までには完成できそうな見込み、金曜は納期がまだ先の別タスクをしますと伝えて合意した。
水曜の朝になっても熱は下がらず、急遽休んだ。
この時点で、私の頭の中は、資料作成完了が一日ずれてしまうことでいっぱいだった。
来週からは別の仕事の日程が既に出来上がっていたからだ。最終的に顧客に納品する仕事になるので、チームリーダーからはこの日程はずらせないと聞かされていた。
何としても残り2日で資料作りを終えなければいけないという気持ちを抱えて過ごした。
次の日の朝、熱は完璧には下がらなかったが
しかし、微熱と鼻詰まりのせいか、日中ずっとボーっとして頭が回らなかった。
1日に25%ずつ進めなければ終わらないものが、10%程しか進められなかった。
今日、体調は全快ではないが昨日よりはマシだった。
資料作成を始めたが、手を動かす途中で、作業量の見積りを誤っていることに気づいた。
月曜に考えた資料構成内に、本来含めなければならない項目が折り込めていなかった。
とにかくやらなければとフル残業して進めたが、結局完成しなかった。
終業連絡に併せて「進捗80% 遅延しており来週からの業務について相談したい」という情報をチームに伝えた。
「体調不良は理解してるし、その分だけ足が出るのは許容する。しかしそれは容易に予見できたはず。もっと早く見通しを連絡してくれ。理由は言わなくてもわかるはず」との事だった。
落ち着いて読めば、何も間違った事は言われていない。
だが、この連絡を見て、俺は恐怖で体が震え、小一時間動けなくなってしまった。
個人商店で進めていた仕事を、少人数チームで進めるように変わった時の事だ。
チームリーダーは、同じ部署内の年上の先輩だった。普通に雑談する仲だが、一緒に仕事をするのは初めてだった。
リーダー「説明ありがとう。ところで〇〇の説明が無いのはなんで?」
俺「〇〇ですか?…すみません、何もできていないです」
リーダー「なぜできていないの?」
俺「〇〇をする発想自体が無かったです」
リーダー「他にも▲▲と■■も先にやるべきだと思うけど、状況は?」
俺「同じ理由でできていないです」
リーダー「本来真っ先にやるべきことができていないのに、なぜ開き直っているの?」
俺「えっ、いやそんなつもりは…(進捗報告なのでありのままを伝えるべきと思ってた)」
リーダー「それでどうする?やるの?やらない?」
俺「(やらない理由を説明できないので)あ、はい、えっと、やります」
リーダー「どう進めるの?日程は?」
俺「えっと…(考えていないので何も話せない)」
リーダー「思いつかない?じゃあ…これこれこうで、こう進めるのは?」
俺「そうですね、いいと思います」
リーダー「他のは?」
俺「(思いつかないが、さっきのように何か言われるのが怖くて)同じようなやり方で…」
リーダー「それだとこういうところで躓くよ。こっちはこうして進めて…」
リーダー「なんか全部俺に考えさせようとしてない?本来君の仕事でしょ?」
俺「あ、いえ、そんなつもりはなく、すみません」
これ以来、適当な事を話すと何か言われるかもしれないという恐怖がずっとつきまとっている。
困った事があっても、助けを求めるには、何を助けてほしいのかを適切に説明できないと、そもそも相談する資格が無いと思ってしまい、すぐに声をかけられなくなってしまった。
同様に、進捗が悪いときは、どうリカバリーするのか説明できない時に「結局俺任せ?」と言われてしまうのが怖くて、正直に打ち明けづらくなってしまった。
そんな事をしても仕事が順調に進む訳はなく、チームリーダーから責められ、精神的にどんどん辛くなる。
それでも自分は変わらず、状況を隠し続ける。
ウソの進捗をしてサビ残・休日に家族に隠れて仕事する事も多くなってしまった。
今週チームリーダーには出張予定が沢山入っていたので、俺の状況を細かく確認する余裕は無かった。俺はそれをうっすら理解していたので、内心ものすごくホッとしていた。
けどチームリーダーのサポートやプレッシャーが無いと仕事ができないお荷物人間のような気がしていて、どんどん自信が無くなっている。
今はチームリーダーに怒られないかどうか日々怯えながら目の前の仕事に取り組んでいるだけ。
このままで良くないと思いつつ、自分でも何を変えたらいいのかわからず、頑張ろうと思っても、結局変わらない自分に嫌気が差す、そんな事を繰り返して今に至る。
安楽死を求める声が上がると必ず、「死にたいなら勝手に死ねよ」という声が上がる。
どうしてこの手の人達は、死にたいと思ったら簡単に死ねるという前提なのか…
自殺するって全然簡単じゃないよ。失敗して重い障害を負って、再度の自殺に挑戦する事も出来ない人達が沢山いる。
簡単に死ねると本気で思っているのならやってみろよ、失敗するから。
ていうか安楽死の無い今現在でも「勝手に死ぬ」事が出来ると本気で思っているのなら、
安楽死が実現したところで勝手に生きればいいだけの話。誰もお前の生きる権利を侵害しようなんて言ってない。
なんで安楽死が実現したからといって、社会のお荷物が死を選ぶよう追い込まれるなんて事になるの?おかしくない?
zenkamono 安楽死制度を日本にも導入させたがる人がはてブに必ず出てくるけど、意味がわからない。自分が死にたいなら好きに勝手に死ねよ。なんで国全体巻き込もうとするんだ。社会のお荷物を安楽死を選ぶよう追い込みたいん?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746743662116319855/comment/Vr3EUJZd
某市長が差別発言をしたというニュースのブコメ欄でスター集めて上位ブコメになってるブコメが市長発言以上の差別発言で凄い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/905525
75歳に被選挙権があるのがまずおかしいんだよ。もうアップデートなんてできないんだから65歳以上は選挙権だけでいい。もっと若い人が立候補すべき。
ブコメ『75歳に被選挙権があるのはおかしい』は差別とは違う。65歳から高齢者で、それ以下が現役世代という法律もあるんだし、フルで働ける年齢って普通はそこまでという身体能力観点のコンセンサスに従った規律の話
・政治に反映されるべきでない考えを持ってる人が多い層だから、層ごとまとめてパージすべき、という主張に対して
→ 人を1人1人見ず、ある一定の基準で集団として区別して「こいつらは〇〇の傾向があるから社会のため排除・公的権利が制限されて当然、仕方ない」という考えは差別そのものです。
(例・黒人は犯罪率が高いから、黒人全体が警官から犯罪者扱いされても仕方ない、貧困層は犯罪率が高いから富裕層が多く住む地域の公共の場所の立ち入りが制限されても仕方ない、等)
→ そもそも日本では思想信条の自由が保障されていて、ある思想や信条を持っているからと言って選挙権を奪うことは許されていません。
参政権は人権の中でも生存権等に次いで高位の権利で、例外的に公職選挙法違反の前科があるもの(民主主義の侵犯者)が
一定年数に限って制限されるくらいで、殺人犯でもレイプ犯でもヘイトスピーチによる名誉棄損犯でも武力クーデーターを起こした内乱罪犯の前科者でも選挙権はフルで認められてます。
ある思想を持っていることが確認された個人の選挙権を制限することすら思想信条の自由を侵害する差別なのに、
「ある思想を持ってる率が高い集団に属しているから」というだけで、その後死ぬまでずっと被選挙権をはく奪する」なんて、ド直球の差別そのものです。
・高齢者という区切りは法律でも認められている。それは現役世代ではないという趣旨であり、それは身体能力(←思考能力のこと?)が劣るということだから被選挙権の制限は許される、という主張。
→ 違います。法律の「高齢者」だとか「後期高齢者」というのは、介護が必要になる可能性が高い年齢として社会保障上のサービスが受けられますよ等の各項別の法律上での権利を定めたもので、
権利を制限する趣旨ではないし、「現役ではない」という趣旨でもない。
そもそもブコメの「現役」というのが何を指してるのか不明だが、「定年退職せず労働している年齢」だとすると、定年退職の年齢なんて雇用主が自由に決められるもので、
70歳80歳でも「現役」で雇用して働かせてる会社もあるし、自営業で死ぬまで「現役」の方もいるし、逆に自衛隊の幹部でない士のように2~30代で定年になる職業もある。「現役」は人によりけりで、法律の高齢者の区切りは現役と何の関係もない。
そして「身体能力」により選挙権を制限することを是とするなら、高齢者だけでなく身体障碍者や精神障碍者・知的障碍者の選挙権も制限してよいことになってしまう。
・まともな人が見れば誰がどう見てもド直球の差別なのに、なぜ「差別ではない」なんて言い訳するの?
「俺たち、私たちは老人が嫌いで、老人を差別します」と堂々と宣言すりゃいいじゃん。それくらい醜い差別的な主張、ヘイトスピーチをしてるんだから。
「これは差別ではない」が認められれば通る主張だとでも思ってるの?ちっと感覚が現実離れしすぎてて引くわ…
1万歩譲って老人の選挙権(投票権)は認めたまま被選挙権(立候補権)だけ制限しても意味ないよ。
どうしても政治家になりたい若者・中年が、老人の票田を狙って老人受けする公約を掲げて立候補して、老人からの票を集めて当選して、老人の感覚を反映させた政治をしていくだけ。
そうなったら「被選挙権の制限だけでは意味がなかった、選挙権もはく奪すべき」と主張しだすんでしょ。
最初から「老人の選挙権はすべて認めない。投票所に行って投票するのも認めない」と主張したらいいのに。それが最終的な望みなんでしょ?
最初から全選挙権はく奪だと反発が強そうだから、徐々に少しずつなし崩し的に制限を拡大していこうという手法?汚いね。
最終的には「生かす必要もない社会のお荷物だから全福祉・全社会保障を受ける権利をはく奪しよう」まで言い出しそうだね。
(余談だけど、安楽死制度を主張してる人たちも目指すところは同じだよね…自分が死にたいなら自分で好きに勝手に死ねばいいだけなのに、社会的な制度として自死を認めさせて他人を巻き込みたいってのは
老人とか障碍者とか回復見込みのない病人とかの「社会のお荷物」を自ら死ぬように誘導したい、死を選ぶよう追い込みたいって意思があっての主張だよね)
他人の差別発言を糾弾するブコメ欄で、こんなド直球の差別ブコメが批判されるでもなく、無視されスルーされるでもなく、大量のスターが集まってトップ・4位ブコメになるんだから驚きだよ、はてブ。さすがだよ。
「あいつは叩いてもいいやつ」認定したらポリコレ棒を武器にして集団リンチで加害欲を満たす、っていうアンチポリコレ層が持つ偏見そのまんまの行動してて顎が外れる。
これだから「反差別を声高に叫ぶ人間は自らも差別してて信用ならん」て言われるんだよ。自覚できる?無理かな?
前前から何度も指摘されてるのに、ちっとも改善(アップデート)しないんだよね、ブクマカのこの性質。
https://anond.hatelabo.jp/20201122013307
https://anond.hatelabo.jp/20201210074954
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
「はてブ、相変わらず酷すぎない?」
https://anond.hatelabo.jp/20220113170251
「弱者問題で「丁寧に暮らせ」というアドバイスはありなの? 」
https://anond.hatelabo.jp/20210503143456
https://anond.hatelabo.jp/20230511153747
「普段「差別反対」「少数弱者を尊重しろ」と言ってる連中の本音、本性がこれか」
https://anond.hatelabo.jp/20230306112334
女性は「かわいそうリスト・差別しちゃダメリスト」に載ってるから、差別したやつはポリコレ棒でブッ叩く。
高齢者はリストに載ってないから、連帯責任で全員を遅れてる未開人認定して、被選挙権のはく奪という「合理的な差別」をする、と。
その自分らの差別性が全く自覚できてないし、その差別性を指摘されても「いや、これは差別ではない」と開き直る。
「私は差別と黒人が嫌いだ」を地でいってるんだよね。そしてその自覚がない、指摘されても自覚(改善)を拒む。終わってる。
老人よりも、この手の「合理的な差別排除」を主張する連中こそ「選挙権をはく奪するという合理的な扱い」をしたほうが世の中のためになるんじゃない?(皮肉)
子無しに被選挙権があるのがまずおかしいんだよ。自分が死んだ後を想像できないんだから子無しは選挙権だけでいい。もっと次世代に貢献できる人が立候補すべき。/ まあ古代ローマは実際こうだったけどな
このブコメは皮肉が効いてていいね。「老人の被選挙権なくせ」より理屈が立ってるし、「老人の被選挙権なくせ」にスターつけてる連中の多くに刺さりそうだし。
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
契約社員として働いていた会社の契約期間が切れて、就職活動をしてみたがうまくいかず、
親と個人的に仲のよかった当時の重役が引っ張ってくれて、正社員にしてもらったのだ。
(一応言っておくと、親が重役に対して頼み込んだりとかはしていないはず。親を介して、重役と僕自身が個人的な知己を得ていたという話である)
最近、正社員になって以来かかわっていたプロジェクトが解散になって、別の部署に異動になった。
異動にあたっては人事の人に希望も聞かれたし、その上でいろいろな部署に当たってくださったようなのだけど
「そんな人はいらないです」って、大体そういう反応だったらしい。
そんな中でなんとか受け皿になってくれたところに今いるというわけだ。
ちなみに話を聞いていくと、どうやら正社員になる際にも、件の重役以外からは「あいつはやめといたほうがいい」と反対があったらしい。
すべてはその人の温情だったわけだ……ちなみに、その人は定年でもういない。
当時の偉い人のひと声でしかたなく採用して、正社員だからクビにもできず、人事の人からすれば一番めんどうなお荷物社員ですよね。
親や友人、いろんな人に相談して、たぶん返ってくる言葉は決まっている。
「今の時代コネでもなんでも正社員になれただけありがたいんだから、お荷物でも鼻つまみものでも平気な顔をしてしがみつけ!」と。
自分は根本的な社会能力が本当に欠如しているし(税金の支払いとか、そもそものコミュニケーションスキルとか)そうするべきだというのも痛いほどわかる。
でも……
自分はここにいていいのだろうか、というこの思いは、どこに向ければいい?
(もちろん、今いる部署でできるだけの努力はする。その上で、一度ついてしまったレッテル、マイナスの評価とどう向き合っていけばいいのかという話なのです)
母子ともに死亡のリスクもあるし、そこまで行かなくてもいろんな制約があるじゃん。
その上で出てきた子供が健常に発育するかのリスクがあるじゃん。
健常に発育しなかったからって誰も面倒見てくれないじゃん。
産めや増やせやって言う割に産んだ後は知らんぷりじゃん。
すげー大変じゃん。
だからせめて後者のリスクだけでも低減してあげるべきだと思うんだよね。
ハズレ引いたらもっとカジュアルに間引きして、次行けばよくない?
結局、ガイジなんか社会に出したら親だけじゃなくて他のいろんな人に迷惑かけるだけなんだし
いろんなリスクしょって、迷惑もかけて子供産んで出てきたのがお荷物。
報われないじゃん。