はてなキーワード: 自己主張とは
戦争体験も無い、就職氷河期もない、バブルで豪遊しまくった世代が、生活するのも必死な今の若者にふんぞり返って説教する時代。
「働けばどうにでもなる(ワシは働いているだけで昇進できたor奴隷カモン)」
「仕事を選ぶな(ワシは長くおっただけでこの地位に就いたor若者に仕事を選ばれては経営者として奴隷を確保できずに困る)」
しまいには死期が近くなると「今の幼児や小学生たちに夢を日本を託す!」と自己満足のヒーローを気取って熱心にネットにコラムを投下し始めて自己主張しだす。
頼むから早く死んでくれ。
戦争体験も無い、就職氷河期もない、バブルで豪遊しまくった世代が、生活するのも必死な若者にふんぞり返って説教する時代。
しまいには死期が近くなると「今の幼児や小学生たちに夢を日本を託す!」と自己満足のヒーローを気取って熱心にネットにコラムを投下し始めて自己主張しだす。
60年前、この国の希望だったあなたは何を残して死ぬつもりなんだ、一体20代・30代の頃は何をしてきたんだ。
あなたたちが最もやるべきことは黙って静かに下を向いて退場することか、できるならば自分のフンの後始末をしていくことだろうが。
今の赤ん坊や幼児、そして若い世代がやらなくてはいけないことは、あなたたち団塊の世代、バブル世代が残していった山のようなゴミを糞便を片付ける作業に没頭、人生を費やすしかないんですよ。おまけにゴミ山で偉そうに説教してくるわけですよ。
一度潰れた方が健全だ。
狂っている。
ただただ狂っている。
この国の老人の汚物総てを若い者に介護させて掃除させることが、
今の老人たちの「夢と希望」らしい。
本当に死んでほしいと思う。
課金は金を課す側の行動なので課される側が「課金した」はおかしいだとか、わかっちゃいるが通りがいいので使ってるだけだとか、いや子どもが誤って覚えて受験や就活で失敗したら大変だとか、そんなこと考えたこともない普通に使ってるよとか、この言葉へのスタンスは人それぞれだろう。
そこでちょっと唐突なんだけど、別件のついでで「課金」で占う性格診断ってのを考案してしかし使う当てがなくなっちゃったからお前らもしよければやってみてくれ。
俺は大学でこういう専門、まあ社会人間工学っていうんだけどそういうのの研究職やってて、あと今は社会になじめない人の自立を支援し社会復帰させるようなNPOのサイエンスアドバイザーみたいなのを複数掛け持ちしてる。
言語学は専門外だが、まあ個人と社会、社会と社会の関わり様についてはいっぱしの知見は持ってるつもり(この診断にはそれほど関係ないけどな)。
本当はもうちょっとお堅い感じなんだけど、増田向けに柔らかくしたり単純化したり等アレンジしてある。
下記Aからはじめて指示にしたがって選択肢をたどっていくだけだよ!
A 言葉は時代とともに変わるものだと思う Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Fへ
B 「課金する」の意味も変わっていいと思う Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Gへ
C 「課金する」という言葉を使う Yes→【保守・ハト派】 / No→【保守・タカ派】
D 「課金する」という言葉を使う Yes→【革新・タカ派】 / No→【革新・ハト派】
E 「課金する」という言葉を使う Yes→【中道・ハト派】 / No→【中道・タカ派】
F 「課金する」という言葉を使う Yes→【なんとなく流されちゃう系】 / No→【なんとなく反抗しちゃう系】
G 「課金する」という言葉を使う Yes→【考えるの面倒くさい系】 / No→【日常で使う場面がない系】
自分は不器用なせいかグラフの手書きが致命的に遅かったので、2年前期の実験で危機感を感じた自分は2年の夏休み中にpythonを覚え、今まで苦労していたグラフのプロットなどをパソコン上で全部自動化しようと考えた。日本語の情報が少ないため(あっても多少古かったりすることが多かった)、情報をかき集めるのに相当苦労したが、夏休みが終わるころにはjupyter notebook(名前通りノートブックのような実行環境でセルごとにコードを実行するという形をとっている)上で統計処理をしたりそのデータを基にグラフをプロットするのはある程度できるようになっていた。
早速2年後期の実験でpythonを試してみたが、その威力は凄まじく、今まで時間のかかっていた作業が劇的に効率化した。pythonのモジュールであるpandas,numpyを使えばデータ列を文字式のように扱えるので(例えば実験データをdataとして、そのデータをすべてcos関数に代入したかったらnumpy.cos(data)と書けばよい、Excelと似たようなものだがこちらは変数として扱っているので使いまわしが容易である)、Excelでちまちま関数をセルに入力して列全体に引き伸ばすという操作もしなくていい。グラフもコマンドで出力するので当然だが今まで苦労していた手書きのプロット作業はなくなった。GUIありきのExcelと違ってコードひとつでグラフの罫線の調整などもかなり簡単にできる。高級言語だけあってコードは組みやすく、実験中に即興でプログラムを組むことも割りとできる。しかもコードさえ組んでしまえばあとは実行するだけで計算、グラフの描画を一気にやってくれるので、実験結果の確認が極めて素早く行えるようになった。しかもjupyter notebookはmarkdown形式の文章を埋め込めてメモ書きも残せるし、mathjaxに対応しているのでlatex形式の数式も途中に挟むことが出来る。最高の環境だと思った。しかし良いことばかりではなかった。
パソコンで全部やろうとする自分を見た一部のTAはなぜか自分にグラフを手書きにしろと要求してきた。自分は反論した。「グラフならパソコンですでに出力できているのになぜわざわざ手書きにする必要があるのか?」これに対するTAの答えはだいたい「平等性を保つため」、「他のみんなは手書きでやっている」、「理解を深めるため」、「他学科は手書き必須だから」というような感じである。自分にとっては、これらすべてが理解できなかった。そもそも手書きにすることによって実験に対する理解がどう深まるというのか?自分はむしろ手書きを徹底的に排除することによって、煩雑な作業をする時間を考える時間に充てた。そのおかげで実験に対する理解は以前と比べ物にならないくらいに深まった。手書きじゃなければ理解が深まらない理由はない。そもそもパソコンのほうが厳密にコードを組まなければならない分だけ理解力を要求されるはずである。「理解を深めるため」といっている本人だって結局その言葉の意味もわからず言っているにすぎない。
「平等性」に関しては全く別のTAから複数回言われた。「パソコンを使って効率化しようとするのはずるい」と言いたいのか、このTAは?pythonだって1ヶ月間死に物狂いで情報をかき集めて覚えたのに、それのどこがずるいというのだろう。平等性を掲げて効率化を否定し、全員に同じ作業を強要させ、「成績」をちらつかせて脅すのはずるくないのか?みんな一緒に抑圧されましょうということか?これを言われたときに感じた何とも言えない吐き気のようなものは今でもうっすらとだが覚えている。正直なところ、プログラミングが出来るというだけでむしろ褒められると思ったのだ。パソコンが使いこなせるほうが印象はいいに決まってると思っていたのも、結局は自分の勘違いだった。
pythonを使い始めてからの2年後期、3年前期を通して4,5回ぐらいTA(全員別の人)に「手書きにしろ」と言われたが、言われるたびに反論するのもいい加減に疲れてきた。なぜ手書きにする必要があるのか、自分は聞かれるたびにこう聞き返した。まともな答えを返したTAは一人もいなかった。大学の先生が担当する実験でPCは駄目なんて言われたことは一度もなかったし、どうもTAが勝手に「手書きにしろ」と言っているだけらしい。「他学科がパソコン禁止だから」とかいう非論理的なルールを鵜呑みにしてそれを適用しようとする姿勢にも無性に腹が立った。
TAがいうには手書きはコピペ防止の意味もあるらしい。本当に手書きにしたらコピペが減るのか?パソコンにしたらコピペが増えるというが、それは果たして本当に「増えた」のだろうか?確かにコピペするのは手書きと違って簡単だが、コピペするやつは手書きだろうがパソコンだろうがコピペする。そもそも自分の頭で文章を書く能力がないからコピペするのであって、パソコンを制限したからコピペがなくなるという理屈はおかしい。そんなにコピペが嫌だったらむしろ最初からコピペをチェックしやすい電子データに限ってしまえばいいと思う。パソコン有りにしてコピペが増えたというのは、手書きレポートでは見逃していた分のコピペがばれて、それで数が増えたように見えたという可能性もある。むしろパソコンだからこそコピペを見破れるのではないだろうか?
自分は、手書きは不正の温床ぐらいに思っている。手書きの場合見かけ上はコピペしたことがばれにくいし、グラフもそれっぽく適当に書いても適当にプロットしたことはほぼばれないし、そもそもアナログデータは機械の検閲にかけにくいためどの程度コピペなのかを判定する労力だって膨大過ぎる(別のTAに話を聞いたところ、採点する側から言わせるとコピペしたこと自体は結構分かるものらしい)。手書きを強制するということは、すなわち不正をごまかす余地を与えているに過ぎない。本気でコピペをなくそうとするならば、いっそのことすべて電子化してしまったほうがよいとすら思う。
pythonを使い始めてから1年経ち、「手書きにしてください」と言われるたびに反論していったが、元々自己主張の弱い引っ込み思案なタイプのために、自己主張してちゃんと言い返すというのは精神的な負担が大きかった。「パソコンではなぜ駄目なのか」を強く主張するたび、ものすごく疲れがたまってしまい、実験がない日でも「なぜこんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないんだろう」と思い返してしまうせいでどんどんやる気を無くしていった。
なぜ大学の一部にはパソコンを使わせたがらない空気があるのだろう。この人たちは、手書きが苦手な自分にとっての最後の砦すら壊すつもりなのだろうか。なぜ手書きにこだわるのだろうか。
多分、日本人が思ってるより在日韓国人って本国韓国人に歓迎されてないんだろうな。
兵役も回避してるし日本の社会保障に乗っかっていい思いしてるし、住民税みたいなものももちろん韓国に納めてる訳じゃないんだろうし。
もし万が一、日本が在日韓国人排斥ヘイト上等みたいな風になったら、本気でどこにも居られないんだろう。
在日が在日として生きているのは本人たちにとってはやむを得ない生存戦略なのかな。
かといって同情もしないし、日本の参政権もあげないし、在日韓国人としての生き方もいつまでも認めたくないが。
ちなみに知り合いの在日2世の韓国人のおじさんは印象として韓国人っていうよりもアメリカ人的なメンタリティの人だった。
明るくてはっきりと自己主張することに尻込みしない感じが韓国人っぽくもありアメリカ人ぽくもあった。ハーレー乗ってたし。
おじさん、自分は自分が本国の韓国人と同一の存在とは思ってない、かといって日本人でもない、どちらにもなれないって言ってたな。
実の父親に対して、死んでくれないかな、とか、誰かに殺されてくれないかな、とか、いなくなってくれないかな、とか、そんなことばっかり思ってる。
頭がおかしくなりそう。
透析患者だからそう遠くない未来に死ぬのかもしれないけど、早くその日がきてくれないと、こっちがもたない。
消費者金融からの借金を繰り返して親たちだけでなく私と兄の貯金まで全部食いつぶしたのに、それでもまた借金してた。
何に使ったのか聞いても答えない。
さすがに4度目は許せず、母親に、家土地の名義を変更させて離婚して追い出せって言った。
けど、母親は長年連れ添ってる上に透析患者で一級障害者である父を見捨てることはできない、と言って離婚しなかった。
せめて家で普通に生活してくれてるなら、こんな気持ちにはならない。
したことは許せないけど、それ以上の気持ちを抱くことはなかったと思う。
でもあの男は、何かと言えば不満を表情に出し、大きな声を出し、常に不機嫌顔で自己主張し、家族の輪を乱す。
自分が、これまで何をしてきたのか、まったく理解してないんだろうか。
兄が出したのは、当時付き合ってた彼女との結婚資金として貯めてたお金だった。結婚はお流れになって、結局いい年して独身のままだ。
いなくなればいいのにって思う。早く死ね。
でも今死んだら借金が後に残って迷惑だから、やっぱり母親には離婚してほしい。
そうじゃないなら私が家を出ていきたい。
これ以上一緒に暮らしてたら気が狂う。そのうち、自分の手で殺そうと思うかもしれない。
でも、一人だけ逃げ出すのは母と兄を見捨てることになるだろうか。
こんな悩み、誰にも話すことができなくて、つらい。
どうしようもない。
頭が狂いそうだ。
事実に簡単に触れるだけでいい。彼の人となりだの近所の評判だの家族構成だの彼のtwitterアカウントだの本当にいらない。もっと淡々と軽く事実に触れるだけでいい。容疑者(犯人)の主張を繰り返し報道するのが、最悪の最悪。完全に容疑者へのご褒美になっている。
政見放送を好き勝手に自己主張する時間だと思っている候補者の演説が、少し話題になっているが。ああいうのを供託金も無く、他人を傷つける事で成し遂げる結果を得させている。報道関係者はどういう了見なんだ!?
ポケモンGOなんてやめちまえ いつから日本人はこんなバカばっかりになったのか。
小さな端末に時間を奪われる。右を見ても左を見てもスマホを手にウロウロ。
道を歩けばポケモンGO、電車に乗ればポケモンGO、ポケモンを捕まえたら何かいいことでもあるのか?
ポケモンGOだけじゃないけど、携帯ゲームに費やす時間と労力って何かを生み出すのか?
一度やりだしたら、何となく続けてしまう。覚醒剤と一緒じゃねえか。
止めれないんだろう。
パチンコもそうだけど、爺婆の年金を奪い取っていく社会が、求められる未来なのか?
若者の大切な時間、友達と話す時間、人生を悩む時間、それらを全て奪っていくのが携帯ゲーム。
お前達が作り出しているのはただの金儲けの道具じゃねえか。
友達と話す時間も惜しんで熱中する、わがままな若者を増長するバイブルじゃねえか。
マクドで向かい合って座る二人が何も話をせず、お互いの携帯をいじっている。
カップルでも同じ。先日も、女子同士二人が居酒屋で話もせず、携帯をいじっていた。
バカじゃねえの。
何が楽しいの?
それを個人主義と主張し、それが自由というなら、それは間違っているんだよ。
人間が一番偉いんじゃないんだよ。
携帯をいじいじ触っている皆さん。そんなに時間と金を持て余してるなら、その時間と金を被災地でボランティア活動にでも使えば?
多くの人から感謝されるよ。ポケモン捕まえるより充実した時間を過ごせるよ。
今、ポケモンGOに興じている人が、そのうち結婚して子供を作る。
その子供の教育に悪いからと、携帯を持たさない親も出てくるだろう。
自分も自由にしてきたから、子供にも自由にさせる。そんな親もいるだろう。
キラキラネーム付けて、バカなゲームに熱中させて、欲しいと言えばなんでも買ってやって。
それ以上にバカなのは、親が率先して子供と会話もせず、ポケモン捕まえに行ってんじゃねえよ。
右を見ても、左を見ても、どの親もポケモン捕まえていたら、子供は大人がやっているんだから
子供もやっていいと思うじゃん。
勉強、勉強て言うつもりは全くないけど、ゲームばかりして話をしない、走り回らない、ボールを蹴らない、
そんな遊びを知らないクソガキが大きくなって、自己主張ばかりするんじゃないの。
でもね、お前たちの言う自由って、個人の主張だけじゃん。
あなたが毎日吸っている空気は、ポケモンが作ってくれる訳じゃないんだよ。
人間が生きれる環境は、様々な命の犠牲の上に成り立っているんだよ。
お金を払えば生きれる訳じゃないんだよ。
気付かせてあげれるの。
そんなに子供に気遣っていたら、そのうちバットで殴られるだけだよ。
今日もぶつかってきやがった。そんなにスマホが気になるなら、お前がポケモンにでもなれよ。
で、誰かに捕まえてもらって、スマホの中で生活をすれば、楽しくて仕方がないだろう。
ポケモンGOのおかげで、中学生の子供と話す時間ができたと馬鹿な親が言う。
スマホを間に挟まないと話もできない家庭って、それ、崩壊しているのじゃないの。
普段は携帯電話を持たせていないが、親と一緒ならポケモンGOをやってもいいと話す。
スマホがなければその家庭では話すことがないのか。
何をそんなに親が気を使わないといけないの?
通りかかった公園に20人ほど集まっている。
ポケストップ? お前らは、ゴキブリホイホイに集まるゴキブリか。
でも、みんなウィルスと間違われないように気をつけな。
地球に必要のないウィルスと思われたら、生きる価値はないからさ。
気がつけば、ポケモンたちに捕まえられる側になっているかもしれないね。
でも、本望だろう。ゲームの主役になれるんだぞ。
そんな企業からの政治献金をたくさんもらって、懐あったかくして、日本をダメにしている事をいいと思っている、国会議員さん。
頭と心を整理するためにここに書こうと思います。
毒親と連絡を断って一年が過ぎたのだけど、最近になって、毒親から、わたしの旦那と旦那実家へのコンタクトが増えてきた。
着信拒否をしてくれ、と何度も話したのだけど、旦那としては「時間が解決してくれるだろう」という期待があるようで、わたしが実親と連絡を断っていること自体は責めないでいてくれるのだけど、一方でつながりを完全になくしてしまうことには抵抗があるらしい。
旦那がそうなので義母にも連絡を断ってくれなどと言えるはずもなく、遠方なのでお中元お歳暮のやり取りぐらいだが親どうしの交流は続いている。
そんで毒親がこないだ義母に切羽詰まった様子で泣きついてきたようで、義母はやはり同じ母親としておおいに共感するところがあったらしく、わたしに対して「なんとかほどほどの距離感で付き合えないものなのか」と説得をしてくるようになった。
これがなかなかにしんどく、まあ子持ちの友人とかから内容自体は言われ慣れていることなのだけど、義母から言われると動揺する。
今は旦那がわたしの側に立ってうまくかわしてくれるからまだ救われているのだけど、その「ほどほど」が通じない人達だから手の届かないところまで距離を置いているのだということをどうすれば理解してもらえるのか、理解は難しくてもまあうるさく言わず黙っといてやるかぐらいに思ってもらえるのか、しかしまあ要するにわたしに連絡がつかないのに周りに連絡がつくから連絡してくるのであって、それで周りが困惑するのも当然であって、周りからすれば、お前んちの親子喧嘩に巻き込まれても困るんだけど、ってなもんだろうし、でも着信拒否はしないということで、わたしはどうすればよいのか悩んでいる。毒親の過去の悪行などを訴えると、そのときは「なるほど」と言ってくれるのだが、それこそやはり時間が経てばそのときの印象も薄れるようで、そのたびに彼らがいかに付き合うのに難儀な人種なのか具体的なエピソードとともに訴えることもできるにはできるが、「でも、親子なんだから」論者にはそれもいずれ効かなくなるように感じている。
旦那と義母のやり取りをよくよく観察すると、お互い結構きつい口調で言いたいことを言い合っているのだけど、なんというか、ちょっとした言い方とかにイラッときてもお互いすぐ流せてる様子だし、ささいなことにこだわらないおおらかな愛情があるんだなあ、というのがしっかり感じられる。羨ましい。うちの毒親は、そのちょっとしたイラつきを毎回徹底的に掘り下げて相手の人格を否定するタイプなので、幼少期からいかんなくそれを浴びせられてきたわたしは自己肯定感駄々下がりな半生だったのである。
そういう圧倒的な環境の差異を見せつけられたのちに「あなたを産んでくれた親なんだから」などと言われると本当にダメージがでかい。
追記
その義母とも「ほどほどの距離感」で付き合えばいいんだろうけど、実はもうじき義母と同居を始める予定だ。義父が他界しており、一人暮らしの義母を我が家に迎え入れようという話をしている。わたしも毒親の親であるところの祖父母を介護し最期を看取った経験から老人介護のなんたるかはわかるし、時期が来たらプロに任せるべきであるという持論も旦那と共有している。普段あまり自己主張しない旦那が、義母を呼び寄せたい、と話してくれた気持ちを大切にしたいし、元気なうちに少しでも親子の時間を持ってほしい。それは本心だ。嫁としてはそりゃ面倒だけど、でもまあ、毒親の件さえなければ、嫁姑としてはそれこそ「ほどほど」でやっていけそうに思っている。中学生のころから実家を出るまでも三世代同居だったので、実際同居が始まってから、予想もしてなかったような悩みやトラブルがいろいろ噴出してくるのもわかってるんだけどね。やはり問題は毒親の件だ。旦那と義母が連絡を断つことに積極的でない以上、わたしがどうにか処理するしかない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。でもどうすればいいのかわからない。わたしにとって彼らはストーカーと同じなので、ストーカー被害のように警察に訴えることができたらどんなにいいかと思う。でも、まだ警察に相談したことはないけど、まともに取り合ってくれるわけがないというのはさすがにわかる。毒親相談窓口とかないんですかね。あるいは、娘そっくりの人工皮膚をかぶせたペッパー君を送りつけるのでもいいと思う。数百万で済むなら喜んで依頼する。「なんだかんだ言っても、親なんだから」と言う人は頼むから、少しでいいから、世の中には一見普通に見えても実は裏で大変な思いをしている人もたくさんいるんですよということを考えてほしい。
追記
毒親ネタ大好きなはてなで全然話題にならず寂しいので、小町なトラバへの返信でも書いて見ようと思う。
・友達の中で説教をかましてくるのは、既婚子持ちの、さらにごく一部の人たちです。
いずれも学生時代からの友人だが、当時はグレておかんを泣かせていた人達に限って今のわたしを非難してくる。
わたしは家を出るまでずっと親の期待通りに育ってきた、いわゆる「いい子」ですよ。
でもまあ、幼少期のわたしをそういう見せかけの「いい子」に仕立て上げたのは彼らだしな。
自業自得なんじゃね。
・ペッパー君を買うための数百万はわたしは自分で稼いだお金から出しますよ。
いや買わんけども。
なんかしらんけど、このトラバの人、偏見とか思い込みがすごいよね。
何がそんなにこの人の逆鱗に触れたのかわからんが、よほど現状に不満が溜まって心に余裕がない状態なのでしょう。
気の毒だと思う。
そんなふうにならないためにわたしは自分に害をなす人からは極力距離を置くことにしています。それがたまたま親だったというだけの話。
おおよそそれまでの人生で、自分に彼女ができるなんて夢ほどにも思わず暮らしてきた。
恋愛に興味が無いというわけではない。
ただ異性との接点が無く、かといって積極的に動くことができるほどの自信や行動力を持ち合わせているというわけでもない。
彼女は欲しいけれど自分から何かをするわけではないという、昨今ありがちな草食男子というやつだった。
ただ、このまま諦めるには惜しいと思えるような出会いが一度だけ存在した。
このまま疎遠になるのならばいっそと思い、勇気を出して相手を何度かデートに誘って、最終的に交際関係まで持ち込むことに成功した。
彼女は自己主張の薄い子で、自分から何かを提案したりすることは滅多に無かった。
これは別に自分だけが見ている彼女像というわけではなく、共通の友人の間でも同じ認識だった。
だから、彼女からのアプローチが無いことに対して特に不満はなく、かと言って振り回すことのないように自制心を適度に働かせながら関係を保ってきたつもりだった。
返信が遅いこともわかっていたし、傍から見れば冷めているような関係が心地いいと感じていて、彼女もそう思っていると信じていた。
アプローチが無いのも返信が遅いのも、ただ無関心なだけなのではないか。
本当は気づいていた。
それでも、もしかしたらと思い続けてきたが、どうやらもう駄目みたいだ。
22歳女。
セックスしたくない。
今まで付き合った人数は2人。
初めての彼氏は20歳になってからできた。私も彼もセックスをしたことがなかった。
彼のキスは、歯がガチガチぶつかるほど荒々しかった。舌はガンガン突っ込んでくるし、鼻も押し当てられてた。
彼は二次元オタクで男子校出身だったから、彼の男女の性的なものに対するイメージはエロ漫画やエロゲの影響が強いんだろうなと思い、萎えた。
中学に入る手前から、大学生半ば頃まで、ずっとずっと夢見ていた憧れのキスは、実際には、「仕方なくやるもの」になってしまっていた。
それはセックスに関しても、同じだった。キスが下手ならセックスも下手だ。
彼が下手だった理由は、生身の女に対する知識がなかったからだと思う。ナルシスト気味で女性経験のないオタクだったからしょうがない。
手荒く胸を揉まれても乳首つままれても女性器に指突っ込まれても、苦痛でしかなかった。身体的にも精神的にも。
でも私が感じなかったのは彼のテクニックのせいだけではない。
人を信頼できない。自分も信頼できない。体型コンプレックス(少年のような胸)。醜形恐怖。自己主張するのが苦手(好き嫌いを表に出すのに勇気がいる)。
八方美人。我慢してしまう。自己評価が低い。不安症。恥ずかしがり。怒られるのが怖い(特に男性から)。ネガティブ。被害妄想しがち。
ざっと思いつくまま書くとこんな感じ。まだ何かありそう…
これらの性格特性は、機能不全家族と、自分の元々の性質のせいだと思ってる。
こんな自分を人に知られないように、自分の本心を隠して人の顔色を伺って生きてきた。
会話は苦手だけど、人からつまらないやつだと思われないように面白いことを言って笑わせて場を明るくすることに努めた。
元カレ2人に対しても自分を偽っていい子で明るい子を演じてた。空気を壊したり怒られるのが怖いから不満や意見を言えなかった。
キスやセックスの際もそう。相手に身をゆだねて自分をオープンに出すなんて、できなかった。嫌でも痛くてもそれを相手に伝えられなかった。
ね、こりゃあーセックス嫌いになるわ。
1年前くらいから、ネットで有名な港区のモテモテ美人OLさんたちが「自分を愛せない女は幸せになれない」「自分を大事にしなきゃだめ」と主張してるのを見てきたけど、ほんとその通り。
自分を軽視してるから、人とのコミュニケーションで自分を消耗して疲れる。
自分を愛したり信じたりできないから、そんな自分を好きになる人も愛せないし信じられない。
恋愛でうまくいくまでの道のりが遠いな。
写真を撮っていて思うのは、自分の表現方法なんてものは求められていないし、
Instagramに載せるとMERYでまとめに使われるのであるが、あくまでそれは記事の1コンテンツでしかない。
Twitterであれば、キャッチーなものの方がいいのであり、それもtogetterであったり、どこかのブログで引用されるための1コンテンツでしかない。
クリエイティブコモンズで発表している分には、どうぞ勝手に使ってくださいという感じではあるのだが、
どこかのまとめサイトに登録されて、そこから写真をクリックされて自分のフォロワーが増えるわけでもなければ、コメントをもらえるわけでもなく、
ましてやお金をもらえるわけでもないのだ。
SNSにアップしているのだから使われても文句は言えないというのもわかる。
単に引用しているだけだというのもわかる。
だが記事の中で写真のここが良いとか、そういう風に使われているわけではないのだ。
あくまでこんな雰囲気のこと言いたいからとか、こんな雰囲気でまとめるとオシャレだと思うのだとか、こんな写真見つけてくるセンス凄いでしょとか、
そんな感じなのである。
Twitterで拡散してもらうのにはビジュアルが必要であり、インスタグラマーの人も常に写真をアップし続けなければならないし、
まとめを作って売上を上げている人もビジュアルが必要なのだろう。わかる。
写真はネットでの一次産業であり、写真だけではお金にならないのも知っている。
だが、スーパーで農作物の生産者の人の顔が見えればと言われるが、ネットで使われる写真は撮った人の顔が見えてはいけないのだ。
なぜなら記事を書いている人が主人公であり、写真は自己主張してはいけない。
まとめサイトで使ってくれた人から、使わせてもらってありがとうと言われたことはなく、
ちょっと更新を怠っていると、なんで最新のもの上げないんですか記事に使えないんですけどという、ゲンナリとするコメントが来るだけである。
せめて商品アフィリエトのせるのと一緒で、写真撮った人への投げ銭を送るくらいのシステムにならないだろうか。
自分の写真だけをまとめに使われて、そこでのPV数といいねなどの数よりも、元のInstagramなどでのいいね数は少ないわけである。
見せ方の違いだ、見せ方が悪いと言われてしまえばそれまでかもしれないが。
写真を撮るのにはお金と時間がかかる。モデル代に数万、衣装代が高いと数万、スタジオ代に数万、交通費もかかる。
ヨドバシカメラでカメラとレンズを買っただけでは撮れないのだ。
雰囲気の合うモデルさんを探すのだけでも時間がかかるし、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、現像もレタッチもしているのである。
はじめに、このブログは、産まれたお子さんが心臓病と診断された親御さんに向けて書いている。同じような経験を知りたくて、少しでも安心材料がほしくて検索を繰り返したが、あまり見つからなかった。なので、自分の経験が少しでも、誰かの参考や支えになるといいと思う。
「大動脈狭窄」といって、文字通り大動脈が狭い。そのため血液を送るたびに血管と心臓に圧がかかり、酷いと手術が必要になる。
産まれたあとにわかったもので、最初は産まれた病院で様子を見ていたのだが、詳しく調べたほうがいいと循環器専門の病院を紹介されることになった。大きい病院で、日本でも有名な医師がいる病院だった。
七ヶ月になったある日、そこで受けたカテーテル検査で、検査の最中に心停止を起こした。
結果から言うと、今のところ術後の経過は良好で、子供は元気に育っている。もうすぐ二歳になる。
発達は少し遅いが、好奇心旺盛で、乗り物が大好き。よく笑い、よく食べ、自分なりに一生懸命しゃべっている。最近はイヤイヤ期なのか、自己主張も激しくなってきた。
話を戻そう。心停止を起こした数日後に血管の緊急手術、肺の状態が落ち着かずさらに数日間、胸を開いた状態で集中治療室(ICU)に入っていた。狭くなった血管と、弁の形成が手術内容だった。その間、人工心肺と輸血で命をつないだ。執刀してくださった医師、輸血をしてくださった全国の皆さんには、感謝してもしきれない。この場で心から御礼申し上げる。
集中治療室を出てからは、小児集中治療室(PICU)にうつった。人工呼吸と麻酔で眠る日が続いたが、徐々に麻酔を減らし、意識が戻った。うっすらと目を開けて、か細い声をあげる子を見て、涙が出た。生きている。生きるために、がんばって生きている。
幸い、術前に説明されていた感染症などはまったくなかった。人工呼吸から酸素管理にきりかえ、すぐにPICUを出たあと、一般病棟にうつる。そこからは一週間の入院で、早かった。
検査だけのはずだった入院から、ひと月ほどたっていた。退院後は在宅の呼吸管理も必要なく、入浴や生活の制限もなかった。
ただ、寝ていた日が長かったせいか、完全にすわっていた首は新生児のようにぐにゃぐにゃになっていた。それもひと月ほどで元に戻ったが、毎日注意して過ごした。
大きな手術を乗り越えて、麻酔で眠っていた時間も長かったので、発達や今後の病状に不安があるのは今でも変わらない。それでも、生きているだけで奇跡のようなものだと思っている。
長くなったが、親御さんには、たとえカテーテル検査であっても病院と医師選びをしっかりなさってほしい。うちの子は検査中に心停止を起こしたから助かったのだ。紹介してもらった病院も大きい病院で、運がよかったのだ。
一人でも多くの子が、病に負けずに元気になるように。一人でも多くの親御さんが、お子さんと穏やかな日を過ごせるように。それを願って毎日、子供と過ごしている。
大阪人は、ビジネスのセンスがあるかどうかは、人によるのではないか?
全く、大阪人って商いの精神があるとかって言うが、センスがあるかどうかは、個人の資質に委ねられている気がするし、疑問があるよね。
端的にいって、東京の人は、『自分は田舎から出ている』とか『田舎から出て来た人の集合体』という開き直りがあるように、予想するのだが。
(私は生粋の大阪人でもないし、学生時代を大阪で過ごしたわけでもない。出身は、北陸。たまたま、大阪府民になっている。)
大阪や京都の私鉄や地下鉄の連絡の悪さを考えると、簡単には駅舎を作れない状況のように思える。
なんだろう、たぶん歴史的に、中国籍や韓国籍や同和問題、ヤクザなどを抱えていて、
(沖縄の例の辺野古用地の買収ほど、露骨に政治屋の名前は挙がってはこないが政治家も絡んでるのだろうか?)
いずれにせよ、利害関係の調整が難しいのだと、思う。
それか、一時期、賄賂で大阪府下の市長さんが建築業者とズブズブだったらしいが。
東京都知事のお金の使い方が、ビックリするぐらいに、適当なんだろうなと、思う。
みみっちい。
群馬に、そのうち負けるのではないだろうか。
関西人の間の仲の悪さは、なんだか、埼玉・千葉・神奈川県民の仲の悪さとは、別次元のこだわりが、あるような気がする。
もちろん、東京でも、渋谷・新宿・上野とか、地域ごとの格差はあるのだろうが。
大阪府下でも、北側と南側、例えば、豊中や千里中央の辺りと、東大阪や堺市とでは温度差があるような気がするし。
いわんや、京都と手を組もうとか、兵庫県と、とかって草の根レベルで交わりづらいのだと、思う。
文化が異なる。
それと、
大阪の人は、コミュ力があるようで、コミュ力があるのかなと、疑問に思うことも多いし。
東京でも、子育ての件では老年層と若年層との意識のギャップがあるようだけど。
それが、そこかしこで、見られる。
関西の女性って、ディズニーランドやコストコなんかには、ラブな意識が強い。
(今、述べている関西の女性半径5メートルの範囲に限るので、異論は認める。)
結構、感情的で、愛知県の人よりも、金の計算が出来ないのではないか、と感じる。