2016-07-03

写真を撮っていて思うこと

写真を撮っていて思うのは、自分表現方法なんてものは求められていないし、

Instagramに載せるとMERYでまとめに使われるのであるが、あくまでそれは記事の1コンテンツしかない。

Twitterであれば、キャッチーものの方がいいのであり、それもtogetterであったり、どこかのブログ引用されるための1コンテンツしかない。

クリエイティブコモンズで発表している分には、どうぞ勝手に使ってくださいという感じではあるのだが、

どこかのまとめサイト登録されて、そこから写真クリックされて自分フォロワーが増えるわけでもなければ、コメントをもらえるわけでもなく、

ましてやお金をもらえるわけでもないのだ。

SNSにアップしているのだから使われても文句は言えないというのもわかる。

単に引用しているだけだというのもわかる。

だが記事の中で写真のここが良いとか、そういう風に使われているわけではないのだ。

あくまでこんな雰囲気のこと言いたいからとか、こんな雰囲気でまとめるとオシャレだと思うのだとか、こんな写真見つけてくるセンス凄いでしょとか、

そんな感じなのである

Twitter拡散してもらうのにはビジュアル必要であり、インスタグラマーの人も常に写真をアップし続けなければならないし、

まとめを作って売上を上げている人もビジュアル必要なのだろう。わかる。

写真ネットでの一次産業であり、写真だけではお金にならないのも知っている。

だが、スーパー農作物生産者の人の顔が見えればと言われるが、ネットで使われる写真は撮った人の顔が見えてはいけないのだ。

なぜなら記事を書いている人が主人公であり、写真自己主張してはいけない。

まとめサイトで使ってくれた人から、使わせてもらってありがとうと言われたことはなく、

ちょっと更新を怠っていると、なんで最新のもの上げないんですか記事に使えないんですけどという、ゲンナリとするコメントが来るだけである

せめて商品アフィリエトのせるのと一緒で、写真撮った人への投げ銭を送るくらいのシステムにならないだろうか。

自分写真だけをまとめに使われて、そこでのPV数といいねなどの数よりも、元のInstagramなどでのいいね数は少ないわけである

見せ方の違いだ、見せ方が悪いと言われてしまえばそれまでかもしれないが。

写真を撮るのにはお金時間がかかる。モデル代に数万、衣装代が高いと数万、スタジオ代に数万、交通費もかかる。

ヨドバシカメラカメラレンズを買っただけでは撮れないのだ。

雰囲気の合うモデルさんを探すのだけでも時間がかかるし、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、現像レタッチもしているのである

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