写真を撮っていて思うのは、自分の表現方法なんてものは求められていないし、
Instagramに載せるとMERYでまとめに使われるのであるが、あくまでそれは記事の1コンテンツでしかない。
Twitterであれば、キャッチーなものの方がいいのであり、それもtogetterであったり、どこかのブログで引用されるための1コンテンツでしかない。
クリエイティブコモンズで発表している分には、どうぞ勝手に使ってくださいという感じではあるのだが、
どこかのまとめサイトに登録されて、そこから写真をクリックされて自分のフォロワーが増えるわけでもなければ、コメントをもらえるわけでもなく、
ましてやお金をもらえるわけでもないのだ。
SNSにアップしているのだから使われても文句は言えないというのもわかる。
単に引用しているだけだというのもわかる。
だが記事の中で写真のここが良いとか、そういう風に使われているわけではないのだ。
あくまでこんな雰囲気のこと言いたいからとか、こんな雰囲気でまとめるとオシャレだと思うのだとか、こんな写真見つけてくるセンス凄いでしょとか、
そんな感じなのである。
Twitterで拡散してもらうのにはビジュアルが必要であり、インスタグラマーの人も常に写真をアップし続けなければならないし、
まとめを作って売上を上げている人もビジュアルが必要なのだろう。わかる。
写真はネットでの一次産業であり、写真だけではお金にならないのも知っている。
だが、スーパーで農作物の生産者の人の顔が見えればと言われるが、ネットで使われる写真は撮った人の顔が見えてはいけないのだ。
なぜなら記事を書いている人が主人公であり、写真は自己主張してはいけない。
まとめサイトで使ってくれた人から、使わせてもらってありがとうと言われたことはなく、
ちょっと更新を怠っていると、なんで最新のもの上げないんですか記事に使えないんですけどという、ゲンナリとするコメントが来るだけである。
せめて商品アフィリエトのせるのと一緒で、写真撮った人への投げ銭を送るくらいのシステムにならないだろうか。
自分の写真だけをまとめに使われて、そこでのPV数といいねなどの数よりも、元のInstagramなどでのいいね数は少ないわけである。
見せ方の違いだ、見せ方が悪いと言われてしまえばそれまでかもしれないが。
写真を撮るのにはお金と時間がかかる。モデル代に数万、衣装代が高いと数万、スタジオ代に数万、交通費もかかる。
ヨドバシカメラでカメラとレンズを買っただけでは撮れないのだ。
雰囲気の合うモデルさんを探すのだけでも時間がかかるし、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、現像もレタッチもしているのである。