はてなキーワード: 繋ぎとは
個人の好みと自己選択ってことにしてもいいんだけど、それを公に認めて推進しちゃうと、限界集落は完全に厳戒しちゃって自治体の少なくない割合が瞬間的に破滅しちゃうのではないですかね。「嫌がる奴を無理やり繋ぎ止めたり、なだめすかして住まわせ続けないと困る」自治体、結構あると思うんだよ、
政治家の頭おかしい発言とかって実は複雑な思惑があったりしてのことなの?だってうちらよりは遥かに情報が豊富で正確なはずだし、優秀なブレーンだって付いているはずなんだし
それがいちはてなーに完全論破されちゃうなんて……これならはてなーが政治家になったほうが誰も不満を感じることのない誰もが互いを尊重しあえてすぐに武器を捨て去り手を繋ぎあえる世界になりそう
貴方の手 見た目より細くなくて案外ゴツゴツしていて ああ やっぱりオトコノコなんだなあって 手を繋ぐたびに思うの
妄想よ妄想 本当は知らないけれど 夢の中と妄想じゃ数え切れないくらい手を繋いだわ私たち 貴方の手に包まれる度冷たくなった手が じんわり暖かくなって ああもう幸せ、だなんて 妄想よ妄想 本当は知らないわ
現実では手なんて繋ぎたくないの 貴方に触れると貴方泡のように消えてしまうから だからねえもうずっと妄想の中で触れさせて
貴方とのキス 予想通り下手っぴで初めてのキスは 歯と歯がぶつかったね なんだかそれが可笑しくって私たちらしいね、なんて言いながら笑いあった 今でもキスの前に私を見つめて真剣な顔をする貴方が大好きで このままでいたいなあ なんて思うの
妄想よ妄想 本当は何も知らないけれど夢の中と妄想じゃ数え切れないくらいキスをしたの私たち 貴方の真剣な視線に射抜かれて動けなくなってしまう私を見て貴方は少し微笑んでからキスするの 少し小さい私の身長に合わせて 下から覗き込むようにするキスが大好きで ああもう 私は貴方のトリコ だなんて妄想よ妄想 本当は何も知らないの
現実では貴方とキスなんてしたくないわ 貴方に触れると貴方泡のように消えてしまうから だからねえもうずっと 夢の中で触れさせて
妄想よ妄想 本当は何もかも知らないの けれど夢の中と妄想じゃ仲良くお付き合いしてるの私たち 次の記念日はどこに行こうか なんて二人じゃれあいながら話してる 妄想よ妄想 本当に何も知らないの
だけどやっぱり現実では貴方とお付き合いもしたくないの 貴方に触れると貴方泡のように消えてしまうから だからねえもうずっとずっとこのままでいさせて 夢と妄想の中でずっと二人永遠に
吐き出さずにはいられないから吐き出したいと思う。読みにくい文章になってしまうかもしれないが、勘弁して欲しい。誰かにこの文章を読んで欲しいのかどうかもわからない。
私は、アラフォーの男性だ。昨年結婚した。アラフォーの既婚男性というとおっっさんを想像するだろうが、見た目は若いし、そこそこいけてるんではないかと思う。いや、そこそこいけているかどうかの判断は人によって意見が分かれる所だろうが、少なくとも自分ではそう思っている。
見た目もそうだが、気も若いほうだし、我ながら、自分と話をしてくれている人たちは楽しんでくれているようにも思う。
もともと、我が夫婦の間では、「本気にならない」「病気を持って帰らない」「迷惑はかけない」などのルールや常識(?)を守った上でなら、浮気も結構という共通認識があった。そのあたりは、端から見ればおかしく思われるんじゃないかというほどの真面目なミーティングで決めた。
だから、それなりに肉体関係だけの相手は複数人いた。いわゆるセフレというやつだ。ルールを守った上で、薄々感づかれながらも上手くやれていた。でも、今回は違った。
相手は20と少しという年齢。さすがにそこまでの年齢差で性愛の感情を抱く相手には出会ったことは今まで無かった。
そもそもは盛り場での出会いであった。バー(ガールズバーやキャバクラなどではない普通のバー)でバイトをしている子だ。最初のうちは顔見知りという程度であったが、次第に距離が近づき、LINEで会話をするようになり、二人だけで食事に行くようにもなった。楽しい時間だった。とにかく楽しい時間だった。こんな気分を経験したのは、おそらく学生時代以来だと思う。
変な拍子に始まった猥談から、お互いのセックス感、恋愛観、交友感なども意見が合うとわかった。ステディな関係以外にも、セックスだけの関係はあっても良いだろうということだ。「できる」と思ったし、とにかくその子としたかった。
ちょうどその頃、ネットで心に響く文章を見つけた。よしもとばななの『とかげ』からの一文だ。
" どうしてもどうしてもさわりたくて、気が狂うほど、もういてもたってもいられなくて、彼女の手に触れることができたらもうなんでもする、神様。
そう思った。そう思ってした。自然も不自然もない。せざるをえない。思い出した。本当はそうだった。何となく気があるふたりがいて、何となく約束して、夜になって、食べて飲んで、どうする?となって、今日あたりいけるとお互いが暗黙の打ち合わせをしてる、というものではなかった、本当はただたださわりたくて、キスしたくて、抱きしめたくて、少しでも近くに行きたくてたまらなくて一方的にでもなんでも、涙がでるほどしたくて、今すぐ、その人とだけ、その人じゃなければ嫌だ。
それが恋だった。思い出した。"
二人だけで会話するときは色んなことを相談してくれた。好きな人のこと、その人からは心が離れつつあること。セフレとしての関係は続いていること。また別の共通の友人と最近仲が良く、セックスをしたこと。最近部屋に入り浸っていること。かつて精神を患っていた経験があり、今でもそれを引きずって、一人では不安で眠れないこと。こちらのことを先生みたいだと思っていること、色々してくれて嬉しいということ。好きだということ。したいということ。
でも、私と彼女の間にセックスは無かった。何度も「しよう」となっていたのに、実際にすることは無かった。キスをしたことはあったが、それ以上は無かった。
転機が訪れたのは先週のことだ。彼女を自宅へ招いたのだ。もちろん、妻のいない時間に。彼女が食べたがっていた家庭的な献立を用意し、一緒に食べ、その後、映画を観た。観ている最中は手を繋ぎ、頭をこちらの胸元へ預けてきた。
映画が終わった直後、私は彼女を抱き寄せてキスをした。前回のようなやさしいものではなく、激しいキスをした。もう我慢できなかった。
彼女は震えていた。私は「そういうタイプの子もいるからな?」とだけ考えてキスを続けたが、そのうちに体を離され、行為の継続を拒否された。
聞くに、冗談めかして「レイプおじさんだ」と。確かにそうだった。私が悪かった。反省しつつ、また二人でテレビを観たり、軽いスキンシップを図ったりして、その日は別れた。
その後、LINEでまた「レイプおじさん」と茶化され、やり過ぎであったのかと、彼女の個々との機微を察知できなかった自分を責めた。激しく後悔した。
次の日、彼女がアルバイトをしているお店へ顔を出し、前の日のことを詫びた。そのことは「家を行った私も悪いし」「はっきり断らなかった私も悪いし」などと許してくれたのだが、その後の話の流れから、結局、こちらとセックスをするつもりは無いのか? チャンスは無いのか? と問うた所、「無い」との返答を得た。
なんとも。私の数ヶ月間はぬか喜びであったのか。激しく後悔した「レイプおじさん」という流れからの、セックスの拒否。当然かもしれない。だが、動揺した私は、半泣きになりながら店を後にし、バーを何店か回って、普段飲まない酒を何杯もあおった。ちなみにその子も酒は嫌いだ。「酒なんてこの世から無くなればいいのに」と言い合っていた。その酒を何杯も飲んだ。多分、酔っ払えれば楽になれるかもしれないという思いもあったし、何より、自傷行為だったのだと思う。
その後、よせばいいのにまた彼女の店へ戻り、「何杯も飲んできた」と言ったのち、さらに何杯も注文した。
最悪だ。自傷行為を見せつけているだけだ。その場には、彼女がセックスをしたという共通の友人もいた。どれほど最低でみじめなな気分かわかるだろうか?
ほどなくして自宅へ帰り、半泣きになりながら就寝。数時間後には起床して、彼女へLINEを送信していた。「最悪なことをした」「許して欲しい」「あなたには大変なことが色々あるだろうに、とにかく申し訳ない」「でもまた一緒に映画を観たりお話したりしたい」と。
音沙汰は無かったのだけど、数時間後、少し長い文章が帰ってきた。「そんな人だとはおもわなかった。見損なった。しばらく連絡は控えて欲しい」とのこと。
そりゃそうだ。私は最低な事をした。道義的にも最低で、行動の選択としても、一番してはいけないものを選んだ。
耐えられなかった。10数年ぶり、20数年ぶりにした本気の恋が破れたのだ。耐えられるわけがない。そこでまた、私は間違った選択をした。妻に、洗いざらい告白をした上、許しを請い、彼女を裏切ったことを後悔していると告白し、今いかに自分が傷ついているかを吐露し、嗚咽しながら助けを請うた。
妻はとりいそぎ許してくれた。もちろん「本気にならない」というルールを犯したことなどについてはひどく失望していた。20前後の年齢差がある若い女の子を傷つけたことなどにもあきれていたが、とりいそぎ許してくれた。
どころか、傷ついた私を元気づけようと、遊びに行く提案をしてくれたり、精神の持ちようを指南してくれたりもした。
私は本当に最低だ。本当に本当に最低だ。その日は二人で泣きながら眠った。
その後、私は彼女のことを忘れたれたかというと、そんなわけはない。今でも恋をしている。断られたのでLINEをすることはないが、彼女の店へ行ったりしている。そこでは楽しく会話できている。彼女の本心はわからないが。
先ほどは別の店で彼女の姿を見た。彼女と、彼女が最近部屋に入り浸っているという共通の友人と一緒に楽しそうにしていた。気持ち悪いだろうが、私は店には入らず、何度か窓の外から気づかれないように姿をうかがっていただけだ。
覗くこと何度目か。彼女ら二人の姿は無かった。今どうしているのかは知らない。ただ、とにかく悲しくて、悔しくて、情けなくて、やりきれない。
今、私が文章を書いている隣の部屋では、妻が寝ている。今月中頃には計画的な小作りを行う予定である。以前から決まっていた。
今はとにかく悲しい。
ボーカロイド衰退論が先日賑わっていたけど、ボーカロイドブームが音楽業界のビジネス的な側面において与えた影響で恐らく最も大きいのは、ワカモノ層にとって音楽はネットで無料でフルで聴けるのが当たり前、という感覚が完全に定着してしまったことだと思う。
初期のボーカロイドブームにおいてはランキングを毎日チェックして新しい音楽を求めるワカモノ層の行動が顕著だったけど、それは90年代のオリコンを追っかけていたワカモノ層と同じ行動で、ただ決定的に違うのは、それがレンタルショップにすらおカネが落ちない、完全に無料の世界で完結してしまったということ。
結局ボーカロイドの音楽シーンも、アイドルやジャニーズの劣化コピーの様な歌い手のために作られた楽曲が主流となり、CDも彼らがライブや即売会で握手を伴って提供されるものしか売れないという、J-POPと全く同じシーンの終焉を向かえることになった。
振り返って、この無料でフルで聴けるのが当たり前の時代は、商業でやっているアーティスト達にとっては深刻な影響をもたらした。
ボーカロイド全盛期に活動のピークを迎えたサカナクションは、本来であればもっとワカモノ層に聴かれるべきアーティストだった。
ただ、彼らもまだマシな方で、ワカモノ層への関心を繋ぎ止められた最大の要因は、楽曲をYouTubeに無料でフルで聴けるようにしていたからである。
(個人的にはYouTubeで公式でフルで聴けるようにしているのであれば、ニコニコ動画にも公式に提供すべきだったと思う。)
その時代にYouTubeにショートバージョンの公開でお茶を濁してアーティストの権威を保とうと努力していたワカモノ層向けアーティストは、今一体どれほど残っているのであろうか?
この時代にブレイクしたきゃりーぱみゅぱみゅも、当然ながらフルを公開している。
以降、ONE OK ROCK、SEKAI NO OWARI、back number、ゲスの極み乙女。等のワカモノ層に人気なアーティスト達も共通してフルを公開している。
むしろ、フルで公開しなかったら、ここまで人気が出なかったのかもしれない。
ここで重要なことは、ワカモノ層にとってフルを公開するのが当たり前であって、むしろショートしか公開していないことに意味を見出せない。
なぜ自分達の楽曲を不完全なカタチで届けているのだろう?意味ないじゃん!という感覚なのだろう。
今年は定額制音楽聴き放題サービスが各社から提供され、音楽を聴くことが有料であるという文化を取り戻そうと音楽業界が必死にもがいているが、ひとつ忘れてはならないことは、音楽の最大の消費層である今のワカモノ層にとって、ネットで音楽をフルに聴く行為は完全に無料が当たり前であって、有料で聴くという文化そのものがそもそも最初から存在しないということである。
YouTubeで最新の聴きたい楽曲が無料でフルで聴けるのに、わざわざ有料でマニアックな洋楽を聴くワカモノ層がどれほどいるのだろうか?
アーティスト性への拘りや大人の事情で、ワカモノ層からの支持と楽曲でのビジネスの成立の二兎を追うアーティストは、ボーカロイドブーム時代に埋もれてしまったかつてのJ-POPアーティストと同じ道を辿るのであろう。
アンインストールしてまたインストールするって事はたぶんアカウントは生きてるって事だよね?
もしそうだったらアカウント破棄しよう。
とにかくそのあなたをそのゲームに繋ぎ止める何かがゲーム内にあるはずなのでそれを捨てる。
今は辞めて何年か後に落ち着いたらまた再開したいな、とか考えてるんならその考えを捨てる。
辞めるってのはそういう事だよ。
特に何を語るわけじゃないんです。けれども、日記というものは、毎日書いていくものでしょう?
そこでわたくし、毎日書かなければならないと思って、はてなダイアリーなんかを開くわけなんです。ところがわたくし、あんまりここへは書きません。今まで3つほど書いたことがありますが、たわいのない話です。
今日は何を書こう。そう思うと、日付の欄にはすでに7月3日と入っているのです。日付は自動に書いてくれる。そこで、わたくしの一番最初に考えることはタイトル、ということになります。
タイトルに何を書けば良いかしら。と考え出したならば、何やらSEOとかいうわけのわからないことがあって、何やらキーワードを盛り込めとか、何とか言ってくるんです。そんなの、いちいち面倒くさいから、放っておいて、ひとまず書き出しをタイトルにしちゃう。
「おいっ!タイトルにはキーワードを2つ以上盛り込めって何度も言っただろ!」
そんな声も聞こえる。けれども、放っておいて良いんです。
わたくし、昔から文章を書くのが好きで好きで、この仕事を希望したはずなんです。それなのに、何やらいろいろ注文付けられていくうちに、嫌になっちゃった。好きなことを仕事にしたのがいけなかったのか、自分の融通の利かない性格のせいなのか、よくわからないけれど。これからどうしたら良いのか途方に暮れてしまいますが、まあ、いっかと思っています。
そもそも、どこかの正社員になって、家族を持って養って、家を買い、車を買い……ということが「幸せ」という刷り込み自体に疑問を感じ始める今日のこの頃です。お父さんがいて、お母さんがいて、子どもが両親共に手繋ぎで、はしゃぎまわるみたいなCMも見たような気がしますが(自宅にTVはなくなった)、いったい、誰が何の目的でこんな先入観を植え付けようとするのか。人生に疲れつつ、しかしここで斃れては悔しいので、生きようと思う者の独り言である。
昔、ある出会いがあった。
おそらくは、一秒すらなかった光景。
されど。
その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。
その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と
その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー
やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ
本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな
わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは
HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………
アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ、出会いの強さがしんみりと来たぜ
……だからこそ、歯痒いものを感じる
セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!
この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。
守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。
本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。
問おう、貴方が私のマスターか
のカットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて
本編アーチャーの過去編だったよね。
セイバーの表情もとても良かった。
そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。
何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲームの製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。
でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲームの製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。
つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。
新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。
一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…
原作やったのがだいぶ昔でアーチャーの言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。
あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな
挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな
偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった
ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常の象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。
理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う
衛宮士郎は幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと
だから誰を救うのかも定まらない
それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い
自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う
じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど
今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。
数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。
エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。
自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来の自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。
「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。
士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった
今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった
これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど
今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた
今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎は衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?
そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい
ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした
Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備
もう一つ便利機能があるがこれは別の話
アーサー王物語にて、策略でアーサー王と決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき
鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった
と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある
もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も
忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。
Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。
でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fateの真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。
次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!
ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね。
個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。
服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己の個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。
凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」
20話視聴後の感想はまさにこの心境だった
衛宮士郎というキャラクターは創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん
違うアーチャーも言ってただろ
「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる
普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由が存在する
でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう
でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ
間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている
「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」
「おい、そこから先は地獄だぞ」
剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ
元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。
これ、普通の物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど
そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」
までぶっとぶのがUBW。
「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通のキャラにとっては深刻なんだけど
衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから
話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。
そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。
それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。
士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、
それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を
士郎が元々持っていないと始まらない。
それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。
アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。
「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉を
それよりは
>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。
> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」
> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。
の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。
→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう
っていう意味じゃないか? UBW展開は。
「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。
あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから
多分answerが凄いことになる。
UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。
まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が
演出上の最強のカードになろうとは。
某動画サイトでのコメントはアーチャーがセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。
あそこのシーンのセイバーはアーチャーの言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。
ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。
SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから
そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。
虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。
たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、
「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど
基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから
実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。
その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?
今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で
「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。
自分はこれが見たかったんだよね。
とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。
士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。
> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、
> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。
> ……あの日の前に戻れて。
> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。
士郎って割と元々ああよ。
衛宮士郎がアーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い
アーチャーは自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する
士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする
幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする
自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな
今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉が
あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。
余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と
いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。
だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーのレトリックに過ぎない。
「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも
助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。
ここら辺、原作やってても勘違いしちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。
なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。
価値観っていうと語弊があるのかもしれないが
とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは
押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。
災害中の描写から、衛宮士郎の連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。
っていうか、原作の描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが
んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。
だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと
極論すると、士郎以外の誰であっても
上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。
実際問題、それは非常に考えづらくないか?
なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら
やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と
涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、
そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。
「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」
を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。
大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ
「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。
よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。
読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で
「借物」が「心がない」と誤解されたり
「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、
今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。
始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい
思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。
今回は素晴らしかった。
なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ
人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ
士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる
一応補足しとくけど、兄貴とディルでは置かれた状況が全く違うからな
兄貴とディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ
そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに
仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし
もし兄貴がディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか
それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディルも兄貴同様、立派なケルトの英雄だと思うけどなぁ
士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。
でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロの人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロの人助けをしたかったんだろうな。
そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。
なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。
大河になってアーチャーを馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっきり抱きしめたい。
俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった
士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね
だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも
分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは
だからあのゲリラの少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって
指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分や家族が食べていく為だったりするし
>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
>原作ではこう
>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。
>>いけないのか。自分の気持ちではないから、それは偽物なのか。
それ、別に矛盾しなくない?
士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」
っていう願いを持ってた。
でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて
意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)
そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、
「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、
士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では
抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。
SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・)
会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)
これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう
後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?
虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に
ナタリアとの別れによる正義への絶望や故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな
横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。
・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写。
・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。
「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」
スマホからだと書きにくいな…
俺は
「たしかに、始まりは憧れだった」
「けど、根底にあったものは願なんだよ」
「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」
って解釈した
根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた
のコメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。
車の傍の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
トンネルの中の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
荒野の木の周りの死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
世界との契約
暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。
という事?
そうじゃなくて、
地獄を見た。
地獄を見た。
地獄を見た。
――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。
ってこと。
いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。
実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー。
そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。
セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。
だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。
セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。
彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。
士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャーの気持ちもセイバーは理解できるだろうしね。
挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチックな気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、
Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー
Judasはエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想
として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。
これ、日本のビデオゲーム(アニメもか?)の特徴でもあるんだけど、カメラ=観客 を神様の立ち居地に置いてるからだと思う。
メタから目線・観客席から目線・神から目線・お茶の間から目線……要するに、安全なところからすべての情報を完璧に見ることが出来る視線。
注視するものって動かずに見え、背景こそが動いて見えるのが、目の機能としては自然なんだけど、日本の演出は注視すべきものほどよく動き、逆に背景は動きが抑えられている。
これによって、観客は「何に対しても注視していない感」が与えられる。
ビデオゲームは動かず注視される対象が主人公なんで、そこはちゃんとしているんだけど、逆に敵に焦点が当たってないわけで、主人公に対して没入せず、他人目線を維持する。FPSを避けてTPSに走る。
また全体的に被写界深度も深く、これまた「注視してる感」を避けてる。
あと同系統の話しになるんだけど、「カメラに入るものは、全てが神のごとくよく見える」
手前に邪魔なものが入ったり、重要な部分が見切れたり、陰影でつぶれて、見るべき対象物がよく見えない、という状況をかなり避けている。
被写界深度もそうなんだけど、カメラに入るすべてのものが、きっかりはっきり情報を与えている。
注視対象は全て見えるようになっていて、緊張感があるシーンでは、真正面から見据えてますます情報を隠させない。
あとそもそもとして「対象を記号的に捉える」っていうのもある。
意味が一意に取れるシンボルとして描かれる。ある種のミニマリズム。
要するに「観客にとって不安定で、意味を確定できない情報」がとことん排される。
超どアップが多用されるのも「見るべきものだけがこの世界に存在しているもの」だから。
ドッキリシーンとして一瞬だけ行われ、その状態を維持して不安にさせるような使い方はさせない。
で、視線の主観性を排して、どこでメリハリをつけるかというと、時間軸に主観性を持たせて、そこでメリハリつけるのが日本物の基本。
特にこの辺にコストがかからないアニメなら、スローモーション、バレットタイム、絵の一時ストップ、見得を切る瞬間、などなど。この辺はハリウッドに輸出された。
「現実はつらく厳しいけれど厳しい現実に当たっているのが俺みたいな汚いおっさんじゃなくて可愛い女の子ならなんとなく癒されるし救われる気がする」
というつらさの発露であり精神を繋ぎとめる蜘蛛の糸ではないのか
彼らから女の子を取り上げ汚いおっさんに戻そうという勢力は何なんだろう
社畜めうなんか生まれなくていいように厳しい現実を変えてさしあげろよ
もしくは代わりの女の子を与えてはどうか
ただ救いを取り上げるだけで何もしないとは
鬼だろうか悪魔だろうか
「私も他の女もあなたとセックスするのなんて勘弁だけどソープやエロ本はわいせつだから消えるべき」という女に似ている
社畜めうは発言者本人のアバターって話にそのアイコンで何言ってんですか(結月ゆかりってキャラですよね)
自分はキャラを理解してるし愛があるしブコメがイメージに反してない自信があるってことですか
それとも仲良くしようぜって事ですか
イエーイ(ハイタッチ)
昨日、仕事の契約を更新しないとの通知を受けた。今日になってようやく実感が湧いてきて泣いている。
32歳、独身、恋人なし、貯金なし、大卒だけど奨学金の返済あり、団塊世代の毒親と暮らしてる。前職でパワハラからメンタルと体を壊して退職した後、今の会社に勤めるようになった。1日7時間勤務、週4日、時給3桁の仕事だ。1日7時間でフルタイムではないのに、日によってはぐったりと疲れ果て帰宅後動けなくなったり、朝も非常に気力を振り絞って通勤していた。幸い会社では能力を認められ、必要とされた。友人もできた。体調が悪いながらも通院日に有休で休む以外は欠勤することなく通い続け仕事をすることで、前職でボロボロになった自尊心が少しずつ癒えていくような気がしていた。
しかし、経営効率化と要員配置の見直しの元、冒頭の通り来月末で契約を更新しないことになった。帰り道、スマホから求人サイトを見ているうちに、動悸と手足の震えで電車を途中下車しぼろぼろ泣きながら頓服薬を飲んだ。怖い。今のような環境に恵まれるとも限らないし、今のように能力を評価されるとも限らないし、今のように多少体調が悪くても勤められるところなんて滅多にない。そもそも次の仕事に採用されるかどうかもわからない。特別なスキルだってあるわけじゃなく、総務一般としてよく気が利いて少しパソコンに詳しいだけだった。震えているうちに、前職でのパワハラがフラッシュバックしてくる。頭に鳴り響く怒鳴り声。なんであの時死んでおかなかったんだろう、とさえ思う。今の会社で生きることが楽しいなんて知らなければよかったとさえ。
契約が切れるまでは今の仕事を勤め上げる。まだやりかけの仕事だってあるし、引継書だって作らなきゃいけない。ただ、それが終わったら、自分を満たしていた承認も自分を社会的に繋ぎ止めていたロープもなくなる。お金も人脈もスキルも何もなく、ただ生きることだけに必死だった自分に残ったのは、障害者認定されない程度にあちこちが壊れた体と精神と奨学金の返済と老いていく毒親。これでもまだ、生きなければならないのだろうか。
契約満了を見届けたら、死ぬしかないと思っている。今の会社には、最期にいい夢を見させてもらった。そう思いながら、退職の準備を進めつつ死の支度をすることが今の自分に残された唯一の道のようにしか思えないのだ。
酔うと人肌恋しくなるとかはあるよねー。そこで嫌いじゃない人がそばにいれば、手ぐらい繋ぎたくなる。
でもじゃあその相手とお付き合いしたいかとかはまた別の話です。
同じくニートをしている方、ぽかぽか陽気の中いかがお過ごしでしょうか
さて今年もニート生活を謳歌したい所存ですが、クレジットカード更新の書類を出したものの審査に弾かれ貯金もゼロのためネトゲは引退を考えている次第であります
また、家計は常によろしくない状況に置かれているため働かざるを得ない状況にあり退路は断たれました
心機一転出来るとは思えませんが、昨年度何をしていたか振り返ってみようと思います
■2~4月
無事単位はクリアしたのですがNNTだったため早々に実家へ帰還
疲れたらyoutube、ニコ生、はてブと隙のないネットは大好きです
■5~6月
大変程よい気温になりこの頃はジョギングなど精力的に外で活動しておりました
夜は深夜徘徊も楽しく、お気に入りの音楽など聴きながら歩いたものです
勿論ネトゲは続けておりこちらも1日6時間以上はプレイしていたと思われます
■7~9月
東北在住なのですがこちらの梅雨は長く、またエアコンが部屋にないため苦痛を強いられました
それは真夏や残暑でも同じで夜は扇風機を直に受けアイスコーヒーを飲み耐えるしかありませんでした
流石にこれは辛いと思い仕事に就くことを理由に家をでる事を考えました、が未だ無職です
おとなしく家に引きこもりネトゲ三昧の日々、ネット断絶のため兄の部屋から引っ張っていたLANケーブルを撤去されましたが密かに無線LANを繋ぎネット環境は維持
貯金はとうの昔に尽きたので親がたまに買ってくるもので凌ぎます、この頃からティーパックとコーヒーを愛飲し出すようになります
■1~3月
親からの風当たりも強くなるが我慢強さはあるのでネトゲをして過ごす
クレジットカード更新を弾かれ、年金の催促が増えてきました、親からもハローワークの求人票を突き付けられる日々
いよいよ働かなければいけないのか…と思わされ大手就活サイトや就活まとめ記事を重点的に見始めます
ニュースでは今年卒業の~新社会人が~といった内容が多く朝食や夕飯の際に肩身が狭いです
このような1年でした
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
みんなどうやって対応してる?
居酒屋から出てきた団体が酔っ払って通せんぼしてる時とか、男女の大学生が談笑してるうちにそのまま広がっちゃって通せんぼしてる時ね。
私はいつも「すみません通ります」って小声で言って団体の輪の端を通り抜ける。
最初は「邪魔だなー」って思ってるけど、団体たちの楽しい談笑を妨げたらなんか悪いし、道を塞がれてそこまで腹立ってるわけでもないし、自分がそこを通り抜けれればいいから、なるべくお互い穏便に済ませたいなって感じ。
そんで私が「すみません通ります」って言うことで、団体の誰かが気づいて「ほら邪魔になってるよー」つって退いてくれたら更に良いし。
悪意で通せんぼしてるわけじゃなくて、会話に一生懸命で気づかないうちにそうなってるんだろうから。
で、こないだまさにそういう状況になった時に、私と手を繋いでた彼氏がそのまま急に歩くスピードを速めてその団体の輪の真ん中を突っ切ろうとしたわけ。手は繋ぎっぱなしで私も引っ張られて道連れ。
「邪魔だよ」って意思表示のためにわざと団体にぶつかりに行ったのかと思って「え!?危ない危ない!!」って思わず大きい声出しちゃって、その私の大きい声に団体はムッとしてた。
その後で彼が「さっきの俺に言ったんだろうけど、あいつらが言われたと思ってムッとしてたよ」って・・。うん。実際後ろで舌打ちも聞こえたしそうだろうね。
彼の言い分としては「広場ならいいけど、通路であんなに広がってるほうが悪い。俺はただ道を通ろうとしただけ。」だそうで。
上に書いた私の気持ちを言っても「なんで俺らがすみませんって言わなきゃいけないの?道塞いでるのはあいつらだろ。それだけは絶対に言わない。」「俺はあんなふうにたむろしてたこと1度も無い。ありえない。意味がわからない。」つって理解してもらえなかった。
確かに彼は周りをよく見てるし理不尽では無いんだけど、わざわざトラブルになりかねないような通り方しなくても・・って思うんだよね。
あの時私が「危ない危ない!!」って声出してなくても、団体側は突然輪の中を横切られたらびっくりするし、なんとなく不快に感じるはず。「なんだよ今の」ってなるよね。広がって周りに迷惑かけてるのは確かに彼らなんだけどさ。
彼は「あいつらバカなんだもん。なんでバカに合わせなきゃいけないの。」とも言ってて、なんかやたら頑なで全然折れてくれなかったな。
で、「今度からああいう状況に出くわしたら俺は手を離して先に行くから」だってさ。そこまですることかなー。こっちが意地悪してるみたいでモヤモヤする。
同じ状況は友人や以前の彼と歩いててもあったはずだけど、私たちはたぶん普通に「すみません通ります」で端っこ通ってきたんだよね。
みんなはどうしてるの?
■追記■
皆さんありがとう。
私も団体でいれば塞いでしまうこともあるからそこは反省です。だけど気づくこともあるし、仲間に移動を促すこともあります。
彼にモヤモヤしているのは、その団体を見つけた途端にスピードを速めて嫌味っぽく行動したからだと気付きました。喧嘩売りにいってるって言葉がぴったりでした。
だから、普通のスピードで歩いていって真ん中を突っ切っていればなんとも思わなかったかもしれません。
直接嫌がらせされたわけでもないのに、そこまで怒ることですかね?っていう部分に関しては同調して欲しくて書きました。
どのように通過するかはいろんなご意見をもらえたので参考にさせていただきます。
無言で真ん中を突っ切る方が意外と多いんですね。こちらが遠慮する必要ないってのも頷けましたし。
同じ機会が訪れたらまた違った対応が出来そうです。
ありがとうございました。
シュレッダーに不具合はないか全部点検するのは、かなり時間がかかるし、重労働だ。
この日は動きやすい服装で出勤することになっている。
去年入った新人がどんな動きやすい服をチョイスしてくるか期待していたのだが、着てきたのはドンキホーテに売ってるような繋ぎだった。
その服装ではパンツの柄がチェック出来ないではないか!
一日逃さずチェックしてきたのにどうしてくれる!
そんな服装で仕事するなんてふざけるな!
昇給氏は目を疑った。
繋ぎだったよな…
そして、すぐさまチェック表に記録した。
紐パンティウスよ。
今まで君がパンツの柄をチェック出来ない服を着てきたことがあったか?
俺は君がパンツの柄をチェック出来ない服を着てきたんじゃないかと疑った。
情けない。
俺をグーで殴れ。
チョキで目に突き刺せ。
パーで叩け。
それでも許せなければ、その紐で俺の首を絞めろ。
お尻で潰せ。
そして、オメコを顔に押し付けろ。
殺すな。
殺したら昇給出来ない。
半殺しにして下さい。