2015-06-25

邦画カメラワークがチープな感じなのはメタから目線から

結構前に話題になってた奴。

これ、日本ビデオゲームアニメもか?)の特徴でもあるんだけど、カメラ=観客 を神様の立ち居地に置いてるからだと思う。

メタから目線・観客席から目線・神から目線お茶の間から目線……要するに、安全なところからすべての情報完璧に見ることが出来る視線

ものすごく客観的目線のみで捕らえ、主観的目線を排する。

まず「カメラ主観的視線概念を極力排除」している。

注視するものって動かずに見え、背景こそが動いて見えるのが、目の機能としては自然なんだけど、日本演出注視すべきものほどよく動き、逆に背景は動きが抑えられている。

これによって、観客は「何に対しても注視していない感」が与えられる。

ビデオゲームは動かず注視される対象主人公なんで、そこはちゃんとしているんだけど、逆に敵に焦点が当たってないわけで、主人公に対して没入せず、他人目線を維持する。FPSを避けてTPSに走る。

また全体的に被写界深度も深く、これまた「注視してる感」を避けてる。

あと同系統の話しになるんだけど、「カメラに入るものは、全てが神のごとくよく見える」

手前に邪魔ものが入ったり、重要な部分が見切れたり、陰影でつぶれて、見るべき対象物がよく見えない、という状況をかなり避けている。

被写界深度もそうなんだけど、カメラに入るすべてのものが、きっかりはっきり情報を与えている。

注視対象は全て見えるようになっていて、緊張感があるシーンでは、真正から見据えてますます情報を隠させない。

あとそもそもとして「対象記号的に捉える」っていうのもある。

意味が一意に取れるシンボルとして描かれる。ある種のミニマリズム

UI理想形みたいな繋ぎ方をする。

要するに「観客にとって不安定で、意味を確定できない情報」がとことん排される。

超どアップが多用されるのも「見るべきものけがこの世界存在しているもの」だから

これらの禁則を破る場合インパクトを出すため。

ドッキリシーンとして一瞬だけ行われ、その状態を維持して不安にさせるような使い方はさせない。

で、視線主観性を排して、どこでメリハリをつけるかというと、時間軸に主観性を持たせて、そこでメリハリつけるのが日本物の基本。

特にこの辺にコストがかからないアニメなら、スローモーションバレットタイム、絵の一時ストップ、見得を切る瞬間、などなど。この辺はハリウッドに輸出された。

ただ、これもある種の神様視点特権かもしれない。

神はあらゆるものを精査に見渡せるのだから、見るべきシーンがスローでじっくり見られるのは当然という。

  • 冗長で何を言いたいのかわからない 駄目だ駄目だではなく、どうすればいいのかを書かないと近所のおばちゃんの愚痴と何ら変わらない

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん