はてなキーワード: 生活費とは
社会人になって10年ずっと実家住みで毎月大体5万円を生活費として毎月親父に渡してる。
んでさっき親父と話して分かったんだけど母親はそのことをずっと知らないみたい。
俺が趣味のもの買ったり遊びに行くと母親から嫌味を言われたりすることあるんだが
ひょっとしてそれが原因なんだろうか。
親父に生活費について母親にも伝えてくれとは言ったけどこういう伝言ゲームがうまくいったこと無いし
俺が直接母親に言っても信用しないだろうし
面倒だからこのままでいいのかな。
エンジニアになるきっかけでバズってるnoteの人が同じ学科のOBだった
在学期間被ってなさそうだし、知ってる人でもないから完全に他人なんだけど
学生時代から落ちこぼれてる底辺OL的には優秀な方は人生の選択肢多くてよろしいなぁ…って感想しかないんだけど、大学の入学経緯は面白かったな
仲の良かった友達とか先輩とか、落ちこぼれの自分とつるんでるようなタイプの20人くらいの狭い範囲だけど、自分含めてほぼ全員が第一志望落ちてあの学部だった。該当しないのは推薦で入った子くらい?
今は知らんけど当時は偏差値そんなに高くなかったし、割と僻地だし、第一志望に選ぶほどの感じじゃなかったのかな
自分も都内の国立落ちたから、もうこの際センターの成績で入れそうなとこならどこでもええわ…って感じで選んだし
プログラミングの授業とか突然コンパイル?デバッグ?エラーコード?なにそれ?みたいな感じで1ミリも意味わからんから仲間内で先輩に回してもらった前の年の課題丸コピペして出してたな…数学も必修であるけど数ⅡBまでしかわからん文系にも容赦なく数Ⅲ?C?の内容で進められるから何なら高校の頃より参考書読んで勉強したわ…懐かし…
お陰で理系とかIT系向いてないのわかったから一般企業の事務職に就いたけど、学部の名前でIT詳しい人みたいなの期待されて採用されてたっぽくて新卒の頃は無駄に苦労した
転職する時にも学部の名前のせいでシステム系の仕事打診されたりしてそういう点では大学選択失敗したかも
遊ぶとこは全然なかったけど生活費も安かったしぬる〜く四年間遊べたから良かったかな〜
オタクも多かったから普通なら恋人とか出来なさそうな感じの同級生同士とか先輩とかと付き合ってそのまま結婚した人も多かったし、学生時代に彼氏とった・とられたみたいな話があったり、オタサーの姫って実在するんだな〜って感じで面白かったな
全然オタクじゃなかったからエヴァンゲリオンもガンダムもプリキュアも声優もBLもわかんなかったけど、なんだかんだ仲良くしてくれる子が結構いて、もう今は結婚したり子供産まれたりで疎遠になってる子も多いけど、当時色々オタクなこと教えてもらってアニメ見たりゲームしたりするようになって趣味も増えたから、第一志望の大学で四年間ぼっちで過ごすよりは良かったなって感じ
たまたま自分は友達とかそこそこ出来たけど、何年か前に友達ができなくてぼっちだった人が半年で辞めたなんて噂もあったりしたから、本命滑ってどこでもよくなってるなら友達できそうなとこにするのもアリかも…って何年か前に受験生の従弟に言ったら縁起でもないことを言うなと叔母に怒られたけど、結構本気でそう思う
https://note.com/shimoi13/n/n8a9c320ded78
要約すると元々は高卒で働く気だった高校生の西野エンタメ研究所のメンバーが、第3期株式会社NISHINOインターン生に落ちてからは大学進学をする気になったのですが、いろいろ考えた末に「大学進学をして安全圏からエンタメを作るよりも、バイトで生活費を稼ぎながらエンタメを作りたい」と大学進学を諦め、将来あるかもしれない第4期インターンに向けてがんばるという話ですね。
読んだときビックリしました。サロンメンバーともあろう人が、「自分の武器を得るためのチャレンジ、やめちゃうんだ」と。
学歴というのは西野エンタメ研究所内でも評価される項目であるということは薪野真彩さんを見ていればわかりますね。
薪野さんはこの方です。VRの資金集めのための土下座の件(https://note.com/maayamakino/n/n890d4576dbc8)で一部で燃えたりもしましたが、逆にいえば「西野亮廣さんに直接会えて」「数千万かかるVRの企画も任せて貰えて」「更に追加で予算のお願いを出せる」立場にいる方です。
この方のプロフィールにしっかり書かれていますね。東大博士課程と。平たくいえば東大の院生ですね。
こういった常に努力している方がプロフィールに書く、ということは学歴は自分の武器であると認識していることです。
学歴があることの何が一番いいかというと、「大多数の人に能力をある程度理解してもらえる」ということです。
オンラインサロンですと、人によってはその価値を理解していたり、「オンラインサロンってなに?」って人がいたりと、その評価はまちまちです。
ですが大学受験は一斉にテストを受けて入るため、特定の大学に入るということは「自分はこの大学に入れるだけの能力がある人間です」と証明できることでもあります。
そのため「○○大学の学生です」と言えば、知識があまりない人でも「この人は高い能力をもっているんだな」と理解してくれます。
薪野さんもそこをわかって、プロフィールに日本でもトップレベルの大学の学生であると記載しているのだと思います。
サロンで活動していくうえで、エンタメでお金を稼ごうとする上で、顧客や取引先はサロンメンバー以外の人となります。どんな人と交流を深めるのかは、そのときにならないと分かりません。
そんなときにどんな人にも自分の能力を示すことができる「学歴」を得られるチャンスを、わざわざ自分から投げ捨てるのですか?
他のサロンの片のnoteを見る限り、サロンメンバーはリスクをとることを貴びます。ただそれは、リスクをとった先にリスク以上の利益をとれることが前提なのではないでしょうか。
大学受験ができる環境なのに、大学受験をあえてやめるというのは、リスクをとるのではなくただ損をしているだけなのです。
noteを読む限り、マルチタスクを苦手としている……つまり一つのことに集中することで力を発揮できる、職人タイプの方のようですね。
でしたら、なおさら安定した環境である大学に入っておいた方がいいのではないでしょうか。
マルチタスクを苦手としている方が、この雇用が不安定なコロナ禍で「生活費をバイトで稼ぎながらエンタメを作る」というのは、どうにも実力が発揮しにくい状況だと思います。
それよりだったら、安定した環境である大学に行き、エンタメを作ることに役立ちそうな講義の単位をとってみたら良いのではないでしょうか。
私も大学生の頃は芸術とまったく関係ない学部でしたが、面白そうだったので海外の映画や文化、芸術に関する講義をとっていました。今でも心に残っています。
それに、仮に本当に第4期インターン生の募集がかかったとき、学歴があることはプラスになるのではないでしょうか。
だから、提案します。大学受験が終わるまで、今後一生使える「武器」を手にするまで、あえてサロン活動を休止して、勉強に励むことを。
そんな!サロン活動を休むなんて!と思うかもしれません。でもこれこそが「とるべきリスク」なんです。
学歴はほぼすべての人に自分の価値を理解してもらえる大きな武器です。
そんな大きな武器を得るために、勉強する。その期間は勉強に専念するために、あえてサロンをお休みする。
武器を得るための「チャレンジ」にサロンの方は文句を言うでしょうか?
チャレンジするためにリスクをとることを恐れないサロンメンバーが、そんなことであれこれ言うわけがありません。
ローリスク・ハイリターンというやつです。こんなチャンスはめったに訪れません。
大きな「チャレンジ」をするために、成功する確率を高めるために専念するのか、武器を得ることそのものを諦めるのか、いまちょうどその分かれ道にいます。
一人の大人として、できればこの高校生の方には、一生使える「武器」を手にして貰えたらな、とそう思い、この記事を書きました。
◎前置き
X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。
いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。
・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている
この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。
何か災害や天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。
この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間を純粋に自分が満足するためだけに使うと想定する。
◎1日後に死ぬ僕
平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事な仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情を説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的に部長に有休申請を行うまでだ。
明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。
僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感の相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。
最後の1日を刹那的な快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的な快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後の食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事に時間と労力を割くのはもったいない。食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的な快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?
そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生を肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人に迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって、給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?
一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。
一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合は自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしまう事態は避けたい。
◎1か月後に死ぬ僕
1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金が必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。
別に誰かに命令されるわけでもなく、僕は自分の意志で一挙一動を選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ、身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場に就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。
1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記を処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。
口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金は社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金を寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。
僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。
そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。
◎1年後に死ぬ僕
1年残っているなら、少しはきれいに仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事の関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。
きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。
貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。
1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ、無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達と遊んだり、ランニングしたり、漫画やアニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画やアニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。
もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係の相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。
愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。
10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に、生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事に転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間を無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義な時間を過ごせるようにしたい。
例えばかなり無理をして、3-5年間ハードな場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか。
10年あれば、適当な理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?
◎30年後に死ぬ僕
10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやすい人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識と経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰な人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ。
残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣に検討する必要がある。
僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間は結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってわからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛や結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。
30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギーが必要なのかもしれない。そこそこのストレスや孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。
◎53年後に死ぬ僕
今29歳の僕は、52年後に日本人の平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生の計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老いた自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。
とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本の人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって、社会保険料と所得税と消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金が没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在の高齢者が受け取っているのと同等の価値の年金をもらうことは全く期待できない。
僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメや漫画を生み出す日本が大好きなので、できることなら日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外に移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。
◎あとがき
現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまりに空虚な自分の生活に一種の絶望を感じている。
そんな中いつものようにTwitterを目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分の生活を振り返ってみると、3か月後に自分が死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分が死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズムや断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。
とはいえ、それと同時に、自分の空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分の寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事や資格の勉強に時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。
平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプの人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。
僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。
コロナでフルリモートになったけど、半年くらい前から職場の上司の自分以外のメンバーへの当たりのキツさが気になり出して、他のメンバーが睡眠薬を飲み始めたと聞いたり、20人ほどのチームなのに異動や退職する人が立て続けに四人も出て職場に不安感がある。
契約社員上がりの補助員扱いだから大した期待もされてないので標的になることは今後もないだろうけど、このままこのチームにいる限りは補助人員以上の仕事はさせて貰えないだろうし、例えば明日会社が倒産したり明日から急に自分が上司からのパワハラにあったとして、このご時世にすぐに転職できるほど優秀な人間でもないし、失業保険が出るまでの間の生活費も怪しいし、そもそも失業保険で暮らせるほど給料貰ってない。
万が一耐えられなくて転職するときにせめて容姿理由に書類選考落ちする率を下げたくて二ヶ月ほど前から食事制限とリングフィットでダイエットをし始めた。元の体重の5%ほど減量できて、服のサイズも明らかにダウンしたし、そこそこ達成感を得られたけど、年末年始を怠惰に過ごしてからリングフィットやる気力が萎えて年明けからは数回しかやってない。
食欲も、食べないでいれば体重が落ちることがわかっているから、お腹は空いたけどこのまま食べない方が良いんじゃないかという気になることが増えた。一方で、何かを食べよう・食べたいと思った時のタガの外れ方が激しくなって、ケンタッキーで5〜6ピース一度に食べたり、ミスドでドーナツ10個くらい一度に食べたりみたいなことをして一日に4,000kcal超食べたりする日もある。
ここ一ヶ月くらいは二、三時間の睡眠しか取れない日が何日か続いて、そのうち体が限界なのか寝落ちして10時間くらい眠る日があって、またその晩から眠れなくなる。寝付けないし、明け方四時五時に目が覚めてそっからはもう二度寝もできないで布団の中で眠れないことにイライラしてる。
ここ2ヶ月の変調のきっかけには心当たりが少しあって、来年以降の異動希望の人事面談が来月あるのが分かった時期と重なる。
正直いえば異動したいけど、異動を受け入れてくれる先があるか分からないし、たとえ受け入れ先があっても今期こんなに人員が動いているチームだから来期の人員配置的に無理なんじゃないかとか、そもそも異動を希望したことで冷遇されるんじゃないかとか、でも来期以降引き続きこのチームで働くのには不安があるし、仕事絡みでは心配になる要素しかない。
映画やアニメを楽しいと思う瞬間もあるけど、元々のめり込めるような趣味も持ってなかったから余計に何もかもがやることのない日の時間潰しに思えて、布団から出るのも着替えるのも風呂に入るのも億劫に思う。二、三日風呂に入らないとかザラにあるから、今フルリモートで本当によかった。
うつ病診断チャートみたいなやつは要受診になるけど、過去に激務とパワハラで心身症で鬱状態と言われて2年半ほど受診してどんどん薬は増えるのに特に良くならなかった経験があるから正直不信感が強くて行かなくていいかなと思ってしまう。
当時のメンヘラブロガーが「よく効くのに副作用とかで最近はなかなか出してもらえない」と書いてた古めの薬を大した説明もなく普通に出して、長期で飲む場合は血圧や血液検査をするらしいと書いてあるのに一度もそんなことは言わなかった医者にちょっとひいてたのもあって、結局仕事辞めるのと合わせて行かなくなった。
薬もその時飲まなくなったけど、パキシルの離脱でしゃりしゃりするって書いてあったのこういうことかと初日に思って以降は特に何もなかったし、どの薬か忘れたけど副作用で乳首を絞ると母乳がでてたのも出なくなった。薬の副作用で出てる母乳だからなのか、そもそも母乳の味がそういうものなのか分からないけど、めちゃくちゃ苦くてマズかった記憶はある。
何が言いたいのかわからなくなった
マスクしなかったせいで試験も受けられねぇし飛行機も乗れねぇし従わなけりゃ逮捕までされるのかよ。
もう完全に犯罪者扱いじゃねぇか。
はっきり言ってな、こっちにはマスクつけるデメリットは腐る程あってもメリットなんかまるでねぇんだよ。
俺の年代ならどうせ感染しても死なないしな。重症化すらまずしねぇよ。
こういうこと言うと「いや若者でも死亡例が」とか「重症化したら後遺症に苦しむケースも」とかしたり顔で言ってくる連中も多いけどさ、
じゃあ逆に聞くけどよ、マスクしてれば100%絶対感染しないわけ??
マスクして自粛して大人しくしてさえいれば、何があっても絶対感染しないことを誰が保証してくれるわけ?
直前に誰が手に取ったかもわかんねぇようなコンビニ弁当食ってて、
生活費稼ぐためには結局電車乗って通勤しなくちゃいけねぇ俺が、
それで感染したら自粛警察達は腹切って詫びてでもくれるの???
いやわかってる。無理だよな? 不可能だよな?
多少可能性を減らす事はできても、100%感染しないなんて不可能に決まってる。
それくらい俺にでもわかる。
でもな!確率うんぬんの話するんならな!!!若者は最初っから十分リスク低いんだっての!!!!
0にできるってんならまだわかるぞ??
でもどうせどっかのタイミングで「この程度の確率はもう仕方ないなー」って諦めるんだろ??
少なくとも俺は普通の20代致死率の状況で十分妥協ライン入ってるんだよ!
大切な人を守るためか?
生憎俺には大切な人なんて誰もいねぇし、俺のことを大切な人も誰もいねぇよ。
じゃあ誰を守ればいいんだ? 会ったこともない老人か?
そいつらを生かして何になるんだ??
俺のなけなしの給料から年金と健康保険料むしり取っていくだけじゃねぇか。
なのに我慢してマスクして自粛しても、誰も感謝のひとつすらしやしねぇ。ブルーインパルスの一台も飛ばねぇ。
それどころか今やマスクしないだけで異常者扱いだ。
「他人の命を思いやれる良識的で温かい」連中が、この手の愚痴をあげつらって鬼の首取ったみたいにぶっ叩いてきやがる。
もしかして俺は本当に鬼なのか?
そうですね、実際のところ父がいきなり怒り出すことはあまりないです。
(一度、父の大事にしていた公衆電話のおもちゃをぐちゃぐちゃにしてしまったときすごく怒られて怖かったです)
今回は両親がよくけんかをするので識者のご意見を頂戴したく投稿します。
そのイライラを愚痴として父に向けるので父ががまんできず怒鳴るのがパターンです。
母は月によってまちまちで5万円~8万円くらい出しているようです。私は全額没収されます。
支出は計21.5万円なのでそもそも足りませんが不足分は父が負担しているようです。
母に買ってこないように言っています。私は欲しいです。
ご意見等ありがとうございます。「両親の給与が少ないのが悪い」という意見が多かったようです。転職を提案してみます。
あとは「父がもっと家事を負担しろ」ですかね。こちらも父に提案してみます。
家事分担はルール化しているわけではないです。暮らしているうちになんとなく分かれてきました。
ご指摘にはあたりません。生まれてきた方が良かったに決まっています。
どっちが悪いか決めさせたい
こちらもご指摘にはあたりません。「私になにかできることはないですか?」が主題です。
働かなければ、せめてアルバイトはしなければ…と思った事もあったけれど、結局長続きはしなかった。
派遣社員として派遣された場所があまりに自分に合わず1日でその派遣会社を辞めてしまった事も何度かある。
一家の大黒柱であった父親は数年前に亡くなり、今は母親と二人で暮らしている。
母親は「今はコロナが流行っているから」と無理に就職やアルバイトを始める事を勧めようとはしない。
今は貯金と父親の遺族年金を食い潰す形で何とか生きている。自分が家にお金を入れた事はこの30年の人生で一度も無い。
働いていないので自由に使えるお金が無いのは辛い、と思う事もあるけれど、録画したTV番組とインターネットだけでも毎日時間は潰せている。
自分に根気もやる気もなく、もしアルバイトを始めた所で長続きしないだろう事は自分が一番よく分かっている。
何かしなくてはという気持ちも僅かにあるけれど、これ以上失敗を重ねて傷ついたり自分に失望する事が心底怖い。
今はコロナという言い訳があるので、これが終息するまできっと働く事は無いと思う。恐らくは終息したとしても働かない。
お金が無限にある訳ではなく、収入も無いので使えば使うほど減っていくという事は知識としては知っている。
けれど、自分は今我が家が毎月どれ程の出費があるか、今どれ程貯金が残っているかという事を理解していない。
一緒に居る母が教えてくれないし、自分も知るのが怖いので母に聞かないようにしている。知らないままこのまま安穏な気持ちで居たい。
自分は今三十路だけど、母も還暦を迎えた。母が三十を超えて生まれた子供なので、丁度8050問題が当てはまる年齢差である。
単純に考えても母親は自分より30年は早く逝くだろうし、体調を崩せば自分が面倒を見なくてはいけないのだろう…という事はやはり知識としては知っている。
ただ、その事に対してどうしても実感が持てない。母はいつまでも元気なような気がしているし、もし死ぬとしてもスッパリ死んで自分が面倒を見る事は無いのではないだろうか?という願望が頭を占めている。
母親が死んだ後、自分はどうなるのだろう。理想を言えば、母親が居ないこの世を生きていける気がしないので、すぐに後を追えたら良いなと思っている。
実際に自分の母親を愛するあまり母親が死んで数年ですぐ死んでしまった子供もこの世に居ない訳では無い。もし自分が死ぬとしたら、そういう一例に加わりたい。
ただ、母親が生きている間はやっぱり死にたくない。やっぱり生きている限りこの世には楽しい事が沢山あると思うから、生きている限りは生きていたい。
働きたくはない。それでも生きていたい。何か、外に出て働かずに収入を得て生きていく方法は無いのだろうか。
TVをながら見しながら一月の生活費くらいは稼げる仕事があれば、それを天職にしてみたい。本当の事を言うとどんな楽な仕事でもしたくはないけど。
どうしたら良いかなあ。能力が低い上に怠け者でも出来る仕事、何かあるんだろうか。そういう仕事が自分に回ってくる事と、日本の景気が良くなる事を今は願いたい、
誰かと一緒に住んで生計を共にするのって
話もろくに聞いてくれないような輩に金の使い道握られて、癒やしの欠片もなくボロ雑巾みたいに使い潰されて
私はあなたの味方だよの一言も発しないような野郎に俺の金を使わせてたまるかってんだ
なんの効果も無い、ただただ自分の為にもならないゴミ箱に金捨ててる様なもんじゃねぇか
8割は生活費で、残り2割は自由に使える、8割の方も基本日々の出費は話し合って同意出来る、2割の方は口出さないとかだったら許せる
会計は一緒だっつっても男はお前の所有物じゃねぇ
俺はお前のおじさおばさじゃねぇ
そんな立ち位置で小遣いを恵んでやるよとかいう舐め腐った態度取るクソ馬鹿野郎
てめぇの身体や愛嬌や気配りで俺の日々の疲れをすべて取れるのかよ
何処でも何度でもぶち犯してやるよ、それ位の金は払ってんだろうが
俺の機嫌取れねぇようなクソみたいな意見を一瞬でも普段の会話の中で言ってみろよ
一緒に働いててお互い半分づつ痛み分けして共同で生計立てるなら全く別
何でも話聞くし精一杯家事もやるし一緒に話し合って生活するのは全然OK
合わねぇ奴とずっと過ごすのはぜってぇ無理
世間様には素敵な奥様なのかもしれないが俺には無理
年金暮らしの両親(甥から見たら祖父母)に調理師学校に通いたいから120万貸して欲しいと言ってきた
そこそこ蓄えがあるのと退職金である小規模企業共済が数千万振り込まれたが、
入院などの大きな出費も考えられるからそう簡単に使わせるわけにはいかない
甥は今年二十歳になる
高校を卒業と同時に国家資格も取得しているのだが全くそれを活用できない職種に就職した
それに関しては勿体無いなと思えど、本人がその資格を活かせる仕事につきたくないと言っていたから
それを尊重した
だが年末年始のド繁忙期と、このコロナの雰囲気で相当参ったようで、
自分も新卒で就職した場所が合わず転職を繰り返した身である(今はお堅い仕事に就いている)
自営業の両親及び専業主婦だった姉(甥の親)にはそのあたりの理解が少し足りない
転職したら正社員になれないと言うので、それは違うよと釘を刺しておいたぐらいだ
だからもしも甥が転職したいと言い出したらその決断に味方するよと
今自分が働いているところから仕事を紹介できるのだが、このコロナ情勢である
正直「今はやめた方がいい。正社員にしがみついていろ」
が今の気持ちだ
つい先日自分に相談を飛び越えて、姉と甥が両親にお金をせびってきたのだ
貸して欲しいと言うが、もはやお貸しくだされ状態
その通学した後のビジョンが見えない
今働いている場所が多忙だとしても、飲食業の方が数倍大変なことをわかっていない
だが資金諸々が無い状態、しかもコロナ禍で無職になるのは危ないと
なぜ想像が及ばないのか
両親は根性があった
正直自分にも真似ができない
そして一番忙しかったところや、資金繰りにあせる姿を甥たちは知らない
いやそんな学校云々より、
余裕があるはずなのだ
自分の息子なのだからまずその棚からぼた餅金から工面するのが普通じゃないのか?
自分なら数年今のところで働きながら勉強をし、その貯蓄で通うのが筋ではないのか?
自分からも甥を説得したいのだが、あの二人はすぐにヘソを曲げて
先にも書いたが自分はクビにならない限り
もしも居たらその意見を仰ぎたい
27歳の時に手取り450万から200万ほどの仕事に転職した。
心理職に憧れて大学院まで出たけれど就活で業界の待遇の酷さを知り、新卒では全く関係ない業種に就活。仕事がかなりヘビィだったこと、やっぱり憧れを捨てきれないことから思い切って転職した。
転職後の仕事は非常勤の掛け持ちで手取りは月13万ほどだった。もちろん賞与もない。当然家賃は払えず実家に頭を下げて戻った。入れる生活費も雀の涙ほどだった。
食費は相当切り詰めた。オフィス街で900円のランチを食べて喫茶店に行ってたのに、転職後はスーパーの冷凍パスタや安い丼物ばっか買ってた。
セレクトショップで衣服を買うのは諦めた。H&Mかユニクロ、GUあたりにしか目が向かなくなった。以前の勤務先の友人との飲み会やゴルフは断ることが増えた。そもそも車も手放した。遠方での結婚式は泣く泣く断ってお祝いだけ送るか、親にお金を借りて参加した。
恋愛は正直絶対に無理と思ってたけれど、低所得に理解のある同業界の人と付き合うことができ、慎ましく交際を重ねて結婚できた。この点は本当に運が良かったと思う。
今はようやく転職前の年収に近づきつつあるものの、ここまでくるのに8年ほどかかった。生活のQOLが上がったので全く後悔はないけど、最初の2-3年は正直きつかった。当たり前であったことを諦めざるを得ない、少しずつ選択肢が狭まっていく選択肢はじわじわ心身を蝕むので、転職直後をスタート地点に年収が上向く展望を持てるのが大事だと思う。