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はてなキーワード: 無意識とは

2022-11-29

anond:20221129044104

一般論として言えば「規制は慎重でなくてはいけない」ことと「規制必要であること」は両立する話でしょ。別にアメリカみたいな夜警国家がいい国だとは思わないよ。

他にできることが無限にあるのに二次元表現や「性」表現仮想敵にしたがる人たちが無意識に守ろうとしているアレやソレこそ規制すべきじゃねぇの、とは思うけど。

しかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない

自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。

まり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。

でも最近しかしたら実は結構いかもしれないと気づき始めてきた。

ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公ぼっちちゃんギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「本当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。

そんな成長エピソードがあるわけだ。

僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。

例えば僕がぼっちちゃんだったとして、ギターが上手いとしたら(別に自身はひけるわけではないが)、まずYoutubeに上げることがなかなか難しい。上手い人が出てきて、この演奏ダメだとかいわれるかもしれないし、ギターのことを全然わかっていない素人でも「プロの〇〇さんより全然下手ですねー」みたいなことを言われたりしたら立ち上がれなくなりそうなので、まず人に見せることはできない。

家族や友人でも無理だ。

きっとギターとかバンドとかやっていて、理解してくれる人ではないと見せられないだろうなと思う。

そして、そんなに悪意ある言葉を言う人って実は少ないとは思うけれども、でも社会は悪意に満ちているとどこかで思っている。

小学校の頃、信号のない横断歩道を渡るのが怖かった。車が減速することなく、むしろわざと加速して突っ込んでくるとおもったから。

免許証取りたてのころ、車線変更が怖かった。後方の車がわざと加速してぶつかってくると思ったから。

中学の頃学校が怖かった。教師私生活を縛り付けようと宿題を多く出そうとすると思ったから。

大学の頃教授が怖かった。重箱の隅を突っついて単位をくれずに留年させるんじゃないかと思ったから。

学生の頃、就職が怖かった。私生活趣味は悪で起きている時間をすべて労働に捧げるようにわざと上司仕事を振ると思っていたから。

新入社員のころ、彼女がいることを会社にバレるのが怖かった。結婚など守るべきものがあると分かったとたんに逃げ場のない重労働部署に飛ばされるかと思ったから。

結婚たころ、町内会が怖かった。家庭への不当な干渉をするんじゃないかとおおもったから。

20代後半ともなれば、だんたんその不安杞憂だったとわかるわけだが、生まれからずっと他者が悪意を持っているとずっと思っていた。(そして今でもほんのりそれは思っている)

悪意は上司、先輩、社会国家など権威あるものから不条理に降り注ぐと思っていた。

からそれから身を守るために、大学にいったり、論理学を学び屁理屈で言いくるめようとしてくる人から自衛をみにつけたり、歴史外国語を学びちょっと頭がいい風を装ったりした。

まあこの文章を見て分かる通り、そんなに学が身についているわけではない。

僕がいわゆる『理解ある彼氏くん』枠で結婚したのも、妻が権威ある悪意から遠い弱い存在だったからかもしれない。

ただ妻は弱い人間ではなかった。苦手なことはあるが、それを打開するためにいろいろ挑戦している人だった。

気づき

この前妻から一言で、年甲斐もなく泣いてしまった。

悲しいとか辛いとか悔しいとかではなく、涙が止まらなかった。

喜怒哀楽の単純な感情由来であればコントロール可能だ。

だが不可能だった。子どもがいるにもかかわらず、涙が止まらなかった。正直混乱した。

切っ掛けは些細な夫婦喧嘩だった。

僕は相手から言質を取られないように遠回りに外堀を埋めてから話す癖があり、それは人によっては不快な思いをさせてしまう悪い癖だと思う。

夫婦喧嘩で〇〇を言った言わなかったから、過去の違う話まで掘り起こされて喧嘩エスカレートすることもあるので、僕は議題を棚卸して何について話しているのかと責任境界を決めたがる。

それは共感とは遠く、冷たい印象を与えることになるというのは僕は理解している。

だがそれは今回のこととはまた別なんだ

ただその冷たい印象を与えている僕に対するカウンターとして妻が言い放った「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という言葉を聞いて、いままのでの喧嘩の内容なんか吹き飛んで、ただ泣くことしかできなかった。

さいころを思い出す。

僕は大卒だが正直それほどレベルが高い大学ではない。

僕のクソ小さな自尊心は「中堅よりは上だけれどもハイレベルというわけではない」と言いたいが、世間ではそれほどでもないとは思われているだろう。

だが、妻は大学には行っていないので、大学に行く人というのは基礎能力が高いという素朴な期待を持っているようだ。

で、なんであの言葉で僕は泣いたのか。

あの言葉を受けた時、僕の脳内では幼いころの情景がフラッシュバックしてきた。

祖母が「あなたのお父さんはとても頭がいいから。あなたも頭が良いんだよ。おじいちゃんは〇〇賞もとったかあなたもすごいんだよ」とずっと言ってきて僕はそれが誇りだった。

クラスでは物知りで通っていたし、小学生ながら月刊ニュートンを読んでいたのはちょっとしたドヤれるポイントでもあった。

実際父はすごかったらしい。らしいというのは小学生に上がる前に亡くなったからよく知らない。

ただ僕が逆立ちしても入れないような大学にそれほど勉強せずに入ったそうだ。

高校時代にその研究をしたいがために当時の有名な教授がいる東京ではないがトップレベル国立大に入るように勉強していたが下宿代が当時のうちの家計では出せなかったようで、都内のそれでもハイレベルな有名大学にはいった。(今にして思えば子離れできていない祖母が渋ったのではないかとも思うが、)

都内ハイレベル私大にはその国立大先生と同じくらいにその分野で有名な人らしく、それで進学先を決めたようだ。3年の夏まで必死勉強していたが、私大に進路を変えたのでそれからは遊んで暮らしたそうだが、ちゃん合格したそうだ。結構浪人生があこがれる私大だっつーのにね。

そして父は研究者になった。んだが、今の僕の年齢よりもずっと若い時分に死んだ。平成をたった数日しか生きられなかった。おそらく今も生きていたら教授かになってたんだろうなとは思う。実際同僚の人はその大学教授をやっているらしく、何回かテレビに出た時に母が父の友人だと教えてくれた。

祖父自分生業の分野でナントカ賞をとって有名な人とかと写真うつったりしていた。

そんなこんなでその嫡流の僕は変な期待と受けていた。父が若くして死んだこともあるのかもしれない。

人の偉業で褒められる。小さい頃は良かったが、ちょっと分別がつく頃には結構キツイものがある。僕がやったわけではないし、僕が今やっていることは何も評価されていないのだから

母はそんな環境が嫌だったからかもしれない。だから引っ越したんだろう。

女手一つで僕と妹を育てた。とはいっても母も実家が太い系なので相当恵まれて育った。

母は大学を言っていない。研究者と事務の人という出会い結婚したそうだ。

から正直学がないというか、僕の勉強に対して口を出すことに自信がなかったんだと思う。だから僕の好きな分野、科学のことの話し相手になってくれなかったし、成果を評価してくれることもなかった。ただ「難しくてわからない」というだけだった。

僕は生まれてことこのかた賞状をもらったことがない。妹は絵画コンクールで、英語スピーチコンクールで、そして学校選抜された海外派遣なんたらで数多くの栄誉を持っている。

僕は何ももらっていない。歯が綺麗で賞はもらった。絵もうまくない。楽器も弾けない。英語もできない。文章も書けない。ゲームもうまくないし、話もうまくない。モテない。バイト先ではいじられキャラだった。いじってほしくはなかったがただ「要領がわるい」ということでいじられキャラになった。

そう要領がわるいんだ。

ただ、必死になって大学受験をしただけの人だ。

妻は大学には行っていないが、絵が上手い。工作が上手い。それを作って売れるほどうまい創作ができる。

「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という妻が放った言葉で、これらの過去のこと家族のこと妻のこと今のことすべてが分かってしまった。

頭がいいわけないということを分かるのが怖かった。

僕は何者でもないといわれるのが非常に怖かった。僕のアイデンティティは「すごい祖父、すごい父からまれた、すごい子」であり、それが解体されるというのが辛かった。でも僕が縋れるのはその祖父祖母が言っていたそれしかなかった。

凡人であることを誤魔化すべく、頭でっかち知識と、頭がいい風を装っていた。バイト先でいじられても「でもあいつらより偏差値高いし」って思って意識を保っていた。

そして脆い自分を明らかにさせてしま他人が怖かった。

自分がただ怖がっているだけなのに、相手が悪いことをしようとしていると思って、目上の人や教師社会不条理に僕に何かを強いると思っていた。

悪意が逆転していた。自分が向けていた敵意を僕は被害者意識を持っていただけだった。

根拠のない自信をもつことはある意味必要だと思うが、僕の場合はその程度が強すぎたのかもしれない。

自信があることで身を守れると無意識で感じていて、自分に自信があると思い込ませていた。

からつい最近まで僕は自己肯定感が高い人だと思っていた。

全然高くなかった。たった一言で崩れるような人間だった。

恋が多い人生だった

妻に出会うまでは恋が多かった。

だが、モテなかった。

自分から行くタイプではない。ただ悶々彼女が欲しいとずっと思っているような人だった。

小学生からずっと。

今思えばただ自分を認めてくれる人が欲しかっただけかもしれない。

人の話を聞いてみるとそんなに好きな人が何人もずっといるというのは珍しいというのが分かった。

ティーンの頃の僕は恋に恋をしているに近かったが、自信があれば自律できていて、自分肯定(好いて)してくれる人を必要以上に求めることもなかったのかもしれない。

親として

僕はうちの子供には子供自身のことで褒めるように、そしてちゃんと成果をみて、子供興味あることをちゃんと調べて対等に接するようにしようと思う。

幸い子供マウントを取るようなことはしなかった(とは思う。自分の中ではないと思う。わからない。不安だけど)

うちの子昆虫とか生物かいろんなことを僕に教えてくれるし、僕も飼育について聞いたりしている。

僕がしてほしかたことをしている。きっとこれでいいはず

いまだに敵意は怖い

それでも人は怖い。

能無しとも思われたくないし、趣味に口も出されたくない。

変なアドバイスを受けたり、干渉されたくもない。

でも実は友人が欲しい。

そんなこんなで引っ込み思案なまま大きくなってしまった。

ぼっちちゃんみたいに何か自己表現でもしたらまた何か変われるかもしれないな。

この話を誰かに話して気持ちを楽にしたい

理解ある彼氏くん枠』で結婚したということを話したが、つまり妻はある精神的なハンディキャップを背負っているので僕がいろいろサポートしているところがある。

ただ僕はいろいろ限界が来て喧嘩してしまうことも多々あるけれど、それでも日々は平和だ。

つきあっていたころのままの関係性が続いているし、手をつないだり、二人で出かけたり、一緒に遊んだりすることもあの頃のままだ。

だが、妻は僕に守ってほしいという気持ちが強く、僕が弱いところを見せてほしくないと思っているところがある。

僕があの日泣いたとき、なぜか怒られた。「泣いたら私が悪者じゃない!!」って

僕はさすがに謝罪した。「さっきの喧嘩の流れとは別の件でないている。あの話とは別なんだ。個人的理由で泣いているだけなんだ。(まだ自分でもなんで泣いているのかもわからないので)なんかわからないけれど心の柔らかい場所が反応したような感じがして」とまあそんな感じで伝えたんだけれども

ただ「あなたが泣くと困るからやめて」という。

妻は毒親サバイバーでもある。だから過去の辛い話などを聴くこともあるし、その段階で妻が泣き出すこともあるので、そういう時は抱きしめたりして、そうすると落ち着いて、妻はそういう関係が好きらしい。

実は僕もそうしてもらいたいと思っているが、逆の立場にはしてくれないようだ。

僕も誰かに依存したいが、僕は生涯の伴侶は妻だけだし、妻以外に心を開くのはどこか浮気のように感じてしまい、正直無理だ。

そんな行き場のないこの気持ちを吐き出せるところはどこにもなく、

トイレ便器にはなしても/dev/nullに投げ出しても、どうしようもないので、ネットに放流して誰かにまれることで慰めることにしよう。

深夜のテンションで書いたものが上位にあがっていた。

皆、読んでくれてありがとうございます

深夜のテンションで書いたものホッテントリに上がっててびっくりしていたのと、

そしてまた悪い癖でこの世に悪意しかないとおもっていて、「絶対炎上している」「きっと、『お前は恵まれている癖に何いっちょ前に気取った悩み装ってるんだよ』みたいなコメントがたくさんあるんだ」と思って開くことができませんでした。

でも100件以上ついたら、気になって仕方ないので思い切って開いてみたら、なんとまあ善意ある方が多いこと。

ありがとうございます

また厳しめの人もきっと善意による発言だと理解するように努めます

2022-11-28

anond:20221128224356

歌上手いも字が上手いも踊るのが上手いも全部一緒だ

思った通りの音を外さず出せる、思った通りに引きたい場所にブレずに線が引ける、思った通りの動きで思った通りの場所に腕や足が動かせる

何当たり前のこと言ってるんだ?と思うかもしれないが上手い奴は100発100中くらいの精度でこれができる

なぜなら子供の頃から意識的しろ無意識的にしろ100発100中目指してやってきたか

想像して見てくれ

意識しなくても足を前に出して歩けるだろ?

なぜならハイハイを経てつかまり立ちをし、何十年か知らんが毎日歩いてきたか

ハイハイもつかまり立ちもできないのに突然歩くのは無理だし、歩けないのに走るのはもっと無理

音程が一音ずつ変わる歌を上手く歌うのは、凸凹の道を転けずにダッシュするようなもん

まじめに馬が上手くなりたいなら基礎からやるのがいいよ

anond:20221127203636

追記3

(伸びててびっくりした…)

お気持ち重ね突っ込んでくれてありがとう…)


規制には反対(難しい)と思っている理由は、

場所に関しては、例えば人通りが多くても怪しげな闇市での広告JR新聞広告とでは場の印象が違う。

後者のような場所サービスでマスに向かって公開されてる情報は、ある程度世間お墨付きがあると思っている気がする。実際自分もそうだったし。

無垢状態での受動的な情報自分商品価値みたいなのを無意識に植え付けられている気がする。(自分過去テレビを通じてそう感じたけど、そう思わない人もいるだろう)

もちろん家族で話をしていくのも重要だしやってるけど、そこから受け取る印象は大きいと思っている。

ただ、その場やサービスの印象ってそれぞれだろうが、となる。ごもっとも。

子供自分自覚的に見に行っているコンテンツに関しては、誰もが通る道として注意喚起をたまにしている。一般的ものではないことくらいはわかってるだろうが…)

画に関しては、他の人からも出ているけど、露出や目の大きさ、胸の大きさで一概に判断できないだろうということ。まさに文脈というやつで。

なんだそれいちゃもんつけ放題だな!って突っ込まれるのもわかる。

規制かけてきっちり線引きしてくれよ!オラって迫るのもなんとなくわかる。気持ち悪いもんね…

個人的にはセクシーやるなら大人の見映えでやれよと思うんだがね。大人ならそれなりの個人境界線はできているだろうし。大人の見映えってなんだよからループ…)

自分サイバーパンクの裏通り猥雑な感じ好きだし、ディストピア小説みたいな過度な規制や過度な自主規制同調圧力世界は怖いと思っている。

ずるい言い方なのは理解してるけど、大人自重してほしい、ってのがしっくりくる。(ここでまた叩かれるんだろうな…)

もちろんみんな目指す社会世界が違うので、意見が合わないのも理解している。

なので自分はここで愚痴り、叩かれるしかないわけで。こういうコストは仕方がないと思っている。


売る側は売上上がれば成功なので、際どく攻めて盛り上がってくれてラッキーくらいに思ってるんだろう。率直に嫌いだ。

もし原作があるものだったら、そのファンだって駅や新聞広告集客目的の画を見せられてもうれしくないと思うけどどうなんだろうな。周知されてうれしいもの

自分は頭もエネルギーもないので、こんなところでちまちま愚痴ってるだけ。

あとはその手の商品サービスは極力避けているくらい。

わーっと書いておかし文章になっているかもしれない。読みづらく申し訳ない。釣りではないよ。

ブクマ共感してくれる人もいてうれしい。

やはり個人意見の重みは平等にするべきではない

ジョブチューン見てイライラして行ったこともない店のレビューを書き込むやつと真面目なレビューが同等であるというのが意味わからんよな。

結局は食べログみたいな恣意的スコアリングの方が優秀なわけだけど、それもプラットフォーマーの嗜好が出るから完璧ではないし、炎上の仕方を見ると世の中の人は単純平均の方が嬉しいみたい。

Apple Watch心拍数の変化からその個人がどれだけ旨いと思ったかを読み取る、といった無意識からの点数づけができない限りはダメだろうけど、しばらくは実現は無理そうなので詰んでいる。

食事という単純な欲求に対してですらこうなのだからさらに複雑な政治における一票も、平等であることで多くの弊害がある。

多くの無知民衆コントロールされやすく、この情報化時代にはそいつらをどれだけ上手くコントロールたかけが選挙の結果に反映される。

そろそろ「平等」という概念アップデートしないと日本が滅亡に近づいていく。

anond:20221127203636

「売る側は人の欲につけ込んでるし」と書いているのは、聞き捨てならないなあ。

女性エロはいかがわしいものだ、と無意識に思い込んでいないか

それこそが女性差別の奥底にあるのでは?

anond:20221128052611

また自由意味をわかってない自称表現の自由マンが来た

着衣女性イラスト不快から排除されてるわけでも、飲み会するホームレス不快から排除されるべきでもないんですが、その差がわからないようです

女性が訴えるのは、電車に乗れば痴漢に遭いトイレには盗撮カメラがあり上司と二人きりになれば枕を誘われ外に出ればストーカーに遭い、それらを強く問題視対応してくれる体制があまりに整わないこと、経験上あまり性犯罪が多く日々性犯罪者を警戒し続ける生活を送っていること(スラム化した地域レイプが発生する国との比較無意味です、現代的な都市部での性犯罪です)、かつては舞子芸者や女遊び今では美少女もの広告など女性性的シンボルとしてアイキャッチ的な商業利用することに抵抗がないこと、出会犯罪者たちや女性と接点の薄い男性特有認知のゆがみがよく見られており社会全体で女性に関する無意識バイアス偏見を植え付けていること、セクハラ性犯罪未成年淫行等のグルーミングをするような環境であること、女子高生ブームからJKの性被害爆増などの文脈を一切無視する都合のいい言論を生み出す社会のゆがみ、生の被害体験エロ表現の影響を強く感じること、性的客体化は女性自尊心を害し精神的な成長を妨げると研究が出ても男性公共での性的満足を優先させようとする連中の人意識の低さ、虐待的なAV表現自由として守ろうとする人権意識の腐ったネット差別主義者の存在、生の性犯罪者の陳述、それら被害経験を実際に受け忌避する心情を「お気持ち」として軽視する人権軽視の男性の反応、なわけです

その辺で寝る自由をなんとなく邪魔から規制したいとはわけが違うのです

そこの解像度が低いまま、そこらへんに寝そべる自由などとかすりもしない例えを挙げても無意味です

増田、助けてくれ

ここ最近ずっとモヤモヤ悩んでいることがある。

巷で話題になりがちな「公共スペースでのオタクくん向け広告(以下、オタ広告)」についてだ。

結論から言うと、自分としてはオタ広告を出すのはやめて欲しいと考えている。

でも、それはオタ広告気持ちいからとかそう言うわけではなく、

オタク文化を衆目に晒すことによって余計な争いの種を産みかねないと思っているからだ。

自分アラサー世代の「オタク世間に受け入れられるかどうか」の分水嶺時代を生きているオタクだ。

15年くらい前までは、オタク趣味犯罪軽率に結び付けられて報道されたり、

イカニモオタク特集して「珍獣特集」のようにテレビで紹介されたりなんてことも結構あった。

そう言う記憶が残っているからか、街中でオタ広告を見つけると

(またオタクが虐げられるきっかけになるんじゃないか……)

って無意識下で怯えていることに気付いたんだ。

当然、今と昔でオタクに対する認識が急速に改められているのも肌で感じてはいものの、

オタクは陰に隠れて、波風を立てないようにこっそり活動するもの」って精神が抜け切らないところがある。

表現の自由戦士たちは必死にある一定活動家達からオタ広告を守ろうとしているみたいだけど、その活動イマイチ賛成し切れない自分がいる。

表現の自由を守るためと言って、多くの人の目に触れるようなところにオタ広告を置くことは本当に正しいことなんだろうか?

オタクオタクとして、自分達のクローズドサークル趣味を楽しむべきと言う考え方はもはや古臭いものなんだろうか?

成仏し切れてない中途半端アラサーオタクの魂をどうか救ってほしい。

ここまで長くなってしまったけれど、皆さんの意見を聞かせてくれると嬉しい。

2022-11-27

anond:20221127220726

よく言われることだろうけど、まずはゆっくり今の生活ペースに体を慣らして、それから徐々にインプットを増やしてみては?転職したばかりでは無意識のうちの疲れもあると思う。

焦らなくても20代で出来ることのほとんどは30代でも出来るよ、気力さえあれば。

anond:20221127152733

「ウ・ヨンウ弁護士天才肌」っていうアスペドラマで、

アスペ母がアスペ娘を産み、健常父がシングルファザーとしてアスペ娘を育てるんだけど

娘の障害特性により健常父が傷つくシーンが多くて居た堪れなかったわ

そしてこれは発達育児あるあるらしい

発達って支援必要とする割に支援者を無意識に軽んじて傷つける性質がセットになってて

なかなかキツイ障害だと思う

花嫁の白い衣装が遠い

近々、親類が挙式するらしい。

式までの日取りを決め計画的エステに通いシミを防ぐために、紫外線を気にしたりと忙しい日々が続くのだろう。

高いオーダーメイドコルセットを注文したりするのかも知れない。

私にとっては、全て遠い昔の話だ。

今ではもう、白い衣装には袖を通さなくなった。

無意識に青や黒の衣服を購入するようになった。黒が好きなのか?と言われるが

汚れも目立たない色だから落ち着くという単純な理由しかない。

婚活中なら可愛らしく優しいピンク色を身に着けるのだろうが、今や敢えてそんな事をする気はない

どの夫婦にもイザコザや問題はあるんだろうが、ただその白を思う時、かなり遠い記憶のように感じる

2022-11-26

anond:20221126165142

類稀なる才能と美貌で周囲を魅了(無意識)するぼっちちゃん弱者女性とな?

追記】罪を犯した我が子を殺せるか

たくさんの意見いただきありがとうございます。ぶわっと書き殴っただけだったので追記させてください。

https://anond.hatelabo.jp/20221116232701

タイトルについては、極論をすぎるな…と思ってます。ごめんなさい。

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ただ、「子を殺すなんて話が飛躍しすぎ」的な意見が多かった気がするのですが、そんなことないです。

救いようのない罪を犯した場合のみの選択肢なので。

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そもそも危害を加えるだけの、どうしようもない人間存在します。私がまさにそういう人間でした。

ただ、たまたま危害を加える先が自分自身自殺未遂自傷だったり…)だったので、マトモに今も生きれています

理由の分からない負の感情から、膨大なエネルギーが生まれるんです。大人になって家庭環境が原因だったと気づくのですが、当時の私には、例え他者の助言があっても決して理解できない状態でした。

あのエネルギー他者に向いていたら、私は無差別殺人のような残酷な罪を犯していただろうなと思うのです。自己肯定感をへし折り続けてくれた両親のおかげで、セーフでした。複雑ですが。

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いじめについては被害者(ガッツリ)も加害者(傍観)も経験してますが、いまだに思い出して苦しくなります

被害者にとって(少なくとも私にとって)謝罪なと無意味です。謝罪加害者の気を楽にするものじゃないですか。こちらは許すことを強要されるんです。許さなかったら、謝ってるのになんてやつだ!と非難されるのです。

そうして逆被害者になったいじめっ子は、今幸せ暮らしてるそうです。Facebookたまたま目に入りました。死んでほしいです。できるだけ苦しみ痛みもがきながら死んでほしいです。

なんてことを考えてしまます。もちろん実行はしません。

被害者側にも何かしら原因があるとは分かってます、それでも苦しみ続けるんです。

傍観いじめ加害者になった時、この苦しみを知っていながら傍観しかできなかった自分申し訳なく、今でも罪悪感に苛まれます

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たまたま、私は苦しい生きかたをしてきたのだと思います。こんなこと考えなくていいと分かってても、ダメなんです。

もしも子を持つことになったら、こんなことをうだうだ考えないような、普通に文化祭体育祭を楽しんで、恋愛友情に悩み苦しみ、当たり前のように家が安心できる場所で…そんな人生を送ってほしいなと願うばかりです。

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ブックマークコメント?全て読ませていただいたのですが、特に気になったものだけ返信させていただきたいです。

(見ていただくことはないかと思いますが、気持ち的に…)

ricanam 引きこもりになって家の中で暴れ近所の保育園を襲うと言い出した40代の息子を殺した70代の元事務次官の話がルポになってるので読むといいと思う。わからいから怖いのであって実際にあった事件から学ぶことはできる

この事件記事はいろいろ読みました。マトモになれてなかったら、私の未来もそうなってかもなと怖くなりました。

偶然自分自身の異常さに気づき必死修正して、奇跡的に夫と出会え、マトモな生活を送れたからよかったんです。

とはいえ、今も楽しそうな子どもの声を聞くと、羨ましすぎて嫉妬を超えて憎悪が芽生えます現実では声にもしませんが、いなくなればいいのにと思います。最低な人間だと自覚してます

旭川山形大津凄惨いじめコンクリ殺人や大量通り魔のような残虐事件目黒野田虐待死等のような人を人とも思わない加害に我が子が手を染めたら、と想像したことのある親は意外と少ないのかもしれない

私も意外と少なくてびっくりしました。

ニュースいくら報道されてても、やはり他人事なっちゃうんですかね。

aaasukaaa 他の指摘にもあるけど、まず自他の境界線曖昧な人はそこ気づいた方がいい。でもわりと曖昧じゃない人、女性でかなり多いから、毒親とか宗教二世問題が絶えない気がするよね

何人もご指摘いただきありがとうございます。自他の境界線曖昧、、気づいていませんでした。

母親コントロール(母にとっての正解から外れたことをしたら激怒など)されて育ったので、それが普通だという感覚が抜けてないのかもしれません。

同じ過ちは繰り返したくないので、関連する本などを読んでみます

tomoyarn 最後まで子をかばい、かばいきれなければ一緒に逃げるのが親の愛だと思ってる。

とても素敵な家族ですね。そんな親に育てられたかったなあと思います

metroq コントロールされていたせいなのか、コントロールしてしまおうとしてしまうよね。嫌だよね。

本当に指摘いただいてよかったです。ありがとうございます

親と同じような人間にだけはなりたくないと足掻いて生きてきたのですが、無意識にそうなってしまものなんですかね…。気をつけます。

ivory105 我が子がいじめ暴行)の主犯格相手いじめを苦に自殺してしまってたら、未成年から楽勝なんて笑ってたら、絶対再犯する、私がなんとかしないとって思ってしまうかもしれないし気持ちはわかる

まさに、なんとかしないと!このままだとまた同じことをしてしまう!その前に私が…!という話をしたかったのです。

更生できればそれが一番ですが、そのへんの勉強を少ししてしまい、とても難しいことだと知ってしまったのでなおさら…。

yetch 子供産むの嫌だなって夫に言えないのか。つらいな

言えば受け入れてくれる夫なので、言えません。

未来のもしも話をとても楽しそうに話す夫と楽しそうに聞く私、この時間が、あまりにも「普通幸せ」な時間で壊したくないと思ってしまい。

もう少し自分気持ちを整理できたら話すつもりです。

napsucks ショッピングモールで走り回っても「あまり大声出さないで」ぐらいで放置してます。むしろ内心ああここは安心して野放しにできるわ、ぐらいにおもってます。気分は放牧場に着いた牧場主。すみません

自分勝手な話なんですが、ショッピングモールで走り回ったり騒いだりしてる子どもを見ると、言いようのない黒い感情に苛まれます嫉妬憎悪など。

私自身はそういうことを一切許されず、また、そのような子たちを「人間底辺」と教えられ育った感覚が抜けないからです。

こんな思考ダメだと分かっていても、どうしても考えてしまます。悲しいです。

他人の子からなんとか飲み込めているものの、もしも自分の子だったら耐えられないと思います

TakamoriTarou リスク管理は 発生した場合の重大さ×発生頻度 で考えるものなので、発生頻度がほぼゼロに近けりゃ考えなくても良い。故に、この問題もそんなに重要視しなくても良い。  最近はそんな風に考えるように心がけてる

この考えかたは斬新でした!ありがとうございます仕事に置き換えてみると、また違う風に考えれそうです。

noki_e 昔読んだ少年Aの母の手記、心の底から息子のしたことと自分のしたことの区別付いてない感じで怖かったなぁ

少年Aの母の手記、今度読んでみます

少年Aの手記がまるで私のことのようだったことで、自身の異常さに気づけた過去があり…。

母の手記イコール私の母の正当性を示した内容ではないかと、怖くて読めてないままなんです。

dusttrail ハイヒールモモコは昔非行に走ってた頃、母親に馬乗りになられて「あたしがあんたを殺す!あんたを殺して…」と言われ、「あたしも死ぬ!」と続くのかと思ったら「あたしは逃げる!」って言われたらしい。

おもしろいですね!

これくらいの精神強さで子育てできればいいんですかね?

superabbit 宿題の写しあいってそんなにあかんことかな?大学時代「お昼ご馳走するからノート貸して」の取引普通に飛び交っていたし許容範囲だと思うけど。モール走り回るやチャリで無断遠出は危ないから躾の必要ある。

許容範囲だとは思うし、そういうのを頑なに拒否すると人間関係上手くいかなくなるし、でも、良い行いではないよね?っていうのを、どう教えればいいのか分からないのです。

aquatofana 自転車で大冒険はともかく、宿題うつし合うのは愚かさの現れだし、いじめられないような立ち回りって「いじめに加担する」という立派な悪行では。そんな悪知恵で社会を生き抜く人間って普通に野郎だろう。

そんな悪知恵で社会を生き抜く人間って普通に野郎、まさに私もそう思う。でも、現実的には少々の悪知恵がないと上手く生きていけないから悩ましい。

なにもかも真面目にしても、損をすることもある。

いじめ仲裁に入ったとて、加害側から裏切り者扱い、被害者からは酷い依存をされ、まともな学生生活を送れなくなるんだよ。変な環境だよね。

.

.

.

私自身、楽しいことが何もなくて、常に死にたいけど死ぬほうが迷惑かかるから死ねない、と死んでるみたいに生きてた。

何度も失敗を繰り返、それでも足掻いて、偶然得れた普通幸せがあるから、今は生きてて楽しいけれど。

この幸せを知らないままだったら死んだほうがよかったし、逆に私以外の幸せな人みんなが死んでくれたほうがよかったと思う。

.

こんな苦しいことばっかりの人生になる可能性を、子どもに背負わせられない!ってなるのは悪いところですやね。

たくさんのご意見を参考に、これからのことを考えてみますありがとうございました。

2022-11-25

anond:20221125111212

せっかくなのでマジレス

己に罪の認識がなくとも世間被害者が怒っていればそれに迎合し頭を下げることが大切で、事実や己の認識が如何様であったか重要ではない。

高年齢者の場合、己にやった認識がなくても無意識に大変な事をやってしま可能性がある、だから何か事件となった場合よくわからない段階でも(ある程度)謝る必要がある、と考える人は少なからずいるだろう。

ちょっと例としてはズレるかもしれないが、元増田は酒飲んで意識がない時に何か悪事をした、と言われた場合自分認識第一でありちゃんとした証拠が出るまでは、俺は謝らない!」とか言うのかな。

2022-11-24

楽しそうな事、雰囲気を目の前にすると避けてしま

普通な運転中のラジオを垂れ流して移動しているのに、ラジオボリュームを上げられない

ラジオパーソナリティが話す話題も、気持ちが盛り上がりそうな曲も

前向きになりそうなものがあるのに、気持ちが盛り上がるのを無意識で押さえ込んでしま状態になってる

自分自身が、気持ちが揺れ動くのが嫌うかのような挙動をしている

鬱々としていたいと思っている自分

楽しいって何だっけ…

FIFA「汚れ一つない」 ワールドカップ日本代表の控え室を称賛

日本人からしたら「当たり前」であって褒められることでもないんだよな

中〇人がレストラン汚したりトイレットペーパー盗んだり、南シナ海人工島で糞便まきちらしフィリピンからひんしゅく買ってるのと同じ

無意識の行動だよ

2022-11-23

anond:20221123151714

寄って集って叩きに来るという人、自分たち無意識に寄って集って叩きがち

(まぁ、自分個人で叩いている、「正しい主張」だからそれに同意する人がいるだけ、相手は「間違った主張」だから組織」で叩いてるに違いない、って思ってるんだろうけど)

反応乞食は実はそれほど人生終わってない。

増田に限らずSNS匿名掲示板基本的に「中道」「うすい一般論」「穏健派」の意見は是も非も集まらない。

から基本的には過激な方へ過激な方へと意見が先鋭化していく傾向にある。

問題なのは反応がもらえることを狙って自覚的過激なことを言う奴ではなく

そもそも偏見が強い奴がそういった場に来ることでとんでもない自己肯定感を得られるという構造にある。

「女嫌い」「男嫌い」「若者嫌い」「人嫌い」など人前で話せば是も非もなく居場所を失ってしまうような偏見

ここでは存在承認無意識に得られてしまう。

反応乞食は実はそれほど人生終わってない。

存在承認を得るために自覚的に手を染めているからにすぎないからだ。

それは裏を返せば、他の機会で存在承認を得られるならばいくらでも改善余地があるということだ。

本当に終わってるのは、ただ自然とここに行きついて居心地の良さを感じちゃってるやつ。

2022-11-22

弱者男性ミソジニーと「魔女

本文では、弱者男性ミソジニーに関連性が見られる理由について考察した上で、弱者男性に対してある提案をする。(なお、ここでは、「弱者男性」の定義恋愛において女性から選ばれにくいヘテロシス男性します。)

注意書き

※この文章では、ミソジニストはどのような考えでそうなるのかについて考察する部分があるという都合上、ミソジニー的な思考正当化しかねない部分があります男性恐怖症の方などは即ブラウザバックすることをおすすめします。

※本文中では弱者男性個人の心のあり方を批判的に検討していますが、これは弱者男性境遇が完全に自己責任だという立場に私が立っていることを意味しません。社会的弱者男性情緒問題や、そこから派生するさまざまな問題対応するべきと私は思っています



ミソジニスト世界観

まず、ここではミソジニー定義を「女性自由主体性を認めない/限定する」こととします。例えば、「女は男に比べてバカである/判断力がない」という主張は、「だから女に与える自由限定すべきだしその分保護しなければならない」にすぐにつながるのでミソジニー的な主張と言えます。また、「女は男に比べて悪人が多い」というような主張も、「女に与える自由限定すべき」に繋がるのでミソジニー的です。

さて、少なから男性、時には女性までもする主張があります。それは「男が女を襲うのは(特定の条件が揃いさえすれば)自然現象のようなものであって、男を責めることはできない」です。もちろんこんな世界観は私から見ればミソジニストミサンドリスト妄想もいいところですが、今回はそのミソジニスト妄想こそが語るテーマですので、深掘りしていきましょう。

まず、この「男が女を襲う」という「現象」を引き起こしているのは、ミソジニストに言わせれば女性です。女性の方が誘っていて、男性がそれにしばしば抗い切れないから襲ってしまうらしいです。もちろん本当に女性が誘ったケースもないとはいえませんが、ミソジニスト感覚として、「たとえ主観的女性が『私は誘っていない』と思っていたとしても実際は誘っている場合無視できない数ある」というものがあると思います

誘うという行為主体的であるにもかかわらず、女性意図せず男性を誘ってしまうとはこれ如何に。しかし、この現象は「魔女」という概念を考えるとよく理解できます

ここからはしばらくミソジニスト妄想の中の話になります。念のため、これは筆者の考えと違うという元を強調するために引用形式します。

ミソジニストの考えでは、一人の女性のうちに、その人の表向きの人格(以下「人間」とする)と、「魔女」の2つの存在が同居しているのです。

この「魔女」は男性自身性的魅力によって狂わせるのが目的です。何か「人間自身が得するように男性を騙したいとかそういう打算的な話ではなく、「魔女」にとっては男を弄び狂わせることこそが存在目的なのです。ミソジニストに言わせれば、女性意識の上では自分100%人間」だと思っているけれど、その実は心の中に潜む「魔女」に多大な影響を受けているのです。

魔女」は性的に飢えている人間を狂わせるためならなんでもします。例えば、受けたら社会的死ぬような「誘惑」をしてみたり、あるいは弱者男性嘲笑うために街でこれ見よがしにカップルで歩いてみたり、モテない男をいじめたりします。これらの行いは、全て性的に飢えている人間を狂わせるというただそれだけのためのものです。(あるいは、それによって自分性的魅力の高さに陶酔するためかもしれません)

魔女」によって狂わされることから逃れるためには、恋人を手に入れるしかありません。ここでいう「手に入れる」とは、単にある女性恋人関係になることにとどまらず、その女性支配する、ということです。カップルで男女対等な関係にでもなれば、「魔女」に狂わされそうになった時に対抗できないかもしれません。「魔女」は見境ないので、時に恋人にすら牙を剥きます男性にとって「魔女」の影響を受けずに済む状況というのは、自分より立場が下の女性を緩やかに支配すること以外にありません。これによって、たとえ恋人以外の女性の中にいる「魔女」に狂わされそうになったとしても、代わりに従順恋人セックスすれば「魔女」の誘惑から逃れることができます

魔女」は全ての女性の中にいます。そして、性的魅力が高い女性の持つ「魔女」ほど人を狂わせる力が高いです。(ある意味当たり前ですね)

そして、多くの女性はこの「魔女」の存在に気づけません。自分判断が「魔女」に影響されていることに気づかないままです。あるいは気づいても、それに抗って「人間」としての行動をすることなく、「魔女」の命ずるままに男を狂わせることに快感を覚えます。なので、意識で考えている欲求と実際無意識下で抱いている欲求にすごく大きな差が出ます。これはすなわち女性男性よりも自分は何をしたがっているか判断する能力がないままに「魔女」という恐ろしいパワーを持っているわけです。こんな存在を野放しにしたら災いが起こる。現に弱者男性なんて「魔女」による災いを一番受けている立場です。

から女性自由制限すべき、ということになちます

さて、これでミソジニスト、とりわけ「下から目線」「弱者男性」のミソジニスト世界観を、それ以外の人たちにもわかりやすく伝えられたと思います

さて、ではこの世界観批判します。

もう、まず「全ての女性の中に男を狂わせることに快感を覚える『魔女』がいる」というような考え方からして陰謀論臭さを感じます。なんというか、自分たまたま関係で狂っているからと言って、「自分が狂ってしまっているのは自分が狂うと得するやつがいからで、それが女だ!」というのは、端的に粗雑な思考と言わざるを得ません。というか、自他の区別ができてない。

また、「男が女の性的魅力と接して狂う」という状況を、100%女の責任にしているようなところもいただけません。ぶっちゃけた話、女性フェロモン放ってるのも、男性がそれに魅力を感じるのも(それ自体は)自然現象であって、その時点で特別誰が悪いとかはないはずです。で、その上で男性市民として生きていく上で日頃理性で本能を抑える必要があります。それが人によって難しい、という話はわからなくもないですが、それは人類の理性や社会制度全然進歩していないことが原因であって、「女性の中に魔女いるから」悪くて、女性自由制限して男性女性の上に立てばいいという話ではありません。

要するに、この種のミソジニー弱者男性は、本来社会制度の未発達(もちろん、社会を作るのは社会構成員全てなので、そう言った意味女性責任が皆無とは言いません)と自分の理性の未発達が原因であるはずの問題を、なんだかよくわからない女性の中にいる「魔女」のせいにしているのです。そして、その「魔女」は自他の区別ができないがためにミソジニストが作り出した幻影です。

さて、ミソジニストを狂わせているのが女性の中にいる「魔女」ではなく、未発達な社会制度自身の理性の欠如だとわかったことで何が変わるでしょうか?

女性コミュニケーションを取る際に、女性を恐れなくて済みます。「魔女」の世界観でいえば、女性は(無意識に)あなたを狂わせることを望んでいるわけであって、あなた悪戦苦闘すればするほどにっくき「魔女」の思う壺です。だったらいっそ「復讐」してやる、とばかりにセクハラなり痴漢なりレイプなりに及んでしまえ、のような発想になるかもしれません。しかし実際は「魔女はいないので、あなたが適切な振る舞いができるかどうかは単にあなたの損得の問題です。誰もあなたの内心を覗いて嘲笑ったりしていない、というわけです。

もちろん、全ての「弱者男性問題がこのような被害妄想であり、「弱者男性」の意識改革だけで解決する、などとはいいません。しかし、少なくとも、ミソジニストととなる「弱者男性」には大きな認知の歪みがあることが多いのではないか、その認知の歪みに見られる共通点はなんなのか、と考えたところ、このような結論に至りました。

2022-11-21

仕事がメインか休日がメインか

感覚の話なんだけど休日をどう捉えている?

休日がメインで仕事休日に使うための金を稼ぐ期間」「仕事がメインで休日仕事の疲れを癒すための期間」

無意識にずっと後者仕事人間だったんだけど、前者の方が楽しく生きていける気がしてきた。

anond:20221121093746

マジックワード自分だと気付くことで

未来自分は元気でやっていると4歳のスズメが思っても

それが母親を亡くしたスズメを救うとは思えんのよね

クライマックス震災の情景が現れるの単純に土地描写って事なんだろうけど

古の昔からの話なんだからピンポイント震災描写って変なんだよね

もっと普通に茅葺きの漁村とか出ていい筈なんだけど出てこない

あの流れはスズメ記憶依存していて普通に精神攻撃として作用するシーンのはずなのに

心の中に4歳のスズメが蘇って歩けなくなるとかそういう事は特別にない

何事もなかったかのように突き進んでしま

単に背景として描写されるだけなんだよね

スズメ地震が来ると大切な人が居なくなることを無意識に恐れていて友達の体を知らず掴んでしまうとかもないんで

描かれた震災が妙に浮いちゃうんだよな

「すずめの戸締り」は全般的に雑なんだよね

anond:20221119161631

「ための」演出が多すぎるって言うか


鍵かけ演出

家や自転車の鍵をかける(あける)シーンを意図的カットとして抜くのは、戸締りとしての鍵を意識させたいんだろうが

「戸を閉める(鍵をかける)無意識」みたいなもの物語に影響しないから、無意味な「ための」カットなんだよね


叔母さんとの確執

叔母さんとの確執も別段必要はなく、言い争いも要石に誘引させられたもの

叔母さんが子育て愚痴ってるシーンや、裏ではすずめを憎く思ってるという伏線がないから、唐突過ぎて違和感しかない

そんで、「要石のせいだ」って提示されたら、実質確執はないよねってなる


震災の心災

震災周りのアレコレも、すずめは終始超然としてるので、特に引きずってるとは思えない

アラートにも無反応で、地震があっても普通

それが無意識に抱えてるトラウマを刺激したなどという描写もなく

しろ他人よりも早く復帰して、窓からみみず」を見つけてしま

綺麗に整地「されてしまった」故郷を綺麗と言われ憤慨はするが

自宅の跡地に戻ったからと、心を抉られたりもしない

(もちろんしているのだろうが、特別描写はない)

掘り起こした日記震災後のページが黒く塗りつぶされているが

あれのシーンはむしろ見てる観客の方が心抉られているはず

すずめは嗚咽したり、泣き崩れたりしない

その無言にナニカを見出すことは当然に出来るし、それが「リアル」だという向きもあろうが

あれは別にとうほぐ限定の上映じゃないんだから、伝わらない人の方が多かろう

しろ叔母さんの方が気にしてるくらいなんだけど

この叔母さんも微妙スルーされてしま

ぶっちゃけ、あそこまで叔母を引っ張ったのは、確執を描きかっただけと言う風にしか受け取れない

(すずめは扉に入って消えてしまうのだからもっと心配してるだろ常識的に考えて)


イケメンに一目ぼれ

これもテーマがとっ散らかったおかげで、無くても良かったかなぁって感じになってる

ここをメインに据えるなら、震災関連が要らないし

震災関連をだすなら、草太を助けるためじゃなくて、4歳の自分(ひいては震災被害者たち)を救うための活劇で良かった

過去に会ってるかも?みたいな伏線もまったく無意味である


常世自分を救う

常世で一度自分に会っている

これ自体最初出会う時に顔を隠してる時点で予想がつく

母親だったら顔を描いて問題いからね

物語としては解決が決まっている話という事になる

未来自分母親形見椅子過去自分に手渡す

これが破綻したらタイムパラドックス

・・・なんだけども

あのシーンで幼い4歳のすずめの心が救われるとも思えない

誰ともわからない他人

母親椅子を持ってきてくれた

そして「大丈夫だよ」と声をかけていなくなる

あれが救いになっているという解説がどれもしっくりと来ない

4歳のすずめを救うマジックワードは、きっちりと作品内で描写されるべきだ

あと、なくなってた椅子の足も特別回収されない



から何まで中途半端モヤモヤする

気持ちだけでは稼げないが、気持ちで金が動くこともある

一発逆転をしたいという気持ち

人を出し抜きたいという気持ち

キモイと言われたくない気持ち

無意識にそう思って支払ったことはあるはずだ

物が売れないのではない、これで十分だ、と気持ちが鈍くなっているのだ

2022-11-19

間接的に接触すると好感度があがる

がっつり手を繋ぐ訳でなく間接的に接触すると相手から好感度があがる。

よくハロー効果といって初対面が大事という。そこで不快に思われていなければ会えば会うほど好感度があがるという。それと同じで接触においても手が当たるか当たらないかくらいが最も無意識に訴えられ好感度があがる。

anond:20221118194332

文系はもちろんサイエンス知識限定的いかにもIT系底辺にいる無教養馬鹿が書きそうな話ではある。人間無意識だけでなく表層意識ロジカルものではないし、洗脳なんて意識で防げるものではない。

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