はてなキーワード: 無意識とは
「痛い」と叫んで逃げ出そうとしても、そのたびに腰を強くつかまれて引き戻される。
「もう許してくれよ」
「やめてってば!」
何度めかの悲鳴が、部屋に響いたが、そんなことは関係がない。犬作先生の教えは絶対であり、俺はこのケツ掘り教を人類に布教しなきゃならんのだ。
俺の名前は山田太郎。今年で二十一歳だ。趣味はゲームと読書。顔立ちはまあ普通だと思う。身長百六十五センチ、体重五十二キロ。体脂肪率は二パーセント前後。職業は大学四年生である。
俺は今、大学の近くにあるアパートの一室で、カルト宗教団体のドン、犬作先生からケツを掘られている。
「よし! そろそろイクぞ」
「え? ちょっと待っ……うぎゃぁああああ!!」肛門の中で熱いものがほとばしると同時に、俺は意識を失った。
「ん……ここは?」
目を覚ますと、俺はベッドの上で寝ていた。辺りを見回すと、見慣れない部屋だった。白い壁紙には宗教画らしき絵が描かれている。窓の外を見ると、青い空が広がっていた。どうやら、俺はどこかの建物の中らしい。だが、どうしてこんなところにいるのか思い出せない。確か、俺は昨日もいつも通り講義を受けて家に帰って……
ようやく思い出した。昨夜、俺は犬作先生に招かれて、そこで一晩中ケツを掘られたんだ。そして気がついたらここにいた。ということは、あの後すぐにここへ運ばれたということだろうか。それとも、犬作先生の家に泊まったことになっているのかもしれない。しかし、いったいここはどこなんだろう。俺は疑問に思いながら部屋の扉を開けると、廊下に出た。すると、そこには一人の女性が立っていた。
「あら、目が覚めたんですね。おはようございます」
そう言って微笑む女性を見て、俺は思わず固まってしまった。なぜなら、彼女の服装が際どかったからだ。黒いミニスカートからは、太股がほとんど露出しているし、胸元は大きく開かれていて谷間が見えている。さらに、背中が大きく開いたデザインのブラウスのせいで、豊満なバストが半分以上見えてしまっていた。こんな格好で寒くないのかなと思いつつ、改めて女性の顔を眺めると、その美しさに見惚れてしまうほどだった。
年齢はおそらく二十代前半くらいだろうか。綺麗というより可愛いといった感じの顔立ちをしている。肩にかかるほどの長さの黒髪に、大きな瞳。唇は少し厚めでぷっくりとしていて、肌はとても白かった。背は高くないがスタイルはよく、出るところがしっかり出ている。特に胸の大きさはかなりのものだし、腰も細くてとてもセクシーだ。
「あっいえ、何でもありません。久本っていう芸能人に似てるなーと思って」俺がそう言うと、女性はクスクスと笑った。
「面白い人ですね。そうなんです。私こそが久本です。ヨロチクビー」
「はあ……」
何がおかしいのかわからなかったので、とりあえず曖昧に返事しておいた。それにしても、本当に綺麗な人だ。まるでモデルさんみたいだと思ったその時、突然、女性の目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい。つい嬉しくて」
そう言いながら涙を拭う彼女を見て、俺は胸がキュンとした。こんなに可愛くて美人なのに、涙もろくて優しいなんて反則だと思った。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。でも、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「はい。ありがとうございます」
「ふふ。ところで、お腹空いてませんか?」
言われてみれば確かにお腹が空いたような気がする。それに、なんだかいい匂いがする。そう思って、俺は思わず腹を押さえてしまった。
「減ってるみたいです」
「じゃあ、ご飯を用意してるので一緒に食べましょう」
彼女はそう言うと、俺を食堂へと案内してくれた。そこはダイニングキッチンになっていて、すでにテーブルの上に料理が並んでいるのが見えた。
「わあ、美味しそう!」
思わず声が出てしまうほどの豪華な食事だった。フランスパンやスープ、サラダなど、様々なメニューが並べられている。どれも出来立てのようで、まだ湯気が出ていた。
「……え?」
今、何て言った? 精子入りのごはんって言わなかったか? いや、聞き間違いだよな。きっとそうだ。そう思ったのだが、俺の期待はすぐに裏切られることになった。
俺は思わず叫んだが、彼女は全く動じなかった。それどころか、ニコニコしながら俺に話しかけてくる。
「心配しないでください。私の言うことを聞いていれば、すぐに妊娠できますよ」
「いや、そんなこと言われても困るんだけど……というか、そもそもあんたは誰なんだ?」
「私は久本といいます。あなたをマインドコントロールして布教者にするのが私の仕事です。私達はたくさんの人たちを洗脳して政治的権力を得て、犬作先生を最高権力者にするのが目的です。そうすることで極楽浄土にいけます。男冥砲恋毛凶」言っていることが全く理解できない。だが、彼女が危険な人物であることだけはわかった。どうにかしてここから逃げ出さなければと思った俺は、急いで部屋を飛び出した。
しかし、その瞬間、目の前に一人の男が現れた。その男は背が高くてガタイがよく、目つきが鋭かった。しかもスキンヘッドで眉毛がなかったから、余計に怖かった。おまけに口の周りには髭が生えていて、見るからに怪しい雰囲気を漂わせている。もしこの人相の悪い男がヤクザだったら、間違いなく拳銃を所持していてもおかしくないだろう。それくらい威圧感のある男だった。そして彼は、その外見にふさわしい低い声で話しかけてきた。
「どこへ行くつもりだ?」
俺がビクビクしていると、2人がいきなり全裸になった。驚いて固まっていると、彼らは自分の股間を指差しながらこう言ったのだ。
「さあ、私達の性器を見なさい」
「ほら、見てくださいよぉー」
2人とも見事に勃起していて、亀頭が天井を向いていた。その光景を見ているうちに、なぜか俺も興奮してきてしまった。気がつくと、いつの間にかズボンを脱いでいた。それを見た2人はニヤリと笑うと、互いのペニスを握り合って扱き始めた。しばらくして絶頂を迎えると、大量の精液を俺の顔めがけてぶっかけてきた。生暖かい感触に顔をしかめていると、今度は彼らが同時に射精した。それはまるで噴水のように飛び散り、俺の全身を汚していく。やがて出し終わったかと思うと、今度はお互いのチンポを舐め合い始めた。ジュルジュルといういやらしい音が響き渡る中、彼らの顔はみるみる赤くなっていき、息遣いも荒くなっていった。そのうち我慢できなくなったのか、再び激しく絡み合うようになった。
それからしばらく経って、ようやく満足したのか、2人の動きが止まった。すると、突然俺の方を向いたと思ったら、なんとそのままキスをしてきた。最初は驚いたものの、舌を絡ませてくる濃厚なキスに頭がボーッとしてきて、気がつけば自分からも舌を絡めていた。そしてしばらくすると、唾液の糸を引きながら唇が離れた。すると今度は、2人がそれぞれ俺の乳首に吸い付いてきた。あまりの快感に声を上げそうになったが、必死に我慢する。さらに、片方ずつ乳首を吸われたり舐められたりしているうちに、次第に変な気分になってきた。そしてついに耐えられなくなって、とうとう大きな喘ぎ声を上げてしまったのだった。するとそれを聞いた男たちは嬉しそうに笑った後、俺の服を脱がせてきた。あっという間に裸にされた俺は、抵抗することも忘れて呆然としていた。その間にも手際よく脱がされていき、気がついた時には完全に素っ裸になっていた。
男達は手拍子をしながら大声で叫んでいる。その異様な光景を見ているうちに、だんだん怖くなってきた。このままここにいてはいけないと本能が告げている。何とかして逃げ出そうと試みたが、やはり無駄だった。
そう言って押さえつけられてから数分後には、もう逃げる気力すらなくなっていた。これから何をされるんだろうと考えているうちに、体が熱くなってきて下半身が疼いてきた。無意識のうちに腰をくねらせていたが、それに気づいた男たちに笑われてしまい、顔が熱くなるのを感じた。それでもなお興奮を抑えきれずにいると、突然両足を持ち上げられた。そして次の瞬間、信じられないことが起こった。なんと男は、俺のアナルを舐め回し始めたのだ。それだけじゃない。もう片方の男が俺の尻の穴に指を入れてきて、グチュグチュと音を立てながらかき回しているではないか。あまりの出来事に言葉を失っていると、今度は別の男が俺の口にペニスを咥えさせてきた。そして頭を両手で押さえると、前後に動かし始める。息苦しさに耐えかねた俺が口を離そうとすると、無理やり押し戻されてしまった。その後も容赦なく喉の奥まで突っ込まれたので、何度も吐きそうになった。だが、その度に強く締めつけられるので、結局最後までやり遂げなければならなかった。ようやく解放された頃には、すっかり疲れてしまっていた。
「それぐらいしなやかな身体なら、犬作先生との交尾もちゃんとやってくれるだろう。このいやらしい身体を犬作先生の元へつれていこう」
その言葉にゾッとしたが、もはやどうすることもできなかった。その後、俺は首輪をつけられて四つん這いになると、犬作先生と呼ばれる人物のところへ連れて行かれた。そこには大勢の男たちがいて、皆一様に全裸になっているのがわかった。中には女性の姿もあるようだ。よく見ると何人かの女性が床に寝そべっていて、その上に男性が覆いかぶさっているのが見えた。どうやら彼らはセックスをしているらしく、女性の口からは喘ぎ声が漏れ続けている。その光景を見ているうちにムラムラしてきた俺は、無意識のうちに自分の股間を弄っていた。その様子を見た犬作先生は満足そうに微笑むと、その場に座って足を開いた。俺は彼の前まで行くと跪いてフェラチオを始めた。口の中いっぱいに雄の匂いが広がってきて、それがさらに俺を興奮させた。
しばらくして限界を迎えたのか、彼がうめき声を上げると同時に大量の精子が俺の口の中に放出された。それを一滴残らず飲み干すと、今度は仰向けに寝転んだ彼に跨った。そしてゆっくりと腰を落としていくと、徐々に結合部分が近づいてくるのがわかる。そして遂に根元まで入ったところで一息ついていると、彼は急に腰を動かし始めた。その動きに合わせて下から突き上げられ、そのたびに全身に電流が流れるような衝撃が走った。あまりの気持ちよさに意識を失いかけたその時、突然お尻の中に熱い液体が注ぎ込まれた。それと同時に絶頂を迎えた俺は、ぐったりとしたまま動けなくなってしまった。
「おめでとう」「これで君も立派な信者だ」「これからもよろしくね」「一緒に頑張りましょう」「みんなで幸せになりましょう」「極楽浄土へ行きましょう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」
人は見た目が十割、という言葉があれば、人は見た目よりも中身が大事という言葉もある。結論から言うと、長く付き合うことが前提なら中身を重要視すべきだが、付き合いの長さ短さに関わらず優先すべきは容姿だと思う。「容姿が好みでなければ中身なんてみない」という某アイドルの言葉が全てだ。
これって、創作の場に置いても同じことが言えると思うのだ。
まず、個人の好みはさておき、絵と小説なら確実に絵の方が目を引く。人間に置き換えると、美人だからだ。
それでは次に、全く同じ内容の漫画と小説があったとしたら?これも漫画の方が好まれる。人間に置き換えた時に、性格がいい美人と性格がいいブスなら、当然前者を選ぶだろう。
絵や容姿は一目で美醜がわかる。もっと言うと「この人は目元はパッチリしていて綺麗だけど鼻は低いね」「この人は顔を書くのは上手いけど体はイマイチだね」といった個人の好みまで言語化出来る形で伝わってくる。
対して、小説は内容が面白いかそうでないか、文体が好みかそうでないかが時間をかけてじっくり読まないとなかなかわからない。
読書家でお気に入りの作家や本がある人なら、その判断が早いが、普段は書店で本を買わず、ピクシブでssを読むだけ──という人も多い。そういう人にとって、読書とはある意味苦痛な行為なのだろう。彼らにとって、読書そのものは目が痛くて時間のかかる苦痛な行為であり、結末がわかった時に初めてその本が好きか嫌いかを判断するのだ。
近年、音楽業界で長いイントロや間奏、ギターソロのある曲は好まれないという風潮からもわかるように、現代ではとにかくコスパや結果が重視される。tiktokはその最たる例だろう。
つまり、何が言いたいかというと、世の中の人は本なんて読まないのだ。面白いかそうでないか、最後まで読まないと判断がつかず、絵柄と違って文体の好みもすぐにはわからず、逆にどこが良くてどこが駄目だったか言語化しにくい。そういうジャンルなのだ。
字書きが授業中に教科書の付録や資料集に齧り付いていた時に、絵描きはプリントの裏紙に絵を描いていたのだろう。極論、文章は誰にでも書けるが、絵は自転車と同じでただ思うように描くだけでも、ある程度の練習や勉強が必要になる。絵描きはそれをわかっているから、無意識に字書きを相手にしないのだ。絵描きは絵を見れば、そのクオリティから描き手の力量やセンス、もっというと影響を受けている作者なんかもわかる。
だが、小説ではそうもいかない。書き手がこれまでにどんな本を読んで、それらにどのような影響を受けて、どんな作品を書いたのか、それがわかるまでに時間がかかる。よく知りもしない人の作品にそこまでの労力を割こうなどと、絵描きは思っちゃくれない。読書を苦痛と思う人にとって、小説の結末はいわばサビで、そこに至るまでの起承転はイントロなのだろう。とにかく小説なら何でも読む、活字中毒という人が現代では杞憂なのだ。必ずしも、読書家=字書き、読書が苦痛=絵描きというわけではないが、字書きで漫画を読むという人は多いが絵描きで小説を読むという人はなかなか聞かない。要するに、絵描きにとって読書は面倒くさい"作業"なのだ。
私には表現したいことがある。でも、それらは見向きもされない。中身が面白いかそうでないか以前に、小説だからだ。要は、ブスだからだ。美人と違って、ブスには興味も持たれない。
こんなことなら、学生時代に資料集や小説を読んでいる暇があったら絵を描いておけばよかった。小説が書ける、といっても何の価値もないが、絵が描ければ社会においてスキルになる。話題になる上に、仕事にも生かせる。もし、これを読んでいる方が創作に興味を持たれている学生さんなら、今すぐに絵の練習をした方がいい。何か表現したいとか、アンソロとかに参加してみたいとか、創作仲間とワイワイしたいとかそういう願望があるなら、特に。仮に、通話で知り合ったとかそういう何かの気まぐれで絵描きや字書きと繋がれても、彼らはあなたの作品なんて絶対に読まない。感想なんて気もしない。絵描きにとって字書きは「ダラダラと長ったらしいだけのコスパ悪いことやってる頭の悪い人」なのだ。そこに悪意はない。美人が生まれつき美人と自覚していてブスを見下したり哀れみの目で見つめてきたりするの同じだ。そういう風に世の中は出来ている。
ついさっきも、毎日のようにTwitterで交流をしている絵描きのフォロワーにスペースで無視されたばかりだ。一体一でリプライを送り合うくらいならいいが、他の絵描きもいる前で字書きなんかと付き合っていると思われたくはなかったのだろう。社会で生きていれば、嫌というほどルッキズムに苦しめられるのに、創作の世界でも擬似ルッキズムに苦しめられるなんて思っていなかった。なんで字書きになんてなってしまったんだ。
微妙に午前中予定で埋まってしまってあっと言う間に過ぎ去ってしまったわ走馬灯のように。
走馬灯の使い方合ってるのかしら?
よく分からないけど、
流れゆく時間の年月の早さを表現する方法のどちらかだと思うので、
だいたいはイキフンで合ってると思うわ。
忙しいときに限って
もうどうにもこうにもならないわ。
ホラ貝はしっかり集めてガチャ最低でも回したいし
まるまるフェス中をスプラトゥーン3で過ごすのも俳人まっしぐらで一句詠みたいほどよ。
あー
時間が欲しいわーって思いつつ
練り出していいのはカラシかワサビチューブかって相場が決まっているところだし。
そうそうそうよ!
やっぱりどう足掻いても
結局さ
やっぱりここはリズム的に意識してリズムを作らないと行けないって事だし、
ああ、
もどかしいわ。
この時間のなさの切なさが。
忙しいことは良いことかなとも言うけど、
心をなくしてはいけないわよね。
名言出たっぽいけど、
どっかで見聞きした受け売りよ。
心をなくすって
具体的にはどういったことかしら?って思うけど、
そう言った答えが見付からないそもそもとして最初から心がないのかも知れないわ。
だから忙しいのよ。
なんかたらい回しだわ。
うふふ。
頭使ってる証拠なのかしら?
よく分かんないけど
これやったっけ?って出来てる時ってない?
ないか、ないわよね。
そうそう
飲ま飲まイェーイ!だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
功利主義によれば、死者がより少なくなる選択をすることになる。安倍元首相が生きていると2人以上死ぬと考える功利主義者は歴史を改変しないことを選択するが、安倍元首相が生きていても1人も死なないと考える功利主義者は歴史改変を選択するだろう。
(中略)
義務論によれば、歴史改変による悪影響が何一つ存在しない場合を除き、歴史改変は許されない(この「悪影響」とは第三者(たとえば宗教2世)の死に限られない。)。
俺は「美人ですね」を言うぞ。
時代の流れと逆行しようとも、価値観のアップデートを迫られようとも。
女性が「美人ですね」と言われて嫌なのは、多くの女性にとって好みでない男性に容姿を褒められるのは恐怖だから、という理由だそうだ。しかし、
のは何故だ?
ごく少数の悪漢・ミソジニーがいるから、男性という属性を丸ごと恐怖対象と断じる。
だが社会の正しいモラル感覚とは差別を是とすることなのか。違うよな??
極端な一部の人を、全体のテンプレートのように扱うのが差別じゃなかったら、何が差別だ?
俺は納得したロジックにしか従うつもりはない。たとえ、炎上の業火に焼かれようと。
イジメに追い込まれたクラスメイトを、場の空気に巻かれて見て見ぬ振りをしてしまった小学生の自分自身を、自由意志の弱い子どものことだと認識した今でさえ、許すことができない。もう絶対に、愚かさを繰り返さない。唯一の後悔は、長い反省の結論は、場の空気を読むんじゃなく、説明できる理屈にだけ従うべきだということ。いついかなるときでも。俺は納得できるロジックにだけ従う。価値観のアップデート圧に抗う。街で偶然すれ違ったアイツの表情のない顔を思い出せば、ブックマーカー1000usersの袋叩きに逢おうとも、笑顔で耐えられる。
https://anond.hatelabo.jp/20221105115632
ぼく勉と五等分、かぐや様とではクオリティに差があるのだから、パラレルストーリーが悪いのではなくぼく勉が悪いのだという説が散見される。
これはぼく勉の話がつまらなかったから盛り下がったのだという趣旨で一理あるように見える。
しかしあえてぼく勉ではなくパラレルストーリー自体が悪いのだと私は主張する。
まずメディアミックスであるがぼく勉より単行本売り上げが低かったゆらぎ荘の幽奈さんですらゲーム化している。
単に人気が低いというだけではゲームより遥かにコストが低いボイスドラマが打ち切られる理由にはならないだろう。
またそもそもジャンプで2年以上連載していた作家に対してお前がうまく出来なかったから悪い、もっとうまくやれたはずだと言うこと自体傲慢極まりないと一蹴しても良いだろう。
そもそもの話として、ぼく勉に話の良さは求められていたのだろうか。
ぼく勉は元々1話完結を繰り返す構成であり、長編と言われるものでも4話程度の連続した話しかない。その中ですら粗が目立った。
そして本編終盤の強引さを鑑みればその後のパラレルストーリーの出来についても推して知るべしであったが、そのような中でも多くのファンはパラレルストーリーを歓迎していた。
同じ作者が描くのだから、話のクオリティが急に上がるわけがないのは誰しもがわかっていたはずだ。
つまりぼく勉は話の良さなど期待されていなかった。強引でもいいから自分の好きなキャラの思いが成就することだけが望まれていたのであり、実際にそれは叶った。
読者の求めていたことを叶えて、それでも盛り下がってしまったのだからこれはぼく勉が悪いわけではないだろう。
まとめると
ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である。
となる。
ぼく勉はキャラの可愛さで人気を獲得し、長編の話作りが下手であることもわかった上でパラレルストーリーが歓迎されていたのだから、ファンが望んでいたのもキャラの可愛さだけのはずだ。話の出来の良し悪しは関係ない。
作者は今まで通りキャラの可愛さを引き出していたのだから、十分にうまくやったと言えるだろう。(理珠ルートはキャラが出なかったのでまあうん)
もっともこれはぼく勉は話を期待されていない漫画だから、話の出来が悪いのが悪いという批判は成り立たないということに過ぎず、話を期待されている漫画であれば話が良ければ受け入れられたのかという課題が残る。
そこでぼく勉が仮にストーリー面も期待されていたものと仮定して、以下にパラレルストーリー自体の問題点を上げていくことにする。
読者が自分の推しキャラが終わった時点で満足して読まなくなることは想像に難くなく、読者が減るのも当然である。
ぼく勉の場合、頭3つほど抜けた人気のあった真冬がヒロインであった最後のルートですら大した盛り上がりを見せず(事実単行本売り上げが他より上回っているわけでもない)、最終回でもトレンド入りすらしなかった。
トレンド入り自体はジャンプの打ち切りになるレベルの漫画(例:レッドフード)でもすることがあるものであり決して高いハードルではない。アニメ化していない作品ですら円満終了なら最終回のトレンド入りは定番となっているので、ジャンプ連載作品ではむしろしないほうが珍しいと言って良いだろう。
読者が減少するということはすなわち作品が連載中であるにも関わらず、話が進むごとにどんどん盛り上がりが減っていくということになり、活気の減った漫画は余計に見向きがされなくなるという悪循環を生んでしまう。これはぼく勉に限った問題ではなく普遍的な課題だろう。
五等分の花嫁やかぐや様では作中の描写がどうだ、ここの描写がああだと言った考察が盛り上がっていたが、ぼく勉はパラレルストーリーが始まった時点でこれまでの描写が語られることがほぼなくなり、考察ブログも更新を停止することが目立った。
これはパラレルストーリーが本編の描写と連続するものでない以上、何がきっかけで彼を好きになったのか、何がきっかけで彼女を好きになったのか。そういったことを本編の描写から考察することが出来ないのだから当然だろう。したところで意味は無い。話を期待されていたのであれば、なおのこと虚しくなるだろう。
個別ルートは本編の描写と繋がっていない。であれば推しキャラを持つファンは本編の描写を語ることが虚しくなるだろう。それが個別ルートまでの間にあった出来事なのかどうかわからないのだから。
全く語らないことはないだろうが、以前までと同じ熱を持って語ることは出来ない。同じキャラを推すファン同士であれば個別ルートの話題で盛り上がれるだろうが、違うキャラを推すファンとはそれで盛り上がることは難しい。無意識にどこかで俺の好きなキャラのルートではその出来事はなかったという冷めた目線が生まれてしまう。
SNS時代の今、語られなくなることは作品にとって致命的である。パラレルストーリーは二次創作需要の先食いですらなく、ファン交流の土壌ごと奪っていることに等しい。
これは恋と嘘のように最初からマルチエンドにすると決めていた作品であれば回避できる問題ではあるが、現実的には難しいだろう。週間少年漫画誌で人気と伏線を両立させることは困難であり、ぼく勉のように途中でなんとなく決まることが大半のはずだ。
最後にたとえパラレルストーリーをやったとしても各キャラのファンを満足させることは難しいという最大の問題がある。
パラレルストーリーに対する各キャラのファンの主な反応はこうだ。
- うるか派 とにかく発表方法やその他の扱いにキレている。※
- 理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
- 文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
- あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
- 真冬派 圧倒的な人気なのになぜか先生と生徒じゃなく先生と先生の恋愛になるという扱いにキレている。
※参考
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
https://anond.hatelabo.jp/20200724234926
【追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい
https://anond.hatelabo.jp/20210308181806
【替え歌】作者に嫌われている。
このように手放しに満足しているのはあすみ派だけだ。
なぜ満足しているのかといえば、登場が遅く人気も低いためエンドヒロインになる芽が一切なかったのに、奇跡的にヒロインになる姿を見ることが出来たから満足しているのだ。
この点真冬も同じく設定的にエンドヒロインになる芽が一切なかった。ではなぜこちらはキレているのかと言えば、パラレルストーリーをやること自体が真冬の圧倒的な人気を背景に生まれたものだと信じられているからである。
つまりパラレルストーリーをやるきっかけが真冬の人気によるものなのだから、当然話のクオリティも素晴らしいものであるはずだという期待があったのに、その期待が裏切られたから不満を持たれているのだ。
このように元々芽がなかったキャラのルートをやったにも関わらず、そのルートの出来が良くなければ恨まれてしまう。
芽があったキャラであれば、話が良くても悪くても本来は勝っていたはずなのに二番手以降に追いやられたという逆恨みをされてしまう。
元々なければ諦めがつくが、中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまうという、社会問題でもよく見られる現象と同じことだ。
結局のところ満足ができるのは元々芽のなかった不人気キャラのファンだけであり、人気キャラのファンは余計に不満を持ってしまうのである。
本来ルートがなければないであるもので満足できる。五等分の花嫁を見ればわかりやすい。
一花のあの思い出だけは嘘じゃないんだよの泣き顔で切なくなれるし、二乃のあんたを好きって言ったのよという告白で痺れることができる。三玖の私は私を好きになれたんだという独白に感動できるし、四葉が私の分の仕事をお願いしますという台詞をようやく言えたことも胸を打つ。五月の私は私の意思で母を目指しますという宣言が嫌いな人間はいないだろう。
(各キャラの台詞は筆者の趣味でピックアップしたものであり、あくまで例である)
結ばれようが結ばれなかろうがそれぞれのキャラに素晴らしいシーンは存在していて、通常キャラのファンはいいところを見つけて満足できる。満足出来ないファンもこういうルートがあればよかったと理想を追える。
パラレルがある場合それは出来ない。各キャラのファンが見たいのは結ばれるところであり個別ルートである。
すなわちそれまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されないのである。
そして一度公式に提示された以上、それは違うこれが正しいと自分の理想を追える気概のあるファンは少ないから、ファン活動のハードルもパラレルの有無で段違いになってしまう。
自分の好きなキャラの思いが成就する場面をやるのであれば、誰だって自分の中の理想の形で成就することを想像する。当たり前だが多くの場合理想通りに行くはずはない。
漫画である以上、あまり長い話数は出来ないのだからなおさらだ。
普通であれば期待外れに終わるのは一度だけ、一人のキャラのファンだけだが、ぼく勉のようにした場合はヒロインの数だけ期待外れに終わることになる。
作者に対する失望が増えるほど作品に対する興味も冷めていく。当たり前のことであってぼく勉に限った話ではない。
失望されなければいいというのは一つの理想ではあるが、それは全教科満点取れば入試に受かると言っているようなものだろう。
仮に話のクオリティが期待されていたとしても、パラレルストーリーを連載する以上
というパラレル自体の問題点があり、仮に万が一クオリティが高かったとしても盛り下がっていたと考えられる。
よってぼく勉が特別うまくやれなかったのではなく、パラレルストーリーという形式がそもそも悪いのだ。
なおパラレルストーリーという形式をぼく勉が選んだ事自体が悪いというのはそのとおりだろう。
ただその場合の批判は、作品ではなくそれを選んだ作者に及ぶべきではないかと考える。
これがまさにパラレルストーリーをやったことの弊害ではないだろうか。
作品の内容を評価される手前、パラレルをやった意義で評価されてしまうのだ。
この話題がぼく勉である意味は何もない。内容について踏み込まれないから作品の理解を深めることは出来ない。
これは、問答無用で嫌われます。だから、直したいのです! だけど、直せません。
以下、私の事例を示します。
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とあるゲームに私はのめり込んでいました。それは、「ランクを上げるモード」と「エンジョイモード」みたいな感じで分かれていました。
そして、私はいわば、「ランク至上主義」の立場をとっていました。エンジョイ勢を馬鹿にしていたのです。
ここから先は、正直私は覚えていないのですが、どうやら私は、「お前もとっととランクを上げろ」「ランク上げてないやつは無能」的なことを言ったみたいです。
友達は私とは遊ばなくなりました。
私は無意識の間に、友達に「ランクを上げる」ことを強制していたようです。
ほかにも、「誰かを推すなら、その人の情報は追うべき」とか、「この漫画は、こう解釈するのが正しい」とか、そういった『自分の価値観』を振りかざしていたのです。
私は、友達を傷つけました。しかも、地雷を踏んだとかそういうものではなく、私が友達を刺したということ。
そして、私は友達を刺したことを一ミリも覚えていませんでした。
私はそれから同じ間違いを繰り返しています。相手の反応が芳しくないとき、やっちゃったかもと毎回思います。だけど、今となってはもう何も思い出せません。
私が「価値観を押し付けやすい」と感じるシチュエーションを分析してみました。その結果、「価値観を押し付けやすい」のは、
だと気づきました。
順番に見ていきます。
そして、「キラー」である私は、相手を弱者とみなします。相手が私に降伏してきた、と考えます。
私は、相手のやり方をぶった斬って、自分のやり方の1から10までを押し付けます。
相手は、「私が相手よりもそれに関する知識がある」と分かっているので、それに従ってくれます。そして、私のやり方でもう一回やった後、私に見せにきます。
私は、それがちゃんと「1から10まで自分のやり方で行われているか」を見ます。そして、違ったら指摘します。
この問題点は、「私が相手よりもそれに関する知識がある」という前提が間違っていることにあると思います。
確かに、相手より知識があるとしても、自分と相手の間にはそこまで能力差はないものです。私が優位に立てるほどではない。
相手は私の所有物ではありません。
相手が興味を持ち始めたものが、私の得意分野と合致していた場合、私は相手に「自分のやり方」を押し付けます。さっき挙げたゲームみたいに。
そして私は、「やり方」を押し付けた後に、相手がそのやり方でやっているかを見張ります。見張って、相手が違うやり方でやっていることに気づいたら、指摘して直させます。
この問題点もまた、前提が違うということ。私は相手の優位に立つべきではない。
以上が私の、「価値観を押し付けてしまう」ことの分析です。たぶん、分析が甘いです。もっと問題点もあると思います。
どうすればいいですか。
増田は男も女も拗らせてるから、フェミ女さんが男に対して発狂してるの見てると妙に異性に突っかかっちゃったりしてる人いるのわかるだろ?
そこまで過激ではないにせよ、男でも無意識にそういうことやっちゃう人が結構いるんだよ
中学生男子が好きな女の子にわざとダメな態度とっちゃったりするみたいな、あれを大人になっても続けてしまってるような奴がいて側から見てるとあぁこいつモテないんだろうなーって思う
でもこれ結構難しいんだよ 気構えずにフランクに異性と話すのって相当トレーニングが必要だし異性の兄弟がいる奴はそれだけで相当強い
男性向け=エロ表現、BL=同性愛表現、と言い換えて「同等でない」というのは意図もしくは無意識の立ち位置を感じる。
元記事で話題にしてるのは「男性向け基準なら一発で18禁とされているようなエロさのBL」なので、「BL(のエロ表現)はよいが男性向け(のエロ表現)はダメ」と同等の話をしてるのは明らかだろう。
(男性向けはきらら系、BLはブロマンスとか、どちらもエロ表現でないものがある)
女性に都合の良い男性キャラクター造形は『男性への性差別になり得ない』
(正確には、男性への性差別ではあるけど、男性(強者)から女性(弱者)への歴史的累積性差別と比べて許容すべき誤差程度の差別、という理屈だろうが)
としても、それでカバーできるのは少女漫画、TL、レディコミ、ハーレクイン、夢小説とかの男性・女性関係のキャラクターであって、
「人の顔が覚えられない脳の病気です。」
高次脳機能をつかさどる部位の脳障害によって起こる。顔を見ても誰の顔かわからず、個人の識別ができなくなるといった症状を引き起こす。
側頭葉・後頭葉にある顔領域と呼ばれる部位の障害が関係している。顔領域が人間の顔を認識する。
顔領域には、相手の顔を識別する紡錘状回や相手の表情や視線を解釈する上側頭溝、相手の表情によって情動・感情を喚起する扁桃体などがあり、協調して認識する。敵と見方を瞬時に認識したり、社会生活を潤滑に送るために人の進化の過程で発達したと考えられる。
相貌失認の分類
1: 先天性相貌失認
胎児期の脳形成の過程などで人の顔をすばやく認識する機能が低下する。100人に1人程といわれている。多くの人は、自分が相貌失認であることに気がついていない事が多い。
2: 後天性相貌失認
事故や怪我、また動脈硬化・脳梗塞・脳出血・脳腫瘍・加齢などでその部位の脳機能が傷害することによって起こる。
一般の人は多くの人の顔を覚えるために、目・鼻・口の特徴を瞬時に判別し、無意識のうちに分類して記憶している。このような機能が低下しているために、髪型や顔の形などの情報や、体型や性格、においやしぐさ等を総合的に捕らえて認識する。そのため、家族や親友などの認識ができるため、先天性相貌失認の患者さんが気がつかないことが多い。アルバイトや社会に出てから客商売などをする事によって適性がない事などから気がつくこともある。後天性相貌失人の中には症状がひどい場合、家族の顔を認識できない事もある。
映画・特に外国映画等で登場人物の顔を覚えられずに、ドラマの内容がわかり難い。ビデオなどで何度か見直してわかるようになる。漫画などは、顔や体がデフォルトされているため、認識しやすい。
客商売において
アルバイトやパートなどで、何度もきている人の顔を覚えられない。さっきあった人が戻ってきても同一人物と気がつかない。ただし、長く続けていると常連を顔以外の全身的な特徴やしゃべり方や性格や雰囲気などで個人を覚えることができる。
相貌失認は、脳の顔領域の障害や機能の低下によって起こる。人間は進化の過程の中で、顔を瞬時に見分ける能力により相手を敵か見方かを判別できるように進化してきた。そのため、顔だけが識別できない。
基本的には治らない。特に先天性のものの治療は確立されていない。顔以外の情報で相手を認識するトレーニングが必要である。トレーニングで、映画を楽しんだり、接客業をこなすことは十分可能である。
一方、後天的相貌失認の場合、障害部位が原疾患の治療により、治ることはある。たとえば、脳腫瘍が顔領域を圧迫していて、相貌失認となった場合、脳腫瘍を手術などで取り去り、物理的に顔領域の障害が回復すれば劇的に改善することがありえる。
いずれにしても原疾患の治療に加えてトレーニング療法がお勧めです。