はてなキーワード: 楽器とは
15年近く前にプレイしたフリーゲームのプレイ動画を偶然見つけた。
苦労して最終ステージまでたどり着いたときの音楽がとても印象的で未だに記憶に残っている。
動画を見ていると、懐かしいと思う一方でこういう音楽だったっけ?と感じることが多かった。
最終ステージ以外の音楽はあまり記憶に残っていないので、自分の記憶違いかもとあまり気に留めていなかった。
いよいよ最終ステージ。
流れてきた音楽は記憶とはずいぶん異なった、何ともフワフワした音で思いっきり肩透かしをくらった。
主旋律の音は記憶にあるものと一致しているのだが、音源が全然違う。
楽器については全くの知識ゼロなので説明がうまくいくか分からないが、
記憶にあるのは、ピアノと金管楽器を足して2で割ったような固くて、ピコピコ音に近いような、勇ましさを感じられる音。
対して、流れてきているのはバイオリンか何かのような柔らかい感じの優雅さとでもいう音。
なんてことだ。当時あのゲームをプレイしたPCはとっくに廃棄済み。
もうあの勇ましさを感じられる音楽は聴けないのだ。
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
子どもといるのが辛い。子どもは確かにかわいいけれど、10分も遊びに付き合わされると頭が痛くなってくる。付き合わされている、というところがポイントだと思う。少しでいいから、自分のペースで暮らしたい。好きな時に好きなご飯を食べて、自分のタイミングでお風呂に入って、眠たくなったら床につきたい。いつもテレビの音や足音がするリビングが苦手だ。一人部屋に籠っていたいが、「子育てから逃亡してはいけない」という強迫観念からそれもできない。もともと出不精で、出かけてもさほど楽しくない。家にも外にも気の休まる場所がない。もはや八方塞がって打つ手なし。疲れた。
子ども関連のタスクは常に最上位にぶっ込まれてくる。しかも予期できないことが大半だ。音楽が聴きたい、ラジオが聴きたい、本を読みたい、楽器を弾きたい、そう思った時に実行できない体験が何百と積み重なってくると、欲求そのものが起こらなくなってくる。あんなに好きだった本は読まなくなった。長い映画は観ていられなくなった。複雑な音楽は好まなくなった。味の濃いものを食べたり、2-3分のエッチなサンプル動画で満足したり、次第に反射的な低位の欲求だけを満たすようになっていく。どんどん私は薄くなっていく。私という人間は、決定的に組み変わってしまった気がする。そのことが、時折ものすさまじい嫌悪感をもたらす。まるで山月記の虎が、人間を取り戻す数分のように…。
私は、いったい、これからどうすればいいのでしょう。
一泊二千円台の安宿に部屋を借りている。安宿ではあるが、値段の割にサービスも質も悪くないのだ。しかし、どうやらこのホテルは霊がいるらしいと、Googleの検索ボックスが教えてくれた。確かに、このホテルは何かうら悲しい感じがしないでもない。礼儀正しいフロントの従業員から鍵を受け取り、エレベータに乗り3階で降りると、真っ暗でソファの置かれた空間にでる。そこの奥には普段は使われていない宴会場があるようで、いつも消灯されているのだった。そして、数段だけの小さな階段を降りて、私の部屋のある棟へ歩く。私の部屋の前にもソファがあって、壁に時計がかかっている。その時計は一分ごとに、「ギイ」という錆びた螺子の音をさせて、心霊ホテルを演出している。
ハムスターが餌をとって自分の巣へ戻るように、私も外から戻るとき、はいつもなぜか足早に部屋へ急ぐ。いつも通り駆け足でエレベータから私の部屋に向かって、鍵を開け、私の部屋につくと、濡れたパーカーを脱ぎ、帽子をとった。靴下にも雨水が浸食して気持ちが悪い。「Do not disturb」の札を下げて何日も封印している私のもので散らかった部屋に帰ってくると、少し安堵した気持ちになった。
この日は確か、目的もなく、見知らぬ駅の周りを歩いた日だった。駅には隣接するビルがいくつかあったが、私が出歩いた時には、商業施設も、映画館も営業してなかった。
飲み屋街を歩いてみた。老夫婦が、腕を組んで歩いていた。若者のグループがテントの下で何か民族的な楽器を鳴らしながら歓談していた。スーツを着た3人の男たちが、「じゃあ、また!」とご機嫌に挨拶していた。私は、なんだか自分がお化けになった気持ちになって、ゲームセンターに向かってみた。ゲームセンターはもうすぐ閉店するようだった。湿っぽい雨の夜に、真っ白な蛍光灯で照らされて冷たく乾燥した空間は、とても無機質だった。カラフルな景品たちがガラスの中に入っていて、それが無数に繰り返されていた。私は、暇だったので、景品の一つ一つを見て、欲しいか、欲しくないか、考えてみることにした。愛らしい丸みを帯びたデザインの動物モチーフのぬいぐるみ、あどけないの顔つきの成熟した身体の女のフィギュア、原色で彩られた小包装のお菓子。どれも夢のようであったが、今欲しいものは、そのどれでもなかった。
スロットやアーケードゲームのコーナーをうろつくことにした。そちらのコーナーは少し薄暗く、音も大きかった。広くて新しい店内ではあったが、時間が時間なので、人はほとんどいなかった。仕事帰りの若いサラリーマン風の男が何かロボット系のアーケードゲームをやっていた。レーシングゲームのコーナーには、若いカップルがいて、二人ともマクドナルドの青い飲み物を飲んでいた。音楽ゲームのコーナーには、もう一人、メガネをかけたサラリーマン風の男が、グローブをしてゲームに熱中していた。
私は、何回も彼らの横を通り過ぎながら、どのゲームをしようか考えていた。でも、うろうろと歩きすぎていいかげん不審者に思われているかもしれない、そう思って、考えるのはやめて個室風に覆われたシューティングゲームをやることにした。そのシューティングゲームでは、ゾンビが次から次へとやってきて、それを銃で撃ち殺していくゲームだった。何かゲームについての説明があったが、その説明の画面が流れるのが早すぎて、理解する前にゾンビが襲ってきた。とりあえず照準を合わせトリガーを引くと、簡単にゾンビたちが死んでいった。ゾンビたちで埋まったパーティ会場から脱出するべく、次から次へと撃っていった。「いけてるかも」普段ゲームをしない私であったが、私がトリガーを引くたびに死んでいくゾンビたちをみて、そう思った。そして、救出しにきたヘリコプターに群がるゾンビにも、乱射をお見舞いした。しかし、次の画面で、何やら今までとは体格の違うゾンビが出てきたと気がついたときには、「Incert coin to continue」と表示されていて、しばらく経って、ようやくゲームが終わって現実に戻ったのだと気がついた。
私が遠回りをして、ゲームセンターからホテルの部屋へ帰る頃には、頭にこびりついたゲームセンターの騒音は消えかけていた。
ふと、私は、黄色が嫌いなことを思い出した。黄色、というのは何か溌剌としたエネルギーを感じる色である。けれど、気狂いっぽいそんな雰囲気も私は感じ取ってしまう。ところで、「ち」というひらがなを見ると、私は、黄色をなぜか連想する。
霊(ち)、地、血、乳。
ち、という言葉には、生生しい印象をうける。
ぴちぴち、みちみち、ぱちぱち、かちかち。
ち、という音は、何か瞬時に飛び出していく感じがするのだ。
私が、黄色を好きになれないのは、私に生気が足りないことを叱られているような気持ちになったから、というのもあるのかもしれない。
恥の多い生涯を送って来ました。
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて本との交りを避けた。
己は文豪の作品を読もうと思いながら、進んで師に就いたり、求めてストレイドッグスと交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといって、又、己はアルケミストの間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
本自体全く読まない人なのでなかなか手が伸びない。
本当にやりたいことことほど粘密な準備をしてやりたい。
文豪の名前や作品を調べた上で、これ読みたいってちゃんと思ってから読みたい。
だからこそ読めない。
余裕できたら読んでみたい。
えー、昔から安寿より厨子王が易しと言いまして、――ドカァァン!!!後ろで大きな爆発音がした…!――鈍、という炸裂音が、私の頭を掴み、後ろへと捻じ枉げる。
爆風の中を見ると、丈夫そうな楽器ケースが、かためておいてあるのが目につきました。
「ゴーン、お前だったのか」
ここ2・3日で、自分のちょっとした師匠的な人のブログを読み返していた。
その人はものすごい演奏家で。一方、愛煙はハイライト、晩酌を欠かしたことのないほどの日本酒好き(お気に入りは十四代)、ショートスリーパー。
そして大の病院嫌い。入院してもすぐに脱出してしまうというエピソードも聞いたことがあった。無敵な人だと思っていた。
2014年のある日、緊急入院した。診断は大腸がん。しかも後の話から、肝臓にも転移していたという。ステージとしては深刻を超えている。
最悪な部分は手術で摘出。だが、その後の治療方針について抗癌剤治療を拒否。免疫を高める方向で対抗しようとした。
これは抗癌剤治療でまともに演奏ができなくなった知人を見ていて、決意したものだという。
そこからはウォーキングを日課にして、タバコを絶ち、酒量もわずかなものに。
緊急入院以降、ときどき痛みに耐えるときもあったようだが、少しずつ日常を取り戻しつつあった。
とても強い人だと思った。
みるみる体が動かなくなっていき、あんなに好きだった楽器に触れる時間がどんどん奪われ、
何かがちょっと良くなればいいんだけどな、という言葉が最後の記載だった。
癌の本当の怖さを知った。まるでマンガのような強そうに見える人がいても、そんなふうに人間は存在できないことを知らしめられた。
王様という直訳洋楽パロディロック歌手がいるんだが、この人の歌う日本語訳英語ソングが本当にダサい。
本人の声と楽器の音は格好いいのに、日本語という言語の持つ芋っぽさがひたすらに足を引っ張る。
逆にアニメタルUSAみたいな英訳日本語ソングはメチャクチャ格好いい。
というかロックとかジャズみたいな垢抜けた音楽ジャンルと英語の親和性が高いんだよね。
逆に、俳句みたいな垢まみれ苔まみれの古代文化と英語は全く噛み合わない。
それとはまた別に日本語の数少ない強みに「幻想殺し《イマジンブレイカー》」みたいなルビを降るっていう表現が存在してることがある。
でもこれぐらいなんだよね。
逆だけど、芸能関係とか映画女優さんとかは昔の方が美しいような感じする。MGMのミュージカル映画とか今たぶん作れないし、
ドリフターズみたいな楽器が出来て生放送で舞台でコントができるスーパーグループはもう30年間出ていないしもう出てこないような気がする。
数年前、知人が音楽好きが集まるバーを始め、店の周年記念イベントに参加した時のこと。
そのイベントは店の常連客がそれぞれバンドを組み、出演するというライブイベント。
出演者は趣味で楽器演奏をしている人から昔音楽をやっていた人、現役のプロミュージシャンと様々。
我々は参加費を支払い参加、出演者であり観客でもある。
もちろん出演者以外の観客もいる。
そこにいる全員が顔見知りばかりのようなイベントだし、大変大盛況で無事に終わった。
「実は先日の皆さんの演奏を撮影していました。編集してパッケージを作製して販売しま~す!」
「有名な人と一緒に演奏しているようなバリバリのプロミュージシャンも参加していたけど、その人は何も言ってこない」
なのに何でお前が文句言ってくるんだと。
そんなきちんと活動しているミュージシャンだってわかってるなら、なおさら許可とらないとダメだろ。
「欲しいという人がいるからあげたい。でも編集してDVDにして渡せる状態にするにはお金がかかるのわかるよね?」
と、編集してくれた人にはきちんとお金払いたい、そしてコピー用のDVDなどの費用を回収したいらしい。
みんなで楽しみたいし、お客さんを喜ばせるために音楽をやっているんだから水を差すなと。
みんなに配りたいけどそれにはお金がかかる、そのお金を他人の映像を売って補おうとするってびっくりだ。
「ライブに来たお客さんがスマホで動画を撮影しYouTubeに投稿だってできる時代なのにごちゃごちゃ言うな」
知らないところで自分の映像が流出することだって普通にある、なのにどうして自分のDVD販売にケチつけるんだと。
だから一般的にライブ・コンサート会場って撮影録音禁止だよね。
それにお客さんが自分のスマホで撮った動画をどこかにアップロードする行為と、イベント主催者が出演者の映像を許可なしに販売するのとは話が違う。
これが通じないのだ。
1.30代
2.40代
3.50代
4.60代
20代も後半になり、好きな音楽ジャンルというものが固まってきた。
好きなものはずっと聴いていられるので、自分が持っているCDから幾つかプレイリストを作り、気分によって再生するプレイリストを使い分けている。
そんな生活をしていると、新しい音楽を自分が取り入れなくなっていることに気付いた。Mステやバズリズムのような音楽バラエティ番組も全く見ていない。
一応、「音楽好き」というつもりだったので、食わず嫌いや食い忘れはよくないものと思い、いろいろ聴いてみることにした。
まずは、あいみょんを聴いてみた。まぁ、よくあるメロディラインだな。歌詞は、いつも歌詞重視してないからよく分かんないわ。声、まぁ、不快ではない。終わり。
あいみょんだからかと思ったが、米津や髭男、グリーンアップル等、流行っていると言われているアーティストのヒット曲を聴いても同じような感想を持ってしまった。
そこで、思い至ったのが、タイトルの通り
ということだ。
無知な頃はとても良い。
衝撃的な出会いがある。馬鹿になって熱狂できる。他にこんなに素晴らしい音を奏でる人なんていないと思う。作詞作曲したバンドのメンバーは、天才だと思う。フェスに行けばいつも楽しい、
玄人は、違う楽しみをしている。
そもそも、音楽というものは、粗方研究し尽くされている。音楽ジャンルの歴史背景、ジャンルの派生、転換点となる楽曲、コード進行、和音が与える効果、拍子、楽器の音色…。
それらを知ったうえで音楽を聴くと、ベースの聴こえるか分からないようなリフレインや、セオリーを無視したコード進行、部分的に隠された過去の作品へのオマージュに気付く。
その中間の今が楽しくない。
その状況を打開したくて、音楽を勉強して玄人に近づくことも考えたが、今は音楽はあくまで趣味で時間と金をかけるほど熱狂していない。元より飽きっぽいので、続かない気がする。
架空請求業者 vs 格闘家 の話とか、グレーな感じなのをシリーズにしてる人達も、多いんだね。
ヤフーニュースで取り上げられたり、勉強系のTEDみたないタメになる感じのものなんて、マスじゃないんだな。
クラッシックの楽器が上手い人でもアニソンに流れてんだよなぁ。
Vtuberをやっている。
もし仮に今この瞬間に活動を停止したとしても向こう5年は生きていける。
だから自分の動画と配信を見に来てくれる人、スパチャを投げてくれる人には嘘偽りなく感謝の気持ちがある。
その人たちがいなければ収入には繋がらなくなり仕事とは呼べなくなるから。
自分の能力・嗜好にマッチした仕事をいただけることに感謝してもし切れない。
見つけてくれたからには配信者としての矜持を見せなくてはならないと思っている。
色々企画を練ってはいるものの、GOサインが出ずに実現に至らないものがたくさんあるがそれでも誰かを楽しませることを常に工夫するように心がけている。
ただ、この業界の、というよりはこの国の、ひょっとしたら人類規模かもしれないがこの業界の基本構造はとても残酷だなと同時に感じている。
それがタイトル。
著名イラストレーターが描いたヌルヌル動くLive2Dで女の声で喋るだけでこんなに自分のことを好きになってくれる人がいるという事実が、嬉しいけども困惑している。
楽器が弾けるとかの特技も何もなく、雑談も歌もゲームも別にうまくもないのに、言動は全肯定される。ファンアートもたくさん描いてくれる。勿論アンチもたくさんいるけど。
大手事務所を除いて男だとまずそれだけで活動ハードルが上がるんだな、女だとまずそれだけで活動ハードルが下がるんだなと思った。
どっちかがフラットで標準なのではなく、性別により大きな差がある。これはリスナーの性別比がそうなっているからだと思う。
女のファンもいるけど、怪文書、男根画像、LINE IDを一方的に送られるなどが日常茶飯事だと男のファンが圧倒的に多数なのだろうと思う。
私は自分を偽ることが出来ないので配信は「誰かの悪口は言わない」ということだけに注意を払って、それ以外は何も考えずに思ったことをそのまま口にしている。
だが、いい意味でも悪い意味でも配信中と配信外とで人格がまるで違う人もいる。
配信中は底抜けに明るくてアホなことを言ってリスナーからツッコまれ続ける人が、配信外では冷静に物事を分析するとても頭のいい人だというのを目の当たりにした時の衝撃は大きい。
テレビの中でしか見たことがない芸能人のオフの姿を直接目にした時の感覚に似ている。
それはそういうキャラクターを売っているからだと芸能人に例えて漸く納得がいった。
良い悪いの話ではなくその人はそういうキャラクターを売りにするという選択をしたという単なる事実の話。
私には出来ないがその人は出来ると判断してその方向に進んだのだから、そういう意味でも尊敬している。
タイトルの「アホな女」は流石に言い過ぎとは思ったが、隙のある女だったら男は守りたくなる、それがこの業界のビジネスの基本構造なんだろうなと思った。
私は突出した能力はないけど仕事を与えてくれる存在として誠実にファンに向き合っているつもり。
それでファンがいてくれるのはありがたい。けど、もし私が男だったらこんなにファンはつかなかっただろうなという恐ろしさも同時に感じる。
男女平等にしろとかなれとか言うつもりはないけど、実態がこんなに残酷だというのは恐ろしい。
今の所その様子はなさそうだけど、ジャニーズがタレント・ユニットごとにyoutube配信をし始めたら勢力が変わるのかなあ、なんてぼんやり考えている。
発達障害の診断が出ている。
大学をクビになった。本当に被害妄想のくそったれた悲劇のヒロインごっこだけど、それでも主観としては、大学をクビになった。どれだけ頑張っても、折角合格しても、少しだけ届かない決まりごとに無理ンゴw単位やらンゴwされて辞めざるを得なくなった。数年経った今オンライン授業なら、もしかして通えてたのだろうかとか。本当に悔しくて未だに夢に出てくる。あの学科、学びたかったなあ。
その度に怒られた。これから先の人生で遅刻をするとどんなに損をするか、どれだけ他人の時間を奪っているか、似たようなことを一体一で語られ続けた。未だに年上と一体一のあのなんか圧のある空間が怖い。
遅刻以外はわりと真面目にやっていた。ノートが取れない(1回1回の授業はちゃんと受けているのに、ノートを完成させられない、途中で抜ける、忘れる、ルーズリーフが揃わない、なくす、などなどなどなど)とか苦しいことはたくさんあったけれど、とりあえず人を殴らずに生きれた。中学以降は。小学生の頃は何回か殴ったかも。ごめんなさい。あとリストカットもしてない。ドライヤーで腕を殴っていた。今は煙草に落ち着いたので比較的穏やかになった。
大学に合格した。三年経っても俺は一年生のままだった。何度も辞めろと言われた。ついに辞めた。500万の借金だけが残った。
学びたかったなあ、と心から思う。人体のこと、細胞やなんやの小さな小さな世界のこと、いろんな生物の仕組みはちらっとやってて楽しい。他にも心理学とか、犯罪心理学って名前がかっこいいから気になるし、海のこととか知りたい、趣味寄りでいうとフィルム写真を学びたいし楽器にも憧れがあるし。趣味は知識だからいっぱい学びたかった、いっぱい好きなことを作りたかった。
学校で「されたこと」は、本当に苦手すぎて一欠片も身につかなかった数学と英語の補習、遅刻の叱責。カスカスのバカのまま、しかもガイジが判明してもう何?wwwという感情。もちろん笑い事ではない。
なんかずっと罰を受けていたような気がする。
できないなりに、必死に学校行ってたのに。授業中に眠っている・読書しているやつ(彼らは塾に通っており当たり前のように遠い学校へ進学した)は良くて、遅れてくる俺は罰された。部活でも、なんか数日間、一日六時間ぶっ通しで罰掃除をさせられたりもした。「遅刻するから」。俺はアホなので見張りもいないのにちゃんと掃除してしまって手がなんか赤くガスガスになってしまった。
罰を受けましたという事実ができたら担任は満足して、俺を退部させてくれた。顧問が言った「お前はいてくれると思ってたのにな」が忘れられない。なんやそれ。どんだけ浮いてもハブられても遅刻してもできなくてもやってたのに、ついに大会に出させなかったの誰やねん。
はいはい悔しかったね。つらかったね。ほんでそれはそれとして、じゃあこれからどうする?って切り替えてもさ。
高卒ガイジが一般的な職業に就くのがどれだけハードル高いか。もうそれは程度によるけども個人的に言うと「無理😉🎶」や。ニッチな知識を身につけてニッチな職業に就ければ、ガイジはただの変な人になれる。ニッチな知識つけたるで!と思っても味方してくれるのは図書館だけ。
図書館の利用者カード作るだけで一苦労。借りるのも返すのも苦手。青少年広場みたいなやつにも登録したけど、ホームページに書いてない規則で無理ですね…と言われて数回追い出された。書けや。ガイジか?交通費返せ。
なおNHK高校講座(響きが草)はかなりありがたい。ネット環境っていう豊かさが必要ではあるけれど、かなりガイジ的ハードルの低い作りである程度信用できる情報に辿り着ける。タダ。
他に、どこに行けば「学べる」のかが全く分からない。高校ってあれ、なんやったんやろうな。本当にひたすら罰されてた。関係代名詞よりもたすき掛けよりも教えてほしいことがあった。もう今やクラップユアヘァンズぐらいしかぱっとわからんし繰り上がりの足し算で電卓立ちあげる。苦手なことをずっとやって、やっても結果はでなくて、罰されて、
最終的に辿り着いたのがここでも、自分がガイジに生まれたことも、塾に通えない経済環境のくせに夢を見たことも、物理と精神殴られ続けた日々も、謎の説教を受け続けて誰も解決してくれなかったことも、なんかもうそのへん全部ひっくるめて自己責任なんかな。俺が悪かったんかな。ガイジのくせに普通になろうとしてえろうすんまへんな。
なあこれからさ、ちゃんと学んで、現実逃避しすぎずに生きれるかな。生きててよかったとか言う日が来んのかな。ちゃんと自分の稼ぎでドルオタできたりするんかな。はやく半身不随になりたい。
来世では恋をしたい。まともで穏やかな人になって、自分は人ではないんやから結婚する権利なんて〜〜とか一欠片も考えないまま、普通に、ふつうに生きたい。欲を言えば、教育に携わる人になりたい。ほんま教育がおクソのこの国をッッッ!!変えたイーーーイイーッアアーーーーーンッ!!!命がけデーーエエーーーッ!!!!
という言説を見たけど、ものすごく癖の強い歌い方ってだけで下手だと思った事はなかった。
私は多分世代では無いけど親がCDを持っていたし、小さい頃は輪舞曲やまちぶせが好きでカラオケでいっぱい歌ったし、魔女の宅急便の歌も学校で歌わされた卒業写真も繰り返したくさん聞いた。
正直「ひっでえ歌声だな。誰だよ歌ってるの」っていう第一印象。
私だってそんな耳の良い方でも歌の上手い方でもないけど。それがユーミンだったのが本当にただただ悲しくなってしまった。
彼女だったと知ってから曲を聞き返したら確かに歌い方に面影を感じたのが余計に辛かった。
ファンでは無かったからもうずうっと彼女の新しい歌を聞いていなかったけど、この感じはいつからなんだろう。
あの外国の楽器ような柔らかくて凛とした可愛らしい歌声はなくなってしまっていた。
声帯は筋肉だから、人生を重ねていけばいつかは衰えてしまうのは仕方ない。
仕方はないけれど悲しいものは悲しい。