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はてなキーワード: 年俸制とは

2021-12-25

anond:20211225190214

その前に、年俸制新卒一括採用の関連性について突っ込めよ!

anond:20211225183450

これ正社員正社員でも年俸制に転換したらええって話になる気がする

スキル重視になるにつれてそういう変化があるとええなあ

2021-11-28

anond:20211128093728

年俸制で、高い給料にして雇って、

失業保険も充実した社会

なら、君の言う派遣推進は、違うんでない?

経団連会長の経歴を見よ。

2021-09-10

anond:20210906231221

どこでそういう妄想を得るに至ったの?

給与

Amazonでは、給与について「トータルコンペンセーション」という考え方をもっています。これは、基本給に加え、各種手当などを含めた総報酬にて管理するということです。また、貢献度に応じた実力主義報酬体系(個人の業績だけでなく、チームへの貢献度や周囲への影響度も含めたトータルな実力を評価)としています

月額基本給:354,584円以上(年俸制12分割支給

基本給には、月70時間時間外労働手当に相当する時間外労働手当、深夜勤務手当、法定休日勤務手当分(固定残業代)が含まれている。

ただし70時間分を超える時間外労働手当、深夜勤務手当、法定休日勤務手当(固定残業代)についての割増賃金は追加で支給

基本給が月額354,584円の場合、固定残業代の額は月額125,358円であり、固定残業代を含まない基本給の額は229,226である

※諸条件により異なります

※別途、株式、サイニングボーナス付与

 

AWSマネージャー職じゃないサポートとかなら500〜750万くらいだと思うぞ

もちろん中途な新卒じゃない

2021-07-02

鳴らない電話・・・・来ないメール

うちの会社アナログからデジタルシフトしてきて,IT人材募集しているが,

PMをやった経験ある人募集している。

しかし,問い合わせの電話メールも少ないし・・・

いざ応募となると全く反応がない・・・

給与年俸制で,保有するスキル経験能力により優遇 相談により決定

とあるけど,だいたい年俸を聞いて全員二度と電話してこない・・・年俸低すぎる・・・

そもそも相場がわかっていない・・・

転職してしまったSEが作ったアプリ会社では当たり前のように使っているけど

外注したら数百万はするんだぜ。

中途で入ったからといって雑に扱った結果だよなー

2021-06-03

anond:20210603010623

派遣問題点は、厚生年金とぎれる、容易に短期で頻繁に失業者になる、なのに政府派遣用の失業保険法整備がない、解雇予告手当もない等々

なら派遣で雇うなら最低賃金の二倍のルールでも足りないくらいひどいシステムになってる。

契約社員までだと思う。ある程度生活するには。しかも高い年俸制の。それでも短いくらい。

しか企業負担は、そんな少なくない。

派遣会社がごっそり持っていく。何のメリットもない。

2021-02-11

続々:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

匿名自分ログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。

長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。

投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、

たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文ありがとう

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210130001953

続:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

これらの続きです。

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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。

最初現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。

結婚した話◯

何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から

30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。

この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。

何せ30歳を越えてからは同じ趣味おっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。

20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続テレホタイムでのネトゲ自分ゴールデンタイムであり、息抜き時間だった。

時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間人生搾取だ。

嫁は異業種の人で、友人のボカロPファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。

ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日スーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。

ボカロPライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。

30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間精神的な余裕が出来、人との交流が生まれライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。

国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)

自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブ意見を聞くことも少なくは無かった。

若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SES増田は一度は言われたことがあるだろう。

世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。

一般派遣請負資本金

普通一般派遣請負派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社現場リーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。

ところが、一般派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社請負の道を選ぶしかない。

そうすると複数人現場に行き、自社のリーダー仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。

さらに、大手大手子会社取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。

資本が少ない会社資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負営業が◯◯社経由しろという場合利権癒着場合もあるのだろう。

勿論お願いしやす会社という場合もあると思うが。

新人教育を受けれなかった話◯

新人の時、パワハラ教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。

炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソースからRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピー制作。分厚いバインダーに綴じた。

印刷コピーで休憩もせず毎日終電生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。

要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である

その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)

この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合現場の某SIトップになっていた。プロジェクト雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。

印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラム修行に出してもらえる事になった。

新規開発のプロジェクトであるプログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社PMと、更なる下請け構成されていた。

現場リーダー下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。

自社の営業初日に来て「この子よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。

何を聞いても露骨悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。

流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドア大事なので全駅に付けて欲しい。

救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。

ある時、私が書いたプログラムメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PM判断半年プロジェクトを出ることになってしまった。

2つ目の現場で早速クビを経験した。

もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造人生経験値が足りなかった。

多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。

請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社募集要項にも新人教育バッチリと書いてある。

その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。

社会人としての新生活での不安技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったもの品質不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃん相談出来る人も現場に居ないのである

技術的な所は勿論、精神的なケア必要な時期だと思うのだが、このような体験20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。

インターネットさえあれば、プログラムは書くことが出来る。

ただ、新人が伸びる為に必要なのは経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコード信頼性担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。

なによりバグを出してリーダーPM顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。

余談だが、最初教育担当パワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社倒産後、上位請の会社転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。

約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。

派遣会社の自社忘年会

社会人1年目の忘年会ゲイショーパブ観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生ファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。

二次会は無く、特に他の社員との交流も無く忘年会解散

知人もなく上京してきた為、他の社員交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブ観劇社長要望だったのだ。

そして、普通居酒屋特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。

自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者全然楽しそうではないのだ。

普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。

「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。

その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコールノンアルコール飲料テイクアウト料理を用意し、16時開始、17から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。

子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆ど17から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。

何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間立ち飲み椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。

理不尽アイデアにブチ切れる〇

基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトメモリ初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。

そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。

指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。

これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテラン参加者達。

「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」

メモリですが、皆さんが普段変数宣言mallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリアドレスなのはご存知ですか?」

「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」

物理メモリアクセスするにはカーネルプログラミング必要になります

メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さら仮想メモリ物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」

ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタク早口説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。

もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。

私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。

「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。

一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、

増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。

MPHPと色々なものを失い、平和を保つことが出来た。

正直、高い技術必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSGitHubも触ったことのない私があえていおう。

最初エントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらvi青空文庫アマチュア小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。

今であればダメ理由説明しますので、別途時間を頂けますか?くらいは言えるはず。若さである40歳位の頃の話だが。

次回、起業の話で終わろうと思います

2021-01-30

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。

皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。

人は暇なとき、意外とディレクトリをめぐる旅をするものだ。

仕事でとうとうGitHubすら使わずプログラマ人生を終えてしまった。

レガシー技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。

年収20代後半からは550万~700万位だった。残業代退職金は無く交通費は出ない。

所属会社営業事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社運営必要金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。

仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社所属にしているだけの所だった。

私はやる気が無いプログラマだった。オフ時間プログラム勉強したことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。

ニート高卒45歳。多重派遣底辺プログラマ退職エントリ

はてなIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。

好きなんですね。この業界が。日本ITは今後も安泰だ。

◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣SESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。

技術勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。

足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。

45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。

退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。

C/C++Java・各種Shell・VB/VBA・SQLUNIX/LinuxWindowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。

苦手なのはプログラムより仕様理解だった。

ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京からあったのだ。

人並以上の理解をしていたのはLinux構造くらい。仕事カーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。

全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社営業に売りに出されることはままあった。

現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。

解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。

仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。

30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。

それと同時にここ10~15年はブラックIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。

ライブイベントにも足を運べるようになり、推し投資が出来るようになった。

おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。

あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。

あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。

でも急に仕事がつまらなくなったのだ。だから辞めた。

最後になったプロジェクトのこと。

リーダーが毎朝9時に朝会を開き、進捗を聴く

・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない

・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる

仕事タスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論

・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる

・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。

と、毎朝そんな問答を繰り返していた。

今までは流していたこの程度のパワハラが嫌になった。

改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。

そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。

子供も数年前に生まれ子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。

そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。

今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。

3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽パワハラには事欠かなかった。

理不尽の例1)

まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。

セキュリティがゆるゆるだった20年以上前の話である

TVCMもよく見る有名システムとある現場

フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PG新人のK君に与えられた。何度も。

かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業ID使用して黙ってシステム更新するというのを繰り返し行った。

今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。

ある時、K君が想像以上にアホだった事で事件もおきた。

テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピー検査員に見せつけたのだ。

だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。

今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。

理不尽の例2)

大手家電メーカー工場仕事をした時、プログラム仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。

工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイ工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。

この現場は電機メーカーIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。

何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?

入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。

これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。

入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。

結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。

さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。

1週間の仕事金曜日納品なのに、木曜日夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。

私の抜けた後、E社の別な人間担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分スキルでは本当にギリギリだった。危なかった。

パワハラ1)

高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。

その後、大手新聞社オペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。

教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数理解していなかった。

その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。

文科省認定専門学校情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIer商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。

アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。

就職氷河期の真っ最中地方中核都市就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。

会社からは15万円の引っ越し資金けが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。

親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原石丸電気家財一式を買って貰った。

SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。

派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。

私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。

ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。

親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたとき絶望感は大きかった。

地下鉄ホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。

知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。

あと、駅のホームドアは大事だ。全駅につけてくれ。

それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。

パワハラ2)

とある家電の開発ツール担当していた時だった。

その家電TronからLinuxOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアシミュレーター新規開発となった。

Linuxカーネルプログラミング必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリー洋書現在日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。

英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。

私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員Linux上でC言語仕事したことがある。くらいの人員が集められたのだ。

単価が安い人しか使ってはいけないというルール運用されていたらしい。

開発ツールの開発の遅れはプロジェクト全体の遅延に繋がった。

苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロア大人数の前でこう叱った。

「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」

中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである

月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。

徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。

何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。

精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。

大卒の育ちの良い中国派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。

(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)

彼らのような有益人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。

余談だが、この糞忙しい間に所属会社がいきなり倒産した。

私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。

自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。

そして、翌週、中間会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである

結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、

当時の私には多い金額に思えていたものの、都内フリー技術者としては当然低すぎる金額であった。

忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額契約させられたのだった。

みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。

賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。

余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。

国産OStron携帯電話世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話OSLinuxSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。

他にも

「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社搾取し、私には全く反映されない話」

野田ドモホルンリンクルバイトのように円高注視し続けた時、円高オフショアブームで単価が2年で2回減った話」

中間会社オフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場インフルで倒れた振りをして休んだ話」

「5000円の著作権フリー音源システム使用するのに数百万かかった話」

メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」

メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法提示され、阻止した話」

「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」

入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」

無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬生活リズムを取り返した話」

同人活動職場にバレて地獄を見た話」

大手会社コンプライアンス啓蒙画像著作権違反を発見した話」

「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」

「某銀行の開発子会社美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」

などなど考えていたが長くなったので終わり。

多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。

以前いたプロジェクトの有名SI企業PMSES上がりの元寿司職人だった。

SES就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職大手大手子会社転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。

SES会社玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣改善されてほしいが。

何が書きたかったのか忘れたし飽きた。

業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。

追記:続編を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

2020-12-18

anond:20201218224844

おめでとうございます

20代で役ついてた人、土日も出勤してたよ。年俸制って責任重いんだね💦

2020-12-05

anond:20201204130727

年俸制会社しか務めたことないか

年収xxx万円ならボーナス夏冬計4ヶ月分でoo万円貰えますねって感覚が心底わからない。

2020-12-01

anond:20201201123337

年俸制ではないよ 夏冬には賞与もでる

額面のところから税金やら社宅費やら持株会やら生命保険料やら引かれたら30万円くらいしかないんや

2020-11-26

anond:20201126014832

東京住まい一部上場IT業だけど40代残業代抜きの年収500万だぞ

うちが雇ってる3次受け以下だと年俸制400万台とかもザラ

2020-11-06

anond:20201106163904

俺のやってる会社小さいけど年俸制年収1000万円出せるで?

2020-11-05

給料が良ければ良い人材が集まる

誰か経験不問で年収1000万円出すけどうちの会社くるやつおらん?

なお年俸制で1500万円以上の利益会社に与えられることが条件ね

2020-09-04

在宅勤務を進めていくには裁量労働にしないと成り立たない

(極論すると在宅勤務者の労働時間なんて管理できない)

裁量労働にするなら年俸制にしないと成り立たない

裁量労働なのに同一賃金では仕事をしない人が得になってしまう)

年俸制にするということは定期昇進をやめないと成り立たない

(定期昇進では年俸格差が生まれない)

定期昇進をやめるということは中途採用前提でないと成り立たない

人材流動性高まるので必要人材はほかから取ってくることになる)

中途採用前提ということは今の無能上司群は出世できない

なので在宅勤務が進まない

2020-07-20

仕事って大変だよな

面白くない仕事をしている。


お金のために働くだけだと、毎日自分に言い聞かせてパソコンに向かう。

クリエイター業で働いて、顧客から依頼されたもの製造するだけの仕事

モチベーションは常に低空飛行で、2〜3年に1,2度興味ある分野の案件があったりするくらいだ。


思えば、社会は8割は面白くない仕事で回っているのかもしれない。

好きが仕事になるってかなり幸福に見えるかもしれないが好きなものの中にも嫌なコトって必ずあって、仕事にすると実際嫌いがほとんどで。

大人は大変なんだな、と嘆きながら生きている。


私の親は日本での学がなく、満足な読み書きもできず、1人は少ししか日本語を話せない。

したがって、就ける職が絞られる。実際父親派遣の工員をしていて、母はレーンでの作業員をしている。給料はびっくりするほど低い。

具体的にお互い手取り20万に届かないくらいだ。

残業による手当が命綱だ。


残業は、命を削って得るもので、母は毎日4時間ほど残業をしてやっと23,4万得られるらしい。体は、ボロボロだ。

(これは年老いてきた近年で、景気がマシだった頃は30万前後だったと聞いている。とはいえ、基本給は約5万下がった程度だと聞いている。)


私は幸いなことに奨学金専門学校へ進学できたが、入学金を自力で用意できず銀行に借りた。

就職活動の時は、親の給料以上必ず稼ぎ、好きなことで生きていくぞと輝いていた。

青かった。どこまでも青二才だった。


ほんとうに私はどこまでも幸運で、勉強ができて資格もあって、それなりのコミュニケーション能力と、底抜けの明るさが持ち味だったので一部上場企業就職先に選べた。


就活はあっさり終わった。ほぼほぼ人生楽勝モードだと思った。


問題はその後だった。

奨学金の返済で月に2万は搾取される。家賃光熱費ペット養育費...エトセトラエトセトラ給料は良かったが、高い物価と遊ぶ場合は必ず金をかける必要がある都会で心細かった。


会社残業代のない年俸制軍隊研修をなんとか乗り越え、胃痛を抱えながら配属先が決まった。優秀だ優秀だと持ち上げられ、しかし知らないことはたくさんあるので失敗すればそんなことも知らないでやっていたのか、と驚かれる。秒数億円が動くのシステム保守。1コマンドサーバを停止させてしまうような仕事だった。先輩6人に囲まれていたが年齢が一番近い人でも8歳ほど違った。

教育らしい教育は、同じ時期に入った中途の人がしてくれた。もちろん中途の人も仕事を絶賛覚え中だった。

能動的に学ばなければいけない、止まることは許されない、間違いも許されない、私は優秀だ、社内の情勢が見えてきたら、政治にも巻き込まれたりして不要人間関係の悩みも受けた。

デスクにいたくなくて、禁煙していたタバコを吸い始めた。


親元からかなり離れ都会で精神も削れる所まで削れ、土日は酒浸り、酒がないと眠れなくなっていた。23前後帰宅時は24hスーパーに寄って、枝豆ウィンナーと酒を買い、それが夕食だった。就寝前に風呂に入る時間はとらず、睡眠に充てた。

朝はギリギリまで寝て、10分で風呂に入りそのまま出社。

気がつけば、ドアノブに手を触れただけで泣き崩れるようになっていた。その日は会社を休んだ。

翌日、出社した。

会社にいたくなくて、立ち食いそば屋ギリギリまでご飯を食べた。そこに、同期がいた。残業代出ないのつらいよなーとか、またみんなで飲みにでも行きたいなーとか他愛無い会話をした。

私は、肌寒い時期に、冷たい蕎麦をすすっていた。


入社して半年以上、気がつけば11月。親から電話がきた。LINE通話じゃなく、電話だった。LINEは長いことスルーしていた。


しんどいなら、帰っておいで


優しくそう言われたあの日、泣きながらうなづくしかなかった。

その日は、ワインを1瓶開けた日曜日の午前中だった。

はっきりと覚えている。


1ヶ月後、年をまたぐ前には実家に帰っていた。


その時キラキラした自分はいなかった。


実家に帰って真っ先にしたことは、禁煙。その後、お酒を控えるようにした。

睡眠の質は驚くほど解決していった。

胃痛は、消えていた。


数ヶ月ほど休んで、地元再就職した。

この業種自体は好きだったし、早く働いて自分の金が欲しかった。

さな会社だった。ここも教育は行き届いていなかったが、自由はあった。

自分の思う最強のシステムを作ることが許されていたし、管理自分に全て任されていたので、やりたいことを全てやった。

案件は人数で割れないほどきていたし、毎週レベルシステム製造見積もり作成していた。忙しさは最初会社の8割くらいという感じだろうか。

私は全て乗り切った。小さな問題は起こしても大きな問題は何一つ起こさなかったどころか、火消役としてあちこち案件に引っ張りだこだった。


問題はそれを誰も評価してくれないことだった。同僚は自分評価していたが、それが上に伝わることはなかった。全然なかった。

あるいは、伝わっていたが無視されたのかもしれない。


私の額面給料は21万円だった。リーダをしていた人でさえ32万だった(給料明細を見せ合いっこした)

3人のメンバーを抱えてリーダーをするようになっていたし、新人教育も私だけが力を入れていた。全ての質問に根強く答え、新人の空いた時間にする課題を出したりもした。

会社PCの注文や備品管理、整理、不便な部分のヒアリング解決を何度も繰り返した。

社内環境改善と受注開発の案件、どちらもやっていた。


上に働きをアピールした。給料には反映されなかった。

ひどい低賃金で結局、3年弱働いてやめた。


こうして、晴れてフリーランスになったのだ。

付き合う会社仕事は選べるし、自分のペースで自分責任で、自分のやりたいことができる。評価お金で返ってくる。

私にはすごくあっていた。

幸にしてコネもいくつかあったし、コネコネを呼び、仕事には事欠かなかった。15〜20日程度働いて、月35万前後稼いでいた。


それでも、波はあるもので、いつも不安になっていた。

2年が過ぎた頃、主要取引先となっていた会社倒産した。

未払金80万。私は血の気が引く音が聞こえた。



いろいろを経て借金をせずになんとか過ごしたが、安定を欲して、

また正社員になろうと思った。


完全在宅で働けて、受注系の開発で、評価制度が分かりやす会社が良かった。


履歴書職務経歴書登録していたサイトから、全て叶った会社からオファーをもらった。

給料も良かった。具体的には、残業代が出るのが良かった。


残業は月に30時間ある月もあるが、お金が出るからやる気がすごかった。

残業を減らそうと色々なフローに案を出した。新参者がいろいろ言っているなと思われただろうが、ここら辺は上司への根回しやあんの提出の仕方でなんとかなった。

しかもこれが、評価をされた。入社して半年後の査定給料が上がった。3万も上がった。


開発業務自体は大して興味なかった分野が割り振られたが、会社フォローが手厚く、やりたくないがやり切れている謎だった。

ストレスはあるが胃痛がするほどではない。正常範囲なのか、自分が慣れてしまったのかはわからない。


やりたくない仕事だけど、金払いがいい。


この仕事なら、続けられる気がした。

何故だろうと不思議だった。

社会人5年目位程度の若造の言うことを真摯に聞いてくれるからだろうか。

上司が下の様子をしっかり把握しているからだろうか。

困っていることを部門全体で解決してくれようと動いてくれるからだろうか。

金払いがいいからだろうか。


からないけれど、基本的に社内に敵がいないことも大きかった。

仕事終わりや休みの日の精神はとても安らいでいた。少し愚痴を話しておしまいだった。


面白くないけど、しんどくない。

やりたくないことだけど、その中でやりたいことを見つけられる実施できる。


疲れたり、めんどくさい時だってあるけど、評価とその結果のお金で返ってくる。

私は今幸せなんだなと実感した。


全ての社会人が、こういう仕事をできればいいなと切に思う。

面白くなくたって、自分自分の周りの人の負荷になっていなければきっとそれでいいんだ。


面白くない仕事からこそお金をもらっているのかもしれない。

やりたくない仕事からこそお金をもらってやっているのかもしれない。


さあ、もうすぐ連休だ。

明日を生き抜け、やりたくないけど、仕事仕事

2020-05-30

anond:20200530171932

いや総額で比較すべきしょ。

総額で公務員待遇中小企業より良すぎる。

あとネオリベはやたら年俸制かいうけど、年俸制税金の分損するだけだよ。

2020-05-14

anond:20200514082905

嘘松

年俸制くらい正しい字で掛けないヤツに年俸払うヤツ居らんやろ

親のスネかじっているだけなのにプププ

2020-05-07

プロマネからソフトウェアエンジニア転職して1ヶ月がたった

SIerで主にインフラ向けのプロマネをやっていたが、コロナ直前に転職をして4月から自社サービスソフトウェアエンジニアとして働いている。

こういう業界仕事の進め方は、噂には聞いていたがやはり実際に働くと驚きの連続だ。


まずマシン10万円のHPWindowsマシンから30万円のMacbook Proになった。

無駄セキュリティソフトもなく、メモリも4倍に増えて非常に快適。

また予算管理発注先の尻拭いをしなくてよくなった。そもそも発注先なんてものがない。

給料年俸制ボーナスになり、年俸だけで月額83万ほどもらえるそう。ただし翌月払なので今月は0。


ただ悪いところもある。会社へのアクセスが非常に悪い。元々は品川駅であったためJRならどの路線でも行けたのだが、

六本木ヒルズはなんであんな変なところに作ってしまったのか。せめてJRの止まる駅にしてほしかった。

ただ最近リモートワークのためそこまでストレスではない。

また社内ではほぼ英語のためストレスたまるSlackで会話してる分にはいいのだがZoom会議はきつい。


あとなんと言っても給料だが、SIer時代は1100万ぐらいもらっていたためボーナスが不調なら100万ぐらい

年収が落ちたことになる。おそらくコロナに加え元々業績が厳しかたこともあり今年は寸志しかでないだろうと言われている。

景気が良くなれば前職よりは増えそうだが、いつになることやら。


まあ色々と一長一短はあるが、新しい環境を楽しみたい。

2020-04-01

同一労働同一賃金で報われた話

今月から同一労働同一賃金

特に何もしてないのに恩恵を受けて給料が大幅にアップしたので驚いてる

 

氷河期世代だってのもあるけど、落ちまくる就職活動ってのをどうしてもしたくなくて派遣社員技術系)として長年働いてきた

 

気をつけてたのは、同じ派遣会社からの紹介される仕事を受けるって事

有給休暇MAXで欲しかたからね

そして基本は自分から辞めないで契約満了になるまで働く(次を探して貰いやすい)

これをずーっとずーっとの繰り返してた

 

そしたら2年前に契約社員になるチャンスが来て派遣元準社員みたいな形になれた

年俸制になって交通費も貰える夏休みとかも貰える事になった

これだけでもかなり良かったんだけど、さらに今回、同一労働同一賃金恩恵を受けられた

いいのかなこんなにお給料上がって

業務内容とか何も変わらないのに

 

時給とか待遇が気に食わないからって派遣元変えたり、コロコロジョブホッパーしてた派遣らが恩恵を受けられないーってブツブツ文句言ってるのはチャンチャラおかし

だってこっちはずうっとコツコツ10年以上やってきてたんだよ

今度から給料日が楽しみだ

2020-03-13

anond:20200313210340

年俸制職場人知ってるけど、責任あるから家に帰れない、

会社の近くのカプセル連泊のデスマーチ三昧してて、大変そうでしたよ。

年俸制度の会社に勤めようか悩んでる

残業嫌だし効率良くやって帰るみたいな風土に憧れる。

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