はてなキーワード: 安産とは
フェミがいう理屈は男女反転させる理屈はだいたいあってるとおもうんだが
男がいう理屈をフェミが反転させるとなんかしらんけど無理筋なのが多いよね。
特にきになるのがこれ。
今の男が股間を強調した服着てるか?女はいちいち股間みるか? 見ないだろ?
男のセクシーアピールが股間ってまじでシティーハンターが最後くらいじゃねえの?あれだってギャグだったよな。
じゃあ全然対比になってないじゃん。なんでそんなアタリマエのことがわからないの? 馬鹿なの?死ぬの?
男の股間に対比されうるとしたらそれはま○ことか尻だろ。
なのに、なんで胸と股間を比較しようとすんの? 馬鹿なの?死ねばいいのに。
いやほんとに。 女性の胸と股間を対比しようとするフェミさん、馬鹿じゃないの?
30過ぎ独身の女です
ここでは私がなぜ結婚しないのかはっきりさせていきたいと思います
飲み屋にいけばナンパされますし、何度も年下のイケメンとOneNightLiveを経験してきました(ヤリマンではありません)
② やる気がないわけではない
一部の人は「結婚は気合だ、やる気がないから結婚できないんだ」といいます
1人で海外へ行ったり、好きなブランドの服をカード限度額まで買ったりすることはできなくなります
家事洗濯もしなくてはならず、窮屈でつまらない人生が待っているのかもしれません
しかし、私は決してそれらがいやだから結婚しないわけではありません
その気になれば物欲を断ち切り家政婦のごとく家事をこなすことは赤子の手をひねるようなものです
私が結婚しないのは 自分のキャリアを突き詰めたいからなのです
まだ年収350万円ほどですがちかいしょうらい管理職となり、まあ600万くらいにはしたいですね
無理かもしんないけど
以前、精液検査して無精子症と診断されたから手術した話(anond:20160617191024)を書いた増田だけど、元増田の記事がホッテントリしてるのがとても嬉しい。私も検査へのハードルが少しでも下がればと願ってやまない。
私の場合は半年頑張っても出来なかったので、男性不妊に強いクリニックに行くことにした。奥さんよりも先に病院に行くことにしたんだけど、男性の方が検査が簡単って聞いてたのと、何となく自分に原因があるんじゃないかと思ったので行くことにした。自慢じゃないけど奥さん安産型だし、生理とても定期的で何なら人よりも周期長いし、重くもないし、見た目若い。対する私はタバコ吸ってるし、おたふく風邪を大学でやってるし、親が高齢出産だし。ってことで行ってきたわけ。
初診では問診と採血だけして、2回目に精液検査した。私の場合はきちんと「次回精液検査するから、禁欲期間を3日から1週間程度にして来てね」って言われた。
不妊に強いクリニックだったので、きちんと採精室は設けられていたし、本もDVDも用意されてた。カップに出すのが大変だったけれど、無事やりきって、精子の入ったカップは看護師さんに手渡しした。
ないって告げられてから、家に帰るまで自然と泣いてしまったんだけど、今思えば、元増田が言うようなショックを受けていたのかもしれない。その時は、不妊治療の出費痛いなあとか、「あなたの旦那は不能でした」とか夫から告げられるのはどう考えても辛いし、場合によっては離婚事由にだってなりうるなあ、ただ、なんで俺がという理不尽さに打ちひしがれる思いよりかは、そんなこともあるかもなあと思って逃げたり、納得しようとしていたりしたと思っていたのだけれど。
家に帰って、奥さんに説明したらやっぱり泣かれたんだけれど、すぐに治療を前向きに考えてくれたのが、本当に嬉しかったし、救われたのを鮮明に覚えている。
3回目の診療で遺伝子検査では異常なかったので、まったくの0か、管がつまっていたり、生産量が少なかったりで射精では出てこないのかは手術しないとわからないと言われて手術に踏み切った。手術は局所麻酔でやって、股の付け根に麻酔を打たれ激痛に苦しんだものの、その後は順調で、局部麻酔なので何やっているかが全部聞こえてくるし、普通に医師に声かけられた。私の場合は幸いなことに右を切っただけで無事採精できて、手術も1時間程度で終わった。
嬉しかったよりもホッとしたのをよく覚えている。これも「自分の男性性が否定されなかった」ということを無意識のうちに感じたのかも知れない。
その後、奥さんの治療の方に移って、時系列だけ書くと卵を増やすのにホルモン調整→誘発剤→全身麻酔で摘出→卵を培養する→俺の精子溶かして入れる→培養する→ある程度まで大きくして凍結→戻す→経過観察。しめて3ヶ月。これがすこぶる順調に進んで、結局、自分が無精子症と診断されてから1年3ヶ月で娘が生まれることになった。多分無精子症と診断されてからほぼ最速ペースだと思う。
今はとにもかくにも幸せです。
なお、諸経費だが、自分の手術料金は前金で34万円、とりあえずは全額自費。また、奥さんの治療、妊娠まで、診察、処置、投薬合わせて70万近くかかった。この内、国の助成で45万、市の助成で10万、補助された。したがって、自費は45万。さらに3万円の医療費控除を受けられた。つまり妊娠までざっと100万円かかって、そのうち半分ぐらいが返ってくるので、元増田も含めて今後の家計運営にお役立てください。
また思い出したら追記する。
タイトルのとおりなんだけど
彼女は黒木華に似ているのでここでは華ちゃんって呼ぶことにする。
華ちゃんはうんちがいっぱい出るらしい
大きい方は2回に分けるらしい
何回か見せてもらったんだけど、60cmくらいのソレが
気になってしまった。そしてノリでお願いしてみたわけ
なんでそんなにでるんだよw今度目の前でだして見せてよって
最初はやだよ恥かしいって言われたけど
ことあるたんびにマジな感じでお願いしてたら、ついに折れたみたいで
細目の華ちゃんが目をまんまるにして「本当に見たいの?」
なんて聞いてくるから僕は二つ返事で頷いた。
大人しそうな顔とは裏腹に身長170、お尻が100センチ近く?の寸胴で安産型。
その大きな体を動かすためか僕の二倍くらい、いや下手したら三倍くらい。朝からご飯三杯とかほんとうによく食べる。
それに加えて、一般の人より腸が長いとかなんとか(医者にすこし驚かれたらしい)。まさに快便の申し子?
食費にすごく持っていかれるけど、ご飯を食べてる時の華ちゃんは
僕は華ちゃんにうんちを見せてもらう代わりに焼肉をたらふく奢ることにした。
華ちゃんが遠征でハワイに行って帰ってきてからなかなか時間も取れなくて
何かしてあげることもなかったのでいいタイミングだったかもしれない。
せっかくなので、華ちゃんには申し訳ないけど大食いの効果を見たくて
一日大きい方を我慢してもらった。(消化には24時間かかるらしいので)
土曜の朝に起きた頃になると嘘のようにすっかり引っ込んでいた。
噛み砕かれてすり潰されて胃で溶かされたあと、腸でこねくりまわされて
栄養を吸い尽くされるなんて、まあいつものことなのかもしれなけど
考えれば考えるほど何とも言えない気持ちになる。
毎食後に当たり前のように催す華ちゃん。朝食後が一番きついらしい。
なぞの負けん気で夜まで我慢したけど、30分おきにおならをしてて
夜になるにつれ悪臭だけのすかしっぺをぷしゅ..ぷしゅっと。よく頑張った華ちゃん。
そして日曜の朝、華ちゃんのお腹はうっすら腹筋が見えるほど、そんなには出てないけど
苦しいみたいけど起きたほんの直後は催してないみたい。
朝食を手につけ何分かすると華ちゃんの手が止まった。
それと同時にぎゅううううううというすごい音が華ちゃんのお腹から響く。
「ああああやばいやばいやばい出そうだわ」なんてそわそわして言う。
僕は苦しそうな華ちゃんの下腹部に手を当てると、腸がうねうねと蠕動してるのが手に伝わった。
留まることを知らない華ちゃんのおなか。
納豆の強烈な匂いに刺激されて、胃腸が全力で動き出した様だった
今まさに朝食を消化を始めようという時に下半身では一晩置かれたうんちが邪魔している状態だろう
僕はリビングの壁際に昨晩敷いておいた新聞紙とその上のペットシートに
自宅のトイレは絶対詰まるし狭い。華ちゃんには思いっきり出してほしいし僕はそれを見たかった。
その間に華ちゃんにはおしっこだけ出してもらった。(飛び散りそうだったのでw)
華ちゃんは上はブラだけ下半身すっぽんぽんのままトイレから出てくると椅子に片足づつ乗せてしゃがみ込む。
朝の日差しがまだ眩しいなか、完璧なうんこ座り、ウンチングスタイルの華ちゃん。
目の前でむき出しになった100センチ近いお尻は日焼けで見事な白と褐色のツートンカラーになっていた。
まるで皮を剥きかけた巨大な桃だった。
その大きな桃と身長を支える鍛え上げられた足腰はサーブを打つのでもレシーブを受けるのでもなく
僕のためにうんちを排泄しようとしている。
華ちゃんと一週間近く致してなかった僕はその身体を見ただけであたまがいっぱいいっぱいになってきた、
おそるおそる桃の下部中心を覗きこむと肛門様のお出まし。、華ちゃんのお尻の穴をまじめにちゃんと
見たことがなかった僕は大きいお尻の奥にこんな窄まりがある事自体意識してなかった。
奥の茂みとは対象的にほぼ産毛に囲まれた感じの色素沈着した薄ピンクのそれはエロ漫画とかネットで見た画像で見たより
遥かに皺の数が多く、分厚い気がした。遺伝なのか快便に鍛えられたのかはわからないけど。僕が華ちゃんのお尻に見とれているのもつかの間、
「そんなにじろじろ見ないでよ、出すよ」という声が聞こえてきて僕はお尻に返事をしてしまった。
華ちゃんがいよいよ力み始めると奥ゆかしく窄まってた肛門がレンズの絞りを開放するかのごとく
皺が伸びていくと逆さに隆起した富士山のようになると、華ちゃんの息に合わせてまた窄まったりを繰り返す。
何度か繰り返すたうちにおちょぼ口のようになった直腸の赤みの中心をググーッと押し広げるように茶色い塊が現れる。
紛れもなくそれはうんちだった。
華ちゃんの息む声とふるえるでっかいお尻、そして肛門。僕は童心に帰ったような感覚で見ていた。
緊張してなかなか出ないのか、華ちゃんは力がさらに入るように一度しゃがみなおして、
少しつま先立ちながらまえのめりに壁に手を付くと、再びいきみ出した。
するとついにお尻からうんちの頭がにょきにょき出てきた。うんちの先端は我慢してたこともあって
水分を失ってチョコクランチのようになっていた。お尻ばかり見ているとケツだけ星人じゃないが
別の生き物のようにも見えてくる。缶コーヒーより一回り小さいくらい開いた肛門からフリスクケースの長辺
くらい硬い部分が出ると、そこから色が変わり健康的なうんちがゆっくりとズルズルと聞こえるように出始めた。
華ちゃんの大きなお尻から尻尾のように垂れ下がり始めた立派なうんちは、表面がつるつるしていて不思議と汚さより気品があった。
苦しそうだった華ちゃんの表情も和らぎ始め、本当に気持ちよさそうだ。
しかし力いっぱい引っ張られた弓のように張り詰めた腹筋と震えるお尻は
うんちを押し出すために物凄いエネルギーを使ってるんだという感じだった。
華ちゃんのいきむ声が強くなるとお腹が少し凹み、お尻の張りが増すように全身で呼吸してるような感じ。
椅子の高さが50センチ以上あるのに華ちゃんのお尻からでた繊維が手綱のようになった
うんちはついにペットシートに着地してもなお出続け、60センチほどの大蛇を産み落としたあと
ズサッという音とともについに切れ落ちた。
華ちゃんの肛門はぱっくり口を開けたままゆっくり窄まりにもどっていく。
と思いきやけたたましい爆音がギャグ漫画さながらブウウウッ!!と響き渡る。
栓をされ溜まっていたおならが一気に放出されのと同時にうんちにほぐされた腸が震えているようだった。華ちゃんは顔真っ赤。
いっぱいでたね、すっきりした?と聞くと華ちゃんは「まだ残ってるみたい・・・」と表情を曇らせる
僕は華ちゃんのお腹を円を描くようにマッサージしてあげると返事をするかのようにくぐもったお腹の音と申し訳なそうなすかしっぺがでた
相変わらず顔は赤いけど華ちゃんは嬉しそうだった。何分かしてると華ちゃん「おーきたきたきた、出そう」と言って再びしゃがみ直すと、
また力みだす。華ちゃんのお腹を擦ってる僕の手がぐぐっと収縮する腹筋を感じた。
みたび、いや何度目かのずっと見ていたくなるような肛門の収縮。今度はスムーズだった。
さっき出した一本目のうんちは繊維がぎっしりで重みのあるまさにうんち、一本糞wといった感じで
二本目は太さは同じくらいだったけど柔らかめで黄土色がかってた上、臭いが強烈。(やわいから?)
多分できたてホヤホヤのさっき固まったうんちという感じだった。
柔らかくスピードのあるその新人はぎゅううぅというすかしっぺと相まって、ゆっくり姿を現す気迫のある一本目とは裏腹に、
そこはかとなく下品な破裂音で直腸を滑り降りては、さっき出したうんちに積み重なっていく。
最初の羞恥心なんて屁と一緒に飛んでいったのか恍惚の表情で色っぽい声で息む華ちゃん。
しかし二本目だと言うのに相変わらずの大量だ。でる途中で何度か切れたが少なくとも60センチ近くあったように
思える。
キレがいいのかほとんど拭く必要もないお尻を何度かティッシュで拭いた華ちゃんは
出し切った達成感か、ご満悦の様子。すごい、ほんとうにすごかった。
山盛りになった華ちゃんのうんちは新聞紙ごと丸めて家庭ごみに捨てた。
その後ファブリーズを死ぬほど使ってにおいを消したけど。さっきまで華ちゃんのお腹にあったものだと考えると
なんか不思議な感じ。
私も同じようなことで悩んでいます。こどもは一歳7カ月。妊娠中出産産後と悶々として不眠になって半年くらいカウンセリングに通ってたました。最終的に全く違う趣味を見つけてやっと光が見えたところです。
私の場合、産前産後がんばって趣味に噛り付いて、私の生き甲斐はコレしかないんや!ってやってたら全然つまんなかったんです。アレおかしいなって思って無理してやってたら仲間とトラブって一気に冷めちゃいました。
ツワリという事は妊娠初期だと思われますが、妊娠中の身体の変化と出産と産後のことで色々悩むのはしょうがないです。でも妊婦というのは女性一人一人全く違うようにひとくくりに出来ませんから、なんとも言えません。その辺が漠然とした不安もあるのではないでしょうか。
もし今妊婦健診で通院していて、大きい病院で心療内科や精神科などがあれば担当医と相談して受診してカウンセリングとか紹介してもらうと楽になるかもしれません。
あとノートを作って悩んでいる事を図に書き出すといいと思います。書いてスッキリしたとあるので、頭の中を整理すると気分が幾分か晴れるのではないでしょうか。
ほんの一瞬の出来事だった。
両親が海外旅行へ行くので、空港への送り迎えに実家へ車で向かった。玄関先に車を止めて、両親を呼びに行く。
そう言われて、数分だし、すぐに荷物積むし、と思って車の鍵をかけずに家の中へ入った。
数分後、トランクに荷物を積んで、いざ出発しようと思ったら、後部座席に置いていた私のマタニティマーク付きリュックサックが忽然と消えていた。
リュックサックは普段から持ち歩いているもので、中には財布からスマホやら免許証、保険証も入っていた。
更に、私は妊娠中で母子手帳やエコー写真も全てリュックサックの中に入れて持ち歩いていた。
一瞬で、全て無くなった。
安産祈願のお守り、健診結果、分娩予約金の控え、産科医療補償制度の申込控え、妊婦健診の助成券、その他もろもろ。全て。
私はパニックになりながら、110番通報をした。警察の人が駆けつけてくれるという。
早くしなければ飛行機の時間に間に合わないので、両親は弟の運転で車で空港へ向かった。
駆けつけると言うわりには悠長に、40分ほどかかって警官たちがやってきた。
開口一番に「はぁ、車はないんですか?」と。
「両親が空港へ行くために使っています。戻ってくるにはしばらく時間がかかります。」と気が動転しながら伝えた。
「困るんですよね、そういうの。こっちも車がないと何も出来ないんで。」と一蹴された。
私は必死に訴えた。
「車がなくてもできることはないんですか?何か少しでも手がかりを探すとか、周囲の人に話を聞くとかできませんか?」
呆れた様子で警官が「はぁ。そんなこと言われても車がないと指紋が取れないので、何もできません。こっちも一件だけに関わってられないんで帰ります。」と私の訴えを切り捨てた。
最低だ。人の話を聞く態度ではない。そう私は思った。
結局、警官たちは一人を残して帰った。残った一人に私は事情を全て話した。
調書を作成するために事細かに話をすると思いの外時間がかかり、既に盗まれてから数時間が経っていた。
両親を送り届けた弟が戻ってきた。先程帰った警官たちが戻ってきて、状況の検証を始める。
そして、「あー、これじゃあ指紋が擦れてて個人特定は無理ですね。」とあっさり言ってのけた。
指紋を取らなきゃ何も出来ないのに、指紋を取っても何も出来ないの?という言葉をすんでのところで飲み込んだ。
結局、被害届を出したが恐らく捜査はしてもらえないだろう。指紋が擦れてて役に立たないのだから。警察は指紋でしか捜査しないのだ。近所に話を聞くとか、近所の防犯カメラを確認するとか、そういったことはこちらから提案しても全く応じてもらえずに話にならなかった。警察なんて役に立たないところに連絡したせいで、被害に遭った日の午前中を無駄にした。(ついでに書いておけば、被害届の受理番号すらこちらから聞かないと教えてもらえなかった。)
その後、警察に捜査してもらえないことを悟った私は、夫と弟にリュックサックを探してもらうことにした。スマホを探す機能は、GPSをオフにしているため使えない。リモートで着信音を鳴らすことはできたため、着信音を鳴らしながら近所を探し回ってもらった。見つからない。
夜になり、無くしたものを書き出した。
ここにも全て書いておく。
診察券
財布
カード入れ
分娩予約金領収書
産科医療補償制度の申込控え
安産祈願のお守り
家の鍵
実家の鍵
これらが全て無くなった。
家の鍵はすぐに夫が取り替えた。
リュックサックは、去年のクリスマスに夫からプレゼントしてもらったものだ。妊娠中の私に負担がないように、軽いものを選んでくれた。
財布は、結婚前に夫が誕生日プレゼントとしてくれたものだ。私は財布の開きかたにこだわりがあり、苦労しながら選んでくれた。
カード入れは、職場の後輩が異動のお祝いにくれたものだ。私の好きな色を聞いて、こっそり準備してくれていた。
エコー写真にはお腹の赤ちゃんの成長が記録されている。最初は豆粒みたいなものだったのが、だんだん人の形になり、近頃は顔も分かるようになってきたところだった。
安産祈願のお守りは2つあり、1つは夫婦でお参りに行ったときのもの、1つは弟が旅行先で買ってきてくれたものだった。
全ての思い出が一瞬で手元から消えた。
次の日、免許証等の再交付をした。必要最低限のものは再交付できるが、思い出は戻ってこない。
再交付する際も、必ず事情を書かされる。その度に自分の犯した過ちの大きさに潰されそうになる。
「鍵かけなかったんですか、この辺りは車上狙いが多いんですよ。」
盗まれてから何十回、何百回も考えたことだ。あの時鍵をかけておけば、カバンを置きっぱなしにしなければ。考える度に傷が深まる。
生きている価値なんてない、そう思う。
たったリュックサックがなくなっただけ、それでも死ぬほど後悔するし、傷ついた心は死んでいく。
もし、この記事を読んでいる人で、その辺に落ちているカバンを見かけた時は、無視せずにそっと中身を確認してみてください。
大事な思い出の品が入っているときは、手間はかかりますが、交番へ持って行ってください。荷物になって持っていくのが大変であれば、交番に連絡してもらえるだけでもいいです。
軽い気持ちで車上狙い、置き引き等をする人は、相手の心を殺していることを知ってください。適当に盗んだカバンは、あなたには価値なんてなくても盗まれた人にとっては守りたいものがたくさんたくさん入っています。マタニティマークを付けているリュックサックを盗もうという気持ちは、私にはさっぱりわかりません。正直気持ち悪いです。
「軽犯罪」という呼び方をされるけど、盗まれた人からしてみれば人殺しと同罪です。心を殺されているので。
気持ちの整理のために長々書き殴りました。これを書いている今もリュックサックは見つかってません。死にたいです。
35、子宮筋腫あり、子宮内膜症あり、重度の貧血、ガリガリの瘦せ体質、妊娠するのは難しい可能性があるかも、というマイルドな所見をいただき、夫も年齢や激務から立つものも立たず、忸怩たる思いで排卵日を見送る・・・
周囲は子育て真っ盛り、子供は大好きだから、会うたびに動画や写真を見せてもらうのも嬉しいし可愛いなと思うけど、家に帰って一息ついたときに、隙間にふっと入ってくる感じ。仕事終わり、スーパーで夕飯の買い物をしているときに、かわいい盛りの子供をいとおしそうに抱っこする若いお母さんとか見るときの、胸がぎゅっと締め付けられて息苦しくなる感覚。
誰も悪くないし、だから毎日息をするようにしんどい。考えるのが嫌で本を読む。出かける。でもアクティブな趣味もないので近場の神社とか。どんな神様かと検索するとき、どこの神社に行こうかと検索するとき、縁結びとか安産とかを目の端で探してしまうあの感じ。
どこに行っても、何をしてても、誰と話しても、ずっと考えてる。
ゲシュタルトセラピーに興味が出てきた。もう、自分の頭を塗り替えてくれるものなら何でもいい。
今の自分の幸せさに目を向けて、等身大で生きていくことがなんでこんなに難しいんだ。
話し相手マジでほしい。大人になって、新しい友達を作る難しさをひしひしと感じてる。いやまあ学生時代からコミュ障だったけど。
帝王切開をする羽目になってしまった人というのはけっこういるようだ
あんまり普通のルートではないセンシティブなものだということを知ったのは子供の時分でテーオーセッカイだったとぺらぺら喋ってたずっと後のことである
この間子どもを産んだよ。
でも、なんか突然破水して救急車で総合病院に運ばれて出産する羽目になっちゃったよ。
早産だからって子どもはNICUに入ったよ。新生児集中治療室って言うんだって。
なんでだろうね。産む3日前の妊婦健診では「順調ですね」なんて言われたっつーのにね。
なんて思いつつも、なぜこうなった!?って思ったよね。
同時期に子どもを産んだお母さんたちが集められたよ。
そこで助産師さんが
なんて言い出して、おいおい私救急車で早産でーす、なんて恥ずかしくて
言いたくないわとか思ったよ。
でも話し出したら、その場にいた全員トラブル抱えた出産だったわ。
前置胎盤で帝王切開、切迫流早産で5ヶ月以上管理入院、五十路間近での出産。
逆に元気に何事もなく産む人のほうが少ないんだねきっと。
っつーか、何事もなく普通に産めると思っていた自分は思い上がりも
何を持って十月十日お腹の中で育てて、ひっひっふーで安産で埋めると思っていたのかと。
とりあえず子どもの命があってよかった。
早く家に連れて帰りたい。
私、増田(ブス)がいたサークルは、男は中の中くらいだけど、女子はクソかわいい子ばっかり入ってくるところだった。
いかに多くの可愛い子を入部させられるかは、新歓にかかってる。
男たちは徹底してかわいいこをちやほやして、「男気」「男気」言い合って浴びるように酒を飲んで、
かわいこちゃんたちが帰った瞬間トイレに駆け込んでた。
女の先輩たちはそいつらを一瞥するだけで、相手にされない新入生男子と、増田含めブスな女子たちをもてなしてくれた。
当たり前だけどブスはブス同士で、かわいこちゃんはかわいこちゃん同士で仲良くなって、そのへだたりは卒業まで埋まることはなかった。
いくらかわいこちゃんとはいえ、大学2年以降になるとあの女の先輩たちのように相手にされなくなる。
飲みだろうがシラフだろうが関係なく、男女の会話はだいたいこんな発言のオンパレード。
「安産型だね」「一瞬おっぱい揉ませて」「機嫌悪いね、なに生理?」「彼氏とどんなプレイすんの?」
一度「ね、それさ高校生の時も言ってたの?」って聞いたことがある。
もしかしたら中高一貫の女子校育ちにはわからない、共学ノリってやつなのかもって思って。
けどそいつは「なわけねーじゃんw」って笑ってた。
どのツラ下げて言ってんだって思いながら、適当に笑っといたけど、
お前ら大学生になって、酒が飲めるようになって、卒業したら社会人で、
ちょっと背伸びして「さらっと下ネタ言っちゃう俺」ってのに酔ってんじゃない?
それ社会人で言ったら左遷、更迭、減給、クビ、全然ありえるからね?
まあこういうやつほど、先輩から可愛がられてたり、後輩からしたわれたりするのも事実なんだけどね。
人望も行動力もユーモアもあって、そういうやつが成功するってのもわかるけど、
私はかれこれ5年以上あんたが不幸になることを祈ってるよ。
【追記】
私(増田)があの糞サークルにとどまったのは、どうしてもやりたいことがそこでしかできなかったから。ご指摘の通りよく4年間もいたなとは思うけど、飲み会は公式?全体?のもの以外はほとんど行かなかったし、同期ともほぼ上部だけの付き合いだった(仲のいい先輩後輩はちゃんといた)。社会人になって、同じ業界で働く同年代の話とか聞いてると、不快な思いしてまであそこにいなくても他に道はあったかもとは思うけど、それは今だから言えることだな。
【追記】
トラックバックありがとう。誰か読んでくれると思ってなかったので返信遅くなりました、すみません。
死にたいと思ったことは、これまでは全くありません。
「恥ずかし〜死にてえ〜」みたいに冗談で言うことはあっても、実際に人生を終わらせたい、終わらせようと思ったことは
どんなにつらくても悲しくてもなかったです。
それだけに、この心情の変化に自分自身危機感を抱いたという感じです。
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いま過労で鬱になって休職中で、ふっと「面倒だしそろそろ人生終わらせてもいいのかな」と思う瞬間がある。
そういう時のストッパーにしたいので、今死ぬべきではない理由を自分勝手にいろいろ書いてみる。
■基本編
・そもそも生きていること自体がレアなんだから、わざわざ自分で命を絶つ必要はない。
■他人と比べて編
・自分の人生なんだから他人と比べてどうこうという話ではないけど、
病気とか不慮の事故とか経済的理由とか寿命とか、のっぴきならない理由で明日生きられない人がごまんといる。
・自分の年齢で亡くなった人の報道をきくと、「ああまだ若いのに」とすごく思う。
ということは、やっぱりまだ死ぬには早いんだと思う。
■家族編
・いま死んだら多分、夫はすごく悲しむと思う。もしかしたら同じように鬱になるかも。
・同様の理由で、実家の人たちにも多大なショックを与えるからやめておくべき。
特に母はちょっとおかしくなってしまうかもしれない。両親が健在なうちはやばい。
・なんだかんだ、お金の負担もかなり掛けるはず。それもやだなあ。
・家族が自殺したってなるといろいろ世間的な引け目も感じさせそう。それもやだ。
・夫側の親御さんも悲しむだろうな。申し訳ない。
・まだ結婚記念日を祝ったことがない!祝いたい。
・旦那の誕生日にケーキを焼きたい。今年は買うつもりだけどいつか。
・産むのも育てるのもすごい大変みたいだけど、やっぱり子供も欲しい。
・とりあえず、大事な人ともっと一緒にいる時間を持っておきたい。バカな話をして盛り上がったりしたい。
■仕事編
・得意分野の中でもまだまだ成長の余地はあると思う。去年まで未熟だった部分を乗り越えるという体験をもっとしたい。
・そもそも働いたことのない分野がいっぱいあるから、将来のパートとかでもなんでもやってみたい。
・休職したきっかけになったことを言った人のほうが長生きするの悔しい。元気になってもっと成長して見返したい。
■食べたいもの編
・築地の食べ歩きをしたことがないから、してみたい。特に玉子焼きは食べたい。
・流行りがだいぶ過ぎたけど、一度ちゃんとハワイアンパンケーキを食べてみたい。
・芋きんつば食べたい。
・中華街で食べ歩きしたい。蒸したての中華まんとか、角煮がはさんであるやつとか食べたい。
・クラフトビールの飲み比べとかしてみたい。
・都内の美味しいベーグル屋さんに行きたい。有名店制覇したい。
・めちゃくちゃお腹が空いた状態で、コンビニの味付け卵を食べたい。
・おしゃれして旦那とちょっと良い店のコースを食べたりしたい。あるいはホテルのラウンジとかで甘いお酒を飲みたい。
■行きたいところ編
・巣鴨と帝釈天は行きたいと思いつつまだ行けてないからちゃんと行きたい。
・ハワイにもう一回くらい行っておきたい。アイスのお店に行きたいし、前回ガーリックシュリンプを食べられなかったから、美味しいお店を調べて行きたい。
・足湯も行きたい。
・昔行ったヨーロッパにもう一度行きたい。今度は夫と行きたい。
・パリ行きてえ〜
・箱根に行ってみたい。「はこね」って書いた饅頭買いたい。小田急のロマンスカーで行きたい。旦那と。
・沖縄行きたい。前回は随分昔だから、大人になった今行きたい。楽しそう。
・水着買ったのにまだ1回しか着てない!もう一回くらい着ておくかな...
・東急プラザ銀座とか新宿NEWOMANとか、話題になったスポット全然行けてないから一度は行っておきたい。
・池袋かなんかにある、雲みたいなシートのプラネタリウムに行ってみたい。
・一人カラオケやってみたい。
・肩甲骨ほぐしに行きたい。
・もう一回タイ古式マッサージに行きたい。
・代々木上原あたりにあるモスクが一体どうなってるのか知りたい。いっつも気になってる。
■その他やり残してること編
・銀のエンゼルが溜まってるのにまだ応募してない!
・30代、40代、50代の自分を経験してないからしておきたい。
おばちゃんになると肝が座って人生楽しいらしいから、それを体感したい。
・まだ人生において「これで満足!」という感覚を得たことがない気がする。そういうのちゃんとしたい。
・仏教的な意味での「人間らしく生きる」っていうのがイマイチ腹落ちしてないから、その辺整理したい。
というか、「これが人間らしく生きるってことか〜」って思ってみたい。
・新しい靴が欲しい。
・MA-1っていうの着てみたい。できるうちに流行りの格好しておきたい。
・高い基礎化粧品使って、やっぱ高いのは違うな〜って実感してみたい。
・ジョジョはもう一回くらい読み返しておきたい。
・ウシジマくんの続き読みたい。
*****
ざっと思い浮かぶだけでもこんな感じか。
いや処女といえどね、下半身のインサイドには異物が入ってるわけですよ
インサイド異物の状態でね 異性と会話する
もうこれはおおむね性行為なのでは?
いや処女もね、昨日の時点では膣に異物を蓄えた時点でほぼほぼ初体験とか言っていました
でもまぁ夜くらいになってね 初体験と言えどまぁ、性行為ではないよなってくらいには落ち着いたんです
だって相手は吸収体な訳で 恐らく有機物と言えど生物ではないし
けれどもうね、その状態を保持して異性と会話なんてしたらね もうこれは性行為じゃない?
七割がた性行為なんじゃない? って
処女、舞い上がってました
=====
そもそもなんで処女がタンポンなんて挿入する羽目になったって 友達とプールに行く予定でして
夏の盛りは過ぎたと言えど、まだまだ暑い日は続きますし 処女の下半身もアツいわけですし
普段は「彼氏作んないのー?」なんていう無責任な問いかけに「理想はマッツ・ミケルセンなんですけどー」なんつって誤魔化してる処女もね
むしろ処女だからこそね 波打ち際のマッツに衝撃のヴァルハラ・ライジングしちゃうんじゃないかなってそんな幻想をですね
「ちょっとナンパー?この子たち二人とも相手持ちだから!……え?私?わ、私の話なんていいじゃん!」みたいなね
そんなイメトレなどもたしなんでいた手前、前日にいきなり下半身がハンニバルしたくらいじゃこのタイタンの戦いはとまらねぇぜって
タンポンと熱い一夜を過ごして 下半身で窮屈そうにしているこいつともだいぶ分かり合えまして
一皮剥けたボディで浜辺(人口)に降り立ったわけですよ
でまぁ ウォータースライダーで打ち上げられたマグロごっこしようぜとか言って
ウォータースライダーに並びまして
単独で何かあの 浮輪にケツ突っ込んで流れるタイプの奴だったんで
まぁね、ケツの安定感に関しては本当自信があるのがこの処女なわけです
やだ高いコワーイって言ってる小尻の友人を押しのけまして
この安産型がちょいと地ならししてきてやるよと
係員のお兄さんに押されて、処女、進水
あのですね
ウォータースライダー 舐めてましたよね
激しい 予想以上に激しい
ウオアアアアドババババズシャー!! 災害かよっていう
流石の処女の尻もね カバーしきれませんでした 無重力を感じました 尻に
そんでもって着水 質量も相まってほぼほぼスプラッシュマウンテン
キャット水中三回転くらいいきましたよね
浮輪を受け取るだけのはずの係のお兄さんが本気のトーンで「うお˝っ!」っていうのが聞こえた
多分処女スプラッシュを顔面に受けたんだと思います もう申し訳なさしかない
処女水中三回転をキメた処女が落武者みたいになりながら立ち上がったらすかさず「大丈夫ですか?」って心配してくれましてね
これ今私セックスしてるんじゃない?
理想の相手はデンマークで最もセクシーな男、北欧の至宝って思ってたけど、このお兄さんでもいいんじゃない…?
マッツ・ミケルセンっていうか化粧を落としたミッツ・マングローブって感じだけど
大丈夫よミッツ、私ミッツのこと愛せる その芯のあるミッツの考え本当に尊敬できるって思うから…
ところでね
タンポンの話に戻るんですけど
タンポンって吸収体ってなんか綿的な ポリマー的なサムシングを膣内に押し込めるっていう物品な訳ですが
それは後々引っ張り出さなきゃいけないわけなんですよ 当然
んで引っ張り出すために何が付いてるって 紐
タコ糸くらいの太さの 紐
えぇ……つってね そんな原始的な感じなの…?
いや出さなきゃいけないのはわかるんだけど、そういう感じなの…?
理にはかなってる かなってるけど、もっと大事なもの…そう、愛とか、情熱とか失ってるんじゃない?みたいな
まぁとにかくタンポンを挿入してると股間からね ピョロッて紐が出るんですよ
温泉とかならともかく、プールなどに入る場合は勿論それは水着にしまい込むわけなんですけども
ウォータースライダーの話に戻りますね
ちょっと下を指さすんですよ
ええーあんだけ激しく揉まれたってのに…?と処女が己の下肢を見るわけですよね
「ハロー」みたいな感じでね 紐が
「ハロー パラソニック ナビゲーションシステム」って脳内で実家の車のカーナビの起動音が鳴り響きました なぜか
私はもう、王蟲の幼虫を隠すナウシカみたいに「出ちゃ駄目だったら!」って
そのままダッシュで走り去り
背後で友達が派手に着水する音を聞きながら、ただどうすれば良かったのかと九月の空を見上げていました
妊婦は病気じゃないんだから立ってなさい。の話がなんかTwitter上でバズってた。
今の妊婦さんはどういう生活をしているんだろう。私の母親のころはむしろ妊婦さんはじっとしているべきではない。
という考え方だったらしい。
むしろどんどん動いて体力をつけろ、仕事をしろ。それが安産につながるって言われたらしい。
個人の体質や状況によるから一概には言えないのもわかってるんだけど、今ってどういう指導が入ってるんだろうなーと思った。
もし、上のような考え方が一般的な世代の人だったら、確かにその世代の人から言われたらむしろ安産につなげるためのアドバイスなのかもしれない。
さすがに言い方からしてこの考え方はポジティブすぎるのもわかるんだけど、妊婦に対する考え方がどんどん変わっていくのであればそれもちゃんとマスゴミの脚色された教え方じゃなくてちゃんとした布教活動がなきゃずっと上のような意識の違いは続くと思う。
全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。
一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。
しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。
お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。
私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。
絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジンの漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。
お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。
そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。
ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。
でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。
そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。
新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。
このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的な子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。
私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。
ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。
「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」
そこから始まった彼女の告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏が結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。
そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚したから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前の漢字を私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校の勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。
そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツと飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校のテストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。
私は中学生になるとき、母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活もユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。
母親との嫌な思い出その2。学校で喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎で暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。
このころ辺りから、母親はお菓子を報酬に、子供にマッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初はマッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージをしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。
高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親の実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親の実家は料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家は一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒でバイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。
このころから、休日の昼食は私任せになり、母親は夜ご飯もほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。
私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親は病気になった。ガンだ。
私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。
ただ、母親が死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたからである。妹は、献身的に母親の看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。
私はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージがお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメだから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。
ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから。
ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。
人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。
自分の性格も関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生とあなたの人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。
それが全てです。