東京は遠い街だった。
日曜日の20時だというのに、東京駅には人が溢れていた。駅の飲食店は食事を求める人でいっぱいだった。移動疲れのためか、朝ごはんを食べたきり何も食べていないのに、全く空腹は感じなかった。それでも惰性でミニストップでサンドイッチを買い求めた。酒を飲みたかったが我慢する。
東京は私にとって縁遠い街であった。人生で一度くらい大都会に住んでみたかったーーできれば若いうちにーー気がするが、大学進学時に縁もゆかりもない地方の大学に進学し、卒業後はまたしても縁もゆかりもない土地に就職し、さらに結婚で夫の地元の近畿地方の片田舎に引っ越した私には、叶わぬ夢だろう。来年には30歳になる。もうすぐ家を建てるし、出来れば早く子供も欲しい。
この大都会には高校、大学時代の友達が多く働いている。しばらく会っていない弟も東京のどこかに住んでいるはずだ。
せっかくの出張、しかも日曜日の前入りだ。彼らに会いたいと思った。一度も行ったことがない国立科学博物館にも行ってみたい。しかしいざ出張が近くなってみると、全てが億劫になってしまった。
結局、ぎりぎりまで自宅にいた。夫は給料の出ない休日出勤をしに職場へ行っており、私は一人だった。洗濯し、洗い物をして、掃除をした。日常。
日常から見る東京は、ネットの向こう側の世界である。インターネットは世界中に繋がっているが、私が目にする情報の多くは東京から発信されている。ネットを通してみる東京は、物と希望と意識の高い人たちに満ちており、まさしく別世界である。
しかし実際に訪れた東京は、日常の延長線でしかない。私はいつものように疲れている。そしてこんな駄文を書いている。
東京駅を日本橋口から外にでる。オフィス街は、駅の中の喧騒が嘘のように静かだった。街灯はあっても道は暗い。
ふいに、就職活動時に同じ道を通ったことがあることを思い出した。東京で働き、暮らす未来が私にもあったのかもしれないのだ。しかしもう私は、自分の人生のifについて思い悩む季節はとっくの昔に通り過ぎてしまった。
都会へ出ると、電車の窓から見えるマンションやアパートの数に圧倒される。背の高いマンションがいくつも立ち並び、その合間に所狭しとアパートやら一軒家やらが軒を連ねている。この窓の全てに、世帯があって、人の生活があるのだ、と思う。統計的な数字ではピンとこない人間の数に圧倒される。自分の人生の小ささを思う。これだけ人数がいるのだ、私の悩みなどきっと誰かが既に悩み済みで、私の感じる不幸などありふれているに違いない。
それからこうも思う。これだけの人数の人間が何だかんだ、日常をやり過ごし乗り越えて歳をとっていっているのだ、と。これだけ多くの人が日々の生活を送っているのだ。何も難しいことはない。私もきっと大丈夫。
ホテルに着いた。一泊朝食付き5600円だった。夫に、ホテルに着いたと連絡する。シャワーを浴びて寝て起きれば、月曜日が始まる。遠い町で日常が始まる。
これコピペじゃなかったらすご、よく書くな。動機がわからない。
横だが、コピペじゃないと思うし、動機もなんとなくわかる感じがるよ。 こういうことを書くことによって、気持ちが整理というか浄化される感覚は自分にもなんとなくあるからね。
確かにね。私もすこし居場所がなくなって増田を回遊してる。 あなた優しいね、すごいなっておもう。ありがとう。
これで今日はよく眠れるとイイネ!
そーねー、ありがとう。
正しい人生。 こういう人生を歩みたかった。
自虐風の書きぶりだけど、元増田の置かれている状況は同世代の中でもかなり上層に位置するよね。 ボロ勝ちとは言わないまでも。 都内在住の未婚ワープ青葉さんと境遇を交換するかと...
すてきな文章。
ワンポイント・アドヴァイス!「ーー」じゃなくて「――」を使おう。