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はてなキーワード: 入院とは

2023-02-13

anond:20230213113241

ミッチーの「あきらめの悪い男」は「あきらめたらそこで~」に対応してるのはわかるんだけど

ミッチー入院してた時に安西はなにやってたんだって部分だけは本気でわからん

三井「おう オレは三井あきらめの悪い男

どの口が言うとんねん

 

中学神奈川最優秀選手に輝くも湘北入学後、練習中にケガ

病院を抜け出して練習してケガ

練習できない間に、ヘタクソと見下してた赤木がチームの中心になっているのを見て心が折れる

バスケ部を逃げ出し不良へ

新1年の宮城を不良集団で襲うも前歯をぶち折られ入院

退院後、桜木宮城に絡んで殴られる

逆恨みしてバスケ部を廃部させるために不良集団体育館に乗り込む

桜木ボコられ赤木に殴られ無事死亡

 

どこにあきらめの悪い要素あるねん

控えめに言ってメンタルゴミやろ

 

てか三井入院してる間、安西はなにしとってん

お前がちゃんと見舞いに行って

「今はケガを治すことに集中しなさい。君の能力は認めている云々」

言ってやれば何もかも丸く収まったんちゃうんか

寝てたんか?

anond:20230210142753

ちょっと手を入れればずいぶんマシになる顔の人はもったいないからそういうだけで

みるからに頑固だったりワックス塗ったらハゲが目立ったり入院中で眉どころじゃないみたいな顔の人にはそうはいわないんじゃないか

がんばれ

2023-02-12

ノリで子どもを産むな【追記

※一番最後追記しました。

親になる資格必要になる世界みたいな漫画話題になっていたので。

覚悟もないのに子どもを欲しがるなまじで。ペット飼うときですら育てられるか考えろって口酸っぱく言われるだろ。

うちには息子が2人いた。長男は今年20歳を迎えて元気でやっている。(一応少しフェイクを入れて書く)

次男は2歳でこの世を去った。

妊娠からやや小さめだった。長男も生まれとき小さかったので気にしていなかったが、結構ギリギリになって障害病気があるだろうということが発覚。

中絶できる時期はとうに過ぎていて生んで育てる以外の道はなかった。生まれ次男複数障害を持っていた。

赤ん坊なんてみんな猿かガッツ石松みたいな顔をしているけど、次男は握り潰した粘土か何かかと思った。生き物という感覚すら持てなかった。

可愛いと思えなかったし、生きてる間ほぼそう感じることも、感じたいとすら思えなかった。まだダウン症のほうが可愛いと思えた気がする。

障がい児の親が自分の子「天使」とか言って可愛がっているのは本当に尊敬する。嘘でもそんなこと言えなかった。

ただただ死んでくれと願っていた。

麻痺があって常に崩れた福笑いというか、はっちゃけたヒョットコみたいな顔をしていて、たまに目が合ってコミュニケーションが取れてるのかと思っても、ただただ私の黒目に映る自分の顔を不思議そうに眺めているだけで

私の話なんか聞いちゃいないし理解しちゃいない。聴覚もすごく弱かったようなので当然だが。

互いの実家から離れたところで生活していたので、夫は次男障害があると分かった時点ですぐに会社に掛け合って残業の少ない部署に異動し、入院中はほぼ毎日顔を出し、退院後も通院はほぼ毎回付き添ってくれて、

私がまだ幼い長男障害のある次男育児疲弊しないよう、家事から次男の面倒から何でも積極的に取り組んでくれた。長男と2人で過ごす時間も、私が短時間でも一人で過ごせる時間も作ろうとしてくれた。

看護師さんや主治医も「お母さんはよくやってるよ」とたくさん労ってくれて、一緒に連れていた長男にもたくさん声をかけてくれて、遊びに付き合ってくれたり、寂しい思いをしないよう気を使ってくれて本当に感謝している。

そして労ってもらうたびに、まともな母親だと思われているとホッとしていた。

日々次男が死んでくれることを期待していた。うっかりした事故死ぬことを毎日どこか期待していたが、母親保護責任者遺棄致死とか児童虐待逮捕されたら長男未来まで潰してしまう。

長男存在のおかげで道を踏み外さずにいられた。常に長男や夫や周囲にまともな母親だと思われるように振る舞わなくてはと思っていた。

そんな次男も2歳になってすぐの頃に熱を出した。免疫が弱かったのでよく熱を出してはいたが、このとき合併症を併発して、瞬く間に弱っていき、そして亡くなった。驚くほどあっけなかった。

年末で慌ただしかったのと、長男を抱きしめて、長男の頭に顔を埋めながら泣いていた夫を見て冷静に「良い人だな」と思っていたことは覚えている。

まりのあっけなさであまり泣けなかった。気が張っていて泣けないのだと思った看護師さんが背中をさすってたくさん労いの言葉をかけてくれたのを覚えている。

涙は出たが、これでこの生活もやっと終わるという安堵の涙だったと思う。

次男の死後、夫にもう一人欲しいか?と聞かれたがまた障がい児が生まれたら今度こそ道を踏み外しそうな気がした。

長男との時間を大切にしたいということにして子どもはもうけなかったし、夫も賛成してくれた。

健常児の長男には次男が生まれからたくさん寂しい思いをさせたと思って、できる限りのことをしたつもりだ。

長男大学受験するとき看護師になりたいと言った。次男を世話する私や病院に行くたびにいつも笑顔で接してくれた看護師の姿を覚えていて、病気の人やその家族を支えられる人になりたいと思ったらしい。

次男の死を願っていた母親の子とは思えなくて驚いて涙が出たし、こんな母親申し訳ないとも思った。

次男の死を経て健常者の子どもを育てる「普通の親」になれたと日々安心感に包まれていた。育児ストレスはあれど次男の面倒とは比較にならない。

が、ここで話は終わらない。

20歳になった長男に話があると言われた。つい最近出来事だ。

ゲイであることをカミングアウトされた。驚いた。驚いて何と声をかけるべきか言い淀んでいると夫が「打ち明けてくれてありがとうな」と長男に声をかけていた。さすがほんと何故私と結婚したんだろう、良い父親だわまじで。

カミングアウトきっかけは先日の首相秘書官差別発言ニュースで、

私と夫が「こんなこと言う人が国会にいるなんて信じられんわ」とか、小泉進次郎が「自分の子どもが当事者だったら」みたいな話をしていて、これに夫と「本当そうだよね」と話していたこと。

これを聞いていた長男私たちになら打ち明けられると思ってくれたらしいし、今言うしかないと思ったらしい。付き合っている人もいるらしい。

正直、いまは付き合ってる人がいて、打ち明けられる仲間や親がいるから生きてられるけど今日まで何度も死にたくなったと言っていた。

記憶にないが私や夫も差別的発言価値観言葉したことがあって、長男を傷つけていたのだろうと思うし、「死にたくなった」は長男から最大級私たち両親への非難だと受け止めている。

まったくもって「普通の親」にはなれなかった。

障がい児の親を終えたと思ったのに、今度は性的マイノリティーの親になったわけだ。

次男は2歳で死んだけど、あのまま生きてたら、私はどこかで道を踏み外してしまったんじゃないかと思う。

本当に無理だった。長男が何歳でゲイ自覚たか知らないけど小学生くらいでカミングアウトされてたら、まともに対応できなかった。

「なんでカミングアウトするんだ」「黙っててくれれば良いのに、大人になってから好きに生きたら良いのに」と思ったと思う。

私が子育てをする期間内長男が「普通の子」でいてくれたから、それなりに普通の親をやってこられたに過ぎない。

いま長男20歳になって、手が離れているし、もうあなた人生でしょと思えるくらい育っているのでカミングアウトを受け入れられてるところがある。

たぶん私に親になる資格はなかった。長男が無理して普通の子供として振る舞い、親に合わせてくれたおかげでギリギリ親とみなされていたに過ぎない。

親または親になりたいと、子どもが欲しいと言ってる人に問うけど

いま可愛いピンクのフリフリのおくるみ着せてる娘がトランスジェンダーでも育てられる?その可能性考えたことある

ゲイレズビアンである可能性考えて喋ってる?

腹の中にいる子どもが先天性異常で潰れた粘土みたいな状態で生まれてきて崩れた福笑いみたいな顔に成長する可能性考えたことある

それでも可愛がれる?それでも子どもを大切にできんの?

自分の子供だけはシスジェンダー異性愛者で健常者で…って、その前提でしか出産子育てを考えてなくない?

結婚たから次は子どもって考えしかなくない?周りが子どもいるからっていう、ペットを持つか否か以下の考えで産もうとしてない?

まじで真剣に考えて欲しい。子どもにとっても親にとっても博打なんだよ出産育児人生も。


追記

(読みにくいところを少し修正しました。)

色々言われるだろうなと思ってたので沢山ついてるコメントは半分くらいしか読んでないですが…


自分がかわいそうでヨシヨシされてえだけだろ

→どこにもそんなこと書いてないですがコメントする増田を間違えていませんか?

・ノリで産んだのお前じゃねえか。夫は理解ある彼だったかサバイブできただけだろ。

→そのとおりです。ノリで産んだけど周囲のお陰で何とかなっただけで、後悔しまくったので書いています次男を殺さなかったのは偶然か奇跡だったと思うから

理解ある彼(夫)くんっていうの本当にそうだと思う。あと息子も理解ある息子くんだと思う。だからやってこれただけ。長男内面的にも夫に似ていてホッとしている。私に似なくて良かった。だからやってこれただけです。

1つでも欠けてたら500%虐待してたと思う。

長男は健常者だけど育児ストレスないわけじゃなかったし、その都度次男の世話に比べたら、と考えて乗り切ってたし、小中学生くらいでカミングアウトされてても受け入れる余裕もなく絶対傷つけること言ったと思う。

めちゃくちゃ理解ある周囲の人達のおかげで踏み外さなかっただけです。運があまりにも良すぎたから私は犯罪者にならなかったけど、子ども欲しいっていう人は、「普通じゃない子」だったとして、家族仕事や働き方変えれる?頼れる親族は近くにいるの?主治医看護師は信頼できる?行政サービスは充実してる?そういうサポートアクセスやすい?そういう子を育てられるだけの精神的余裕や知識はある?

その辺やばい状況だったとき虐待しないで育児できる?最強の環境揃ってたってストレス発狂しそうになるよ。健常児育児でも苦労すんのに1つでもマイノリティ性あるだけで苦労は倍以上になる。その覚悟はある?子どもは親選べないし、親のノリに付き合って産み落とされ人生を送ることになった息子たちを思ったら、(お前が言うなだけど)覚悟あんの?と思っちゃうよ。


・お前がクズなだけ

→そうです。だからこれを書いている。生む前に自分子育てできるような人間か?をきちんと考えてれば、ノリで産まないという選択をすることも可能だった。20年前は今より産むのが当たり前という圧は強かったし、周りが子持ちで、周囲から子どもを産むことを期待されてるのも、その期待に答えるのも当たり前だと思ってた。子どもを持つ幸せな家庭の母親というものになれると思っていた。そこに障害児が産まれる想定はなかった。可能性は分かってたけど大丈夫だろうなんとかなると漠然と思ってた。自分ごとのように考えてなかった。障害児を育てたくないと思うようなクズで、考えも足りないクズだったので。

今はまだ産めっていう圧はあっても当時よりはまだマシだろうし立ち止まって考えてほしい。

そしてクズだとぶっ叩いてくれてありがとうございます。考えも覚悟もない親だと子どもがかわいそうになるというのが伝わっているようで良かったです。



その他

長男から最大級非難」っていうのは、「こんな社会に産まれてなかったらこんな死にたくなるような気持ちにはならなかった」とか「異性愛者に産んでくれてたら」っていう意味合いを含んでいると受け取っているし、それに対して親としてできることは長男にとって安心できる両親でいることくらいなので、そういう親でいようねと話している。それしかできないから。

2023-02-11

小学生の頃に3ヶ月くらい入院したんだけど

病院での初めての夜、面会時間とっくに終了してるのに夜中に母親が来て「心配で眠れないから来た」って言われた時は自分は愛されてるんだなと強く感じた。もちろん当時はお母さんて自分の事好きなんだなーって感じだったけど。

子どもに障がいがあった

子ども、産まれてきてすぐに大きな病院に運ばれた。今日に至るまでの数年間、何度も入院したし、県外の病院に手術をしにいったこともある。なにもかもがゆっくりで、言葉はなかなか通じず、歩きだしたのも3歳は超えていた。

見たときに分かる疾患もあるし、同じことを何時間もするから、何回も「かわいそうに」とか「お母さんが大変やね」と言われてきた。その度に、私はあははと笑ってきた。

気持ちを上手に伝えるためのコミュニケーション能力がほしい。毎日楽しいってことが、分かってもらえたらいいのにと思う。

踏切を3時間見てもずっとキラキラしてる顔とか、同じ形のどんぐりを探し続ける1日とか、けっこう楽しい仕事が終わったらいつも早く会いたい。

子どもが将来困らないようにお金を貯めるという目標ができたので、仕事もやる気がみなぎってる。

子ども毎日楽しいものであってほしいと思うし、それだけで私も楽しい。どうかずっと楽しい気持ちで過ごしてほしい。

2023-02-09

結婚親孝行になるのか?

祖父祖母が亡くなり、親父も入院寝たきりでいないようなもん。俺一人っ子で親戚抜いたらお袋だけみたいな状態になって、何か流石に結婚して孫の顔くらいは見せなきゃいけないなという気持ちになってきた

って言うのを読んで… はぁ?ってなった。

結婚相手完全に蚊帳の外では?

結婚相手が親とうまくいかなかったり、子供ができない想定とかできないんだろうなぁ。しんど。

anond:20230209180920

横だが結婚だけじゃなくて互助会所属してるのにお前のところにだけお見舞いが来なくて、他のメンバー入院した時にはメンバーが集まった

とか

別に仲間外れにするつもりはないんだけど、なんか呼びたくない人が互助会に入ってきたら…

とか正直結婚した場合より互助会に入る方が揉めることが増えそう

anond:20230208192151

結婚はしたくないけどあなたと老後を過ごしたい、って友達といいあってるなぁ。

現在すでに、入院ときにはかけつけてくれる関係

首都圏大阪近辺の独身女性はこれすげえ多い。

逆に地方友達広島名古屋鳥取)は結婚してる。

やっぱり職場家族の「そうするのが普通だろ」の圧に抵抗しないほうがトータルで楽なそうで。

しか

既婚と未婚の溝なんてまるでなく、学生時代から15年近く、変わらず楽しく毎日しゃべってる。

既婚の友達離婚したら私もまざるわwとか冗談言える。

友人のシンママが兄を好きだと言って困ってる

先日、友人が倒れて入院する事になり、頼れる親族がいないということで男の子をうちで預かる事になりました。

在宅勤務で実家に戻って来てる兄が、主に遊び相手になってくれてました。

結婚こそしてないけれど子供好きな兄は嫌な顔しないで、マリオカートをしたり外でキャッチボールしたりと構ってあげるし、

初めて遊ぶテレビゲームに興奮して、友人の子は大喜びでした。

で、実際のレーシングカートに乗せてやるという話になって、ただし「お母さんが行っていいって言ったらな」って事で聞くと

退院したら自分も一緒に行くのを条件にという話で纏まりました。

兄は子供相手はいいけど、友人の相手は慣れないし難しいというので「お前も来い」と私も引っ張り出されました。

その日はレーシングカートに一日乗って、帰りに温泉によって4人でお風呂に入り、食事をとって帰宅しました。

その日1日の代金は全て兄持ち。かなり使ってくれたんじゃないかと思います

レーシングカートに乗って一緒にキャッキャしてる兄を、友人が見る目が恋する女になってたので嫌な予感はしたんですよね。



その後は、お礼だと言って作ったケーキを持ってきたりで、兄と一緒に遊びたいという子供と一緒に遊びに来てたので、もう確実だなと確信しました。

「分かってると思うんだけど、増田のお兄ちゃんの事好きだって言ったらどう思う?」

と聞かれた時は、やはりそう来たか・・・と思いました。

でも、正直言って困るんですよね、友人を義姉と呼ぶのは抵抗があるし、

友人家族はドロドロで凄く仲悪いし人間的にも好きになれないので、うちをそれに巻き込ませたくない。

友人の親は既に他界してるんだけど、兄妹が性質のいい人ではなくて、それが原因で離婚をしています

頻繁に金をたかりに来たり、居座ったりされて困ってるのを見て来たので、あれが家族になる事だけは嫌だと思ってます

友人自身も兄妹とは距離を取りたいと思ってるから普段は疎遠ですけど、兄と結婚でもしたらまた同じ事が繰り返されそうで怖いんですよね。

「兄ちゃん次第だと思うんだけど、A子の兄妹が怖いか・・・」というと、「だよね。。。ごめんね」と悲しそうな顔をされて、それも悲しいです。

兄に話をして、全部ひっくるめて解決できる(友人の兄妹に毅然対処できる)なら、良いかもしれないけれど

兄は生粋のお人好しなので、そこはすごく心配です。

でも、兄と友人の相性は良さそうだし、子供も凄くなついてて喜ぶんじゃないかと思うと良い面もありそうなんですよね。

妹がいないとよく知らない女性相手は出来ないと嫌がる兄が、誰かと結婚できるのかと思うと・・・ってのもあります

わたしが嫌がってて応援しない間は友人も兄に気持ちを伝える事はないだろうし、自然に消えていく話だと思う。でも、それでいいのかとも思う。

どうしたもんかなぁ・・・

anond:20230208124008

俺もちょうど3ヶ月前日本精神病院入院してたよ。隔離部屋にトイレはあったけど料理ゲームスマホダメだったから退屈で退屈でどうにかなりそうだった。

アル中上司

ほんとマジで世話になったんでぶっ壊れちゃったあとは出来ることはなるべくお手伝いしてたんだけどもう嫌になってしまった。

病院退院して以来ぜんぜん連絡無いか心配電話したらまぁ話せる程度ではあって、翌日飯でも食べましょってことになって当日。30分遅れるらしい。

まぁよくある。いつものよーにぶらついて待つ。

30分後、待っても来ない。寒いし腹が減ってきた。なんか食べたいけどこれから食うしやめといた。

LINEしたら「もうすぐそこにいる」って帰ってきたけど来ない。

結局もう30分、当初の予定の1時間後にすげえ具合悪そうな感じでやってきた。

キャンセルしてくれてよかったんですよ」って言ったら「市役所行かなきゃいけないんだ」って返ってきた。付き添ってほしいらしい。

なんか知らんけどすげえイラときて初めて嫌になった。

空腹と寒さって良くないな。

飯食うから腹減ってても食わずに待ってたり、そのあいだ酒置いてなさそうな店を改めて調べたり、どこになったとしても行くのに居酒屋の前通らなくていい道を考えたり、負担にならないような話題考えたり、そういうの全部無駄でさ、用途が済めばよかったんだろな。

じゃあ先に言っとけよ。飯食ってるからさ。

そういえば前回別で入院したときも、退院時になんか意味もなくどうしてもつって呼ばれたから行ったら急に入院費貸してくれっつって12万。でけぇよ。

先に言えや。

使えればいい道具だったんだろうな。

尊敬する上司だった。彼がいなければもうどっか違うとこにいたはず。部下を気持ちよく仕事させるの天才的だった。

ほんとに世話になったからできることはしたいけどもう今は無理かもな。お金返してもらって知らない人になりたい。

とまではいかないけどさ、しばらくは思い出したくない

2023-02-08

自分底辺具合が悔しい

金や人脈があればと本当に思う。

例えば親兄弟入院したとき費用がパッと出せなかったり、面会ができるよう個室とかを取ってあげられなかったりとか、

急な結婚式に参加するための交通費やら御祝儀を出すと生活できなくなってしまうので、なくなく欠席するとか、本当にそんなことばっかりだ。

そんな感じだから当然他人と暮らすことや結婚なんか異次元の話のように思える。

新卒就職するのが失敗したり、誇れるような職歴を辿ってこれなかったりするだけで、こんなに人生きついのか。

人生すら頑張れないやつはこんなにもだめなのか。自分の至らなさが悔しい。

すべての人にごめんなさい。

外国で暴れて精神科に入れられたんだけど

なんか書いたけどクソ長いか外国精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。

入院に至るまで

お前らは精神科入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDから毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。

ある時、俺は海外一身上の都合引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序リタリンよりOD不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちスイッチしてしまった。

ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところであるビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。

そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。

しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。

冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。

俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているか処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていか家族が俺の世界ダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。

意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族陰謀告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪犯人っぽいか警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車措置入院と相成った。

入院

救急車外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水ボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレ場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったか自分で探した。

次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。

朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。

まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死自分はまともだからここから出せと迫った。しか職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。

彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分サイコパスから危険から病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員サイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死サイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。

しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数職員外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人普通巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。

入った部屋は6畳くらいで、日本人感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感から、寝たらパソコンRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。

どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力記憶連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。

しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさら人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。

次の日俺はまたトイレ交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。

次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。

相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱ラジオと称して実際には携帯音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイク奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。

部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインゲームだけを黙々と遊んだゲーム時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。

夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。

先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。

散歩病棟の唯一外に出る玄関職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないか入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。

この散歩想像していたものよりずっと大規模だった。30分から時間精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃん冷蔵庫食品を蓄えてるかも分かった。多分自分スーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。

職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球テーブルサッカー遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。

そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラ保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝言葉しかない。

まとめ

anond:20230205214146

そのレベルだと里帰り可能なら里帰りしてもらうか、或いは入院してもらう。

とりあえず嫁はんの親と会話可能な間柄なら状況を共有する方が良い。

2023-02-07

anond:20230207033104

ワイと同い年やん

ワイは京大中退ヒキニートのパッパが精神病院入院したりするくらいで他の家族に発達はおらんけどな

島耕作を読んで心を揺さぶられた

何処にでもあるような町中華に通っているんだけども本棚にいくつか漫画がある

今までは本棚の近くにある席に案内されることが無かったのでラインナップすら知らなかったのだが

先日、本棚の目の前の席に案内されたのでざっと目を通してみた

中華屋鉄鍋のジャンが置いてあるのちょっと面白いなとか思ったりゴルゴ13が巻抜けで置いてあるのはなんでなんだとか考えたが

意外と鬼滅や呪術みたいな新しいものもあって定期的に入れ替えているようだった


そして、その中に島耕作もいた。

数年前からやっとモーニングを読むようになった俺の中で島耕作と言うのは会長から相談役、そして現在社外取締役しか知らない

課長部長やらあったが一番手に取りやすいところにいたのは取締役だった

その1巻に現れた島耕作、ではなく浜坂元という男に心を揺さぶられてしまったのだ


この浜坂という男は一体何をするかと言うとネタバレになってしまうのだが

まず、初芝電産(島耕作浜坂が務めていた家電メーカー)のロビー社長を出せと言う。

出せないのならば同期入社島耕作を呼べと、さもなくばここで自殺すると言って手に持っていたゴルフバックから日本刀を取り出すのだ

受付で対応にあたった社員が暫く待てと言っている間に調べるとどうやらリストラされた社員だという事が分かる

そんな場所社長が行くわけにいかないので当時会議中だった島耕作が緊急の呼び出しを受けて説得に向かう…


呼び出しを受けて浜坂を説得する為に一体どういう人物なのかというのを初芝電産のデータベースで洗い出す島耕作

すると島耕作浜坂元は同期入社だという事が分かり徐々に記憶がよみがえる

この2人は入社後の研修で同じ班となり更にはディベート直接対決をしていたのだ

浜坂はここで島耕作に完敗すると以降島耕作とは眼すら合わせなくなる。


そんな縁があり浜坂は自らの命を賭けた直談判の場に社長がいなければ島耕作名前を挙げたのだ


その後島耕作マスコミも押し寄せる中、浜坂ロビーで説得を試みる

一時的に説得に成功浜坂は刀を持つ手を下ろしたものの気が変わりその場で自らの喉元に刀を突き刺した

警察隊や警官隊の早急な対応により命に別状はなかったもの流れるように入院した病院の窓から身を投げて命を絶ってしまう。


このような流れの中で浜坂とある行動に気づき心を揺さぶられた。

それは浜坂自分希望が通らずとも滅私奉公した、つまり会社を辞めなかった事。そして島との会話のシーンである

物語の中で浜坂最初の配属場所がまったく希望していない部署だったという記述がある。

更に浜坂の経歴を記しているコマ浜坂がどのような部署でどのような肩書だったのかが書いてあるのだが

部署の移動が発生するまで浜坂は15年間その部署で働いたのだ。

15年経つと異動があったようだがこれも希望していた部署なのかの記載はない

しかし、浜坂は働き続け9年後に1つの工場工場長になる。

更に工場長として6年働き続け最後に待っていたのはリストラだったのだ

やりたくない仕事をして会社に尽くして家族を養った人生だったが

会社に捨てられ家族にも捨てられアイデンティティ喪失してしまった。

しかし、この浜坂と言う男はまじめな男なのだ

30余年も同じ会社でコツコツと働き続けられる真面目な男なのだ

日本刀を携えながらもきちんと受付で名乗るし、説得に来た心から憎く思う島を突然襲うことなく話し合いをするのだ


そんな男からの「なぜ俺がこんな目にあってお前(島耕作)は役員になれるんだ!」と激昂するシーンで

島は冷静に「人生の5割は自分の力で変えられるがもう残り5割は他力で俺は運が良かった」という

しか浜坂は「それが納得いかん!」というが島は「現実を受け止めろ」というのだ

この後浜坂言葉に詰まり項垂れるのだがこのシーンで心臓のあたりがグッとなってしまった。


勿論、島の言う事は当たり前の事だ。

世の中は自分の思う通りには進まない事の方が多い

しかし、みんな心の中では浜坂と同じことを考えている事の方が多いだろう

何であいつの方が良い役職に…!なんであいつの方がいい会社に…!なんであいつの方が!!!!!!

30年もくすぶり続けてた火種を運が良かったの一言で片づけやがって!!!!と


本来ならば島耕作が説得する事に失敗したという、起承転結の起の中の何てことな1話だったのだろうが

私はこの男に、とても深く感情移入した。

知的障害があっても仕事は出来るけど、プライベートお金周りのサポート健康周りのサポートむちゃくちゃ大変

知的障害がある人になにもさせないのは管理コストを抑える目的以外にない

 

働き、自由に使えるお金を得てると、自由に行動できるから

いろんなところで金銭トラブル無限に作ってくるし、

健康周りの知識判断能力問題があるので、何度でも無茶をして何度でも無限入院する

 

世の中から人を騙そうって考える人がいなくなって、

自動金銭管理システムが『その選択不適切です』って警告と代案してくれて、

自動ヘルスチェックシステムが都度『病院行って下さい。その方が結果的に得をします』って言ってくれたら、

誰にも負担が掛からなくなるのだが、それまではめちゃくちゃ身内の負担が重い

 

はよAIはこういうことに活用出来る水準になってほしい

どんなデバイスAIアドバイス管理システムを実現するか?問題もあるが、かなり切実なお気持ち

[]ナッジって結局どうなったの?

自由自律性を維持しながら、政府はどのように私たち意思決定支援することができるか?

自由社会には選択の自由が不可欠である、という主張がある。しかし、政府が人々の選択支援する行為はどの程度まで許容されるのか。政府国民が世の中をうまく切り抜けるために必要な道具をすべて与えるべきなのか。同時に、国民自分選択し、失敗したとき責任所在証明できなければならない。

ナッジは、行動経済学を使って市民をより良い選択をするよう促す方法を詳述しているが、人々を操作することと同じではないのか?どのように自由が保たれているのか?おそらくナッジとは、選択肢を禁止したり経済的インセンティブを大きく変えたりすることなく、予測可能方法で人々の行動を変える、選択設計のあらゆる側面を指すのだろう。ナッジとみなすには、介入を避けることが容易で安価でなければならない。ナッジは義務でも強制でも同調圧力でもない。

ナッジは「押し付けがましくない」という理念にもかかわらず、効果があることが示されているらしい。例えば健康関連のナッジが、より健康的な食事栄養選択を増加させるとか、オプトアウトシステムが決定についてストレスを感じなくなるとか、そういう話はある。選択設計で、より多くの人々が考えることを減らし、なおかつ社会自分自身にとって良い選択をすることができるとされる。

では、政府が人々の行動に影響を与えるためにナッジ理論を用いることと、自由主義は両立するのか?政府国民にとって何がベストかを知っていることを前提にしているのではないのか?

ナッジの要点は、選択の自由を維持することである医者が「精神状態が悪すぎるので精神科に入院しなさい」といっても、患者自由を保持し、その後押しを無視することができなければならない。多くのナッジは本来情報の開示、警告、リマインダー、といった教育的なものである

例えば消費者が十分な情報を得た上で選択できるように、燃費エネルギー効率についての情報を開示することは、自由矛盾するものではない。だが、明らかに行動経済学は、パンデミック時の政府の封鎖対策に影響を与えている。

この運動が行き場を失っていることを示唆するのは、行動科学問題を単に個人の誤った選択の結果とみなす習慣に陥っていることだ。一方、ナッジ理論肯定派は「政策世界では行動科学者は構造的な問題ほとんどの時間を費やしてきた。タバコ税構造的な問題対処するもので、人々が将来の自分自身に課す害を削減しようとするものである。」などと主張している。

「ナッジ」といいつつ、特定思想や行動へ誘導することで政治的な優位性を確保しようとする勢力が常に潜んでいることは注意すべきことだ。そのような意図がなくとも、誘導する必要のない方向へ一度舵を切れば、後戻りが難しくなることがあると考えたほうが良いだろう。

anond:20230206235732

身内に、手帳持ちですぐ入院する事態になる、そして知能検査したらたぶん引っかかる男性がおるのだけど、

本人は保護されるよりも自立して働きたがるよ。よせばいいのに生活保護受けずに働いている

 

生活保護受けたり抜けたりの精神障害手帳持ちアラフィフ男性10歳年下の子持ちの働く女性結婚する予定

https://anond.hatelabo.jp/20200808014253#

 

ちなみにこれは再婚男性は以前も別の女性結婚している

(離婚原因は男性の極端な生活能力の無さ。騙されて意味不明な買い物をする・契約する、内臓疾患持ち・ヘルニア持ちで倒れる)

 

なぜ男性が自立したがるかというとそれは親の見せた姿、周りの大人が見せた姿だよね

男性は働いて稼いで家族を守るというありかたに強い強い憧れとこだわりがある模様

男性アルファベットからして怪しいレベルなのだけど、大型含めた自動車免許、各種重機免許危険物免許持っているよ

ありたい自分が絡む時のみ猛烈に勉強してすさまじい記憶力を発揮する

知的な困難があるすべての人が男性みたいなすさまじい記憶力を発揮出来るとは必ずしも限らないが、

健常者であろうが障害者であろうがそもそも『ありたい自分が無い』と何も始まらない

2023-02-06

とても死にたい

去年、何度か自殺未遂をした。

方法は首吊。

すぐに意識は無くなる。苦しくない。

しかし毎回、恋人が縄を切ってしまった。

床に転げ落ちて少しして意識が戻る。

だいたい失禁してた。

舌を強く噛んでしまうらしく目覚めると舌がとても痛い。

短い失神でも頭が痛い。

記憶は少し飛ぶ。

少しして落ち着いたら再び目覚めてしまったという絶望を感じる。

そして恋人を困らせてしまった申し訳無さでまた死にたくなる。

そんな状態であるわたしへの対応限界を感じた恋人は、わたしの親に連絡をし、入院することになった。

2週間くらい入院した。

境界性パーソナリティ障害の診断だった。

統合失調症の薬を処方された。

退院して、仕事に戻って、ひと月くらいは頑張って生きようと努力できていた。

しかし、最近また死にたくなっている。

楽になりたい。

でも母や恋人を苦しめたくない。

しかしそのために生きるのも辛い。

楽になりたいだけだ。

母や恋人は悪くない。

でもきっとわたしが死んだら彼らは自分を責める。

そればかりは申し訳ない。

いやだいやだいやだ。気が滅入ってばっかりだ。

葛藤がつらい。楽になりたい。もう目覚めたくない。これ以上絶望したくない。もう二度とうんざりしたくない。

どうしたら周りの人に迷惑をかけずに居なくなれる?

まれたいなんて望んだことはないのに、なんで自ら終わりにすることは許されないんだ。

anond:20230205123402

一卵性双生児のいる4児の母です。ふたご(2・5)の日に、双子ご懐妊確認ですね。おめでとうございます

1)一卵性か二卵性かなど含めて、双生児の子宮にいる状態は3種類に分かれます。絨毛膜と羊膜がどうなっているかによります。その診断を「膜性診断」と言いますが、1020週の限られた週数で超音波判定できます。これを逃すとわからなくなるので、主治医確認しておいたほうがいいです。それによって、出産リスクも変わってきます。私は一絨毛膜性二羊膜のため、胎盤共有なのでリスクは中程度でした。

2)妊娠中は、私の母体自己比較では、2人分でも体重の増えは単体児妊娠の1・5倍程度。早産傾向になり35週で管理入院(2週間)しました。37週で自然分娩でした。8分差で生まれました。

3)出産後は、二人の授乳時間強制的に合わせるのがおすすめです。(一人が飲みたがったらもう一人が寝ててもたたき起こし、同時に授乳)←泣いててかわいそうでも、子供は覚えていないし、何より母体大事なので(子供に合わせていたら寝る時間なくなる)。単体児の上の子たちは、懇切丁寧に母乳オンリーで!離乳食ちゃんと!とかなりましたが、双子だとそんなこと言ってられず、とにかく日々育てるしかないので、おおざっぱというか・・・精神的にはラクな面もありました。

4)育ってくると、二人で遊ぶようになるので、実はすっごくラクでした。別に公園行かなくてもいいし。双子を授かってよかったと思っています。進路は高校から別々で、今は二人で暮らしているので生活費も1・5人分で済んでいます

5)双子赤ちゃん母親一人で育てるのは至難の業で、父親存在が重大です。うちは夫が平日遅く、今でいうワンオペでしたが、土日はご飯を作ってくれました(これはすごくたすかりました)。男親の出番ですね。

楽しみですね。いいこといっぱいありますよ。

よく入院時の着替えを用意しとけっていうけど

どうしようもなくなっら

病院宛にamazonでよくない?

https://anond.hatelabo.jp/20230205123402

1歳の一卵性の双子の父です。雑多だけど、書いてみます妊娠出産は家庭によってかなり異なるので、少しでも参考になれば幸い。

・妻は子宮頸管が短くなって3ヶ月入院して帝王切開でしたが、コロナ禍だったので入院中は2回しか会えなかった(手術説明出産時)。入院中は安静だったので妻のメンタルはキツかったとのこと。大部屋なのでテレビ通話もなかなかできなかったし。ちなみに子宮頸管が短くなったのは動きすぎせいかもしれない。妊婦妊娠糖尿病の防止などのために散歩した方がいいと言われてるが、多胎妊娠場合あんまり散歩とかしない方がいいらしい。

・↑とかぶるが、子宮頸管が短いから安静にって言われて数日でなんか変かもとなり、日曜に休日診療でみてもらったら、そのまま出産まで3ヶ月入院になった。いつでも入院できるように着替えなどは準備しておいた方がいいですね。うちみたいにもしコロナ禍で面会できないとなると、荷物もなかなか渡しにくいので。

ほとんど多胎妊娠帝王切開になるので、生命保険に入ってる場合は手術と入院請求できるので忘れずに。

自治体がやってる産後ケア(出産後少しの間、病院にいれたりする)の支援を利用したら、出産後の体力回復子供の世話を助産師さんに教えてもらったので、よかった。

・友人がたまたま双子の親だったので、いろいろ教えてもらったり、服とか抱っこ紐もらえたので助かった。双子の子育てサークルとかも同じような感じみたい(コミュ障なので行ってないけど)。

ベビーカーは横並びのエアツインってやつがいいよって教えてもらって使ってる。車椅子くらいの幅なので大抵のエレベーターとかは乗れる(でも、ギリギリ)。

双子用のベビーカーとか抱っこ紐(おんぶとだっこできるやつとか)はかなりお高いので、メルカリを使って安く済ませた。肌に当たる部分はだいたい外して洗えるので、その手間や中古が気にならないならおすすめチャイルドシートは2台いるので(車で行く場合退院の時に必要)、セカストで買ったりした。ベビー用品はセカストの方がブックオフ系よりも綺麗なので、セカストで見ることが多かった。

・両方とも育児休暇を取ったが、それでもキツかったので、実家が頼れるなどのサポート資源豊富でない場合は父母ともに育児休暇を取る方が良いと思う。育児休暇が終わっても、父母ともに子供の世話をやらざるを得ないので、父母で協力して育児することを最初からやった方がスムーズだと思う。

双子だと、街中でかなり声をかけられることが多い。意外と自分双子の親や祖父母って人が声かけてくれる。

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