はてなキーワード: トトロとは
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。
ちょっとシクシク泣けばなんでも手に入るし、みんな味方につく。
喋れれば明るい美人、大人しければおしとやかで聡明に見られる。
ちょっと髪型を変えただけで芸能人の●●に似てる!と褒められ、
男は選び放題で、どんな服も様になる。
一方でブスは
瞬時に空気を読んで、いかに敵を作らないか幼いころから考える。
いじられ続けてどこへいってもみんなのピエロ。
おしゃべりだとうるさいブス認定で敵を作り、
頑張っておしゃれした日には「●●ちゃんか~わ~い~」と
殺意の湧くような、相手を見下した「かわいい」を投げかけれえる。
服屋にいっても、似合う服がなかなか見つからない。
仕事でも3倍成果を出してやっと認められる。仕事ができなきゃ針のむしろ。
頑張って化粧したり、髪型を変えても綺麗なんて言われない。
男性に言われる褒め言葉は『かわいらしい』『愛嬌がある』っていう
似てるといわれるのは大抵ジブリのキャラクター。トトロ、ポニョ。
彼氏には「俺にとっては可愛い彼女だよ」と言われ「とっては」に
ひっかかり、帰り道星を見ながら泣く。
操縦しやすいような女が好み』の男に求愛される。
日常と非日常の組み合わせというのは創作におけるオーソドックスな手法だが
で、近年のこのパターンの人気漫画のうち90%以上が後者なんだよね
理由は1つ。ほんとにただ1つ。
描くのが楽だから。
そりゃそうだ。千と千尋の世界観を綿密に作り上げていくより、日本を舞台にして適当に宇宙人でも連れてきて
そこで起こる悲喜劇書いたほうが1000倍楽だもんね
俺たちにとっての日常(箸を使って食べ物を挟むとか外出するときは靴を履くとか)にいちいちキャラが驚くシーンでも入れときゃ
でもね総合的に見たときに前者のような作品の方が深みがあって、人の印象に残ると
ただその深みと売上が別に比例しないのが漫画の難しいところなんだけど
……………今日漫画持ち込んだんだけど、上記のようなことを編集者に延々教えてもらったよ
言われてみりゃ確かにそうだね。さすが編集、この程度の考察は日常的にしてるらしい
まあそれだけのお話です
東京から田舎に引っ越す。引っ越しは軽トラを使う。引越し先はボロ屋だった。二階の奥に黒いススがあって、どうも生きてるっぽい。なんとか一匹捕獲して父親に見てもらおうとするも、手の中でススになってしまっていた。
家を探検していると、キモい顔の老婆に遭遇する。どうやら、お手伝いさんのようである。今度は外を探検だ。おや、大きな木があるぞ。近づいてみよう。するとなんと、大きな穴があるではないか。中に入ってみよう。うわ、トンネルっぽくなっている。転げ落ちてしまう。落ちた先には、デカい猫がいて、名前を聞くとトトロという。
気づいたら夢を見ていた。疲れたのでドングリを植えることにする。ドングリを植えると疲れたので、寝ることにする。夢を見た。ドングリから芽が出て一気に成長し、家の周りを取り囲んで、滅茶苦茶に破壊するのだ。
起きると、ドングリの芽がほんの少し出ている。「夢だけど、夢じゃなかった」
学校に行く。帰る。途中で雨が降る。雨宿りしていると、カンタという同級生が「ん!」と傘をくれる。しかし、傘はなぜかトトロにとられてしまう。
そして日曜日。病気のお母さんが隣町にいるので、会いに行こうとするが、道に迷ってしまう。そこに猫バス登場。でも結局お母さんには会えず。とりあえずトウモロコシを置いておくことにする。帰った後、お母さんが、トウモロコシに気づく。お見舞いに来た夫に言う。「今、そこでメイとサツキが笑った気がしたの」
歩こう、歩こう、私は元気。
ふと思いついてtwitterで騙されてるバ……賛同派の意見をひいてみると、
「最初意味がわからなくて??? だったけど原爆の隠喩という話を聞いた時に腑に落ちた」という人がいた。
意味もくそもナンセンスは意味がないからナンセンスなんだろうが、の一言で終わりそうな話だ。
でも、そんな簡単な話なんだろうか?
昔からシュルレアリズムやナンセンスは大衆的なエンタメにも取り入れられてきた。
そういうものを観て育ってきたはずの人びとが、「意味がないこと」が耐え難いというのはどういうことなんだろう。
ラッスン騒動で一番似ていると思ったのはトトロの「メイとさつきは実は幽霊説」だ。
あれは単に作画のミスであり、そんな意図はなかったという話が制作側から既に出ている。
だけれど、インターネットは未だにこの話にとびつきたがる。
なぜかといえば、ひとつには非民主的な国家が育んだ「物事にはなんでも裏がある」意識と、もうひとつは日本のインターネットの奥底に眠る宮崎勤的な欲望のせいだ。
後者には説明がいるだろう。
ざっくりいえば、おまえたちは表面上は「ほのぼのしている、かわいらしいもの」を好む一方で、裏ではこれらをとにかく破壊したがる衝動を秘めている。ほぼ確実に100パーセントそういう欲望を持っている。反省しろ。
覚えておられる方々ももはや少ないだろうが、2000年代初期に「しぃ」というアスキーアートキャラクターがいた。
かわいいかわいいネコのキャラクターで万人に人気を博していたが、一方で一部の人びとから凄惨な「虐待」を受け、しぃの内蔵をひきずりだしたり、失禁させるAAが乱造された。ただかわいらしく見えたから、ただ清純そうに見えたから、ただちやほやされていたから、という理由で。抵抗もできない電子上のキャラを一方的になぶり殺しにした。
思えば、あのときネットコミュニティはもっとこの問題について真剣に議論すべきだった。しかしあの時点では2ちゃんのAA関連板でのローカルな事象にすぎず、目についても「うわ、きもいやつらがいる」とスレを閉じるだけでやりすごせた。
それがいけなかったのだ。
抵抗する手段を持たない存在には何をしてもいいと考えるような連中を放置してはいけなかったのだ。
今、twitterでシナモンをいじめている連中が成長した彼らか、彼らと似たような子どもたちであることは想像に難くない。
彼らはやがて現実の、生身の肉体をもった弱者へと牙を向けるだろう。
まあしかしそれは本題とは関係ない。関係ないのだが、なんか今日はもういっぱいいっぱい書いて疲れてしまったので「日本人は自分らはメタで戯れることのできる知性の持ち主であることを過信して、戯れを本気にしてしまったかわいそうな人たち」という話は止めてもう寝ます。
15年ぶりくらいに見た。
最後のトンボ救出シーンは不要論もあるらしいが、やはりあったほうがいいでしょ。
このシーンにまつわる素敵なピースが数多くある。
事故を写す白黒の家具調テレビだったり、テレビにかじりつくバーサさんの静かでゆっくりとした興奮ぷりだったり、「夏にたまにこんな風がふく」という窓をゆらす風の描写だったり。デッキブラシのオヤジや、デッキブラシで飛行するキキを写すために画面に入ってくる街の描写。
どれも愛おしい。
チラというよりパンモロシーンも結構あって、これはいかんでしょと思った。
中身が成熟しつつあることを考えると、13歳のパンツはやはりだめだよ、ぱやお。
少女・幼女はぱやおが世界で最も愛するものだから、まあ仕方がないとして。
ナウシカの婆様、ラピュタのドーラ、トトロの「めーいちゃーん」のババア、魔女宅の奥様、紅の豚で働く老婆。
とにかく少女か老婆なんだよ、女は。
ハウルでは主人公がその2つの属性をもつわけで、ぱやおの女に関するある種のこだわりがこの点にあると見て間違いないんじゃないのって思った。
フェミニストに嫌われるわけだ。
上野千鶴子が言うには、13歳は初潮の来る年齢であり、黒い魔女服がつつむキキの体は女性性を帯びてうんちゃら…
というのには、うなづくことはできなかったが。
今回は2度再生したわけだが、1回目は普通にまわし、2回目は人物や筋を見ずに背景の書き込みだけを見た。
圧倒的に美しいな、街も海も空も緑も。
ウルスラが「夏の間は(山小屋に)いるつもりだから」と言ってたり、トンボが「夏休みの間に飛ばすんだ」みたいなことを言っていたので初めて認識した。
お友達の感じはいかにも夏休みを謳歌する富裕層のクソガキドモであるところは記憶にあったが、トンボの「家」そのものが写っていることに改めて気づいた。
あの家は金持ち。
パン屋のオソノさんちや、何度か映る港湾労働者の家とは明らかに違う階層。
いやー映画っていいですね。
ただ主役には合ってなかったってだけで。
アンノが駄目というよりもキャスティングが駄目だったと思う。
トトロのオヤジとか耳すまのおやじとかあそこらへんのセリフ少なくて棒が目立たないとこだったらこんなに叩かれなかっただろうなあと思う程度の演技。
あと全体的に中途半端な気がした。
さぞパヤオの趣味全開の飛行機系のあれこれがあるんだろうと思ったらそこまで濃くもなく。
かといって恋愛要素もありきたりで深みもなく。
趣味だけだとアレだから恋愛要素入れろって鈴木敏夫がねじこんだんじゃねーのかと邪推してしまう。
そーゆー意味では趣味と恋愛要素がうまくバランスとれててエンタメ性も高かった紅の豚はよかったなあと思ってしまう。
長い割に内容がすっげー薄かった。
最後に誰々に捧げるみたいなのが出て、あーそーゆーモデルっぽいのがいたのねと思って、それによってつまらなさの理由の一端がわかった気がしたのは、
ついこないだ見たアメリカンスナイパーのラストの感覚とまったく同じだった。
あれもクリント・イーストウッドの映画って割にはいまいちで、最後に原作あるんだよみたいなのが出てすっげー脱力した覚えがあるから。
ベイマックスの胸のカードスロットから「HAMADA」と書いたメモリーカードっぽいものが出てきたとき、増田を読んでいる人なら気付くと思う
気付くでは無いな、ほぼ条件反射で「バックアップを取らなきゃ」と、ど・ストレートに
他の人が書いているように、日本では「ベイマックス」、アメリカでは「BIG HERO 6」で、その違いに付いて
「BIG HERO 6」では女性に受けないから、というのは当たっていると思う
じゃあ、何が好きかと言うと「丸くて、柔らかいもの」 抱きしめると、ムギュっとするもの
そこらを日本の興行会社が考えて「ベイマックス」にしたのだろう
子供と女性層を取り込まないと、この冬休みは妖怪、アイカツ、仮面ライダーに勝てないもの、根こそぎ客を持って行かれる
大切な人が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる、とはありきたりのストーリーだ
主人公とベイマックスが街中のテレポーテーション装置に突っ込んで、教授の娘を助けに行くのだけれど、これもお約束、ギリで全員助かるのだろうと思っていた
しかし、ベイマックスはケアロボット、自分を置いて主人公を助ける。なんかインターステラ―という映画で同じようなシーンがあったな
ケアロボットだけに、何が何でも主人公をケアする、つまり命(ロボットに命がどうのということはこの際、)に代えて守るわけ
自己犠牲というやつですね
お子様に自己犠牲を見せていいのだろうか? 「最後まであきらめずにがんばる」と教えるのが大人の良心、義務だと思う
自己犠牲は人として人らしい行為で美しいのだけれど、残される当事者としては一生背負わなければならない十字架だ
子供に自爆テロをさせるのと同じこと、とは考えが飛躍しすぎだろうか
映画では、残されたベイマックスの手のひらから、先のメモリーカードが出て来て、主人公は十字架を背負わなくて済んだのだけれど
アメリカの正義の味方の映画は「チーム」と「信じる」がベースとなっていると思う
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう
だから、白人、黒人、東洋人、その他、といった編成になってしまう
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない
ファミマのイートインで麦茶飲んでたら、オレンジ色の制服を着た若い男の子二人が喋っていたので、ぼんやり聞いていた。
二人は会社の昼休憩で、ここで休んでいるようだった。
「最近Skypeやってる?」「やってない。かかってきたらやってる」
「11時に仕事終わるじゃん。12時に寝るじゃん。2時にLINEで呼び出されて家の前だから行くじゃん。
そしたら鍵忘れたとかいうからさ、鍵なんて朝の8時まで待ってたら開くじゃん(笑)
で、部屋に取りに行って、鍵探したらないんだ。で、もう一回寝て3時じゃん。
で、4時30分に地震で起きるじゃん」
「あと4時間なにすんだよー」「仕事してれば4時間なんてすぐだよー」
「あと14分」
「ほんとに一時間も休憩とれるの?」
「そろそろ行くかぁ」
現実どころがオタクなのに二次元でも恋焦がれるほどにキャラを好きになった経験が無いけど、恋愛(というより一目惚れ)してみたい。
今の悩みは一言、これですんでしまうのだけど、長くてわかりづらくていいから経緯が読みたいという方は下も読んでみてください。ですとあるがごっちゃになっているけどもう修正する気が無い…。
年齢、だいたい平成と同じ。これで紹介できるのは楽なところ。
現実での恋愛経験全く無し。まぁこれはいくらでもいると思うので細かいことは省く。学生の頃から恋バナには全く興味が無い人。もちろん現在もそうで、同僚との話への反応の仕方すらよくわかっていない。
後は小さい頃から順に印象に残った作品と自分の恋愛観(正直無いに等しい)と。作品についての説明は面倒なので省いてます。
幼少の頃はトトロやセーラームーンなどが好きな普通の女の子だった。また親の本棚にあったうる星やつらや宇宙家族カールビンソンが大好きだった。両親共にSF好きだから仕方ない(正確には好みはかなり違ってて、父はハード寄りで機械の細かい描写がある作品が好きだが母は面白ければスペオペ含め何でもいい感じ)。すりこみかどうかは知らないが、「見ていて好きなキャラ」ではなく「いつも一緒にいたいキャラ」ではまずトトロのおとうさんとカールビンソンのおとうさんを挙げる。つまりリアルメイでありリアルコロナであった(サツキの年になっても料理をうまく作れなくて親にツッコミくらったりしたが)。まぁ、小さい頃はカールビンソンの方はシリアスな部分を理解できなかった事もあるのだが、理解した今でもおとうさん大好きです。
小学生の時、親が買ってきた空想科学読本にはまる。考察好きなことや理系への道はこの頃からできていたのかもしれない。高専の図書館に置いてあったまんがサイエンスもこのくらいの時に知りたかったな…。後空想歴史読本リメイクして下さい、主にトップをねらえ!に続編ができたことに関してどのように書かれるか非常に気になるので。
犬夜叉とらんまにはまり始めてから中学校に入り、オタクな先輩と知り合い、二次創作の存在を知る。そして同人誌を知らなかった私に「こんなのだよー」と貸してくれた…のだが、それはBLの18禁物だった(なお先輩は主にジャンプ系漫画が好きな腐女子である)。トラウマと言っていいのかわからないのだけど、衝撃的なことは確かだった。原作からそうならばまだ踏ん切りがつくが、原作でそういう行動を全く取っていない組み合わせでそんな行為をするということが当時全く理解できなかった。そのせいでしばらく「同人誌は18禁しかない」と思っていた時期があった。今は他のもあるってわかってるけど。未だにコミケは行ったことが無い。決して嫌いなのではなく、人混みが苦手なだけ。
その後高専で銀魂にはまる。と言っても主に「江戸時代末期に外国人じゃなくて異星人がやってきた」というSF的背景となんでもありっぷりが好きで、なのに前の経験から18禁要素がかなり苦手だったのだが、結局一応ちょっと慣れる。といっても度を超えた下ネタはやっぱり嫌いで、例を挙げるならタマ菌やサラダ婆などの話は今もまともに読めない。一番好きなのは蓮蓬篇。基本良くも悪くも原作本位な自分だけど銀魂だけはアニメの方が好きになってしまっている。
会社に入ってからは忙しくなってしまったためか、新しく好きになった作品は少ない。一応挙げるならポヨポヨ観察日記とかキルラキルとか。そもそも本棚のスペースが無いというのもあるが…でも来年のりんねアニメすごく楽しみ。
…これだけだとほぼ先輩のせいじゃねーかと言われそうだけど、元々私は二次元ですら恋愛に疎い。幼少の頃からの二人を除いた好きなキャラは見た目というより行動などで大体決まり、また人というより集まりを表して好きだったりする。キャラよりも作品世界が好きな感じ。
例えば私が一番好きな作品と聞かれて即挙げるらんま1/2では、乱馬とあかねと良牙の三角関係が見ていて非常に楽しくて好き。笑える三角関係は大好きらしく、同じ理由で犬夜叉では犬夜叉とかごめと鋼牙。銀魂は万事屋の家族っぷりがいい。
うる星、らんま、犬夜叉と来てますが、めぞんは…ええと、四谷さん見てて面白くて大好きだよ!(つまり恋愛な方はよくわかってない)
また空想科学読本の影響か、キャラに対して考えることもキャラに何かしたりさせたいというよりはキャラの行動の背景など考察の方をよくする。
例えば、特に好きな良牙については土産の内容から何巻と何巻の間ではこのような旅をしていたとか、どこの県へ何回迷ったことがあるとか、爆砕点穴で間違って地下鉄に出ちゃったりしないのか、20巻の決闘の完成型獅子咆哮弾でグラウンドにできた穴の大きさはどれくらいなのかとか、電柱を抱き折る腕力とか。これらの中で実際に行動に移したのは「どうやって複数バンダナを巻いていたか」くらいだが、五枚くらい頭に巻いただけで結び目がひどいことになったし、一枚の下に何枚か薄く入れてみようにもきつい上に一枚ほどいたら当然全部落ちるので謎のままだった。その辺で売っている物ではなく非常に薄いバンダナかもしれない。実際二巻であんなに巻いていた後、恋の釣り竿の話では一枚しか巻いてなかったので本人もきつかったかもしれない。空想科学漫画読本ではうる星のしのぶのお手机が楽しかっただけにらんまが変身体質の方を取り上げていたことが個人的に残念でなー、この辺だったら面白い結果になっていたと思うんだが。
…とまぁこういう話ならいくらでもできるのだけど、三次元でも二次元でも恋愛話は全然できない。あと元ネタ探しも大好き。うる星もカールビンソンもケロロ軍曹も銀魂もいったん元ネタ調べ始めたらどこまでも止まらなくなる(どれもそういう作品だけど)。
大抵私が好きになるキャラには既に原作で相手がいるので、その時点で相手のことを考えてしまって一線を越えるような妄想は全然しない。「好きなキャラに何かされたい」という発想自体が中学で夢小説という物を知るまで出てこなかったし、夢小説は好きではない。そのためもし二次元の世界に行っても自分がやりたいことは好きなキャラを遠目で見て行動を楽しむという、ここにいることと全く変わらない状態になる。でも友引高校や風鈴館高校のドタバタした雰囲気は味わいたいからせめて一生徒となって騒動に巻き込まれるくらいはなりたい。特にうる星12巻の面堂邸のすごろくは是非参加したい。でもキルラキルの一般生徒だけは勘弁な!
それから結構人間的な(?)機械のキャラが好きらしく、前から敵は海賊のラジェンドラ、ナイトライダーのKITT、ロストユニバースのキャナル、ケータイ捜査官のセブン、そして比較的最近なガルガンティアのチェインバーでみんなでマスターへの愚痴やら何やらで盛り上がってみたいなという妄想はしている。極端にキャラが崩れていなければクロスオーバーは大好きです。多分一番はっちゃけるのがキャナルで、淡々と話すのはチェインバーだろう。あ、どんなデザインになってしまうのかはおいといて、iPhone(siri)に手足がついて自分で動けるようになったらこの中に入れちゃっていいかも。最初はあんなにお茶目だと思わなかったし。例えAIに心は無くても、応対している側が心があるように思うことができるならもうそれは心を持っているも同じ、それが自分の持論。…やべえ話題ずれすぎた。
こんな状態なので、高専に入って「自称『少し腐女子』」な親友にツッコミをくらうまで○○×△△の組み合わせはどっちでも同じ意味だと思っていたほど恋愛についての知識はあまりない。だってかけ算ってどっちに入れても答え同じじゃん。最近いろいろ言われているけど。世界観で惚れた銀魂をその親友に貸したら、「高杉さんすごいいいね!!」と言われたので、ああ感性の違いってこういう物なんだなと思っている。親友のおかげで今まで検索しづらかった単語を知ることができました。朝○○って何とかいろいろ聞いてすいませんでした。本当にすいませんでした。多分存在すら知らない単語はまだまだいっぱいある。(さっきのかけ算については最近別の人から「あれはベクトル積で考えればいいんだよ」と言われてようやくすっきりしてます)
親友とは去年の銀魂劇場版で久々に会って一緒に見たけれど、「銀さんかっこいい!高杉さんもかっこよかったけどもっと出てほしかった!!」という親友と、「この世界はパラレルワールドが全く無くて、一つの世界をどのように書き換えていくかなんだなー。今の銀さんの前には三人か四人ほどの銀さんが犠牲になっているようで…」という考察をひたすらがんばっていた私の差。相変わらずすぎて互いに安心してました。
…ところで、上の通り蓮舫編大好きなんだけど、未だに服の襟以外のエリの意味がわからないです。
憧れの女性キャラはいます。こわしや我聞の森永優。頭良くてさらに楽しい人になりたい。憧れの男性キャラは今のところいない。なぜだ。自分が何フェチなのかすらよくわからない。というかフェチって熱狂的に好きな部分って意味でいいんだよね?
…できれば動物のお医者さんのスナネズミのように、細かいことは何も考えずに人生を過ごしていきたい。できれば。
そんな私がどうして恋愛をしたいのかというと、年齢的なこともあるっちゃあるし、一人っ子なので将来が不安というのもあるのだけど、マンガ的な表現の一つである「ドキッ」や「キュン」を実際に体験してみたいため。
昔、保育園のお絵かきで、走る人の横にしずくをいくつか描いたら他の子に「これなあに?」と聞かれた。「汗だよ」と答えたけれど、「汗って体に流れるんじゃないの?」と言われて、しばらく言い合いになったことがある。マンガでは焦ったりする時によく汗がいくつか散っているけど、スポーツでも無い限り実際はそうならない。ただ、比喩表現として使われているだけなのだ。
じゃあさっきの「キュン」などはどうなのか。こればっかりは考察で解決できる問題じゃない。多分自分で体感しないとわからない類い。恋に落ちると本当にそういう感覚がするのか、もっと別の擬音になるのか。卒研発表よりもずっとドキドキする物なのか。未だに自分が恋愛的な意味で何が好きなのかすらわからないけど、二次元相手でもいいからそれを知りたい。もしかして恋に恋するってこういうことなんですかね。…もし本当に恋をしたら、その時はまた考える。なるべく恋をしても周りが見えなくならないようにはしたい。
最後に、エロもグロも苦手だけど例外的(?)にNHKスペシャル人体は大好きです。特にミトコンドリアが大好きでもうあの緑色にMとついた宇宙貨物船っぽいイメージしかありません(やってることは運ぶよりも工場に近いが)。この番組、もやしもんとかと同じくらい知られてもいいと思うの。キャラのベクトルは全く違うけど。
ジィシェット :ビスケット
シャベッシ :もう一回。なに由来か謎すぎる
ジューチュ :野菜ジュース
ダッチュ :抱っこ
チャチャ :飲料水
チン :電子レンジ。うちでは「チンして」と言ってないし、ピーという電子音なのに…
トト :トトロ。惜しい
ニギニギ :おにぎり
バイチンシャン :バイキンマン。アンパンマンは完璧に言えすぎてちょっと怖い
パシャパシャ :肌の保湿剤や柿の葉ローション。手でパシャパシャ塗るので
パチャ :お風呂
パンニャ :お気に入りのパンダのぬいぐるみ。他のパンダや製品は別
ブー :クルマ
プーシャン :出産時セットで貰ったくまのプーさんマークの入ったグッズ。TPOに合わせ、スプーン、フォーク、カップ、枕を正しく選択しないとグズられる
ボンボン :うさぎ。ミッフィーからなぜかうさぎをボンボンと呼ぶように
ポンポンポン :卵。これまた謎
メイメイ :目。
おそばせながら、感想。
評判通り、気持ち悪いというかなんというか。
シングルマザーは大変ということを描きたかったわけではなさそうだ。
田舎暮らしの苦労、田舎の人の優しさについてというのもやっぱり違う。
田舎暮らしイコール自給自足という、あくまでイメージの中の田舎暮らしであって、リアリティが全くない。
で押し切る強引さ。
田舎育ちの僕からすると、あの田舎暮らしの描き方がちょっとイラッとさせられるみたいに、子育てをしているママさんたちからすると、やはりあの子育て描写はイラッとさせられるんだろう。
僕は当初、リアルな世界にファンタジーの生き物が同居するトトロの世界観を期待していた。
蓋を開けてみると、現実のようで現実でない、ファンタジーの異世界の話だった。
シングルマザーも田舎暮らしも、狼男も、おおかみこどもも、なにかのメタファーであって、ただの舞台装置。
ほかに主題はあるんだろうなと思いながら観た中盤。
ようやく、一番の主題が逆の性格の兄弟が別々の人生を歩み出す、ということだということに気付く。
「でもなぁ、それを描くためにおおかみこどもっていう設定いるのか?
ヤンキーの兄弟とかにして、片方が普通の生き方になって、片方はヤンキー街道まっしぐらとかでいいんじゃないのか?
ヤンキーじゃなくたって、オタクの兄弟とか、相撲とか歌舞伎の家に産まれた兄弟とか、そういうのにしたっていいだろうし」
とか考えてラストを予想しながら観た。
僕が考えたラストシーンは、二人ともそれなりにいろいろあって、挫折して戻って、家族の絆を確認しあってハッピーエンド、という感じ。
ところが、読みははずれて、
「姉は人間として生きていくことにしました。弟は狼として生きていくことにしました。二人とも家を出たので、母は一人で暮らしています。」
ということに。
「…、…あ、そう、だから?」
なにを感じろと。
遅かれ早かれ、兄弟が別々の生き方をしていくのは、当たり前のことでありまして。
わからない。
結局、なにを伝えるための作品だったのか。
・ちゃんと避妊をしよう!(たとえ獣姦でも)学生が子供をつくると大変。
・キジ美味しそう。
SNSで知り合った家が近くのアラフォー女と何度か酒飲んだりお茶飲んだりして、
ちょくちょく呼び出されては婚活や家族、友人の愚痴を聞かされていた。
「好きなアニメって何?あたしは、トトロとキャンディキャンディとかかな!」とか言ってたので、
ラピュタと妄想代理人とハートキャッチプリキュアと言った辺りから途端に無愛想になり、
黙ったなと思ったら舌打ちして「帰るわ」と席を立たれた。
後でメッセージで
「今日であなたがやりとりするに値しない人だっていうのがよく解りました。
仕事もパッとしないみたいだし、きっとそうなんでしょうね(笑)
あんた自分の歳わかってるの?思い出すと本当にキモいのでコンタクト切らせてもらいます。
と送られてきた。
僕は観る前に事前に一通りのネタバレとかレビューを読んでいたので、まあ大体の内容は予想通りだったわけだけど、それでも驚くべきところはあった。
これはおそらく今のところ指摘されていない話だと思うが「二郎の妹がバスから歩いている菜穂子とすれ違うシーン」の話だ。
その後のシーンで、菜穂子は山の病院に戻ったのだ…みたいな感じで説明されているけど、よく考えると「病院に戻るために汽車に乗るにはバスに乗っていくはず」で、ということは菜穂子はバス停に向かって歩いていくはずなんだけど、菜穂子を訪ねてきた妹が乗ってるバス(菜穂子の住んでいる家の最寄りのバス停に向かっているバス)とすれ違うっていうのは、これはバス停に向かっていないということだ。つまり菜穂子は病院に戻ったのではなく、人目につかない森の中かどこかに向かって歩いて行って首を吊って自殺したのだと思われる。
これを思いついたのは映画を見た後、家に帰って布団に入った時だったが、考えてみれば菜穂子は病気の治療より二郎とギリギリまで一緒に過ごすことを選択したわけで、もう一緒にいるのは限界だとなった段階で今更病院に戻ってもしょうがないしさっさと自殺した方が苦しまなくていいという考えなのかもしれない。「バスとすれ違う菜穂子」を目撃した二郎の妹は当然菜穂子の真意に気づいたので取り乱したのだろう。まあどっちにしろ死ぬわけだから「驚愕の真実」という話ではないが(トトロのサツキとメイ死亡説みたいな)、なんとなく目覚めが悪い話である。というか布団の中でこの話を思いついた後、寝つきが悪くなった。
もちろん「上りと下りのバス停が全然違う場所にある」とか「妹と鉢合わせないように最寄りのバス停じゃないところから乗る為に歩いていた」とかいくらでも自殺していないという解釈は成り立つんだけど、個人的にはもう自殺したとしか思えない。
ビートたけしは明大時代は工学部だったし、左翼活動やって逮捕中退なのは有名な話。
けどこれだけじゃな。
たとえば宮崎駿も有名な左翼。トトロが狭山事件を元に作ったかはともかく政治的なメッセージが色んな作品に見え隠れしてる。ぽんぽこは当時のニュータウン乱発への批判だし。
ドラえもんの藤子不二雄も左翼だったな。映画版では環境汚染をアニメ作品で真っ向から批判してたし、動物愛護も求めてた。
三島由紀夫のように心の通った右翼もいれば、石原慎太郎のように過去の矛盾を隠して右翼であるかのように装って見せたり、ただ親米派であればいいという似非右翼も多いし、そういう連中は官僚だったり文系大出身の政治家ってのはよくある話だし。
学習院大やアメリカの大学に進学してから政治家になった人の殆どが右傾化してるっていうのは、教育の賜物なんでしょうに。
実情として、教育方針が自虐史観の強い日本国の戦後教育とは異なって天皇も通うような士族の学校である学習院と自虐史観とかのしがらみのない勝てば官軍教育のアメリカの大学に行けば右傾化するのは自然の成り行きだし、戦後教育を享受した人間が左傾化するのもまた自然の事だと思う。
そういう意味では作家ほど右翼になりがちだし、理工系を専攻したりアニメや芸術に傾倒するような人ほど左翼になりがちなのはごく自然のことだよ。
そう考えれば、“右翼は文系、左翼は理系”という説もあながち嘘とは言い切れないんじゃないかしら。
無論、文系にも左翼はいるし、理系にも右翼はいると思うけど、問題は大多数が上の通りかどうかの話で、実際そうなんじゃないかって話なのだけど。