ふと思いついてtwitterで騙されてるバ……賛同派の意見をひいてみると、
「最初意味がわからなくて??? だったけど原爆の隠喩という話を聞いた時に腑に落ちた」という人がいた。
意味もくそもナンセンスは意味がないからナンセンスなんだろうが、の一言で終わりそうな話だ。
でも、そんな簡単な話なんだろうか?
昔からシュルレアリズムやナンセンスは大衆的なエンタメにも取り入れられてきた。
そういうものを観て育ってきたはずの人びとが、「意味がないこと」が耐え難いというのはどういうことなんだろう。
ラッスン騒動で一番似ていると思ったのはトトロの「メイとさつきは実は幽霊説」だ。
あれは単に作画のミスであり、そんな意図はなかったという話が制作側から既に出ている。
だけれど、インターネットは未だにこの話にとびつきたがる。
なぜかといえば、ひとつには非民主的な国家が育んだ「物事にはなんでも裏がある」意識と、もうひとつは日本のインターネットの奥底に眠る宮崎勤的な欲望のせいだ。
後者には説明がいるだろう。
ざっくりいえば、おまえたちは表面上は「ほのぼのしている、かわいらしいもの」を好む一方で、裏ではこれらをとにかく破壊したがる衝動を秘めている。ほぼ確実に100パーセントそういう欲望を持っている。反省しろ。
覚えておられる方々ももはや少ないだろうが、2000年代初期に「しぃ」というアスキーアートキャラクターがいた。
かわいいかわいいネコのキャラクターで万人に人気を博していたが、一方で一部の人びとから凄惨な「虐待」を受け、しぃの内蔵をひきずりだしたり、失禁させるAAが乱造された。ただかわいらしく見えたから、ただ清純そうに見えたから、ただちやほやされていたから、という理由で。抵抗もできない電子上のキャラを一方的になぶり殺しにした。
思えば、あのときネットコミュニティはもっとこの問題について真剣に議論すべきだった。しかしあの時点では2ちゃんのAA関連板でのローカルな事象にすぎず、目についても「うわ、きもいやつらがいる」とスレを閉じるだけでやりすごせた。
それがいけなかったのだ。
抵抗する手段を持たない存在には何をしてもいいと考えるような連中を放置してはいけなかったのだ。
今、twitterでシナモンをいじめている連中が成長した彼らか、彼らと似たような子どもたちであることは想像に難くない。
彼らはやがて現実の、生身の肉体をもった弱者へと牙を向けるだろう。
まあしかしそれは本題とは関係ない。関係ないのだが、なんか今日はもういっぱいいっぱい書いて疲れてしまったので「日本人は自分らはメタで戯れることのできる知性の持ち主であることを過信して、戯れを本気にしてしまったかわいそうな人たち」という話は止めてもう寝ます。
何が高校生だ嘘つくなこのクソジジイ
この青臭さ、というか黒歴史感はかなりリアルだとおもう。