はてなキーワード: サヨリとは
ローソンのデザインの話題に飽き飽きしているので、気晴らしにビジュアルが好きな魚を挙げていきます。
シマシマ模様がかわいい。と思いきや、成体になると模様は消え体全体的が黒っぽくなる。成長過程における、かわいいからかっこいいへのメタモルフォーゼがなんとも素敵。釣り物として高難度の部類に入るのもまたかっこよさに花を添えている。とてもおいしい。
大きな口に大きな目におしゃれなヒレ。深めに棲む個体は鮮やかな赤色で、防波堤なんかで釣れるものと比べてすごく大きい。釣りビギナーに「これ食べれるの?」と言われがち。とてもおいしい。
ユニコーンのような一本角。わさびがおろせそうな硬い皮。なんの役に立つのかわからない、ひし形の魚体。子供心をくすぐるミステリアスフィッシュ。そしてカワハギといえば肝。肝の大きさがおなかの張り具合に正比例しているのもポイントが高い。とてもおいしい。
スタイリッシュさをいい塩梅で追求したらこの形になりました。イカした角は下顎が発達したもの。青みがかった銀色のボディが涼しげでかっこいいけど、だいたいダンゴムシみたいな寄生虫がくっついてる。とてもおいしい。
大きな口、大きなエラ蓋、大きな尾びれ。大きいことはいいことです。控えめな色も渋くてかっこいい。河口や漁港にいるのがマルスズキで、磯にいるのがヒラスズキ。ルアー釣りのターゲットとして人気。とてもおいしい。
数年前に話題になったDoki Doki Literature Club!(DDLC)を今更ながらプレイした.と言っても最後までクリアしたわけではないが.
だから物語の結末を知らないし,このゲームの批評をあーだこーだ書こうという気も毛頭ない.
では何故こんなところにこんな駄文を書き連ねようと思ったか,それは今になってこのゲームに触れたこと,途中でプレイを諦めてしまったことにも関係がある.
まあ,一言で言ってしまえば自分の心理的な状態,気持ちの整理である.
普段は長文を書く習慣も無けりゃ読書もロクにしないことに加え,自分の感情を外に向けるといったことが出来なかった人間が整った文章を組み立てられるとは到底思えないが,どうしても書き留めて吐き出さないといけない気がしたのでこの場を借りることにする.
このゲームが話題になった当時,自分は鬱状態にあった.正確には医者にかかり鬱と診断されたのは2018年くらいのことなので,当時は自分が鬱だという認識は無かったが,振り返ってみればかなり酷い生活を送っていたと思う.それでも,精神状態が良くはないという自覚はあったようで,SNSの評判やnot suitable for those who are easily disturbedの注意書きを見てプレイはしなかった.
そして現在.未だに服薬中ではあるが一時より処方量も減り,身の回りの不安要素も軽減されて気分も上向きになり趣味や勉強に関わらず色んなことをやりたいなあと思っていたこともあって,思い出したようにDDLCをダウンロードした.正直,グロテスクな表現は好きではないがそれほど苦手というわけでも無かった(前情報がその程度の認識だった――これは大きな誤りだったが)ので,どんなもんかと軽い気持ちで起動した.
そこからは普通のギャルゲとなんら変わりなく読み進めていた.完全に自分の好みでナツキルートにするような形で進めたが,作中で文化祭が近くなってきた頃,主人公の幼馴染であるサヨリの様子がおかしくなる.これも,主人公のことが好きな気持ちを抑えきれずに他のヒロインに嫉妬してしまうよくある構図かなと軽く構えていた.が,主人公がサヨリの部屋を訪ねるシーン.彼女の部屋のインテリアは数年間ずっと同じまま.そこは酷く散らかっている(これはこの場面以前にも語られていた.)何かを隠し通そうとする言動.そして,朝起きられずによく遅刻をする,明るく元気に振る舞っているのは主人公の前だけ,という彼女の質や今までの言葉が脳裏に駆け巡ったとき,次のテキストで彼女が何を告げようとしているのかがハッと思い浮かんだ.鬱だった.まさに僕自身がそうではなかったか.自分を繋ぎ止めていたものが意中の異性ではなくとあるコンテンツであったという違いはあれど,自分がこの世に必要とされていないのではないか,何も出来ず生きているだけで周りに迷惑を掛けている自分に果たして価値があるのか,といった地獄のような疎外感(という表現が適切なのか分からない.僕はこの鬱屈として捻じ曲がった気分を表せる言葉を知らない)の中でもなんとか生を見出す理由になるものがどれだけかけがえなかったか.それがあるから頑張ろうと出来たことって沢山あったのではなかったか.そして自分が不安定なことを周りに悟られぬよう,自分で自分を騙し通すことの苦しみはどれほどのものだったか.どうしてもサヨリに自分を重ねてしまい,この辺りからゲームどころではなくなった.
幸いにも僕の場合はそれが自分の元から逃げ去っていくようなことは無く,いつでも逃避の先になってくれたし荒んだ気持ちを多少なりとも癒やしてくれた.安っぽい言葉ではあるが本当に心の支えとなるものであった.それは今も変わらない.しかし彼女はどうか.彼女は主人公自身の幸福に拘っていたが,実際のところはいつまでも自分の隣に居て欲しかっただろう.求めたら求めた分だけ応えてくれる存在でいて欲しかっただろう.そして何より,信頼していた人からの理解してあげたいという上辺だけの言葉は一層胸を深く抉っただろう.壊してしまったと言っていい.比喩ではなく本当に命よりも大切な存在を失ったとき,心の弱った人の行く末は.
そして一番ショックだったのが,他の誰でもない自分がこの選択の手助けをしてしまったということ.作中では,他人の趣味を馬鹿にするな,嫌な気持ちや恥ずかしい気持ちは他人と共有する,といったような他人を尊重し合うことの大切さが説かれていたのではなかったか.それでも僕は自分のためだけに好みの子と恋仲になるための選択を重ねていた.もう少し思いを巡らせて別の選択が出来たのではないかと思ってしまう.
ノベルゲームなんて筋は決まっているし,(分岐を抜きにすると)そこにプレイヤーの意思が介入することは無い.よって誰が見ても自分のこの思考は頭がおかしいんじゃないかと思うだろうし,自分でもそう思っている.恐らくゲームに向いていないんだろう.
だから,DDLCというゲームの登場人物として生み出された以上,サヨリというキャラクターの運命は決まってしまっている.どうあがいても避けられない結末がある.僕にも,他の誰かにもどうすることも出来ない.
この文章も,このどうしようもない罪悪感を打ち消すために書いているのかもしれない.それもまた自己中心的であるが.
とは言っても流石にゲームと現実の区別がつかないほどアレではないので,この体験をきっちりと消化出来れば良いなと思っている.他人に寄り添える人間でありたい.
何より,この一連の過程で迷惑を掛けている人が居ないのが幸いである.いや,こんな怪文書を不特定多数に発信している時点で迷惑極まりないな.
以上.