はてなキーワード: 揉め事とは
なぜか揉め事で私が正しいと感じたり少なくとも個人的に共感できると思って肩入れした側の当事者が自殺してしまうことが多い。
作家や芸能人のような有名人からネットの無名人同士の争いまで、私が過去に見てきた色んな揉め事で。
私が味方した当事者が死んでしまうのは悲しく、自殺に追い込んだもう一方の当事者がのうのうと生きているのは悔しい。善人が早死にして悪人が世に蔓延ることに怒りを感じる。
もう一方の当事者も自殺すればこの溜飲が下がるだろうし、正義が実現したと感じて晴れ晴れとした気持ちになるであろう。
ところが、ネットで他人の反応を見ると「自殺という悲劇を繰り返さないために、もう一方の当事者を批判するのは止めよう」という意見が支持を集める場合が多いようだ。
カラオケ行こ!観た。
いつもならシャバい実写化映画と無視していただろうけど、TLのオタクが良かったと言っていて逆張りセンサーが停止した。
ソフトBLっぽい感じなのかなと思いつつ、菊次郎の夏とかムーンライト的なヤクザと少年の文脈で見れば行けるか、と思って観に行った。綾野剛とハリーポッターみたいな少年というキャスティングではありつつ、絵柄による先入観もなかったのでその辺は観る側次第な気がした。綾野剛スタイル良いな。
冒頭のシーンでそういえば合唱モノも嫌いだったなと思い出して不安になったけど、その辺のバランスも良い感じだった気がする。歌がテーマではありつつ、歌いすぎないことで最後の紅も際立ってたし。
最初の紅は素人のカラオケとして別に全然下手でもないような気がして、よくよく思い出せば別にド下手と言っていた訳でもなかった気がするけどちょっと引っかかった。まあその分中盤のヤクザ達のインパクトがあって良かったのかもしれない。
ヤクザのコワさや部活の悩みも挟みつつ、あの気の抜けたBGMと共に一貫した軽妙なコミカルさを楽しむ作品という感じだった。紅の天丼とか結構フフッとなった。
和田君とか映画部のアイツとかも良いキャラしてたし、過不足なくちょうど中学生といった感じのやり取りもまた箸休め的に楽しめた。映画を見る部で流れてたのはカサブランカと自転車泥棒と、あとは何だったんだろうか。
変なヤクザに翻弄される可笑しさから、徐々に打ち解けて互いの軽妙な関西ノリの面白さへと変わっていって間延びもせず退屈しない。
チンピラに絡まれたり調子づいてカスと言って掴みかかられたり、ヤクザの怖さを描く場面でコミカルさから離れてピリッとするけれど、あんまり漂白された(もちろん本作でも相当されてはいるものの)反社会勢力というのもなんだし、それじゃただヤクザを名乗る変な人になってしまうし、あれも必要な場面だったなと思えた。ありがちなコメディでは物語に展開をつけるためのこういうシーンが中弛みめいて感じるけど、特にそういう印象を抱かなかった。
無神経にも学校に現れた狂児に同級生との揉め事をからかわれて、もう知らん!一人で困ってろ!ってなった後にLINEで大人の対応をするのが、少年とやくざ者の友情の距離感というものを端的に表すようで非常に良かった。
増田だって普段からどんな喧嘩や揉め事も裁判で白黒つけないと謝らないなんてことないだろ。
いや、極端に「ゴメン」を言いたくない困った人たちって確かに世の中にいるけど、そゆ方々ってこんな思考回路なのか?
別に、過去に自分からされてイヤだったことを訴えてきてる人がいたら、「ごめん」言っときゃええやん。
なにも日本社会全体に謝れとか言ってるわけじゃないやろ。
それがあまりに言いがかりなら、謝った後でも弁明したらいいし、
それが自分に不利益をもたらすなら、謝った後でも別に裁判できるし。
別にまっちゃんがクロで女がシロと知らしめるために「謝っときゃいい」とか言ってるんじゃないんじゃない?
それは俺も、増田が気にしてるトップコメの人も、それに星つけてる人たちも、そうなんじゃないかと俺は思った。
すんなり謝罪つつしっかり弁明もして絶賛されるヒカキン見てると、
「謝ったら負け」という気質は損だよ。
とくにブンシュウなんか否認すればするほど後からネタを引っ張り出してくることはもーみんなよくわかってんだから。
その程度の話。ま、あんまカッカしなさんな。
新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分の気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。
「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」
30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強に熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。
人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生の出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分の意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切りに人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティーの人生の責任は取れない=つまり全ての最終決断はケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)
Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループの広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所やグループには出来るのになぜ出来ない?の世界の不思議をいつも彼なりのアイデアで解決してきたし(それでも出来ない/私たちがやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)
ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループの中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまったからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちだけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます
公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティー、アイドル、芸能界に限らない人間の普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断はきっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)
繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手な憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロで活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロで活動する、だったのかもしれません。
とはいえ、中島健人がいるグループのファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループのエースである中島健人と共に。
そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプルな私たちのメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字やそれからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)
それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドル⇔ファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情得たことがないのでいかに彼らの存在が自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、
我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、
※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※
私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。
その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。
今や社会人としてビジネスにおける数字の重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメの世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファンの雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDやDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしまい担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています、推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!
Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンス、MCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー、自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体(テレビ)が絞られていた平成の時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味で国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手な確信のようなものを持ってしまっていたのでした、
最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、
一昨年のマリの卒業はその過程(発表〜カウコンの卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間で証明してくれたのではないかと思っています。
だからこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由や意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います。
また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉)
本人は発表翌日ドラマの宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身の言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドルの方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zoneが卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。
一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたはSexyのアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)
前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループの温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります。
※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※
私は中学高校と体育会系の部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春をシンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的やモチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。
部活と仕事(人生)なので根底が全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)
もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知に差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。
表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?
一つ疑問なのは、グループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択をしました。
私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在の事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。
実際に一連の騒動に不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。
彼のいう、1人のアイドル、俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、
と書きながら、最近インタビューや映画にまつわる番組、海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくまで国内と海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断をしたこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、
さて、この簡単に言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います。
こんな長々と書き綴りましたが、
最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタクの本音のひとつをもう一つだけ書いてしまうと、
「やっぱりSexy Zoneがいい!」
「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」
ってお互い言ってもいいんだよ!
まだ許す!許せる!間に合う!
最後の最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。
でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます。
書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。
私はPM。要件決め、設計などは得意だが、細かい技術的な部分はよくわかっていない。
チームリーダーB:経験豊富。全体設計もできて、コーディング速い。顧客折衝もできる。
新人C:経験浅い。コーディング遅め。devopsやプログラム言語についての知識がある。こだわりが強い。SNSでもいろいろ発信。
私は板挟み。
チームリーダーBは頼りになる。新人Cも最新の技術的な動向を追っていて、いろいろ知っていて関心する。いわゆるベストプラクティスというのは新人Cが提案するやり方なのかな、と思う
たとえば、クラス設計はインターフェースを用いてもっと疎結合にコードを組むべきだとか、テストコードのカバレッジをもっと上げないととか、言ってることはもっともだと感じる。
チームリーダーBはそういった細かいところにわりと無頓着なのかもしれない。ずっとやってきたやり方に固執してる部分もあるだろう。
私が若かったころは先輩のやり方は絶対だったため、こういった揉め事は少なかったように思うが、
最近は新人も学生時代にネットで多くを学んでいるため、知識が豊富で理論武装もすごいため、先輩が言い負かされてしまうケースも多い。
私の意見としてはBもCも良い部分があるため、どちらの意見も採用したいところだが、相性がよくない。
BはCのやり方だと、他のメンバー(DやE)の面倒もBが見ることになり、自分の負担が増えると言う。
ただ、保守性の高いプロダクトにしておかないと、長い目で見たときにあとあとキツくなってくる気もする。
あと、CはCで時間を掛けてばっちりテストコードを書いてるはずだが、経験が浅いせいか、テスト環境にデプロイさせると、かなりバグを発生させている。。
どうしたらよいだろう。
9.11を踏まえれば飛行機に乗せて一番リスクが高いのはテロリスト予備軍たる人間そのものだし、ケージに入ったペットなんぞそいつらに比べたら安全そのものとしか思えんのだが。
鳴き声がうるさい、加害されるかもしれない、アレルギーを発症するかもしれない、脱出時の邪魔になるかもしれないとか言ってもそれは先に述べたテロリスト予備軍の人間や赤ん坊や痴呆老人、障害者、DQN、感染症持ちの人間も一緒だし、それらをリスクと感じるならだったらそいつらも貨物室に入れておけという話になる。
結局この問題を突き詰めたら「理性的で高い知能を持った従順で無害な信用スコアMAXの人間以外飛行機に乗るな」って結論になるし極めて優生学的なのよね。それでいいならどうぞって感じ。
当然だがこんなくだらないニュースでいちいち感情的に怒り散らかして説教欲満たしてる君たちは全員貨物室行きだぞ。
2023年、10年近くやってた趣味を辞めて、世にいう「人生」の一部がやや分かるようになった気がしている
色々揉め事があって、趣味をやってた集まりから距離をとるようになったのがきっかけで、今まで自分はその趣味に依存していたのだなということに気がついた
趣味を辞めたら、それにかけていた時間、リソースが、生活に向けられるようになった
自分は家事ができないと思っていたのだが、趣味を辞めてからは部屋を(それなりに)きれいに保てるようになったし、自炊もできるようになった
仕事がしんどかったのも、趣味のために寝不足だったからだと気がついた
趣味は楽しかった、それは確かなことで、今も未練はあるのだけど、辞めなければならない状況まで破綻したのも当然のことだったなと反省している
「そのことだけ」しかできないのは真っ当じゃないし、寝不足で人間関係なんてやるもんじゃないんだよな
題名のことに戻るけれど、世に語られている人生の暇さというか、虚しさというか、そういったものが分かるようになった
独身で恋人もなく、夢中になれる趣味もないと、なるほど時間が余るし寂しいよなと身にしみて感じられた
あと金がかかる 金がかからない趣味をしてたので知らなかったのだけれど、映画館に行くにも旅行に行くにも、外に出るのって金がかかるね
そういった文脈で、家庭が欲しいとかもっとお金が欲しいとか、これまで理解できなかった欲求のことを実感を持って感じられるようになった
なんというか、「人生」がちょっと分かるようになった気がしたのだ
分かったことが悲しいような寂しいような、しかし分かって良かったと安堵するような感覚がしている
何であれ、自分の趣味に対する姿勢は明らかに依存だったし、抜けれて良かったと思う
ただ、依存のない人生ってクリーンで、健康的で、だから何なんだ? という気持ちもないではない
あのドブみたいに夢中になってる時間にしか得られない快楽物質もあるんだよなあ
この空虚さを埋めるため、に何かをするのではなく、かといって空虚をそのままにするのでもなく、楽しく独りで気楽に生きていく方法を考えたいよ
罠は大きく3つあります。
〜目次〜
法律を守ったり、礼儀礼節を守ったり、社会のルールに基づいて適切な判断と行動をする能力のことを「筋を通す社会性」と定義します。
「本当は筋を通したいが、自分の地位が低いため妥協するしかない」という種類の社会性です。
サービス残業でも働くとか、上司が間違ったことを言っているけど指摘すると逆ギレされるから黙るとか「世の中は完璧じゃないから仕方ない」
と割り切る社会性のことです。
「理不尽に耐える力」とも言えるでしょう。
「筋を通す社会性」は自分の地位や人脈、能力の範囲内で発揮されます。なるべく「筋を通す社会性」を発揮した方が立派な社会人になれます。
「優秀な人ほどすぐ辞めていく」なんて決まり文句は優秀な人が「筋を通す社会性」を発揮した結果、「妥協的な社会性」を求められる場所から離脱することで起きる現象です。
責任が重い重要な仕事をしている人ほど「筋を通す社会性」が求められます。
「残業代が貰えなくても働く」「上司が間違ってても従う」「悪さをしないと存続しないような業界・会社で働き続ける」
という長期的にみて損する行為なので、あまり良いものではありません。
生活水準をあげたかったら「筋を通す社会性」を発揮する必要があります。ただ、「筋を通す社会性」を発揮するには
「筋を通す社会性を発揮する上で必要な能力・人脈」が必要になります。
例えば東大卒で人脈も実績もある大手企業のサラリーマンが「この会社のやり方は良くない。〇〇さんのコネで✖️✖️社へ転職しよう」
という判断をした場合が「筋を通す社会性と人脈を発揮」するケースになります。
昔は儲かっていた企業でも傾いた事例は存在するため「この会社のやり方は良くない」という感覚が正しいものであれば長期的に見て良い結果になるでしょう。
逆に30歳のスキルも人脈もないサラリーマンが「サービス残業とか無理、明日から会社辞めるわ。働いた分、手厚い待遇くれないと」
とか言い出したら「舐めとんのか?」という感じになるでしょう。
30歳のスキルも人脈もないサラリーマンには妥協的な社会性を発揮して現在所属している会社で働くか、無職になるかの二択しかありません。
もちろん妥協的な社会性を発揮すると長期的に損をしますが、筋を通す社会性は身の丈と同じレベルにしか発揮できないためしょうがないです。
このように「可能な限り筋を通す社会性を発揮し、必要に合わせて仕方無く妥協的な社会性も仕方なく発揮する」というのが健全な状況です。
しかし、過干渉ヒスママには筋を通す能力は低いので、妥協的な社会性を自分の子供に求めてしまいます。
過干渉ヒスママにとって社会性は「自分のご機嫌を取ってくれること」です。
そして、一部の先生も妥協的な社会性を子供に求めてしまいます。
習ってない方法で算数の問題を解いたら✖️とか、努力してる感を出すために非効率な勉強方法をさせるとか。
彼らは質の低い妥協的社会性を子供に教え込もうとしてしまうのです。
豊かな暮らしを実現する上で必要なのは筋を通す社会性です。先生は社会を知らないと言われる原因はここにあります。
「社会性=理不尽に耐えること」という定義になっているならば、健全な社会性を持っていないため黄色信号です。貧乏まっしぐら。
前の記事で書いた「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」の感覚になっているならば赤信号、もう社会に適合できません。
「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」が分離している状況は具体的にいうと
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という思考回路です。
健全に育った人間には意味が分からないと思うのですが、妥協的社会性を子供に求めるタイプの大人に育てられると
「これは〇〇した方が良いんだろうな。でも先生の命令通り××のやり方でやらないと怒られてしまうな」という経験をしているため
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という病的な発想になってしまうのです。
私の場合、勉強の無駄を省いて上位50%の成績から、上位5%の成績まで成績を上げましたが、成績が上がった後、私の元々の成績を知らない
先生が来て「勉強の無駄を省く???手を抜きたいだけじゃないか??成績が良いからって調子乗ってんのか?」という反応をされ、反抗したら
陰湿に虐められることになった経緯があり、元気のあるうちは揉めたり抵抗したり、塾を辞めようとしたりしましたが、自分の親も先生も言葉が通じないため
塾を辞めることができず成績が下がりました。
「今までこうやって勉強して成績を伸ばしたな。でも先生の言う通りに勉強しないと虐められるし。でも先生の勉強法は良いと思えない。。」
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」と言う発想になっていました。
妥協的な社会性を出すと短期的に揉め事が減って得しますが、長期的には損するため、筋を通せるなら通した方がいいです。
私は塾を辞めようとして親や先生と揉めましたが、過干渉ヒスママに子供の意思を尊重するような高度な感情はありません。
子供には人権がないので、筋を通すことは難しいですが、私が人生をやり直せるとしたら塾を抜け出して図書館で勉強します。
自分が困難な状況にいると「自分に問題があるから困難な状況に追い込まれている」と考えてしまいます。
これが落とし穴です。「きっと自分がおかしいんだ」と思った時、寄ってくる人間は「だからお前はダメなんだよ」
彼らは確実に勝てそうな相手を選び、マウンティングすることで自尊心を満たしています。
偉そうにしていますが、冷静に彼らを見てみると大したことがありません。
私にマウントしてきた人は大学を留年しているくせに、私に向かって「高学歴の底辺よりFランのトップ」みたいに
言ってきました。留年しててトップなんてのは認知が歪んでるから出てきた言葉としか思えません。
罠1で妥協的な社会性を植え付けられたり、罠2でクズから説教されたりするため、
底辺に陥った人間に必要なのは「周りの意見を無視して自分が正しいことをしてみる勇気」だったりします。
自分に問題があると思うと、自分を信じれなくなりますが、自分がダメな状況の時に自分に対して向けられるアドバイスはクズの妄言なので
自分の考えでなんとかするしかありません。自分を信じましょう。
まずは自分で考えて、自分の考えの通りに行動しましょう。その過程で適切な社会性を身につけましょう。
そうすればなんとかバイトが務まる程度にはなりますし、普通に働ける程度にはなります。
人は自分の経験したこと以外は共感も理解もできないため、底辺に陥った弱者男性の状況を適切に理解してアドバイスするなんか無理です。
機能不全家庭に生まれ、複雑性PTSDを抱えると人と関われなくなったり、社会生活が困難になったりします。
そんな人が人間関係を築く方法は、人間関係を形成するときの目的に注目することです。
例えば、新しい環境に移動すると「新しい環境の人と仲良くすること」が人間関係の共通の目的になります。
その次に「自分の趣味を共有したい」とか「自分の身に起こった面白い話を共有したい」とかに人間関係の目的を移行します。
ただ、人間関係にブランクがあると「健全に生きてきた人が何を考えてるか知りたい」とか「新しい人と仲良くしたい」とかで
人間関係の目的が止まってしまうので、最初の方は仲良く話せても人間関係が続かなかったりぎこちなかったり
ワイと違って良識があるから比較的無礼にならない表現使っているだけでは?
█████というよりも普通の人だからあがめるのお辞めなさいの方が角立ちませんやろ
ワイ的にはひろゆきの話は親が国税局を定年まで務めた職員でいま税理士で終わるわ
この話、ひろゆき自身はまったく隠してないが、国税局や税理士的には触れてほしくない話題みたいよ
増田はどうやら違うようだが、ひろゆき・ホリエモン・DaiGoが羨ましい人ってその信者でもなかなかいない
私設警備員雇えるレベルのガチ上級でも、ガチのあたおかと絶対殺るマンには勝てない
ガチの上級でも無いのに人に恨まれる・極端に嫌われるような生き方をしては
金があっても楽しくは暮らせないよ
いいメシ食って、モデルの彼女や奥さんがいて、ハウスキーパーがいて、専属の医師がいて、SPに守られてても、
みんな、ガン・脳卒中・心筋梗塞・免疫弱りからの過労死とか薬のやり過ぎで早死にしてる
世界的に成功して金が有り余ってても、肉体労働してなくても、ストレスまみれだと、精神病含めた病気になるか死ぬやで
募金募ってるだけの事をカルトだの好き勝手言って叩く事が続いてるけども、相手は何言っても許されてきた与党政治家じゃなくて、そこらの誰とも変わらない一般人であることを忘れてる人ら多過ぎない?
そこにルサンチマン的な大義名分の道理はないし、むしろ暇空側とそれに相対する側、どっちに政治家やメディアと言った権力が付いてるかは明らかだよな。
初手議員会館で会見とか、揉め事の和解で私的にメディア動かして晒しあげとか普通あり得ないしな。
その捻れを無視して自分達こそ『弱者』と主張する事で自身の『正義』を保ってるんだろうけども、何をどうしたところでどう見ても弱者は権力にコネなど一切持たないただの一般人である暇空茜個人なのよ。
左翼、リベラル、フェミと言った強者を批判する事で支持を得てきたはずの連中が、その事実に向き合わず、一斉にそんな個人を袋叩きにし、そして暇空茜がそれで折れない個人であった事で、ピカレスクロマンの構図が成り立ってしまったと思う。
まあそれでも彼らは自身の『正義』を捨ててしまったら死んでしまうから謝れないし、突き進むんだろうね。
だから、この決定的な決裂はもうこの先もずっと続いていくんだろう。
暇空茜自身はそこまで英雄的な人物でもないのだけど、弱者の味方と正義面してきた面々が自身の墓穴によって面を破る事態に落とし込んで行ったのは何とも寓話的だね。
たいていの男性アイドルファンは、共演している女優に自分を投影して、自分がキスされたりいちゃいちゃしてると仮想体験することによりキュンキュンするわけよ。
しかし、自己肯定感が低いブサイクなオタクの場合はそれができない。共演相手のキラキラ若手女優と自分を同一視することなんてできないからね。
むしろキラキラ若手女優なんてドラマ共演をきっかけに熱愛発覚しちゃう可能性だってある敵だし、敵に向けて愛情を向けてる推しなんて見てらんないでしょ。
アイドルがファンになってほしいのは、前者、キラキラした自己肯定感の高い人たちである事実に気づいたほうがいい。
また、そっちのが世間的にもマジョリティだから厄介少なめで回収できる金は多くなる。
他ファンと揉め事起こすオタク、推しのために風俗で金稼ぐオタク、チケット転売で犯罪沙汰起こすようなオタク、要は自己肯定感が低い厄介オタクからはご退場いただきたいわけ。
あとさ、最近のアイドル収益って、ファンの金よりファンの時間とか行動とかが指標になってきてるでしょ。
強火オタクが人生投げ売って稼ぐ金は、ライトファンのお小遣いの何百倍にもなるかもしれないけど、オタクもライトファンも時間は平等に1日24時間だからね。
だからメジャーアイドルはライトファンの数増やしたいと思うよ。
CDとかグッズの売上より良質なタイアップ確保できたほうが儲かるし、タイアップの選考基準って視聴率より再生数とか滞在時間になってるでしょ。