2024-01-30

揉め事で一方の当事者自殺した時に「敵対していたもう一方の当事者自殺してほしい」と願う私はおかしいのかな?

なぜか揉め事で私が正しいと感じたり少なくとも個人的共感できると思って肩入れした側の当事者自殺してしまうことが多い。

作家芸能人のような有名人からネット無名人同士の争いまで、私が過去に見てきた色んな揉め事で。

私が味方した当事者が死んでしまうのは悲しく、自殺に追い込んだもう一方の当事者がのうのうと生きているのは悔しい。善人が早死にして悪人が世に蔓延ることに怒りを感じる。

もう一方の当事者自殺すればこの溜飲が下がるだろうし、正義が実現したと感じて晴れ晴れとした気持ちになるであろう。

ところが、ネット他人の反応を見ると「自殺という悲劇を繰り返さないために、もう一方の当事者批判するのは止めよう」という意見が支持を集める場合が多いようだ。

これが人々のホンネなのだろうか? 私は世間多数派とは感じ方が違うのだろうか?

ネットを見ているとたまにこういう気付きがあるのが面白い

  • 頭がおかしいんじゃねぇのお前?

  • これめちゃくちゃ分かる。

  • いつからお前は「私は当事者ではない」と錯覚していた?

  • おかしいとは思わないけど、共感はしないな。 どちらかと言えば、そんな簡単に死ぬなやと思う。(ケースバイケースだが) SNSの言葉やニュースに傷つくなら見るのやめたらいいのに。

  • なぜか揉め事で私が正しいと感じたり少なくとも個人的に共感できると思って肩入れした側の当事者が自殺してしまうことが多い。 今回は自殺の原因がお前みたいな奴だって本人が明...

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