はてなキーワード: 徹夜とは
結局、徹夜というのは、どれだけ勉強する気になるか?とか働く気になるか?という部分が大きい。
夢も希望もない社会じゃ、徹夜してまで勉強したり労働したりする気にはなれないだろ。
たとえば、頑張って出世したらポジションが貰えてお金が貰えていい女とセックスができます。っていうのが提示されてる現代は夢も希望もない世界だろ。
若ければ仮眠2-3時間で1週間働き詰めで日曜だけ休むとかバリバリできるけど。
年をとると体の問題以外も含めでできなくなってくる。
これが出来るかどうかは確かに生まれ持ってのホルモン分泌の影響もあるかもしれん。
http://anond.hatelabo.jp/20130619061242
女の話だと思って開いたら男やん。
妻がうまく泳がせて子育てした気になっているだけなんじゃ。
親の助けもないなか、妻よく決断して産んだよ、育てたよ。
6ヶ月で預けたとはいえ、「子育てを大変だと思ったことはない」って...本気?
熱だってよく出してたんでしょ?親が大変じゃなくとも、子供は大変だったよ。
それはさておき、
一般的には仕事を始めてしまえば、学生時代ほど関われないから良かったかもね。
でも一般的な大学生が徹夜で宅飲みしたりして、一生ものの友達を作っている間、
子育てより、大学時代にしかできないことは、沢山あったと思うよ。
残業が当たり前という風潮
なんなのこれ
残業したくない!辛い!ほんと無理
倒れるわ
せめて1年経ってから辞めたほうがいいっぽいので1年経つのを待っている。
入った頃は残業なんて皆無だったのに
今週来週は休めないんだろうな
辛・・
こっちまで迷惑
明らかに2、3人分の量の仕事をみんなこなしている
アホか
場合によっては世間で言われている方法と逆のことをした方が効くこともあったし、自分なりに症状改善の原則のようなものが見えてきたので、せっかくなのでこれまで色々と試してきた方法を記録しておきます。
以下、方法の記録:
結論から言うと、
とにかくこの2つを同時並行して体質改善を図る。同時にやらないとダメ。
いずれにしろ、洗った後は洗浄成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要。インドの洗髪ハーブ(ヘナ、シカカイ)も試したが、これは合わなかった。
石鹸は頭皮・頭髪(上記参照)や脇の下など匂いが気になるポイントだけに使い、他の部分はお湯だけで流すようにしたら症状が改善。もちろんタオルやブラシでこするのは論外。手で洗う。ボディーソープも論外。これも、洗った後は石鹸成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要。要は、石鹸で皮脂を過剰に落とすと、身体の正直な反応として過剰に皮脂が分泌される体質になってしまい悪循環なので、常に適量の皮脂が体表を覆う健康な体質になるよう使う石鹸の量を根気よく少しずつ減らしていく。
風呂を2~3日に一回に減らしたら症状が劇的に改善した。世間ではアトピー対策として「入浴して身体を清潔に」とよく言われるが、あくまで対症療法で、清潔にすれば治るという意味じゃない。そもそも身体の綺麗な人は風呂に一週間入らなくても臭わない。体育会系やガテン系ならともかく、デスクワーカーなのに風呂を減らしたくらいで臭ったりベタついたりするのは体質が悪いのだ。石鹸を控えたり、胃腸を整えたりして体質が良くなってくると、風呂に入らなくても気持ち悪くならなくなるし、風呂に入るたびに保湿剤を塗りたくる必要もなくなっている。そういう意味で、「風呂を控える」のは最後の仕上げ。最初にやったらむしろ症状が悪化するかも。
ぬか漬けは生きた乳酸菌が豊富。これは割と効いた。自分で糠床をかき混ぜたので、もしかしたら食べること自体よりかき混ぜる方に効果があった可能性はある。ヨーグルトとか、最近さかんに広告しているアレルケア錠も数ヶ月間試してみたけど、そっちは特に効いた気はしなかった。自分に合った乳酸菌源を見付けると良いんだと思う。
玄米は食物繊維が豊富。これもかなり効いた気がする。ただ、玄米飯にした結果、必然的に良く噛んで食べるようになったので(硬すぎて噛まないと飲み込めない)、そっちに効果があった可能性もある。いずれにしろ、食物繊維を良く摂ることと、良く噛んで食べること、どっちもやって損はないと思う。
世間では「脂分を控えろ」ということになっているけれども、どうも、それを真に受けすぎて油を減らしすぎていたらしい。一時期、玄米菜食に近い生活をしていたのを、意識して肉や油を食べるようにしたら肌のカサカサがだいぶ改善した。もちろん質の良い油ね。二郎とマクドナルドは我慢。
根本的な治療にはならないと思うのだけれど、一時的に湿疹が引く裏技がこれ。
怪我をすると皮膚を修復するため体内でステロイドが生成されて(?)、怪我が治るまでの間、面白いように湿疹が治まる。口内炎になる、という手もある。私以外の人にどれほど効果があるかは知りません。
体質が改善されてくると、それまではステロイドを塗り続けないと湿疹が治まらなかったものが、一回塗っただけですぐ治るようになって、弱いステロイドに替えて、、、というワケで、今でも疲れがたまったときなど小さな湿疹が出ることがありますが、薬を塗らなくても治まるようになりました。だいたい、普通の人の体質になったと言って良いと思います。
10年間で得た教訓は、「○○でアトピーが治る」っていうキャッチコピーは、○○に入る単語がステロイドにしろ民間療法にしろ、ウソっぱちってことです。それだけでアトピーが治る魔法の薬なんてない。全体として体質を改善していかなくてはいけない。あと、症状が改善した結果として脱ステできるのであって、脱ステすると症状が改善するわけではないです。
...なんだか体質改善信者の布教記事みたいになってしまったけれど、徹夜はするし運動は全然しないし、それほど厳格にやってるわけじゃないよ。
辞めるとか耐えれるとかは、個人個人で耐性が違うからよく考えてみたらいいと思う。
俺は今月いっぱいで会社辞めるけど、俺の場合は終電帰りが1年中続いた。
終電なくなってタクシーで帰るのもしょっちゅうだった(タクシー代の経費ぐらいは出るような会社)。
ミスとか問題とかは無かったが、ピークが何度もあって、「これを越えたら楽になるだろう」を何度も繰り返して
結局、楽になることはなかった。月の残業時間は100ぐらいだったと思う。ちなみに全てサービス残業だ。
これでもうちは休みがあったから楽な方なのかな。いわゆる過労死している人たちは月200時間とか残業していたみたいだから。
不幸自慢合戦大会みたいになるけど、そういうことが言いたいわけじゃない。
社内でも長時間労働対策とか、業務改善とかいろいろやっていたし、年度が変わって何か変わるかと思ったが
何も変わらなかったから辞めることにしたよ。あと2週間ほどの出勤だが、今も終電続けている。
自分の基準で判断したらいいと思う。無理だと思ったら早めに逃げること。
でも本当に続けられるかどうか、見極めるところは労働時間よりもやってる内容に、気持ちがついていけるかどうかだと思う。
楽しい仕事、やりがいのある仕事、めちゃくちゃ金もらえる仕事だったら徹夜してでも苦にならないかもしれない。それがいいとは思わないけど。
職場のモラ上司(ハゲ)に対しても、ほかのスタッフはちゃんと怒ったり、うまく逃げたりしているのに、
自分は「言われたとおりにできなかった」とパニック状態で頭真っ白になって、
体調崩してでも無理難題に答えようとしてしまう。それでいまも徹夜中だよトホホ。
でも、数年前に心身のバランスを崩して1年くらいカウンセリング通って、
理不尽な扱いを受けたとき、「こいつの言ってることのほうがおかしいかも」とか、
「内容はともかく、そんな言い方される筋合いはない」と思えるようになってきた。
あと、モラっぽい人ってすごく気が小さくて、自信がない人なんだってこともわかってきた。
ただそうしてその場はなんとかスルーできたとしても、
いったん負の感情をぶつけられると、数日はそのときの思い出し恐怖で心臓が苦しくなる。
まったくはらたつわーあのハゲ。
受けたストレスをそのまま返してやりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20130602143115
読んだ。
月収300万か。安定的に稼げてるのだったらすごくうらやましいが、自分の感覚では絶対嘘だと思う。
こういう話ってよく増田で見るけど具体的な事が何も書かれてない。
まじめに働いている人の人生を狂わせるための悪魔のささやきのように見えて仕方がない。
リアルな話をしよう。
俺の場合は、4年前に鬱病になって会社をクビになり、アフィの世界に入った。
2年目ぐらいがピークで、1日インプレッション数30万、CTR1.5% 収益3万円ぐらい行った。
月収だと50万ぐらい。その年は年収400万円ちょっとだった。
ここから経費(主にサーバ代と外注費)や税金などが引かれ、手取りは350万円ぐらい。
サラリーマン時代は年収650万ぐらいだったのでピークでもかなり少ないが、これでもネット広告会社の営業に言わせると運が良いほうだとの事。
しかし運も尽きたのか、そこからずっと下がり続け、去年は年収300万を切った。このままだと今年は200万を下回りそうだ。
6回下がって1回上がるような感じだ。
時間的な自由は確かにあるが、休んでる間もずっと仕事のことが頭を離れない。
収入がぜんぜん安定しないので、その日の収益に一喜一憂で疲れる。
まとめサイトなんかで取り上げられた日には踊ってる。
稼げるはずの土日にたったの1万円しか収益がなかったから、あれこれデータを分析したり新しい機能を実装しようとしたりでヘトヘトになって今から寝るところだ。
もう38歳。友人はみんな結婚して子供も居る。たまに飲んでも話が噛み合ないし、そもそも恥ずかしいので会いたくない。
最初は趣味も沢山あった。旅行、スポーツ、読書、オンラインゲーム、色々やった。
今ではほとんど飽きて平日料金でひとりカラオケが唯一の趣味だ。
5年付き合った彼女とも別れた。
これから俺はどうしたら良いんだろう?
そこそこ良い大学を出て、がむしゃらに働いてきたのに、俺の人生いったいどこで間違えたんだろう。
読み直してみたが、我ながらひどい文章だ。単なる愚痴になってしまった。
もう疲れて頭もまわらない。おやすみなさい。
あなたが自分をそう締め付けるのは構わないが、他人に強制するのは間違ってる。
何で泣いてるか全くわからない子供を、夜中じゅう抱いてあやしながら、朝フルタイムで出勤する。
育児で泣き言言う女性は産まなきゃ良かったじゃん、なんて言われたら。
心が擦り切れてしまうわ。
女性は「母親はあんただけなんだから」っていつも追い詰められて、仕方なく徹夜明けでも仕事に行くんだよ。
ほとほと嫌になりながらも赤ちゃんを抱いていたら、分かることがある。
それが親になるってこと。母親でも父親でも平等にその機会はある。
役割分担ではなく、夫婦として相手をサポートし合うことが絆でしょう?
例えば母親が大黒柱で、父親はプーだとしても、幸せな家庭はあるから。
家事育児の実働だけを完全折半したとしても、そんな余裕のない家庭は楽しくなくない?
辛い育児を毎日やってたら、育児論なんて抜け落ちて、そのうち常識なんかも抜け落ちて
信じられない事件になるような気がする。
児童ポルノ禁止法改定案に漫画などが含まれることについて覚書でも書いておこうかと思う。
そのためには、まずアメリカ合衆国における事情を考えたい。というのも、アメリカは"表現の自由市場"という言葉が存在しているように、世界で最も表現に関しては自由のある国だからだ。(そしてその理由は4つほど上げられるのだが本題には関係ないのでここでは置いておく)
まずアメリカにおいて表現の自由の根拠となるのは合衆国憲法の修正第一条であり、その内容は在日アメリカ大使館からそのままコピペすると
合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。
こんな具合になっている。
まあ表現の自由も無制限の自由じゃなくて、ポルノ(本当はObscenityで意味合いが違うんだけど、ここでは全部ポルノで統一)関係や反社会的言動は規制されるってのが通説で、この覚書では前者にのみ焦点をしぼる。
まず、アメリカにおいてポルノの定義が問題になったのは1868念のRegina v. Hicklinなんだが、当時のイギリス裁判所が採用していた基準に
Whether the tendency of the matter charged as obscenity is to deprave and corrupt those whose minds are open to such immoral imfluences and into whose hands a publication of this sort might fall.
てのがある。通称Hicklin test。で、この判示には三つのポイントがある。
1.ガキに見せたときにアウトかどうか
3.当該作品の社会的価値とかは完全無視して、とにかく該当箇所の効果だけを見る
まあこれだけ見たら分かるようにめちゃくちゃ(政府にとって)緩い。つまりいくらでも言論弾圧できる。
で、アメリカの最高裁は1878年のEx Parte Jacksonで、堕胎だとかの情報も含めたポルノなブツをアメリカの郵便システムを使って送ることを刑事罰化したComstock法案を合憲と判断してよりいっそう規制を強くした訳だ。
まあこんだけ政府にとってゆるゆるなことやってたら下級審もなんか苛々して、もっとリベラルになろうぜ!っていうことで色々と新しい判断が1900年代になって出てきた。その中で一番引用されてるのがUnited States v. One Book Called Ulysses(1933)における判例。ここでは、
という異常に分かりやすい判示をAugustus Handって人がした。
ぶっちゃけ身もフタもない話をすると、1950年代のアメリカってポルノ産業が最盛期を迎えていて、ぎゃーぎゃー騒いで規制しようとしていた保守系の奴らと弁護士グループの戦いの結果こういうことが起きたのであって、そういう意味では今の日本と似ているかもしれない。
Butler v. Michigan(1957)で最高裁はポルノ作品を規制するミシガン州法を廃止させて、さっきのHicklin testを実質的にひっくり返して、Roth v. United States(1957)で新しい基準を出した。それが、
the material must be calculated to debauch the minds and morals of those into whose hands it may fall and...the test in each case is the effect of the book, picture, or publication considered as a whole, not upon any particular class, but upon all those whom it is likely to reach. In other words, you determine its impact upon the average person in the community.
というクソみたいに長いの。
これのポイントも3つあって、
2.当時の社会情勢からしたらどうか(後に社会とは国家全体としてと補足される)
今度は大分書く方にとっては緩くなった。これをRoth Testと言って、この基準はJacovellis v. Ohio(1964)やMemoirs v. Massachusetts(1966)などの判決を通して確認・洗練されていくことになる。二番の要件は地域じゃなくて、国としての社会から見たらどうかになったし、作品の重要性についてもそんな要求しなくもなった。
ただ、ここからがアメリカ連邦最高裁の面白いところで、裁判官が大統領によって任命されるもんだから、大統領が保守派になると、保守的な判決を下す裁判所になる。で、当時の大統領はニクソンで、そのときの最高裁に怒り心頭。裁判長を保守派のBurgerにやらせて色々判断も変えさせた。具体的には、1と3はそのままに、2とさっきの作品の重要性基準が変更されて、
2'.当時の社会情勢の判断基準は州だ
重要性:文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的価値を欠くものはアウト
こんなことにした。これが1973年のMiller v. Californiaで判示されたことから、Miller testと呼ばれることになる。
児童ポルノについて
こっから本題。
1982年のNew York v. Ferberが児童ポルノにおいて先駆け的な判決になる。リベラルな判事も保守派の判事も、全会一致で児童ポルノの映像に関する政府の規制をよしとした。
そして、インターネット関係について言えば、2002年のAshcroft v. Free Speech Coaltionがすごい興味深い判例を残していて、子供の役を大人がするポルノは規制されえないとしている!という訳で違憲判決を下された。いや、もちろん他にもまともな理由、例えばもっと緩い方法で規制できるだろとかいうのもあるんですけどね。でも、次の裁判の判決が非実在児童を規制してもいいとする判示をくだしている。
United States v. Williams(2008)より
The statute's (先の違憲判決を受けて作り直したPROTECT Act of 2003のこと 筆者注)definition of the material or purported material that may not be pandered or solicited precisely tracks the material held constitutionally proscrible in Ferber and Miller: obscencematerial depicting (actual or virtual) children engaged in sexually explicit conduct, and any other material depecting actual children engaged in sexually explicit conduct.
もしこの辺の話に詳しい人がいたらじゃんじゃん指摘してください。お願いします。(見ている人がいれば)
追記
ブコメより
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10637547
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10645407
白田先生が表現規制についてすごく分かりやすく説明している動画があったなんて!教えてくださった方(id:Barak)、ありがとうございます!
二つの方が遥かに丁寧で分かりやすい上にちゃんと猥褻(obscenity)とポルノ(porn)を使い分けて厳密な解説をしていらっしゃるので、是非こちらを見てください。
いえいえどうも。私自身は非モテで、でも結婚して子どももいるみたいな感じです。30代なかばの中年 役に立つかわからないけどいくつか。
・スペック
慶応卒SE、業務内容にもよるけど年収がそれなりにいってるんであれば数うちゃあたるでしょ
あと基本的に金持ちの女性に向かうのはやめた方がいい。 心の底からオススメしない。
http://anond.hatelabo.jp/20130513000542
高学歴男性の結婚しやすさに関して http://anond.hatelabo.jp/20130519010309
君の経済的な結婚力は http://news.nicovideo.jp/watch/np454653 でざっくり確認してくれ。
・恋愛経験すくなめ というのは痛いよね。 いや私がそうだったからなんだけど
嫁さんとはお見合いで出会って、初顔合わせでなんかぐったりしつつも、嫁とはまだ継続しそうだったんで、眠いながら秋葉原書泉で恋愛関連の書籍を漁ってた。
経験値低い男性が「みゃ、脈、まだあるのか」って思うと元気になるよね。心電図でフラットラインから「ぴこっ」って感じ。
いやさ、経験値低いんだったら素直に先人ノウハウ吸収したいな、と思って。
購入したのは内藤 誼人の本。 うん私はアニオタなんだ。よかった増田が匿名で。
理由は
・作者がイケメンじゃない
なところ。 なんか心理学のデータを集めて戦略をねって非モテが実践して成功したって感じがした。
余談だけど心理学やってた人が知見を実際の女性に試して成功率を測ったり、
経済学だった人が今の経済ニュースみて今後にわくわくしたりするのって楽しそうね。 うらやましい。
という訳で本にのっているうち、嫁に適用可能だと思われた方法をいくつか同時に試すようにした。
いくつかはヒットするし、いくつかは効果が無いようであったが、経験値低いままだったら玉砕してたな、と思う。
ずいぶん後になってから、嫁「最初に会った、あの時○○さん少しおかしかったですよ?」、私「いや徹夜明けだったしね」というやりとりがあった。
あとこれは周期的なトレンドだと思うんだけど、「女性が求める男性像」みたいなものが徐々に変わりつつあるような気がする。
余力があったら下記の漫画をちと読んでほしい
・俺物語
・娚の一生
・式の前日
割と登場人物が「オトコ」な感じがしてる。 いやまぁTLとかもあるので結構前から少女漫画のエロ化は激しく進んでいた訳ではあるが、
ただオナニーネタとしての男とは違って、上記作品のなかではパートナーとしての男としても、割と男性性が強い。
いや15年くらいまではパートナーには草食系みたいな感じだったのに。ベルエポックの音無みたいな。話きいてくれて、私の仕事理解してくれて、でも上場企業勤務でメガネでみたいな。
という訳で
・全体的にドランクドラゴンの鈴木を真面目な一般人にしたメガネ男子ww
みたいなのは弱いな、と思う。15年くらい遅い。 あるいは10年くらい早い。
基本、女性慣れしてない男性は避けられる。 とりあえず慣れる意味でも他の女にいっとくのは悪くないと思う。
あと女性がSexで感じやすい年齢だけど29歳くらい、という調査があるんだそうな。個人差は大きいだろうが。
なんつか28歳だとギリギリというかアウトでしょ、と思う。 「お互いいろいろ開発して上手くいった」みたいな方が
結びつきが強くなるじゃない? うちの嫁さんはその辺の年齢で、彼女がイキはじめて、私が動かないけどイキつづけてたってことがあった。
女性観点でイクときって動いちゃうじゃない? その自分の動きで自動的にいくという、なんていうか合理的やね。自家発電的な。
私は腕立て伏せみたいな体勢で動かずみてた。楽しい。 なんか非常に苦しそうになってたのでやめたが。
そいじゃーね
http://anond.hatelabo.jp/20130519220945
うーん、私はお見合いで嫁さんと知り合った。ので、はじめから愛があった訳ではないな。 いまは愛してる。
なんかプラネテスのタナベ( http://ja.wikipedia.org/wiki/プラネテス )の
フィーになぜハチマキと結婚したかを問われ「他に(求婚者が)いなかったから」と答えつつ、「彼を愛しているか」の問いには「はい、もちろん」と答えて、フィーに呆れられるのを通り越して
の感覚に近い。 「情」より、普通に「愛してる」って言える。 結婚後から芽生える愛もあると思う。
誰かに対してそんな感情抱けるとも思えないし、抱いているヤツがいたとしても、性欲にほだされている、ぐらいにしか思えない。実際に、キンタマとっても人は、結婚するほどの愛を女性に感じるのだろうか。
キンタマ取って結婚かー。 無理でしょ。と即答しそうになったのだが、いや意外とありかもしれない。
というか逆に女性観点での結婚ってそうじゃないかな、性欲で結婚する女性は(一定数いるとは思うが)マジョリティではないだろう。
あと例えば私が老人になって性欲が枯れても、結婚はありかな、と思う。
休日の昼間に一緒にお茶を飲んで話をする。 別に茶飲み友達がいれば良いわけでもあるが。
昔の映画で「ドライビング Miss デイジー( http://ja.wikipedia.org/wiki/ドライビング_Miss_デイジー )」ってのがあって、老人になって性欲とか全くないけど心のやり取りしてる、良いなと思う。
別に結婚に幸せを見出す必要はなくて、別のコンテンツで幸せになるのもありなんじゃない?
私は結婚してからずっと幸せ(子どもができても)だけど、そういう男性ばかりでもないし。 難しいパワーゲームだしね。
結婚という文化を教えられずに若い男女が原始状態のようなところで育ったら、男性は快楽装置としての女性を独占しようとするだろうし、女性は経済的依存対象としてより有能な男性を確保しようとするのかな。その延長が結婚となるのだろうか、とか自殺島を読みながら思ったよ。
これは結婚以前だねぇ。 原始状態のままだったら結婚制度ないほうがハッピーでしょ。
娼婦のようにSexとカネを交換する女性も現れるし、そういう女性が現れれば、女性を独占できなかった男性もSexする事ができる。
結婚が発生したのは社会構造、ヒエラルキーができてからでしょ。 カップルが沢山発生したほうが人口が増えやすいとか、社会が安定するとかそういう理由じゃないかね。
そして私をちゃんと定職について結婚して子供を作るという真人間の道に戻して頂きたい。目的が明確でない人生なんで、何をやっていても空っぽな感じがする。
私が結婚したのが31歳だった。 なんかそのころ仕事がやたら忙しくて虚無感というか
「今すごくしんどい。 なんのためにやってるんだろう。
単に『自分のため』ってだけだったら、もう頑張らなくていいだろ。
自分は価値ある存在か? いやいや無いでしょ価値なんて。 で、そんな『価値のない自分のために頑張る必要はあるのだろうか?』 ないでしょ。
せめて『誰かのために』だったら頑張れる。 私が価値を見出した誰かのためになら、まだ頑張れる」
と思ってた。
新小岩だった。 駅周辺を思い出すと嫌な感じだ。 風水的に悪いのだろうか。
数カ月後、嫁さんに会った、前日徹夜メンテナンスが入ってしまい、ダメな空気でネクタイをしめ
「俺の人生ってこんなのばっかだよな、なんでいきなりコンテンツ量が増えんだよ」「まぁお見合いって初めてだし、なにごとも経験だし、あたって砕けるけど、別に誰にもいってないから大丈夫」と家を出た。
なんかスムーズな会話とか無理な体力しか残っていなかったので、とりあえず仕事と休日の生活とか話を振って聞いてた。 話は聞くよ。聞くのが仕事だし。
最初は「無理だな、今回は経験値アップってことでポジティブにいくぜー」と思っていたのだが、
去り際に嫁がメールアドレスをくれた。「まだ...余地はあるのか?」ってことで(中略)
今にいたる。 子どももいて楽しいよ。 私は別に嫁さんがいれば子どもいらないよな、と思ってたけど、いたらいたで楽しいこともあるね。
※ただし「自分の時間」が減るので幸福度でみると出産前後で男性の幸福度は±0だと思う。 いや男には自分の世界があるとかいうじゃない。 世界を維持する時間が必要。
なんかね、今の私は『私が価値を見出した誰かのために頑張ってる』状態だね。
数時間前に別れたので思ったことを気持ちが新たなうちに書いておきたいと思います。
もうすぐ付き合って3年でした。
大学を卒業した彼氏は春から激務業界に入りました。毎日終電かタクシーか徹夜で、休日も勉強に追われてGWも全部仕事やミーティングだったようです。
こんな状況があと数年は続くだろうし、今はとにかく仕事以外のことを考える余裕がないから、一旦別れて欲しいとのことでした。
私は就活したり遊んだり勝手に忙しくしていて別に寂しいことはなかったので、勝手に人の気持ちを決めつけるなとも思うのですが、責任感の強い彼には私に構ってあげられないことが大きな精神的負担だったようです。
今思えば彼は私を生活のプライオリティの最上におくことをずっと自分に課していたんだろうなあ、と感じます。
変な言い方ですが、私達はお互いに気遣いも感謝の心も持ち合わせていましたし、3年間ずっと、極めて良好な仲だったと思います。彼も私のことを殊更嫌いになったわけではないと思います。
私も彼に喜んでほしくて、あれやこれや適度に頑張ってきたつもりですが、結局、彼が私に向ける愛情が彼を疲弊させるものになってしまう結果になったのは不甲斐ないですね。でもどうすればよかった、というものでもない気がします。
燃え上がるような恋愛ではありませんでしたが、彼はとても大切な人でした。彼ほど私を大事にしてくれた人はいません。
今までありがとう。お元気で。
RAID1アレイの片割れを適宜引き抜いて保管し、それをバックアップ媒体とする
引き抜いた後には別のHDDを取り付けてからリビルドして平常運転に戻す
とかいう運用も、あるにはある。原理的には完璧なスナップショットが取れるんだけど、
・同じ時期に購入したHDDは期を同じくして壊れるかも
・つか、いざというとき本当に期待通り復旧できる?
・ベアメタル復旧なんて贅沢を言うと、予想以上に苦労すると思う
という点に注意が必要。
うちの職場もその運用を長年続けてきて実際に助けられたこともあるんだけど、昨年勝利の方程式が崩れて2日くらい徹夜するハメになったのでシステム更新を機にやめた。
■作りたいっていうけど…
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定時で上がっているなら残りの時間でモノを作らないのが謎。
かえって何してんの?テレビみてるの?遊んでるの?
だったら情熱がその程度ってことだよ。
会社で追い込まれないとだめなら、ベンチャーならどっか入れてくれる。
それでもやる気があれば、「うちでやるか?」っていれてくれるよ。
って思ってるなら そのとおり。
5年後考えて徹夜しても得たい何かがあるなら、それでよしなんじゃね。
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時給換算してウンコ。
社長が定時で帰って海外で散財している間に、俺らは徹夜してることもあるしウンコ。
「やっぱ俺たち夢に向かうべきだよね!」ってイミフな思想で労基無視で、もっと稼げとか言われて、もはや宗教。
参入コストが低すぎて、アホ達がITベンチャー()立ち上げまくっては潰れていく業界。
しかしプログラミングなどの情報系らしい活動をほとんどしてこなかった。というかサークルも一年のおわりにやめてしまったし、バイトもしたことがない。準引きこもりのような状態なのかもしれない。
工学部だったが情報系ではなかったし、バイトもしていたけれど、二年の夏にサークルは人間関係でやめた。人前で話するのが苦手だったので塾講をやっていたし、割がいいのでカテキョやったりしたが、結局今身になっているかというとそれほどなっていない。別になにもやってなくてもいいんでないの。
二年次の夏休みあたりから、今いる環境を生かせそうなものを考えた結果、多少興味の沸いたいくつかの情報系の技術分野の参考書で勉強してみようとしてみたものの、難しくてほとんど分からない。というか、技術書の独学の仕方が未だによくわからない。
大学一、二年の基礎的な数学は特に工学系、情報系の人間にとってはなにがやりたいのかよくわからんのでつまらない。ただまぁ損ではないのでこれから必要に迫られたらどの教科書を見ればいいかくらい頭のなかにインプットしておけばいいんでなかろうか。技術系の本だが、難しいの背伸びして読んでもたぶんつまらん(わからないから)。自己啓発系のコードコンプリートやビューティフルコードなんかも多分つまらんと思う(必要性がわからないから)。文法書もやめたほうがいい(あれは字引だから)。
君が買うべきなのは「10日でできるアンドロイドアプリ」(あるのかどうかしらんが)みたいな本。ほんでクソみたいなアプリを作ってニヤニヤしながら公開すればいい。たぶん誰も使ってくれないが、自己満足にはなる。Wordpressなんかで配布ページを構築してみれば何日かは潰れるだろう。本にはないだろうが、そのコードを使ってテストを書こう。テストを書くとだいぶいろんなことが分かるし、何よりテストはすぐに動く。頭も使う。たぶん楽しいはず。
ここで大事なのは、世の中には「増田?何ですかっていうか誰?」みたいな人があふれているということ。増田を知っててブックマークするような人でも実際に手を動かす人なんて少数だということ。クソみたいなアプリでも作る人なんて滅多にいない。
Wordpressをうごかすのなんて10分あればできる。だが、世の中にはそれすらやらない人がいる。Wordpressってなに?って人はもっと多い。会社に入ればxamppでlampp環境をすぐに作れるやつがいるだけで(ウェブ系でなければ)じゃぁとりあえず開発環境作っといてってたのめる。これはアドバンテージだ。
おれが学生だった頃はまだブログが出るかでないかの頃で猫も杓子もAJAXやCSSの時代だった。俺はそれで過去問配布サイトを作ったが意外に未だに後輩に利用されているようだ。だがどう見てもクソ。UIもクソ。たまたま過去問配布してたからひとがきてただけで「Welcome My Page」と何が違うのかと言われればなにも違わない。それでも作る人は殆どいない。
世の中なんてそんなもんなのだ。
モチベーションを維持することが出来ない。継続的に他者との交流を得られる場所を見つけられればそれで何とかなるのかもしれない。
別に寝食忘れて一年、二年と継続する必要はない。ちょっと気が向いて二、三日遊んで、それで飽きて放り出したっていいじゃないか。
必要に迫られれば大抵のことはできる。増田だってたぶん二十年くらい必要に迫られたり、できて当然だと思わされて、なんとなく出来るようになったことは多いはずだ。だらだらできるのなんて今のうちだけなんだから、ゲームしたり漫画読んだり、一人寂しく旅に出たり、海外に行って怖い目に遭ったり徹夜したり病気になったりするほうがずっとこれからの人生の役に立つ。
プログラミング等のアルバイトを始められればいいのかもしれない。しかしアルバイト面接に持っていけるような、今までの成果物などもとくに無い。
Web系でなくていいなら、アルバイトはそれなりにある。学生課とかいけば斡旋されていることもよくあるし、まぁそれにプログラミングなんて会社入ればどうにかできるようになるので(今後研究などでもガンガン組むだろうし)、別のことすればいいんじゃないの。工場で働いてみるとか。
明確な目標を立てて生きてる人間なんてほんの一握りだよ。それにまだ若いんだから別にいいじゃん。時間はたくさんあるんだし。
なにか自分に人並みに適正のあるものを見つけて、それを学び、モチベーションを維持できる環境を見つけたい、それが大学院なのであれば進学したい、そういうぼんやりとした希望だけが浮かぶ。学部一年のころから分かっていたそこから進歩していない。
復習は大事なのでしておいたほうがいい。どうせ図書館とかで勉強しているなら、なんとなくその辺の本をとってきてななめ読みするとか、洋書の教科書で復習するとかおすすめ。
しかしずっと一人でいると、数学など苦手な勉強の集中力はどんどん落ちるのを感じる。twitterやネットサーフィンに逃げてしまう。一日の終わりには周りとの差は開いていく一方なのではないかと不安になる。
そりゃみんなそうだ。暇つぶしは逃げ道なのだから、あればみんな逃げる。でも別段周りとの差はそんなに開いてない。気にすんな。気に病みすぎて自分を壊さないように気をつけてください。
だとすると、なおさら余計に周りに行動力のあるキラッキラした人が多くて焦るとは思うしそれに目を奪われがちだが、気にすんな。まぁ留学したいとか考えているようならもうちょっと頑張ったほうがいいとは思うが。
日本のSIerが求めている人材がいかなるものか、よーくわかったよ。
めんどくさいことをめんどくさがらずにやってくれる人だろ。
スパゲッティ化してどうして動いてるのか意味不明なコードを解読してくれる人。
コードを修正した場合の影響範囲を大量のExcelドキュメントから洗い出してくれる人。
自動化されていない単調で膨大なテストを手抜きせずにこなしてくれる人。
営業と話の辻褄合わせるためだけの、何の意味もない数字合わせの工数見積を徹夜でやってくれる人。
そういう人材だろ。
ソースコードを読めばすべてが理解できるようなプログラムが書ける人、
突貫工事で初期開発を終わらせて、
あとはできあがったものをえっちらおっちら運用してくのがビジネスモデルなんだものな。
おれSIer向いてないわ。辞めよう。
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おれSIer向いてないわ。辞めよう。
残念なソフトウェア開発の現場は、沈みかけの巨大な船に乗った航海に似ている。
船底の穴からの浸水を必死でかき出しながら、どうにか進んで行く。そういう航海だ。
ある穴を塞ごうと船底に板を打ち付けたら、
船の構造はあまりに複雑で、膨大な部品の間にどんな依存関係や相互作用があるのか、
誰も完全には把握していない。
それは、はるか昔に組み立てられた太古の船で、
構造把握の手掛かりは、代々伝わる不十分で不正確な古文書だけなのだ。
新任の船員は、出た水に対してとにかく手当たり次第に対処した。
どんな物でも使い、徹夜で穴を塞いで回った。
ひたすら大きな声で号令を出し、
いかに早く穴を塞ぐかが、船員の間で競われた。
何人もの船員が過労と心労で倒れ、
船員たちが経験を積むうちに、浸水するのは船室の新しく手を加えた部分だと分かり始めた。
そこで彼らは、改装作業を終えた時のチェックリストを用意する事にした。
穴を空けたままにしてしまう事は無くなるだろう。
それが船底だったら・機関室だったら・客室だったら・甲板だったら・竜骨沿いだったら・板だったら・柱だったら・ドアだったら・蝶番だったら・ドアノブだったら……。
(不思議な事だが、ドアノブを直しても浸水する事がこの船にはあった。事例が少なくて原因は良く分かっていない)
チェックリストの長さは、すぐに人が把握できる数を超えた。
複雑な船に対するチェックリストはそれ自体複雑になってしまったのだ。
船員達はやがて、修正する部品を仮組みして水槽でテストするようになった。
事前に水漏れが無いかをテストしてから実際に船に取り付ければ、
それでも、浸水はなかなか減らなかった。
水圧や比重やその他もろもろの条件が大きく違った。
また、既存の部品と新しい部品とを取り付ける境界部分そのものについては、
やはり実際に取り付けてみないと分からない部分も多かった。
それに対する事前のテストも、天候や波の高さ・潮の流れなど、
誰にも分からなかった。
ある時、水平線上に別の真新しい船が見えた。
それは黒い小ぶりの船で、いかにも俊敏で頑丈そうな船だった。
その黒船は悠々と航海を続けているように見えた。
しかし、他の船員の一団は、
あの船は小さくて目新しいから、華やかで順調そうに見えるだけで、
俺たちのような信頼と伝統のある大型船舶とは違う、ヨット遊びみたいなものだ。
と、その船の小ささを馬鹿にしてみせた。
ある船員はその船の特徴的なマストの形状を真似て、
しかし、船は俊敏にも堅牢にもならず、新たな浸水しか生まなかった。
それで結局、この船には今のやり方しか無いのだ、
その船員は、船に乗る前の学生時代から、小さなヨット作りに熱中していた。
最新の材料と設計技法を駆使した小さなヨットを自分で組み立て、海に浮かべて楽しんでいた。
自分のヨットが有名なヨット雑誌に掲載されたこともあり、それが今でも誇りだった。
そんな彼が、今では大型船舶の穴埋めに奔走していた。
ああなっていれば……こうなっていれば……そんな仮定が頭の中を何度もよぎった。
それでも彼は忠実に、言われるがまま、浸水を塞いで回った。
ある時彼は、比較的大きな船室の改修を任された。
久しぶりの新しい仕事に彼は熱中し、
「このアタッチメントはなんだ?」
それに、今後また改修があった場合、
「こんなアタッチメントなんて見たこと無い。
他と同じように作り直せ。
それにこの部分の文言はなんだ?」
「そんなの他の誰が読んでも分からないだろう。
これを見た客にも、何で今までと違うのか説明できない。
何でちゃんと今までと同じように作らないんだ?」
謙虚な彼は、ただうな垂れて、言われるがまま指示に従った。
彼は善良な人間だったので、自分のこだわりのために無闇に人と衝突するよりも、
彼はそうやって、日々の仕事とどうにか折り合いを付けて、
船員稼業を続けていった。
大きな衝突も無く、仕事も手早かったため、
他の船員達からは頼りにされた。
ただ、週に一度の飲み会や船を挙げてのパーティーでは気後れを感じ、
船の模型を作っていたくなった。
「皆さんの頑張りで今この船が航海できています。今日はこの場の皆さんに感謝を込めて、乾杯!」
船底では、今も浸水を塞いでいる船員がいるのだ。
善良な彼も、つい冷笑を浮かべてしまった。
ある時、黒船が大きく進路を変えた。
目を見張るような素早い転換だった。
「今すぐ黒船を追って進路を変えろ」
何でも、新しい大陸が見つかって、そこにたどり着ければ一攫千金だと言う。
「何が何でもすぐやれ。黒船に先を越されるぞ」
船員達は口々に、それは無理だと言った。
まず、ただでさえ浸水箇所が多くて、それを塞がないといけない。
進路を変えると負荷が掛かる部分が変わって、新しい浸水が無数に起こるだろう。
それを作って水槽でテストして長いチェックリストで確認して……とにかく無理がある。
無理な進路転換とその影響で、新しい無数の浸水が生じた。
浸水が生じるとその原因を追究してチェックリストやテストに反映する決まりになっていた。
するとチェックやテストは消化不良になり、
浸水も見落としや誤魔化しが増え、
それがまたチェックやテストを難しくするという、悪循環となった。
船員の誰もが「これは無理だ」と感じていた。
船長はただ大きな声で怒鳴っていた。
どこかで勘付いていた。
隣の船員が水葬に伏されるのを見送りながら、明日は我が身だと思った。
ある時、船室に大きな音が走った。
何かが裂ける音と、それに続く悲鳴のような音が船中に響いた。
船は船底から二つに裂けていた。
無理な進路転換のせいで、船体に大きな負荷が掛かったのだ。
もはや誰にも沈没を止められなかった。
あらかじめ確保してあった専用の救命ボートでいち早く脱出していた。
しかし、一般船員向けの救命艇は不十分で、何よりそこに行き着く道も複雑で、よく把握できなかった。
多くの船員は、船と運命を共にした。
静かな海で、上司の怒号が聞こえないのが、ひどく幸福に思えた。
海のはるか向こうでは、黒船が滑るように新大陸を目指して進んでいた。
僕はあの黒船を知っている、と彼は思った。
僕は知っている。あの船がどんな構造を持っていて、
僕はそれをずっと夢見ていたし、自分のヨット模型でも試してみたことがある。
僕はあの船のことをよく知っている。
ただ、この沈んだ船では、その知識が生かせなかった。
それは何故なんだろう。
自分と同じように海を漂っているのが見えた。
彼は、パーティーの時と同じように冷笑を浮かべた。
それは真っ当なことなんだ。
あのままボロ船が航海を続けてしまった方が、
そこで目覚しい成果を挙げるだろう。
船が好きで、船に憧れて、この職業に就いたのでは?
それは間違った事なのか? 船が好きなのに?
疑問は尽きなかったが、冷たい海水がゆっくりと彼を殺していった。
その優雅な姿をまぶたの裏に止めたまま、
船乗りの夢を見ながら、彼は死んでいった。