はてなキーワード: 学問とは
ネオリベが社会を引っかき回すようになったのは何も今に始まったことじゃない
だいたい、それに翻弄された側が何を主張しても、はてな民みたいなのは「新しいルールに順応できないなら退場してしまえばいい」と冷ややかな目で見ていたじゃないか
逆だって。ノーベル賞をとるような研究をやってる人に税金で飯を食わせろって話。
そもそも学問や研究が飯を食うための活動なら税金を投入しなくていいわけで。
でも、研究には直接役に立つ(飯が食える)以外の意義があるから、わざわざ税金を投入してるんでしょ。
少なくとも「研究を価値あるものに活かす」ことは学者が考えることではないし、
それな。結局フェミって、「取れそうな所から取ろうとするカツアゲ屋」でしかないんだよな。
標的にされたオタ層からすれば「ふぇぇ支払えるものないです…」って感じやろ。
ところで、東大生は支払うんかな?
だよね。
「証言」って言うなら名前と所属を明らかにして証言してもらわないと何の信頼性もない。
「信頼できる筋によると...」って、イエロージャーナリズムがなぜ「学問」を名乗ってられるのか
私は現役東大生だが、
「現役東大生だが、上野千鶴子の祝辞はゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。
ここには上野氏の祝辞(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。
以下、引用中略は[……]、上野からの引用は「」、上記はてなからの引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である(女子は医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題[……]で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
東大は(権利問題として)特権的な学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しかし大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度に於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試の不正は無関係であるとは言えないだろう。
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
これは、追記
(https://anond.hatelabo.jp/20190414151912)
により推察されているとおりだと思う。
女子学生の偏差値のほうが上だというのは、東京大学の受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値の正規分布に性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。
大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計やフィールドワーク、社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。
まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論に誘導しているのだろう()。
そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。
ここで示されているのは、①女子は安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大を受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子は男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証は必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。
東大の「1.03」という数字に不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部に女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしなものではないだろう。
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である。
↑どうやって?
確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。
男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。
統計的傾向は個人を説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体を否定できるものではない。
そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。
〜同様のため中略。極めて不毛。〜
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
[どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通の意味で)レトリックであろう。文学に於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。
高学歴男性批判なのだから、『彼女は頭が悪いから』における見方に一定の価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
そのような事例は、全体の傾向からして少数派であると判断したからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子は勉強が出来ると魅力が減るという偏見の存在を証明することになるという反論の二つが想定できる。
原因ではなく、東大に於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。
“時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率のデータと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効なデータであれば問題なし。
これも文意がうまく取れなかった。
上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人のスタンスによると思うので割愛。私の意見を結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。
↑これ普通に気になるな
気になりますよね。
闘ってきた、ということは事実の記述。恵まれた環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。
不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。
加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである。
↑これはまあそういう意見もあるよね。
そうですね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
第一ブラックホールの観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。
この言葉は決して、能力の使途範囲を積極的に規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。
そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者」である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから。
結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
おそらく全ての人は、あるところに於いて「強者」であるとともに、また別のところでは「弱者」である。絶大な権力を持つ政治家は社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱な身体を医者に晒しているかも知れない。東大女性だって、社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実に於いて「強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
[「弱者」である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?
……付言するなら、「弱者」である自己を否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも、能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから。
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
統計的根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題と存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問の第一条件ではないし(科学的方法論に於いては絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊でしかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。
それに、学問的営為が実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学は社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学や看護学や臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問は日常に接続しているはずなのだ。そもそも、このスピーチは学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。
権威主義を警戒する姿勢は全く健全なものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから、非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯な姿勢による対応だと思われる。
現役東大生だが〜
という匿名を見たので、それを見て思ったことをつらつらと書く。
自分は残念ながら統計学が大の苦手で、自研究の解析も 本とにらめっこしながらしているような人間なのでご容赦していただきたい。
さて、あの匿名を見て単純に「そうなんだけどそうじゃないなあ」と頭の弱そうな感想が浮かんでしまった。頭がそんなによろしくないので仕方ない。所詮日本の大学にいる人間だ。
あの匿名は「ハイ論破wwww」みを感じてしまって苦手だった。書いたのは男性なのだろうか。女性でもなんでもいいが、少し威圧感がありすぎる。はてな匿名なのでそんなもんだろうけど。そしてあれは祝辞、スピーチであって論文発表ではないので、論破する場面ではないと思ったのだが、如何だろうか。
「突然男子学生/女子学生を画一化したな。性差別って知ってるか?」という文が何気に一番きつかった。全ての文の冒頭に「例外はありますが」「多くの」「ある」とついていれば満足したのだろうか。それは果たしてスピーチなのか、ぼくにはわからない。
…というか、「性別で画一化するのは性差別だ」と分かっているらしいのが、より惜しい感を醸し出している。その通りなのだ。性別で画一化して踏みつけられているから女性は怒っているのでなかろうか。女というだけで「どうせ結婚するんだから、まあ短大でもでておけばいい」と言われたり、「女だから東大なんか行ったら、男が捕まえられない」なんて言われたりするのだ。
あのはてなを書いた人は性差別を認識しているのだろうか。多分頭では認識してるけど、どこか違う国の話くらいに思ってるんだろうなと思った。「そんな現実味のない話を、ガバガバ論理でするなよ」みたいな?
でも多くの、そう「多くの」「その場にいた女子学生」には現実だったかもしれない。そして、その場にいなかった多くの女性に刺さった。
ガバガバ論理が大衆に刺さった場合、学者はその原因を考える必要がある。少なくとも自分の界隈ではそうだ。「そんな非科学的なことを!何故だ…ああこういう不安があるのが原因なのかもしれない…それを否定するにはどうアプローチすべきか」(例を出すならばワクチン否定派だったり)
上野氏の祝辞を否定した彼、もしくは彼女は、「なぜあんなガバガバ論理を賞賛するのか。馬鹿め。自分が説明してやる。」と思っているのか?と感じてしまった。そのつもりはないかもしれないが。ぼくは「素人の抱える不安が例え科学的ではなくても、不安に寄り添う必要がある」と学んできたので、あのはてなに違和感を感じたのかもしれない。ああ、何となくモヤモヤが無くなった。自分とはスタンスが大きく違ったんだな。
ぼくは田舎で育ったが、一応受験業界の人なら知っているレベルのそこそこ進学校に通った。そこに性差別が大きく存在していたかと聞かれれば、恐らくそれほど酷くなかった、と答える。少なくともぼくは「女の子は短大に行けばいい」なんて言われなかった。まあ短大に行く人間が1人もいなかったとも言うが。成績がそんなによろしくない層でも有名私立と言われるところには行った、そんな学校にいた。
学校という面だけで見れば、あまり女子差別を受けなかった。だが話はそれだけではない。家族、親戚。やつらは大きな問題だった。
「女の子だからそんなに勉強頑張らなくてもいいんじゃない?」「お医者さんと結婚すればいいのよ」
ーうん、結婚する気はないし、自分がやりたいことで生きていくから。
ーおん?今は私が一位だけど?素直に良かったねの言葉だけでええねん、要らんこと言うな
自分で言うのもアレだが、底辺高卒しかいない家系の中では信じられないほど頭が良かったので、「あなたは頭がいいから勉強しなさい」と言われることは多かった。でもそれは自分がイレギュラーな知能を持っていたからだと思う。
それほど頭の良くない従姉妹に、ぼくの親戚がかける言葉は冷たい。「弟は集中力あるのに、姉は…(実際そんなに変わらない)」「姉の方は頭が悪い(実際ry)」「弟の方は大切な跡取りさんだから」など言って、弟には勉強支援をするが明らかに姉には支援が薄いということが起きている。ぼくからしたらどちらも同じ頭の具合だが。大体「弟は跡取りだから勉強させるけど、姉は結婚して出ていくから」をこの平成も終わる年に聞くと思ってなかった。実際ぼくは聞いてしまったのだ、自分の耳で、自分の家族から発される学問における女子差別の言葉を。
「○○(従姉妹の弟)は勉強用にタブレット貰ってるの、いいなあ。」と言いながら小さいスマホで必死に映像授業を見る従姉妹を知ってしまった。
それに「女の子は小さい頃から『可愛い』を求められて生きる。(中略)学歴がいいことを女の子は隠そうとする」というような、完全に意訳なのだけど、そんな文があったと思うのだけど、あれが刺さった友人は多くいた。傷つけられないように、バカな女のふりをする女友達を知っている。
あの祝辞はとても意味があったと思う。こうやって、「学歴と性別」について立ち止まって考えさせてくれたから。
恐らく平均よりは恵まれた環境で育った人間として、ぼくは恵まれなかった人間を助けられたら、と思う。その代わりぼくより恵まれた人間がぼくを助けることもあるだろう。それでいいと思う。偽善だと言う人もいるかもしれないが、悪より偽善の方がマシなこともあるだろうと思うので。
ああ、あと突っ込みたい点がたくさん出てきてしまった。ぼくはれっきとした毒親育ちで、親も自分も自殺未遂をしたことがあるような家で育ったけど、親の「教育に金を惜しまない」という点では環境に感謝してるよ。受験期に何万回も思ったけどなぁ、「これで教育にも金を出さない人間だったら、ぼくはもう既に自殺してただろうな」って。親には感謝してないけど、親の出してくれた金には感謝してる。そういうことだと思うけど。
あと「頑張れない人がいます」に対して「だから?」はアホすぎる。これは声を大にしていうけどアホ。せめて「怠慢だと思うけど」くらいにしてほしい。
あとブラックホールを研究しても恵まれない人の役に立たないってのは、ブラックホール研究してる人にも失礼ではないかね。そら、恵まれない人のためにやってる学問と違うけど、生活に困窮している人に直接的に役に立たないというだけだろ。「研究ができるほど恵まれた環境にいない、ブラックホールに興味のある人」にとっちゃ知的欲求を満たすのに役に立つのでは。
あと「弱者が弱者のまま尊重されるのがフェミニズム」に対して「東大生は弱者なのか強者なのかどっちだよ」は、普通に文章読めない人になっちゃってるじゃん。最後までがんばって。「東大生は環境や才能という意味で多くの人間より恵まれています。ですが人にはそれぞれ弱点があります。」という意味であって、最後に誤解されがちなフェミニズムの説明しただけじゃない?
この批判だけはマジで理解できなかったんだけどどういうこと?書いた人は、人間には多面性があるということをご存知でない?ある面では強者であっても、ある面では弱者であるということが分かっていればこんな頓珍漢なことは言わないと思うんだが…ちょっとこれは分からなかった。
おわり
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
これはどこかで聞いた与太話なんだが、「男性と女性の脳の違いはあるけど、(おまえらが考えるようなものでは)ない」と誰かが言ってたな。
まずそもそも違いが生まれる要因が環境にあるのか遺伝子にあるのかもわからないこと、また「全体としての傾向」から「個体差」を演繹的に導くことは不可能、が前提。その上で、データを調べればどんなところにも何かしらの違いを見出すことはできる。それはもちろん男性/女性の間にも言える。まあ、血液型だってそうなんだから、要するに世間で蔓延る「男性脳/女性脳」ってのは血液型占いと同レベルなんだけど。
前置き終わり。
そういうわけで、ある程度統計的に正しいだろうと言われているのが、「空間把握能力は男性が優位。言語認知能力は女性が優位」というもの。で、よくある誤解が「論理的思考は男性が得意だから、数学は男性が得意」というもの。これは何が嘘かと言うと、そもそも「論理的思考」とは何かという定義がそれほど明確ではない。もしもそれを「言葉で説明する能力」とするなら、言語認知能力が優位とされる女性の方が得意でも不思議ではない。ではなぜそうならないかと言うと、数学は幾何学と密接に結びついて発展した学問だから。数学は高い空間把握能力が要求するんだと。確かに数学って、難しい問題=難しい図形の問題ってイメージあるよね。でも、それだけが「数学」なのかな?とも思う。現代数学はむしろ、コンピュータとか数理論理学とか、必ずしも幾何学的直感を要求されない分野が大きな存在感を発揮してるよね。もちろん極度に抽象化された数学の世界に幾何も論理も区別はないから、「どちらも得意」な人が一番必要なんだけど。
大学でも、俺の周りにも数学科の女性って少ないながらいるんだけど、みんな基礎論とか代数とか行っちゃうんだよね。トポロジーもいるけど、やっぱりやってるのは代数的トポロジー。解析はあんまりいないかな。抽象的なことをやりたがる女性が多い印象ある。
結局何が言いたいかと言うと、例えば初等教育の中にもそういう言語的なセンスを要求される数学を取り入れる時代が来たら、男性/女性の得意/不得意って容易に入れ替わる可能性もなきにしもあらず、じゃないかな?ということ。
全くもってその通り。
元増田は不遜だ。
各分野の重鎮には敬意を払うべきなのに元増田の姿勢は一体なんだ。
査読の経験すらない若造には理解できない学問の世界が広がっている。
この祝辞には。
統計に少々怪しい所があっても、全体として差別の現実を厳しく訴える内容になっていれば論文の価値は認められるものなんだよ。
それに、物理学や歴史学の専門性がそうであるのと同様に、フェミニズム研究の研鑽を積んだ者がこの祝辞の内容を読むと、非の打ち所がないないことが分かる。
祝辞の主が男性だったら疑いすら抱かない癖に女性だったら疑うのは差別だ。
物理学や歴史学だったらどうせ疑わないんだろうから、フェミニズムも疑うなよ。
もしフェミニズムを疑うなら、他の年の男性物理学者や歴史学者が出してきた数字も疑いなさいよ。
でもしないんだろ?
どうせ。
ならフェミニズムも疑うなよ。
そもそもこの祝辞は何かの数字を伝えるんじゃなくて、各自に自分の頭で考えさせることを目的にしているんだよ。
元増田、わかるか?
https://anond.hatelabo.jp/20190413114026
ああ、俺はこういう論理的な思考力が低すぎるからこの歳になっても大して仕事で活躍できないのかなって思った。
どういう意味かと言うと、俺は元の祝辞の全文を読んで出てきた感想が「へーなんか良い感じのこと言ってる気がする。まあそういう学問の研究者っぽいし若干思い込みを語ってる部分もあるのかもしれないけど、社会に出て仕事してたらやっぱり明らかに女性が少ないなって思うし少なくとも男尊女卑状態は日本ではまだ当たり前で本気で是正するつもりなんて誰もなさそうに見えるから多分あと10年してもそこまで大きく変わらないんだろう。ただ、女性とかみたいな社会的に弱者としてなぜか位置付けられている人が本当に弱者なのかどうかっていう定義はこれから変わっていったりするのかもしれないな。そもそも弱者ってなんだよそれってただ今の社会の中で『沢山お金が貰える行為』ができることが強者っていう定義してない?それは強者とか弱者の関係なんじゃなくてたまたま社会がそういう風な流れになってるだけの話でもし今この段階で全人類の脳みそが一瞬で書き換えられて例えば『直接的な子育ては最高に偉いことで子供を作って世の中の流動性を増やすことこそがひいては将来的にも人類の為になるのだからその行為に対する貢献度によってお金が支払われるべきである。それ以外の行為は無償で行われるべき。』みたいな、今と逆(今は子育てには金が発生せずそれ以外の社会を作る行為にお金が払われてる)の定義になった瞬間に男性は社会を回せるけどお金は貰えない弱者になって女性は社会を回す立場に行きにくいけどお金が貰える強者になったりする訳なのか?もちろん今仕事に専念してるから子育てはできてないっていう男性も大勢いるだろうけど何となく今の感じだと女性の方が直接的な子育ては上手そうな気がするよなあ。じゃあやっぱり今の社会的弱者って位置付けられている人達は今の社会性とか現代の人の考え方ありきでたまたま弱者に位置付けられてしまってるだけな訳だしそういう人たちも尊重されるような社会であって欲しいし事実俺自身大して仕事できねえけどお金を貰って生きていけてることに感謝するべきだし東大生も紆余曲折あって東大入った人も含めて運が良かった訳だから全て自分の努力から生まれて努力だけで勝ち上がってきたんだっていう思い込みをもししてしまっているんだったらそれは多分あんまり良くないよな。とはいえ本人の努力自体は認められるべきだと思うけどそれは祝辞の最後の方で言われてるみたいにこれから入学生達を待っている日本で最高峰に充実していると思われる研究環境がある所に毎日通える時点で認められたも同然な気がするし、今はそんなことよりも『入るまでは大変で卒業は簡単』とか言われてしまう日本の大学において入学当日から大人に褒められるんじゃなくてこれからも自分の思うことを突き詰めるために頑張っていきましょうって言って貰える方が絶対将来のためになるだろうからそういう祝辞を用意できた東大ってマジスゲーよなあ」みたいな、なんというか元の文章とかについて大して深く触れている訳でもなくて特に自分の主張が強く含まれている訳でも登場したデータとか事実とかに対する考察とかも全然入ってなくてただただ頭の中でもやもやしていた言葉がぼんやりとした形になって脳内で流れただけで、これって全然論理的じゃあなくてこんなこと考えているだけじゃ現実世界は何も変わらないし誰かと有益な議論が生まれるわけでもないのだから社会に対して何の意味も無い行為だなってことです。
そもそも上の文章自体にも矛盾した意味のない前提とか設定とか考え方が含まれているような気がするけどそんな細かいことはどうでも良いと思ってしまっているし、それよりも冒頭の反論を見て「ああこの人はちゃんと事実とそうでないことを切り分けようとする意識があって、この人にもある程度の思い込み(もしくは何か意図した悪意かもしれないけど)があることを考慮した上でこれだけ他人の発言に対して自分の納得できない所を並べて発言することができる時点で俺より社会に出てから活躍する人間になっていくんだろうな。自分の思っていることをちゃんと言葉にして反論できるのであれば反論したことに対する間違いは恐らく身の回りの他の誰かが突っ込んでくれてそこから有益な議論が始められる気がするし現時点で多少ブレてたり間違ってる箇所が仮にあったとしても大した問題じゃないな。まあ書いたのが現役東大生じゃなくて俺より年上のどこぞのおじさまおばさまかもしれないけどそんなことはどうでも良いや。どうせ増田として表に出た時点で裏の人間の情報は切り捨てられて文字情報だけが存在し得る訳だしな。」って思ったから書いた人は凄いなあって思う。
この文章を自分で書いて気づいたことは俺は論理的思考っていうものが何か理解してないなっていうことと、自分で書いた文章見直すと自分でも色々つっこみたくなるなっていうことと、そういうつっこみを「この部分ってこうじゃない?」っていう事実に対する反論としても表現できるし「こんな考えを持っているこいつはこの程度の人間だ」っていう人間性に対する攻撃としても表現できてしまう世の中が怖いしだからこそ俺はこの文章を自分の名前と紐づかない増田にしか投稿できないんだろうなっていうこととか、そういうことでした。
あと語彙力少ないけど文章書くのは好きかもしれない。もしかするとタイピングが好きなだけかもしれないけど俺にはその違いが分からない。
統計は論文の査読したりするので、多分君より詳しいと思います。
いやー、そんなことないと思うよ。事実に反することを言っていたわけじゃないし、仮に君の指摘が全て正しいとしても大きな結論(日本の大学にいたる道筋では女性学生が差別されている)は変わらない。そもそも、あの祝辞は答えを与えるものではなく、問いを与えて考えさせるためのものだ。そのくらいはわかれよ。
性差別って知ってるか?
君は、引退まで社会学を東大で研究し一つの分野を作り上げた研究者の公式なスピーチで触れられた専門分野について、上から目線で皮肉を言っている。私だったら、たとえ増田でも、こんなことはできない。自分がよく知っている分野の重鎮に同じようなことを言っている部外者を想像すればよい。滑稽な奴だな、以外の感想はないと思う。
もしこれが男性の研究者で、分野がフェミニズムではなくてたとえば物理学とか中世史学だったら、君もそんなことはしようとは思わないのではないかと思う。そこにこそ、あの祝辞の意味がある。私は、東京大学での学びの門出にふさわしい、よくできた祝辞だと思う。
面倒なのでこの程度にするけど、全体的に読解が悪意に満ちている。批判的に読むのと揚げ足を取るのは違うというのは知ってるよね。
横だけど、君こそ知ってるのか?
元増田のは相応しからぬスピーチに対する批判だが、まさに君の増田こそ「揚げ足取り」ではないか。しかも途中で投げ出してる。悪意しか感じない。
元増田の学問的な厳密さに対する潔癖さは称賛に値するけれど、そのような潔癖さが東大内においてさえ見られる男女差別に向けられないのはなぜなの?
君らはなぜか「男女差別」の存在を自明のものとして話すけど、実はそれらは自明ではない。「結果としてそうなっている」ことを想像と創造の力で「女性差別」ということにしてるのだ。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_06.html
学問や学説にも流行りがあります。主流の学説に乗って論を進めると、批判のリスクは減らせるかもしれません。流れに乗るのは楽なことです。しかしそれでは本当の意味での学力は身に付きません。ブレイクスルーも生まれません。たとえ一般に受け入れられている考え方であったとしても、絶えず自分の目でその拠り所を検証し、納得できなければ受け入れない勇気が必要です。乗るか乗らないかは自分の学問的良心に依り、責任を以て判断する、それが「知のプロフェッショナル」としての矜持ではないでしょうか。これは学問だけではなく、世の中の全てについて言えることだと私は思います。
これ例えば世の中の大半の学識者が褒め称えているような学説でも、統計的な計算方法や論拠の細部におかしいところがあると感じれば即座に受け入れなくともよく、検証の対象としてもよいという意味なのだろうか?
読めてない、の一言で済ませようと思ったけど、それだけだとわからないだろうから具体的に指摘するね。
六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない
上野千鶴子の主張は「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」なので、合格率が同程度であるなら選抜に男女バイアスがある可能性は否定されない。
女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、
「女子受験生は男子受験生より偏差値が高い」と「(学生全体の)偏差値の正規分布に男女差はない」は両立する。
女子学生の偏差値分布と男子学生の偏差値分布に差がなくても、例えば女子学生の上位1%と男子学生の上位2%が東大を受験した場合、女子受験生の平均偏差値の方が高くなる。
「女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める」ってそういうことでしょ。
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
優秀な女性が活躍できた理由が「父親に翼を折られなかったから」だとすれば、日本において女性が男性に比べて活躍の度合いが小さいのは、「翼を折られてきたから」だと言えるのでは。(前提の真偽について異論を挟む余地はあるが。)
そのようにみなされている現状がある、ということでしょ。当然ながらフェミニズムを掲げる上野千鶴子本人の思想がそうであるわけはない。
面倒なのでこの程度にするけど、全体的に読解が悪意に満ちている。批判的に読むのと揚げ足を取るのは違うというのは知ってるよね。
というか、祝辞に含まれるいくつかのデータやエピソードについて思うところはないの?
元増田の学問的な厳密さに対する潔癖さは称賛に値するけれど、そのような潔癖さが東大内においてさえ見られる男女差別に向けられないのはなぜなの?
東大祝辞を読んで、どう受け止めたらいいのか考えている兼業主婦です。
いや、東大祝辞はあまり関係ないのかも…ずっと感じていたことのメモ。
まだまだ、男尊女卑があって、女性が評価されない社会なんだろうなと思っています。
その一方で、私のような「学歴」や「仕事」をそもそも選択しなかった「母親」という女は、どこの数にも入れて貰えていないなぁ…といつも感じています。
夫はとてもよく(時に私より)家事をしますし、育児などは子供かわいさで率先してやっています。
兄も、弟も、結婚して子供が産まれて、驚くほど家庭に関わっています。
きっと、昔よりずっと主婦や妻や母は、家事育児を自分だけでやらなきゃいけない、という思い込みを無くせてきているのでは。
それでも、
それでも、やっぱり産むのは母親です。
10ヶ月の妊娠期間、自分の身体は自分のものでないような状態になります。
つわりはじめマイナートラブル、切迫流産、心理的なプレッシャー…、これは産む性として仕方のないことです。
そして産んでから1ヶ月はまともに動けず、そして一年かけて身体を正常な状態に戻していきます。
そしてこの期間、仕事に専念できなかったり、仕事をやめたり、休んだり、重要な立場から遠ざかったり…キャリアは止まります。
夫は育休を取ってくれました。
しかし、産んだ本人の私も身体のために一年半仕事から離れました。
私はまたつわりで休み、産休をとり、育休をとり、キャリアは止まります。
どちらか、を選ばなければいけないと思ったからです。
両方選ぶことももちろん可能でした。しかし以下のことを考えた結果でした。
大学…大学院への希望もありました、研究がしたい、でも卒業して就職して、あっという間に高齢出産の35歳。
きっとその頃には仕事が楽しく忙しい、いや、仕事で苦しんで他のなにも手につかないかも。
10ヶ月妊娠しさらに1年休む…復職してしばらく働きまた妊娠…
これを三回繰り返すことを思うと、院まで進めば高齢出産リスクになるだろうことや、休みながらの専門的な職業は難しいのではと思い、決断したことです。
現在の職業も、妊娠トラブルでも休めるような、辞めるとしても誰でも代わりがいそうな事務を選びました。役職もありません。
多くのフェミニストたちは、進学率や、就職率、管理職比率の男女比を5:5にしたいと思っているのかもしれません。
でもそれは、私のような産む選択をした母親たちにも「進学するべき」「働くべき」「昇進するべき」と言っているようで、時々苦しくなります。
産むという女特有の選択をしたばっかりに、男女平等の足を引っ張っていると言われているようで。
産んでから夫婦の役割として話し合い、納得して専業主婦になる人もいます。
産んでから復職したくて、夫が家事育児をして母親がキャリアを積んでいく人もいます。
でもやっぱり、産む人には妊娠期間と産後は×子供の数だけ、必ず年単位であります。
でも、できればその産む選択をした母親が出産に専念し、身体を休めている間のことを、「女性差別されて進学や会社の中に入れなかった被差別者」としてカウントして欲しくないんです。
その学校のなか、その会社のなか、その職業のなかで男女比が偏っていたとして、女性が少ないことをみんな差別だと感じるのはごく自然だと思います。
でも、社会の構成員として、私たち母親も数えて入れてほしい。働いてないけど、進学してないけど、ここにいます。
女性の半分が産まない選択をして進学やキャリアの道を突き進んで行っても、残りの半分の女性が産む選択をして、そこから自分で下りることを許してほしい。
5:2.5:2.5であることも許してほしい。
祝辞で語られたような女性差別や、男女どちらでも性別による差別は本当になくなればいいと思っています。
その人個人が望む道へ、選択へ進むことに、障害が少なくなればいい。
子供たちが育ったあと、私もまた学問や、専門的な仕事へ挑戦するかもしれません。
あるいは、三人目を産み、専業主婦になるかもしれません。
あるいは、体力がもうなくなりこのまま事務を続けて趣味などで余生を過ごすかもしれない。
ただ、いまは、子供たちを安全に産むことが望みです。その間も、「社会の構成員としての数」に数えてもらえたら嬉しい。
勝手に子供産んだくせにと言われる昨今、それでも私は産む選択をしました。
重大な仕事だと、信じて選びました。
それでも、私という女を、進学させ働かせ昇進させなければ男女5:5を達成できないと言うなら、あんまりにもしんどいです。
しんどいです。
疲れちゃいます。
走り書きでごめんなさい。
※※※※※※🙋
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色々なコメントありがとうございます。
勘違い…気のせい…そうなのかも知れませんね。私の気持ちのなかだけの問題なのかもしれません。
専業主婦と勘違いされている方もいらっしゃいますが、兼業主婦です。
フルタイムで残業なし定時勤務。負担少なめな毎日同じ書類事務。
第一子は女の子ですが、三人産んでもみんな大学へ行きたいと言っても叶えてあげられるように共働きです。
夫は家事も育児もよくします(手伝ってくれる、ではなく自身の責任のように)。
そういう意味で、夫は兼業主夫ですね。話し合い、経済的にも夫は管理職を目指すということで、今後は私が主に家事を担うでしょう。
女性だけが育児や家事を選択できる、または押し付けられる、とは微塵も思いませんし、夫婦間でその割合は働き方や経済力を考えて家族ごと、自由に取り決めたら良いものだと思っています。
なので、「家事育児を私(母親)」という話は記事でもしませんでした、あくまでも産前産後の肉体的な、男性に半分分けられない部分の負担のことです。
育児のこと?と思われた方も多いかも知れませんが、もちろん夫婦二人で分けあっても育児は大変なものでしたが、産前から切迫流産で入院、産後も輸血、子宮復古不全などという肉体的な休息や回復期間のままならない身体…、その間仕事のことを気にしなくていいのは気が少し楽でした。
ご指摘の通り、夫や家族、職場にも幸運にも恵まれて、私の望む選択の結果としてとてもよい環境だと思います。
なので、進学や仕事に関する選択に恨みがあるとか、後悔があるということでは全くないのです。
ただ、もっと大変で不幸で、選択が上手くいかなかった人も、選べなかった人もいるのだから、好運なあなたは黙っていなさい、と口を塞がないで欲しい。
この世で最も不幸なただ一人だけが、望み求めることを許されるのでしょうか。
産んでもキャリアに戻れるような制度、とても大切だと思います。
産みたい、それが仕事でも進みたい気持ちを妨げるものにならないように。
産んだあとに挑戦できる、学び直せる、専門的に働ける、そんな社会がいいなと思いますし、私の周囲にもそんな選択をした人もいます。
休んで止まっている空白のキャリアに、産む選択をせず休まなかった人に劣らない「補填」を求めているわけではいんです。
(もちろん、その補填を必要とする方もいます、出産がリスクだけ、損だけだと思われるのはおかしい)
私の選択は、肉体的、精神的、時間的な負担を仕事に大きく割かない、10年かけて子どもを三人産み、その子供たちが進学の選択をしたいときに選ばせてあげられるだけ夫婦で働く、という選択でした。
この選択と、いまだ試行錯誤している家庭生活、バランスとれてるぞ!とホッとしている産後の自分、これが弱い弱い女性被害者の姿だと数えられたらとても、かなしい。