はてなキーワード: 学位とは
加藤秀俊(社会学者):社会学はインチキで大学では不要ではないか。
ttps://twitter.com/hikaru_sth/status/645132749817319424
最近、某(自称)社会学者がテレビで差別発言をしたとか話題になっているが、あれは社会学者とはいえない。
少なくとも私は、デュルケームとウェーバー以外の「社会学者」から学問的に重要なことを学んだ記憶がない。
http://agora-web.jp/archives/1665734.html
「社会学者」が奨学金や学費について不満を述べるほど、奨学金を拡充したり学費を下げたりすることへの
支持が下がっていくとしか思えないので、黙ってた方がいいよね。
学生がああいう人たちの講義を受けたり、彼らに給与を払うために税金を投入したいと思う人いないでしょ。
ttps://twitter.com/rionaoki/status/698348305382658048
学生支援機構の奨学金に対する批判の相当部分は、同機構のウエブサイトすら見ていないレベルのものなのだが、
まともな同業者がそのレベルの議論を相手にするインセンティブは小さいかもしれん。
ttps://twitter.com/mana613/status/697763623633035265
日本の社会学者は3600人、世界の10パーセントと推測されるが、
研究の重要性の指標とされる引用率(ほかの論文で研究が引用される率)は1%をはるかに割っているという。
http://japan-indepth.jp/?p=30462
1. 社会学 2. 芸術系 3. 教育学 4. 神学 5. 観光 6. 栄養学 7. 心理学 8. コミュニケーション
http://www.professorshouse.com/the-most-useless-college-degrees/
ネットの普及や端末の処理能力、教育アプリや知識データベースの充実に伴って根本的な提言としては悪くない。
そもそも教育システム自体が不変のものとは限らず、寺子屋から三百数十年しか経っていないので前向きに捉えれば面白い提言だろう。
しかしベクトルが建設的な方向に向くのではなく格差や根拠提示のない日本衰退で終わってしまっており、結局は進歩のない"パヨクの泣き言"にしか見えないのが非常に残念。
発想が子供、とまで言われてしまっているのもその為で、寧ろこうした意見は教育の底上げや真剣に国家や世界の知性を憂う人間にとって現状改革の阻害にしかならないだろう。
分かり易く別の礼で例えれば、
国境って不要じゃない?(人としてはある意味で正しい)→国家運営で利益を得てる人が得してるだけでしょ?(他の利点を一切考えていない) みたいな話だ。
学位の問題はどうするのか? 代わりの教育はどのような形が望ましいのか? 格差は生じないのか? 教育によって何を得させ、どのような人間を育て、社会を作っていきたいのか?
先日,相対評価で授業成績をつけろというガイドラインを無視したらお叱りを受けたのだが,
曲がりなりにも教鞭を執る立場ではあるが,高等教育は専門ではないのであしからず.
今日の日本の大学教育は,文部科学省中央教育審議会大学教育部会からガイドラインとして打ち出されている3つのポリシー,
すなわちディプロマ・ポリシー,カリキュラム・ポリシー,アドミッション・ポリシーを大学ごとに作成した上で,体系的に行われることが求められている.
少なくとも建前上はこれらのポリシーに基づいてシラバスは作成され,個々の授業における成績のつけ方等が定められる.
この成績のつけ方だが,基本的には到達目標という,当該授業を通じた目標を明確に設定し,
その目標をどの程度達成したかに応じて決定する,ということになっている.
つまり,到達目標と比べてどの程度の知識や技術を身につけたかという一点で
授業成績はつけるのであり,当然ながらそれは絶対評価であるべきだ.
すなわち,仮に受講生の全員が素晴らしい結果を出したのであれば全員「秀」にすべきだし,
目標にかすりもしないのであれば全員「不可」にすべきだ
(実際にはあまり留年されても困るので,多くの教員は学生のレベルを見てからハードルを上げ下げする).
しかし,どういう論理かはわからないが,現実には相対評価を行って「秀」や「不可」の割合を
採点したレポートは採点基準つきで必ず返却するようにしている.
評価における透明性の確保と受講生へのフィードバックをつきつめると
このような手法にいきつくと思うが,この場合,当然ながら相対評価は不可能である.
すなわち学位にただの大卒という就職のための資格以上の意味を持たせるため
今すべきことは何かを考えるべきではないだろうか.
俺は高学歴だ。
学生時代の成果は悪くなかった。
苦労することはたくさんあったが最後には報われたと思う。
今の生活は非常に安定しており、派手なことは出来ないが金銭的にも時間的にも苦労することはない。
会社も潰れることはないだろう。
定年までいれば安寧に過ごせるだろう。
だから、なんなんだ。なんだと言うんだ。
私は何のために生きているのだ。
家族がいればまた違うのだろうが独り身だ。
無意味な金と無意味な時間を浪費して生きる覚悟はまだ出来ない。
静寂なる平和の中で、ある種の人は幸せに生きられないのかも知れない。
アカデミックというある種の地獄めいた戦場の中で青春を浪費してしまった僕にはもう、静けさの中で生きる能力が失われてしまったのかも知れない。
むげーんだーいのゆーめのーあとのーなにもないよのなかじゃーそうさいーとしいおもいもまけそうになるーけーどー
若者の理科離れとか理系離れとか言うじゃない。まあそりゃそうだよねってのが理系就活生を観察しているとよく分かる。自分は東京大学の工学系修士学生で学内外問わず色々な人の状況を知っている。日本の理系の現状はなかなかに酷く全くもって夢がない。
まず就職しても待遇が悪い。例えば大手メーカーの研究開発職に就いたとする。修士卒業の場合、だいたい初任給は23万円/月だ。どんなFラン大学を出ていようと東京大学を出ていようが変わらない。一律たった23万円。もちろんここから上昇するにはするが非常に緩やかな上昇だ。年収800万〜1000万に到達する頃には40歳くらいになっているだろう。大学、大学院と勉強や研究を重ね知識や技術を磨いてもこの程度にしかならない人生だ。
一方、大学時代は遊びほうけ頭すっからかんのくせに就活中だけは意識高く振る舞いそれらしいことを言ってうまいこと商社・広告・マスコミ・金融などの大手に就職できた文系の人達は30歳になる頃には1000万円をもらっている。これらの高給文系職は無駄に激務であることを踏まえてもなお、大学は適当に遊んで文系就職した方がコスパが良いと感じる人は多いのではないか。更に悪いことに、メーカーでさえ文系の総合職の方が平均年収が高くなる。あまり将来のことを考えず理系科目が好きだということで理系に進んでしまった学生は就活する段になってようやく日本が文系社会であることに気付く。技術立国とは名ばかりで学の無い連中の馴れ合いで社会が動かされており文系社畜にならなければ良い待遇が得られないという事実に気付く。
そして博士課程に何の魅力も無い。優秀な学生が少なく、学生時代の待遇が悪く、卒業後に希望がない。アメリカのトップスクールなどにおいて博士学生というのは非常に厳しい選抜を勝ち抜いたエリートである。一方、日本の大学院の博士課程は東大ですら誰でも入れてしまい無能が入り込む余地が多分にある。もちろん東大には超優秀な博士学生がたくさんいる。しかしそれ以上に無能な博士学生の多さが目立つ。博士学生同士で切磋琢磨ということはあまり望めそうにない。
学生時代の待遇も悪い。アメリカをはじめ諸外国のSTEMなPhDプログラムでは基本的に給料が出るし、学費もかからない。一方の日本の博士学生は学費を自分で支払う必要があり、さらに給料は基本的に出ない。もちろん学振を取ったりリーディング大学院の奨励金等を受け取れば20万円/月程度であれば稼げるが、これらには研究専念義務(笑)というものがあり副業や奨学金などによる追加収入を得ることは禁止されている。海外の給料が出る大学院であればこのような制限はない。追加で奨学金を重ねることもできるし、RAをこなしたりインターンシップで稼いだりすれば(かなりうまくいけば)年600-700万円くらいの稼ぎは得られる。
月20万円というのは20代後半の大人にとっては非常に厳しい額だ。実際には税金や学費などが引かれ月15万円程度の収入になるだろう。東京で月15万円で生活することを考えてもらいたい。まず家賃で7万円は飛び、光熱水費で2万円、食費4万円はかかる。この時点でもう月2万円しか手元に残らない。ここから交通費やら何やら出していれば全く貯金できないことが分かる。月15万円というのはギリギリ生存できる最低限の収入である。ちなみに学振というのは世間一般からすれば一握りの優秀な博士学生しか獲得できない。アカデミアの未来を担うホープをパートのおばちゃん並の価値であると見なし更に研究専念義務という謎の仕組みで縛り上げ貧乏を強いているのが日本だ。
耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶと報われるかといえばそんなことは無い。諸外国ではPhDを持っていると基本的には良い待遇を得ることができる。自分でプロジェクトを興し引導し対外発表ができ文章が書け更に専門知識を持つ者として高く評価されているからである。一方、日本の博士はどうだろう。企業の求人をみても月25万〜28万スタートのところが多い。博士を取ることによるプレミアが皆無であるという企業からのメッセージである。博士号を要求する職ではどうだろうか。研究所や大学の教職などがあるだろう。いずれも酷い待遇である。国を代表するような研究所であっても初任給400万/年くらいである。大学に至っては教授に上り詰めても年収1000万程度しかもらえない。日本では研究が大好きであるということ以外に博士課程に進む理由が無い。
いやー夢が無いねえ。そりゃ傾くよねこんな国。高校生諸君、悪いこと言わないから適当に早慶くらいで文系学生やって遊んでイキって暮らしていこうな。
この記事の反響を一通り読んだ。概ね当事者や元当事者など理系の実情を知る人には受け入れられているようである。しかし文系の人や文系就職した人達、この記事に該当する優秀な理系学生でなかった人達には響かなかったようで彼らは少し筋違いの批判をしている。この記事の目的は現状の理系トップの惨状を伝えることにあり、筆者個人の進路選択は全く関係ない。特定を避けるために詳細は述べないが筆者は恵まれた進路選択をできる立場にあるので心配はご無用である。これらを踏まえてもらった上で、以下の批判をした人達は自分がズレているということを認識してもらいたい。
それはあなたレベルの人達からしたらそうなのかも知れないが筆者の周囲では商社やマスコミに入るのは別に特段優秀とは見なされていない。文系就職する人達はむしろ、研究や勉強でそこまで成果を上げられなかったりスキルや能力に自信が無い人が多い。もちろん金目当てで理系からトップ外銀やトップ戦コンで活躍するような人達はこの限りでは無い場合もあるが少なくとも商社がごく一部の超優秀なエリートというのは笑ってしまう。一学年に何百人いるんだよ(笑)(もちろん中にはすごく優秀な人もいる) このような批判をしている人達はさすがに大学に行っていたとは思えない。
このご時世、優秀な人が推薦に頼ると思ってるのが凄い。推薦で採るような会社に行きたくない人が多いという認識が無いのであれば世間知らずだと思う。更に推薦があるような企業でも優秀な人は推薦を必要とせず、選考が正式に始まる前から企業に目をつけられリクルーターが付いていたりする。このような場合、推薦というのはあって無いようなものであり形式的な馬鹿らしいものとなる。企業や学科によっては推薦からしか受け付けないと言ったり最初は自由応募で後で推薦に切り替えるなどと、企業側にも学生側にもあまりメリットのない意味不明な運用が横行しており、推薦制度というのは優秀な人からは馬鹿にされている。もちろんこの制度が無いと就職できないような優秀でない理系の学生にとってはものすごくありがたいのかもしれない。
金が欲しい人は外銀に行きますね。もっとも、金融にものすごく興味があるだとか数学を活かした仕事がしたいだとかいう意志がなく単純に金だけで金融に行くというのは金のために魂を売ることだと感じる人が多いことも認識しておこう。特に大学の先生なんかはこう思う人が多く(夢のために貧乏道を選んだ人達なので当然といえば当然だが)外銀村から抜け出せなくなった人のことを馬鹿にしていたりする。
日本だと金が欲しい人が行く道が(士業を除くと)金融しか無いのが悲しいところ。アメリカのエリートはウォールストリートかシリコンバレーか迷えるのに日本だとシリコンバレーに相当する業界がダメダメで誰も憧れず実際に稼げない。
こうすれば良いああすれば良いと個人の最適な生存戦略を挙げて悦に浸っている人が目立つのが気になった。それぞれの主張はそれなりに正しくはあるのだが、そのような状況自体が悲しくないか、夢がなくないか、という日本社会の構造自体を嘆いているのがこの記事の本筋である。
基本的に給料はスキルの熟練度よりも在籍している会社の業績によるところが大きいし、さらに需要と供給によっても変わってくるので、任意の分野において勉強すればするほど給料が高くなると考えるのは間違いであるという主張は正しい。しかし、もう少し上のレベルから考えてもらいたい。理系の研究者や技術者というのは新しいものをつくりだす人達である。これらの人達の扱いを酷いまま放置していけば社会が後退していくのは目に見えているだろう。それなのに状況が数十年前から一向に改善されないというのは社会が進歩を否定しているということを意味する。日本で理系に進み酷い待遇を受け苦しんでいる人達を自業自得と笑うのは簡単だが、それで良いのだろうか。個人の選択の問題にしてしまうのは頭良いアピールには良いかもしれないがもう少しマクロな視点からものを見て議論してほしい。
実際している人は結構いる。理系に進んだは良いものの理系職は暗い人が多く稼げず華やかさに欠け楽しくないので文系職も考えるかという人は特に社会的にバランスの取れた性格の人達の中には割といる。最近は企業も文系職でも理系人材を求めているということを前面に打ち出してきているし、理系に進むというのは将来の選択肢を広げ人生を有利に生きるという意味では悪くはない。しかしせっかく理系の勉強や研究をしたのに文系就職する方が良さそうに見えるこの状況に何の危惧も違和感も覚えず「文系就職しろよw」と嘲笑するのは筋の悪い批判・自己満足でしかないと思う。
その選択が最良と思える今の状況が悲しくない?という話だよね。個人レベルで考えるなら就職なり学位留学なりで海外行くのは(経済的・能力的・ビザ的に可能であるならば)かなりアリだと思う。
この記事を読んで全ての学生が日本企業に拘っていると読めるのだとしたら一度病院に行って頭を診てもらった方が良い。外資に行くのも生存戦略としては大アリだとは思うし行き場のなくなった博士が外資に拾ってもらうことが多いのも知っている。外資といっても色々あって外資投資銀行、外資戦略コンサル、外資ITコンサル、外資メーカー、外資IT企業、など様々な業界、その中でも様々な職種がある。また外資には米国系、欧州系、中国系などあってそれぞれ気色も違う。外資に行けとだけ言うのは本人は何か言っているような気になっているのかもしれないがその実何も言っていない。投資銀行やコンサルのような文系職であればだいたいどの分野の学生も行けるだろうが分野によってはまともな外資が日本で理系職を採用していなかったりもするので無条件で外資外資と喚くのは世間知らずにもほどがある。外資が理系職の採用をしておりかつ外資の方が明らかに待遇その他が良い分野の場合であれば優秀な人はみんな外資を目指し実際に行く人も多いから安心すれば良いと思う。(もちろん外資に文系就職するのもアリでそういう人も多いが外資だと文系職は奴隷という色がより強くまた本社に行けることもあまりないので本人次第ではある。)上に推薦のことを少し述べたが推薦が眼中に無い人には外資の内定を持っている人も多く含まれていたりする。ただ、やはり基本的に外資に行くほうが良さそうに見える社会ってどうなの?というところはきちんと見つめられるようになってほしい。
たぶん、これは性同一性障害の人が自分の生物学的性に違和感を拭えないのに似ているのではないか。
私の場合、自分自身が日本人であるという事実がずっと居心地が悪かった。
数年後をめどに米国の大学院に行き、学位を得て現地で就職することを目指している。
カネもかかるし、実際にうまく行くのかどうかはまだわからない。
だが、そこに向かって努力はできる。
米国もいろいろ問題はあるのだが、根本的な価値観については、日本より米国のほうがずっと親しみが持てる。
自分は米国に行くんだ、と思ったら、日本のあれこれがあまり気にならなくなった。
鎖国的な島国根性を見ても「せいぜいがんばってね」と思う程度。
日本は、リーダーたちが将来のビジョンを持っていないので、社会が持続可能なのかどうか確信が持てない。
たぶんそのうち痛い目に合うとは思う。
ただ、そこから私が想像もつかないような日本独自のやり方で立ち直るのかもしれない。
いずれにしろそんな「日本独自のやり方」に付き合う気がこちらにはさらさらない。
日本がよくなるにしろ悪くなるにしろ、私は日本のやり方が好きになれないし、そういう諸々から自分の人生を切り離したい。
一度きりの人生だ、もがいてみるさ。
日本を離れる。
皆さんは普段から英語で情報収集をしていますか。そうしている人であれば働く場所としての東京の評判をよく目にすることかと思います。私は東京で働くソフトウェアエンジニアであり、会社の評判を調べたりする際に英語でも色々と調べることがあります。その中で日本でソフトウェアエンジニアとして働くことが海外の人達にどう思われているのかということを知ることがあります。またソフトウェアエンジニアという職やIT業界に限らず、広く一般的に日本で働くことに関する評判を目にする機会は多数あります。まずは一般にどう思われているのかについて述べ、次にもう少し細かくソフトウェアエンジニアやIT業界について述べようと思います。
海外の人達が日本で働くことに関して思っていることは主に以下のようになります。
ざっとこんな感じです。どうでしょうか。普段よく日本人も文句を言っていることですね。実はこれらの評判は全世界に知れ渡っています。外国人は東京のことは大好きだったりします。東京は安全だし楽しめる場所がたくさんあり、ご飯もおいしくサービスも安い店でも良い、ということで住むこと自体にはみんなポジティブな印象を持っています。東京は住むのは最高だけど、働くのは最悪、というのがある程度合意されたイメージになっています。悲しいですね。少子化問題で移民をもっと受け入れるべきではないかという議論がありますが、門戸を広げたところでこのようなイメージの国に優秀な外国人が働きに来てくれるでしょうか。
ではIT業界、特にソフトウェアエンジニアに限った話も少ししようと思います。よくベイエリアと東京のソフトウェアエンジニアの給料を比較して嘆いている日本人がいますね。またソフトウェアエンジニアの社会的な地位の低さを嘆く日本人もいます。会社の業務の進め方の非効率さを嘆く日本人エンジニアもいます。これらのことは全て外国人の間でもシェアされています。さらに不幸なことに実際に日本で働いたことがある外国人が悪評をどんどんと広めていっています。海外の人の間でシェアされている内容をまとめると以下のようになります。
これは相当まずいです。ソフトウェアエンジニアのタレントプールは基本的にグローバルです。世界中の会社が優秀な人達を奪い合っている中で日本の会社が今の体たらくのまま経営を行っていれば誰も日本を選んで働いてくれることは無いでしょう。実際に私が今まで会ったことのある外国人のソフトウェアエンジニアの多くは奇特な人達でした。例えば妻が日本人であるとか、日本のことが大好きで大好きで日本語検定1級を持っていますというような人、アニメが大好きな人など、日本との関係が深かったりかなり強い思い入れがある人達が大半です。東京という都市自体は魅力的なのに誰も働きたいと思わないというのは悲しすぎませんか。
「東京は住むには良いが働くには辛い」というのは何も日本人が思っているだけでなく外国人にも知れ渡っていることです。「日本スゴイネ!」と外国人が褒めてくれることばかりではなく、けなしてくれていることにも耳を貸して是非ともまともになってほしいものです。
日本で働くことに関する情報は掲示板、QAサイト、YouTubeなど様々なところで見ることができます。一例を以下にあげます。
Googleの例の文書の件で,色々考えてくれる人がいてありがたい限り.
ところで,当方と同じバックグラウンドを持つ女性が,例の件をどう受け止めたのかが気になり始めたのだけど,ここを見ている人でそういう人がいたら教えてもらえるとありがたい.
グーグルが示した「職場で言ってはダメなこと」 - WSJ - https://goo.gl/Zedkt6(ウォールストリート・ジャーナル(有料))
米グーグル、多様性否定する文書作成した社員を解雇 | ロイター - https://goo.gl/XsXthj(比較的正確な要約の印象)
アングル:グーグル「メモ職員」、解雇に揺れるシリコンバレー | ロイター - https://goo.gl/2Pr3oR(文中の「生物学的に男性の方が女性よりもコーディングの仕事に適しているという内容」って、文書のどこのことなんだろう。モジラトップの辞任の話も知らなかった。あと「米企業は、職場での社員の言動を制限する幅広い権限を持っている。政府による言論への介入を規制した米憲法修正第一条は、民間企業の職場には適用されない」これも知らなかった)
グーグル「批判した社員の解雇」は許されるか | ロイター | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 - https://goo.gl/qvTUoS(ハーバード大学からシステム生物学の学位……システム生物学???テクノロジー企業には、「自分の考えを同僚とシェアする義務があると考える、頭が良くて自信家の職員が多い」のだという)
Googleが「女性はコーディングに向かない」と主張した男性社員を解雇 | ZUU online - https://goo.gl/vpRc7n(これも「コーディング」なんだよな……techという単語はあったけど、コーディングって英語でなんていうんだ?)
No, Google Should Not Have Fired the 'Anti-Diversity' Engineer | Inc.com - https://goo.gl/Cg8C4L(カリフォルニアでは社内での政治的発言ができるらしい。てことはよそではできないらしい)
グーグル、多様性否定のSEを解雇 ダイバーシティ担当幹部の回答全文~海外人事ニュース|@人事ONLINE - https://goo.gl/nYGjfh(ダイバーシティ担当幹部のダニエル・ブラウンの社員向けメッセージが日本語で読める)
人の心は規制できない。日本のポリティカル・コレクトネス意識に足りない想像力 - BIGLOBEニュース - https://goo.gl/4RMiHF(おまけ。グーグルにも足りなかったね)
いやいや。逆でしょ。
君らみたいになんでも気合いで解決とか訳のわからないこと言い出すから日系ITには録な人材が残らないんだよ。
たいした成果もあげてないアラサー30が気合で医師になれるの?なれないよね?大抵は高齢浪人になって人生破綻するよね?
IT系はそこまで難しくないけど医師弁護士会計士金融に継ぐ職種な訳。
気合で何とかしようとした挙げ句が今の日本のIT業界な訳でしょ。
生産性がプラスどころかマイナスの人間もいる。そしてそんな人間がなんかの調子にトップについて組織全体がおかしくなるのはときどき見かけるでしょ。
40になっても50になってもプログラミングやLPICを始めるのに遅くない人はいるのは事実。
でもそれに関連する学位を持ってて、仕事についてて30までそれを始めなかったてなると恐らく適性にかける。
他の仕事をやった方がいい。政治家の才能があるかもしれないしトレーダーの才能があるかもしれない営業の才能がある可能性もある。
ただITの才能がないのはほぼ確実。
The Most Useless College Degrees – Sociology, Psychology and the Arts
http://www.professorshouse.com/the-most-useless-college-degrees/
The Top 8, most worthless college degrees based on earnable lifetime income are as follows:
1 社会学
Sociology.Based on a poor return of investment, and with the market flooded with so many people seeking sociology degrees to do a white variety of jobs, this degree can make you virtually un-hirable. And the average income rests around $32,000 per year.
2 芸術
Fine arts. No matter how much the arts are revered, unless you can put your art to work for you – chances are it won’t pay off in the end.
3 教育学
Education. Nearly 2 out of every 3 degrees earned in 2010, according to Fox news was an education-based degree. This means the market if flooded with people hoping to engage in the world’s noblest profession. Worse, teachers pay is not that great. On the flip side, if family in the future is important to you – then teaching can be a great job where you can still remain with your family.
以下 リンク先にて
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http://anond.hatelabo.jp/20170608221303
http://anond.hatelabo.jp/20170609195742
この増田に乗っかるようで悪いけど自分も吐き出したいので増田に垂れ流す。どうせ流れるだろうけど。
今までの進路を簡単に書くと、普通高校→地方国立大→修士から地方旧帝大→そのまま博士課程(今ここ)
昔から自然の中でのびのび遊ぶのが好きで、小学校の時の将来の夢は「昆虫博士」で、そのまま「研究者になる事」が目標になっていった。
高校の時、とある生き物に興味を持ってからは自分で採集に赴き、標本をコレクションするようになっていった。
大学受験は、第一希望の旧帝大に落ちたが、大学院から来ればいいやと割り切って、後期で受かった地方国立大に進学した。
大学院からは予定通り旧帝大に進学し、行きたかった研究室に入って好きな生き物の研究を始めた。
こういう経緯があるので、元増田に物凄く親近感が湧いている。
ただ一つ元増田と違う点があるとすれば、俺は博士課程に進学するまで一度もブレーキをかけられなかったこと。
今更になってやっと「研究者に向いていないかも」とか思い始めているけど、今さら気づいても遅すぎると思う。
俺の対象生物は兎に角マイナーで、世界でも研究者が10人も居ない。ジャンルも基礎研究分野だしとにかく過疎っている。
この分野はとにかく若手研究者の不足が叫ばれていて、学会に行けば「将来が楽しみ」だの「期待のホープ」だの言われ
大御所の先生は色々教えてくれるし「俺が死んだらあとの事は全部お前に任せるからな」とか言ってくれるし
要するに俺はチヤホヤされて舞い上がっていた。この分野にとって俺は必要な人間だ!と思い信じ込んでいた。
今考えれば大馬鹿者だけど、つい最近までは「なんとなく研究を続けていれば研究者になれる」と思い込んでいた。
研究者がどんなものなのか、研究者に必要な資質は何なのか、なんて事はこれっぽっちも考えなかった。
ただ周りの人間がどんどん脱落していって、のこった自分が唯一研究者になると思っていた。
修士卒で就職するやつは全員研究者の道を脱落していったやつらだと思っていた。
しかし博士課程に進学して、ふと回りを見渡せば自分よりも優秀な人間ばかり。
論文数、研究スピード、テクニック、モチベーション、人間性。どれをとっても俺は負けていた。
特に研究のモチベーションは絶望的な感じがしている。今年はとうとう学振の申請書を書くのを諦めてしまった。
筆頭著者の論文も2−3本あるが、これも指導教員に散々尻を叩かれてやっと出た論文だし、未だ自分ひとりで論文が書けるとは思えない。
他の人がせっせと論文を書いている間、俺はゲームをしたりネットをしたり鬱で数ヶ月休んだり。
結果、優秀な人が論文を5本、10本と出す一方で自分はせいぜい2,3本。
脱落するべき人間は明らかに自分だった。いくら考えても自分が研究者になれる理由が見つからない。
研究者になりたかったけど、研究者になるべきなのは絶対に自分よりも優秀な彼らであるべきだと思う。
自分みたいな大したことのないグータラ院生が、彼らの競争相手になる事なんておこがましいと思える。
それに職探しをするにしても目の前には絶望感が漂っている。横を見れば自分よりも優秀な人たちがうようよしている。
上を見れば物凄い業績を残した先輩ですらポスドクのまま定職につけずにいる。
当たり前の事だけど俺をチヤホヤしてくれる先生方が俺に職をくれるわけではない。
親が貧乏だったこともあり大学院の授業料免除は全て全額免除判定を貰っているが、
大学に入ったときから日本学生支援機構の第一種奨学金を満額借り続けて400万ほど借金がある。
さらに非常勤講師のバイトをいくつも掛け持ちしている状況。かなりギリギリ。
もう無給ポスドクなんてやってられない。諦めて民間企業で職を探すしかないと思っている。
けど「せっかくここまで来て諦めるのか?」という思いも捨てきれない。
もう時間が無い。悔しい。
職業訓練大学の話を聞いていて、ふと工学部が明治時代の日本発祥という話を思い出した。
もともとヨーロッパでは工学は学問の枠外、自然科学の実践的実用分野とみなされていたので、
純粋学問を修める場である大学でやることとは見なされなかったらしい。
しかし科学技術が高度に発達した社会では、機械だけ、電気だけ、農業だけ、といった狭い領域でも、
派生、細分化、高度化、歴史の蓄積が進んだ知識の一部を修めるだけで、明治時代の知識レベルを考えれば、相当に学問的な専門家を育成していたのだろう。
工学部が生まれた時にも、神の被造物である天文学を修めないで金を儲ける人工機械に関心を持つ技術者に自然科学系の学位を認定していいのか、という反対はあったのかもしれない。
でも今は化学科の人にも生物学科の人にも天文学は分からないし、自分も古典語とか音楽とか良いものを何一つ学べなかった。
本当にそれで大学を修めたと言えるのか、と前近代の人に問われたら、かつてと同じ大学ではないと言うしかないと思う。
専門知識の水準が大きく上がったのだから、大学レベルの知識の価値は相対的に下がる。
かつての大学の総合的な目的を維持する場所が今の大学である必要は全くないと思う。
大学の毀損だとか怒ってる人は、大学がもう発達した学問を受け入れる場として限界が来てることについて考えて、次の場所を見つけたほうがいいのでは。
観光だって歴史とか文化保全とか人文学系の知識が要るんじゃないの、僕は人文系の領域に何一つ想像が働かないから適当言うしかないけど。
もうずっと食事が喉を通らない。
固形物を口に入れた瞬間、それが喉に詰まって窒息したりあるいは気管に入って誤嚥性肺炎を起こすことを想像するからである。いままでモチを詰まらせたことも魚の小骨を引っ掛けたことも無いというのに不思議な話であるが、おれの頭の中では食事と死のイメージとが鮮やかに直結しており、視界に映り込んだ鼻の頭のようにあるいはピンク色をした象のように、意識しだすと止まらない。おれはやがて経腸栄養剤しか口にできず糖分を採りすぎて糖尿病になって失明し脚は壊死して腎臓を壊して透析で苦しんで死ぬ。親が大手病。年収が×××万円以上でなければ、なんとかと云う結婚紹介所におれを登録できないのだと云う。収入の不足分を補うためにかれとかれの母がもつ不動産を相続させるとも云った。過干渉。おれが未婚で長男でキモオタで身の回りの支度ができない無職のプー太郎で優良企業就業済既婚の弟がいるものだからそういう余計なお節介をされるのであろう。自分はその紹介所で妻との縁ができたのでお前もそこに入会せよと云う。おれくらいの年齢の頃、かれはすでに一と三分の二流くらいの企業に勤めていたからかれはその相談所に入会できたわけだが、28歳無職就業経験ゼロという現状そしておれのもつ素質たとえばわが指導教官にそれゆえにお前は研究者に向いてないと直々に云われるほどの社会性の無さなどの資質を鑑みれば、おれがその年収を達成することはとうてい困難なことに思われた。だからおれは早く家を出て住所も電話番号も秘匿して蒸発してしまいたいくらいなのだがおれの学費と生活費と住居費の××年分および奨学金の返済にかれの収入の大部分が充てられているという事実がある以上そういうわけには行かない。ところでかれはおれが野良博士という現代の不可触賤民であるにも関わらず一流有名企業に入れる実力を持っていると勘違いしているようで、どこぞの某大電機メーカーが博士卒を重点的に募集しているなどと有難いタレコミを呉れる。あるいは予備校の講師などしながら企業の研究職を狙えばどうか、などとも云う。博士の就職がいいと云っても景気がいいのは人工知能関連の分野だけだということをどうもかれは理解しておられないようである。おれはと云えば研究室にも行かず×年間も自宅に引篭もってノートの上の数式を弄っていただけの人生だったから、プログラミングのスキルも各種資格もろくに無く、きょうびどこの企業からも御呼びでない。頭の回転も遅く某社のSPIでは酷い点数を取ってしまったために面接すら受けさせてもらえない。これでは受験数学の問題など到底解けないだろう。登録していた就職斡旋屋からは貴方にはシンクタンクなどが向いているでしょうなどと調子の良い言葉をもらったが一か月経ち二か月経っても音沙汰が無い。当たり前である。何かの手違いで某外資社から研究内容を紹介する機会をもらったこともある。おれの能力を試すためにあえてそういうポーズを採ったのかもしれないが、かれらはおれの話を理解するそぶりを全く見せなかった。ショックを受けた。明らかに企業側の需要とのミスマッチが感じられた。おれのプレゼンに問題があった可能性は否定しないが、要するに世界でも十人くらいにしか価値を認めてもらえない仕事を延延黙黙やっていたということは、おれも同意するところである。その十人のうちの一人がわが指導教官だったのは幸運だったのか不運だったのか分からない。もともとおれは数学などで分からない問題があるとイライラが募り便通が悪くなり院試の頃は特に最悪で原因不明の腹痛で入院するくらいで、睡眠時間も食事の回数もゴリゴリと減っていき、歯ぎしりが止まらなくなり、かと思えば今日はサボりの日だと云ってネットサーフィンに明け暮れるものの心はまったく休まらず、夜中唐突に呻きながら自転車で遠出をしたり、風呂も洗濯もせず、機嫌は最悪で周囲に怒鳴り散らし、ただでさえ無口な性格だというのにいっそう塞ぎこんで誰にも相談できなくなり全て自分の力だけで問題解決したくなる人間だったから、博士課程に進学することは当然の帰結であった。おれが天才数学者だったなら上記のエピソードは天才の微笑ましい奇行としてウィキペディアの埋め草にでもなったのだろうが、悲しいことにおれはアホでマヌケでIMOメダリストなどからは程遠い知能の持ち主だったから学位をとるのに結局◆年もかかり(思考速度と問題解決能力が研究能力のすべてではないという当たり前の事実に気づけたことが大学院における唯一の収穫である)今では無職である。元から変だった自意識は余計に拗れメンタルは不調をきたした。食事が怖い。面接が怖い。唐突に脳血管の破裂が怖くなる。あれほど楽しかった学力試験が今では恐ろしい。自分の劣等具合を再確認させられるから。大学院など行かなければよかった。博士課程など行かなければよかった。満期取得退学しておけばよかった。学位など取らなければよかった。高卒で就職すればよかった。以上。