はてなキーワード: 学位とは
戦時中に人体実験の論文で学位を取った731部隊将校の学位取り消しを求める記事を読んで、
凶悪な犯罪(死刑に相当する最低ラインを遥かに越える)を犯した人間は、
死刑ではなく人体実験の素体になるという刑罰を設けるのはどうだろう、と考えた。
もちろん死刑を越える受刑者への恐ろしい人権の侵害だとは分かっているが、
死んでも贖えないような罪を犯している人に対して、
全人類の更なる医科学発展の礎になるという建設的な形で償ってもらうというというのは、
良いのではないか、と。
ただ、現行法の定める最大限の処罰のレベルを引き上げる(死刑よりえげつないものにする)というのが、
他にどういう影響を及ぼすかの考えがあまりできておらず、
妄想だけど
例えば俺は大学もCS専攻だけど才能ないのが己でもわかるレベルの3流エンジニアだ。
どれくらい3流かというとRubyのフレームワークは出来るけど未だにRubyが書けん、意味わからんレベル。
しかし正規の教育を受けて学位ももらって資格も持っているから、ITエンジニアとしては「本物」になるんだろう
そして、あまりの社会の絶望感に焦って、貧乏人の底辺が一流大卒のエリートと偽装して某顔本で知り合った富裕層のお嬢様と地上のもつれで殺人事件に発展した事件があったが
それをヒントに、人生一発逆転を狙ってあらゆる英語文献からアメリカ国防省のサイト、ウィキリークス、怪しいロシアやイスラエルの海外の軍事サイトを調べて
WWⅡから90年代くらいまでの、公開されている工作員や諜報員の教育マニュアルや訓練マニュアルを集めて自分で翻訳して訓練をして(結局ITエンジニアは英語のサイトで漁るからこれくらいはできちゃうのだ)
同じようにSNSで一流私大卒のフリーランスITエンジニアと偽装身分を作って、上級国民のコミュニティに上手く潜り込み、世間出てないお嬢様と付き合うところまで行ったが、そのパパや周りの恋のさや当てをしてた男が怪しんで探偵雇って身分調査された結果、あまりにも完璧に身分偽装をし過ぎて「これはただのチンピラや裏社会の人間ではない、何らかの訓練を受けた本当に危ない人間じゃないのか」と勘違いされ、パパにチクられて公〇にマークされて24時間張り付かれて、転〇公〇で取っ捕まって、正直に洗いざらい話してなんとかわかってもらって23日後に釈放された際に
「若いのに独学でそこまでやった努力は凄いと思うが、努力の方向性がおかしい」とお巡りさんに説教された俺は、スパイだとかテロリストとしては本物なんだろうか、偽物なんだろうか。
最近の新人は怒るとすぐ辞めるから、増田の用意してない、くらいだと、oh……、ってなるだけで怒りゃしないよ
まあいいや、持ってきてね、ってなるだけだ。
あまりプレッシャー感じないでいいからふつーに会社にいくといい
あのな、増田が思っている以上に、新入社員ってのはとんでもないのが多いぞ
十年以上新卒の面倒を見ている俺が言う
大学の卒業式で貰った学位記、家に置いといてもしょうがないので実家に郵送した。
俺は親に迷惑しか掛けてない手の掛かるゴミみたいな息子だったから、その息子がようやく大学を卒業して社会に出ると言う事で、感動とか色々あったんだろう。
世間一般では4/2から新社会人のスタートだが、自分の会社は少し違って一足早く明日入社する。
これから会社員として精一杯働き、そこそこ親孝行をしようと思う。
たがそれは叶わぬ夢だろう。
明日入社なのにも関わらず、社員登録表、住民票の控え、給与振込用口座の通帳、何一つ用意していない。口座に至っては開設すらしていない。10/1の内定式で説明があって半年くらい時間があったのに何一つ用意していない。
こんなものはまず仕事ですらない。でもこんなことすら満足に出来ない俺は仕事もろくに出来ず怒られて嫌になって辞めるだろう。もしくはクビになるか。一ヶ月か二ヶ月か、まあ長くても三ヶ月で会社を去ると思われる。
そうして会社をクビになってノコノコと実家に帰ったら親はどう思うだろうか。特に、ようやく息子が社会に出て自分の手から離れ、学位記を見て涙するような母親はどういう反応をするだろうか。そう考えるとなんかもううつ病になりそうだ。これでは俺は親をぬか喜びさせただけのゴミクズである。
行ったらまず怒られるだろう。半年の猶予があるのに提出書類を何一つ用意していないんだから。
そう考えると俺は明日の朝プレッシャーに押しつぶされてバックレるんじゃないかと思ってしまう。
しかし初日からサボったらどうなるんだろう。完全に終わりだよな。2日目のほうが行きづらいし。
なんかもう嫌だ。
科学系で博士まで学位を取った。けど、好きなことをやった結果取れたもんだしそういう意味で学歴に対して全く執着がない。
なので職人系の仕事に興味を持ったときに研究職を辞めてそっちにいった。事務仕事もやったのだが、これがまぁできないこと。
ほんと申し訳ないなーって毎日思ってたんだけど、ある時3つぐらい上の先輩に
「お前は学歴にプライドがありすぎるから事務仕事ができないんだよ。いかに学歴のプライドを捨てるかだよ、わかるか?」
と言われた。この時ほど、返答に困ったことはない。
寝耳に水というか、学歴にプライドをもつという発想すらなかったので返答にすごく困ったのだ。
なんで俺は学歴があるのにこんなことしなきゃいかんのだ、なんて微塵も思ったことはなくむしろどうやって先輩の様に仕事ができるか毎日考えてたぐらいだ。
後から考えれば考えるほど的を得てないなぁと思うけど、本人がそう思うならそうとしか言いようがない。
今でもこの時の的確な返答がわからない。
法律の専門家でない私が件の判決の詳細を読んだ限りでは、人種で席を分けるのはダメで性別で分けるのはOKなのはなぜ?という疑問に到底応えられるものではなかったんだけど、解説できるならしてみてよ。それができないのに「専門家がそういってるから」で説き伏せようとするのは無理筋でしょ。
まずあなたに解説しても無駄です。自分で言っているようにあなたには専門知識がなく、またそれを処理する能力もないからです。
なぜか「私に解説できない方が悪い」と開き直ってますが、悪いのは学がないあなたです。判旨は十分に明快ですし、学部生でも難なく理解できるレベルです。あなたには学位レベルの知識すらない。
別に学がないだけなら勝手にすればと思いますが、開き直って馬鹿にもわかるように解説しろと言い出すのは最悪です。
なぜ専門知識がないのに自分の方が正しいと思うのか、心底理解できない。
「私は医者じゃないけど、ゴホゴホするしこれは風邪に違いない。医者は肺炎だと言っているが、肺炎ってなに?言ってることがよくわからない。つまり私の方が正しいのだ」
と言い換えればアホらしさが伝わるだろうか。
どうも法学は軽視されがちなのよね。
知識がないと、ゴホゴホする=つまり風邪だ!みたいな短絡的な思考しかできない。
「私は専門家じゃないから、私の認識の方が浅かったり足りないところがあるのかもしれないな、それはなんだろう?」的な思考を取れなければ、一生理解できないままですよ。
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
文系でも同じですが。研究という営みの本質は文系も理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているから相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系は研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラルな上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系と文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用で理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)
もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。
いや、レビューがオリジナルな研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナルな研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗の論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナルの研究成果だ。博士論文の書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル(典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチのオリジナルな研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナルな研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。
ひょっとして文系の研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)
だから、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人の研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女が政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者で彼女を学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女の雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田は最初「和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わず、レビューしか書いてないなんて研究者とはいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。
いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文は研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PDや東大講師、あるいはテレビの出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大の問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビの問題、言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者のリテラシーの問題でしょ。理系の学位や肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由で開放的な性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。
うんだから、文系の研究者が色んな外国語を勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語とドイツ語の研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代や中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語の地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。
これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語の地位を高めていくべきだ派と、日本のアカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本の文系研究者の多様性は、アメリカやイギリスほどじゃないにせよフランスやドイツやロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史や英文学からアフリカの人類学、オセアニアの少数言語、中央アジアの歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人やフランス人やドイツ人がそうできるように、自分たちの言語でそれらの分野の最先端の研究成果を手にすることができる。東アジアや中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語で博論を書いて自国で教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。
もちろん、日本研究を専門としていない欧米人に日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本の論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたものを翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究が日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。
こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文はアメリカ人が日本語を翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀のフランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語が頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別に昔からずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人が中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文で論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産の動物種の研究だと英語論文に和文論文が引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語が統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。
いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田の感覚はわかるんだよ。というかそれは文系の研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語で積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端の研究成果を自分たちの言語で読めて、どんな地域の研究だって自分たちの言語で遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語が日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマの研究はホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史を研究する上で西洋史で探究されてきた研究モデルや概念が意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国の政治についてなんの情報もなしに、自国の政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツールは必要なんじゃないか? ジャーナリストや政治家が欧州統合やアフリカ経済やアメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本のEU研究者やアフリカ研究者やアメリカ政治研究者がみんな英語で論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。
社内でいくつか部署を異動してきたんだけどさ、いちばん雰囲気よくなかった部署での話。
10人くらいの小さい部なんだけど、部長にあたるやつが言い合いに勝つことだけを目標として生きるバカだった。
そこでまず気になったのが電話の取り次ぎだ。基本的にみんな電話に出ねぇ。
仕方なくときどき電話取るんだけど、異動したての俺に掛かってくる電話なんてほとんどなくて取り次ぐために取るの。
学位餅の中堅正社員なんだけど、なんでこんな仕事してんだろうと思った。出ろよ後輩よー。
しかもさ、上も下も電話取り次ぐと嫌な顔するわけ。いや電話に出たくないのはわかるけど、まず取り次いでくれた俺に礼を言えよ。
パワハラ上司に罵倒されることになれきった無能の巣窟という感じだった。
なにが人にとって迷惑なのかとか、感謝すべきなのは誰かとか、憎むべきはなにかみたいなのを自分のアタマで考えるのをやめてたんだろうなー。
パワハラがいると人は考えることをやめるんだなーと思った。
バンザーイ!とかやってやったぜという気分は皆無で
しかしながら,他大学にうつり,ポスドクや特任助教を経験するうちに
自分のあのときの悩みも無駄ではなかったなと思うことがあります.
誰からもサポートされない状況で3年間向き合い,自分の実力と限界を知る,
ということは天狗にならずにその後の研究人生を進める上で私に取っては大切でした.
その苦労の甲斐あってか,理由はわからないのですがポスドク以降は
(本当に理由がわからないのですが,気付かぬうちに能力は付いていたのでしょう)
若手には珍しい大型予算を30代前半で得られ,
様々な人的ネットワークの中で自分の研究が面白いと評価されるようになりました.
おそらくあなたや私が思ってる以上に,PIが博士論文をサポートしている研究室が多く,
素晴らしい博士論文を提出した研究者がその後パッとしないのはそういうことが原因ではないかと思います.
(もちろん本物の天才もいるので注意)
かっこつけるために研究をやっているわけではないでしょう?
博士号はあくまでスタート地点,いわば研究者の一人前の証であり,またその程度のものでもあるわけです.
かっこつけず自分の現在の立ち位置を認識して,学位を取られたわけですから,
次の成長のために,つぎの3年間,5年間,何をするのかを考えながら,
周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。
出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。
身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。
正確には、まだ微修正や製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。
ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポストも任期付きだが決まっている。
結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。
しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。
それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。
あまりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。
私の博士論文は、とても酷い代物だった。
「3年(あるいは5年)間の研究の集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、
非常にせこく、下品で、信念が無かった。
こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから。
博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)
「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」
博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。
長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題に盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。
なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。
本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。
私は問題の本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。
10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは
「複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。
個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリーは存在しない。
分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。
つぎはぎだらけの代物に、博士論文とタイトルをつけて提出したのだ。
元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。
私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。
なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。
恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。
それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。
私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。
これを誇れるだろうか。
博士号とは何だろうか?
「自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である」
お情けで頂いて良いはずがない。
恥ずかしい。悔しい。
それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)
見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから「博士号」に見合う人物になるしかない。
しかし、なれるだろうか?
私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。
いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。
少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。
私は、方向性の正誤はともかく、言い訳の余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。
その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?
努力したからえらい、結果よりプロセスが大事だ、なんて言えるだろうか?
私は言えない。
私は非常に、信用できない奴だ。
でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。
今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。
そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。
他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。
自分に失望した分、他者を失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。
一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。
結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。
失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。
また1つ、恥を上塗りしてしまった。
しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。
博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。
私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。
それでも、頑張る。
3日も泣いて寝込んだ。
人工知能研究者。過去5年以内に、人工知能分野のトップカンファレンスに筆頭で論文を通している。
声を大にして言いたいことが2つ。
人工知能は国際的にもこのまま伸びるとは思う。でも、日本がそこで主要なプレーヤーになれるかはわからない。
今は世界全体で伸びてるから企業も投資してくれてるけど、日本が人工知能じゃ這い上がれない事が分かったら、キュって財布の紐を占めて他の道で生き残る方法模索するでしょ。
まぁ、投資だから研究職ポストは任期付きばかりなのだろうが、任期つきポストじゃぁ、こわくて動けない人多いし、いい人が集まらない。
だから、トンデモ人材に引っかかったりするんだよ。任期付きの研究職ポスト増やしてくださいよ。
その昔、今の人工知能のように、バイオとか生命工学がもてはやされた時があったんだよ。つい15年ぐらい前の話だ。
バイオ人材不足とか言われて、大学院がたくさんできて、大量のバイオ修士・博士が養成された。が、5年ぐらいでブームが去り、大量のバイオ人材余り。
どこにも雇ってもらえないとか地獄絵図とか、そういう話をひたすら聞いた。
今の人工知能も、後5年かからずに同じ轍を踏むよ。よほど自信があるやつ以外入らないほうがいい。
そもそも、人工知能なんてアメリカの方が強いんだから、本気で人工知能やりたいならアメリカ行った方がいいよ、マジで。
5年後は、日米の人工知能分野の差、更に開いているだろうし。