たぶん、これは性同一性障害の人が自分の生物学的性に違和感を拭えないのに似ているのではないか。
私の場合、自分自身が日本人であるという事実がずっと居心地が悪かった。
数年後をめどに米国の大学院に行き、学位を得て現地で就職することを目指している。
カネもかかるし、実際にうまく行くのかどうかはまだわからない。
だが、そこに向かって努力はできる。
米国もいろいろ問題はあるのだが、根本的な価値観については、日本より米国のほうがずっと親しみが持てる。
自分は米国に行くんだ、と思ったら、日本のあれこれがあまり気にならなくなった。
鎖国的な島国根性を見ても「せいぜいがんばってね」と思う程度。
日本は、リーダーたちが将来のビジョンを持っていないので、社会が持続可能なのかどうか確信が持てない。
たぶんそのうち痛い目に合うとは思う。
ただ、そこから私が想像もつかないような日本独自のやり方で立ち直るのかもしれない。
いずれにしろそんな「日本独自のやり方」に付き合う気がこちらにはさらさらない。
日本がよくなるにしろ悪くなるにしろ、私は日本のやり方が好きになれないし、そういう諸々から自分の人生を切り離したい。
一度きりの人生だ、もがいてみるさ。
日本を離れる。