はてなキーワード: 名ばかり管理職とは
入社数ヶ月で名ばかり管理職になった。1番良くなかったのは、自分が初期段階で振られた業務を中途半端にもこなせてしまったことだと思う。
前の会社時代、デスクワークの経験がないまま転職をしたのでとにかくたくさんの迷惑をかけた。タスク漏れも多かったし、言葉足らずで取引先を怒らせることも多かった。その度にタスク管理の仕方も進め方も、ショートカットキーとかも見直す機会があって、前の会社でなんとか人並みに持って行けた。おかげさまで転職先でなんとなく言っていることがわかる、これが求められているのかな?で業務をこなせていた。ここまでで見れたらいい成長だった。
ただ、入社数ヶ月して今まで働いていた人たちがごっそりと退職。残ったのは正社員の自分一名。人手が足りない、といって上司が雇ってきたのはなぜかパソコンスキルがない人たちだったうえに、教育が我々に投げられて結局パンク具合に拍車をかけた。
思考する時間がない、動く人たちの指示や思考が優先、自分のタスクは後回しになって残業をする。ならば自分の持っているタスクを振り分けようとするとツールが使えない、パソコンが壊れてしまって、取引先怒らせちゃいました、関数が壊れちゃったけど治せなくてどうしたらいいですか?などで結局新人たちには依頼できない。でも「頑張ります!」といっている人たちを無下にはできない。仮に感情的になって八つ当たりなんてもってのほか。出来なかった頃、自分もされて辛かったから。上にされた以上、指示をしきれない自分が無能で、指導しきれない自分が悪いのだと考えて、感情は喜と楽だけ出す、とか、注意は勤めて明るくポジティブに次へ繋げられるように、とか、そう振る舞っているうちにトイレで1人になった途端、号泣してしまった。食欲も沸かない。私だってもともとキャパが大きいほうでも器用でもない。別に謝罪するのも責任をとるのも苦じゃない。一緒に働いている人はみんな嫌いじゃない。でもこの環境では弱音しか出てこない。前任たちがすぐに退職することを知っていたら恐らく入社はしていなかった。
1番怖いのはキャパオーバーでお客さんに迷惑がかかることだ。というかすでに片鱗が出ている。これから新人から漏れていたお客さん宛の緊急タスクを対応する。
マシなのは高圧的な人間や嫌味な人間がいないことくらいか。昇給もボーナスも出るのか危ういけど、早くプレイヤーから離れてみんなが楽に仕事をできるように整えられたらいいなあ・・・遠い遠い夢だな・・・。
従業員500人程度の中小エネルギー会社 人事課長→従業員1万人超のSI企業(NECとかNTTとかそのへん)人事職(非管理職)に転職して一年ほど経過したのでその雑記。あんまり増田で人事の転職見たことないな?
それなりに要領がいい方だとは思うが、お世辞にも能力が高くはない。英語力も皆無。(TOEICは受けさせられて300ぐらい)
氷河期と言われる2012卒だったのに加え、自分が就職活動に対してやる気がなかった(4年から就活開始したあたりでお察し)が、4年時、中小企業の秋採用になんとか入社。しばらく営業職として全国を転々としていたが、途中で人事に異動。
採用・教育・給与以外の人事業務を実施(評価とか異動とか個別人事対応とか)し、30歳で人事課長に昇進。
30歳で課長というと一般的には早いのだろうが、残念ながら名ばかり管理職のため部下はおらず、残業代がなくなったため給料は減り、決裁権は1円たりともなく、業務も変わらず、ただ参加する会議が増えただけだった。
(これは余談だが、管理職に対し残業代を払わないためには、厚生労働省が開示している管理監督者の定義に合致している必要がある。前職では当然何一つとして合致していなかったため、名ばかり管理職に対し残業代を支払う旨の制度改定を提案し上司に持っていったがその後何一つ音沙汰は無かった。尚、内部通報制度を使用しようにも肝心の窓口が上司の為詰んでいた)
また、パワハラ気質やサービス残業(特に、上司からメールが来たら土日祝日であろうと24h以内に返信が必須なのがしんどかった)にうんざりしたのと、結婚に伴い全国転勤が難しくなったため転勤がない会社への転職活動を本格的に開始。
上記キャリアのため転職するなら人事職が良いだろうと考え、人事職で転職開始。転職は以下3点を軸に、エージェントを頼りながら進めていった。
(エージェントには管理職待遇がマストかを聞かれたが、上述の通りまともなマネジメント業務は実施していないため拘らず)
転職にかかった期間は半年程。エージェントは3名ほど使用。転職は30社ほどエントリーして、面接は15社ほど受け1社から内定をもらい快諾。
「5社受けて3社内定もらいました!」ってレベルの退職エントリが多い中比較するとひどいもんだけど、新卒就活の時の連戦連敗を考えれば無傷みたいなもんだった。
前職に退職の報告を上司にしたところ、「転職先が決まってから退職を報告をするのはマナー違反だ」「お世話になった会社を辞めるのは人間として狂っている」などと説教を受けた(注:上司は中途採用組)ため、やはり転職活動してよかったなあと思いながら適当にその場は愛想笑いで凌ぎ無事退職
・年収で500万→800万ぐらいになった(賞与は50万→130万に増)
・業務内容は採用~退職までの一連の人事業務すべてに薄く広くかかわる感じ
・転勤原則無しの扱いになったので、戸建の購入計画を進められるように
・在宅か出社かはどちらでも問題なく、業務に支障さえ出なければ共有スケジュールに入れるだけで在宅可能に
・裁量労働制のため、仕事が片付いていれば定時より早く仕事を切り上げることもしばしば。
・前職で(名ばかりとはいえ)「管理職」を経験していたためか次期管理職候補としての期待が大きく、今期の評価では最高評価を受ける。
・仕事の業務時間やストレスは減り、年収や待遇が爆増し、社内の人間関係も良好のため、転職はこれ以上ない大成功だったと感じる。
・周囲のメンバーを見ると、前職と比較しても(ごく一部のスーパーマンを除き)そこまで能力が高いというわけではないし むしろ自分の周りを考えると前職のメンバーの方が能力は高かった。(でも給料は今の会社の同僚の方が遥かに貰ってる)
・転職して一番のギャップは経営層から担当者まで全員穏やかな人である事。周囲から怒号が聞こえない事の快適さを痛感。
・バックオフィスの転職あるあるかもしれないが、自身の能力や仕事のアウトプットが増えていないにもかかわらず 年収や待遇が爆増した事の違和感が凄い。年収は個人の能力でなく所属する業界・企業によって決まるのはガチだなと感じた。
諸々反応ありがとう!
会社へ提案したのは私が人事部所属だったので、「人事としてこの会社制度は変えないとあかんな?」…といった業務上の理由で制度改訂の提案をしていた感じです。
転職した今、仲の良い後輩・同期達には転職支援する形でサポートしてるので、残された他の人たちの事は正直知ったこっちゃなく、通報とかは考えておりません。
これはネタバレなんですが弊社の経験者採用では前職の収入は考慮していなくて、
学歴とか経験年数とかの諸々を入力すると既定のルールに基づき年収がいくつか設定される仕組みになってるんだよね。その中で職場側の期待度によって選択するみたいな感じ。
なので俺が凄いとかエージェントが敏腕とかでなく、本当に自分の場合は運が良かっただけ。あとはいくつか言及されているように、(名ばかり)管理職経験者という実態がうまく働いたのはあると思う。
>氷河期の同期達
あの時皆どんよりしてたよね…
ただ、大学の同期で転職したメンツと話すと、だいたいみんな「転職は新卒就活より遥かに楽」って口をそろえて言うんだよね。
100社受けて1社内定あるかないかみたいな極限状態では絶っ対ないので、転職するかしないかは別としても片手間で転職エージェントと話してみたり、転職サイト覗いてみるのはいいんじゃないかな。
これまで新卒一括採用しかしていなかった大手企業も経験者採用爆増してるので、自分の経験と当てはまる求人さえあれば当時ではESすら通らなかった企業が割と気軽に面接してくれると思う。
>長い
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
お礼文
https://anond.hatelabo.jp/20230206231743
今の仕事に嫌気が差して、あとやっぱり同じ仕事をしている人たちにくらべて給料が大幅に安いのが辛くて転職活動をしたらこうなった。
正直クソザコなので一個でも受かったらいいなと思ったら、志望度が高い所に絞っても4社から内定を貰ってしまった。
俺に内定が出るとか人材不足にも程があるだろ、日本経済ヤバイ。やばいんだが、俺みたいなクソでも役に立つと言ってくれているならば、それだけで死ぬ気で頑張る覚悟はある。
あるんだが、どこに行ったらいいのか迷いすぎ。しにそう。
内定でなくて悩む事は想定していたが内定が出過ぎて悩むとは思ってなかった。
俺のスペック
・好きな生き方が出来なくなる
・労働基準法回避のために名ばかり管理職にされることで他の権利を一緒に失う
・訴えられない程度のハラスメントや無能ではクビに出来ず職場の空気が悪くなる
これはつまり、日本という国から、やる気・時間・自由などの要素を取り上げてシュレッダーにかける行為なのです。
労働基準法は日本国民が生み出す有形無形の様々な価値あるものを政府のやってる感のために取り上げる悪法なわけですよ。
なぜ、反対しないのですか?
こんな法律があるから、なかなか人をクビにできないから就職氷河期が産まれたんです。
失われた20年をリピートして失われた40年へと延長した真犯人こそが労働基準法なわけです。
もしこれが本当に素晴らしい法律なら「どうして公務員には適用されないんでしょうか?」
そう答えは明白です。
法律を作っている人達はこんな法律は単なるごっこ遊びだと気づいているからです。
だからこっそり自分たちだけ公務員法という別の法律を適用するようにしているのです。
卑怯ですねー。
すぐ横で国民たちに不当な法律が突きつけられているのを自分たちが助かるための生贄として見捨てたわけですよ。
かくして政権与党のお爺さんたちのやってる感のために国民はこんな意味不明な法律を押し付けられたんです。
酷いと思いませんか?
こうしろああしろと言った張本人たちは安全地帯で「いやー自分たちは労働基準法の外にいるからなー。羨ましいなー労働基準法に守られてて羨ましいなー」と棒読みしてるんですよ?