はてなキーワード: 不惑とは
30代中盤に差し掛かり、運動不足な肉体は10代20代の貯金を使い果たし
普通の食事をしていても代謝より摂取カロリーが上回り始めるようになる。
酒が強い自負があったけれど、20代と同量の酒を飲むと翌日きつくなった。
年始に今年の計画や見通しを立てたりしても「やりたいこと」より「やめといた方が人生にとって有益なこと」が先に出てくるようになってきた。
20代の頃より、はるかにエコな考え方ができるようになったものだと驚く。
金も時間も全部周りの人や今後のことに全額ベットしてきた人間としては、急に守りに回った保守的な考えになったのかなと気づく。
その頃は立場や経済力がついても、ずっと全額ベットして行くものだと思っていた。
10代20代はいろんなことがあって、必死こいて頑張ってきた自負はあるし、
その積み重ねで今の地位や結果が出ているのだろうと思うのだけれど、
いろんな事を諦められなかったし、もがいてばかりいて無駄が多かったことも事実だと思う。
徹夜してと仕事を頑張ったり、いろんなストレスをいたずらに酒で埋め合わせたり
今考えればそんなコストかけなくてもできたんだろうなと思う。
それでも、その頃に得たものは尊いし、大切な宝物だと思いたいのは過去の美化になってしまうのだろうか。
孔子曰く不惑になるのは40だというが、不惑になるというのは実はロスを削って行った結果、
やれることが限られて行くから惑わなくなるのかなとも思ってしまう。
変化し、改善し続けることを是とし、ひたむきにやってきた10〜20代。
その頃見えていた、大人たちに対して「変化しないのはおかしい」くらいのことを思って
ひたすらにハングリーにやってた。その人たちの年齢に近づきつつある今、見え方が変わってきた。
残りの時間をカウントしてみても、20代の頃ほど体力も時間もない。
体力の維持への工夫のために、いたずらに筋肥大させるために、ジムで体作るというより、
軽負荷で毎日続けられるようなジョギングや散歩を選ぶようになった。
ゆったり寝るために瞑想することも増えた。
情熱ややる気の定義自体も変化してきたっていう事なんだろうか。
なんとなくモヤモヤする日々の原因はこの辺の10代20代の頃の不器用な感覚のままの自分と、
売り上げを追求するより、販管費をさげて、利益率をあげるような考え方自体間違いじゃないと思うし、
合理的だとは思うけれど、いろんなものの先が見えてしまった事にどこか寂しく諦めににた感情が込み上げてくる。
それとも、こう考える原因は、今まで10年以上息をつく間も無く必死に頑張ってきて
ふと息切れして止まってるような状況だから仕方がないのだろうか。
自分が遮二無二頑張ってたことも効率化という名目で、一つずつ諦める決断をして行く。
今の状況がつまらないわけじゃない。
小中高と普通の子供だったが、そこそこいい思い出もある。ある程度学も修めた。独身時代はそれなりに恋愛なんてのもした。で優しい奥さんと結婚もできた。それなりの土地に家も建てた。子供もできてある程度手のかからない歳まで成長した。元気で優しくちゃんと宿題もやる。
まぁまぁ努力してそこそこ出世してわりといい年収で生活できている。だから庶民的なモノ・コトは手に入る。もっともそんな欲しいものがたくさんあるわけではない。
子供がどういう選択肢を選ぼうと、フィギュアスケートでオリンピック目指すとか言い出さないかぎりだいたいOKな貯えもできた。家族も五体満足、両家の両親も元気。
たぶんいまが人生のピークなんだろうな。これ以上出世する意欲もないし、これ以上稼がないと買えないモノ・コトを欲しているわけでもない。第一、欲なんてきりがない。
とするとあとは何だ?子供の結婚と孫か?だとしたらそれ少なくとも15年後とかだぞ。じゃあその15年なんのために生きるのか?老後の蓄えのためか?
これから両親が死に、自分が老い、日本が住みにくくなり… こんな悲観的なこと考えてるなんて奥さんに相談できないな。
普通が一番難しいってのはわかるけど、なんだろうこの一回クリアしてしまったRPGをやってるような気持ちは。誰だよ不惑の歳なんて言ったの。
俺氏長男。妻一人っ子。俺氏の実家は関東郊外。関東だけどバリ過疎地。市じゃなくて町。市町村合併にも取り残された町。妻実家も関東郊外だけどもうちっとマシ。駅近には新規に宅地開発されたりもしてる。ただ妻実家は駅徒歩20分以上の古い住宅地。
売れそうもない実家×2箇所、墓も2つ。
奥さんはさ、俺氏家に嫁いだと考えれば俺氏は妻家墓の責任は回避できるんだろうか。
義父は兄弟あり。ただ妻のいとこは女しかいない。この場合ってどうなるんだろう…
俺氏の年収は子育て世帯の平均+αくらいなので貧乏ではないんだけど、子供2人いて自閉者発達障害でいろいろ大変だから妻は専業主婦なもんで裕福ではない。
自分が贅沢したいわけじゃないんだけど、稼いだものはなるべく子供たちの教育に回したい。
まぁ相続に関しては最悪放棄してしまえばマイナスは避けられるんだろうけど、問題は介護が必要になった時だよなぁ。
親を有料老人ホームに入れられるほどの蓄えはない。
そこら辺の貯えは残しておいてほしいなぁ。
別に遺産なんていらないけど、自分のケツは自分で拭いてほしい。
もちろん、自分を育てるのに多額の教育コストがかかっているのはわかってる。大学は私大だし一人暮らしさせてもらった。
でもさぁ、俺がしてもらったことを子供たちにしてやるためには親にかけられるお金なんてないんですよ。
俺自身はそれで老後の自分達夫婦がカツカツになっても子供たちに世話してほしいなんて全く思わないんだけどね。
親は、誰々さんちは娘さんに海外旅行をプレゼントしてもらっていて羨ましいとかぬかしやがるけど、その娘さんは確かにバリキャリだけど不惑を大きく超えて独身じゃねーか。そりゃ金はあるだろうさ。
それが本当羨ましいとは感じていないとは思うが、鬱陶しい言い草だとは思うやな。
特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォーの自分にはじわじわ刺さる作品だった。
ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーにネタバレがあるのかわからないが)、簡単に感想を書く。
「90年代に活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本の音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。
カラオケでJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルクに代表されるような90年代に流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太なイメージもない。
当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからはダサいと馬鹿にされていた。そんな立ち位置。
でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子のファンが多かった。
2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散。理由は明らかにされていない。
映画は、2016年5月の代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージと楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷のライブハウス「La mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。
過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれてしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。
皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげである。トランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後の楽屋風景はさながら中学校の昼休みだ。
そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。
そしてその年齢ゆえ、過酷なスケジュールのツアー中に起きる、体の不調。
ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカルの吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージもカメラは追っている。
ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。
それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラをもつ、ロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である。
上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代のミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。
これまでの日本のロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャンは存在しなかったのではないだろうかと思う。
90年代、20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分も不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである。
「オトトキ」ってタイトルは最後まで意味わからないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスターのビジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。
当方不惑を越えたおっさん。出身中学の同窓会に行ってきたので、その時に得られた知見をシェアしたい。
中学時代に美少女でモテモテだったような女子は不惑を越えてもやっぱり美女だった。ブスはブスのままの人もいたけど、中学当時ブス認定されていたような子が大人になったら化けてあっと驚くような美女になっているのが数名いた。工事したのかも知らんけど。
一人、中学時代に密かに可愛い子だなと思っていたけど周囲からは見向きもされていない女の子がいた。久しぶりに会ったらすごい美女に成長していて、我が慧眼を誇った。
中学校でモテる男子って、大体はサッカー部とかバスケ部とか、運動部に所属する目立つ生徒か、あるいはちょっと不良っぽさを醸し出しているヤツというのがお約束。
一方自分は中学時代は文化系クラブに所属し、女子生徒とはほぼ接触せずに暮らしていた。いわゆる非モテクラスタであった。
大学生や社会人の頃は人並みに女性とデートしたりする経験もして結婚することもできたから、まぁ大学デビューと言えばそれまでだけど、非モテは卒業したつもりでいた。
しかし、久しぶりに同級生たちと会うと一気に時間が中学校の頃に引き戻されてしまった。非モテだった自分は非モテとしての行動を無意識にとってしまい、同級生女子とはほとんど口も聞けず、非モテ男子たちと会場の隅の方で喋るのに終始してしまった。がっかりだ。
クラスに眠っている、今は周りから見向きもされていないようなダイヤの原石的女子を見出して、その子と頑張って仲良くしておくと良い。将来あっと驚く美女に成長したその子をゲットするのだ!
ほんじゃーね。
先日会社のイベントがあり、東京タワーの離れにある5階のラウンジでジンギスカンを焼いて食べた。わたしの席の周りには常務をはじめ、ずらりと偉いおじさんが並んでいた。19時をまわり辺りが暗くなると東京タワーに灯りがついた。
「おや、灯りがついた」
「日が暮れるのがすっかり遅くなったなぁ」
「わたしらが働いているこんな近くの、東京タワーで、こんな宴が夜な夜な繰り広げられていたなんて。夢にも思わなんだ」
横一列に並んだ偉いおじさんたちが、いかにも感慨深げに抑揚たっぷりに言うのがおもしろかった。みな一様に、間近の東京タワーを首が痛くなりそうなくらいに見上げていた。ト書きを読んでいるような台詞回しや視線が交じらないことが、どこか小津安二郎の映画を思わせた。
のりの効いたシャツを恰幅よく着こなす一番偉いおじさんが訥々と話し始めた。
「わたしはね、料理作る人になりたかったんだよ。だから18ん時にね、親父に『おれは料理人になる』って言ったの。そしたら親父なんて言ったと思う?」
「『作るより食うほうがいいだろ』って言ったんだよ。それで今ウチの会社にいるんだよなぁ」
そう言って一番偉いおじさんは口いっぱいにラムを頬張った。わたしは笑った。なんだかよくわからないが、いい話だなと思った。そして笑って、とても偉い人の幸せそうなエビス顔を見ていた時、ふと、ああ、わたしの人生はこうしている間に過ぎ去っていくんだなと思った。あっという間なんだろうなと思った。目の前にいる一番偉いおじさんは、料理人になるかならないか決断をして、作るより食べることを選んだ。そうして偉い人になった。でもわたしは道を選ばず、毎日をやり過ごしている。なんとなくお金を稼ぎなんとなく暮らし、たまに会社のイベントでジンギスカンを食べたりする。そうこうしているうちにもう25歳だなと思った。そうして30歳になるだろう。40歳になるだろう。50歳、60歳、70歳、80歳、どこまで長生きできるかわからないが、やがて死ぬので人生は終わるだろう。
***
会社の別の人の話である。その人はわたしとそれほど歳が変わらないように見えるがそろそろ不惑だと言う。若さの秘訣を尋ねると、戸惑いがちにこう言った。
「朝起きるじゃないですか。息を吸って吐く。顔を洗ったら朝ごはんを食べて、歯を磨いて会社に行く。会社から帰ってきたら晩ごはんを食べて、お風呂にはいって寝る。その繰り返しをしていたら、今の年ですね」
ぞっとした。悲しかった。恐ろしかったが、でもきっとそういうことなのだろうな、と思った。その人は、だから若く見えるのだ。
***
わたしはなんとなく、まだ人生の助走期間にいるような気がしていた。どこかで人生の本番がはじまるので、そうしたら全力ダッシュすればいいんだろうなと思っていた。毎日が生きがいに満ちた本番の人生。いつか始まるはずの輝かしい本番。
だがいつまでも本番は来ない。そうして気付いた。ダラダラ走っているこの毎日が、人生の本番なのだ。助走期間なんてなかった。ずっと本番だった。
もし充実している人生をしか本番の人生と呼ばないのだとしたら、何も選ばない怠惰な人間にはいつまでも人生の本番は来ない。
ここから先はすごく言いたくないことだ。でも言う。わたしは、本当は、文章で食っていく人になりたかったのだった。どこかでそれを選んだと思っていたのだが全く選んでいなかった。苦労をしてはいった大学は、わたしと同じような人だらけだった。皆、文章で何かできると思って、でも何かできているのは一握りだった。大した努力もせず、ダラダラ道草を食っていた。
そうして大学を卒業した今のわたしは、就職活動に失敗し、明らかに向いていない職業についた。今もなお、本当は待ち望んでなどいない本番を期待し、怠惰にダラダラ走っている。
***
昨日は酷かった。湿気がひどいと理由をつけ、なんにもしたくなかったので家事もせずベッドに寝転んで、無料でダウンロードしたオセロのゲームをしていた。無料なのですぐ勝てる。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、win! そうしている間にわたしの人生の本番は過ぎ去っていった。なんて無駄で贅沢な時間の使い方であったことか。
でも考えてみれば人生なんてそんな重きを置くものでもないのかなと思う。昔は毒キノコを食べて死んだり崖から落ちたり辻斬りにあったり、とかく簡単に人が死んだんだろう。彼らに意味付けなんてなかったはずだ。
先日家の近くで子猫が生まれた。とにかくかわいかったのだがいなくなってしまった。あの子らももしかしたら、飢えたり車に轢かれたりすぐ死んでしまうのかなと思う。子猫たちの本番はもうない。しかし親猫はまた次の春には発情して、すぐに新しい子猫が生まれるだろう。人間の生も所詮そんなものなのかもしれない。本気になる必要なんてないのかもしれない。
でもどうせならわたしは、本番の全力ダッシュをしてみたい。わたしにとってわたしの本番はわたしだけに与えられたわたしだけの一回こっきりのものである。わたしにとっては世界に等しいものだ。その気持ちを捨てきれない。
いい歳だから仕方ないんかな。
同棲してた人と別れてから、一年半ぶりに彼氏ができてしばらく。
こんなに興味をもってくれない彼氏は初めてだ。向こうも不惑直前だけど今まで長い彼女で半年という理由がわかった。
セフレかなって気がしてならない。まあ実情はそうなのか。家来てダラダラしてセックスするだけだもんね。休み合わないから朝起きたらどっちか仕事だし。って向こうが本当にその勤務かも怪しいけど。
プレゼントのセンスのなさがピカイチなのもそのせいだ。全くもって観察眼がない…わたしのあげたのは使ってくれてるけどさ…
ああ、この気持ちをぶつけたとしても理解はしてくれないだろうな。歴代彼女とおそらく、同レベルでしか興味持たれてないってことだからいってる意味きっとわかんないや。多分彼女がいたら相手にすべきことをしてるって感じだよね。悪い気はしないけど、やっぱわかるよね。誰でもいいわけじゃないけど、私じゃなくてもいいみたいな?
昔の人で元カノの2番手なんだ、と気付いた時は速攻別れたけど、今回はそれとも違うからタチが悪い。
加えてわたし、結構好きなんだよね。好きな人と一応付き合えてる体だしよしとしなきゃだよねえ。友達には紹介されたしね…多分。。
新譜といってもセルフカバーベストみたいなやつで、しかも発売までロクに知らされてなかったけどコンセプトは「ライブ感」なんだそうでほぼ全曲一発録りだったとのこと。
自分は中村一義大好きで、このアルバムも総じて大好きで、でもこの一発録りであるが故の「雑さ」みたいなのがすごくもどかしくもあって。
それを誰かと共有したいんだけど残念ながらリアルの知人に中村一義のファンはおらず、また相手がファンならファンで「自分がクサしたとこ相手が気に入ってたらどうしよう」とか余計な事考えてたぶん本音のとこは言えないと思うんで増田って素晴らしい。
ライブでさんざん聞いてるバージョンなんでまあ今さらこれといった印象もなく、でもこれがいつでも聞けるのはやっぱり嬉しいし、原曲とはまた違った聞きやすさというか中村一義知らない人にも勧めやすい類のよさがあってやっぱりいいよねって思う。完成された名曲。
これも犬猫同様、安心して聞ける一曲。まあでもこっちは、原曲ののほほんのした声の方がむしろ精神的にクるものがあるかなあと。
アレンジというか、方向性自体はとっても好き。ただ一義自身が変に熱込めすぎて一部歌い方がアレな感じになってるとこがあって、それがすごく惜しい。
具体的に言っちゃうと「すっぷーうーくぬぁいんかんねー」とか。やりすぎなんす。
そんな一義の対極に走ることでバランスを取りに行ったかのような、あずままどかの甘〜いコーラスが大好き。こういう、原曲にまったくない要素でいいなあと思えるのはカバーの醍醐味よね。
これも好き。一歩間違うと名無しのおっさんがチャリティだか地下商店街の広場だかで歌ってそうな感じになりかねないんだけど、そこはそれ曲も本人もやっぱ名無しのおっさんとは格が違うので。
てか仮に中村一義が97年にデビューすることなく名無しのおっさんとして街の片隅でこれ歌ってたとしても、きっとなんか耳に残って気になるんじゃないかと思う。
好き。楽しい。「オイ! オイ!」て掛け声も、ほどよく品がないというかケンカ弱そうな感じがしてとってもよい。わーんつーすりー!
ああこれもいいなあ。まあ原曲から印象があんま変わってない気もするけど。「特に変に手を加えずに、2017年の今ロザリオをやるとこうなりました」って感じ。
あらら…また。ちょいやりすぎですよ一義さん。奥歯のないおじいちゃんですか。曲自体はいい曲なんだけどねー。
ラジオでもちょこちょこ流れてて「あ、なつかし!」ってなった人もいるっぽいけど。やあ、名曲ですわあ。
そしてこれに関しては、「ライブ感」てコンセプトがドハマりして大成功の一曲だと思ってる。
てか、久しぶりに原曲聞くとすごいテンポがもっさりしてて驚く。いや、もったりしてんのは初期中村一義の最大の魅力のひとつなんだけど。
なにせ元々からして曲後半の疾走感が素晴らしい曲なので、そこにライブのアレンジとウルフの雄叫びパワーが上乗せされるともうバッファローマンも砕け散る1200万パワー砲ウルフマン。
力押しかも知んないけど、だからなによっていう。いや、ウルフすげえ。
これまた、方向性はとってもいい。てか大好き。大好き、なんだけど、もうちょっとだけコーラスを綺麗に揃えてほしかった。そこら辺のファンを4、5人かき集めて歌わせたかのような揃わなさというか、きたなさ。
あとまた一義さん。「ちぇちょちぇ〜を合わ〜すちゃみぇ〜にぃ」てもう中村一義がシャクレた顔で歌ってるとこしか頭に浮かばない。ノッポさんのチューリップハット被ってシャクレて歌う一義さん。
でもそれでも、聞いててすごい幸せな気分になるんだよなあ。
もう一回録ってよ。
原曲がまず名曲中の名曲。それのアレンジとして、こういうのもいいよねっていう。てかこれもライブでいっぱい聞いたし。
こういう可愛らしい曲、なぜか中村一義はよく似合うんよねえ。声が活きるっていうか。
これもなかなかいい。原曲も大好きだけど、これはどっちもありだな。一切捻りなしの、ファンに向けたド直球。
最初にシングルで聞いた時はなんか歌い方がホモっぽくていまいちだったけど、20周年記念のこのアルバムのラストに持ってこられるとやっぱりちょっと心に染みるもんがある。
思い入れの強いファンの中には「俺の青春のアレをアレばっかりをまた作って」って不惑までそれ引きずってどーすんのみたいな声もずっとあるみたいだけど、俺はこの先も変わってく中村一義を楽しみにしてるよ。
この1年ほど、ずっと悩み続けている。
気付けば三十路をとうに過ぎ、不惑に至るのも時間の問題だ。これまで全く女性というものに興味のなかった自分ですら、日々衰えていく肉体と精神を自覚し、周囲との"違い"を認識したとき、焦燥に駆られるのだから神は残酷だ。
婚活は下調べだけで諦めた。他人と競い、他人と比較されるストレスもさることながら結局は自助努力が全てであり、素養のある者は上手く渡り歩き、無いものはただただ搾取される構図に絶望しか抱けなかった。世の中に美味しい話なんてあるわけが無いのだ。
人はいう、底辺であることを受け入れてさっさと風俗にでも行けと。
確かにそれは鬱屈したコンプレックスと肥大化していく性欲の解消には手頃なのだろう。
口説かずに抱く女はうまいか?と疑問を抱いたことすら忘れて呑まれていくに違いない。
きっと肌は絹糸の如く繊細で、唇は朝露に濡れた白百合のように潤い、胸は桜を散らす春風のように暖かく柔らかいのだ。労せずに結果だけを得られるのだから世の中は上手くできている。
生殖を目的としない、ただの自慰行為に過ぎない。胸に抱いた妄想で為すのと本質的には何も変わらない。
そんな紛い物に一体何の意味があるのか。
だけどそれでも私は、本物が欲しいと思う。
一体何が本物なのかもわからないし、そもそも他人を遠ざけることでしか他人を見ることができない自分がどの口で、とも思う。
誰にも求められず誰かを求めることもできなかった自分に残された、きっとこれが最後の一線なのだ。これだけはただ、守りたいと願う。
おじさん、バイトをすることにした。
おじさん、平日は普通に働いている。
IT関連の会社で、社員ではなく役員という立場。有難いことに収入もそれなりにある。家のローンも十年以上前に完済している。
子供達も大きくなり休日はそれぞれ部活やら友人と遊びに行ったりで、自分にも持て余す時間が出てきた。
趣味を見つけるのも良いのだが、趣味というのもなかなかに金がかかる。
おじさんも不惑と言われる年代になり、会社の一員である人生も折り返す時期だし。
副業で小規模な開発でもやろうかとも考えたが、会社役員という立場上、関連する業種での副業は何かとヤバイらしいよ。いやマジで。法律的に。
ならば全く異業種で働くのも楽しそうだなといろいろ探していたら、近所のスーパーのフードコートでバイト募集してた。
おじさんで副業でも大丈夫らしいので、何も考えずに勢いだけで応募したら受かった。マジかよ。
行ってみたら、調理のお爺さん以外は全員女性という賑やかなバイト先だった。
若さゆえの勢いで、根掘り葉掘り聞かれた。
なんでバイトなの?奥さんは?子供は?平日はどんな仕事?え、それ殆ど趣味じゃん!うける!趣味でバイトヤバい!!すげー普通にいい人じゃん!その年でバイトとか絶対あぶない人だと思った!
なんか、とても新鮮だった。
平日の「増田さん、今度、中途希望者の面接の件ですが……」「増田さん、今期売上目標の状況ですが……」なんて話も良いが、こんな風に若い子や人妻さん方と笑い話するのもまた良い。
おじさんこれまで飲食関連はシステム作る以外で関わった事無かったし。
いい気分転換だわ、て思う。しかも時給まで発生するし。なんのご褒美だよ、これ。
てなわけで、休日家でゴロゴロしてる俺みたいなおじさんはバイトするといいよ。
■追記
とりあえず、おじさんのイメージがすごい事になってる気がするけど、誤解だよね。
「会社役員」て言っても、会社なんてピンキリだよ!うちは零細企業だし。
「収入もそれなり」て言ったけど、「僕みたいな底辺にしては」ていう前提でだし。そのへんの大企業の役員報酬とか想像したらダメだよ!むしろグイグイいわしてる大企業の中堅社員にも満たない収入だよ!
まあ、でも、好きに仕事させてもらってるから、社長や社員さんたちにはいつも超感謝してるよ。
>SndOpさん こういうのは夜間警備員になって残業で働いている新入社員をねぎらうものだろう
いや、ネタ的には良いけど、夜間勤務とかおじさん死んじゃうよ。
やんごとなき方の話はおいそれとは口にできないんだよ。まあ典型的B型クズの僕を訓練されたB型にしたとんでもない功績の持ち主だよ。うん。
>youco45さん これ人当たりよくて有能、かつ変なプライド持ってない、という三拍子揃わないとできない芸当だと思うの
プライドは油揚げに挟んで焼いて食べちゃったよ。有能だったら今頃、鎌倉とかで房総とかで海見ながら暮らしてると思うよ。勝手なセレブのイメージだけど。
>sovietrocketsさん 不惑とは数え四十前後。それで十数年前に家のローン完済となると三十路前。やだー超有能
家なんてピンキリだよ。新築とか戸建てとかに拘らなきゃ安くていい物件が割とあると思うんだ。
>lavandinさん 増田さん、私約束しましたよね?決して本業をおろそかにしない事、バイト先の女の子に手を出さない事。あなたはもう手遅れです。一生フードコートでお過ごしなさい!ドーーーーーン!!
ぎにゃーーーーーーーーー!!!
て、手だしてないし。
短編集
1話だけ読んだ
サブカル臭強すぎて全部読む前にgive up
バイト探してたところにかわいい女性がいるところにバイト決めた男ガ主人公
でもその女性はやめるところってのきいてがっくり
残り少ないその女性のバイト期間、女性をながめているとつねにニコニコしてる
でも手をグーパーしてる
きになって聞くと、むかつくことがあると頭の中で月に道路標識を投げてるとのこと
もうふわふわしてすこしふしぎ系意識高い系の雰囲気漫画!!!!
amazonレビューで「面白さが分かるには、ある程度の精神年齢が必要かも。兎にも角にも、このような作品に出会えた事を感謝。不惑のオジサンより。」
なーんてクソインテリぶったマウンティングレビューみてなおさらむかむかしてる
ネムルバカにあったいらいらすることあったら風船ふくらまして針でパーン程度でいいわ
わかった気になってるだけでどんなふうにわかったかを言葉で表現できない人間が意味ありげにマウンティングしてんじゃねーよ頭悪すぎだろ
昭和の集合住宅に住んでいて平成不況と人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html
さて、私は仏教徒だから遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国で仏教と儒教が習合してしまって渡来したから日本では混同されている。
私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産も相続したくない。
遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかったから火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。
遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離」である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。
「千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。
遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。
生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である。
死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶も所詮は細胞の状態でしかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。
日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである。日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元の岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。
そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院の資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典を暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文のネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術上のものでしかない。それでもその檀信徒が財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体が目的化している。
あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから、後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分が死ぬ方が先だろう。
忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変である。しかしその記憶もデータであって、細胞の状態である。
本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データでしかなく、ディスクがクラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。
それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。
V6がテレビガイドとかテレビジョンのお正月特大号で、2017年にライブやりそうな発言をしてたせいで「この曲ライブでやってくれたらうれしい!」とか「この曲やるならこんな衣装だとかっこいいな~!」とか妄想作業がはかどるはかどる。
そんでもって気づいたら一個セットリストみたいなの作っちゃった。「自分による自分のためのV6コンサート2017年ver.」といったところですな。これきと一ヶ月に一回考えたら毎回違うセットリストできると思う(笑)
自分の中での縛りとしては
・Oh My Goodness!に収録されていないそれ以降のシングルはできるだけ入れたい
・「ハナヒラケ」と「足跡」は入れる
・2015年にしっかり歌われてない曲もいれたい
なんだけども、しっかりこの縛りを守れた気がしない!(笑)
というわけで、できたセトリがこれ!↓
SILENT GALAXY
SPOT LIGHT
グッデイ‼
ハナヒラケ
~MC~
Good Life
君がいない世界
君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか
涙のアトが消える頃
IN THE WIND
Skys the limit
~アンコール~
僕たちの明日
~アンコール2~
\もーいっかーーーい!!!/
まずそもそもセットリスト考える妄想を始めるきっかけになった曲が【SILENT GALAXY】なんですよ。V6の曲をシャッフル再生しながら部屋の掃除をしていたら、このイントロが流れてきて手が止まった。勝手に脳内でコンサート始まった。このSILENT GALAXYで、まるで各々が六つの国の王集結したところを見せられてるように、壮大に、きらびやかに、ゴゴゴ…ってステージに上がっていたもん。暗い会場になぜか後光がさしてました。照明かな…演出として素晴らしかったわ…
だから、一曲目きっとないだろうけどSILENT GALAXYで静かに、だけどちょっと踊りもいれつつ歌ってもらって、2曲目【Cosmic rescue】、3曲目【BEAT OF LIFE】ガンガン踊って歌ってくれたらテンション一気に上がってブッ倒れちゃうかもしれない。最初の3~4曲くらいはガンガン踊ってほしい。コスレスのあの軽やかなステップで踊るV6大好き!!!!!!(BEAT OF LIFEは踊る前提)
で、そのあと【Don't Stop The Refrain】お願いしたい。「な?!なッ…え?!ここでこれ来たァ?!?!?!?!」ってぶちあがるのが容易に想像できる。最初の森田くんのラップを耳に焼き付けたい。もう感動しちゃって、ペンライトとかうちわとか楽しく振っている暇はない。
そしてがんがん踊っていただいた後は、まさかの【Swing!】。ちょっとここ迷ったんだけど、ここ最近アンコールでしかやってない気がする(私の鳥頭調べ)から本編にど~してもいれたかった…。フリーで走り回ったりするならピッタリかなって思ってここにいれた。森田くんの「さあ手をあげなぁー!」。カワイイね。(お気づきの方もいるかもしれませんが私は森田担です。六人みんな好きだけど!)
そしてアウトロからつながるように【SPOT LIGHT】!最近出た曲だから去年もやってるけど歌詞もいい、曲調もいい、鉄板にしてもぜんぜん盛り上がる!というかまた歌ってほしいんだー!ファンは絶対好きだよこの曲!!
盛り上がり、気分は最高!ってとこで【Train】。ちょっと落ち着くね。でも「ここで…ここでTrainだなんてッ‼︎」って卒倒します。最初の坂本君と森田くんのささやき(?)あれを聞きたいという自分の趣味です。ところでさっきから私何回も意識失ってません…?
その後の【WAになっておどろう】~【ハナヒラケ】の流れは、主観で曲調とイントロアウトロを吟味して並べたものです。歌ってるV6を想像しながら「あ~~ここでこれ歌ってほしい~~この流れイイ~~すてき~~」って考えながら作りました。
MC前の曲は【Beautiful World】がいいな。あの、タラララン♪タラララ♪タタンッ♪(下手)ってアウトロから、イノッチを筆頭に「いぇーい!!」ってなるの想像した。いい感じ!そこからあの楽しい楽しいMCタイムに入るとか微笑ましすぎて口角上がりっぱなしになると思う。
MC明けの曲は【明日は来るから】がいい!CDに収録されていたように入って歌ってほしい。イノッチが「じゃあ、森田くん。ねぇ!そろそろ…(にやにや)」みたいなかわいいフリをして、森田くんもにやにやしながら曲のタイトル紹介するでもなく突然に「じゃあ…ミュージック、スタート。」って言ってファンが「ん?」ってなるの。で、イントロかかって「おおお!」はいありがとうございますこれで次の日も頑張れます。もちろんちゃんとイノッチの「イェ~~~~」まで!
その次の【Good Life】はもう心が洗われる感覚(大げさ?)でいれました。イノッチの「イェ~~~~」からイノッチの「オーグッライ、グッライ、グッライ、グッラアイオーオーーオーーーィェイ」聴けるなんてすごくうれしい!あと、イエ~とかグッライとかホントごめんなさい。
【テレパシー】はパステルカラーとかホワイトとか、優しい色の衣装がいいな。めっちゃ目にいい感じ。椅子とかに座るのかな…立ってても座っててもいいなぁ。
その後の【君がいない世界】は、スポットライトを歌ってるメンバーだけに照らす演出がほしい。森田くんだけ→長野くん岡田くん…みたいな感じで。
で次は【君君】だから、ピアノ伴奏で君がいない世界~君君をうまくつなぐ。なんとかしてうまくつなぎましょう。
涙アトは去年の感じでいい。←雑なつもりはない!!
【不惑】はタキシードみたいなスラッとした、トニセンの抜群スタイルをしっかり堪能できる黒いスーツ(ハットのオプションが付くとなお良し)か、真逆の「日曜日子供と遊園地行く父」みたいなカジュアルな服着てたら嬉しい!ネクジェネ福島公録の時のような…(笑)どっちでも素敵。
不惑のあのばつっとした最後の終わり方から私がワンハーフあるいはフルで聞きたい【IN THE WIND】!ちなみにこのIN THE WINDからSky's the limitまではしっかりガンガンダンスタイムです。最年長が46歳になろうとしているグループだけど坂本くんが「いや…もう無理だわ…俺もう疲れちゃうわ…踊れねえわ…」って言ってるところは全然想像できないので大丈夫かと思います。
【Sky's the limit】でばっちしキマって、「フゥーーーーー↑↑↑」てなったところで私の大好きな曲入れさせてもらいました【キセキのはじまり】。いやでもまあ、自分による自分のためのだから…('▽')Sky's the limitのあの決めポーズのままキセキのはじまりのイントロかかって「うわぁぁ…(泣きそう)」ってなりたい。だって2015年のコンサートで間奏だけだったんですもの!ちょっと悲しかったわよ!
そしてここちょっと複雑で、想像するのも難しかったんだけど(笑)、キセキのはじまりからビリスマの二番のサビ前くらいまでフリーでお客せん(©坂本君)とワーーってやって頂いて、サビで真ん中のステージに集まり踊っていただく!【ビリスマ】のダンス大好きなんでお願いしたい。サビのステップとか何度でもいつまでも見たい…あとはあのLOCKの部分も!
もし本当にあのダンスを見ることができたなら…あ~…ありがて~…(合掌)
ビリスマの次はやっぱ【by your side】でしょ!ここの繋ぎは個人的に絶対!アンサーソングというか、公式で繋がりのある曲とされてますからね。OMGコンの時みたいに三宅くんから何らかの説明があってもうれしいな。
【足跡】はCMでしか聞いたことないんですけど最後の曲にぴったりだと思う。おそらく。曲調も落ち着いてるし、いったんここでしんみりと、歌詞をかみしめながらと曲と歌声を別れを惜しみたい。
でアンコール。【ハニビ】のイントロがかかってお客せん「キャーーー!!!」そののちスライドアップでステージにスタンドマイクとともに出てきてほしい。わらってー!わらってー!わらってー!!バーンっ!ってスモーク?火花?のような特効があったらうれしい!
…で、元気よく【僕たちの明日】。ソロパートも多いからこの曲好きです。なんかわちゃわちゃがあってもおかしくなさそう。
で【愛なんだ】。愛なんだ純粋に笑顔になれる素敵な明るい曲だから、アンコールで盛り上がりたいので入れました。つらい時でも愛なんだ~♪
またいったんはけて、またアンコール。
【上弦の月】のイントロがかかり「エーーー!!キャーーー!!」となりたい。(上弦の月大好き人間です)
そして一曲やって帰ろうとするV6。だがしかし、ファンは「もういっかい!もういっかい!!」コールをやめません。(妄想がものすごくエスカレートしていますスミマセン)
そこでよくやるやつ。2015年で言うと「せーーの?」\もーーいっかーーーい/「はぁらから声ださんかい!!」ってやつ。
そこで【シュガーナイトメア】がいいな。これがほんとの最後。最近聞いてないのを聞きたいというわがままが故に。
三宅くんの投げチューもいつものようにお願いいたします。毎回本当にありがとうございます。
本当に私の趣味・主観・妄想だけでこのセトリはできています。銀テはどこかで必ず飛ばします(雑)。だんだん妄想が激しくなっていますがお許しください!!不快な思いする人がいたらごめんなさい。
これ書いたの疲れたけど、すごく楽しい時間だった。気づいたら一時間半くらい経ってた(笑)
追記