はてなキーワード: 不惑とは
twitterで、発達障害、メンタル持ち、社会不安などの女性をフォローしている
自分がそうだからなのだけど、自分はそれに加え独身アラフォーなのに対し
そういう女性は優しい旦那様に巡り会えて家に入れてもらい、穏やかに暮らせている人がほとんどだ
自分のことを幸せだと言う女性は、みんな彼氏持ちか結婚して家にいる
(私自身は就労移行支援など福祉の支援を受けながらどうにか自立を続けている)
傷つきやすくて感じやすくて優しい心を持っていて、遊びやわくわくすることが大好きで
窮屈な会社に押し込められて働くのに向いてなくて、ここのところ特に仕事がつらいようだ
その人が「仕事さえなければ幸せ元気いっぱいなのに」というようなことを呟いていて
相手は手慣れたもので、いつもヨシヨシして、なだめすかして落ち着かせているらしい
お互いにわだかまりが全くないのだ
女性に旦那さんを責めるつもりはなく、旦那さんもそれをしっかり汲み取っている
旦那さんも何か持病があって、夫婦ともに金銭的に支え合わなくてはならないようだ
子供はいないけれどとても仲の良いご夫婦で、仕事以外では、プライベートではとても充実しているらしい
私は、彼女がいつか仕事と和解して「幸せ」と言ってくれる日を待っている
旦那さんがメキメキ回復して「今まで苦労かけたね、これからは僕が養うから家にいてゆっくりしていいよ、無邪気で元気で幸せな奥さんでいてね」
となってしまっては、仕事 VS 感受性の強い女性の対決はまた持ち越されてしまう
大昔の作品だし供給なんて耐えて久しいから、そこそこ絵を描ける自分が、参入してから、そこそこの評価を貰えた。
アフターやイベントのお誘いも貰っているけれど、遠方を理由に参加はしていないし、今後も参加する予定はない。
当方はアラフォーだけど、結婚していないので、いい歳して積まなければいけない人生経験をろくに積んでいないからだ。
仲良くしてくださる、主婦の神絵師神小説書きの方に、私なんぞがあえば、絶対にドン引きされる。
だらしなく肥えた体、親元で親の介護がいつか迫り来ることを知りながらぬくぬくと老親に面倒見てもらえるパートタイマー、リアルの友人からもすっかり相手にされなくなった幼稚な言動と行動、アラフォーと書いたが四十超えてる、不惑だ、不惑、こっちは生きる知識が乏しく惑いっぱなしだというのに。
自分の作品を今後もフラットに見てもらいたいので、そこに「わたし」という存在など邪魔なのだ。
勇気と粘り強さと思慮深ささえあれば、正職員にもなれたろうし、結婚も出来たかもしれない。
けれど、それができた若い頃は、社会が怖く引きこもりだった。努力が足りないのはわかっているが、四十超えた今、外に出て、自分のお金を貰えるようになるまで社会生活を営めるようになるまで、かなりしんどかったんだ。男性に好まれる容姿や行動、生態調査、プレゼンテーションまでの努力に手が回らなかったし、それはしたいことではなかった。それに、自分みたいな不適合者が子供を作ったら、自分に似せまいとするあまり、恐らく虐待に走るだろう。世の人が言う幸せをそこまでして欲しくないし、それをきちんと経験した世の女性や私の母を尊敬している。生まれてきてごめんなさい。死にたいんだけど、死ぬのが怖いんです。
ごめんなさい、話が暗くなった。御察しの通り、処女だ。しかも腐女子。
社会生活を送ろうと思ったのは、イラストを描いて、本やサイトを持って、妄想だらけのこの頭の中を、形にすることができたらなと思ったからだ。そのためなら、年下の人間の蔑んだ目や、あいつの人生よりはまだマシと言う世間からの視線も我慢できる。年上の家庭に疲れた人の言葉のサンドバッグにもヘラヘラ笑っていられる。
そういった視線を、今のジャンルで仲良くしてもらった神絵師さんや神小説書きさんから、注がれたら、あのキモい奴の作品など見れない、悪い意味で見る目変わるわとか思われたら、もう生きていけない。
日常ツイも極力しない、ツイッター内で声をかけられても当たり障りない返しをする、淡々と自分の理想をこめたブロマンス的なホモを描く、たまにプライベッターでえげつない漫画をおく。
交流も最小限でいい。私の裸踊りをしれっと見てくれるだけでいいんだってば。
アラフォー女性向けのファッション誌は、クール派、フェミニン派といった志向でなく、「女(独身)」「妻(子なし既婚)」「母(子あり既婚)」で服が分類されて紹介されている。
しかも、子ありの場合、幼稚園の種類(私立:コンサバ、市立:カジュアル?)でもまた違ったファッション傾向があるらしい。
テレビ番組でも「女性はそれぞれの立場で見られる姿を意識しなければならないから大変」という趣旨のコメントを50代の女性が話してたけど、なるほど。
愛され女子、出来る女、いい女、いい妻、いい母。
ライフステージごとに見られたい自分を演出する。服は一番手軽にできる自己表現だし、そうやってキャラをコスプレ的に変えること自体、私も好きでよくやる。
けど、毎日は嫌だ。
自分以外の何かを演じるのは。
独身だけど気持ちは理解するし、たぶん私もその都度コスプレするだろう。
だけど、ずっと?毎日やってるのかな?
幼稚園の送り迎えはほぼ毎日で、そのために幼稚園にあった服装でファッションを決めるの?
妻は?母は?女じゃないの???
誰も文句言わなかったのだろうか?
その点、最近読む50代以上向けのファッション誌がおもしろくて好き。
子供の手が離れて、コスプレの必要がなくなって、好きな服を自由に楽しんでる感じがある。
不惑の40代といわれるけど、一番迷う年頃なのかもしれない。だから、とりあえず型に自分をはめる。
50代で吹っ切れるのかな。
たぶん更年期も終わる頃だし、色々変化するし、でもそこからまた自分らしく輝こうとする女性たちの姿はまぶしい。
好きな服を好きに着ていればいいなと思う。
おめでとう!不惑だね!惑わされないで生きることだね!
婚活パーティでは女性陣から年収で足切り食らうレベルの財力に加え、もはや年齢的にも子どもを育てることが現実的ではなくなってしまった。
(だって一番子どもにお金がかかる時期に自身が還暦超えとか、仕事どころか健康でいるかも未知数)
てか、子どもの前にまず結婚だろという時点でかなり終わっている。
若い頃から結婚願望強かったけど、今まで大したアクションも起こせず、そして気まぐれに起こしたアクションは全て盛大な勘違い入っていたと。
多分、チャンスは十分すぎるほど貰っていてこの体たらくなので、残りの一生も家族を持つことには縁がないまま行くんだろうと思い至った。
そんなことを考えていたら、ふと、本当に突然、ドールに心を奪われてしまった。
ドキッとしたを通り越して、雷に打たれたような…に近い。
ちなみに自分の身の回りで自身と似たような境遇の男女は、新たにペットを飼い始めるか、既に飼っているペットに更に情熱を注ぐ感じで、少なくともフィギュアやドールに行く手合は皆無である。
我ながら本当にキモいというか、自分が結婚できない性格であることと、多分かなり関係あるわけで。
まあ、自身のキモさというか、周りとの病的なズレは自分なりに自覚していたつもりだが、ここまでだったとは…と、その斜め上っぷりが久しぶりに堪えたというか、正直怖くなった。
同時に、今まで
「フィギュアやドールなんて、結婚願望がある男が趣味にしたらもう先はない。完全に一線を越えてしまうから」
と自戒していたけど、今回のことでそれは順序が逆だと、自らの不見識を思い知らされた。
とはいえ、もっと若い頃から正直にフィギュアやドールにハマっていたら彼女が出来たなんてことはなくて、単純に身を持ち崩すのが早いか遅いかだけの違いだろう。
そんなこんなで、俺はこの世に生まれてきてはいけなかったのかも…と思いつつ、妙にホッとしているところもあり、どうにも落ち着かない。一応不惑なのに。
そもそも、この歳になっても「俺が、俺が」ばっかりな日記しか書けない時点でヤキが回っているとも言える。
で、どうする?
買うのか、買わないのか…。
不惑間近のおっさんなんだけどね、中学生の時に美術教師に平手打ちされたことを思い出して増田で意見を聞きたいなと思って書いてみる。
美術の授業で詳細は忘れたが何か古くなったタオルとか、何かボロ布を用意してきてくれってのがあったんだよ。
で、俺は二枚持って行ったんだよね。で、友人は忘れた。
だから「あげるよ」って言ったんだけど、友人は「タダで貰うのは悪いから」って言って¥100くれたんだよ。
当時は中学生だけどさ、小学生ではないから、何かのお礼とかにジュース1 本奢ってもらったり逆にあげたりとかは普通にあったんで、その延長で普通に貰った。
そしたら、誰がチクったのかは知らんけど、そのことが職員会議の議題になったりしたそうだ。
それで、俺と友人は美術教師に呼び出されて二人とも平手打ちをくらった。
別に怪我をする程のではないんだけど、その美術教師は泣きながら情けないだとかなんだとかそんなことを言っていた気がする。
上記に述べたようなことは説明したし、俺と友人はいじめたりいじめられたりの仲ではなかった、というが二人ともどちらかというとスクールカーストの底辺だった。そんなことは教師もわかっていたんじゃないかと思うし、わかっていなかったならそれもまた問題だし…
当時、両親にこのことの何が問題なのか聞いたけれども、明確な答えは得られなかったし、お前は別に悪くないけど世の中は理不尽なもんだ的なことを言われたように思う。
ただ、今になって思うのは、その美術教師一人の暴走ならわからんでもないんだけど、職員会議で大人が多数で議論して俺たちは悪いってことになったってことなんだよな?と思うと疑問が大きい。
僕らの人間関係は全く把握できてなくて、カツアゲ的な方向で問題になったんかな?
でもさ、カツアゲするような関係なら布を¥100の対価として渡すか?普通に考えておかしいだろ?
この件をいまだに忘れられないのは、自分が全くの善意で行ったことに対して、圧倒的な権力を持つ立場の教師が自分にとっては意味不明な感情を高ぶらせて暴力をふるってきて、彼女の中での正義が全く理解できないからなんだと思う。
スクールウォーズの鉄拳制裁は、問題意識の共有があってこそのもんだと思うのよね。まぁそもそも体罰はダメだっていう意見もあるだろうけどさ。
まぁ、だからさ、俺は子供たちを叱るときは、彼らと問題意識を共有できているか気をつけていきたいなと思うよね。
教師とか管理職の人はさ、そういうところって大事なんだぜっていうのを理解してほしいよね。
ちなみに、俺は仕事上で部下に反省を求めたことは一度もない。ただ、同じ失敗を繰り返さないための具体的な対策を出させるだけ。