30代中盤に差し掛かり、運動不足な肉体は10代20代の貯金を使い果たし
普通の食事をしていても代謝より摂取カロリーが上回り始めるようになる。
酒が強い自負があったけれど、20代と同量の酒を飲むと翌日きつくなった。
年始に今年の計画や見通しを立てたりしても「やりたいこと」より「やめといた方が人生にとって有益なこと」が先に出てくるようになってきた。
20代の頃より、はるかにエコな考え方ができるようになったものだと驚く。
金も時間も全部周りの人や今後のことに全額ベットしてきた人間としては、急に守りに回った保守的な考えになったのかなと気づく。
その頃は立場や経済力がついても、ずっと全額ベットして行くものだと思っていた。
10代20代はいろんなことがあって、必死こいて頑張ってきた自負はあるし、
その積み重ねで今の地位や結果が出ているのだろうと思うのだけれど、
いろんな事を諦められなかったし、もがいてばかりいて無駄が多かったことも事実だと思う。
徹夜してと仕事を頑張ったり、いろんなストレスをいたずらに酒で埋め合わせたり
今考えればそんなコストかけなくてもできたんだろうなと思う。
それでも、その頃に得たものは尊いし、大切な宝物だと思いたいのは過去の美化になってしまうのだろうか。
孔子曰く不惑になるのは40だというが、不惑になるというのは実はロスを削って行った結果、
やれることが限られて行くから惑わなくなるのかなとも思ってしまう。
変化し、改善し続けることを是とし、ひたむきにやってきた10〜20代。
その頃見えていた、大人たちに対して「変化しないのはおかしい」くらいのことを思って
ひたすらにハングリーにやってた。その人たちの年齢に近づきつつある今、見え方が変わってきた。
残りの時間をカウントしてみても、20代の頃ほど体力も時間もない。
体力の維持への工夫のために、いたずらに筋肥大させるために、ジムで体作るというより、
軽負荷で毎日続けられるようなジョギングや散歩を選ぶようになった。
ゆったり寝るために瞑想することも増えた。
情熱ややる気の定義自体も変化してきたっていう事なんだろうか。
なんとなくモヤモヤする日々の原因はこの辺の10代20代の頃の不器用な感覚のままの自分と、
売り上げを追求するより、販管費をさげて、利益率をあげるような考え方自体間違いじゃないと思うし、
合理的だとは思うけれど、いろんなものの先が見えてしまった事にどこか寂しく諦めににた感情が込み上げてくる。
それとも、こう考える原因は、今まで10年以上息をつく間も無く必死に頑張ってきて
ふと息切れして止まってるような状況だから仕方がないのだろうか。
自分が遮二無二頑張ってたことも効率化という名目で、一つずつ諦める決断をして行く。
今の状況がつまらないわけじゃない。
全く同じ気持ちの30代半ば。上手く文章化してくれて嬉しい。もう若くないんだなっていう気持ちとの折り合いがいまだに上手くつけられない。 どこまで諦めればいいのか、よくわから...
老けないためには「年齢を忘れること」なんだって午前中にどっかで読んだ。 身体も心も負荷かけまくらなくて、リラックス状態を常にできるようになったほうが きつさに強くなる気が...