はてなキーワード: 不惑とは
互いに気にしていることが折り合わない場合であっても、少なくとも片方の人間が、最低限でいいから相手が気にしているものに寄り添わないと、平穏な関係は続かない。
もしお互いが相手に全く寄り添わなければ、関係は悪化する一方になる。
よく言われる
「人に敬意を示すときは、あなたがそうしたいと思うやり方ではなく、その人がそうされたいと思うやり方ですべき」
というアドバイスは、そういうことの言い換えにすぎない。
さて、そんなごく基本的なことに、40にもなってようやく気付いた、救えない男がいる。
自分のことだ。
先日、今までの仕事を棚卸ししたとき、失敗した現場は全て「お互い気にするものが全く折り合わなかった」現場であり、上手く行った現場は全て「たまたま、お互い気にするものがほぼ一致ないし似通っていた」現場と、ハッキリ明暗が分かれていたことに気付き、ようやく思い至った。
つまりそれは、ごく最近まで「相手の気にしているものは何か?」を全く意識していない人生を送ってきたということである。
我ながら恐るべき独り善がりっぷりである。
思えば物心ついた頃から、普通の人が感じ取っているような「他人の存在感」が皆無だった気がする。
「他の人が何を感じているのか」に全く興味が無かったと言い換えてもいい。
というか多くの読者諸兄が仰天する書き方をするなら、人間の95%以上が多かれ少なかれ感じているであろう、「疲れるので気にしたくないときもあるけど、それでも気にせずにいられない、他人の反応」が、自分に限っては本当に全然気にならなかったのだ。
人間誰しも欠点はあるだろうが、こういうのはもはや人として超致命的な欠陥ではないかと思わされる。
だって、純粋に「俺が、俺が」しか頭にない人間とか、周囲からしたら相当不気味だろうし。
実際、学生時代は全然普通にしているつもりなのに「クラスに必ず一人はいる変人」というポジションに甘んじ、非常に不本意だったが、それも今なら理解できる。
そして今は立派なコミュ障だが、他人に興味のない人間が相手の反応の感じ取り方など体得できるわけがないので、必然の結果である。
即ち、「俺は本当に他人に興味がない、ヤバい」と今更感じたからって、それだけでコミュニケーションが大きく改善するわけではないということでもある。
自己中な人間には「他人の反応を感じ取れるけど、敢えて一顧だにしない選択をした」者と、自分のように「ナチュラルに他人に興味がなく、結果他人の反応を感じ取れず自己中になってしまう」者がいると思うが、両者を比べたら、多分後者の方がタチが悪いだろう。
しかし、日本人男性の平均寿命に照らし合わせたら、自分はもはや折り返し地点を過ぎて復路に差し掛かっているタイミングだが、一体これからどうしたものか。
このままでは、今までがそうだったように、今後も新たに人間関係を構築する必要が出てくるたび「うまくいくかは運次第」という、呆れるほど低レベルな話が続くことになってしまう。
仕事だったら、それ一つ取ってみても「いい歳こいて半人前」という評価に甘んじることになる。
自分に関わった他人が、もし自分みたいなヤツとトラブルになったらいい迷惑だし、本当に申し訳ない話だ。
というか、自分はそんな風に、周囲に不快と迷惑を撒き散らすために生まれてきたわけじゃないのだが・・・と深い溜息が出る。
誰にも迷惑を掛けないで生きる人間など存在しないが、だからと言って自分が周囲に掛ける迷惑の免罪符にはならないだろうし。
そんなことを考えた、不惑の秋だった。
40歳になったのを記念に、「不惑」からはほど遠いが、自分語りする。
自分のことがよく分かっていなかった。
あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。
毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。
恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。
しょっちゅう小便をもらしていた。
身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。
特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。
いつも親は、泣いている自分に明日にはいいことがあると言い聞かせていた。
あくる日になったらなったで明日にはいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。
自分のことを指さして笑う同級生や教師を見て、確信は深まるばかりだった。
人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。
転校生だった。
性格が明るくなった。
また性格が明るくなった。
やはり転校生だった。
もし親友に恵まれなかったら、自分の人生はまったく違っていたと断言できる。
自分を受け入れてくれるかもしれない可能性を思うことが、すなわち恋だった。
そのかわり勉強に恋した。
度を過ぎて打ちこめば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえると思った。
だとすれば勉強することが、あるがままの自分でいることにつながる道だと思いこんでいた。
寝ている時と食事している時、風呂に入っている時以外のすべての時間を勉強に費やした。
母はついに気が狂ったと思ったらしかった。
大学生になって間もなく、猛烈に女の人を好きになった。
自分が好きになったそのひとは、友人のひとりと出会ってすぐに付きあっていた。
今でも理由が分からないのだが、なぜか二人から付きあっていることを隠されていた。
そうとは知らずに告白しつづけ、ふられつづけた。
大学3年生の時、友人にふられたそのひとが自殺未遂を起こした。
血で染まった畳を清掃したあと、睡眠薬で眠りこんでいる女性の様子を見に隣室に入った。
枕元に置かれた手帳が目に入り、いけないと思いつつも手帳を開いた。
その年の夏休み、どうしようもなくなって東京〜九州間を自転車で縦走した。
当時大阪にいた親友のひとりに電話し、大阪で合流して3週間かけて九州の実家に帰った。1500キロの道のりだった。
もうひとりの親友は、大工として上京していたが、たてつづけに失踪した母親と兄を追いかけるように行方知れずになっていた。
なんとか大学卒業してそこそこの会社に入社、企画の仕事にたずさわった。
特許をいくつか取るほどにはがんばった。
が、結局丸3年勤めたところで退職した。
働くことの意味も分からないのに5年、10年先が見通せる会社員生活がうとましくなった。
会社を退職後、大学院に入りなおして修士課程・博士過程と6年間を大学院生として過ごした。
結局また勉強に頼った。
家財を売り払ったお金を学費にあてていたが、実家が困窮してこちらから仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。
この間に、嫁さんになる人があらわれた。
自分の人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。
博士号を取得する前後からいくつかの大学で非常勤講師を勤めた。
結婚した翌年に母が死んだ。
誰になんと言われようが面接を受けようと思った。
自分が大学教員にふさわしいかどうか考えると、向いていないと思えることのほうが多い。
右も左も上も下も男も女も子供もお年寄りも内も外もそれぞれに加害者であり被害者であるのだが、
すべての人が被害者意識を抱えていてそれをなんとかするために正義を持ち。差別意識も抱え、それを正当化し、自分を傷つけ、他人を責める。
それを救うものはなんなのだろうか。日々を喜怒哀楽に包まれ迷い苦しみ、満足にご飯を食べればいいのか、
家族には恵まれているが伴侶や子供もいない孤独も抱えてマイノリティでもある自分は
いろいろなものをあきらめつつあきらめられない自分の小ささ、迷い悩む自分を不惑にして改めて自分の小人っぷりを感じる。
その時を進む中、なんとなくテレビを見たり本を読んだりゲームをしている自分もまたそれはよい時間を過ごしているのかなとも思う。
マイノリティとして正しさや道徳的な社会はマイノリティとして生きやすそうで実は生きにくいのではないかとも感じている。
願うのはゆるい社会、その中でそれぞれが幸福を目指しつつ相手を不幸にしない社会になればいいなという思いはある。
でも生きていると人とぶつかるし、利害は相反するしそんな論理の中少し悲しく粘り強く生きるしかない。
本当にこの世は難しい。でもまだ生きていたい。
40歳になった。
子供が大きくなる頃に離婚して、ひとまわり以上歳下の女と付き合い、別れ、を繰り返した。
食いたいものを食って、世界中旅して、仕事もして、稼いで、税金も払った。
やりたいようにやっていたつもりだけど、なんか人生の楽しみはもうネタ切れかと思ってる。
女を見ても昔のようにときめいたりしない。
口説いてやろう、とも思えない。
遊び飽きたゲームのように、ワンパターンで、驚きや発見というものがない。
40歳は不惑というけれども、気がつくと生きる活力を無くした抜け殻になっているだけだった。
惑わないのではなく、選択肢がなさすぎて惑えないのだ。
これからまだ20年、ひょっとすると40年、同じように時間が過ぎていくと思うとつらい。
まあそれでもこのご時世、アラフォーになるまで正社員として居座れたんだからマシな方だし、最近は世間話程度なら可もなく不可もなくこなせているし・・・などと慢心していた。
しかし改めて自分のコミュ障の症状を分析してみると、どうやら実際には運が良かっただけかもしれないと思うようになった。
正直自分のコミュ障にまつわる問題は1つや2つではないのだが、その中でも昔から全く改善していないのが「基本的にマイペースを崩せない(あまり相手のペースに合わせられない)」問題である。
この場合、職場の上司や先輩、学校だったら教官など、特に目上の人とのコミュニケーションにおいてトラブルになるのは言うまでもない。
こっちは普通にやっているのに、いや、普通にやっているがために、事あるごとに怒られる結果になってしまう。
そりゃ相手に言わせれば非常識かつ極めて不愉快な応対なのは間違いないし、転じて「生意気な奴」あるいは「とんでもない奴」と見なされるのは確実だろう。
勿論、同年代や目下相手だったら問題にならないというわけではなく、多分「アイツはめんどくさい」「あの人は付き合いにくい」くらいのことは普通に思われているはず。
現実的に言って、こういうのはどこに行っても問題になると思うので、いい加減、もう少し相手に合わせた丁寧な応対をしないとヤバいと、今更ながらに痛感させられている。
もっといろんな艦これを経験したほうがゲームにとってプラスじゃないのか、と
そう、アニメの一話を見て思いました。
端的に言えば満足できない、この先満足するのは難しいかと思ったのです。
とはいっても、アニメスタッフが手を抜いているとか、まじめに作ってないんじゃないかと
非難したいわけではありません。
私が艦これアニメ1話を見た時の印象は、下記のようなものでした。
@ham1975: 艦これアニメ、めんどくさい顧客相手に慎重に書かれたパワーポイントのプレゼンのようだった
https://twitter.com/ham1975/status/552972215201718273
ただその頑張りの方向が『最大多数の最小不幸』を目指している感じであり、
かつそれが視聴者にも伝わるがために、「あ、うんまあ悪くなかった……んじゃないかな」
と褒めることもできないが文句を言うには忍びなく、
結局出た出ないを話題にする授業参観アニメになっちゃったのかなあと思います。
まあ、5W1Hすら設定しないというのはどうかと思うんですが、いろいろあったんでしょうね。
What(何を) 敵の深海棲艦を(ただし何者かよく解らない)
ノベライズやTRPGでは、艦娘が人ベースなのか転生なのか、どちらかに決めた上でやっていますが
コミカライズだとボカしているものもあり、誤魔化せる表現が可能なら曖昧にしていくという指針でもあるのかもしれません。
ただ、ぼかさずに済むHow、戦闘手段もアニメに落とし込めていないのは大変気にかかります。
水上スキーはまだしも、あのサイズあの形態で戦うのであれば、艦の戦闘に準拠する必然性はありません。
だからこそ、水雷戦隊クロニクルの天龍は剣を振るいヲ級はその頭部で噛み千切ろうとし、side金剛の金剛は敵戦艦を投げ飛ばすという表現になったのでしょう。
言ってしまえば、魚雷の有効性だって人型であることと相反しちゃうんですよねえ。
巷でどうこう言われてる弓の話も、どちらかというとなんで矢が艦載機になるのか、
弓の鍛錬をする意味がどの辺にあるのかをアニメ世界の中できちんと説明できるか、理由づけられるか、の方が大事だと思うんですけどね。
現状初見さんが素朴な疑問を抱きそうな点はいくつかあるんですが、その殆どがゲームユーザーも慣れただけで説明できないわけで、
アニメでその辺の説明がされることを期待していた向きもあるんですが、こうも「そういうものだから」で流していくのをみると、
むしろ「設定に触る部分は説明しない(できない)」という意思表示にも思えます。
説明しないことによるメリット、というよりすることによるデメリット、というものに心当たりがなわけではありませんが
そこまで厳しく語ることを制限されていると、何のためにアニメを作ってるのかよくわかりませんし、
配慮もうれしいのですが、まず面白くするために考えて、そのあとで可能限り配慮を尽していく形であればなあ、と
ところで、本当に巷でいわれてるんですかね弓の話。
指摘された! 弓道やってるやつはめんどくさい! と範囲を限定しない中傷はざらなんですが、肝心の指摘はあまり見ません。
おそらく今回の発端はこのツイート
https://twitter.com/shockn55/status/553844214698504192
の画像だと思うんですが、わざわざ掲示板あたりで使われていた画像を引っ張り出してきて、
面倒な人たちに目をつけられたと主張、拡散されていくのを見ると「面倒ってなんだろう」と考えてします。
しかも、(別の方ではありますが)「キービジュアルに対する指摘を受けて直しても(註:但し指摘を受け入れてたという根拠はない)、結局突っ込まれる。テロリストに譲歩しちゃダメってことだ」
という主旨の呟きも目に入ってしまい、比叡カレー吹いてしまいました。テロリストってお前。
と思ったら、2か月前の時点ですでにテロリストに準えるコメントがあるまとめブログ記事があり、
http://kantama.net/archives/16344385.html#comment
指摘が入ると「仏の提督さんでもキレました」と闘争に入るスタイルの確立、
および艦これへの言論によるテロに対する、高い意識の存在が伺えます。
また、件の記事自体が今日を予期した念入りなシャドーボクシングであり、
どちら側が原因かはさっぱりわかりませんが、元々開戦の機運が高まっていたのだなあと感じ取れます。どちらが原因かはさっぱりわかりませんが。
長くなりましたが、あくまでアニメに対する懸念は一話時点での懸念であり、今後の十一話で払拭してくれることを期待していますし、
不惑に至って尚、新しいことであるシナリオライディングや作詞に手を出す挑戦心を忘れない、
突然同僚がこなくなった。連絡はあるんだけど出社できない状態。
これだけでわかる人も多いと思うけど、簡単にいうと心の風邪「うつ」
別に鬱だからって同僚を責めるわけじゃないんだ。誰にでもなる可能性はあるし、そんな人を何度もみてきた。ITなんてそんなもんだ。
その同僚は2回目なんだけど。
たぶんコレは休職コース一直線。
独身で不惑。性格は真面目で見た目もわりと良い。そして同僚はサービスを運営する責任者でもあった。
その責任者が、急に、消えた。
船長がいなくなった船はどうなるのか。
もともとPJはうまく行ってなくて、立て直しを求められていた。同僚はケツ拭き役だった。
自分もミッションを同じくしてて、別PJのプロマネをしてる。同僚と同じケツ拭き役。
その俺に会社はこう言ってきた。
「同僚がこなくなった。長い休み(=休職)になるかもしれない」
「現場は混乱するが、しばらく頼む」
それだけ。
すでにケツ拭きをしてる俺に対して、プロジェクトのケツ拭き役からドロップアウトした同僚のケツ拭きもやれというのか。
俺はいったい何なんだ。俺が汚れ役を引き受ける理由なんか無いよ。
ケツ拭きの失敗を激しく叱責させることはあれど、よくやったなんて言われることは100%ない。
同僚は気がついてしまったのだろう。
ケツ拭きという虚しさを。船長に指名されて、意気揚々乗り込んだ船が泥船だったことを。
プロマネ就任当初あんなに「俺、がんばるよ」って言ってたのに。
俺はどうすればいい?
どうすりゃいいんだよ…。
学生時代から懇意にしている50代のイケメンオヤジが、数年前とある挨拶で
「僕くらいの歳になると、同窓会はハゲたオヤジと腹の出たオヤジ達が、やれ糖尿だ血圧だって話になるんですよね。
そこでどっちにも当てはまらず、こうやって若い人たちと交流できるのは何よりも幸せに思ってます」
さて、翻って不惑へのカウントダウンが始まったアラフォーの自分は、ジムに通い出しAGAの相談のため皮膚科の受診を検討する段階になり、上述のオヤジの言っていたことを心底実感するようになった。
まあ、人間ドックの結果がまだ全然キレイなのがせめてもの救いか。
きせいさんは鐘を鳴らすだけで十分だ
みなさんおつです
・01 オードリー・ヘップバーン (40): (-@∀@) ◆ABC6H3G1B2
・02 新緑 (63): ◆RbdsL/2C4E
・03 アンナ・カレーニナ (75): ID:AoBzUdh8
・05 2(番 (97): ID:vw9CQQHQ
・06 村上海賊の娘 (124): ID:AoBzUdh8
・07 キジ (129): ID:AoBzUdh8
・08 赤いスイートピー (148): ID:AoBzUdh8
・09 犬養毅 いぬかいつよし (181): ID:LqB1JAWV
・10 ニョロニョロ (199): ID:XFTEjDWD
・11 忌野清志郎 いまわのきよしろう (219): ID:AoBzUdh8
・13 桑田真澄 (244): ID:AoBzUdh8
・14 キャッツ[CATS] (261): ◆RbdsL/2C4E
・15 蒸す (275): ID:DwAfvZh/
・16 鹿《か》の子(絞り (294): ID:AoBzUdh8
・17 ガンジス川 (305): ID:AoBzUdh8
・18 40にして惑わず[不惑だけど] (319): (♂・∀・)♂ ◆VVVF/4gFB.
・19 1(番 (344): ID:XFTEjDWD
・21 コートジボワール (391): ID:bui8iC1D
・22 ツツジ (400): ID:wjQi61yB
・23 バイオリン (405): ID:AoBzUdh8
・24 3(時間 (428): ID:leynAXmh
・25 第 3 日曜日 (458): ID:uKJSRpzS
・27 なんという豆:そらまめ (495): ID:bheBySP0
・28 萩原朔太郎 はぎわらたくたろう (507): ID:AoBzUdh8
・29 3(人 (514): ID:AoBzUdh8
・31 8(倍 (560): ID:AoBzUdh8
・32 ニクソン (675): ID:T41ODrdQ
・xx 岩合光昭 いわごうみつあき (845): ID:B85CB1aw
・yy (1)オアフ(島 (934): ID:uKJSRpzS
12pts. ID:AoBzUdh8
3pts*2 ID:2spCWPOQ ◆RbdsL/2C4E
2pt ID:XFTEjDWD
1pt*13 (♂・∀・)♂ ◆VVVF/4gFB. ID:----- ID:DwAfvZh/ ID:LqB1JAWV ID:T41ODrdQ
ID:bheBySP0 ID:bui8iC1D ID:leynAXmh ID:uKJSRpzS ID:vw9CQQHQ
ID:wjQi61yB (-@∀@) ◆ABC6H3G1B2 ◆SO1.YhfArk
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仕事ができないというわけではなく、仕事へのモチベーションがないだけだった。
やる気が無いから部下に丸投げした挙句、成果を自分だけのものにする。
つきっきりで1から10まで懇切丁寧に教えてもらいながら自分は頭を動かさずに手を動かしているだけ。
教えている側が考えている間は自分も自分なりに考えようとかそういう能動的な仕事への意欲が一切なく、待ってる間は指示が止まって行きどころを失ったマウスポインタが画面上を無意味にせわしなく泳ぐだけ。
そこまで細かく指示しないとできないのであれば自分でやるよと。
最終的には、部下におんぶにだっこで自分の仕事を間接的に全部やらせておいて、それが原因でさんざんお世話になった部下が自分の仕事ができずに残業しているのを見て「あいつは仕事が遅い」だとか「俺は残業なしで終わらせている」ってバカか。
あと仕事時間中にトイレの個室でサボる。1日あたり長くてトータルで2時間超え。短くても1時間超え。タバコ吸わないからってありえないレベル。
蟻だったと思うけど集団がいれば必ずサボるやつが一定の割合で出てくるらしい。
それってつまりそれ以外がそいつの分も働いているってことなんだよな。
なぜなら増えるべき部分はそのサボリ野郎に入ってるから。
上の上に相談したら会社としては会社にお金を入れてくれれば極論どうでもいいらしい。ちなみに技術者派遣会社。
でもサボリについては注意してくれて今は改善した。お客さんとの契約関係=会社にお金を入れるかどうかに関わるから最低限のことはやってくれた。当然だけど。
あとは、仕事に対して責任を持ってやってくれるようになるか、余計な負担をかけられることが減るかを今後も目を光らせておき、また何かあれば今の職場から引き上げさせるという確約はとった。
それ以前にこんな使えない金食い虫クビだクビとも思うけど、高卒で20年以上働いてる人間を簡単に切れないらしい。こんなクズでも家庭持ちだし。共働きだから大丈夫だと思うけどね。
もう不惑でいっちょまえに年功序列で地位と給料だけは高い人間なのにほんとに何やってんだって感じ。
俺高い給料もらってるから~って飲み会とかで言うけど別におごってくれることもない。ただの自慢か。
飲み会ではやんちゃ(笑)だったころの武勇伝(笑)をずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと話す。
「いつか本気を出す」「本気さえ出せば俺はすごいんだぜ」と思い続けていたらいつのまにか不惑を越えていた。いまだかつて本気を出したこともないし、この先もおそらくその機会はこないだろう。新しきを学ぶことも、こつこつと努力を積み重ねることも、人間関係を深めることも、「そんなのいつか本気を出したらできる」と思い全て拒否し忌避してきた今、新しきを学ぶ脳の力もなく、こつこつと努力する根気も失い、気がついてみればひとりぼっち。本気というのは、何もないところから湧いてくるものではない。むしろその積み重ねにこそが本気だったのではないかと、今は思う。
まだ若い諸君、努力なき本気なんてない。本気の努力の結果が「やってきた過去」と「その上に立つ未来」となる。多くの人は地道な努力があってこそ本気を出せるし、その努力こそが本気だ。そんなこと当たり前だけど、その当たり前がわかってなかった人間がここにいる。
「40過ぎの腹の出たオヤジになってよかったこと。」http://anond.hatelabo.jp/20130521102114
を綴られた増田殿。
おくつろぎのところ大変恐縮ですが、そういうあなただからこそ、性的な目を向けてしまうオナゴもおりまするぞ。(※貴殿が既婚者でない場合※)
スーツとお腹は最強です。
文脈無視の、全然違う意味で、激しく同意!!!(オナゴ目線) うん、最強。いやぁ、最強ですよ……
問わず語りをいたしますと……このわたくしめ、10代の、正真正銘の「女子」だった頃から、
「オトコは腹が出てからが旬。身も心もどっしりしててこそ、イイ男」
が持論でありました。
165cm推定85kg(10年近く付き合ったけど体重は絶対教えてくれなかった)の、
実年齢こそピヨピヨの20代前半でしたが、高卒で社会経験豊富(過ぎ?w)、
精神年齢は当時ですでに不惑を越えておりました。今思い出しても、若いのに当時からめちゃくちゃ人間できてたなあ……
(わたしのこれまでの人生で、唯一、身をあずけたオ・ト・コ♡)
かくいうわたしも、30を越え、最近やっと「ガリ痩せ(だけど心はズッシリ)男」にも目がいくようになりました。
我ながら、大人になったなあ……(遠い目)
追記 ちなみに、わたくしめの体型は157cm、46~48kg(周期変動)でござりまする。
今無性におばさん扱いをされたいので若い人と一緒にいることが多いのですが、昨今の若者は非常に人間ができていて私を表面上おばさん扱いしない方が多いです。
どちらかと言うと、40代後半以降の男性におばさん扱いをされることが多いので、なるほど年上の方がおばさん扱いをしたいのか、とトリビアを感じながら
おばさーんと呼ばれるたびにハイハイと舟さんみたいに対応しております。30歳。未婚。婚活もパス。
で、もっと厳しいのが35〜45ぐらいの女性からの叱責です。あなたがおばさんなら私達は何!!!とものすごい怒られたんですが、
確かに最前線でバリバリ現役お姉様張ってる方々から見れば私はもう非国民ならぬ非女子。
あれ、今そこらへんの括りは大人女子とか言うんだっけか。じゃあ非大人女子。
できれば周りの方も臨機応変に個別対応していただきたいと思うんだけど、それは難しい話だよな。
それこそ私のエゴだよな。と思いながらも一度「おばさん」の位置を経験すると、もう肩肘なんてはれないのです。
10代・20代で充分ズゴボコになったので頼むからもう「女子」というリングからおろしていただけないか、と言う感じなんです。あいむるーざー。
この「おばさん」の4文字に詰まった、自分を含めて誰にも期待されていない感がたまらなくラクです。精神のウェストゴムと名付けたい。
10年後、不惑の暁には更年期障害の序の口と共生しながら壮年のドアを叩きたいものです。
でもさ、このぬるま湯みたいな価値観が一定のまま揺らがない人生なんか無いんだよな。
取り巻く環境の変化と女性ホルモンの減少と途方もない寂しさがいずれ私を殺すんだろうな。
わかってるけどな。少しぐらい心穏やかでありたいよ。