はてなキーワード: ルアーとは
値段がついたのは約100冊のみ。合計で4000円ちょっとでした。やはりこの程度か感。
講義で使った教科書は身バレにつながるのでタイトルを伏せてあります。
知見としては、やっぱり専門書は高い。あと、自前で持ち込みできるならたぶんいくつかの店舗に分けて
状態良い漫画本がたくさんあったのに軒並み値段がつかなかったのは、
たぶん宅配買取の倉庫に送られる本の中に同じタイトルの本が腐るほどあるからだと思う。
店舗のほうがタイトル被りの可能性が低いから、その分よい値がつくんじゃないかなと。
あと、時間がある人はメルカリ使ったほうが間違いなく金になると思う。その手間分だけお金になるかはわからないけど。
以下、内訳。
ガールズ&パンツァー リトルアーミー(01) 漫画・コミック 1点 ¥1
ガールズ&パンツァー リトルアーミー(02) 漫画・コミック 1点 ¥1
ポケットモンスタースペシャル(1) 漫画・コミック 1点 ¥5
ポケットモンスタースペシャル(3) 漫画・コミック 1点 ¥5
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東方鈴奈庵 ~Forbidden Scrollery.(2) 漫画・コミック 1点 ¥50
東方鈴奈庵 ~Forbidden Scrollery.(3) 漫画・コミック 1点 ¥200
“文学少女”と飢え渇く幽霊 本・書籍 1点 ¥1
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キタミ式イラストIT塾 基本情報技術者(平成25年度) 本・書籍 1点 ¥5
ゲームの作り方 改訂版 Unityで覚える遊びのアルゴリズム 本・書籍 1点 ¥500
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http://anond.hatelabo.jp/20170525225105
会話術とかにもあるけど、「こうしたらどう?」的なアドバイスばっかしてくる奴はうざがられるだろ。
その時その瞬間に心の底からアドバイス求めてる人は少数で、そういう人に直接ベストなタイミングで言うならいいが、それができないならそもそもするなって話。
広告がうざがられる理由はまさにここで、たとえそれが善意からのものであろうと、不特定多数に発信してその中で食いつく奴を探してるからこそ疎まれる。
魚の視点から見たときに、べつに食いたくもないのに何度も何度もルアーをぶち込んでくる奴がいたら、そらうざいから逃げていくわけだ。
でも広告ってのはそこらじゅうにあるわけで、魚じゃない人間はキレて文句を言い始める。
善意であろうと悪意であろうと、他人様に気安く自称有益なアドバイスとやらご提供してんじゃねーよってことだ。
今、写真の勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達が高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。
写真家と呼ばれる職業の人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種の人達ではない。
今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。
以前は東京写真専門学校やビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し
優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近の写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ
ではなく写真と言葉、ステートメント、ポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。
港 千尋ー早稲田大
奥山由之ー慶応義塾
木藤公紀ー東北大学
・・
そのほかにも最近の写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的で視点が面白い。
プレゼンスタイルも高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。
勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市立芸大、その他の多摩美、日大、武蔵美、大芸大なども
多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外で写真を学んできている人もいるだろう。
写真ポートフォリオレビューでもフランス人やアメリカ人のポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに
まずは英語が最低でもできていないと自分の写真の意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、
書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。
「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥムも理解できず3行で寝てしまうという始末。
元々、コンセプト写真は海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真の技術とセンスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる
特に最近は写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真=芸術とみなし、芸術家と自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように
思えるし、InstagramやSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。
写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家の写真集が良いの?」
と揶揄される始末。マイナー・ホワイトやピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。
マイナー・ホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。
これはこれはお客様、当店におこし頂きまことにありがとうございます!、
ふむふむ、駅に近くて、コンビニ・スーパーが近くて、景色も最高で南向きだけど風通しも良くて快適で家賃も安い物件と・・・、
そんなとこ俺が住みたいわああいえいえ!んっんー!何でもございませんいやあこの季節は暑いですねえ!、今お探しします今しばらくお待ちください。
ところで、お客様、ポケモンGoが最近流行ってるみたいですね、お客様はプレイなされていますか?、え、嵌ってる?、しめしめああ何でもございません!んっんー!、いやあ最近暑いですねえ!、
そりゃポケモンGoにも熱中するってもんですよお客様!、アツいだけに、ああお客様お待ちください!お帰りにならないでください、こちらの物件なんていかがでしょう!
こちらの物件!、駅から遠いわコンビニスーパーまでかなり歩きますし周りにビルが建ってるので日も当たらず景色も最悪!家賃の方ですが管理が大変で是非ご理解を頂きたく、ああお客様お待ちください!、
ただ、何ていうんでしたっけね、ポケストップ?、どうもそういうのが多いらしく、またルアー?という?ものが頻繁に使われているって話ですが、ああ!いえいえこちらの話しです!
しかしやはりお客様にこのような物件をおすすめる分けにはいきません!、他の物件をお探ししますので少々お待ちを、え?こちらの物件が良い?かかったなカモがああいえいえ!んっんー!何でもございません
いやあカモ鍋!美味しいですよね!ネギも一緒に入れるとさらに美味しいですよねまるで今のお客様のようなああ!いえいえ!んっんー!何でもございません!
それではこちらの物件で?、ああありがとうございます!それではご利用ありがとうございました!
この前の金曜日仕事終わった後にポケモンGOやろうと思って少し寄り道して地元の大きな公園に行った。
その公園はポケストップが沢山あっていつもトレーナーで賑わっている。夜は常にルアーモジュールが何本か刺さっているような状態で、金曜日は夜22時過ぎに着いたんだけど人は減るどころかどんどん増えてきて、祭りのような雰囲気だった。
30分くらいやってたら向こうからスーツ姿のおっさんと若い女の2人組がスマホ片手に歩いてきて、なんだよおっさんいい歳して羨ましいなと思って顔をチラッと見たら上司と俺の同期の女だった。しかも女は同期の中でも一二を争う美人。
俺は慌てて顔を背けて草むらに向かってポケモン捕まえるフリをしてやり過ごしたんだけど、聞こえてきた会話からなんか上司がポケモンGO始めたばかりで同期に教わってる様子で、
「おっ、なんか出てきたぞ。どうするんだっけ?」
「狙って投げるんですよ」
「すごい!お上手ですね!」
とか言ってんの。同期は一応敬語だけど明らかにベタベタしてた。
ちなみに上司は既婚で奥さんと中1の娘がいる。同期は詳しく知らないけど確か彼氏がいると聞いたことがある。金曜の夜中に何やってんだよまったく。
月曜にどんな顔してあったらいいのかわからん。
地方都市在住です。
近所のポケストを見てると、マックでも公園でもないただの住宅街なのに花びらがよく舞っているポケストがある。
だとしたら羨ましい!家のすぐそばにポケストがあればボールに困ることはないよね。
もしポケモンGOがこの勢いのままはやり続けるなら、
「引っ越し先の周辺にはポケストとジムが充実していること」っていうのが部屋探しの条件に入ったりすることもあるかもしれない。
「部屋にいながらにしてポケストにアクセスできる」ってうたい文句の賃貸があれば、家賃が高騰するかもしれない。
部屋の内覧で、部屋周辺のポケスト条件が良ければ、「この部屋にします!」って即決しちゃうかもしれない。
そんな妄想。
10年前の今頃と言えば、初代ポケモンGOがリリースされた時期である。
当時はスマホのバッテリーの品質が悪く、1分間に1%消耗するような時代だった。
高校1年になったばかりの私は買ってもらったばかりのスマホにポケモンGOをインストールし、毎日のように町内を冒険した。
商店街のマクドナルドはいつも誰かがルアーモジュールを使っていたから毎日通った。
私のようなポケモントレーナーをナンパしてくるチャライ男子をいかにして撃退するかということにことに関して学校に対応を求めたため、
連日連夜、スプレーやスタンガンによる制圧から、他のトレーナーとの連携、通報、狙撃の方法まで訓練させられることとなった。
毎日のように近づいてくるチャライ男子を撃退するたび、町中で悲鳴がこだました。
休みや仕事帰りを利用して計測してみた。すべて一時間での獲得量。
どれが良いかは明らか
androidとiPhoneで、同一アカウントでログインできる。
それで何ができるかというと、ちょっとしたGPSの違いでポケモンを収集できる範囲が広がるということ。
例えば家や職場であとちょっとでポケストップに届かないっていうときも、端末を変えると届いたりするようになる。
ただし、wifiをオンにしているとそのwifiで位置情報が判断されるので、オフにするのを推奨する。
今のところ個人的な2台持ちなので両端末が近くにあるから問題なさそうだが、家族で共有とかして遠隔地同士になるともしかしたら不正と判断されるかもしれない。
それとこれももしかしたらだが、移動距離は端末ごとにカウントしているので、2台を起動したまま移動すれば移動距離が倍カウントされそうな気がする。
これは何となく規約違反っぽいからあまり試したくないけど、でも家にいてwifiオフにすると位置情報のゆらぎでかってに走り回ったりするから、その程度の分を2台分カウントしてもらうくらいならばれないかもしれない。
ただ、残念ながらポケストップのアイテムは重複して取れないし、2台にポケモンが表示されたかといってゲットできるのはどちらか一方のみ。
自己満足の艦これ、よりゲームに寄せたパズドラ、協力とリアルタイムに寄せたモンスト、
という流れの中で言えば、このゲームはちょうど艦これとパズドラの間らへんにあるだろう。
正直この時点で「ゲーム」として「面白い」枠組みに入る訳がないと思う。
しかしながら実際にプレイしてみると色々と違った景色が見えてくる。
ポケモンGOの神髄はポケモンを捕まえたり、卵を孵化させたり、
ルアーモジュールお祭り状態の街に繰り出すことでは断じてない。
ゲームの延長線として街にくり出すのではなく、
あくまでも「散歩」の延長線上にあるのが「ポケモンGO」なのである。
そう考えると各地に配置されたポケストップのなんと便利なことか!
ゲームをプレイしようと思っている時点から間違えているのだろう。
それはさておき、安全性について一言物申したいことがあるのだが、
ポケモンGOをプレイすると事件や事故に巻き込まれる可能性が上がる!問題だ!
というのは極めてアホな脳みそを持ち合わせてしまった残念な人間の意見だ。
この現代のスーパーコンピュータを使って警察を呼べばいいだけの話だからである。
そもそもポケモンGOがここまでプレイできるレベルでインフラが整ったのだから、
Twitterと同様に第3者にAPIを公開してポケモンGOの中で警察に通報するボタンがあっても良いはずだ。
昨今ではもう
「インターネットにうその書き込みや犯行予告を行うと逮捕される」
という意識の植え付けは完了しているのだからそこまでやっても良いのではないだろうか。
歩きスマホについても、
ここ2日ポケストップ交差点に陣取り、ルアーモジュール刺し、おこう焚き、しあわせタマゴをフル稼働、
フォックスコン労働者の如く単純作業を延々と繰り返し、トレーナーレベル23を迎えた変態です。
このゲームの酸いも甘いも大体理解してきたので一休みがてら書き綴ります。
このゲーム最大の特徴は課金要素があるのに課金の意味を成していない、
課金ゲームの課金とはTIME IS MONEYが基本であり(一部アイドルガチャとか除き)、
課金ユーザーが享受するメリットはゲーム時間の短縮にあります。
ただポケモンGOはそれが難しい。廃課金ユーザーですら時間を短縮できない。
その理由は「ほしのすな」が課金アイテムとして提供されていないことにあります。
ポケモンを捕まえるかタマゴを孵化させるかで手に入ります(ほかジム戦)。
それで育成1回に1000単位で必要となる(初期は数百程度だが)。
これが課金アイテムとして提供されない以上、課金ユーザーもまた無課金ユーザーと同じ土俵で
フォックスコン労働者の如くポケモンをゲットし続けなければならないのです。
課金アイテムで多少なりにポケモン遭遇率を高めることができても、
課金ユーザーが無課金ユーザー同等の時間を使わなきゃいけないなんて課金の意味ねーじゃん。
ここ数日がそうでしたが、労働時間を購入できない以上、労働時間を確保しなければなりません。
課金ではなく労働時間が重要という意味ではIngressであり、
おそらく時間をかけブルーカラー労働を続けていれば結果は出るでしょう。
そうした意味でポケモンGOはソシャゲではない。ただのゲームだ。暇人御用達ゲームだ。
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
未来の予定に対して、○時○分頃って言ったり言われたりしたときに、
自分が具体的にどのくらいの幅の時間をイメージしてるのか考えてみたんだけど、大体前後15分~20分ぐらいをイメージしてるっぽい。
自分がADHDだからかどうかはわからないけど、どうもこれは平均的な感覚よりだいぶザルなんじゃないだろうかと思う。
とりあえず世間は時間に遅れることに対してめっちゃ敏感なようなので、なるべく早い方に極振りしておけば、
自分は多少待たされても暇を持て余してラジオ体操とかソーラン節とかやり始める程度で、あまりイライラすることもないので、
大体の場合うまくいっている気がするのだけれど、実感を伴った感覚的な部分で周りの人の「頃」の感覚がイマイチ掴めていない。
自分の経験上、向かってる途中で大事なものを忘れたり落したりして探しに戻ったとか、
すっころんで怪我したとか、足ひねったとか、溝に落ちたとか、階段から落ちたとか、急に吐き気がきて吐いたとか、
頭痛でうずくまったとか、急に我慢できない腹痛でトイレ探して駆け込んだとか、背筋伸ばした拍子に腰を痛めたとか、
カナブンが目に直撃したとか、電柱にぶつかったとか、自転車や車と接触したとか、釣り人の振りかぶったルアーで服を釣られたとか、
電車が遅れてたとか、バスがこなかったとか、タクシーが全然つかまらなかったとか、自転車がパンクしたとか、
迷子にスソを掴まれて逃げられなかったとか、外人や老人に道や店の場所聞かれてうまく説明できなくて途中まで一緒に行ったとか、
職質・防犯登録チェックくらったとか、DQNに絡まれたとか、事故現場に居合わせたとか、お金とか財布とか定期とか携帯とか拾ったとか、
自分が100%悪いことから偶発的なことまで、原因は色々あるけど、そんな程度のことでも15分や20分ぐらい簡単に遅れるし、
実際そういうことが5回家から出たら少なくとも3回は何かしら起こるぐらいのペースでしょっちゅうある。
なので、トラブルなく目的地に到着できる自信というか、「これなら○分には確実に到着するぞ」と自信を持って言えるタイミングというのが、
目的地のごくごく至近距離にくるまでやってこないので、「○時○分頃に着きます」と家を出る前から宣言するのがとても怖い。
でも、話を聞いてると周りの人はそもそもそんなにトラブルに見舞われないから、単純に移動にかかる時間の見積もりだけで話をしているらしい。
初めて知った時は、だからオオカミ少年的に扱われて信用されないことが多いのかー、と納得すると同時に絶望した。なんていうか、同じ世界で生きてる気がしない。
友人からは、通勤するだけで毎日がアドベンチャーで楽しそうだ、などと笑われるけど、
本人としては毎日毎日割と疲れるし、たまに致命的に遅れて遅刻になるとすぐ評価下げられたり、昇給予定が見送られたりで全然いいことない。
というか、「遅刻はしてないけど出社時間が安定しないのでそこがマイナス」って言われた時ははっきり言って昇給を諦めた。
同居するようになってから妻には「あなたと出かけると予定を立てても予定通りに行くことの方が少ないから、予定を立てないことにした」と言われてしまったし、
毎日決まった時間に会社に着くっていうだけでもものすごい高難度クエストを何年も続けてる気分だ。実際ちょいちょい失敗してるし。
生きるって難しい。なんていうか、もうちょっと世の中がゆる~くならないかなあ……。
リー・ミンウェイがずっと気になっているので書く。
リー・ミンウェイは、昨年末から今年初めにかけて森美術館で開催されていた「リー・ミンウェイとその関係展」(http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/)で初めて見た。ミンウェイが美術館に来た観客と食事をする作品(その映像が展示されていた)や、会場で花を配りその花を会場から帰る途中に知らない人にプレゼントしてもらう、という作品などがあった。一般的にはリレーショナルアートに含まれる作品を作る作家として知られる。
展示を観終わった後に、同行した人が言っていた。リー・ミンウェイは本当に素直な人だよね、と。それに、彼のようなバックグラウンドがなければこうはなれなかった、と。(以下はその人が言ったことを言い換えたり補ったりしているだけのような気もする。)
リー・ミンウェイがやっていたのは、何の恐れも気負いもなく他人に何かを「贈る」ことだったのだ。
もう一度彼が贈ってきたものを考えてみてほしい。それは一緒に食事をしながらお喋りをすることである。思い出の詰まった布を持ってきてもらい、ボランティアの人に会場の壁から垂らした糸で縫い付けてもらうことである。隣り合ったベッドで寝ることである。一緒に凧を揚げることである。
ここでいうところの「贈る」とは、それによって誰かの上に立とうとしたり恩を売ろうとしたりする行為でもない。相手に無関心なまま何かを仕掛けて反応を見るような行為でもない。自分を貶めつつ他者というものをたてまつろうとする行為でもない。さらに、その行為それ自体から自分が楽しもうとする行為のようにも見えない。ただ何かにとっていいだろうと思える何かをしてみる、という行為のように見える。何らかの形で人同士が繋がるというのはいいことだから、それをしてみる。そこには自分とかいう云々かんぬんはなく、そもそも自分とかいう云々がないとうことすらそもそも考えられていない。
それが、彼に恐れも気負いがないように見えるということに繋がっている。普通は上に挙げたいずれかの動機があるし、その場合、失敗することの恐れや他人を使うことのやましさ、義務感からくる気負い、何かが得られるかについての不安みたいなものを背負わざるを得ない。たぶん、そういうものがないリー・ミンウェイは、完全に力が抜けきっている。ただいいことだからやってみている。
(蛇足だけど、純粋贈与ってこんなもののような気がする。誰が何と言おうと。)
彼においてはあまりに素直に無邪気に何かを贈るということが行われている。その素直さと無邪気さは、ありがちな譬えとして出される「子どもの素直さや無邪気さ」よりもはるかに深い。子供のそれらが自分という中心をなしで済ますことは意外と難しいことだろうから。リー・ミンウェイのそれは、何らかの形で洗練に洗練が重なった類の素直さ無邪気さである。
その洗練というのは、台湾にルーツを持つカリフォルニアの裕福な家庭で育った、という育ちに依っているのかもしれない。
祖父母の代の誰かが日本に留学に来ていた台湾人であり、それは恐らく当時としては相当なエリートであったはずだ。父母はどちらかが医者で恐らく同じように裕福であり、台湾で生まれたリー・ミンウェイは家族でカリフォルニアに移住している。
一般的なこととしては、裕福な家庭で育つことによって無邪気さがはぐくまれただろうと想像がつく。しかし(以下は特に印象論です)、裕福な家庭の中でも、台湾の裕福な家庭で育てられたというのがかなり影響を持っていたような気がする。社会に対するあるいは宗教的なものに対する義務意識や、立身出世的な欲望から、離れて育つことができるような。更に、戦後の台湾にずっと留まり続けずアメリカ西海岸にいられたというのも効いているような。
それから、(彼の)作品が身体的なことや身体に密着したものを用いていることは、彼の素直さと相互に影響を与え合っている気がする。身体に根差したものはそういう素直さを引き起こさざるを得ないし、素直さは身体的なものの大切さを感じさせざるを得ないから。
リー・ミンウェイのことを考えると、上で書いたようなことが一気に思い浮かび、肩の力が抜けて、思わず深い呼吸をして、世界に対して優しくなり、元気になる。たぶん、頭の中のリー・ミンウェイに、ゆっくりとした口調でぽつりぽつりと、「まあ、いいから、とりあえずあんまり考えないで、ちょっとやってごらんよ」と言われているのだと思う。
付録:
http://www.1101.com/lee_mingwei/2014-11-13.html
ほぼ日のインタビュー。書き終わった後で発見。あくまで僕の中でのリー・ミンウェイのイメージが大事なので、そんなにこのインタビューは大事だと思わないけど、でも多かれ少なかれ合致した王を描けたのではなかろうか。