はてなキーワード: メンタリティとは
こうなると思ってた
でもそうならなかった
これは嘘だった
高度医療譲りますカードとかあったけど大きな潮流にはならなかった
高齢者へのインタビューで、人工呼吸器が不足したら譲りますか?ってのに
正直なところそうかも知らんけどさ、ただそれを正直に表すことに抵抗とか恥の意識とかないんだね
例えば「譲りたいとは思うけど、そのときにならないとわからない」とか、こういうメンタリティではないんだよね
自分で実践できなくとも自己犠牲を尊ぶという精神があると思ってた
表だって賛美することはなくても、少なくとも底流にあるんだろうと
でもそんなもの無かったんだな
どれだけの犠牲が払われているか、ほんとうに認識しているのか?
自殺が増えている
生活困窮者が増えている
失業率、内定率が悪化する。ひいては労働環境が悪化する。そしてそれは何年も尾を引く。
生きていたいと思えることはすごく幸福なことだと思うよ
そしてそういう人が多いことは良いことだと思うよ
たださ、そのために誰かが犠牲になっているってことから逃げるなよ
見て見ぬ振りをするなよ
きちんと後ろめたさを持って、背負ってくれよ
それだけでいい
「オマージュ」「リバイバル」「パクリ」「トレス」「リスペクト」
90年代に生まれた私たちは、まだ物心ついていない頃の世の中に溢れていた物を上記の言葉で説明の上商品化している。
私たちが形成していた文化は、おそらく90年代のバブルが崩壊した後とは言え市民にはその影響はまだ無かった頃の、あるいは見てみぬふりをしていた頃の、それらを墓から叩き起こして陳列することに似ている。
ヴェイパーウェイブ。
それらを何食わぬ顔でコピー&ペーストし商売にしている。メンタリティとしては、やはり私たちの世代でよく怒られていた「レポートをWikipediaからコピペするな」と変わらない。
90年代に生まれた私たちが得た唯一の才能は「何食わぬ顔」だと思う。「インターネット」と「現実世界」が明確に分かれていた頃にあった、「現実世界では冴えないけど、ネットでは結構チヤホヤされてるんですよ」と何食わぬ顔で図書館で勉強していた、あの時の顔。
話は少し戻るけれど、そろそろ2000年代生まれの子達の足音が聞こえてくる。墓掘人が見つけてきた素材を組み合わせ、ぶっ壊し、ぶっ壊した破片をかき集めて何かを作るんだろうか。それすら放棄して「あの頃っていいよね」とそのまま昔の曲をカバーするんだろうか。それとも育ち良く、出典を明記したトレスイラストを売るんだろうか
自分も増田と近い世代で、だんだん自粛がキツイなってなってきた人間。
都内で一人暮らし、業種的にも昨年2月からずっとリモート主体で働いていて、年末くらいにメンクリ通うようになった。弱い人間なので。
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ゲームだったり絵をかいたり動画見たりとインドアオタクな趣味も多いし、余裕やろ^^むしろ嬉しい^^と思ってた。半年くらいは。
それでも、ライブに行けないだとか、おいしいもの食べに出歩くとか美術館行くのをやめたりとか小さなストレスはためてた。
最初の4、5か月くらい、秋口にはちょっと収まるかなと楽観視しながらも、
家族友人には一切会わず、たまに必要に駆られて出社するのと生活必需品の買い出し以外での外出を大真面目にやめていた。
ちょっと辛いな…となってきたのが8月頃、感染者数的にはやや落ち着きも見えてた頃だったろうか。
給付金ガー!みたいなあれで各業界もそれぞれの立場でつらさを訴えていた。
結局のところ、どこもかしこも痛み分けで共倒れしかなくない?と思い始めた。
閉店する近所の定食屋を目の当たりにして、一人では喫茶店くらいは行くようになった。
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感染の拡大を防いで医療の危機を回避するという大義は頭では理解するものの、
そのために衣食住や生命にかかわること以外をほぼ制限して、命を守る、に 正直100%で価値を見出せるかと言ったらノーなんだわ。
それをやっていいと思えることがあるとすれば、その制限がちゃんと意味があって終わるのならという条件付き。
ズルズルいってる現状、もう歯止め効かなくなっちゃってるでしょ。
個人によって守りたい命はあると思うし、自分だって大事に思う人はいる。
でも、それを「守るため」と言って一切会えない生活を続けるの、あんま意味なくない?
いつまで続けるの?コロナ以外でも人は死ぬよ?コロナのリスクもわかるよ?どうしてこれを耐えれば報われるんだって信じられるの?
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そうはいっても自粛を結局やや優先しているんだけど、正直その理由は感染のリスクよりも他人との分断をさけるのが大きい。
出かけてもいいと思うよ、と言ってた知人が感染者に対して遊んでるから…と手のひら返してるの見て怖くなっちゃったもん。
医療関係の仕事の知人もいるけど、ラインで連絡取ろうとも思えない。なんとなくの申し訳なさで。
このメンタリティで生きてると、そりゃあ病むんですわ。楽しくねえもん。
非難されない状況でなら、いっそ感染してもあんま苦しみとしては変わらんて。
(こういうと、じゃあ後遺症で苦しめ^^って言われるんでしょ、知ってる)
この災禍で経済がつぶれるならそれまでだ、命があることだけが一番大事、なんて思えねえよ。
その命で何をするか、だろ。やりたいことが奪われて戻ってくるとも限らないなら、命や健康が戻ってこないのとさして変わらんよ。
生きててほしいと願う相手だって、ただ存在していてほしいだけじゃなくて楽しく生きていてほしいよ。
非難しあうのは、楽しくない。つらい。
エゴ爆発させて遊んじゃいたい。遊んでる人自体を非難はできない。
マスクして手指消毒こまめにして…自分で気を付けられることはいくらでもやるけど
他人にどうこうっていうのは無理だよなってことだけはわかる。
対策は理論と根拠に基づいて行うべきだとは思うが、人間はしょせん感情の生き物なのだ。
不条理があったとき、その感情の向け先がどこに行くかは一つの分かれ道だし、
そんなややこしい生き物が多数集まったこの社会をどう舵取りしていくのか、それが政治だったりするんじゃないかね。
難しいね、とりあえずつらい。
主観指標と先天的な要素の強い項目以外は満たしてるので結婚しませんか?
・口数→私は少なすぎて逆に無理かもしれない。
・趣味→唯一の趣味が数学なので専門書代くらい(多くて20万円/年くらい?収入の1/40程度)。休日は一人で勉強している。出かけるとかも基本ないのでつまらない人間だと思う。
・ギャンブル→やらない。ギャンブルする人を見下している節があり,それはそれで問題だと自覚している。
・酒タバコ→一切やらない。タバコは無理だし,酒は飲み会も基本不参加(コロナ関係なく)なのでマジで飲まない。
・怒らない→これは主観なのでわからない。起こった記憶はあまりないと思う。
・叱るときは淡々と理詰めにしてくる→理性的で感情的にならないという意味ならそうだと思う。理詰めって逃げ場を制圧していくニュアンスなのでそんな無慈悲なことはできない。優しいマンなので。
・料理する→料理はするけど,私の料理とあなたの料理が同じ保証がないのでなんとも言えない。
・お菓子食べてるとコーヒー淹れてくれる→コーヒー好きです。いくらでも淹れてあげます。
・170cmはあるはず→175cm
・お腹が出ていない。うっすら割れてる?→出てないしうっすら割れている。
・ハゲてない、白髪も生えない→今はハゲてないが,こればかりは抗えないので保証はできない
・清潔感→これも主観なのでなんとも。普通に会社員なので最低限の清潔感は気をつけている。
・嫁(母親)と娘(私)をよく褒める→褒めて伸ばすタイプ。むしろ貶すメンタリティは理解できない。
・義父(私の祖父)と2人で食事に行く。義実家と仲がいい→具体的過ぎてわからないが,親戚づきあいが良いという意味では微妙かもしれん
・SNS→興味ないしやってないし必要性を感じない。Linkedinだけアカウント持ってる。ハイキャリア転職のDMがたまにくるので承認欲求を満たしている(多分誰でもくるやつ)
・LINEとメール嫌い→むしろLINEとかメール好きな人いるのか・・・?
・電話用のガラケーしか持ってない→これはさすがに現代では困難。とはいえスマホはほぼはてなか電子書籍や論文閲覧用くらいにしか使ってない。
俺は以前までは努力すれば報われると一心不乱に自己洗脳し、努力を自己に強要してきた。その結果、周囲の環境はそれほど悪くなかったのにも関わらず、自ら精神を破壊し、一般的な生活を送ることが困難になるほどになってしまった。不眠や常に脳に違和感を感じる障害を持ってしまった。心療内科の医者に言わせれば鬱病ってやつだ。今思えば、自分のメンタリティをセルフブラック企業化させていたと思うし、今後二度と、"頑張らないといけない"という危険思想を自分に課したくないし、増してや他人に強要するなんてもってのほかだと強く感じる。
確かに努力することは決して悪いことじゃない。何か自分の得たいものに向かって踏ん張るのは時には必要な時もあるだろう。だが、それを過剰に賛美したりするのは危険な気がしてならないし、自分以外の誰かに努力論みたいなものを語られた時には吐き気がするぐらい違和感を覚える。
インターネットを徘徊していたある時、一つの言葉に出会った。"実のない努力は努力じゃなくて徒労だ"という言葉に。これを見た時、自分は少し救われたような気持ちになった。実のならない努力と分かったり、自分には到底無理だと思ったら努力しなくても良いんだと思ったと共に、努力なんて言葉に囚われる必要なんてないと強く認識出来た。
世の中は案外、努力を要求されるもので溢れている。生まれ落ちた時から、出来ないことに対して踏ん張って出来るようにしろと教え込まれ、中学生になれば高校入学のために受験戦争に打ち勝つため努力しろと教え込まれる。大学受験なんか、いい歳こいたオッサンがその話を飲み屋で延々と話すネタとして持ち出されるくらいには頑張らされる。社会人になったらなったで出世競争、キャリア、ブラック企業、格差・非正規雇用等の問題が多く出てきて頑張る必要が出てくる。また結婚・出産した時には寝る間や自分の心も惜しんで頑張ることを周囲から強要される。
生きてく中でぶち当たる問題が出てくるのはみんな生きてるんだから仕方がないとして、自分は頑張ってるのに上手くいってなくて可哀想だと周りに言ったり、自分は他人より頑張ってるからエラいなどとひけらかしたりするヤツには心底ウンザリする。誰のために頑張ってるんだよ、頑張った先に自分が幸せになれる見込みがないなら徒労に終わるだけだから頑張るのを今すぐにやめろ。
極論の例えを出せば、努力なんかしなくたって、日本は生活保護等のセーフティネットも整ってるし、娯楽もスマホがあれば今や無限にある訳だから工夫すりゃ楽しく暮らせるだろ。生活保護受給することで国が持つ税金が減ると言ったって頑張ることを殆どの人に強要される社会の方が不健全だし、全体の幸福度も下がるだろ。
要するに、自分のために個人が活動していくのが最優先事項なのに、そこを履き違えたヤツが周りに、私はこんなに頑張っているのに...!などた喚き散らかしたり、全く関係ないヤツに努力を押し付けるのは絶対にやめて欲しい。
このコロナ禍で分かっただろ、株式市場の相場は底値から既に脱却し、資本家たちの命は早々に守られたものの、多くの労働者が職にあぶれ、貧困に喘いでいるといった混迷でモラルなんて無い時代の中で"頑張る"・"努力"という意味不明な言葉に踊らされのは賢明なことではないと。
本当に今一度努力とは何なのか、なんのために今頑張っているのかということを。そしてその努力に関して他者を過度に介在させずに、自分の力で自分の人生をより良くしていってほしい。これをする人が1人でも増やすことで、ベクトルの間違った努力をすることで自分を不幸にし、更には他人まで不幸にすることを防げる。現代社会が今よりも凄惨なものにならないよう心がけていきたい。これは自戒でもある。
あくまで金をかけてな。
日本の競争は金をかけずとも、努力と工夫でうまくいくんだという牟田口廉也メンタリティの国だから。
金をかけた上で競争させるというのと、経費をケチることだけ考えて競争するというのは天と地の差。日本は後者で、刻一刻と貧困国に近づいている。レントシーカーばかりがでかい顔をして総理近辺に居座るあたりもまるでアフリカの野蛮国。
相手のこと分かってないし分かられてないのは分かるんだけど、本能的、直感的に好き! っていうストーカー精神(幼児的な懐き?)でしかヒト好きになれない。
素で嫌われていても好きなもんは好き。その逆もまた然り(好かれていても一方的に嫌いを持続できる)だから、自分のヒト選びの「趣味」が悪いとどんどん不幸になってゆく、っていう。
↑恐らく、いや間違いなくこれは10代の子供のメンタリティで固定されている証拠だろう。
・
すなわち、親元から巣立つ際に子供が抱く「自分の庇護者 / 同類 / 味方を蔑(ないがし)ろにしてでも、新しい外部刺激を手に入れようとする自立心や好奇心」が、自立後(?)も終わらず持続しているという。味方に感謝する事ができず「面白そうな敵」にばかり媚を売る特性。
これ、常にどこかに親代わりの味方が「居る」がゆえに、その人達に無意識に依存しまくっているって事でもある。
・
この精神性を持つ人間は恋人、結婚相手の事を「味方や庇護者」として認識した途端、そこから自立する為の儀式として普通に「不倫」をする。
例の飛行機でマスク拒否した男性のツイッターアカウントがある。
アカウント名を見ると「マスク未着用途中降機乗客(マスパセ)」とある。
自分でニックネームを名乗っているのである。正直怖気がするよね。
普段のツイートを見ると、えんえんとマスク拒否について話しているのだが、
ちゃっかり露出を増やすためにトレンドネタに乗ったり、日常ツイートなんかもしていて、それにもちゃんと反応がついている。
仲の良いフォロワーからは「マスパセさん」と呼んでいる者も確認できた。
いうまでもないが、この時期にマスク拒否をすることはすごく無意味で馬鹿馬鹿しい選択だ。
マスクによるコロナ予防の有効性は科学的にも明らかであり、つける理由はあってもつけない理由はない。
本人は論理的に説明をしているようだが、論理的に考えれば考えるほど必要なのだ。
それなのにわざわざ拒否するのは秩序を乱し、周りに悪影響を与える以外の何物でもない行為だ。
それなのにこのアカウントをフォローし、いいねやまして慣れ合おうとする者が大勢いるのが信じられない。
今やブログも開設し、マスパセさんがおすすめする商品レビューでアフィリエイト収益も得たりして、ゆくゆくはyoutubeでも始めるのだろうか。
もちろん叩かれてはいるのだが、彼自身のメンタリティは「俺は他人とは違う。同調圧力に屈しない英雄」みたいな感じなのだろう。
叩けば叩かれるほど周りの罵詈雑言に屈するものかという幼稚なヒロイズムに陶酔していく。
今やあらゆる公共機関でマスクを拒否することが彼のアイデンティティなのだ。
こういう勘違いした輩は徹底的な無関心が一番効くはずだが、フォローする人間は一体どうなっているんだろう。
迷惑系youtuberしかり、この社会には罰がないんだよな結局。
立ち直れないほどの罰がなく、支持するアホが無限大にいるので、開き直れば逆に支持者が増えていき成功してしまう。金になってしまう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/77739
みんな大好き初詣も、おみくじ、占い、お盆、クリスマス、バレンタイン、ジューンブライドもみんなスピリチュアルでしょ?スピリチュアル嫌いな人がどうやって折り合いをつけているのか知りたいくらいだよ。
なんとなく、好き嫌いを追記しました。結果結構好きな人になってしまった。
基本的には行かない。好きな人・会いたい友人などに誘われたら行くかも。
嫌い。
話のネタにはなるので友人といて100円ならガチャガチャ感覚で引くかも。
友人と楽しめる場合は好き。
嫌い。ただし占い自体に金を払っているわけではないもの(テレビや雑誌の一コーナーなど)には興味はないが嫌悪感もない。
親族で集まるなどの予定があれば参列はする。親族がいなければ日付もわからないだろう。
休みがあるという点では好き?
チョコレートを食べる日。
スピリチュアルなの?迷信的な意味?知らないしそもそも関係ないので特になし。
そういえば、友人などで「ジューンブライドだから6月にしました」って例を聞いたことがないな。そんなに根強くない?
好きでも嫌いでもないが、ジューンブライドという概念がなければ6月のガチャが花嫁衣装になることもなかったとしたらあってよかった。
基本的に、スピリチュアルに金を払うことに嫌悪感があるので、金がかからなければわりとどうでもいい。クリスマスやバレンタインは食品に金を払っているのであって、神などに向けてお布施をしているわけではない。
あと、「否定すると世間的にやばい」ものは公言しないようにしている。
多分そういう意味じゃないと思うんだけど、「金を払うと願いを叶えてくれる」というのが「神」という言葉に対してあさましくて嫌い。
「並ぶ」「儀礼的なことをやる(手合わせる秒数とかわかんなくて居心地が悪い)」のも好きじゃないなと思った。
存在は信じていないが、単語・定義としては理解できる。賽銭の項目で書いたが、自分自身「神」という単語に神聖性を感じているので自分にもスピリチュアリズムがあるような気がする。
フィクションの概念としての神は好き。現実に存在するとされるならそれは嫌い。
まだ未経験だが、やりたくないし、多分やらないと思う。
嫌い。呪いの手紙みたいな、悪いことで人を縛るのはやめようよ。
家族のをやる機会があればもちろんやる。でも自分のときはやらないでほしいなあ…世間的に難しいだろうか。
個人的に、葬式的なものには何も思わないけど、坊主が嫌い。坊主を呼ばずにやりたい。
見えるとか言い出す人とは距離を置く。他人にそんな話するメンタリティ含めて。
嫌い。
フィクションならなんとも思わないが、実録と銘打っているものは嫌い。
関わらないようにしている。海外には住めなさそう。
勧誘で訪問されたとき、断るときに心が痛いのでなくなってほしいなあと思う。
あと、キリスト教や仏教などそのものの教義や経典にはわりと興味がある。
関わらなければ自分にはあまり関係がないので好きでも嫌いでもない。
関わらないようにしている。
関わらないようにしていても往々にして向こうから接近してくることがあるので、どちらかといえば嫌い。
ほか、何かあったかな?
予定もないしあんまり知らないんだけど、家建てる前になんかやる儀式?も建てる人間が金払うんだとしたらま~~~~じで嫌だなあ。
「死んだお母さんが悲しむよ」という方便的な説得(しかも実際それで立ち直ってしまった人とか)とか、「お米には88の神様がいて~」「バチが当たるよ」みたいに子供を諭すことについてはどう思うのか気になる
実際立ち直れてしまった人にはよかったねとしか思わないが、自分が言われたら嫌だ。生死に関わらず勝手に他者を代弁するなと思う。
お米のやつ、聞いたことがなくて、ピンとこない。教養がないって言われそう。
おそらく、自分を育てた親もこういうのに関心がなくてあまり言ってこなかったんじゃないだろうか。
結婚式の例に漏れず予定はないけど、自分が育てる立場なら子供を諭すときは具体的な理由を明示したい。難しいんだろうけど。
どうでもいい再追記
「〇〇はスピリチュアルじゃない」系のコメントがめちゃくちゃあるけど、発端は最初に引用したブコメを受けてのものなので知らん。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。