はてなキーワード: 震災とは
震災でも風水害でも何でもいいけど、そういう時に必ず出てくる美談の類が嫌い。
阪神淡路大震災の時もひどかったけど、東日本大震災の時はもっとひどい。
今年で4年ということで、また新しいストーリーが生まれてきて、もううんざりする。
そうでもしないと人々の記憶に残らないのであれば、別に震災の記憶が風化しても構わない。
もう思い出したくもないという人も多いだろうに。
当事者だけの間で解決すればいい問題を、なぜ無関係の他人が、憐みの目をもっておせっかいをしないといけないのか。
そういうおせっかいが、かえってニーズに合わなくて無駄になっているケースはいくらでもある。
音楽で留学したのをきっかけに海外に移住した。身バレしたくないので詳細は省略させていただくが、何とか生計を立てながら音楽活動を続けて何年かになる。いつまで経っても完璧ということはないが、それなりに満足のいく演奏もできるようになり、人前で演奏してお金をいただけるようになってきた。
東日本大震災の後、用事で日本に帰っている時にたまたま東北でボランティア演奏する機会があった。
自分が演奏するジャンルは、必ずしも万人受けするものではないが、日本の伝統的な曲を選んで、心をこめて演奏させていだたいた。しかし演奏する時は緊張したし、少し怖かった。
「海外から来たと言って演奏すれば被災者が喜ぶと思ってるのか?」
「そこに残るわけでもない旅芸人ごときに前向きに頑張れと言って演奏されてもねえ」
「震災にかこつけて演奏するのは『役に立った気になりたい』という自己満足なのでは?」
そんなふうに思われるのではないかと思った。それに他にも有名なミュージシャン達が多くのボランティア演奏を行っている。被災地以外で支援金を募るためだったり、東北の現地で被災者に対して演奏をするためだったり、東北の未来を担う若者達と一緒に合同演奏をしたり。そんな人達がすでにいるのに、今更自分のような無名のミュージシャンが東北に出向いて演奏しますと行っても喜んでもらえるものなのか?
しかし実際に演奏してみたところ、意外にも大変温かく受け入れてもらえた。中には演奏を聞いて涙を流していた方もいた。ボランティアの人たちとも話をして、「あまり難しく考えなくていいのではないですか」と言われた。海外からわざわざ来て東北で演奏してくれる人がいるならうれしいものですよ、と。そして被災地で暮らす人たちやボランティアの人たちの色々な苦労を耐え忍びながら長い復興に向けて一日一日を生きていく強さに触れて感動し、私自身が元気をいただいてしまった。
ネットニュースやSNSで流れてくる記事を見ていると、心の疲れが出てきている人たちが増えてきていると言う。終わりの見えない仮設住宅での暮らし、被災者に対する差別や風評被害、行政や東電に対する不満、補助金や補償金での不公平な扱い、等々。特に被災者同士が妬みあったりするのは痛ましいことだ。多くの人は不平を口に出すこともなく、黙って耐えているのだろうが、それも限界に近づいてきているのだろう。
何か自分にできることはないのか、とずっと思ってきた。
たかがミュージシャンだ。できることは限られている。CDを作って販売したお金を寄付する。チャリティーコンサートを開催する。他のミュージシャン友達がやっているように、そういうこともできるだろう。実際自分もそういう活動も少ししている。しかし、実際にまた東北に行って演奏したいという気持ちが私は一番強い。東北に行って演奏することで、何か力になれないだろうか?
もちろん、旅費が一番の問題だ。旅費を稼ぐためにチャリティーコンサートをやったり、CDを売ったりしなければならないのはもちろん、旅費の半分以上は音楽以外の仕事で稼がなければならないだろう。しかしそれだけのお金をかけて、自分のような無名のミュージシャンがわざわざ日本に行って演奏することに意味があるのか。そのお金をそのまま寄付したほうが良いのではないか。
日本に住む親しい音楽仲間にチャットで相談すると、彼女の正直な反応が返ってきた。
「うちらはただのミュージシャンだからできることは限られてるし、何かを解決できないことも多いんじゃないかな。残念だけど。音楽なんて非常時には役に立たないんだし。本っ当に辛い思いしている人に、音楽で元気出して、癒されてって言える?まあでも⚪︎⚪︎(自分の名前)が自腹切って日本に来ようとしてるなら、やればいいんじゃないの?誰に迷惑かけるわけでもないんだし、たぶん聞いてくれる人もいるよ。あ、でもこう言うと、それって自分のためにやってるって感じだけど。。」
確かにそうなのかもしれない。何十万円もかけて日本に演奏しに行って人に聞いてもらうことに、その何十万円を直接寄付すること以上の意味、価値があるのか(自己満足以外に)?
でも心の隅では、必ずしもお金だけじゃないはずだ、と思っている。それに何十万円と言っても、被災地全体が必要なお金に比べればごく僅かなもの。その少しのお金(自分にとっては大金だが)を、東北で出会う人たちと少しの時間を一緒に音楽を楽しんで過ごすために使うことにも意味があるのではないか。
昨日書く話なんだろうけども、翌日に書く。
まあ震災当日は会社に泊まりましたけどね。電車動かないから仕方ない。
震災以後の人との絆が云々はどうも受け入れられなかった。
結局あの震災のあと自分が一番変わったのは「一人の時間を好むようになった」くらいだ。
とにかくあの震災で一番感じたのは「人間いつ死ぬかわからんな」ということだけで、
生きてるうちに自分の時間を大事にしなきゃいけないなと感じた。
それまでは職場のランチ会とかにもいやいや参加していたけれど、
昼休みも自分で一人ゆっくりしたり読書したり疲れていたら寝たりと、
その変わり親密な親友たちと会う機会は増やした。
惰性でなぁなぁの人付き合いをするのに、時間を使うのはもったいない。
震災後の絆云々が薄っぺらいなぁと感じるのは、大した親密さもないものを絆だ絆だと美談に仕立て上げてるからだろう。
震災当日、俺は東京で新しい仕事を始めて2日目が終わった休みの日だった。
最低でも今月と来月までは稼がないと支払いが、といっぱいいっぱいだった。
リアルタイムの映像はまるで現実ではなく映画のようだったと記憶している。
大切な人が流され、大切な家が流され、
片や俺は孤独だった。
俺には大切な人はいなかった。
安否を心配する友人もいなかった。
震災報道は、ただ単に世で起こったニュースのひとつでしかなかった。
お客さんには怒鳴られながら、
自分が情けなくて涙が出るから。そのことにさらに申し訳なくなるから。
心を閉じないとリボ払いが無くならない。
その変わらなさに今気づいて、
ショックと情けなさでまた心を閉じている自分がいる。
被災者の方、本当にごめんなさい。
震災から2ヶ月ぐらい経った時のとある会議でとあるかなり偉い人が
1000年後の震災のために1000年間住まないなんて無理無理。1000年後の人たちが何とかしてくれるよ。
上の子は当時小1(7歳)だから記憶は鮮明だが、下の子は当時3歳になったばかりなので、
それを聞いた上の子は、「あんな大きな地震を、覚えていないとはありえない」と、お風呂の中で兄弟ケンカが始まった・・・
それは兎も角、今の小学校1年生、2007年4月~2008年3月生まれの世代って、震災時に3歳程度だから、
ウチの子は早生まれで「3歳になりたて」だったから、震災記憶もない訳だ。
折角だから、公的研究機関が、「首都圏~東北の、小学校一年生」に、3・11の記憶が存在するかどうか、
大規模児童心理調査をすれば、結構興味深いデータが取れるんじゃないかと思う。
3・11のような「メルクマールとなる出来事」は、幼児記憶研究の格好の題材になりうる。
上の子は当時小1(7歳)だから記憶は鮮明だが、下の子は当時3歳になったばかりなので、
それを聞いた上の子は、「あんな大きな地震を、覚えていないとはありえない」と、お風呂の中で兄弟ケンカが始まった・・・
それは兎も角、今の小学校1年生、2007年4月~2008年3月生まれの世代って、震災時に3歳程度だから、
ウチの子は早生まれで「3歳になりたて」だったから、震災記憶もない訳だ。
折角だから、公的研究機関が、「首都圏~東北の、小学校一年生」に、3・11の記憶が存在するかどうか、
大規模児童心理調査をすれば、結構興味深いデータが取れるんじゃないかと思う。
3・11のような「メルクマールとなる出来事」は、幼児記憶研究の格好の題材になりうる。
福島は、やっぱ入っていないんだな~
会津地方は勿体ないよな...震災後一度行って普通に平気だった。が、放射線って電磁波などと同じで見えないから、頭でわかっていても気が萎える。
震災が起こって4年が経つらしい。それは僕が震災の記憶をうまく処理できずに4年が経ったことを示している。
今、このことを書いてるのは自分の記憶の整理をして、僕と同じように感じなにか引っかかりを感じてる人が、僕以外にもいるのかどうか知りたいからだ。
中学校の卒業式はすごく晴れていたことを今でもはっきりと覚えている。さんさんと注ぐ太陽の下でみんなでわいわいと喋り、写真を撮ったことも。自分の今後を思いワクワクしていた。その鮮やかな記憶の数日後に起こった地震の記憶はなんとなく曖昧で、天気は晴れだったはずだけど記憶の中では、高校入学までずっとどんよりとした天気だったような気がしてしまう。先が見えないことは、卒業したときも同じなのにこんなにも違うものか、と今になれば思う。でも、その時は本当に何もかもが信じられなくて、全てが夢の中の出来事なのではないか、ある日突然何もなかったあの日常に戻れるのではないか、そう思っていた。
地震が起こった日、僕はついに携帯電話を買ってもらってうきうきしていた。その帰り道で揺れが起こった。車が左右に揺れた。通り沿いのトヨタのお店の電気が消え、ガラスが大きくうねっているのが見えた。大変だ。そう思った瞬間にガラスが割れて粉々に砕け散った。
停電によって国道は大渋滞になったので、裏道を使って家まで帰ったけど、崩壊したブロック塀、アスファルトの亀裂から噴き上がる水、校庭の真ん中に避難してる幼稚園、何もかもが信じられなかった。
家に帰れば、棚の中のものはすべて床に散乱し、玄関は割れた花瓶の破片が散らばっていた。泣き叫ぶおばあちゃんをなだめ、とりあえず片付けを始めた。水が出なくなりそうなので、風呂や鍋に水をためまくった。途中から土が混ざり始めたので水を止めた。時折揺れが来ては机に隠れながら片付けをしていても弟がなかなか帰ってこないので迎えに行った。途中で同級生が避難するために荷物をまとめているのに会った。現実感はますますなくなっていった。
夜は早くやってきた。電気がないということはこういうことなのかと思った。石油ストーブがあったので、それで暖をとることができた。TwitterやFacebookを使って連絡をとってたけど、夜には携帯通信が使えなくなっていた。
次の日なにをしたのか、その次の日なにをしたのか、まったく思い出せない。周りの地区を見て回ったりした気もする。
電気が復活したのは3日か4日後だったはずだ。その後親戚の家にお世話になることが決まって3日ほど県内の比較的被害が少なかった地域のお家にお世話になった。このお家で初めて、震災の全体像や津波の被害のことを知った。帰るときにはいろいろな物を買って帰った。
その後は比較的普段通りに近い生活を送って、高校入学を迎えたはずだ。
今思い出しても、非日常過ぎて現実感が無さすぎる。それでも、震災という言葉を聞いて考えるだけで涙が出てきそうになる。これはトラウマなのか?この気持ちは何なのかよく分からなくて本当に対処に困っている。この気持ちに襲われる度に何かしなければ、何かしたいそんなことを思うのだけど、なにも出来ない自分に嫌気が差すことが多い。
震災じゃないぞ、原発事故な。報道も学者も信じられなくなって、かといって勉強もしないから感情とか極論に先導されて、もうガタガタ。右とか左とか、レイシストとか、自己責任だとか。東電の勝俣会長とか、偉い人だけが悪いんじゃなくて、まあ綿々と続いていた日本的な風習が破綻したんだろうな。悪くないのは若いやつらだけだな。
半身まひだそうだ
電話も使えない状態になった今では無理だが
罰を加える事にした
食べるのをやめる
これまで空腹で食べていたが
変化がおなかがすいた感じも奪っていった
そこにいるのがオニでも
それを放り出す状態におちたなら
罰は必要だろう
それでも危害は生じるのだから
私はもう
生きている価値を持たない
自分でそう感じる
私はもう人間ではないのだ
人間ではないのだ
ひとつ、書いておけることがある
だれか、第三者が同席して話をきいてくれないと
私のケースのような酷い事がおきる
私が市役所に願い出たのは
私と親が一緒にいる場所で話を聞いてほしいという事だった
話をきいてもらった後
「相談して、一緒に話を聞いてもらえる」と紙にかいておいたら」
私は株に使い込まれた金を
数千万の金を
普通に考えられる人に、それは判定されなければならない
院長先生はそう言った
それは震災の直前
まだ、いろいろなことを覚えていられた頃
オニになった親が半身不随になる前の話
お願いだ
親であっただれかが死にかけている事を
ニュースで病状を報じられる誰かのように
何年も何年も放置しないでほしい
親を呼びつけて対策をさせる事には
何も意味はなかったのだという事を
はっきり理解してほしい
酷い状態は二度と覆られない
私はもう生きている価値がない
.
3月5日、昨年12月18日に上場したスマートフォンゲーム開発のgumi【3903】が業績予想の下方修正を発表した。新興企業としては珍しい、東証一部への直接上場からわずか3ヶ月足らずのことだ。翌日は260万株もの大量の売りが殺到し、終日値段が付かずに2081円のストップ安比例配分となった。公開価格=初値の3300円からの下落幅は1219円。発行済株式総数が2866万株なので、この日までに349億円もの時価総額が失われたことになる。果たしてこの巨額のマネーはどこへ消えたのだろうか。
その行方を解説する前に、本件に関連して盛り上がっている、ある人物の勘違いを正しておこう。
今回のgumiのようなIPO銘柄のことを、我々個人投資家は「上場ゴール」と呼んで揶揄する。本来企業にとってはスタートであるべき上場時の業績が天井となり、まるで上場して市場で株を売却することを最終目標として頑張ってきたかのような業績推移をしてしまう銘柄があまりにも多いことから、このような習慣が出来た。
その意味では、梅木氏も
VCの観点で「上場ゴール」と揶揄されるのは、明らかに上場後に成長が期待できなさそうな銘柄をVCのリターンのため(ファンド満期なども踏まえて)に上場させたのではないか?というケースといえよう。
ただ、それはあくまでもVCの立場からの話であるらしく、彼の考える一般的な定義では
となっているようなのだが、これは彼の勘違いだ。我々個人投資家も、上場ゴールに対する認識は等しい。上場した後の株価は市場が勝手に決めていることで、会社や経営者の与り知らぬところであり、会社の自助努力によってコントロールが出来るのは業績だけだからだ。
それでは、なぜ上場ゴールはいけないのかという話になるが、IPOやPO(公募増資)を行う際には企業はエクイティストーリーと言って、調達した資金を活用したその後の成長シナリオを投資家に提示している。各投資家にとって大事な資金を入れてもらう以上、これだけのリターンを出してお返しします、だから投資して下さいと言う筋書きが必要で、それがエクイティストーリーなのだ。
特に新興企業の場合、その後の高い成長性を謳うことで、いわゆるPERやPBRと言った株価指標で見て、安定した企業よりも高い評価をつけてもらっているので、上場後のエクイティストーリーの達成度合いはシビアに見られることになる。
そうした観点から言うと、今回のgumiのIPOに際して付けられた公開価格945億円という時価総額は非常に高い期待値が盛り込まれている価格設定だったと言える。同じ時価総額900億円台の企業を見てみると、IT系では電子決済のGMOペイメントゲートウェイや、Twitter、カカクコムなどに投資していたデジタルガレージがおり、他業種ではメガネのJINS、ドトールや洋麺屋五右衛門のドトール日レスホールディングス、化粧品のマンダム、ペンタブレットのワコム、中古車のガリバーインターナショナルなど、一般に知名度の高い中堅企業の顔ぶれが揃う。
そんな場所に乗り込んでいって、國光氏は以下のような発言を繰り返してきた。
本日、東証一部に上場しました。情報革命時代を代表する世界一のエンタテイメント企業になるべく、これからも挑戦し続けます! 20世紀ディズニー、21世紀gumi!w 頑張ります^^
他にも挙げればキリがないし、それぞれのどこがどうだったのかを言っていると日が暮れてしまうので割愛するが、要するに國光氏はこういうタイプの人だと言うことだ。
つまり、業績予想の達成は当然のこと、上方修正を繰り返して倍々ゲームの成長が求められるほどの時価総額をつけてIPOしてきた上、社長が大きな口を叩きまくっていたのに、このような下馬評通りの結果となったことが本件の問題を大きくしている要因の一つなのである。
例えば風俗店に行って、激安店でモンスターみたいな嬢が出てきたとしても、そういうところに行った自分が悪いよなとある程度納得することができるが、最高級のサービスを売り物にした高級店で普段の何倍もの料金を奮発して払ったのに、出てきたのがそこら辺を歩いているようなギャルでサービス精神の欠片も無いとなれば、ふざけるな!金返せ!となるわけで、「話が違う」の度合いの大きさがいかに重大であるかはおわかりいただけるだろう。
また、國光氏は1年前に自身のフェイスブックで以下のように発言している。
日本のIPOマーケットは異常。不健全すぎる。企業もVCも証券会社もIPOすることだけが目的になってしまっている。IPO後2年間は少なくとも売上くらいは右肩成長ができる確信が持てるビジネスモデルの熟成、組織力が出来てからでないとIPOすべきでない。
ギャンブルに明け暮れるデイトレイダーを増やす政策も大反対。短期売買で個人投資家が勝てるわけがない。基本は投資信託に任せるか、長期保有しかない。こういう状態を焼畑農業という。絶対に長続きしない。日本の成長の為には健全な資本市場の形成が必須!
とても長期保有するに耐えない、過去最大級の焼畑農業をやって健全な資本市場の形成を阻害した國光氏に対するペナルティとしては役員報酬の100%削減だけでは足りないのではないか。仮に資金の出処がグリーからの4000万円の借り入れだったとしても、売出で得た数億円の返還を要求されても仕方ないぐらいの特大ブーメランだと言える。
これによるとNEXT BIG THING出資分はグリーから借り入れてますね
同じように華麗な上場ゴールを果たした最近のIPOだと、ANAPと夢展望のアパレル2銘柄が代表格になるが、いずれも上場の規模が小さく、公開価格に対して投資家が高すぎる初値をつけてしまったことが問題であり、この場合はバカな高値で買った投資家の方が笑いの対象となることが多い。それに対してgumiの場合は、公開価格を上回ったのが上場初日だけと言うのが全てを説明している。
だから我々個人投資家は、こうした背景を勘案して、この「gumi」というIPOにおいて、上場後3ヶ月で下方修正を出すと言うのは言語道断であり、金融危機や大震災が起きるなどの事故でもない限り、いかなる論理を持ってしてもgumiや代表の國光氏を擁護することはできないと糾弾しているのである。
もう一つ、本件で私が許せないのは、上場後に買った全ての投資家が大きな損失を出しているこの銘柄で、莫大な利益を挙げた少数の人々が存在することである。
先述した通り、gumiは2014年12月18日にIPOし、その公開価格は3300円だった。ところが、上場に際して提出される目論見書を見てみると、IPOの3ヶ月前の9月24日にLINEが1362円で、半年前の6月と7月にはVCのWiL、ジャフコ、B Dashベンチャーズ、新生企業投資、三菱UFJキャピタル、DBJキャピタルらに加え、グリーとセガネットワークス、gunosyの前代表であった木村新司氏が1214円で増資に応じており、その総額は83.2億円にものぼる。余談ではあるが、木村氏はこの時点で住所がシンガポールになっている。
私は単なる個人投資家なので上場に関わる実務のことは全くわからないが、普通、上場準備や上場審査にはそれなりの期間が必要だと思われるため、半年前のタイミングはまだしも、LINEが増資に応じた3ヶ月前の時点ではほぼIPOすることが見えていたのではないかと言う疑念が残る。一般的にベンチャー投資はリスクが高く、投資回収も長くなると言われているが、仮にIPOという出口がほとんど確実に見えていたとしたら、これほど美味しい投資はない。勝つことを事前に知らされている馬の馬券を買うようなものだからだ。
それに加えて、IPO前とIPO時では3倍近くの価格差がついていた。時価総額が10億円の超小型株ならいざしらず、わずか数ヶ月という短期間の間に企業価値が340億円から945億円に急増する合理的な理由がこの世に存在するのだろうか。既存株主は上場に際して1036万株、総額342億円の売出を行っている。この大規模な「利食い売り」は、主幹事の野村證券によって全国の個人投資家に売り捌かれ、既存株主は莫大な利益を手に入れた。
梅木氏の言うように「VCにとっては上場は一つの大きなゴールであることは明白」と言うのは一面では正しく、再生案件ではない成長企業のIPOでこれだけ大規模な売出が行われるのは異例ではあっても異常とは言い切れない。
だが今回、業績後退の兆候が上場前から既にあったことが決算資料によって明らかになっている。gumiの上場承認が降りたのは昨年11月14日だが、gumiは4月決算なので、この時点で既に上半期(10月末)が終わっている。先日出された決算資料のグラフ(http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=ir_material_for_fiscal_ym&sid=14373&code=3903)を見れば一目瞭然だが、第一四半期(7月末)までは急激に売上高が伸びていたが、続く第二四半期(10月末)ではなんと売上高が減少に転じているのだ。
公開価格は上場承認を受けた後に決定されるので、その時期にあたる11月の後半には、会社も主幹事証券も第二四半期の数字を当然把握していたはずだ。従って、第一四半期までの飛ぶ鳥を落とすような売上高の伸びが更に続くことを前提とした業績予想、及び公開価格をつけることは出来なかったはずである。
更に言えば、今回下方修正をすることになった第三四半期は11月から1月なので、上場した12月18日にはその半分が経過しており、日々どころか1時間毎の売上の変動にも気を配らなければならないスマートフォンゲーム運営の会社であるならば、計画値の達成が困難であることは覚悟できていたに違いない。そうしたことを踏まえて上場前後の國光氏の発言を見ると、また違った見え方が出てくる。
こうした事実を無視して、時価総額ありきで直前の増資価格から3倍近くに引き上げての高値でのIPOを強行した野村證券の行為は問題視されて然るべきであるし、数百億円もの大金を一般投資家から合法的に搾取した金融大量殺人をやったのだから、担当者は当然クビにした上で、新規の引受の一定期間停止などの厳しい措置が取られるぐらいのことはして欲しいと個人的には思っている。逆に、公開時の価格が妥当であったとするならば、gumiはお世話になった方々を儲けさせるための「お友達ファイナンス」をやったと批判されても仕方ないのではないか。
このような極悪非道によって、大量の個人投資家の屍の上に黄金の宮殿を築いたVCの人々は、今どのような気持ちでいるのだろうか。あるいは我々個人投資家のことを、賢く儲けている自分たちの側に来れない資本市場の敗北者だと見做しているのかもしれない。ただ確実に言えることは、私達は決して梅木氏が考えているような無能な個人投資家ばかりではない。このようなことが行われた事実をきちんと理解しているし、記憶してもいる。真に日本のベンチャー業界を盛り上げたいと考えているなら、このような行為が長期的にどういう結果をもたらすかについて、もう少し想像力を働かせて欲しい。
それはさておき、私が今危惧しているのは、ベンチャーキャピタル業界の人々が新たに見つけてしまったかもしれない巨大な金鉱脈の存在である。それがアプリ市場だ。
gumiは上場前にも数度の巨額な資金調達をして度々話題をさらっていたが、その資金が何に使われたかと言えば、主に「テレビCM」である。それまで「テレビなんてオワコンだ、これからはネットだ」と言い続けてきたベンチャーの人々がテレビCMの価値を再認識したのは、恐らくガンホーのパズドラの記録的なヒットによるところが大きい。ガンホーは多額のテレビCM予算を、しかし効果的に投入することによってゲームアプリの市場を全国津々浦々に広げることに成功。その結果、パズドラは老若男女が遊ぶ国民的ゲームの地位を築き上げた。
またアプリ市場のもう一つの特性として、公式ストアでのランキングが非常に重要であることが挙げられる。毎日無数にリリースされるアプリの一つ一つを見ていくことなど不可能なので、多くの人はランキングを頼りに新たなアプリを探している。そのため、一度ランキングの上位に来るとしばらくはランキング効果によってダウンロードされて更にランキングが上がるという好循環が生まれやすい。
だから、一時的には大きな出費でも、ある時期にまとまった広告費を投下してランキング上位を手に入れてしまえばその後が戦いやすくなる、と言うロジックが経営戦略上有効になり、今となってはそれをしなければそもそもアプリの存在を認知してもらえず勝負にならないというところまで来ている。
ただ、いかに広告費を使ってダウンロード数を稼いでも、そのアプリそのものに魅力がなければいずれはユーザーが離れて行く。なので、大事なのは瞬間的なダウンロードの勢いや累計のユーザー数ではなく、どれだけ多くのユーザーが定着したかという指標になるはずだが、それが明らかになるまでには若干のタイムラグが有る。
腐ってもテレビなわけで、テレビCMを打ち続けている間はユーザーが結構な勢いで伸びていくため、広告費さえ出せれば一時的には会社が急成長しているイメージを作り出すことができる。もちろん、その器となるアプリを最低限作り出す開発力は問われるし、ゲームアプリであればきちんと課金させる運営力も必要になるが、集めたユーザーを長期に渡って定着させ、かつそうしたヒットタイトルを複数生み出していくことに比べれば遥かに容易い達成目標ではあるだろう。
穿った見方かもしれないが、今回のgumiの上場ゴールが、会社、投資家、主幹事が結託してこのタイムラグを悪用することで生み出されたものなのではないか、という疑念はどうしても残る。それを拭い去るには、この後の圧倒的な再成長という結果によって上書きしていくしか術はないだろう。
続き gumiという錬金術に群がった人々と、日本のスタートアップ業界の暗部【2】http://anond.hatelabo.jp/20150308224002
神聖かまってちゃんの「23歳の夏休み」という曲を今年度通じて聞いていた。
特に今年度の夏休み(といっても実際に取得できたのは10月だったが)では何をするにもその曲を口ずさんでいた。
「23歳に〜なっちまったと〜」の部分は特に自分のお気に入りで、それこそシャワー浴びるときなんかは近所迷惑顧みず大声で歌っていたのだが
もう23歳どころじゃない、24歳なんですね。九十九里浜に叫んでる場合ではない。
きっと来年の25歳になるときにはまさしく「アラサー」であり、今日どころの憂鬱感、切なさではないのだろうけど
いや嘘だ。あのときは楽しくなかった。
終日「今日は自分の誕生日だ」ということを意識しながらも塾講のバイトをこなし
やっと終ったものの特に予定もなく、ファミマでファミチキを買って帰った。
確かあのときは前年の反省を踏まえて、自分で誕生日会を開いた。
星飛雄馬の誕生日会のようになってしまうことも危惧したが、案外自分には人望があったらしくそこそこの人数が集まった。
あれは楽しかった。3日後に震災が起きなければ更に良かったのだが。
地方大だったので、東京に単身赴任してる親父のところに赴き、就活のアドバイスを貰う体で飯をおごってもらった。
確かジョイフルのステーキだったと思う。あのときは就活のことで頭がいっぱいだったが、何故か誕生日だけは意識しながら行動していた。
一緒に旅行した友人から海外サイズのコンドームを貰った記憶がある。多分部屋を探せば未開封のまま出てくるだろう。
何故未開封かというと、使う機会がそもそもないというのもあるし、かなり嬉しかったからだというのもある。
もしかしたら両親以外から誕生日プレゼントを貰う体験が初めてだったからかもしれない。
何かがあった気がするけれど。
働き初めてから一年が早い。メイド・イン・ヘブンのようだ。
体感寿命の折り返しはいつだったか。そろそろ折り返し地点のような気もする。
学生時代の記憶は光り輝いているが、働き始めてからはそもそも記憶がそんなにない。
今日は合コンだった。もちろん合コンの面子には誕生日であることは伝えていない。
そんなことを言っても生暖かい「おめでとう」を言われるだけだ。
いや、嘘です。言いました。そして事実生暖かい「おめでとう」を頂いた。
俺は何がして欲しかったんだろう。
帰りの電車の中で推定40代のオッサンがミスチルの「Tomorrow Never knows」を聞いていた。
少なくとも一定の社会地位を得ている(ように見える)お前より、俺の方がよっぽどTomorrow Never Knowsだよと思った。
我ながら理不尽な思いだが、思ってしまったものはしようがない。
そして来年は25歳だ。
テレビやら新聞やらが、東日本大震災振り返りシフトに入っている。
被災地の今も伝えられている。
復興への道程は今どのぐらいか、という切り口のものを多く見かける。
地震のあった年には、まだ、たまに、以前と同じ町には戻らない、とか、
元々緩やかに消滅に向かっていた町の、消失が突然訪れたんだという論調も見かけたのだが
最近はそういうのもあんまり見かけない。埋もれてるだけかもしれないけどさ。
東日本大震災の被災地が復興する、というのが、どういう状態を想像しているんだろうか。
その辺のイメージが、イマイチ良く見えてこないのが、何ていうか偽善的で気持ち悪い。
震災の半年後ぐらいから去年の始めぐらいまで、ボランティアで、ある町に、2月に1度通っていたのだが
地元の人と話していても、そういう「どういう状態にまでしたいのか」と言うイメージが伝わってこなかった。
そういうもんなんだろうか。そのように、ある程度共通のイメージを持たぬまま、カオスに詰み上がっていくのかな。
それはそれで、悪くない感じもしないでもないけれど。
東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルのサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金で海外サークルのメンバーを日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体は東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。
当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベントに賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係は一方的なもので、単にサークルの機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為の問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体の代表から「書籍を被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。
サイトの報告によると、2011年4月に最初の活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外のサークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである。東北を縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。
この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外のサークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体が運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所の地域の図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体の東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。
これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表からの手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍をサークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍を図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれる場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身の図書館に倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。
宮城県での活動というのは、このボランティアイベントの参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県のサークルが震災後の自身の活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体のメンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから、福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県が東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。
少し話は変わるが、2011年の10月ごろだったろうか。私は当団体の活動に関わっている主要なサークルメンバーのブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館の運営・管理に携わっているという或るメンバーのブログが目にとまった。
そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログの記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログの記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報は錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターのアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本は核武装を目指している」などの字面が踊っていた。
この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学の大学院において科学史や科学哲学を専攻していたらしい(名前で検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館の運営・管理に携わるほか、海外メンバーの通訳や書籍の翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからはサークル入会当初から理知的な存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論がサークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである。
ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバーの名前はイベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーがイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログやツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントのメンバーが海外のメンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実が個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。
2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手に東北を縦断するようなイメージを想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地で活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体が活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。
とはいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金や書籍の使用用途はサークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館に書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。
件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ、不正選挙についてのブログのリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相は福島入りをしていないというフェイスブックの記事までリツイートしていたりする(なんでも福島の水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会の形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県の農産物は安全ではない」というリンクをツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。
5個入りのお菓子があってその場に5人いれば、普通は「自分にデフォルトで許された取り分は1つで、それ以上食べたければ場にいる人との交渉が必要になる」という意識が働く。
大皿に盛られたおかずがあってその場に2人以上いれば、普通は「その場にいる人全員が一定量を食べられるよう見計らいながら食べる。独り占めをしてはいけない」という意識が働く。
どうやら世の中にはこの単純明快な機能を身につけていない人が相当数いるようである。
この手の話で最も有名なエピソードとして挙げられるのは「震災のおにぎりの話」であろう。
被災した4人家族の一家に、ひとり1個ずつ合計4個のおにぎりが配給された。ところが一家の父親は4個のうち3個を妻子の前であっという間に平らげてしまった。困惑した妻が「私たちの分は……?」と尋ねると、ようやく残り1つを「食べる?」と差し出したという話で、真偽は不明だが「震災離婚の原因の一例」としてネット上では広く流布されている。
同種の話はネット上には枚挙に暇がなく『大量に作り置いた好物の唐揚げを、突然訪問して来た彼氏に有無を言わさず大半喰い尽くされたので別れた』『食事に行くと、割勘なのに出て来る料理の大半を彼氏が食べ尽くしてしまう』『大皿でおかずを出すと、夫が他の家族の分を考えずおかずの9割を食べる』『夫が戸棚に隠していた子供のおやつや誕生日ケーキを勝手に食べて子供を泣かせた』等、様々なシチュエーションでこの手の被害が報告されている。
先天的にそのような気質の持ち主なのか、躾や教育の関係でそのように育ってしまったのかは判然としないが、この病に罹患しているのはどういう訳か圧倒的多数が男性のようだ。
「男児は『好きなだけ食べなさい』と甘やかされやすいのでは」「逆に兄弟の多い家庭で食べ物を取り合って育ったので食物に執着しやすいのでは」等、理由については色々と推察されているが、性差以外ではハッキリ断言できるほど大きな共通点は挙げられていない。
強く非を指摘されることで行動を改める場合と全く改まらない場合、親しい人間に対しては症状を顕すが公的な場では通常通り振る舞える場合等、予後や症状の出方についても様々である。
前述のような被害報告が話題に上る度「自分の身近にもこういう輩がいる」というコメントは相次ぐが、この病を持った当人の意見はあまり聞かれることがない。稀に見られるコメントとしては「無意識についやってしまう。よく家族に怒られるし悪いとは思うが改められない」というもので、本人にはあまり病識がないのかも知れない。
何故彼らがこのようなことをしてしまうのかについての思い当たる原因、どうすれば症状が改善されるかについての予想や体験談等、ご存知の方はご意見をお聞かせ頂けると幸いである。
実際、
メンヘラは自己啓発本とか読んだり、知識を増やせば治るからな~。
メンヘラを治す唯一の方法は、考え方を変えたり、無知さを少しでも無くして教養を増やすことで、
知識は努力によって増やすものなので、ある意味、甘えなのは言えている。
それをしたくない人間が、薬に頼ろうとするけど、
薬では根本的に治らない。それを医者は病気ではないというんじゃないかな?
自己啓発系っていうのは、だいたい、自分の愚かさを反省する様に促すから、
だから、拒絶する。
自分の考えを変えようとしないし、自分が正しいと固執する人間が、
メンヘラを長期化させる。
自分に直す意思(変わる意思)があれば、思い方ひとつで治るのがメンヘラ。
癌とか、白血病とか、こうしたものは自分の努力では何ともならない。
しかし極度のストレスを受けた人(例えば、幼少期に親からの虐待を受ける、震災により家族や家が失われた等)は、治るまでに時間が掛かるのは確か…。
5時にラジオが入り、NHKの特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイのオーストラリア人の青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイの青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイの青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。
そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキンの場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報や感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日の市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹が美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。
「充分に書く」「気が済むまで書く」ことなど最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙な感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数の時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。
わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫の文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面の構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期の若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。
極度に飽きっぽい自分の性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常の時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。
それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)
しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書きや関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。