震災が起こって4年が経つらしい。それは僕が震災の記憶をうまく処理できずに4年が経ったことを示している。
今、このことを書いてるのは自分の記憶の整理をして、僕と同じように感じなにか引っかかりを感じてる人が、僕以外にもいるのかどうか知りたいからだ。
中学校の卒業式はすごく晴れていたことを今でもはっきりと覚えている。さんさんと注ぐ太陽の下でみんなでわいわいと喋り、写真を撮ったことも。自分の今後を思いワクワクしていた。その鮮やかな記憶の数日後に起こった地震の記憶はなんとなく曖昧で、天気は晴れだったはずだけど記憶の中では、高校入学までずっとどんよりとした天気だったような気がしてしまう。先が見えないことは、卒業したときも同じなのにこんなにも違うものか、と今になれば思う。でも、その時は本当に何もかもが信じられなくて、全てが夢の中の出来事なのではないか、ある日突然何もなかったあの日常に戻れるのではないか、そう思っていた。
地震が起こった日、僕はついに携帯電話を買ってもらってうきうきしていた。その帰り道で揺れが起こった。車が左右に揺れた。通り沿いのトヨタのお店の電気が消え、ガラスが大きくうねっているのが見えた。大変だ。そう思った瞬間にガラスが割れて粉々に砕け散った。
停電によって国道は大渋滞になったので、裏道を使って家まで帰ったけど、崩壊したブロック塀、アスファルトの亀裂から噴き上がる水、校庭の真ん中に避難してる幼稚園、何もかもが信じられなかった。
家に帰れば、棚の中のものはすべて床に散乱し、玄関は割れた花瓶の破片が散らばっていた。泣き叫ぶおばあちゃんをなだめ、とりあえず片付けを始めた。水が出なくなりそうなので、風呂や鍋に水をためまくった。途中から土が混ざり始めたので水を止めた。時折揺れが来ては机に隠れながら片付けをしていても弟がなかなか帰ってこないので迎えに行った。途中で同級生が避難するために荷物をまとめているのに会った。現実感はますますなくなっていった。
夜は早くやってきた。電気がないということはこういうことなのかと思った。石油ストーブがあったので、それで暖をとることができた。TwitterやFacebookを使って連絡をとってたけど、夜には携帯通信が使えなくなっていた。
次の日なにをしたのか、その次の日なにをしたのか、まったく思い出せない。周りの地区を見て回ったりした気もする。
電気が復活したのは3日か4日後だったはずだ。その後親戚の家にお世話になることが決まって3日ほど県内の比較的被害が少なかった地域のお家にお世話になった。このお家で初めて、震災の全体像や津波の被害のことを知った。帰るときにはいろいろな物を買って帰った。
その後は比較的普段通りに近い生活を送って、高校入学を迎えたはずだ。
今思い出しても、非日常過ぎて現実感が無さすぎる。それでも、震災という言葉を聞いて考えるだけで涙が出てきそうになる。これはトラウマなのか?この気持ちは何なのかよく分からなくて本当に対処に困っている。この気持ちに襲われる度に何かしなければ、何かしたいそんなことを思うのだけど、なにも出来ない自分に嫌気が差すことが多い。