自分もそこにいたら津波で死んでしまうという極限状況だし、私も同じように行動するんだろう。でも、
災害時、助けを求めていたり一人にしないでと言ったりしている身内がいて、でも自分一人では救出不能で相手を置き去りにする時、私は「ありがとう、大好きだよ」とは言えない。
あなたはここで死ぬ、と死の宣告を一方的にして、絶望と孤独を与えることになると思うから。
「言い残さない」という行為はつまり死の認識を意味するのだから。
たぶん最後だから伝えたいことは言葉にしておくというのは、言えなくなるから言っておきたいという自己の都合のほうが大きい気がする。
もし相手も死を覚悟しているという場合なら、お互い最後のコミュニケーションとして言うかもしれない。その場合は相手はむしろ私の言葉を聞きたがっていてお互い言い残さないことを望んでいるかもしれないから。
私も苦渋の決断で相手を置き去りにするだろう。その時は、無言か、何か別の言葉なのか、わからないけど。相手の助かりたい意思や言葉に対して、Yesと言うことはできないし実際の行動としても置き去りにはするんだけど、Noと宣言はできないよ。
歯を食いしばって無言で置き去りにするかな。無言の内に0.0000001グラムでもいいからのぞみを持って。
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追記:
考えてみたら、私はくだんの記事の言葉をつい別れの言葉だと解釈してしまった。
とても力強い「あなたを大好きだ、生きよう、助かろう」という励ましの言葉の可能性を忘れていた。そのせいで、すごく断絶のある会話のような印象を与えてしまった。その点、申し訳ない。
1つ思い出されることがあって、以前読んだあるエピソードだけど、そこで似たような解釈をしたのだった。
記憶も定かでないので作り話かもしれないけど、災害で重い物の下敷きになったわが子を、本人の意識はあるんだけど助けられない・助からないと思って、親が写真を撮るか何かしたといった内容だった。詳細はだいぶ違うと思うけど、私はそれを本人の目の前で生きているうちから形見を作る行為だと解釈した。そのとき子供の側から見たらどれほどの絶望があっただろうと思ったのだった。自分を諦めて思い出作りする親を見て断絶を感じなかっただろうか。私は自分本位さを感じた。黙ってそばにいてあげてと思った。そのほうがましと思った。繰り返すけど、ただの作り話だったかもしれない。あったら嫌なエピソードとして記憶していた。
相手が「行かないで、そばにいて」って言っているのに無言で置き去りにできるかな。 自分はムリだわ…。
安心しろ、あの糞女も別に「ありがとう」なんて言ってないし、母親が何言ったかも全て闇の中だ。 ただの震災商法だ。