はてなキーワード: 自力とは
現在ウマ娘プリティダービーの中で行われているイベント「目指せ!最強チーム」の評判がすこぶる良い。
なぜこのイベントはこんなに評価されているのだろうか?今までのイベントとはどこが違うのか?
自分の殿堂入りウマ娘の中から一人チームリーダーとなるウマ娘を選ぶ。
そこに固定のモブキャラ6人を含めたチームが与えられる。
他のプレイヤーと非同期でレースを行い、自分のチームのウマ娘が一着になると勝利。
勝った場合はスカウトポイントが与えられる。このスカウトポイントを使って相手チームのウマ娘をスカウトし、自分のチームのウマ娘と入れ替えることができる。
つまり、レースを行うごとにチームを強くしていけるということだ。
・チームリーダーは自分の殿堂入りウマ娘の中から毎試合選ぶことができる
・ウマ娘ごとに、チームに含めた状態でレースに勝利すると名簿登録される。名簿登録された人数に応じて、レース中のステータスバフ、勝ったときにもらえるスカウトポイントに倍率がかかる
・レースの内容は3戦ごとに変更、先のレースのスケジュールも見ることができる
1.育成周回させるイベントではない
これが今までのイベントと最も違う点。
今までのイベントは、すべてひたすら育成を繰り返させる内容だった。
しかも、サポカ縛りや因子縛りなど、何らかの縛りをさせられた状態で育成させられることが多かった。(毎月行われるストーリー付きのイベントは、さすがに縛りが以前よりもマシになったが)
これにより、対人戦用の育成や、因子狙いの周回と兼ねることが難しく、ただ育成のための育成をしているといった有様だった。
ウマ娘の育成はソシャゲとは思えないほどプレイ時間がかかり、イベント専用の周回を煩わしく思うプレイヤーも多かった。
今回のイベントは殿堂入りしたウマ娘をレースで走らせるだけであり、何ならイベント中に育成をしなければいけない必要もない。
上手く育成することが出来たウマ娘に活躍の場を与えることができ、喜んでいるプレイヤーが多い。
対人戦であるチャンピオンズミーティングは、ゲーム内資産及びゲームにかけた時間が露骨に結果に現れるため、嫌うプレイヤーも多い。
今回のイベントは、概要で説明した通り、別のチームからウマ娘をスカウトすることができるため、強いウマ娘をスカウトすれば強いチームを作ることができる。
今年ゲームを始めたようなプレイヤーや無課金のプレイヤーでも、イベントの報酬をすべてゲットすることは難しくないだろう。
このため、不満が出にくいイベントとなっている。
2とは相反するが、それを踏まえた上で、ゲーム内資産が有利に働く場面もある。
自分の殿堂入りウマ娘から選ぶチームリーダーは毎レース変更することができるため、レースに応じた強いウマ娘を多数所持しているプレイヤーほど有利になる。
また、名簿登録のシステムがあるため、単純に全ウマ娘持っているプレイヤーであれば、スカウトに頼らずに自力で名簿を埋めることができる。
このように、今までの課金が有利に働く部分もちゃんとあるため、廃課金プレイヤーからも不満は出ていない。
4.育成に誘導している
育成を強制させられるイベントではないにも関わらず、育成したくなったというプレイヤーが多数いる。
筆者も、殿堂入りウマ娘の中にテイエムオペラオーとスーパークリークがいないことに気づき、あとから育成しなおしてイベントに参加させた。久しぶりに育成したスーパークリークは大成功で、満足することができた。
このように、育成のモチベーションを高めることができたのは、育成イベントではないからこそである。
○今後の展望
では、このイベントを毎月定期的に行えば良いのだろうか?
どんなイベントでも続けば慣れてしまい、解析も進んで最適解が決まってきてしまい、やらされてきている感が出てきてしまうだろう。
今後、このイベントのように、今までのイベントの不満点が解消された内容の新しいイベントを投入することができるかが肝要だと思われる。
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
犯人が今回暗殺に必要だったパーツを揃えるのって全然簡単じゃなくね?
犯人は体格を見るに2年ぐらいぶっ通しで筋トレなり肉体労働なりをしてる。
これは案外簡単じゃない。
その証拠に日本中にヒョロガリやデブが溢れており、彼らの7割ぐらいは「復讐のために筋トレだ!」と思い立っても3日で辛くなってやめるだろう。
鉄パイプにダクトテープが巻き付いたようなハンドメイド銃を見て多くの人は「こんなの俺でも出来る!」とか「3Dプリンタ銃の方がまだ精巧だ」と勘違いしている。
だがあれを作るのは決して簡単じゃないし、少なくとも3Dプリンタで作れるようなゴム鉄砲の延長みたいな銃ではまともな散弾は発射できないだろう。
銃そのものを作るのに最も障害となるのがトライ&エラーの機会だ。
火薬を使うという性質上どうしても発射する場所には気を使う必要がある。
銃の練習だけならアメリカでやればいいんだろうが、その経験を手製銃にそのまま活かせるわけもないし、銃の性能テストをする必要もあるのでどうしても本番前に実射撃が必要になる。
山の中で猟師の振りをして撃とうにも、見たこともないような銃を使っていれば自然と目立ってしまうだろう。
猟銃をそのまま使えば問題は解決しそうだが、今度はその形状で警戒されてしまう。
暗殺に丁度いい大きさで、かつ命中率と殺傷力を両立したいなら犯人が使っていたのが限りなくベストだと言えるだろう。
結果を見た自分たちは既に正解がわかっているわけだが、それを自力で見出していく道を簡単とは言えないのではないだろうか。
今回、暗殺成功における最大のファクターは「警備が手薄なタイミングで実行に移したこと」なのは間違いないだろう。
本人と装備の準備はたしかに立派なのだが、ほとんど警戒されずに後ろから近づいて悠々と2発目まで発射できていなければ殺し切ることは不可能だっただろう。
ネットやTVではSPの無能がしきりに叫ばれるが、そもそもSPの人数が4人ほどいれば誰かは後ろを警戒していただろうし、その場合は発射方向をキチンと把握してカバンを構えることで2発目は防がれた可能性が高い。
そもそも1発目を撃つときの体制や狙いをつけるときに障害物を意識する必要なども生じるだろうから成功率は大きく下がる。
結果だけ見れば最後には運が大きく作用しているのだが、それを引き寄せたのは本人の忍耐力だと私は思っている。
「実行に移そうとしたが、奈良以外では近づけなかった」というのを多くの人は奈良県警の純粋な無能としてばかり評価するが、ここをもって犯人の忍耐力についても一考するべきだ。
銃をカバンに仕込んで移動すること自体がリスクを伴うことを考えると、結構直前に作成成功率を鑑みて撤退できるのはかなり冷静な判断力がいる。
そもそも普通は持っていれば即捕まるよな物をカバンに入れて警備された地区に近づくだけで心拍数が上がりきって判断力がなくなるはずだ。
覚悟のない人間であれば、こうして近づいた段階で満足してそのまま復讐をやめ、自分だけが知る小さな勝利だけを持ち帰って満足しているだろう。
ないしは何度も危険な状況に挑戦するのを嫌って玉砕覚悟で成功率を無視して行動に移し、脅しをかけただけで勝利だと満足しながら刑務所に入るやも知れない。
だが今回の犯人は冷静さ・忍耐力・覚悟・信念などをあまりに多く持ち合わせていたがゆえに、次なる機会を伺い暗殺を成功させている。
犯人像の英雄化を防ぎたいだとか、社会的地位の高い人間の恐怖心を煽りたいだとか、とにかく騒ぎたいだとか、そういう理由から今回の犯人が揃えた手札の質と量を過小評価する傾向があるように思えてならない。
正直、よっぽど頭がプッツンしたからといってここまで出来る人間は日本人全体の1%程度なんじゃないだろうか?
そもそもその1%の人間はその能力を持って人生をコントロールしてプッツンすること自体を防ぎ切る可能性が高いだろうし、もしも頭がプッツンしても99%の人は冷静になって途中で辞めるだろう。
針の穴を通すレベルで不運と能力と偶然が無数に重なってようやく起きた極めて稀有な事例に思える。
もしもこれが「酔って暴走したトラック運転手やプリウスミサイル老人に元首相が撥ねられて死んだ」という事件であるのなら、「暗殺簡単すぎるだろ……」と私も怯えたに違いない。
だが今回の事例を簡単と呼ぶのは違うように思える。
別にエロ絵を公共の場に出すなってのに反対する奴はそんなにいないわけだ
宇崎だのたわわだの「どこがエロなの?」って反論に真摯に向き合わずにごり押しする姿勢が表現規制とみなされ距離を取られたことを理解した方がいい
自民大勝は安倍の事件で維新から自民に揺れ戻っただけだが、そもそも右派を切り崩せてないどころか諸派に切り崩されてんじゃんwww
なんでそうなったか。表現の自由をないがしろにしたからだよね?ガーシーおめでとう!れいわもよだかれん落ちてよかったわ~共産党哀れで草
そもそもフェミなんて票にならないどころかフェミを前面に押し出したら票が逃げるんだよ。フェミなんざ自民に入れるわけないんだし数もそんな多くないんだから切り捨てればいい
女さんたちが自力でフェミニスト党でもつくればいいじゃん。入れるわけないけどwww
宇崎だのたわわだのわめいた迷惑な存在のまま立憲共産にすり寄り自民をアシスト。夫婦別姓も同性婚も遠のきました~ご苦労さんw
おまえらはまず理解を得るための努力をしろよ。単なるお気持ちベースだからあっという間に論破されて、でも引き下がれないからごり押しする。そんなフェミを重用する政党はいらないですね。
まぁ俺的には結果として専門学校で良かったなとは思ってるけどね。
現場の一流の人が講師としてきてくれたりして、いろんなお話聞いたけど、
あー社会ってクソだなって思ったのがいい思い出。
実際その後も運が良かったことが沢山ある。
自力でサバイブしたというより、人生の節目でいい波が来てくれたという方が近い。
でも驕った言い方をするけど、いついい波が来てもいいようにという努力は気をつけてしていたつもり。
努力が報われるわけじゃないけど、チャンスが来たときに掴みそこねないようにということは考えていた。
多分山上容疑者がいつか来るかもしれないと思っていたのは、復讐を決行する日だと思う。
多分その差。
世代全体の話は知らん。
犯人は自力で銃を作る能力も才能もあり、銃撃を成功させるだけの計画性も実行力もあったけど、派遣しか仕事がなかった。
かなりの人がトロコンまでやってるし、
遊び尽くせるゲームバランス設定のよさがよくわかるゲームだった
100てんまんてんじゃなくてもちろん不満もあるけどね
ほんとはトロコンせずに真エンドみたら終わりにするつもりだったけど、
真エンドみるためのラスボスの最終形態が倒せなくて結局トロコンにつながるようなアイテム取り残しとかを全部やっちゃったからなー
移動スキルじゃなくて攻撃のついでに移動もするスキルを使わないっていうのがちょいちょいあるのが地味に面倒だった
あとやり残しマップがわかるのはいいけど、ミニマップがないのはダメだな
アベノミクスで格差拡大してコロナでさらに飲食がぶん殴られた結果、パパ活という名の売春があまりに一般化しすぎてつまらんくなったんだけど anond:20211212232101 から惰性で書いてみる
① 月1@4
自力でお金を稼げるのにエレクトラコンプレックスで年上の男に甘える手段として売春してる
高級旅館シャトーラトゥール飲ませる高級パパがいるにもかかわらずちんちんの相性で私にも安く抱かれる性格よいこ
② 月極め10
賢いから一人暮らしが云々とお金が必要な理由を表向き整然と説明するけど
見え隠れする親との関係を含めた心の闇
とりあえず周囲の男どもを学力でぶちのめし続けた優秀女子に低学歴ちんちん突っ込めるのは超快感
③ 月2@4
上京してきて学問を追う生活をするにはお金が足りなくてパパ活という名の売春に手を染めた
ミニグラマーで感度もよいし化粧下手だけど顔立ち自体は整ってる
付き合い始めた頃は男慣れしてなかったけど最近はピル飲んでて生中出し大会フェラもめっちゃ上達鍛えがいある
とりあえず薄幸な秀才がお金ごときのために低学歴生ちんちんで性的に開花していくのを見るのは超快感
④ 月1@5
これまたどうしてパパ活という名の売春をしているか理解不能な出自
長身で美形、胸のボリュームも申し分なくセックス自体は好きだし喘ぎ声は色っぽい
とりあえず中年男性に抱かれるのに抵抗感を隠さないお嬢様に庶民ちんちんが生中出しするのは超快感
⑤ 月1@4
学力的には②の子と同級生になれたはずなんだけど(年齢も一緒だし)
でも親の経済力の問題で学費だけしか出せないのでパパ活という名の売春に手を染めた
ロリ可愛い感度よい子でしかも甘え上手な男をとらえて離さない子
だけどバカには抱かれたくないという理由で高学歴を騙る俺に定期で抱かれている
とりあえず低偏差値ちんちんが将来の女医の中をえぐって生中出し超美味しい
⑥ 月2@4
東京の家賃が高くて給料では賄えないというのでパパ活という名の売春に手を染めた
地元でもおっさんころがしはしていた模様だけど自分ではちんちんは入れさせなかったと言っている
甘え上手で感度も上々、手放せない魅力たっぷり
とりあえず家賃ごときで魅力的な身体を売る上京女子に生外出し美味しい
皆賢いんだけど性的な魅力という意味では足りないからAV新法のせいで仕事がなくなった全身整形のAV女優を抱きたい今日この頃
すごく小さい農園みたいなとこ
45歳になりました記念に書く。
ネットで、「氷河期マウントはもういいよ」みたいなコメントをよく見るようになった。
思えば、氷河期ロスジェネなんてもう20年前、確かに大変だったろうけど、その間にリーマン東日本大震災コロナと、いろいろあったし
若い人が「氷河期いつまで擦ってんだよ」っていう気持ちになるのもわかる。
そんな俺は氷河期世代ではあるが、幸運なことに就職にそこまで苦労しなかった。
さすがに2浪して、やばいって思って受験も学校の勉強も頑張ったので、成績はよかた。
同じ研究室の仲間は教授推薦で地元の企業に就職したりしていたが、俺はそれしちゃうと断れないので、自力で就活したけど
ESは10社くらい、履歴書はたぶん5通くらいしか送ってなくて、2社ほど最終まで進んで、先に内定くれた今の会社にはいって19年になる。
なので、ネットでよく見る氷河期残酷物語みたいのにはあまり共感がない。自分も研究室の同期もそこまで苦労してる印象はなかったので。
この19年で結婚もしたし、子供もできたし、30年ローンで家も買ったし、バラ色ではないかもしれないけど、そこそこ楽しく暮らしているし
会社の同僚や仕事で知り合った同世代も、まあ似たような生活をしているので、40代非正規悲惨問題などはネットをしていなければ
ずっと知らなかったと思う。
氷河期世代と一口にいっても、格差がかなりあると思う。俺は普通に暮らしていく上では、氷河期世代問題を認識することはほとんどない。分断を感じる。
で、じゃあそんな40代非正規のひとをどうすべきか、みたいなことを考えるに、ちょっといい手は思いつかなかったりする。
自分もそうだが、40過ぎれば体力にも健康にも問題が出てくるし、40までまともなキャリアやら経験やらを積み上げていけなかった人を採用して
教育して戦力になってもらって、とやるのはちょっと非現実的だよな、と思う。
自分や家族を犠牲にそういう人を救おうとも思わない。自分と家族が大事。
きっと氷河期はこれからもいろいろと割を食っていくんだと思うけど、とにかく自分と家族を守っていこうとしか考えていない。
コロナ影響で突然、失職してしまったご近所さんがいる。俺がもしそうなったらと思うと、恐ろしくて震える。家族と家のローンがあって
実家には老いた父がニートの妹と暮らしている。とても頼れない。
精々、リストラ対象にならないように仕事頑張るしかできない。どうしたもんかな。誕生日にこんなこと書く時点でもうダメかもしらん。
お前らも頑張って生きろよ。あばよ。