同じ条件を揃えて再現実験をしようとしても、相手が人間だったら「個体差です」で逃げ切られてしまう。
もちろん統計学的な正しさを追求することは出来ますが、それでもいくらかの偶然に対して「運が良すぎました御免なさい」で逃げることは可能になる。
STAP細胞ぐらい注目されていれば徹底的な再現実験の繰り返しによって早急に捏造は発覚しますけど、そうでないならダラダラと捏造論文も生き残り続けかねない。
業界内には深い深い癒着の構造があるというのも問題を複雑にしてる。
日本最高記録とされる東邦大学の藤井善隆大先生は172本の論文捏造が発覚したわけだけど、これってつまりはそれだけの捏造論文がずっとバレずに居られる土壌があるってこと。
もちろん全ての論文が捏造だったのか、単に運が良すぎたのか、運が良すぎたのではないかと疑いの目で自分を見られないような奴が医師ゃを名乗るんじゃねえよ、だが待って欲しいそれぐらい自分に自信がなければ人間の体に刃物や劇物を入れる仕事なんて数年も続かずに頭がイカれるのではないだろうか、と様々な憶測が飛び交ってしまう。
どうにしたってそんな事を考えて読まなきゃいけないような胡散臭さの塊が医学論文なんだよ。
まあエンジニアだったら皆知っての通り、検査や試験なんてのはどこかで「鉛筆を舐めた……とまでは言えないように思える」のラインを探ることを「経験」「技術」と言い張ってるような側面もあるわけで、お医者様のようなご立派な人もその絶対法則から逃げ切れなかったってだけの話に過ぎないんだけど。
その相手が人間という未知なる小宇宙の解明ともなると、無数の思い込みだったり親の欲目だったり売名目的の割り切った嘘だったりが紛れ込みまくるわけですよ。
もうそんなの現代人は皆知ってるのに、いざ都合のいい新説や面白い新説が出てくるとすぐに飛びついてしまう。
いい加減もうそういうの辞めませんかって話ですよ。
そんだけですね。
これだけの話に長く書きすぎ!
それだけ!